「まさか、大和田殿までスケ落ちするとは」
山田がバターと砂糖塗れのトーストを齧りながら言った。朝食はもはや惨状の確認タイミングになっているのか。いや、惨状と言うにはあまりにコメディチックではあるが。
昨日まではやや緊張気味だった彼が、今では嘘の様に爽やかな笑顔を浮かべていた。そして、全員が揃ってバナナとゆで卵を口にしている様子はシュールと言う外なく、葉隠は噴き出していた。
「葉隠よ。笑うでない。スポーツマンとして即効性の高い食事を選んでいるだけなのだ。流石に、一様に取っている光景は不可思議な物ではあるが」
「あ。そうなんだべ? てっきり、スケボーにあやかって長い物を食っているのかと思っていたべ」
葉隠と同じことを考えていた生徒も居たらしく、彼らは控え目に頷いていた。
食事を終えた彼らは卵の殻やバナナの皮を集めて、ゴミ箱へと入れた後。全員が椅子に立てかけていたスケボーを手にして、食堂から出て行くのだ。向かう先は体育館一択であるが。彼らが居なくなった後、石丸が恐る恐る口を開いた。
「流石に毎朝、彼らが僕の部屋前に来るのはビックリする。最初は規則正しいと思って感心さえ覚えていたが、毎日1分のズレすらなく訪れるのは多少の恐怖を感じるよ……」
「探索とか集合にはキチンと来てくれるんですけれどね」
舞園も言う様に、彼らは取り決めや連絡などはキチンと行う。だが、基本的には体育館でずっとスケボーをしている。不満を言ったり、輪を乱したりすることも無いので放置していても問題は無いと思われた。
「ですが、彼らの元の人格とかどうなっているんでしょうか?」
山田が口にした問題は、この場の者達全員が抱いていた疑問だった。
苗木は最初からだったので構わないが、江ノ島を始めとした他の者達はどうなっているのだろうと。このメンバーの中で特に騒がしかったこともあり、元の人格がどうなったかは気になる所だった。
「でしたら、彼らにコミュニケーションを図れば良いじゃないですか。体育館に向かったことも分かっているのですし、こちらの言葉にも反応してくれているんですから。私はやりませんが」
セレスの案は具体的であり、実行するのも容易いことだった。だが、全員が躊躇せざるを得ない物だった。あの集団に1人で向って行けと?
「石丸っちは参っているから、舞園っちに頼めねーかな? 多分、一番苗木と仲が良いと思うし」
「それは構いませんが。その」
1人で行ったら取り込まれるんじゃないか。普通の人間を相手に抱く不安ではないが、数人は既に取り込まれているので警戒せざるを得なかった。
誰か一緒に付いて来てくれる人間はいないかと助け船を求めた所、真っ先に手を挙げたのは朝日奈だった。
「舞園ちゃんだけに行かせる訳にはいかないよ! それに、私は水泳一筋だからね! 絶対にスケ落ちなんてしないよ!」
「なんという前振り。これは、夜ごろにでも苗木殿の仲間が増えている」
山田が余計なことを言ったので、葉隠から脇を突かれていた。彼女が行くならば、大神も挙手していた。
「石丸や舞園ばかりに負担を掛ける訳にはいかん。我も行こう」
「さくらちゃんが付いて来てくれるなら心強いね!」
他にも挙手する人間はいないかと待機していると、他にも意外な者達の手が上がった。十神と霧切だ。
「俺も行かせて貰う。苗木には興味があるからな」
「そうね。彼はこの状況を打破する切っ掛けになり得る人物だから」
この5人で決定と言っても良かった。他のメンバーが部屋に戻ったり、好き勝手にしている中。彼女達は体育館へと向かっていた。距離的に遠くは無いにしても、多少の会話を交わす位はあった。
「でも、十神が付いて来てくれるなんて意外だった。他の男子は誰も来てくれなかったから」
「勘違いするな。俺はお前達の為に付いて行くんじゃない。苗木のことが気になるから見に行くだけだ」
