「うん、うん大丈夫。時雨も夕立も無事っぽい。今? 今は時雨の警備府で休ませてもらってるっぽい」
あれからしばらくの間夕立と二人で遊んだ後、彼女の携帯に電話が掛かってきた。相手はどうやら警備府の誰かのようで、夕立が心配になり連絡を入れてきたようだった。
「え、相手? 相手はセイジさんだよ? そう、そう。新しく着任した人って……提督さん知ってたっぽい? 詳しくは知らなかったって、それでも教えて欲しかったっぽい!」
相手はどうやら夕立の提督のようだ。こうして自分の所の艦娘の安否を確認する辺り夕立の言っていた提督評は間違ってはいない事が窺える。俺も後で藤原提督に時雨の事を連絡しなければいけないな。
そんな事を考えていると、ふいに夕立が携帯をこちらに向けてきた。
「提督さんがセイジさんとお礼もかねてお話したいって」
「……俺か」
なんてこった、まだ心の準備ができていないというのに。しかし流石に電話越しに股間を蹴り上げられる事は不可能なので、覚悟を決めて携帯を手に取る。
「もしもし?」
『ああ、初めましてだな。私の名前は九条才華。聞いているかもしれないが夕立達の提督をやっている』
「わざわざどうもすいません。阿形誠二です。こちらで藤原提督の補佐係をやらせてもらっています」
九条と名乗った女性はそのハスキーな声も相まって、電話越しでもどこか気の強さを感じさせた。
『なるほど、君が先生秘蔵の隠し玉というわけか』
「先生? 秘蔵?」
急に現れた謎の単語に会話が分断される。九条提督は『ああ、すまない』と謝罪してから注釈を入れてくれた。
『先生とはそちらの藤原提督の事だ。私は提督業のほぼ全てを彼女に師事した。いうなれば大先輩だ。君にとっては姉弟子的な立ち位置になるだろう』
「姉弟子って、俺は弟子なんて言えるようなことは何もできていませんよ」
せいぜいが書類の整理くらいだ。合間合間に簡単な軍の知識などは教えてもらえるが、とても提督を目指せるなどとは思わない。そもそもまず提督を目指したい訳でもない。
「俺は別に提督を目指しているわけではないので」
『そうだな。聞いている話では君の素質は別の所にありそうだ』
意味深な言葉だが、さっぱり見当もつかない。おそらく本人も説明する気はないようだし、話が逸れてきそうだったので、レールを元に位置に戻すことにする。
「それはそうと夕立の事ですが」
『ああ、そうだったな。夕立の身体を案じて、君が休ませてくれていたんだろう? すまなかった、そして彼女に気を配ってくれて感謝している』
「いや、特別なことはしていません。普通に休んでもらっただけです」
『その普通が、この世界では当たり前ではない事に君はとっくに気が付いている筈だろう?』
彼女の言葉に、散らばっていた記憶の欠片が嵌っていく。
藤原提督の知り合い、艦娘への態度、この世界の歪みへの気づき、俺に向けられた言葉。それらを組み合わせて得た答えが、彼女の存在に対する正解を浮かび上がらせた。
「もしかしてあなたは、もう一人の……?」
『意外だな、もう少し掛かると思ったが存外頭の回りも悪くない。そうだ、私も君や藤原提督と同じ転移者だ』
確かに藤原提督はもう一人の転移者の存在を仄めかしていた。しかしこんな身近に存在したとは驚きだ。世界は意外と狭いのかもしれないな。
『まあ詳しい話は後日直接会った時にするとして、今回は挨拶がてら声を聞かせてもらった。夕立の件は改めて礼をさせてもらう』
「礼なんて良いですよ。別に俺は大したことはしていませんし、頑張った夕立達を誉めてやってください」
『ふむ、それは当然の話だな』
そうして暫く何かを考えたかと思うと、九条提督は事も無げにとんでもない爆弾を放り投げてきた。
『時に阿形、君は童貞か?』
「ど、童貞ちゃうわっ!!」
思わず突っ込んでしまう。少し離れた場所でどうしたのと小首を傾げる夕立になんでもないとジェスチャーを送り、会話へと戻る。
『そうか、それは失礼した。ちなみに私は嘘が心底嫌いでな、この世界でも下らない嘘を吐いてきた輩にはお灸を据えてやるのが私なりの礼儀でな――』
「童貞です、ハイ! それはもう立派な!」
九条提督の言葉に一頻り頭を抱えた後、俺は観念したように肺の息を全部吐き出した。
「……それで童貞ですけど、それが何か?」
『やはり童貞か。しかしこれは彼女たちにとっては朗報だが、場合によっては戦争になるな』
ぶつぶつと一人呟く九条提督の口から不穏な単語が飛び出した。俺の童貞の何をどうしたら戦争へと繋がるのか。頭の良い人の考えは俺には全く分からない。
『いや、すまない。情報共有助かった。この秘密は口外しないことを約束する』
「ええ、特に艦娘には秘密でお願いしますよ。こんな下世話な話が伝わってしまったら嫌われてしまうかもしれませんから」
『いや、間違いなく彼女たちにとっては……まあ良い。その約束、可能な限り守ると誓おう』
絶対と言わないあたりに不安が残るが、ここでこれ以上掘り返しても仕方が無い。
携帯を夕立に返そうと振り返って、そこで九条提督が呟くように質問を投げかけてきた。
『阿形、君は艦娘が好きか』
「ええ、好きですよ」
簡素な言葉だったが、九条提督はフッと笑って『夕立に代わってくれ』と告げてきた。その流れで夕立に携帯を返し、二、三事会話を続けたところで夕立は携帯を切った。
「九条提督なんだって?」
