松実玄は不思議な感じがしていた。
身体中から溢れるほどの力を感じた。全身を熱く駆け回っているとも、暖かく包み込んでくれているとも言える。その不思議な感覚は自分が今までできないと思っていたドラのコントロールをできると思わせてくれた。
自分が自分ではなくなり、新しい存在へと生まれ変わったようであった。
それはないだろうと思われるかもしれないが、宮永咲がとてつもなく怖いから、ただの怖いに変化した。それは子供が幽霊などを怖がるのと大差ないもので、勇気をちょっと出せばどうにでもなる恐怖だ。
牌に触ると、感覚は強まり、嘘ではないことを伝えてきた。これは信じていいものだと確信した時、松実玄は牌に愛された子となった。
(うん。自覚はしたみたいだね。じゃ、見せてよ。あなたの力を)
宮永咲に慌てる様子はない。
点数を大きく稼いだからではない。確かに松実玄の覚醒において、咲は白糸台の中で一番警戒していたが、それは決勝にておかしなことをされては困ると考えていたものであり、決して自らを敗北させる要になると思ったわけでない。
そもそも同じ牌に愛された子なら、技術と能力を磨き抜いた咲に軍配が上がるのは至極全うな話であり、また前々から警戒していたのなら何を慌てる必要はあろうか。
(本当にドラがコントロールできるなら)
「リーチ!」
(強い支配だね)
「ツモ! 3100・6100」
(うん。なるほどね。ドラ待ちの一発……。それも裏ドラ。…………赤と表がないのは何でかな?)
やはり恐ろしい。玄の和了をわざと止めず、見逃すことで手の内を開かせ、情報を読み取っている。見て、違和感を覚えた所は忘れることなく、更に情報を引き出すために様子見。
「ツモ! 8000オール」
(今度は赤2のドラ4の倍満。裏はなしと。つまりこういうことかな。前までの漠然としたドラ収集ではなく、より正確なものになったことで、表と裏はどちらかしか選べない。うん、よく分かったよ)
暫定的なものとしては十分だ。どうであれ問題ない。これぐらいならよほど気を抜かない限り、敗北はあり得ない。そうとなればさっさと玄の親を流し、前半戦を終わらせるのがいい。
様子見はもうしない。後半戦は完全試合を目指すつもりで打つのみだ。
「チー」
(チーやと? 何のつもりや)
「ポン」
二副露。ここに来てカンではない鳴きを入れてきた咲に三人は警戒の色を見せるが、
「カン。ツモ。4200」
「は、はい」
玄に責任払いをさせて、咲は前半戦を終わらせた。
『前半戦終了! 終わってみれば宮永選手の圧倒的なプラス! 次点に松実選手がいるものの、点差はやはり大きい。このまま宮永選手が一人突っ走るのか!? それとも他校が落とすのか!?』
休憩。
咲は近くの自販機でお茶を購入する。
こくこくと多すぎず、少なすぎない量を喉に流す。冷えた液体が喉を通る感覚が堪らない。そこでやっと気が弛み、一息吐けた。
自販機横の壁に背を預け、これからについて考える。
(大丈夫。後半戦も今まで通り打てば勝てる。阿知賀の能力、千里山の能力、井上さんの能力、全部分かってる。……見ててね。私、勝つから)
最後のそれは部員にあてられたものではない。彼女が今日までお世話になってきた人たちにであり、また特異な才能を認めてくれた師匠的人へあてたものだ。
(おじいちゃん、絶対に勝つからね)
もう二度と会えない最愛の人に誓いを立てて、咲は飲みかけのお茶を持って対局室へ戻る。
既に他の三名が揃っていた。残った牌から自分の牌は北であることを知り、彼女は満足した様子で残る牌をめくって表にした。
東家・園城寺怜、南家・松実玄、西家・井上純、北家・宮永咲。
後半戦が開始した。
咲が前半戦のように暴れた場合、白糸台は二十五万点以上にしてバトンを渡すこととなる。
(うちが宮永のツモを飛ばせるのは幸いしたな。そら宮永はカンでものともせん時あるけど、それは全部やない)
上手く飛ばしていけば間違いなく稼ぎを減らせる。
(一巡だけだとそれは無理や。無理せえへんとな。二巡先を……ダブル!)