朝日奈の感想をぶった切るノンデリぶりは、超高校級の御曹司に相応しい傲慢ぶりだった。確かに、彼を見て興味を抱かない人間は少ない。
「舞園さんは、苗木君の様子を見に行ったりはしなかったの?」
「昼食や夕飯の時に呼びに行く位はしますけれど、邪魔したら悪いですし」
霧切も他に調査することが多すぎて、スケボーの様子を見に行く真似はしなかった。他のメンバーも同じだろう。
程なくして、体育館へと着いた。舞園が扉に手を掛けて少しずつ開けて行く。ウィールが床を舐め上げる音が漏れて来た。
「お、お邪魔しまーす」
別に誰の物でも無ければ、貸し切りと言う訳でもないので断りを入れるのも奇妙な話ではあるが、見に来たという挨拶は大事だ。そんな彼女らの目に飛び込んで来た光景は実に奇妙な物だった。
苗木の上半身は壁に埋まっており、江ノ島は摩擦を忘れたかのようにヌルヌルと跳び箱を手押しで動かしていた。桑田はホームランボールもかくたるやと言わんばかりに天井に跳ね上がり、大和田の手にスケートボードが吸い付いては落ちる、と言う奇怪な現象を繰り返していた。見る者の正気をごっそりと削る光景だった。
「さくらちゃん。実は、私。今、夢の中にいるとか無いよね?」
「朝日奈。これは現実だ。いや、信じがたいが」
猛烈に扉を閉めて、帰りたくなる衝動を抑えた。
天井まで跳ね上がっていた桑田が落ちて来たが、大した怪我も無いのか、特に気にせず体育館を走り出したかと思えば、大和田と激突してバッタリと倒れた。
江ノ島の方はと言えば、手押しで慣性の付いた跳び箱へと飛び乗って壁に埋まっていた苗木に激突していた。すると、反対側の壁から押し出されるようにして苗木が飛び出して来て、江ノ島に手を振っていた。
「十神君。外国のスケボーってこんな感じだったりするんですか?」
「お前の中のスケボーはどうなっているんだ?」
現実逃避がてらに舞園は十神に尋ねてみたが、そんな訳ねーだろと言わんばかりにバッサリと切り捨てられた。
物理法則の全てを無視して好き勝手にしていた連中であったが、体育館に入って来た者達に気付いたのか。一旦、この世の理に喧嘩を売る所業は止めて、入口へとやって来た。先頭に立っていた苗木が首を傾げていた。
「特に用事と言う訳ではないんですが、普段何をしているのかと思って」
舞園の質問に対し、4人は同時にスケートボードを掲げていた。
もはや、スケボーってレベルじゃない挙動をしていたことについては、如何に問うべきかを考えていたが。何を聞けばいいのか分からない。代表して霧切が質問を投げた。
「江ノ島さん、桑田君、大和田君。今、貴方達は自分の意思で動いている?」
お互いに顔を見合わせて頷いていた。なんで、そんなことを質問するだろう? と、彼らの表情が訴えていた。
「じゃあ、どうして喋らなくなったの? 喋れなくなったから?」
首を横に振る訳でも、縦に振る訳でもない。3人は首を傾げるばかりだった。なんで、そんなことを聞くんだ? と。
「今、喋れと言われたら喋れる?」
彼女の要求に応えるようにして、江ノ島達は口を開いてみたが声は出てこなかった。全員、困惑した様子もなく『ゴメン、無理』と言わんばかりに、笑顔を浮かべて、首を横に振るばかりだった。
「ひょっとしたら、声帯の方に何かあるかもしれん。少し、触らせて貰うぞ」
この中では、人体に最も詳しいと言える大神が桑田達の喉を触った。暫く、触診をしていたが彼女は首を横に振った。
「特に何もない。至って健常だ。……苗木の方も確認させて貰って良いか?」
舞園は以前の話を思い出していた。苗木が声を出したと言う事を打ち明けた時のことだ。あの時、大神は苗木の声帯が機器で代理されているのではないかと言う仮説を唱えていたので、それを確認するのだろう。