「とりあえず報告がてら一回帰って来いって。あー、もっとセイジさんと遊びたかったのに~」
夕立の気持ちも嬉しいが、彼女が此処にきて既に一時間半が過ぎようとしている。朝から任務だったと考えるとそろそろ帰した方が良いというのは俺も賛成だ。
「まあこれからいくらでも遊べるさ。俺は基本暇してるし、俺がそっちの警備府に行ける事もあるだろ」
「本当っ!? セイジさん夕立達の警備府に来てくれるっぽい!?」
「あ、ああ。藤原提督の許可が居るだろうけどな」
「待ってる! いっぱい楽しみに待ってるっぽい!」
そうして約束の指切りを交わしたところで、夕立は元気よく手をぶんぶんこちらに振って帰っていった。上には何故か俺のあげたTシャツを着て。相当柄か着心地が気に入ったようだった。
さて。
「俺は俺でやる事をやらないとな」
時刻は既に夕方を迎えている。先ほどの妖精からの報告によると時雨の治療もあと少しで終わるとの事だった。
「とりあえず腹減ってるだろうし、夕飯の準備だな」
デリバリーも良いが、時雨があの状態だ。少しでも栄養のあるものを食べてもらいたい。料理の経験はあまりないが、携帯で調べながら集中して作業すればなんとか形にはなるだろう。
「そうと決まれば厨房に急ぐか」
頭の中では献立を考えながら、俺は厨房がある食堂へと続く警備府の廊下を降りて行った。
『ええ、そう。時雨は無事なのね。わかったわ、報告ありがとう』
夕飯の仕込みがてら、藤原提督に時雨の件について電話を掛けた。詳しくない俺から報告するのはどうかとも思ったが、こういうのは早いほうが良いと判断した。結果としては正解だったようだ。
『担当提督の所在についてはこちらで調べさせるわ。時雨の様子はどう?』
「傷は処置しましたし、夕立もいたのでとりあえずは落ち着いています。もうすぐドックから出てくるらしいので一緒に飯を食おうと準備しているところです」
電話越しにも藤原提督が安堵しているのが分かる。できればこの人ぐらい、ほかの提督も艦娘のことを考えてくれると良いんだが、そう都合よくもいかないのがこの世界だ。
『そう、夕立にも今度お礼しないといけないわね。阿形さん、時雨は平気そうに見えるだろうけど、内側にいろいろと溜め込んでしまう子だからよく見ててあげて』
本来は私が目を配ってあげないといけないのに、と謝罪を伝えてくる藤原提督の心境は幾何か。日々激務をこなす彼女を見ているだけに力になれるところは力になりたい。
「俺にできる事なら」
それに藤原提督の言う事もよく理解できる。
時雨は三人の中で一番真面目で且つ周囲をよく見ている。場の空気を読むのが上手いともいえるが、裏を返せば自己主張が控えめという事にも繋がりがちだ。自分の言いたいこと伝えたいことを、その場の空気を読んで飲み込んでしまうのがこのタイプの特徴だ。
周囲はやりやすいが、本人には知らず知らずのうちにストレスとなって降り積もる。そのガス抜き役を俺に、という話だろうが。
「でも俺、気を遣うのとかめっちゃ苦手なんですよね」
『ふふ、良いのよそれで。ありのままの貴方の言葉が一番あの子たちには必要なんだから』
「それなら良いんですけど」
でもたまには余裕のある大人としての俺を見せたいんだよなあ。
『ちなみに夕ご飯はどこで食べるつもりなの?』
「とりあえず食堂でいいかな、と」
『夕立はあなたの部屋に招いたのよね?』
「ええ、まあ」
成り行きではあったが。
夕立の時は出会ったばかりで会話も弾まず物寂しさが先行するかと思って俺の部屋のしただけで、慣れている時雨なら食堂でも問題はないと思ったが、藤原提督の考えは違うようだ。
『ならあなたの部屋にしてあげなさい。仲間外れは嫌われる要因の一つよ』
「いや、仲間外れにしてるつもりはないんですが」
俺の部屋など進んで入りたい場所でもないだろうに。だが人生の先輩の藤原提督が言うのだ、誘うだけ誘ってみよう。断られたら食堂にすればいいだけだし。とりあえず洗濯物は直しとかないとな。
『そうそう、仲間外れといえばもう一つ。阿形さん、あなた時雨にもちゃんと誓いの接吻をしてあげるのよ?』
「それって加賀と鳳翔にしたやつですよね? あの時は状況が状況なだけに二人も了承してくれましたが、今回はさすがに嫌がられそうなんですけど」
どれだけ仲が良くても、そういった行為はほいほいするものではないと思うのだが。とはいえ価値観の異なるこの世界だ、ああいった行為をするしないで不仲になったりする事もあるかもしれない。
『時雨が本当に嫌がったら勿論しなくていいわ。でも機会は与えてあげて。この世界で平等に扱われることの難しさを彼女たちは嫌というほど知ってるから』
「まあ、善処はします」
正直、断られる気しかしない。しかし二人にだけして、時雨にだけしないというのも確かに仲間外れ感はある。なので提案まではちゃんとやって、あとは時雨の判断に任せよう。無理やりなんてやる気はこれっぽちもないからな。
『それじゃあ、時雨のことよろしく頼むわね』
「了解です」
その言葉を最後に、俺は携帯の電源を切った。
何か藤原提督に誘導された感も否めないが、まあ大先輩の有難いアドバイスとして受け取っておくとしよう。
「おっと」
噴き零れた鍋の火加減を調整して、夕食の準備を進めていく。
時間も迫っている。俺は携帯を仕舞って、調理へと集中することにした。