ヤンデレ達の夜~貢がれるYAMA育ち~   作:春玉サロン

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第12話 黄金の世界と不条理な世界

 12月25日・14時20分・旧校舎

 

 黄金の狼は昼寝から目覚めて眠たげな眼差し。先日の石の巨人との戦いも獣の王にとってはもう覚えてすらいないだろう。幼き神話の幻獣は退屈そうに大きな欠伸をして背を延ばす。

 

 ここは嘗て、生徒たちが賑わい、教師が教鞭をとっていた神聖な場所。今は古びた勉強机が窓際に積み重ねている。

 

 寂れた校舎にいるのは不法滞在している橙子と金狼だけだった。橙子は今日の決戦に向けて準備をしている。彼女と一緒にいない時間はより退屈で暇な時間が流れる。

 

 黄金の狼の名前はルゥ・ベオウルフ。

 

 山の里では太陽の名前で呼ばれて、橙子から勇者の名前を戴いた。アレは今日みたいな曇り空、余りにも暇だったので空を見上げて当時の事を思い出す。

 

 彼が住んでいた里はヨーロッパの荒野。誰ひとりとして人間の侵入を許さない秘境の地。停止した世界は緩やかな絶滅を迎えるまでひっそりと、日々を送る毎日。

 

 その時、突如として彼が生まれた。人狼の始祖と同じ毛並みを持った赤子が発見された。村は新たな王の誕生に歓喜で打ちひしがれていた。

 

 文明が消費・消滅を良しと二千年が経過した。森は荒らされ、川原には鉄と油で汚され、谷は廃棄物で埋め立てられている。時代の流れが人狼の神秘を薄めていき、生殖機能も落ちていた。

 

 十年に一人、生まれれば祝祭日となる。だが、灰、白、銀を越えて、森の神と呼ばれた黄金の毛並みを持った狼が生まれた。

 

 衰退する神秘の中で生まれた奇跡。時代が変化したわけではないがその赤子は村にとって輝かしい宝だった。

 

 黄金の繫栄を待ち続けたが、時が経過するにつれて喜びは失望へと変わった。

 

 太陽と名付けられたルゥは子供のまま成長しない。

 

 どれだけ、時間が経過しても、

 何を食べても一切の変化がない。

 

 彼は不老不死、不滅の王である。

 けれど、それは孤独でもあった。

 

 村中を探しても、彼を産んだ母親はおらず、

 彼の理解者は誰一人としていなかった。

 

 張本人も百年をかけて実感する。

 自分と何もかも違う連中。その他の人狼は同族とすら思えない。生も死も何もない。ただそこにあるだけの神秘だった。

 

 次第に太陽と敬う村民はいなくなり、

 畏れだけが広がった。

 

 ”アレは精霊だ。

 人狼の姿だが我々とは異なる生き物だろう──”

 

 言われるまでもなく、実感している。

 完成した世界ゆえの閉塞感。

 

 だが、この世界は退屈すぎた。

 

 

 

 息をするだけの世界。

 

 欠陥もない、変化のない世界。

 

 

 

 未知を知りたいと、世界を知りたいと願う。

 

 

 

 だって、このままでは─────

 

 だって、このまま僕は─────

 

 生きていない──

 

 生きている意味すらない────

 

 

 

 黄金の狼は身を持て余してしまう。里の人狼も太陽に近づけない。けれど、失うわけにもいかない。今日も変化のない世界だと退屈していたら──────

 

『太陽のルゥ? へぇー、面白いなあ!

 偶然もここまできたら必然か』

 

 風変わりな魔術師が訪ねてきた。それが彼女とのファーストコンタクトだった。懐かしんでいると二階から大きな物音がなり続ける。きっと、契約主がまた何かしているに違いない、とベオは思った。

 

「”…………もう、うるさいなあ…………

 僕がいるんだから罠なんて要らないのに……”」

 

 仮初めの工房であるが徹底して改造に励む。本人曰く、趣味半分だから気にするな、と言われたがベオにとっては騒音程度の認識だった。

 

「”こんな事しないと安全を確保できないなんて……

 たいへんだ…………”」

 

 発想が完全しか知らない思考であり、全てが満ちていた世界の住人には”弱さ”が理解できない。子供の無邪気さは気分屋でもあり、人間の善悪、いや、人狼の善悪ですら測ることができない。

 

 結論をまとめると”自分以外の全てを見下している”

 

 ただそれだけだった。

 

 ただし、例外がひとりだけいる。

 

 里から出してくれた冠位の人形師、蒼崎橙子である。

 

 恩を感じているからではない。いい匂いがするからだ。

 

 ”カッコイイ”と言い換えても良い。生き物にはそれぞれの匂いがあり、その匂いは筋の通った生き物ほどいい匂いがする。橙子の捻じ曲った性格は彼からすればいい匂いだった。

 

「ベオ、昼飯は食べたのか? 

 夜が本番だ。今のうちに休んでおけ」

 

 ここ最近、気が立ってて冷たい緑の魔術師。

 だが、契約だからと従者気分のベオである。

 

 けれど、実際のところ契約はさほど強力ではない。彼が本気を出せばいつでも破れる程度のものだった。今すぐにでも殺そうと思えば契約者を嚙み砕けるがその理由がない。

 

 ベオが人間の社会で生活する上でこれほど相性の良い人間もいなかった。契約中はよほどのことがない限りに反抗するつもりはない。けど────―

 

「”やっと? トーコさん”」

 

 里から連れ出した理由は当然あった。

 

 ”最高の神秘と戦わせてやる”

 

 その甘い言葉に釣られてついてきた。けれど、そろそろ我慢の限界だった。特に昨日の戦いが魔法使いとの戦闘なんて拍子抜けするほどお粗末で、あっけない蹂躙だった。

 

「”ねえ…………トーコさん? 

