「ここが俺の部屋だ」
「お邪魔しまーすっぽい」
時雨と別れた後、俺はとりあえず夕立を自室に案内する事にした。
特に何もない部屋だが、夕立は物珍しそうに周りを見渡している。食堂とかでも別に良かったんだが、二人だと広すぎて少々物寂しい気がしたからな。
「飲み物は茶でいいか?」
「うんっ」
元気よく返事する夕立に応えて、冷蔵庫と棚からそれぞれほうじ茶の入ったボトルと二人分のコップを取り出して注ぎ淹れる。
それを手渡そうとして、そこで夕立が未だ立ちっぱなしな事に気が付いた。
「すまん、まだ座布団とか無くてな。適当にベッドにでも座ってくれ」
「え、い、いいの?」
俺の提案に夕立はどこかそわそわしながら、様子を窺うようにこちらへと視線を向けてくる。まさか臭いとかを気にしているのか? 一応シーツは定期的に洗っているからそこまで臭いは無いと思いたいんだが。
「駄目なら、応接室からクッションを借りてくるが」
「う、ううん! 大丈夫っぽい! ベッドで、ベッドで!!」
「お、おう。なら良いんだが」
何故か急に気合を入れる夕立に少々気圧される。その後、彼女は一つ深呼吸したかと思うと、意を決したように次の瞬間にはベッドへと飛び込んだ。
ぼふんと顔面から毛布へと突っ込み、暫く動かないと思ったら、急にビクンと体を跳ねさせる。
「お、おい、大丈夫か」
「にへへ……なんだかとっても良い匂いがするっぽい」
毛布を抱きしめたまま、むくりと起き上がった夕立が緩んだ表情でそんな感想を述べてくる。おそらくは二日前に振った消臭剤の香りが残っていたのだろうが、とりあえず臭いと言われなくて良かった。
「あ、でも夕立汗いっぱい掻いたから臭いかも……」
「俺は気にならないから別にいいが、気持ち悪いならシャワー浴びるか?」
俺の提案に、夕立は少しだけ考えて、
「……セイジさんはこのままでも良い?」
「俺は別に構わんぞ」
「じゃあ、このままで良いっぽい」
何処か安心した様子の夕立にそうかと頷いてほうじ茶の入ったコップを手渡した後、俺も枕をクッションに適当にその辺の床へと腰を下ろした。
そのまま改めて時雨を助けてくれた事に対する謝辞を述べる。
「今回は本当にありがとうな、時雨を助けてくれて」
「ううん、お礼なんて大丈夫。仲間を助けるのは当たり前の事っぽい」
事も無げに夕立は言うが、これは単なる人助けという話では無い。
今回傷を負った時雨は言うまでも無く、やもすれば助けに行った夕立もただでは済まなかった可能性も十分にあった筈だ。
自分の命を懸けてまで他者を助けにいける人間はそう居ない。それを当たり前と言えるのは、それだけ彼女たち艦娘が俺たち一般人とは掛け離れた世界に身を投じているからに他ならない。
海軍知識の乏しい俺に、夕立は今回起こった事柄の経緯を掻い摘んで説明してくれた。
「じゃあ、その提督がしっかりと編成を組んでいれば」
「きっと時雨は怪我しなくて済んだっぽい!」
今回の件の根本原因は、指揮官である提督の杜撰な艦隊編成にあると夕立は言った。きちんと編成を組んでいれば怪我人など出なかったと。
俺は艦娘の編成や指揮に明るくは無いが、夕立から聞かされた編成は素人目にも偏っているような気がした。
「意見具申とかはできなかったのか?」
「数人が代表して伝えたけど無視されて、それでも最後まで食い下がった子は頬を殴られたっぽい」
「……そうか」
胸糞の悪い話に、それでも夕立はよくある事だと言った。
込み上げてくるものに、思わずいろいろと言いたくなったが腹に力を入れてそれをぐっと飲みこむ。今の俺がここで何かを言って、改善することは何もない。
俺にできる事などあまりに少ないが、せめて彼女たちが安心できる心のケアぐらいはしてやりたいものだ。
とりあえず目の前でぷんすかと怒る夕立の頭を右の手のひらでなでりなでりと撫でる事にする。
「よく頑張ったんだな夕立は。偉いぞ」
「うへへへ」
俺の手の動きに合わせてふにゃふにゃと頬を緩ませる夕立。さっきまで怒っていたと思ったのに、どうやら夕立は喜怒哀楽が特にはっきりしている娘らしい。時雨たち三人とはまた違ったタイプだが、これはこれで可愛らしい。
