【書籍化】 ま! よ! け! の! 塩! (120年分) 作:哀森賢人/哀しみを背負ったゴリラ
【ツリクイ】が成り代わった人間は、恐ろしく強い。
人間の肉体を手に入れ、しかし精神構造の根幹が化物のものである成り代わりには、痛みと言う概念が存在していないからだ。
それは、痛覚が無いという意味ではない。
文字通り、ただ『知らない』のである。
知らないが故に、痛みに対し肉体が発する信号の意味が理解できず、信号を受けても怯む事が無い。知らないが故に、向かい来る痛みを与えてくる脅威に対しても、常に冷静に対処する。
痛みに対する無意識の防衛反応もない為……肉体を損壊から守るための、筋肉のリミッターも機能しない。
即ち、成り代わりは──その一体一体が、怪力を振るう、怯まず折れぬ怪物なのである。
思考し、動き、語り、人を模すが、決して人に在らず。
釣りの疑似餌のような、無機質な者共。
痛みを知らぬが故に、種の為に、無尽蔵の痛みを撒き散らす災禍。
彼等が集団となれば、それはもはや群れを成す人型の肉食昆虫に等しい。
だが。
「ひ、ひいいいっ!?」
「ぎびいいっ!! 」
「い、ぐ、ぐぎあゃあああっ!!!」
一人、二人、三人────瞬く間にもう十人。
強者たる筈の成り代わり達が、次々と倒れていく。
その様は、まるで小さな嵐が吹き荒れているようであった。
「は! はは!! ハッハ────っ!!!!」
そして、その嵐の中央に居るのが、間宮二郷。
二郷は奇声を上げながら、成り代わり達に対して拳を振るい、足刀をぶち当て、関節を捻り上げていく。そしてその度に、痛みを知らぬ筈の化物達が、崩れ落ちていくのだ。
「……いやはや、随分と容赦がないですねぇ」
その冗談のような光景を目にした五辻レイは……成り代わり達に二郷の側から引き剥されないよう、二郷の首に腕を回し、おぶさるような姿勢を取っている彼女は、一人得心がいったとでもいうように言葉を漏らす。
その言葉に反応した二郷は、未だ残る恐怖の感情を塗り潰す為、意図的な狂気に思考を染めつつ嗤う。
「はっ、仕方ねぇよなぁ!? 心が痛ぇのを知らねぇなら──体の方に、嫌だ死にたくねぇって叫ぶくらいの痛みを与えてやるしかねぇだろうがよぉ!!」
一体の成り代わりの睾丸を蹴り上げながら言い放ったその言葉は、あまりに単純で明朗で、しかし実践的な発言であった。
そうだ。成り代わり達は痛みを知らないだけで、成り代わった肉には、痛みを感じる機能が存在するのだ。
であれば、以前に結論付けた通り──常人にはとても耐えられない激痛を与えて、痛みとは何であるのかを、その肉体に一から教えてやればいいのである。
そして、一度それを覚えてしまえば……ただ痛みを知らなかっただけの、紛い物の強さしかない脆弱な精神は、たったそれだけで、そこから動けなくなる。
「命の濃さが足りねぇんだよトンチキ共が!! 『よく食べ、よく寝て──よく活きる』! 敬愛するサユリのばあちゃんが言ってくださった言葉を、テメェの身で実践経験してこなかった、借り物の薄っすい薄っすい命共になんざ負けるかよオラァ!!!!」
間宮二郷の前世である『青年』はホラー少年漫画を教科書に人格を育てた異常者だ。
彼は、脳を焼かれた漫画の主人公達に少しでも近付くために。化物以外に負けないように、あらゆる格闘技や喧嘩術。果ては拷問術といった物騒なものまで履修しており……そして、大半の記憶を失っている今でも、その技巧は生きている。
【ツリクイ】はその生態故に、寄生すれば二郷を操る事は出来るが、その生態の果てに人の体を手に入れてしまえば、物理的に決して二郷に打ち勝てなくなる。
故に、皮肉の様な形勢逆転が、今ここに成立してしまっているのである。
だが、それでも。
「つかまえる」「まみやくん」「ひどいじゃないか」「だいじょうぶだよ」
「ふざけるな」「たすけて」「ころさないで」「はなしあおう」「けいさつをよぶぞ」
「おちついて」「わたしはみかただから」「こっちにきなさい」「なにもしないから」
「くそが……っ!! しつけぇんだよ!! 彼岸島の吸血鬼かテメェらは!?」
戦いが、終わらない。