体にとてつもない疲労感がのしかかる。くらっと意識が遠くなる。自宅で何度か試してみたことはあり、倒れたことも少なくない。一巡増やしただけで負担は飛躍的に増す。
(きっつ……)
ほんの僅かでも気を抜いたら一気に意識を持っていかれる。だが、最初に比べたら随分とよくなったものだ。一番最初は見ることもままならず、気づいたら倒れていた。こうして倒れず、打てるだけ成長しているというものだ。
「チー」
咲が鳴いた。
普通ならよくあるもので、別に気にもしないことであるが、咲がしたとなると別。あまりにもおかしな光景で、そこに意味があるように見える。咲が何を考えてチーをしたのか。
次に鳴いたのは玄の捨てた西だ。
「カン。ツモ。1600」
「は、はい」
恐ろしいものを感じた。全身を凍らすような底知れない絶望。安手であるのに倍満をぶつけられたような錯覚さえ覚えた。
(えっ?)
(何や)
(流れが集まってやがる)
目には見えない違和感だ。しかし、それは確かに起きていた。純から見て、この場全体の流れと言うべきものが咲へと集まっていた。強引に集めたのではなく、今の和了に引かれるようにして咲へと集まった。
それは極めて自然に、だが人為的に行われた。今の和了は得点を目的としたものではなく、流れを集めることを目的としたもの。ならば咲は何故集め、それで何をするつもりなのか。
(役満をやる気か!)
思い当たる節はあった。彼女がまだ中学生の時、四槓子を和了した。その時も今回のように点数を問わない和了を重ね、最後に役満四槓子を決めた。
もしもあの時のように狙っているのだとしたら。最後に到達したら止めることは不可能に近い。流れが集まるのを阻止することが役満を阻む唯一の道であり、最適な手段だ。
「ポン」
「チー」
「カン。ツモ。1000・2000」
分かっていようと咲を止めるのは簡単なことではない。速度重視ということもあり、その速さには誰もついていけず、また集めた流れもあって彼女にとって有利な展開が訪れている。
どっと場の空気が重くなる。最初よりも大きな流れが咲に集まり、渦のように回転をはじめる。もし肉眼で見ることができたのなら、それは竜巻のように見えていただろう。彼女を中心に発生し、もう何もしなくても自動で集めてくれる。
(くそっ、手が)
(うう、全然だよ)
(配牌一向聴やったのに全くやな。掠りもせえへんとは)
「カン」
一度目ではあがらず。
ほっと一息吐く暇さえも与えず、玄の捨て牌を咲は鳴いた。
「カン。ツモ。12000」
ふわりと花びらが舞い散る。皆の前に突然と現れ、次の瞬間には多くの花びらが風に乗って駆けていく。竜巻はいつの間にか霧散していた。美しく、何もかもを忘れてしまうほどの光景が広がる。
色とりどりの花びらは見る人の心をこれ以上ないほどに掴み、夢中にさせる。思わず三人は点数、点差を忘れて花びらに目を奪われた。
それも数秒の安らぎ。
花びらは主を思い出したようにくるりと反転して、一人の少女の下へと舞い戻る。三人が目で追い。
世界から多くの色と音が消え去る。
白黒の世界の中で少女はいた。確かにそこにいたのだ。しかし、三人にはそれが少女とは思えなかった。少女は見た目こそそのままである。しかし、あくまでも見た目はだ。
見てはいけなかった。少女だけには色があり、その人から放たれるプレッシャーは心の支え、希望、自信など木っ端微塵に砕き、絶対的な絶望を植えつけた。勝てないとかそんな話ではなく、もっと恐ろしいもので、これこそが本物の凍てついた絶望なのだ。
(うちはほんまに人間を相手にしとるんか?)