苗木は抵抗することなく喉を見せ、大神もまた触診をしていた。特段、変わったことは無かったらしく、大神は首を横に振った。
「苗木の物も健常その物だ。だとしたら、増々分からん……」
つまり、不可能な理由もまた常識的な物ではないと言う事だ。彼らが敢えて声を出さずに遊んでいるのかどうかは判断のしようがない。
「どうやら喋れなくなるみたいね。ただ、コミュニケーションには困って無さそうだけれど」
その通り。と言わんばかりに、江ノ島は親指と人差し指でOKサインを作っていた。人間の表現幅が言葉に依らないことを示していた。
スケ落ちすることの変化がどれ程の物かは、まだまだ探りたい所はある。今度は、十神が口を出した。
「だったら、大和田。お前は、昨日。隠していた動機についてを公開できるか? 見せたくなければ、見せなくてもいい」
これは大和田のことを気遣って判断を委ねたのではなく、抵抗なく受け入れるか、本人の意思が残っているかを確かめる為の問いかけであった。
昨日のことを考えれば、大和田が動機を見られたくないことは分かり切っていることだった。だが、今の彼はラミネートされた紙を快く差し出していた。
『大和田紋土は兄を殺した』
全員が声を詰まらせた。差し出した本人に焦燥した様子も無ければ、自責の念がある訳でもない。かと言って、喜んでいる訳でもない真顔があった。
「冗談、だよね?」
朝日奈が恐る恐る問うたが、彼は首を横に振った。もしも、この情報が公開されれば彼は二度と表に出ることが出来なくなるだろう。
絶対に暴露は避けたい情報のハズだというのに、抵抗もなく公開するのは不気味と言う外ない。
「もしくは、ニュアンス的な問題かもしれないわ。例えば、超高校級の不良。ともなれば、喧嘩の最中に自分を庇ってお兄さんが亡くなってしまった。とか」
霧切の例えは絶妙だったらしく、大和田も深く頷いていた。ただ、負い目的に考えて軽々に口に出来ることではない程の何かはあるのだろう。
スケボーで解放された。と言えば、聞こえは良いが。彼が本来持っていた葛藤や苦悩までもが奪い去られてしまったと考えると、言いようのない不安を覚えざるを得なかった。
「色々と重要なことは分かった。元の人格は残してある部分もあるのでしょうけれど、変化はかなり大きいようね」
霧切としては、このコミュニケーションは非常に価値のある物となった。
彼らに起きた変化の大きさや出来なくなったことなど。今後の付き合い方を考える上では、有用な情報ばかりだった。ただ、具体的な情報を引き出せないことは惜しくもあったが、おいおい引き出して行ける事だろう。
「と言うか、動機で思い出したんだけれど。十神や舞園ちゃんは公開しても大丈夫なの?」
「私は問題ないですけれど」
朝日奈が不安そうに尋ねる中、十神も面倒臭そうに封筒を渡した。いつの間にか、中身がラミネートされた物に変更されていたが。
「『十神は未だに水晶のドクロを手に入れていない』。なんですか、コレ?」
「この俺が。十神財閥で最も優れた俺が、入手できない物があるんだ。これは恥と言うしかないだろう……!」
舞園達にはサッパリ分からなかった。公開された所で『だから何?』としか言われないよう内容でもあった。
概ね満足できる結果になって出て行こうとした所で、廊下の向こう側から何かを抱えて小走りでやって来る人物がいた。不二咲だ。
「良かった。まだ、皆も居る」
「不二咲さん。どうしたんですか?」
腕にはノートPCを抱えていた。ひょっとして、何か重要な情報でも隠されていたのだろうかと一同の期待が高まる中、不二咲が口を開いた。
「苗木君が喋れないし、筆談も出来ないなら。PCに打って貰ったら良いんじゃないかな?」
……全員が沈黙していた。何故、そんな単純なことを思い浮かばなかったんだと。既に画面にはメモ帳が開かれており、苗木達は画面を覗き込んでいた。