これは阿形誠二が女神によってこの世界に誘われるより、数か月前の事。
彼の藤原警備府より更に沿岸線沿いに進んだところにある、同規模程度の警備府施設。その中心となる執務室と呼ばれる部屋で、龍驤は自身の提督となる人物の前に立っていた。
小柄な身体を包む水干を模したような紅色の上衣に、黒のミニスカート。つばの先端に菊紋が施されたサンバイザーから見える焦げ茶色のツインテールの髪は任務直後だからか、少し乱れていた。額には小さな傷も見える。
「報告ご苦労。今回発見した深海棲艦と思われる痕跡については私の方から本営に上げておく」
艦娘の任務における定期報告を受けて、目の前に座る九条提督が労いの言葉を掛けてくる。九条は黒の長髪に勝気そうな大きなつり目が特徴の若い女性だ。決して美人というわけではないがスタイルは良く、物怖じしない性格で艦娘にも平等に接してくれるため、龍驤はこの提督の事を信頼していた。
「この件、担当鎮守府の提督は何と?」
「一応報告書を纏めて持って行ったんやけどな、忙しいからって突っぱねられてしもた」
「クソだな。次からそいつの鎮守府に応援に行く必要はない。時間の無駄だ。悪かったな私がちゃんと下調べしておけばお前にこんな不快な思いはさせなかった」
声を荒げるでもなく、淡々と暴言を吐く提督はいつもの事なので良いが、それよりも気にしなければならない不安ごとを龍驤は口にした。
「うちは別にいいんやけど、司令官は大丈夫なん? 要請を一方的に断ったりしたらキミの立場が危うくなるんちゃうん?」
ただでさえ艦娘擁護派として目を付けられてるのに、殊更不遜な態度を誰にも崩さない彼女は敵も多い。あまりやりすぎると彼女の立場も悪くなっていくのではと心配にもなる。
しかしそんな龍驤の心配を他所に、九条はまるで気にしていないかのように鼻で笑った。
「こんなことで揺らぐ立場なんて最初からいらんよ。それに心底どうでもいいが、上が推奨する鎮守府としての戦果目標を考えたら、此処と先生の警備府は他と比べて突き抜けてる。文句など言わせん」
強気な瞳で言い切る九条に、龍驤はたははと苦笑を零した。流石は艦娘擁護派筆頭の武闘派提督と言われるだけの事はある。たとえ相手が大将クラスの人間でも、彼女は臆する事無く自分の意見を述べるだろう。
本人はそれで散っても本望といった様子だが、それでは龍驤たち艦娘側が困るのでこうしてやんわりと止めようとしてるのだが、一向に止まる気配は無い。
「ふむ、報告は以上だな。どうだ龍驤、他に私に伝えておく事はないか?」
九条の言葉に、龍驤は一瞬自分の額の怪我に手を当てようとしてすぐに引っ込めた。
「いや、それで全部やな」
「…………そうか」
九条はそんな様子の龍驤を暫く無言で見つめていたが、すぐに視線を外して壁掛けの時計を見た。
「時間を取らせて悪かった。すぐに入渠して身体を休めてくれ」
「ほなお言葉に甘えて、そうさせてもらおかな」
改めて九条に敬礼を返して、龍驤は執務室を後にした。
執務室を出た後、龍驤は入渠前に一休みしようと廊下の脇に備え付けられているベンチに腰かけていた。肺からはふーっと一つ長い息が漏れる。
「あれはもしかしたら悟られとったかもしれんなあ」
右手で額の傷に触れながら、独り言ちる。そんな龍驤の頭上にふいに影が落ちた。
「どうしたんですか、龍驤。こんなところで」
「赤城か、今司令官に報告行ってきたところでな、入渠前の一服っちゅう奴や」
「そうでしたか、では私も」
黒髪をさらりと靡かせながら、赤城は龍驤の隣のスペースへと腰を下ろした。演習場にでも行っていたのか、若干頬に赤みが差している。
「それで、今回の任務では何をやらかしたんですか?」
「……そんな風に見える?」
「はい、それはもう」
「別にやらかしたって程ではないんや。今回の担当司令官の事でちょっとな」
「やれやれ、またですか」
赤城のありありとした返事に、龍驤は盛大に項垂れた。