(な、何これ。む、無理。無理だって。勝てるわけない、負けるだけだよ)
(何だよこれ。何なんだよ。どうやれっていうんだよ)
純だから分かった。分かりたくもないことではあるが。
花びらも、風も、何もかも流れそのものなのだ。この卓にある流れはほぼ全て咲に味方し、残りの申し訳程度の流れが三人にはあるだけだ。それすらも咲に味方する流れは引き寄せようとしている。
嶺の上の姫、静かに微笑む。
配牌は暗刻三つスタートだ。残る五枚はばらばらだが、そんなものは関係ない。
「カン」
玄の捨て牌を鳴いた。三人の背筋にゾクン、と凍えたものが駆けた。一度鳴いただけだというのに計り知れないプレッシャーが襲いかかり、さながら台風のように吹き飛ばしていく。
と、ここで気づいた。凍てついた絶望という魔物が双肩に手とも前足ともつかないものを乗せていた。頭を顔の横に持ってきて、狼のように横に裂けた口を大きく開いて黒光りの鋭い牙を見せてきた。
ずっと待っていたのだ。主が最大限の力を発揮し、大暴れする時を。それらはいつ首に噛みついてやろうか考えている。
どの瞬間が一番なのか。それをじっくりと考え、三人の顔を横から覗いている。
その主たる咲は着実に役満四槓子へと手を伸ばしていた。無駄ヅモは一切なく、確実に重ねていき、そして、七索を引き入れた。
一見するとそれは不要牌で、価値などないのだが、実際は嶺上牌ラストにある牌だ。これを持っていれば四槓子成立後、即座に和了できる。
純の捨てた牌を咲は鳴く。
(あかん。無理や。たった六巡で……)
ここまで鳴くこともできず、ただ見守るしかなかった。そして、未来視を持つ怜には見えてしまった。咲の四槓子和了が。
無力とはまさにこのこと。咲のための舞台とはこのこと。抗うことすらさせてもらえず、その時が来るのをただ待つだけ。未来を見たことで、怜は自分が何をしようと妨害できないことを知り、悔しそうに、泣きそうな顔で俯いた。
「カン」
それを見聞きした瞬間、三人は魂と肉体が離れるような奇妙な感覚を覚えた。心臓の鼓動は異常なまでに高まり、歯はガチガチと音を鳴らした。この恐ろしいものは咲と一緒に打ち、これを味わわなくては伝わらないだろう。それほどのものがこの場には存在していて、絶望のみが与えられていた。
宮永咲は人ではなかった。稼がせないとか、邪魔をするとか、そんなのはあくまでも人間同士での話だ。人でないものには一瞥する価値もないつまらないこと。
「カン」
終わった。三人は諦めた顔で目を閉じた。
「ツモ。四槓子!! 16000オール!!」
『四槓子が決まった――――――!! これにより宮永選手の点数は二十万点の大台を突破ー! さあ、どうする! どうなる!? このまま宮永選手が蹂躙するだけで終わってしまうのかー!?』
『まさか、後半戦最初の親でこうなるとは思いもしませんでした。昨夜宮永選手は可能なら十五万点を稼ぐとおっしゃっていましたが、しかしこれは……』
この四槓子によってどこも騒ぎになっている。
四槓子は出現率が全ての役満の中で一番低く、最も出ない役満とも言われている。それもそのはず。四槓子を目指すぐらいなら四暗刻をやる方が簡単であるし、リスクも少ない。そもそもカンだってそんなに出ない。それを一局で四回もやるというのははっきり言って不可能。
その奇蹟を起こし、更には嶺上開花で決めたとあっては騒がれないはずもない。
達成したその人は至って冷静にサイコロを回して、一本場を開始した。
先ほどの四槓子もあって玄たちに覇気は見られない。凍てついた絶望という魔物はあの瞬間、間違いなく彼女たちの希望を噛み砕いた。彼女たちに挽回しようという意気込みは見られず、まるで嵐が過ぎ去るのを待っているかのようであった。
「リーチ」
勢い止まらず。七巡目で咲はリーチをかけた。それを流すようにして見届けて、玄は引いてきた一筒をぼーっと眺めた。
(二筒と三筒はもう三枚ずつ出てるし、大丈夫だよね)
そのような思考をしたのは雀士としての癖か。それでも深く考えることはなく、玄は一筒を捨てた。
「ロン。18300」
咲の手牌。
①①①②③789東東東北北
(あっ……)
振ってから気づいた。自分が今どんな打ち方をしたのか。こんな打ち方では駄目だ。これでは咲に点棒をむしられるだけだ。
(怖い、凄く怖い……そして寒い)
魔物は今ドラゴンもろとも玄を押さえつけ、体の何処かを噛んでいる。噛まれると、何もかも諦めて、絶望して、どうでもいいやと投げ出したくなる。そうしろと促すように、魔物は体から触れるだけで凍りつくような冷気を放っている。
それに従えばきっと今は楽になれる。そう今は。
(駄目、そんなの絶対駄目)
今だけを見てそうしたら、落ち着きを取り戻した時に激しく後悔することとなる。決勝を先鋒だけで終わらせてはいけない。ここはみんなが待ち望んだ所なのだ。
(どんなに絶望的で、力の差があっても……私は最後まで戦う!)
一人、絶望から抜け出そうとしていた。
白糸台 252200
阿知賀 54000
千里山 49500
龍門渕 44300
さあ、咲さんの凍てついた攻撃は止まりません。次で先鋒はラストとなる予定です。
飛ばすも飛ばさないも自由(笑)
白糸台の日常
部室「はじまるよ」
淡「あっ、サキ寝てるー」
菫「昨日は用事があって遅くなったみたいだからな。少し寝かせてやるか」
毛布をかけて、咲を横に寝かせる菫。
その時、淡はいたずらをすることにした。
淡「今日のパンツは、と」
咲のスカートに頭を入れてパンツを見る。どうでもいいけど原作だと下着ないよね。
淡「可愛いピンクのやつか。やっぱりサキって服より下着を重視してるなー」