 あの娘、本当に魔法使いなの?

 本当に魔法は使えるの? ”」

「アレに関して言えば、

 私も拍子抜けだったのは事実だけど……」

 

 難しい顔をしている魔術師。

 橙子も同じ疑問を持っていたが──────

 

「…………いや、抑止力か」

「…………別に何でもいいけど、本当に退屈…………」

「例え、魔術師である以上、

 魔法が使えてもお前には勝てないさ」

 

 橙子は教室を出て罠を準備を始める。

 

 魔法を警戒しているが彼からすれば人工の神秘など不敬であり、森の神であるベオにとっては蹂躙する対象でしかなかった。

 

「”…………契約だしね…………けど…………”」

 

 契約が終了したら彼は自由となる。大きな口からは涎が垂れ流し、次の標的に狙いを定める。凛とした美しい女、特別な匂いがする彼女の四肢や腸、胎からは淫靡な香りがするだろう。卑しい獣は下卑た笑みを浮かべ、小さく嗤い続ける。

 

 

 

 


閑話休題


 

 

 

 

 同日・19時10分・旧校舎

 

 街からの明かりも届かない山林。

 校舎裏の山は闇が深まり、数年前から誰も住んでいない。木々はざわめき人の侵入を拒み、野生の時代が訪れる。

 

 三咲町から三キロも離れていない闇の中。雪が積もり、しんしんと凍てつく森の中は動物の気配すら感じない。けれど、そんな中で粉雪が舞う中で白い林道を踏み出す足音が二つ。

 

 黒衣の少女は長髪の少女の後ろを歩く。

 

 

「まだ、罠はなさそうね」

「別に盗みが目的でもないし、

 姉貴は工房だけ死守すればいいから

 ここら辺までは安全なはず」

「後ろから強襲出来ればいいのだけど…………」

「そこまで高望みはできないわ。

 ─── そもそも、完全決着を望んでいるのは、

 あっちも同じコトだしね」

 

 ふたりの足取りが徐々に緩まり、そして完全に停止する。裏山にある旧校舎は雪が積もり、白く、静かに、物言わぬ校舎はまるで死者のようだ。時代とともに忘れられた建物は白い広場の隣に建っている。

 

 けれど、校庭だった場所にはひとりの美しい女性が立っていた。

 

 緑色のロングコートの深いスリットからは黒いラインのタイツが見えている。彼女は眼鏡を外して臨戦態勢であることが遠くから見ても理解できた。

 

「タイムリミットまで、まだ四時間以上あるのに…………

 短気なお嬢さん方だ」

 

 森を抜けるとニヒルに微笑む魔術師は、来ることが分かっていたかのように立っていた。青子は腰を低くして、すぐにでも走れる準備をする。後ろにいる有珠は指一つ動かさずにいる。

 

「足の調子はどうだ? 

 治りは早く見えるがまだ本調子ではないでしょう?」

 

 文句を言う余裕もなく、相手に集中する青子。対峙する両者の距離は三十メートルほど、魔術を使えば一瞬で届くギリギリの距離。静かな森の中では蓮華のような凛とした声はくっきりと届いた。

 

 橙子の傍に黄金の狼がいないことを確認する。有珠は黒いコートに帽子を被り、両手は隠すようにコートの中。その有珠の前に半歩出ている青子の服装は青子が通う学校の制服姿だった。

 

「殺し合いを始める前にひとつ聞きたいんだけど…………

 貴方の戦闘服って制服なの?」

 

 橙子の視線からは軽蔑を感じる。恐らくだが、彼女は青子の当てつけだと思ったのだろう。青子も会話するつもりはなかったが有珠が持ってきた服に不満もあったので反論する。

 

「そんな訳ないでしょ。偶々、服がこれだっただけよ。

 でも姉貴には着れない服ってことは確かね」

 

 嫌味を込めた安い挑発だったが橙子の鋭さが増す。

 

「…………ダメだな。

 お前からは何を言われても反応してしまう」

「なら、これで終わりにしましょう」

 

 雪中、ふたりの闘志が燃え上がり、火花が散っている。

 

「────────」

 

 有珠が黙って周りを分析する。

 人狼の気配はなく、まだ旧校舎の中と想定する。今回の目標は橙子の撃破であり、人狼の撃破ではない。有珠が人狼の時間稼ぎをして速攻で橙子を撃破する作戦。

 

 けれど、橙子は人狼を出し渋っている。橙子が使える魔術は魔眼とルーンの一工程の魔術しか使えない。

 

 本来なら速攻で撃破を狙ったが有珠の手が空くなら無駄話をして隙を作った方がいいだろう。

 

「じゃあ、今度はこっちの質問。結界の支配は順調?」

「昨日今日で手をつけるのは吝かだろ。それに霊脈の魔力には興味がないわ。その奥にあるものが目的だしね。

 ──── その前に貴女を暴いた方が早いかもね」

「やっぱり目的はそれね。

 だったらアンタを魔法使いにすることはできない」

「魔法……ね。興味はある…………執着もね。

 お前が奪った蒼崎の魔術刻印、そして魔法の正体。だけど、どうでもいいわ。到達すれば後からついてくる。それとも、貴女が私のために魔法の正体を見せてくれるのかい?」

 

 橙子は嘲り挑発する。

 昨日の時点で魔法を使わなかったのは制限があるのか、と考えたが切って捨てた。制限をつけるなら祖父だが魔法の発現で国が滅んでも気にしないだろう。

 