単純な数の差。しかし、そうであるからこそ、間宮二郷とて如何ともしがたい。
二郷は人間相手には滅法強い。けれど、物語の主人公のように、その体力は無尽蔵ではないのだ。
以前に神社で不良達を殲滅した時のような、奇襲であったのであれば、それでも容易く解決出来たのであろうが、腐っても化物の端くれと正面から殴り合うとなれば、手間と消耗は桁違いだ。
二十体を打ち倒す間に、新たな二十一体に出て来られてしまっては、東雲四乃を見つけ、助け出すという本来の目的を果たす事など、とても出来ない。
四乃には魔除けの塩のお守りを持たせているとはいえ、その効果は永続ではない。時間を掛けて塩を『消費』させられてしまえば、いずれその守りも崩れ去る。
既に、東雲四乃が攫われてから三日が経過している。五辻レイには、全く問題ないと言い切ったが……今はもう時間との勝負になっていると、二郷は予想していた。
「はぁ……はぁ……チッ! 負けはねぇが、このままだとジリ貧じゃねぇか……! 何とか手を……」
故に、急がねばならない。であるのに、状況はどうあっても二郷だけの力では動かない。
一人の老人の成り代わりの四肢の関節を外しながら、歯噛みし、焦燥と疲労で滝の様に汗を流しながら呟いた二郷。
蓄積し続ける疲労は、徐々に、恐怖に蓋をし続けていた狂気さえも薄め始めてしまう。
──だからこそ。
「仕方ありませんねぇ」
彼女は、そんな二郷を見ていられなかったのだろう──不意に二郷の首に絡みついていた腕が解かれ、白檀の香りが風と共に遠ざかった。
「……っ!? 何してんだレイちゃん!? 危ねぇぞ戻れ!!」
二郷の前に背中を見せて立ったのは、五辻レイ。
いつも飄々としている彼女は、やはりいつもの様に飄々とした声色で──けれど、二郷に語り掛ける時の様な気やすさをまるで感じさせない、化物のような冷たさで、ただ一言を告げた。
「────【止マレ】 」
直後──時が静止してしまったように、周囲の【ツリクイ】の成り代わり達が、ピタリと一斉にその動きを止めた。まるで、蟲の命令が、別の何かに更に上書きされてしまったかのように。
そして……この場で間宮二郷だけは、引き起こされたその現象を知っていた。
「んな……っ!? おい、こいつはまさか……【スイガラ】の」
「ええ、『僕』の力です。成り代わりの不快害虫達に、洗脳を掛けました」
少しだけ首を動かし振り向いた五辻レイのその顔には──左目の部分が大きく欠けた、笑顔の仮面が出現している。そして、その掌には、ビー玉程の大きさの『禍石』。
「【エドクボサツ】から接収したこの『禍石』。いざという時の為に、取っておくつもりでしたが……ここで使わねば、二郷君の都合の良い女として、名折れというものでしょう」
「いや、称号みてぇに言うなよ……」
「称号ですよ。僕にとっては、何よりも大切な」
反射的な二郷の突っ込みに、どこか嬉しそうにそう返してから、五辻レイは再び、静止した成り代わり達へと視線を戻す。
「さて、【ツリクイ】が此処に戦力を集中させている以上、東雲さんは恐らく、建物の中で最も遠く離れた場所……最上階か屋上近辺に居ると、僕は推測しています。ですので」
そして、一呼吸置き。
「────二郷君。ここは僕に任せて、二郷君は先に行ってください」
五辻レイは事も無げに、まるでそうする事が当たり前だとでもいうように、間宮二郷に向けて、そう言い放った。
「……は!? おい、ふざけんなレイちゃん! テメェだけ置いていくとか、ンな事出来る訳ねぇだろうが!?」
「では、ここでジリ貧の戦いを続けますか? ここに足止めされ続ければ、誰も救われませんよ?」
「──っ!!」
当然、二郷は五辻レイの言葉に食って掛かるも、返ってきた言葉の正しさを前にして、直ぐに黙らされてしまう。そんな二郷を諭すようにして五辻レイは続ける。
「いいですか、二郷君。僕は、二郷君が悲劇を見過ごして後悔する姿を見るのが嫌なので、暗躍する怪異の事をお話しました。そして……だからこそ僕には、この【ツリクイ】との対峙を、二郷君が望む結末へと道案内する義務があるんですよ」
「……」
