【書籍化】 ま! よ! け! の! 塩! (120年分) 作:哀森賢人/哀しみを背負ったゴリラ
「は? ……待て、レイちゃん。待ちやがれ。……俺が三日眠り続けて、四乃ちゃんが攫われたって……? おいおい、いくら何でも冗談が過ぎるだろ、流石に」
間宮二郷の自室。窓の外ではしとしとと雨が降り続けており、分厚い雲が、夜空に浮かぶ筈であった、不気味に笑う『腐れ月』の姿を隠している。
そんな夜と雲の暗がりに抗うかのように、蛍光灯で照らされた室内で、未だ喉奥に残留する異物感に、自身の首を手で擦りながらも、眼前の五辻レイに尋ねる二郷。
その声は、怪異や化物と対した時のものとは異なる恐怖に震えているのだが、二郷自身はその事に気付いていなかった。
……いや、気付く事が出来ない程に、混乱していた。
そんな二郷に対して、五辻レイの方は至って冷静に。先程まで口付けを交わしていた等とは思えない程に、いつも通りの胡散臭い飄々とした口調で答えを返す。
「ふむ。幾ら二郷君でも、寝起きでは調子が出ませんか。それではまず、状況確認をしましょう。まず──先程まで二郷君は、夢を見ていました。これは、事実です」
「夢? 夢って……俺は、さっきまでいつも通り高校に通ってた筈だろ? レイちゃんも、四乃ちゃんも居たじゃねぇか」
混乱しながらも思い返すのは、夢と言うにはあまりに鮮明な記憶。間宮二郷が居て、笹島三那がいて、東雲四乃がいて、五辻レイがいた日常。
異常は無く、怪異は無く、微睡のような優しさだけが漂っていた、穏やかで優しい日々。
二郷をして、夢と言うには余りに美しく、惜しいとすら思えた残影。
「……」
しかし──部屋の中央で、その光の無い夜の沼の底のような目でじっと二郷を見つめてくる五辻レイ。彼女の無言こそが、縋るような二郷の願望を、何よりも情け容赦なく打ち砕く。
十数秒が経過した頃、二郷は諦めたかのように……自身の顔をその右手で覆い、言葉を零した。
「……さっき、三日寝てたって言ったよな。じゃあ、まさか本当に? 本当に三日間も、俺は呑気に馬鹿みてぇに眠りこけて、夢を見てたってのか?」
「正確には、先程潰した【ツリクイ】の端末に寄生され、無理矢理に夢を見させられていたというべきでしょう。いやはや、二郷君の中で随分と育っていましたので、人間専門の僕は、駆除に手間取ってしまいましたよ」
「っ……!!」
言葉を聞いた瞬間、二郷は拳を机に叩きつけていた。
それは、即座に一つの可能性に思い至ってしまったが故の衝動的な行動。
自身の余りの愚かさと……そして、五辻レイの話により、一つの事実が確定してしまった事に対しての、怒りからの行動であった。
「……三日前。俺が三塚先生に会う前に行ったのは、笹島先生の部屋だけだ。だとすりゃあ……犯人なんて決まっちまってるじゃねぇか。三塚先生の写真と話のとおり、やっぱし笹島先生は死んでて、正体はバケモノだったって事じゃねぇか……! くそ! クソがっ! 信じてたのに! あれだけ、助けを求めてたってのに……っ!!」
俯き、項垂れ、悪態を垂れるその姿は、真実を突き付けられて尚、現実逃避をする外見相応の少年そのものであり……率直に言えば、あまりに情けないものであった。
しかし、その反応も仕方のない事であると言えるであろう。
信じていた人間に裏切られたという痛みは、勿論ある。だが、それ以上に痛みを覚えているのは
──嬉しかったからだ。
自身と同じように化物が見え、理解し合える頼れる大人が居てくれた事が。
だからこそ、それが。過ごした日々が、全てが偽物であったと知ってしまった事こそ、二郷は心の底から苦しく感じているのである。
ああ、そうだ。考えてみれば当然の事だ。間宮二郷という少年は、最初からこんな世界──
「──二郷君」
不意に。嘆く二郷の両頬に触れるものがあった。