 ならば、コレは青子のトラウマの問題。お前が持つ魔法など価値の持ち腐れだと言いたげな橙子。

 

 何よりも青子も自覚しており、その嘲笑が許せない。

 

「なら、使わせてみなさいよ──!」

 

 殺気と共に翔ける。

 目の前から青子が消滅する。

 走る足跡で予想するしかない。

 

 ”コレは……有珠の小道具か”

 

 姿隠しの初歩的な魔術。

 しかし、魔眼は姿を捉えないと拘束の効果は発動しない。走り出して四秒、十メートルは距離を詰めて打撃戦に持ち込む腹積もり。

 

 魔術では敵わないなら近代格闘。

 もうひとりの少女は一歩も動いていない。

 

 ”被弾覚悟とは…………舐められたものだ──── ! ”

 

 口端を吊り上げ、

 甘い子ウサギを狩るために左腕を構える。

 薙ぎ払うように水平に切断する。

 

SWEL(ソウ)────!」

 

 宙にルーンを刻み切断する。

 刻むより早く足跡は止まり、青子は飛翔し、

 切断のルーンは空振りとなる。

 

SWEL(ソウェル)──────!」

 

 劫火は空に跳んだ青子目掛けて炎が巻き上がる。魔術抵抗では意味がない、ルーンの効果は対象を炎で包みこむ。

 

 青子の体から羽が溢れ出す。チチチ、チチチと言いながら噓くさい演技する。

 

 しかし、橙子の興味は青子にはもうなかった。偽の燃えカスより警戒すべき黒衣の少女。今の身代わりも有珠の使い魔の能力だろう。

 

 ”魔力を使えずとも使い魔がいるか……”

 

 舌打ちをする橙子。

 青子が着地した地面から青い魔法陣が回りだす。駆動音は加速して魔力が右手に集中させる。四小節の大魔術(フォース・トゥ・フォース)の魔術を防ぐには同等の魔術式が必須。

 

 だが、蒼崎の魔術刻印を持たない橙子にはルーンや魔眼のような一工程(シングルアクション)しか扱えない。魔力の奔流はうなりを上げて眼敵を討ち果たす。

 

「──── EYWZ(エイワズ)!」

 

 青子の魔法陣に退去のルーンを刻む。

 姿隠しの解除を確認する。すぐさま指先の魔力を角膜の転換。人の身では解除不能の最強の積重魔眼は青子を無間地獄に落とすため起動する──────! 

 

「っ……!?」

 

 魔眼を起動した瞬間、青子の姿が両断された。空間が歪み、黄昏時のように輪郭を捉えることができない。

 

 橙子の魔眼が鏡合わせの無限であるなら、青子の姿は鏡開きのようにふたりの姿移し出されていた。

 

「館の鏡……青子は鏡の奥にいるの。

 正面から見渡す魔眼で捉えるのは不可能よ」

「…………ッ!」

 

 有珠は橙子を怨念を込めて睨む。

 今までの仕返しをするように、彼女の持ち物を傷つけた精算を取り立てるように、魔女は画策する。

 

 有珠はナナカマドを飲まさて魔力を生成できない。

 

 しかし、稀代のマインスターが魔術だけなはずがない。既に起動していたプロイたちは主の使命を遵守するために総動員。

 

 魔眼で止まらない青子は標的を破壊するための暴風を巻き起こし、蒼い魔弾が装填された。

 

接続(セット)──── 刻印(ルート)交流数紋(ディレクト・カーラント)!」

 

 右腕を掲げ。蒼い光は刻印となり、

 腕を中心に魔法陣が刻まれる。

 二十メートル先の橙子を捉える。

 

 姿隠しの魔術が発動した瞬間、青子は詠唱を開始していた。回転数はまだ上がり続ける。三工程以上の魔力圧縮(マジック・ブロウ)は後ろの旧校舎まで破壊できるまで加速する。

 

 

 

「橙子ッ ──────!!」

 

 

 

 ”今までのお返し”と言わんばかりの会心の一撃を準備する。銃弾より速い魔弾を避けることは橙子の移動速度では不可能。

 

 橙子の瞳は怯えてではなく、驚愕から足を止めてこちらを見据える。青子も覚悟を決めて打ち放つ────! 

 

 

 

 

魔弾形式(ツアープラン)収束投射(スターマイン)

ぶっ飛べぇ──────え !!!」

 

 

 

 

 放たれた光弾は周囲の雪を溶かすほどの熱量、

 雪原は水飛沫となり波をあげながらまき散らす。

 

 轟音とともに正面から橙子に着弾する。衝撃波は遠くにいる有珠にまで伝わるほどの必殺の一撃。衝突を目の当たりした青子の心中は勝者の歓喜はではなく、人を殺した苦い感情が広がっていた。そして ────

 

 ”チッ、軟弱者が…………”

 

 魔弾に包まれて即死したはずの橙子は青子の瞳から甘さを感じて舌打ちをしていた。その瞳からは失望と自分への嫌気から眉間が濃くなる。

 

「青子…………いつまでそこにいる。

 だから蒼崎の後継者に相応しくないと言ったんだ。

 お前はいつまで経っても餓鬼のままだ。

 本当…………何処までも私の逆鱗に触れやがる」

 

 憎悪に満ちた声からダメージは見られない。雪が剝げて、地面が露わになった中心には煤ひとつない緑コートの魔術が立っていた。青子の最高の一撃は、同等の魔力によって弾かれていた。

 

「──────」

 

 橙子の話より後ろの光景に驚愕して目を見開いていた。魔弾が消えた事はどうでも良かった。ルーンや魔眼以外にも魔道具制作に長けている橙子なら対策していても何ら不思議ではない。