「二郷君は、東雲さんを助けたいのでしょう? でしたら、効率を考えて──」
「っ……うっせぇ!! クソッタレな効率なんざ、ンなモン知るかよ!!」
けれど話の途中で、二郷の怒声が五辻レイの言葉を遮った。二郷は、眉間に皺を寄せながら言う。
「全部の悲劇を笑ってぶち壊して救うのが主人公だろうが!? だったら、代役モブの俺は命を張ってその役目を果たすべきなんだよ!! 悲劇を見捨てる!? 犠牲を見逃す!? ンな真似したら、俺は二度と主人公達に顔向けできねぇだろうが!!」
……そこまでは。その言葉までは、いつもの二郷の言葉であった。ホラー少年漫画の主人公達に脳を焼かれた、しかし自分は主人公にはなれないと信じている、異常者たる少年の言葉であった。
「それになぁ────俺の望む結末にレイちゃんがいねぇ訳がねぇだろうが!! ンな事もわかんねぇのか俺の共犯者は!?」
「……!」
だからこそ。その先の予想できていなかった言葉に。主人公でも、代役でもない、ただの間宮二郷から漏れ出た願望に、五辻レイは、彼女にしては珍しく完全に言葉を失う事となった。
そして、怒りを露わに睨みつけている二郷を暫く見つめ……やがて、五辻レイはクスリと小さな笑い声を零した。
「ふふ……はてさて。いただいた言葉は嬉しいですが、二郷君は、どうやら何か勘違いをしているようですね」
「……あン? 勘違い?」
予想外の言葉に首を傾げる二郷に対し、五辻レイはからかうように言葉を掛ける。
「僕は、此処を任せて欲しいと言いましたが……別に、死ぬつもりなんてありませんよ?」
「…………はあ!? おい、待て! ついさっき、ここは任せて──なんて、いかにも死亡フラグみてぇな事言ってたじゃねぇかよ!?」
「ええ。ですが、そこに言葉以上の意味はありません。足止めをして、不味そうであれば普通に撤退しますので。まあ、つまりは……二郷君の早とちりというやつですね?」
「……!」
あっさりとした物言いに、思わず閉口してしまう二郷。
五辻レイは楽しげな様子で……自身の早とちりを指摘され、やや赤面をし始めた二郷へと更に言葉を投げかける。
「まあ、ですが。いざとなれば逃げるとはいえ。それを踏まえて、それでも……それでも、どうしても二郷君が僕の事が心配なのであれば──事が終わった時に、僕を迎えに来てください」
「あ? そりゃあ……」
当たり前だと、そう言おうとして。五辻レイの言葉に込められた感情がいつになく真剣なものである事を感じ取り、思わず口ごもってしまう二郷。
そんな二郷に向けて、五辻レイは言葉を重ねる。願うように。祈るように。
「────お願い、できますか?」
「……あいよ。約束する──だから、レイちゃん。ここは信じて、任せる」
二度目は、口ごもらなかった。
二郷は五辻レイとは反対の方向──非常階段の有る場所へと向き直り、二人は背中を向き合わせる形となる。
そして、数秒して間宮二郷は駆け出した。
それ以上、交わす言葉は無かった。
何故ならば────信じると、任せると、迎えに来ると、そう言ったのだから。
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二郷の足音が遠ざかった頃、五辻レイは一人、静かに口を開く。
「……さて。二郷君に任せられたからには、僕としても少々やる気を見せねばなりませんね」
呟く五辻レイの掌の中の、【エドクボサツ】の『禍石』が、力を使い果たしたかのように罅割れ、砕け散り、黒い灰となる。それと同時に、動きを止めていた成り代わり達が、僅かずつ、蠢き始める。
「万全の頃であればともかく、これ程の数の化物を留め置く事は、中々に容易ではないのですが──そこは二郷君を見習って、根性で何とかするとしましょう」
その言葉と同時に、再度、怖気のする気配が五辻レイの体から放たれ、成り代わり達は再度動きを止めた。それに合わせて、五辻レイの被っている白い笑顔の仮面が、ゆっくりと端から罅割れ、崩れ始める。
「立てば悪逆、座れば破綻、歩く姿は魑魅魍魎────人を侵し、人を模し、人に巣食う化物の先達として、さあさあ、いざ、我慢比べと参りましょうか」