鳳翔に入れてもらった紅茶のカップを置き、俺は改めて佐伯の方へと向き直った。
現在俺と鳳翔は、テーブルを挟んで佐伯と向かい合う形でソファーに腰を下ろしている。
「佐伯さんだったか、俺は田舎者だから世間の事に疎くてな。いろいろと話を聞きたいんだがいいか?」
「あ、はい。ですがその前に一つ伝えておかなければいけない事があります」
言いながら、佐伯の視線は鳳翔にちらりと向けられたがすぐに逸らされた。
「聞こう」
「実は僕、女性がとても苦手でして……すいません」
言い終わるや否や、肩をすぼめて小さくなってしまう佐伯。
この女性中心社会の中で女性不信をカミングアウトするのはなかなかにつらい事なのかもしれないな。
「いや、謝る必要はないが、それはまたどうして?」
「僕の家は兄妹が多くて上に二人の姉が、下にも二人の妹がいます。男は僕だけで物心ついた頃から僕は姉や妹たちの玩具にされてきました」
なんか重い話になりそうだな。
「暴力を振るわれてきたのか?」
「いいえ、僕の下着や服を盗んで嗅いだり風呂場を覗いてきたり、挙句の果てには無理やり押し倒してきそうになったり」
「お、おう」
何か話の方向がグイっと変わった気がしたが、本人は至って真面目に話している。
「そういった事に我慢できなくなって、家を出たのですが、それからも女性と会うたびに妙な視線や行動を起こされてしまって、それで」
「女性恐怖症になってしまったというわけか」
なるほどな、どうりで春日井と違って屋嘉比監査官への返事も力が無かったわけだ。
これは最初の頃藤原提督に説明された男性が女性に嫌悪感を抱いているという話とも合致する。やはりこの世界では男性の女性に対する評価はあまり高くはないようだ。
「他の男もそんな感じの奴が多いのか?」
「そうですね。僕程ではないにしろ女性に対しては似たり寄ったりの感想を抱いていると思います。勿論そうでない人もいますが」
春日井のような奴は例外だという事か。
「女性が苦手という事だが、屋嘉比監査官は良くて艦娘は駄目みたいな事はあるのか?」
「いえ、僕は女性全般が苦手なのでそこに差はありません。ですが春日井みたいな人は美醜で女性を判断しているので態度に差が出てると思います」
やはりこの世界の美醜の基準では屋嘉比監査官は美人の部類に入るのか? だとすればあの強気な発言も自信ありげな態度も一応のところは理解できるか。納得はしないけども。
「でもだとしたらなんで今日佐伯は来たんだ?」
苦手な女性と一緒の任務なんて断るのが普通だと思うのだが。
「生々しいお話になりますが、お金と権力ですよ」
「お金と権力?」
「屋嘉比監査官のお付きの仕事に入れれば多額の報酬が頂けるんです。そうじゃなくても直接指名されたら一般職の人間ならとても断れない。屋嘉比監査官とはそういう人です」
なんというか世知辛い話だ。価値観が違うとこうもいろいろと変わってくるものか。
隣に座る鳳翔も、何も話そうとはしない。
「ですから、今日僕はあなたの取った行動を見て、尊敬の念を抱きました」
「は? 尊敬?」
いきなり話の展開が変わって、俺の話になった。
俺の今日取った行動といえばアレしかないが。
「女性の、しかも艦娘の手の甲に堂々と唇を触れさせる事ができるなんて信じられません」
「いや、あれはなんというか成り行きというか仕方なくであって……なあ鳳翔」
「…………」
言い訳が旨くまとまらず鳳翔に助け船を出してみたが、改めて思い返して恥ずかしかったのか耳を真っ赤に染めて顔を両手で覆ってしまっていた。そんな反応されるとこっちも恥ずかしくなってくるんだけど。
「男性が女性の手の甲に口づけなんて、今日日漫画やアニメでもしませんからね。参考までに阿形さんの思う彼女の魅力とはどんなところがあるかお聞きしたいのですが」
「……女性が苦手な割にずいぶん突っ込んでくるじゃないか」
「私も変わりたいと思ったのです。貴方のように自信に満ちた目で対等に女性と関わっていきたいのです」
妙に熱っぽい口調で鼻を鳴らす佐伯。
しかし先ほど恥ずかしい行いをしたのに、また気恥ずかしい事を答えなければいけないなんて今日は本当に厄日だ。
望みとしては鳳翔がやんわりと断ってくれる事なんだけど、