 

 しかし、姉の背中に浮遊する光景は有珠をして眉を潜めるものだった。

 

 橙子の背後には無数の魔術刻印が浮かび上がっていた。右指を弾き、背後から一瞬で金色の花が咲いていた。恐らく奪った魔術刻印は数百は超えて西欧だけでなく、世界中から強奪したのだろう。

 

 本来、魔術刻印とは一子相伝。後継者のみ継承を許された秘中の秘。蒼崎の後継者は青子である以上、橙子の右腕には魔術刻印はない。

 

 しかし、嘲嗤うように稀代の天才である彼女は魔術の歴史を踏みにじる。橙子の背中には守護獣のように色鮮やかな金柑色の魔術刻印が刻まれていた。

 

「これで十分か? 

 ベオにおんぶに抱っこと、言う訳にもいかんからな」

 

 表情は冷たく、

 ただ処刑をするために青子たちを見つめる。

 

「姿隠しも鏡の応用か…………

 汎用性で言えば三大プロイに劣らない逸品だな」

「……なに? 負け惜しみ?」

 

 青子を一度、睨み付けて視線を外す。

 

「はあ……アレは先代のマインスターとの合作だ。ただの自慢話だ、流してくれ。

 それよりも青子の身代わりなったのは昨日の駒鳥か……魔眼は有珠が防ぎ、青子は魔弾だけに集中する。まあ、及第点、と言ったところか」

 

 青子は話よりも背後の魔術刻印が気になっている様子。有珠だけがこの状況を理解しようと橙子の話に耳を傾ける。

 

「残念だったな。二年の成果としてなら上出来。だがな、実戦に関して言えば赤点だ。相手の屍を確認するまで油断するな、馬鹿者め」

 

 指を鳴らすと背後の刻印の光が強くなる。

 

 ”有珠……アレ……何……? ”

 

 小声で後ろの有珠に確認する青子。

 

「── 魔術刻印よ。信じられないけど」

 

 その声からは驚愕より不快感が強い。

 魔術刻印とは各々の家系が心血を注いで積み上げてきた歴史であり、誇りである。魔術には形がないからこそ、その技術を残そうと全てを捧げる。魔導書と違い、分け与えることはできない。

 

 けれど、自分だけの魔術とはそれだけでも価値があるのだ。例え、魔術刻印をコピーしても魔力のやり取りが可能なだけで魔術は発動出来ない。

 

「……肌に刻まない理由はそういう事か」

 

 青子もその吐き気を催す邪悪なものと認識する。

 満足げに語る橙子。

 

「お前たちの予想通りだ。私の背後に固定して起動している。本来なら体に刻んだ方が起動手順も少なく済む。しかし、他人の魔術刻印は体に合わないからな。手順は増えるがこうするしかない」

 

 片眼を閉じ、口角を上げながら楽しげに説明を続ける。

 

「ただ、デメリットばかりでもなくてね。

 複数の魔術刻印を起動出来るし、何より痛みもない」

「──── で。奪われた連中が痛みを肩代わりしているってこと? 本来の持ち主は幽閉して。魔術刻印の持ち主が死んだら発動もしないものね」

「─── 橙子さん。貴女 ────」

「おいおい、戦利品を頂いて何が悪い。向こうから仕掛けてきた奴から貸してもらっているだけだ。それに殺さないだけ、優しいと思うがね」

 

 非難されることはしていないと白々しく応える。

 

「その魔術師が人間の姿ならね!

 正直、どうかと思うわよ。肉親として」

「私を何だと思っている? ホルマリン漬けとか、数百人のキメラとか、そんな手抜きなどするか。しっかりと衣食住、娯楽まで与えているんだぞ。

 後、勘違いしているが魔術刻印が痛むのは現実と幻想の軋轢だ。体に刻まれていても無痛の化物も時計塔にはいるし、遠隔だから痛みを与える必要はない。

 まあ、そのせいでココで一生過ごしたいと言う莫迦ものが出てきて困っているだが────」

 

 一瞬緩んだ空気に困る青子。

 だが、有珠は更に眉を潜める。他人の魔術刻印を自分で使う必要はなく、橙子ほどの人形師だったら各々の魔術刻印にあった人形を制作してより強力な人形を造る事もできるだろう。

 

「なんで、そんな面倒なことを」

「そういう人なのよ。姉貴は。手間とか、労力とか全部無視して進む人なの。そんなんだから、ガンド撃ちとか無駄な性能を追加するし、呪術や私の写し人形にこだわって機動性が低い人形になるのよ」

 

 嫌味を込めての挑発だった。けれど、青子の安い罵倒は人形師としてのプライドが許せなかった。

 

「……その人形に追い詰められたお前に言われたくない。

 まあ、ケルトの魔術をかじっているのは事実だが、私はルーン魔術師だからね。そこは譲れないがね。……じゃあ、そろそろ遊びも終わりにしよう。腹が減った狼がお待ちかねだ」

 

 ぱちん、と指を鳴らす橙子。

 彼女は指先に魔力を込めたのか、旧校舎の中まで響くほどの合図に有珠は踵を返して逃走を図る。

 

「行って! 有珠!!」

 

 これも事前に決めたことだった。

 もし、橙子を速攻で倒せなかった場合、ふたり一緒に殺されることはない。橙子の目的は青子であるため、彼女が逃げる事はできない。けれど、有珠なら逃げ切れる可能性が僅かにだがあった。

 

 ”姉貴の切り札も分かったし、万全の有珠なら勝てない相手でもないものね……”

 

 有珠の背中を見送りながら、後悔する青子。自分の死ではなく、あの高慢ちきな人形使いを黒衣の少女が倒す時に立ち会えないことに。

 

 ”さて、後は私がどれだけ足止めできるか……”

 

 有珠を見送り、橙子を睨み付ける。

 

「……さあ、金狼はどこ? 