白く、小さく、綺麗で冷たいそれは──五辻レイの両の手のひら。
「先程の不快害虫の影響が思考にまだ残っているであろう事は、理解しています。ですが──二郷君が今すべき行動は、吐き出すべき言葉は、本当にそれで合っていますか?」
「は……? 何を……」
疑問符を浮かべた二郷へと顔を近づけ、その額を合わせながら、五辻レイは、彼女にしては珍しく……ほんの少しだけ、意図的に怒りの色を混ぜた声で、言葉を紡ぐ。
「僕は、二郷君に後悔をして欲しくないので化物を知らせました。東雲さんは、二郷君に悲しんで欲しくないので、化物を遠ざけようとしていました。ですが──今の二郷君は、僕達のどちらが願った幸福からも、外れた位置に居ます」
責めるような言葉とは裏腹に、添えられた五辻レイの手は、優しく二郷の頬を撫でる。
五辻レイは、その夜の沼の底のような暗い瞳に、間宮二郷の瞳だけを映しながら、言う。
「正直な所、東雲さんに塩を送る形になるので、全く以て心外ではあるのですが……しかし、ここで言わなければ、後で二郷君から嫌われてしまいそうなので、敢えて言いましょう」
「……」
「二郷君が今、吐き出すべき言葉は──すべき行動は、東雲四乃さんを救い出すためのものであるべきではありませんか?」
その瞳の闇に引き込まれ、何も言えないままの二郷に──五辻レイは、今度は柔らかな笑みを向ける。
「僕を倒して、そして僕を助けた素敵な
いつかの夕暮れの教室。仮面の少女に向けて手を伸ばした、少年の声色とポーズを真似て、【スイガラ】は言葉を紡ぐ。
「『裏切ったら────地獄を見せてやる』と」
言葉。それは、ただの言葉だ。この世界で五辻レイだけが唯一知っている、かつて二郷が吐いた言葉である。
だが、そのただの言葉こそが、何よりも間宮二郷に響いた。
確かに、混乱するのは仕方ない事だ。【ツリクイ】の影響が未だ残り、敵意や害意といった感情の起伏が平坦にされてしまっているのも間違いない。
だが、そうだ。二郷であれば。ホラー少年漫画の主人公達に脳を焼かれている異常者、間宮二郷であれば。ここですべきことは、決まっている。
暫しの沈黙の後。やがて俯き、そして二郷は────
「────っし、こんだらああああっ!!!!」
殴りつけた。
己の顔を、力一杯に。
余りの勢いに大きくのけ反り、数秒して鼻血が吹き出し床を赤く染める。
「二郷君、それは流石に──」
「っせぇ! これは大馬鹿野郎への罰だっ!! ……ああ、そうだ、そうだよ、そうだった! レイちゃん、あんがとよ! 全部レイちゃんの言う通りだ!!」
突然の二郷の奇行に目を見開き、咄嗟に袖で溢れた鼻血を拭こうとする五辻レイ。
そんな五辻レイの手をそっと腕でのけながら、自身の服の袖で鼻血を拭い、痛みで涙目になりながら二郷は言う。
「俺のウスノロのカス野郎がっ! 何をつまんねぇ感傷の為に無駄に時間使ってんだ! まずすべき事は、四乃ちゃんの心配だっただろうが!! ヒロインが攫われて、主人公が遅れてんならよ────ビビりながらでも、全部投げうって代わりに助けに行くのが、せめてものモブの気概ってモンだろうがっ!!!!」
吹き出すような狂気。
溢れ出る、恐怖を振り切った先に有る覇気。
久方ぶりに聞いた間宮二郷の狂った啖呵に、五辻レイは、その異常さにも拘わらず、思わずその口元を綻ばせてしまう。
そんな五辻レイを尻目に、二郷は勢いよく立ち上がると、部屋の隅に常備してある、除霊グッズ変態フル装備一式が入った鞄を左手で持ち──次いで、五辻レイを右腕で抱えて、未だ雨の降る外に、傘もささずに飛び出した。
「……おやおや、二郷君。僕はまだ、東雲さんが攫われた事に関する詳細な説明をしていませんが?」
「分かってる! けど悠長にしてるつもりはねぇ!! だから、移動しながら全部聞く!!!!」