「…………」
駄目だ。とても期待に満ちた目でお待ちなされている。
仕方がない、何事も諦めが肝心だ。旅の恥はかき捨て世は情け。素直に気持ちを言葉にしてみるとしよう。
「鳳翔の魅力か、そうだな。まず可愛いのは大前提として、落ち着いていて気配り上手。料理が上手くて、時折見せる子供っぽい仕草がギャップを感じて俺は好きだな。ただ優しいだけじゃなく、叱るべきところはちゃんと叱れるのも信頼できるポイントだ。あと可愛い」
「可愛いを二回言いましたね」
「いいだろ、実際可愛いんだから」
「あと、彼女録音してたみたいですけど、良いんですか?」
「……鳳翔?」
「記録用です」
何食わぬ顔で答えを返してくる鳳翔に俺は何も言えなかった。まあ自分の事を誉められるなんて妙に気恥しいし、そこまで変な事も言ってないので良いだろう。
いつかセクハラで訴える時のための証拠集めとかだったら怖すぎるが。
「しかしそうですか……阿形さんから見た彼女はそんな風に映ってるんですね」
「理解できないって顔だな」
「正直なところ、理解し難い部分はあります。ですがそれも含めて納得したいと思います」
あくまで希望的観測なところが溝の深さを如実に感じさせる。
佐伯はおそらく本気で自分を変えたいと思っているだろうが、根っこの部分の女性への忌避感は相当なものだ。その相手が艦娘ともなればなおの事。
「鳳翔からは佐伯について何かあるか?」
「私が発言して良いのですか?」
ちらりと佐伯の方を見ると、びくっと緊張した面持ちで瞳を泳がせていたが、やがて腹を括ったのか唇をぎゅっと結んでこくりと頷いた。
「お願いします」
「それでは一つ、お聞きします」
すっと姿勢を佐伯の方に傾ける鳳翔。
「佐伯さん、貴方は本当に女性と対等に関わる気がありますか?」
「え、あ、それは勿論、だからこうして阿形さんとも話を」
「ですが私はこれまでまだ一度も佐伯さんと目を合わせて貰ってはいませんよ?」
「あ……」
これほど無機質な鳳翔の声音を初めて聞いた。期待も落胆も、言葉になにも載せずただ事実と疑問を鳳翔は淡々と述べている。
佐伯にとってこれは効くだろうな。自分よりも遥か深い闇に落とされながらも、前を向くことを止めない者の言葉は。
「私だけでなく、貴方は加賀にも視線を合わせようとはしなかった」
「それは……緊張していて」
「ではなぜ今も、私の視線から避けようとするのですか?」
「…………」
佐伯はこれまで自分の事を被害者だと思っていた筈だ。いや、実際被害者だったのは間違いない。
「私には分かります。艦娘は皆嫌われ者ですから、人の視線には敏感なんです。たぶんそういった部分は貴方と同じでしょう。ですが貴方は私たちと視線を合わせることを露骨に避けている」
鳳翔の言葉に佐伯はついに下を向いて黙り込んでしまった。正論をぶつけられると人は黙るしかなくなるんだよなあ。
「視線が合わないという事は相手に興味が無いという事と同義です。それでは関係性など生まれるはずもありません。貴方は自身に向けられる女性の視線や行動が不快だと言いましたが、その裏表が変わっただけで中身は全く同じ行為を貴方自身が女性に行っている事に気が付いていますか?」
「……僕が」
苦手なものから逃げるのは簡単だ。だが逃げ続けた先で待っているものは決して良いものではないだろう。流れ落ちない蓄積された不快な経験値は小さな歪みとなって心と体に積もり積もっていく。
「いくら他人の話を聞いて真似したところで、肝心の心を変えなければ意味はありません。佐伯さん、改めて聞きますが、貴方は本当に女性と対等に関わる気がありますか?」
鳳翔が対等という言葉に込めた本当の意味に佐伯が気づくには、もう少し時間が掛かりそうだ。
「……すいません、もう少し考えてみます。貴重なご意見ありがとうございました」
「いいえ、私も偉そうに語ってしまい申し訳ありません」
しかしそれでも、佐伯にとっては良い経験になったのではないだろうか。これまでの価値観や意識を変えるのは時間が掛かるだろうが、佐伯が変えたいと思うのならば変わっていくだろう。
「まあ、人はすぐには変われないって事だな。でも変わろうとする事は良い事だと思うぞ」
「はい。今日頂いた意見を持ち帰って、自分なりにもう一度よく考えてみます」