 待たされるのも好きじゃないんだけど」

「覚悟が決まって助かるよ。

 だが、ベオは追いかけっこに忙しくてね。

 黒衣の少女を連れてくるまで待ってな」

 

 絶望的な発言に口を開き驚く青子。

 

「有珠 ────────!!」

 

 夜の森を注視する。

 月明かりだけで黒衣の少女は見えなかった。けれど、白い闇の奥から金髪の少年が歩いて来ることが見て取れる。

 

 金髪の少年は青子の胸より低い身長。だが、自分より大きな有珠を雑に担ぎながら歩いてきた。少年はゴミを捨てるように有珠の体を無造作に投げつける。

 

 放たれた有珠は数メートルの放物線を描きながら、青子の眼前まで落下した。

 

「────── っ!」

 

 体が自然と有珠を受け止め、軽い有珠でも投げつけられたことによって数倍の重さを両腕で受け止める。

 

 受け止めた両腕の傷口が開き、激痛から歯を食いしばって耐える。

 

「有珠……無事?」

「──────」

 

 息はあるが意識が薄い有珠。

 このまま戦うことはできないだろう。

 

「──── どうやって隠したの? 

 探知には引っ掛からなかったのに!?」

 

 舌打ちをしながら有珠をそっと地面に下ろす。

 

「ベオは森の神でもあるからね。

 有珠が魔力を使えない時点でお前たちに見つける事は無理だろう」

 

 有珠を投げ飛ばした少年は

 薄ら笑いを崩さず近づいて来る。

 

 その瞳は爛々とこの後の惨劇を待ち望んでいる風だ。少女にも見える少年は有珠ほどの癖っ毛の金髪をたなびかせ、グリーンの瞳は違う生き物としか思えない程美しかった。子供用の白色のダッフルコートと黒い手袋は何処か気品を感じる風貌である。

 

「ベオ……喰っていいぞ」

 

 凛と木霊す声で橙子からの処刑宣告。少年も今かと待ち望んでいたかのように微笑む。

 

 しかし、青子は自分から少年に近づき走り出した。両手から血を垂らしながら六メートルの間合いを疾走する。一気に詰めて、青子は走る勢いのまま地面を蹴り上げ片足を振り上げる。

 

 狙うは生物の弱点である首。

 停止と回転軸を意識して爪先に魔力を込める。少年の首に吸い付くように回し蹴りが直撃した。

 

 魔力を込めた一撃は例え熊であろうとも延髄を損傷させて絶命させる程の渾身の一撃────

 

 だが、少年は動かない。

 確かに当たったはずの回し蹴りは、何もなかったかのように棒立ち。ビクともせず、大木に当てたような触感が足先から伝わってくる。

 

「お姉さんの右足を嚙み切ったと思ったけど、その足で攻撃するのはすごいね。でも、残念。ボクの体毛はこの姿でも変わらないよ。例え、産毛一本でもお姉さんじゃあ切れないとおもうよ」

 

 蹴った右足が痛み血がにじむ。

 

「あと蹴る瞬間、ちょっと迷ったでしょ? 

 ダメだよ、ボクが子供の姿でも油断したら………

 人間がボクを相手するのにそんなこと気にしないでよ」

 

 金髪の少年の口角が上がる。

 

「そんなんだから、ミンチになっちゃうんだよ?」

 

 少年が何をしたか分からなかったが、

 鋭い一撃をもらい右足から出血する。

 

 元々、痛みで感覚もなかったが、骨が折れて夥しいほどの血が流れる。魔術刻印のお陰で意識が保てるが一般人なら出血死するほどの血液。

 

「ボク、お姉さんにあんまり興味ないし、 

 弱い生き物をイジメる趣味もないんだけどなあ」

 

 金髪の少年の右手が雑に振るわれる。胸の中心に衝撃波が伝わり、浮遊感に襲われる。先ほどの有珠と同じように大きく空中に放られ身体中を叩き付けられる様に白い絨毯の上をバウンドしながらようやく止まる。

 

 肺の空気が無理やり押し出し意識が飛びかける。少年はゆっくりと笑みを浮かべて雪原に横たわる青子に近寄ってくる。

 

 痺れた心臓は魔術刻印が蘇生を始め、何が自分にできるか確認する。すると、金髪の少年の奥にいる人形遣いが目を見開き驚いた顔をしている。

 

 それはベオの頑丈さや筋力に驚いた、と言う訳ではない。何か意外なものを見たような思考停止にも似た表情。その事が気になり青子は未だに意識を手放せずにいた。

 

 ”…………な、に? ”

 

 橙子の視線に映るものを見るために上半身だけでも起こそうとする。

 

 この状況で橙子が驚かせるほどの物とは何か無性に気になった────

 

 

 

 


場面転換


 

 

 

 

 同日・同時・三咲町商店街

 

 家族連れや恋人たちが歩いている白い歩道を翔ける。頭には昨夜の手術の光景が思考を埋め尽くす。頭を振るように慎重に思考を押さえつける。

 

 雑念は寄り道となり、彼女たちの下に辿り着くのが遅くなるだけだ、と整理しながら走り続ける。

 

「──────」

 