「成程……ちなみに、移動と言うのは何処に向けてでしょうか?」
「あ? ンなモンは決まってンだろうが────敬愛するバケモノの巣だよ! 畜生、おっかねぇなああ!!」
二郷は、東雲家の駐輪場へとたどり着くと、其処にある一番高価そうな自転車を勝手に手に取り、その後部の荷台へと五辻レイを置いた。
そうして自身は自転車のハンドルを握り、ペダルを思い切り踏み込んだのである。
「あ、二郷と五辻ちゃん。貴様ら、四乃姉様を見ていないか? 昨日から見掛けておらぬ──うええっ!? それ、私の自転車!! お小遣い貯めて買った高いやつなのにっ!!」
「悪ぃな妹さん!! ちと借りるぜ!! こいつが一番速度が出る!! 帰ったらハンバーガー奢ってやるからなぁ!!」
そうして、玄関から顔を出した、四乃の妹である巫女服を着た少女。東雲六花が大声で騒ぐのを尻目に、二郷は走り出したのである。
怪異潜む団地へと向けて。
──────―
雨は降り続いている。肌に纏わり付く煩わしい細雨だ。
しかし、間宮二郷は正面から打ち当たるその雨をものともせず、むしろ切り裂くようにして、両眼を見開き、アスファルトの上を自転車で走り抜けていく。
夜道を法定速度ギリギリまで加速し、歩行者を芸術的なハンドルさばきでかわしていくその姿は、あたかも曲芸のようだ。
けれど、そんな技巧を誇るようなこともなく、二郷は、振り落とされないように自身の腰へと抱き着いている五辻レイへと向けて問いかける。
「それで──レイちゃん、四乃ちゃんが攫われたってのは、具体的に何時の話だ!! 何がありやがったのか、教えてくれ!!」
そんな二郷の問いに、五辻レイは雨音で声が遮られないよう、一部が欠けた白い仮面をヘルメットの様に頭へと移動させつつ、二郷の耳元で答える。
「勿論です。三日前、二郷君は帰ってからいきなり布団に倒れ込み、そのまま起きなかったので──突いても、揉んでも、脱がしても起きなかったので、僕と東雲さんはずっと看病をしていました。心配し、医者や東雲家と伝手がある霊媒師も呼んでみたりもしていたのですが──」
「待て!? 今なんか初っ端から妙な事言わなかったか!? ……ああいや、やっぱいい! 話を続けてくれ!」
「……事が起きたのは、昨日の昼頃でした。学校に来ない二郷君と東雲さんを心配して……という名目で、一年C組の同級生達が、訪ねてきたんですよ。無論、事件が解決していると思っていた僕と東雲さんは彼らを迎え入れました──そして、それが間違いでした」
十字路でドリフトを決める二郷にしがみ付きながら、五辻レイは淡々と続ける。
「扉の前には、確かにクラスメイト達が居ました……クラスメイト二十七人全員が。その口から、二郷君の中に居たのと似たような形の、ナメクジの様な不快害虫の姿を覗かせながら」
「は!? なっ……全員!?」
「ええ、全員です。『次原和梨』『尾張忌奈』『重音嗣和』『和梨創』。彼等彼女等を含めた全員が【ツリクイ】に成り代わられていました。彼等は、ドアを開けた瞬間に、一斉に手を伸ばして狙ってきましたよ。東雲さんと、二郷君を」
思わずペダルをこぐ足を止めたくなった二郷であったが、一刻も早く目的地へと辿り着くために、意思の力で再度足に力を込める。
「っ……意味がわかんねぇぞ!? 何で全員が! 『原作』と数が違い過ぎるじゃねぇか! それにそもそも、連中は何で、四乃ちゃんと俺なんざを狙いやがったんだ!?」
「二郷君については判りかねますが──東雲さんに関しては、間違いなく『右眼』欲しさでしょう。僕が彼等の人間としての脳を掻きまわし、二郷君を攫う事だけは、なんとか諦めさせられましたが……東雲さんだけは、決して連れ去る事を諦めようとしませんでしたので」
「右眼って……【モリガミサマ】の居た右眼か!!」