根は真面目なんだろうが、少し気苦労が多そうで心配だ。
此処は一つ軽めの話題で気分を変えてあげるとしようか。俺は鳳翔に聞こえないように佐伯に小さな声で話しかける。
「話は変わるんだが、この辺に男性向けの18禁本とか置いてる店知ってる?」
「男性向けの18禁本ですか? あまり需要が無いので置いてない店が多いんですが、確か本営がある中央にはそういった店もあると誰かが噂していたような気がします」
「なるほど、中央か」
これはなんとかして中央に出向く必要性がでてきたな。
「阿形さん、何をこそこそと話されているのですか?」
「ああいや、どうやら男性には珍しく彼が性欲を持て余しているらしくて――」
「あいやー! 鳳翔さんや長話でお疲れではないですかい!? 紅茶を入れ直してきますんでちょいとお待ちくだせえ!」
「は、はあ……」
危ないところだった。俺が日頃のムラムラを解消するために18禁本を探してるなんて知られたら幻滅どころの話ではない。下手すればクビだ。これからは慎重に事を運ばねば。
新しく紅茶を淹れて、なんとか鳳翔を誤魔化した後は軍の内情や艦娘についての情報収集に時間を費やした。佐伯は軍の書庫係を担当しているらしく知識には精通していたので色んな話が聞けたのは大きな収穫だったな。
「では、ごきげんよう」
警備府の門の前で、黒塗りの車に乗った屋嘉比がそんな言葉を投げかけると同時に車が発進する。あの後一通りの監査は恙無く終わったようで、監査官一同は無事帰っていった。
「私たちも戻りましょう」
言って警備府へと踵を返す藤原提督に続く加賀。その後ろに鳳翔と並んで歩く。
「なあ、鳳翔」
「なんでしょうか」
顔を向けずお互い前を向きながら歩みを進める。
「お前佐伯と話してるとき、少し怒ってただろ?」
「ええっと、そんなに顔に出ていましたか?」
「いや、表情はいつも通りだったけど、なんとなく、な」
普段の鳳翔ならもう少し言葉を選んでいたような気がしただけなんだが。
「やっぱり阿形さんには隠し事、できませんね」
「理由はやっぱり佐伯が艦娘を下に見ていたからか?」
「うーん、どちらかというとそれはどうでも良かった気がしますね」
「ならなんで怒ってたんだ?」
言うと、鳳翔はちらっとこちらに視線を投げかけてきた。
「佐伯さんが一番馬鹿にしてたのが阿形さんだったからですよ」
「え? そうなの?」
衝撃の事実に驚きが隠せない。え、俺あの人に馬鹿にされてたの?
「厳密には変人といったニュアンスだったと思いますが、言葉の端々に阿形さんを貶める意思を感じました。おそらく本人は無自覚でしょうが」
「あー、なるほどな」
確かに手の甲にキス云々の話も信じられないとか言っていたな、そういえば。となると途中鳳翔がずっと黙っていたのも怒っていたからだったのか。
まあ、佐伯からしたら艦娘を愛でる気持ちの悪い人間とでも思ったのかもしれないな。
「でも、ありがとうな。俺のために怒ってくれて」
「そこで謝るのではなくて、お礼を言ってくれるところが阿形さんの素敵なところです」
「持ち上げても何もでないぞ?」
「いえ、今日はもう十分頂きましたから」
いったい何の事かと横を見ると、鳳翔が満面の笑みで左手の甲をこちらに見せつけて来ていた。
これは暫くはこの件で弄られる生活が続くんだろうな。
「嬉しそうなところ悪いんだが、俺は意味を知らずにやったわけだからな?」
「阿形さんは意味を知っていてもやってくれたと思っていますから」
愛おしそうに手の甲を見る鳳翔にそれ以上何も言えなくなる。俺なんかの何処がと思わなくもないが、男の少ないこの世界でそういった経験が出来たことが嬉しいのだろう。
「なんにせよ、無事に終わってよかったな」
「そうですね。もうすぐ夕ご飯ですし、何かリクエストはありますか」
「うーん、鳳翔の料理はなんでも美味いからなあ。強いて言えば久々に中華が食べたいかも」
「中華ですか、いいですね。なら今日は飲茶を中心にした中華料理にしましょうか」
献立が決まって嬉しそうに手を合わせて笑う鳳翔につられて俺も頬が緩む。
「中華か、楽しみだな」
その後は他愛もない話をしながら、俺たちは警備府の中へと共に戻っていった。