 冷静に、冷静に、と繰り返し思考を洗練させる。

 教会から出てから一度も止まらずに走り続けてる。信号や人混みを避けなければ、どうしても道が塞がっている時は立体的に回避しながら、後方から声が聞こえるが全て無視しながら走り続ける。

 

 タクシーもすれ違うが渋滞で止まる可能性も高いし、小回りが効いている自分の足の方が圧倒的に速かった。

 

 イルミネーションもない住宅街まで辿り着く。胸の高鳴りが止まらず、この程度の距離で息が上がるとは情けない。足元が浮かぶような地に足がついていないような感覚。

 

 けれど、冷静に。嫌な予感がしても冷静に。例え目的地に辿り着いて、悲惨な光景が広がっていようとも心だけは冷静に。

 

 自分の事を無力と理解した上で最善の状態で彼女たちの下へ辿り着かなくてはいけない。すれ違う光景は建造物がなくなり、林の中をひとりで駆け抜ける。

 

 月光が木々の隙間から長髪の彼を照らしだす。山の中には他の生物が息をひそめて、彼を見送る。雪のお陰で小さな足跡が二人分あった。地を蹴り上げ木々を引き寄せるように駆け抜ける。

 

 ”俺が行っても足手まとい”

 

 脳内で何度も忠告が鳴り響く。魔術師の彼女たちが何もできずに蹂躙した相手に自分が行ってもマイナスにしかならない。それでも足が止まることは一度もなかった。けど──────

 

 きっと、後悔したくないだけ。

 自分勝手な理由だが彼女たちを救いたくて行く訳ではない。今も乱れる息を整えながら叫ぶように駆け抜ける。救いたい訳ではない。

 

 だけど『あの誇り高い彼女を俺が助けにいきたい』と願い、それだけで十分だと心の底から思った。

 

 木々が薄まり、森林を抜けるだろう。

 月明かりが強くなり、旧校舎が見えてきた。気がつくと完全に森を抜けて旧校舎の広場に立っていた。乱れる呼吸を抑えようとしたが無駄だった。

 

 決して見ないと決意した光景が広がっている。雪原に広がる赤黒いシミは息をする事すら忘れさせる。心音は楔を打ちつける様な激しい音を繰り返す。振り返るとこの光景を引き起こしたであろうソレは居た。

 

「────── 、……」

 

 息を深く、重く、体の芯を意識する。

 視線の先には金髪の少年がこちらを見つめている。拳は軽く、力みは不要、後ろに垂らすように斜めに構えて広場に足を踏み込んだ。

 

 青子は仰向けで血が滲みだし、その片足は完全に潰されていた。有珠は青子よりも状態が悪い。顔色は雪のように白く、息が細い。今すぐにでも教会に連れていきたかった。だが、全てを飲み込み全身全霊で体を回復させる。

 

 周囲を確認すると金髪の少年の奥には橙子さんがいた。その姿は背中からオレンジ色の羽を広げた美しい蝶のようでもある。足元からも金柑色の波紋が広がり、草十郎では理解できない程の何かがあるのだろう。

 

 だが、敵の事を無視して青子の前へと歩を進める。橙子も目を見開いたままで草十郎を止めない。その瞳には苦痛があったが本人ですら気づけなかった。

 

「お兄さんも仲間なの?」

 

 森の王は余裕を持って親しげに話しかける。笑みを浮かべながら次の獲物は肉が多めで食べ応えがある程度の認識。

 

 しかし、草十郎は無視したまま青子に近づく。無視されたことに腹を立てて無表情になる金髪の少年。だが、草十郎の瞳は青子を見つめて傷ましげに顔を伺う。

 

「──── 青子。遅れてすまない。

 少しだけ…………そこに寝ていてくれ」

 

 凍りついた表情で青子に告げる。

 庇われた青子ですら、冷たく恐ろしいと思ったが恐怖よりも心配が上回った。

 

「……ば……か。

 今すぐ、帰って…………

 コイツは関係ない…………」

 

 擦れた声で金髪の少年に説明するように咳き込みながら言い放つ。

 

 しかし、人狼である少年にとっては命乞いなど、どうでもいい事だった。橙子の契約や主従関係も関係なく、この不敬な人間風情が王である自分を無視するなどあってはならない。

 

 何よりも気に入らないのが殺気を送っても何も変化がないからだ。例え、一般人でも森の神でもある黄金の人狼が本気を出せば萎縮する。だが、この男からはまるで畏れが伝わってこない。

 

「…………まあ、いいや。

 どうせ喰えば一緒だしね。

 お兄さんも遺言とかいいかい?」

 

 金髪の少年は切り替えて笑みを浮かべる。

 どうせ、この男も石ころほどの認識。幾らムカついてもすぐ消える命。覚えるほど価値もなかった。だが最後に少し煽る事で気を済ませようと決めた。

 

 しかし、それにも答えずに長髪の少年はゆっくりと手の甲を鼻に手を当てる。

 

 

 

 

「…………臭いな」

 

 

 

 

 首を傾げる金髪の少年。

 ここら辺から臭い匂いなど嗅ぎ取れなかった。幾度も無視されて怒気がこみ上げてくる。ようやく、長髪の少年は振り返り人狼へと体を向けた。

 

 

 

 

「お前のことだ、下郎。

 これだから下卑た犬は嫌いなんだ」

 

 

 

 

 草十郎にとってはただの本心だった。

 だが、王である少年にとって今までにないほどの侮蔑であった。

 

「────、は、ははは」

 

 乾いた薄ら笑いが聴こえる。

 冷え切った夜風の中、雪が積もった広場から王の怒りによって熱風が少年を中心に巻き起こる。

 

「草十郎…………!」

「…………静稀……くん」

 