「別にうちやって期待しとった訳やないんやで。ただ今日の司令官は最初普通やったから」
「いつもより一歩踏み込んでみたら、普通に拒絶されたってとこですか」
「……まあ、そんなとこや」
言いつつ額の傷を撫でる龍驤に、赤城は嘆息する。
この目の前の小さな同僚は、少々他人を信じやすい傾向にある。それは彼女の美徳でもあるが、この残酷な世界において傷付くのは往々にしていつも彼女のほうだった。
「……殴られたんですか?」
「ちゃう。報告書を受け取ってほしいと近付いたら、灰皿投げられた」
その時にできた傷がこれやと龍驤は苦笑する。
別に彼女とて過度な期待をしたわけではない。今回の提督は初めこそ、それほど艦娘に嫌悪感を露にしなかった。編成や指示にも特に不可解な点は見受けられなかった。
だから龍驤は一度無碍に断られた報告書の提出に対して、少しだけ粘ってみた。もしかしたら理解してくれる相手かもしれないと考えて。
その行為が無表情の面の皮の下に隠した相手の本性に触れた。逆鱗に触れた竜の如く激怒しながら怒鳴り散らしてくる相手に、龍驤はそれ以上何も言わなかった。
別に落胆はしていない。この程度の事で落ち込んでいたら艦娘などとても務まらない。ただ、それでもやはり人に拒絶されるという事は何度経験しても気分の良いものではなかった。
「その事、提督には」
「言うとらん。あの人に言うと確実に報復に動くやろうからな。こんな詰まらん事でこれ以上司令官の立場を悪くさせるわけにはいかん」
「……そうですか」
「まあ、あの様子じゃ薄々気付かれとるかもしれんけどな」
執務室を出る前の九条提督の表情は何かに気付いていて敢えて黙っているように見えた。
そうでなくとも他人の誤魔化しや噓には敏感な人だ。何があったのかの予想くらいはついているかもしれない。だとしても決してそれだけで報復に動くような浅慮な人でも無いが。
「とりあえずそんな感じで、ちょっぴり傷心中な龍驤さんや。優しくしたって」
両手を広げておどける龍驤。そんな彼女に赤城は何処か怪訝な表情で、
「経緯は大体分かりましたけど……龍驤あなた、まだ何か隠してますね?」
「……うっ」
「誤魔化しても無駄ですよ。貴方は分かりやすいんですから」
「いやまあなんつーか、アレやな、そういえば夕立はどこ行ったんやろな?」
「…………」
赤城のジト目に、胸がきゅっと詰まる龍驤。そのまましどろもどろになりつつそっぽを向いた彼女が、しかし観念したように口を割った。
「……その司令官な、実は男やったんや」
その言葉を聞いた赤城の口がぐいんとへの字に曲がる。
「……龍驤あなた、まだそんな生娘みたいな希望を抱いてるんですか? 私たちみたいな醜女に優しく接してくれる男性なんて、あなたの本棚に並んでいる漫画の世界の話だけですよ?」
赤城の呆れたような指摘に龍驤の顔が熟れたトマトのように赤くなる。
「な、なんでやっ、漫画は関係あらへんやろっ! それに赤城やって読んでるやんかっ!」
「勿論漫画は悪くないですし私も好きですが、妄想と現実は区別しないと辛いだけですよ」
「……夢破れた直後のうちに正論はやめてんか」
「そう言って落ち込んで帰ってくるあなたを毎回慰める私の身にもなってください」
「赤城お前、それで慰めとるつもりやったんか」
正論の悪魔の癖に自覚なしとは末恐ろしい。
「結局、辛いのはあなたでしょうに」
「分かっとる……そんなこと分かっとるんやうちも」
だから言いたくなかったんや、と龍驤は膝を抱えて小さくなってしまった。
しかし只でさえ軍属で男が少ない環境で、更に醜女と目を覆いたくなる状況の中で珍しく話聞いてくれそうな男性提督が現れたのだ、少しぐらい夢見ても仕方がない事ではある。
結局それは龍驤の見込み違いだったが。それでも艦娘で容姿が醜くとも、彼女たちもれっきとした女性である以上、男性に興味があるのは至極当たり前の事とも言えた。
違うのは赤城が割と現実主義な思考なのに対して、龍驤が夢見がちな少女としての側面を持っているという事だけだ。