一頻り撫でた後、手を戻すと夕立は名残惜しそうに眉尻を下げた。俺としても名残惜しいが、このままでは撫でてるだけで時間が過ぎ去ってしまうからな。
「セイジさんはどうして此処に来たの?」
「あまり面白い話でもないぞ」
「ううん、知りたいっぽい。教えて」
「……そうだな」
俺は此処に着任するまでの話を夕立に話した。
女神の話や前世の話など話せない事も多く、特に面白みのない話だったように思うが、それでも夕立は俺が話すひとつひとつの出来事を実に楽しそうに聞いていた。
「とまあ、こう言った経緯なんだが」
「そうやって聞くと、セイジさんは此処の提督さんには頭が上がらないっぽい」
「まったくだ」
くすくすと笑う夕立に、呆れ顔で同意を返す。一拍置いて彼女は毛布をぎゅっと抱いたまま背中からベッドへと倒れ込んだ。
「あー、時雨たちが羨ましいっぽい。セイジさんと四六時中一緒なんてズルいにも程があるっぽい!」
「そんな大袈裟な。それに正直なところ、俺自身が時雨たちに内心で嫌われていないか不安でもあるんだぞ?」
「…………はあ」
「なにもそんなに露骨に溜め息吐かなくても」
正直な心情を吐露したのになんて反応だ。とはいえ、人が人を嫌いになるきっかけなんて一瞬だ。それが男女ともなればなおの事。ましてや彼女たちとは多少関係を築けてきたとは言え、日数は未だ浅い。気にしすぎるのも良くないが、気にしないのも違うだろう。
親しき中にも礼儀あり。この世界の常識が身に付いていない俺にとって、常識的なマナーなどいつ破ってしまうか分からないからな。
「俺は常識の中に生きる男」
「夕立達艦娘からしたら存在が非常識っぽいのに」
流石時雨の友達、この子も可愛い顔して何て事言うんだ。
どんよりと沈む俺を他所に、夕立は実に楽しそうにニコニコと笑っている。こんな何気ない会話でも、これだけ楽しんでくれるとこちらも嬉しくなると言うものだ。決して俺の沈んだ姿を見て愉悦に浸っているわけではない……よな?
「よし、俺の番は終わりだ。次は夕立の事を教えてくれ」
「ぽ、ぽいっ、セイジさん、夕立なんかの事気になるの?」
「気になるも何も、興味津々だが?」
「そ、そっか」
周囲の環境の所為か、艦娘は皆どうにも自己肯定感が低い傾向にある。鳳翔のように成熟した人物もいるが、時雨や夕立ぐらいの年頃だと繊細な心の部分が周囲から受ける影響もより大きい事だろう。それは当然彼女たちの所為では無く、この世界の歪みと――俺から見れば――心無い人々の言葉や行動が原因なのだろうが。
なにより美少女に曇り顔は似合わない。
周囲が醜いと彼女たちを罵るのなら、なおのことその笑顔は俺が堪能させてもらう事にしよう。
……まあ、美少女を笑顔にする方法なんてこれっぽちも知らないんだが。
「夕立はね、ここから海岸線沿いに少し進んだ所にある警備府所属なの」
「ふむ」
「所属艦娘は夕立を入れて三人。提督さんは女の人で、藤原提督さんともとっても仲良しっぽい。その縁もあって、此処のみんなとは警備府ぐるみの関係っぽい」
なるほど、だから時雨ともあれだけ仲が良かったわけだ。
「提督はどんな人なんだ?」
「とっても強くて優しい人っぽい! 夕立達にも嫌な顔しないで毎日いっぱいお話してくれるの!」
「そりゃいいな。そこらの提督とはえらい違いだ」
言いながら俺は内心でほっとした。どうやら夕立の提督はまともな人らしい。会話を楽しめるという事は相手との関係も良好に保てているという証拠。夕立の反応からも分かるように、彼女の提督はどうやら藤原提督と同じ人種のようだった。
「それでね、夕立達に嫌なことを言ってくる人が居ると椅子とかぶん投げて守ってくれるの!」
「……ふむ?」
「龍驤がわざとぶつかられたときは笑顔で相手の胸倉掴んでたっぽいし」
「……ほう?」
「赤城が馬鹿にされたときは後ろから鋭い蹴りでお灸を据えてたっぽい!」
「……ふーむ」
うむ、やっぱり藤原提督とは違ったわ。なにその人凄い怖い。
いや、悪いのは相手で艦娘を守ろうとしている故の行動なのだから、決して悪人ではないのだろうけど。
「今度セイジさんにも紹介してあげるっぽい!」
「いや、それは遠慮しときます」
「えー、なんでーっ!!」