 青子と有珠は体に力を入れて彼を逃がそうとするが血が足りず指先しか動かない。

 

 けれど、草十郎は対照的に冷静に少年を見つめていた。

 

「お兄さんは、ボクを舐めているんだね。

 ならこれを見ても同じ事が言えるかな…………!!!」

 

 金髪の少年の翡翠色の右目が輝る。少年の髪は逆立ち煙のように揺れ動く。小さな体はぼやけ、徐々に大きなシルエットに変わっていく。

 

 少年が着ていた白いコートは霧のように霧散して、中の肉体が膨張し、黄金の毛並みをたなびかせる。悪魔すら切り裂く牙は鋭さを増し、森の神はここに降臨する。

 

 窮屈な人間の時間は終わり、

 本来の王の姿にも戻る時がきた。

 

 大気は神代の魔力に影響されて懐かしい原初の香りがする。この瞬間、世界は彼の存在を膨張させ祝福するように異形の獣を魔力で包み込んだ。

 

 人の形をした黄金の狼は大気を震わせて雪原に中心に立つ。

 

「── チッ、獣化は許可していないぞ!」

 

 橙子が叫ぶが耳を貸さない人狼。橙子との契約も弱く少年を縛るものなどこの世に一つたりともない。

 

「…………これは驚いたな」

 

 草十郎の十メートル先に自分よりも一回り大きな獣が現れたら誰でも驚愕するだろう。先程の無礼な態度を後悔している様子に満足そうに口を開く。

 

 しかし────────

 

 獲物は呆れ果てるようにため息をつく。

 

 

 

 

「本当に犬だったのか? 

 …………道理で臭いはずだ……」

 

 

 

 

 空気が凍りつく。

 敵である橙子ですら声を出すことができないほどの明確な挑発。この世の全ての生命がひれ伏す森の神を目の当たりにしてもう一度侮蔑する人間がいようとは。

 

「”────────”」

 

 嗤うことも忘れ、表皮から血管が浮き上がり獣性を増していく。初めての感情に整理がつかない程、心の中は暴風のようにすさんでいく。最強であり、全ての頂点に立つ生物の王はただ一色の感情に染まっていく。

 

「ベオ! 殺すな──────!」

 

 矮小な人間の雑音など気にせずに前傾姿勢となりながら標的を喉元に狙いを定めた。王を侮蔑する不愉快な音を鳴らすモノなぞ要らない、とばかりに脚に力を込めて数倍にも大腿直筋を膨らます。

 

「”死ねよ”」

 

 獰猛さを隠さずに眼を見開き跳躍する。

 十メートル程の距離は黄金の人狼にとって一秒もかからない。金の毛並みは暴風のように荒れ狂い、猛りを神速に変えて蹂躙すべく黄金の光となり近づく。

 

 一瞬にも満たない時間。

 人狼の筋線維が動きと共に彼も動き始める。目的地はきっかり一メートル半。襲い来る暴風の目はそこにしかない。この瞬間こそ、全てを賭して迎え撃つ。

 

 ブレる黄金の残像が迫りくる。

 大気を震わせて、熱風と共に疾走する暴力。大地は割れ、雪が蒸発し蒸気をあげながら踏み込む前脚。大口を開けて、右腕を振り下ろす黄金の人狼。

 

 風切り音と共に草十郎の首を狙う。

 

 だが、草十郎は薄皮一枚で流す。

 

 だが、躱す躱さないはどうでも良かった。

 

 思考を削ぎ落とし、

 一点までの最短距離を選択する。

 

 命の意識、理性を唱え、全て不要である。

 

 己の全ての力を左拳に乗せる。

 

 人狼の腰を抉り打ち抜き、拳を叩きつける。ダンプカーが衝突したような衝撃音。体感したことない違和感に重心がズレる。

 

 黄金の人狼は前向きに倒れようとするが草十郎は加速し回転する。もっと疾く、この瞬間に全てを賭して。

 

 草十郎の回転した槍のような右肘は、人狼の渾身の一撃に新たな指向性を加える。

 

 勢いを増すように、止まらない人狼の腕を打ち抜き、加速した人狼の右腕は自らの大胸筋を突き刺し貫通する。

 

 吐血しながら倒れこむ黄金の人狼。

 

 その隣に見下ろすように佇む草十郎。

 

「────────────」

 

 三人の魔術師は今何が起きたか理解できずに眼を見開く。長髪の少年は冷静に敗者を見下している。

 

 ”…………な……んだ……コレは……”

 

 地に付した人狼も状況が理解出来ずにいる。右手に力を込めると────────

 

 ”痛……み……? 痛い…………”

 

 ”痛い、痛い、痛い!!!! ”

 

 心臓を貫いた腕が、胸が、全てが痛みで思考が定まらない。

 

 初めの痛みに狂いながら、がむしゃらに腕を引き抜く。胸部から血が壊れた蛇口のように噴出する。血の水溜りが雪原に浮かんだ頃、傷口からシュウと音がなり始め、数秒で傷口は完全に塞がり完治した。しかし──

 

 ”……痛い! ……痛い!! まだ痛いよ!!! ”

 

 それは幻肢痛だったが少年は気づくことが出来ない。胸は塞がり、アレだけ吹き上げた血液も初めからなかったかのように霧散している。

 

 しかし、幾ら時間が経過しても

 胸の痛みが収まらない。

 

 ”何で…………完璧なボクが───”

 

 ふざけてる、不条理な結末。

 

 ”こんなのウソだ…………ボクより強い生き物なんて存在するはずがない。この痛みも、この状況も全部。全部ウソに決まっている! ”

 