「親密になりたいとか優しくしてほしいとか高望みはしてないねん、ただ普通に話ができたら楽しいんやろなってちょっち思ってるだけ」
「そうですね、それには私も同意します」
その普通が果てしなく困難な道である事は二人ともよく理解しているだけに、どちらからともなく深い溜息が零れた。
「それに男性の味方の存在は自分たちのためのみならず、司令官や他の仲間達の救いになってくれると思うねん」
「確かに希少な男性の存在を取り込めることは、軍の中でも大きな力を持つことを意味するでしょうしね。特に此処や藤原警備府が掲げる艦娘擁護派は少数派ですから、協力的な男性の存在は大きな力になってくれるでしょう」
この世界はある意味で男性の牌の奪い合いでもある。本能的に男性を求める女性が圧倒的に多いこの世界で男性を自分のグループないしは枠に招き入れることができれば、それは他のグループや人間から優位性を持つ事に即繋がる。
商品のCMに男性を起用できればその商品が飛ぶように売れるように、男性自体に付加価値がついている。ことさら恋愛に関しては重婚が推奨されているこの世界において、男性を選び、選んでもらえたという幸福感は何物にも代えられない。
少し話がそれたが、男性と仲良くなるのは女性なら誰しもが夢見る事だという事だ。
「うちは気さくな人がええな。なにげない馬鹿話にも一緒に笑って付き合ってくれるような。あと夕立と目いっぱい遊んでくれる人やと最高やな。うちらがおらん時、夕立寂しそうやからなあ」
「私は一緒にご飯を食べてくれる人が良いですね。私を見ても嫌な顔をせずに、たまにジャンクフードなんかを頼んで味についてあれこれ感想なんかを言い合えると楽しそうですね」
いつの間にか理想の男性紹介の場みたいになっているが、二人はとても楽しそうだった。
「あとはうちらの事見ても何も思わん人! なんてそれは流石に夢見すぎやな」
「ここまで来たらいっそのこと、私たち艦娘に好意を持ってくれてても良いんじゃないですか?」
そこまで話して、流石に妄想が過ぎると二人して呆れ笑いを浮かべる。
例え叶う見込みは無くとも、こうして想像を言葉にするのは案外楽しく、ストレスの発散にもなるものだ。
「さて、私はそろそろ部屋に戻りますね」
ベンチから立ち上がり、その場で伸びをする赤城。時間を確認すると既に三十分ほどが経過していた。
「うちも入渠せなあかんから行くわ」
「それじゃあまた」
「ほなな」
赤城とその場で別れ、龍驤は一人ドックへと続く廊下を歩きだす。
「しかし艦娘を嫌わず、共に食事を取って時に遊んで、時に話し相手になってくれる男性軍人なんて、我ながら現実味に欠ける妄想やったな」
事実龍驤はこの世界が自分たち艦娘に優しくない事は重々理解している。否、経験していると表現したほうが正しいか。
今まで男性に優しくしてもらったことはおろか、まともに会話すらできた覚えがない。
「そもそも男性軍人って時点で、絶望的な少なさなんよね」
出会う事こそ稀なのに、そこから良い関係を築いていくなど考えれば考えるほど不可能に思えてしまう。
だが、それでも。
「どこかにおってほしいと願ってしまうのは、やっぱりうちが夢見がちな女やからなんやろなあ」
現実は漫画のように劇的には変わらない。明日起きたら自分が美人に変わってるなんてことはなく、いつも通りの朝がやってくるだけだ。
だが、それでは何も変わらない。
九条提督も藤原提督も、身を削る勢いで艦娘の立場向上のために行動し続けてくれているが、二人とも女性である分どうしても限界はある。
数は少ないがその分発言や行動に力のある男性の存在はやはりとても大きい。
「せめて一人、あと一人、艦娘の事を想って行動してくれる男の人が居てくれたら」
何かが変わるきっかけになってくれるのではないだろうか。
そんな荒唐無稽な想像を胸に抱きながら、龍驤は一人、入渠ドックの施設内へと入っていった。