身の危険を感じて思わず断ってしまった。しかし仕方がないだろう、まともな感覚を持ちながら提督になるくらい優秀な人からすれば俺の艦娘に対する下心など一瞬で見抜かれてしまうに違いない。いや、そんな人に言えないような事は決して考えていないが。
しかしそれでも股間ぐらいは簡単に蹴り上げられる可能性は否めない。
「俺の男の象徴を蹴り上げられては堪らんからな」
「て、提督さんは普通の人にはそんな事しないっぽい!」
俺の不安を耳まで真っ赤になって否定する夕立。なるほど、相手は理性ある獣というわけか。それはそれでなんだか恐ろしいな。
とはいえ夕立がこれだけ誉める提督だ。艦娘に理解があるのは間違いない。
「誤解して悪かった。機会があれば会ってみたい人だな」
「きっと気が合うっぽい! 提督さんにも伝えておくっぽい!」
「お、おう」
急にがばっとこちらに寄ってくる夕立に気圧されつつも、とりあえず了承の言葉を返す。明らかな粗相さえしなければ、流石にすぐに蹴り上げられる事はないと思いたい。たぶんきっと、うん。
その後、夕立が俺の干していた洗濯物に気が付いた事でさらにひと騒ぎ遭ったのだが、それは俺と彼女の名誉のために黙っておくことにする。
ちなみに夕立が俺の使い古されたTシャツをやけに欲しがったので、一枚見繕ってあげる事にした。柄が気に入ったのか何なのか理由は定かではないが、喜んでいたのでまあ良いとしよう。
一方その頃、艦娘用ドックでは時雨が一人傷を癒していた。
「……向こうは盛り上がってるのかな」
風呂のような温かい湯に浸かりながら、一人ぽつりと呟く。先ほどから周囲を飛び回る妖精が、彼の部屋のある方向へ行ったり来たりしていた。普段艦娘がドックに入ってるときは余程の事が無い限り傍を離れないというのに、現在は実に楽しそうに部屋を行き来している辺り向こうの盛り上がり具合が窺える。
ちなみに時雨が入ってる風呂のような湯は特殊で、原理は分かっていないが艦娘の艤装の修復や怪我をある程度癒してくれるものであり、長時間入っていてものぼせたりする心配はない。
「まだ、鼓動が早いや」
先ほど彼に抱きかかえられた余韻が抜けず、時雨は思わず湯に顔を浸けた。彼女の綺麗な黒髪を透明な雫が伝って流れ落ちていく。
我ながら単純だとは思うが、男性に触れられた経験すら皆無なのに急に抱き抱えられるなんて落ち着かなくなっても仕方が無いではないか。
「……駄目だ。何か別の事を考えないと」
このままでは落ち着くものも落ち着かない。それにこんな邪な考えでは本当に心配してくれた彼の気持ちに合わせる顔が無い。
時雨は身体を巡る熱を忘れようと、意図的に思考を別の方向へ向けるよう集中する。
……そう言えば、今頃夕立は彼の部屋に招かれている頃か。
「…………いいな」
意図せず口から零れた欲望に、時雨は思わず湯船の縁に額を打ち付けた。
同時にごいんっという音がドック中に響き渡り、作業を続けていた妖精が何事かとこちらに視線をとばしてくる。それにごめんと一言返して、時雨は口元まで湯船に浸けながら頬を上気させた。
「何を考えてるんだ僕は」
夕立は自分を助けに来てくれた大切な友人で、彼はその事にお礼がしたいと言って部屋に招いているだけなのに、自分も彼の部屋に行ってみたかったなどとどの口が言えるのか。
ぶくぶくと気泡を上げながら時雨は考える。
彼の事となるとどうにも思考に歯止めが掛からなくなる。普段通りにと思っても、彼の行動や言動がすぐに自分の予想を超えてくるため、脳内の処理が追い付かない。
「鳳翔や加賀も同じなのかな」
もしこれが自分だけだとしたら、自分は彼の善意にすぐに反応するとても破廉恥な娘という事になってしまうのではないか。
なにより彼にそういう風に思われてしまう事がとてつもなく不安だった。
「駄目だ……少し頭を冷やさないと」
そう呟いて、時雨はドックに備え付けられた時計に視線を移す。おそらくあと一時間もしないうちに艤装の修復作業は終わるだろう。
「まずはちゃんと身体を労わらないとね」
艤装の繋がりはドックで直せても、身体の傷は流石にすぐには治らない。
ぶつけた額を心配そうに撫でてくれる妖精を愛でながら、時雨は改めて湯船へと身体を預ける事にした。