 全ては悪い夢だと思い込む。

 けれど、体の悲鳴が否定し続ける。受け入れることは断じて出来ないが心が折れかける。

 

 しかし、生物の王として、そして森の神と崇められた黄金の人狼としての誇りが奮い立たせる。この状況を生み出した元凶に立ち向かうため起き上がろうとする。

 

 ”── ッ!? 何で立てないの!!!? ”

 

 体に力を込めても立ち上がる事が出来なかった。傷は完璧に完治したはずなのに立つことが出来ない。毒や体の異常はないはずなのに立てない事態に陥り錯乱状態になる。

 

 それは草十郎が人狼の仙骨をズラしたからバランスが取れないだけで形態変化をすれば、直ぐにでも治せる容態だった。けれど、幻肢痛と恐怖で人狼の少年はそれどころではなかった。

 

 ”ボクが負けるはずが────”

 

 顔を起こして怨敵を見ると、頭上には死人のような、虫以下の無機物を見下ろすような眼で此方を見つめていた。

 

 ぞわりと背中を中心に痛みが走る。憎しみも愉悦も何も感じさせない生物が此方を見つめる。この瞬間、憎悪も恐怖とも違う畏れの感情が胸に広がり指先が震え始める。

 

 今までは自分以上に残虐な獣や自分の倍以上大きい生物。自分と同じ伝承から生まれた生物も見てきたがそんな中でも今見下ろす長髪の少年は異様だった。

 

 まるで昆虫のように死ぬまで無感情に暴力を振るう生物など見たことがない。

 

 ”い……だ……こんなの知らない……

 知りたくない………………”

 

 人狼の少年の世界は完璧だった。

 全ては平等に無価値で中心に彼が立つ世界だった。

 それなのに初めて会った異物。

 

 今までの人生観を根底から覆す化物が突如現れた。心底不愉快だが自分より神秘が深い生物や自分より強い魔術師、何なら現代の兵器に負けるなら理解もできた。

 

 だが、なんだ…………

 

 この生物は全ての性能で劣り、

 

 心すら無知な自分よりも枯れている。

 

 人狼の少年が知りたいと思った世界は不合理で満ちている事を知ってしまった。それだけならまだよかったが──

 

 ”いつかボクも…………”

 

 こんな化物になるのか、と将来の可能性に恐怖した。痛みはとっくに無くなったが指先だけの震えは全身まで広がっていた。世界が嘆くように、精霊たちが悲しむように周囲の魔力が減ってゆく。

 

 生まれながら完璧だった生命が

 人の業によってまた失われる。

 

 ”痛い…痛い!! ……こんなの嫌だ……”

 

 

 

 

「……次は、喉か右足。どちらがいい」

 

 

 

 

 草十郎の発言が理解できずにフリーズする。しかし、直ぐに意味を理解して体をガクガクと震わす。

 

 この状況で自分が生かされている理由を悟った。これは彼女たちを傷つけた報復なのだ。呼吸が乱れ視界がぼやける。

 

 ”まさか…………この男…………”

 

 薄れる意識の中で確信があった。

 この化物は憎悪や私恨で攻撃したのではなく、

 ただ機械的に等価交換を行ったのだと。

 

 もし彼女たちを殺していたら完全に殺されていた。今まで死ぬことを意識した事が一度もなかった。新たな畏れが、痛みが彼を苦しめる。特別だと言われ続け、自分でも特別なのだと思っていた。

 

 しかし、違った。

 自分も例外ではない傷つき朽ちる生物なのだと。

 

 ”…………殺された? …………ボクが…………”

 

 体を小間切れにされるような感覚。報復なぞ自然の摂理なのに、この化物が現れるまで知らなかった。

 

 なのに、どうして、なぜ────

 

 その化物は自然の在り方、決まりから外れている。初めておぞましい存在を知り今すぐにでも叫びたいが震えていうことをきかない。

 

 

 

 

完成された世界

 

人の世が生み出した不条理

 

朱き茨は灰色の世界に惨たる彩りを加える

 

 

 

 

”ああ、ボクは。今まで…………生きていなかったのか”

 

 

 

 

 他人によって気付かされた世界は──

 不条理で、無秩序で、痛みに満ちた世界。少年が望んでいた未知の世界。人狼の少年の心に無慈悲な痛みと傷つく恐怖を植え付けられた。この瞬間、完璧な世界は崩壊する。

 

 全てに耐えられない幼子。誇りだった黄金の人狼の姿すら解除して、金髪の少年に戻ってしまう。草十郎に返答することも出来ずにうずくまる。

 

 

 

 

 見たこともない母に縋りつくように膝を抱え込み、

 

 体を震わせながら泣き続けた。

 

 

 

 


続々


 

 

 

 




 ご覧いただき、感謝いたします。
 初投稿の素人なので誤字や不備があると思いますが何卒宜しくお願い致します。

 感想、お気に入り登録、評価は凄くモチベーションが上がるので
 気軽にしていただけると嬉しいです!
 感想はひと言『面白かった』だけでも有頂天です!

 (感想は時間が掛かっても返信するのでよろしくお願いいたします)

 トシアキ0414様、Agateram replica様、ソーシロー様、TORUMU様、夜波時雨様、
 誤字・脱字報告ありがとうございます。大変助かりました。

 (誤字、脱字、誤植など、いっぱいあったので修正作業は大変だったと思います。
 皆様のお陰でとても良くなりました。本当にありがとうございます)

 
 評価10ありがとうございます。とても嬉しいです。

 ベオ虐回でした。ごめんね、ショタくん……
 
 次回投稿は5月12日(日)の18時40分に投稿しますので
 宜しくお願い致します。
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