目元の雨粒を拭いながら二郷が思い浮かべるのは、四乃の眼帯を嵌めたその下に有る、美しい右眼。
かつて醜悪な【モリガミサマ】が宿っていた、その場所。
「ええ。かの化物が長きに渡り巣食い、悍ましく強大な力をため込んでいた場所。その跡地に二郷君が、『禍石』を詰め込み、『塩』で浄化し、願いを込めて再生した東雲さんの右眼……はっきりと言えば、アレはこの世ならざるモノ達にとって、最上級の宝石に等しい。喰らえば、妖物としての格が上がる程の代物ですよ。狙われる理由としては十分でしょう」
「っ……糞があっ……!! 浄眼とか四魂の玉じゃねぇんだぞ!? いつまであの子に化物との因縁を残そうとしやがる!! ふざけんじゃねぇ、うんこ垂れの糞原作世界がよぉ!!」
折角、不条理と理不尽の運命から逃がす事が出来たと思っていた少女が、その実、未だ怪異や妖魔の因果に囚われているという事を知り、思わず吼え、激高する二郷。
それでも……間宮二郷は赤銅色に濁った感情の中で、狂気を飼いならしながら思考を整理していく。それが、それこそが、間宮二郷という少年がこの『さかさネジ』の世界を生きていくうえで培ってきた、生存技術であるからだ。
「クラスの連中の姿は、レイちゃんの警戒網には引っかからなかったのか!? 確か、通行人を監視カメラ代わりにしてんだろ!? ぞろぞろ歩いて来たってんなら、気付けたんじゃねぇか!?」
必死に確認する二郷の問いに、あらかじめ答えを用意していたかのように、二郷の背に顔を押し付けながら五辻レイは返事を返す。
「そこです──彼らは、僕の警戒網に気付いていました。意図的に、人の目に映らないようにして東雲家の敷地に忍び込んで来たんです。つまり……今回の襲撃と誘拐は、相当に以前より計画されていたものとみて、まず間違いないでしょう」
五辻レイの返事に、思わず唾を飲み込む二郷。
計画的な襲撃、知性ある悪意。
【モリガミサマ】や【アナログジャック】とは異なる、人間を理解し解析した悪意。
それを成せるとなれば、その相手は恐らく……人間そのものの思考を解しているに違いない。
ペダルをこぎながらも、二郷の脳は、怒りと狂気を原動力に最大限の稼働をして見せる。
違和感。矛盾。推測。それらが混ざり合い……やがて、一つの答えを出した。
「っ……ああ、そうか。やっぱ、俺は
二郷の脳内で『さかさネジ』の漫画の一場面が入れ替わる。
四人の顔が塗りつぶされていた場面が、四人以外の顔全てが塗りつぶされていた場面に。
「四人が乗っ取られてたんじゃねぇ────元々、最初の時点で、クラスで他のバケモノと接点を持ってた四人以外の全員が【ツリクイ】に成り代わられてた。原作の話が完全に終わった後の状態だったって事かよ、俺のクラスは……! んでもって、俺達はずっと前から監視されて狙われてて、今回まんまと餌箱のなかで踊らされてたって訳だ……っ!!」
そこで、二郷が強く自転車のブレーキレバーを握り込んだ。
慣性に耐えられず、放り出されそうになった五辻レイの腕を掴んで引き、自身の腕の中に抱き戻してから、二郷は辿り着いた先────夜闇に不気味に並ぶ、市営四ツ辻団地を、雨と脂汗が混ざった物を頬に流しながら、睨みつける。
そんな二郷の腕の中で、暫しの間団地を眺めていた五辻レイは、何時もの様に飄々とした声ではなく、どこか警戒心を持ったような声色で尋ねる。
「一つ、確認したいのですが……二郷君。笹島先生は、この団地の何棟にお住まいなんでしょうか?」
「あ……? Ⅾ13棟だ。それがどうした」
「そうですか。では先にお伝えしておきますが……」
「四ツ辻団地は、現在Ⅾ12棟までしか存在しません。Ⅾ13棟は、もう十年以上前に火事で焼失しています──であれば、二郷君が通っていたというあの13棟は、一体何なんでしょうね」