山々を彩る緑の色づきが初夏の到来を感じさせる。
車窓から見える長閑な景色を一頻り楽しんだ後、俺は視線を窓から対面の席へと移した。
「遅くなったが、改めてありがとうな加賀。今回の実地演習に付いてきてくれて」
俺の言葉に、駅弁を黙々とつついていた加賀は箸を止めて、ぱちくりとした瞳でこちらを見た。
今回の実地演習の受け入れ先が九条提督の警備府に決まってから、今日までは割と日があったのだが、いろいろと準備やら最低限の知識やらを詰め込んでいたらあっという間に出発の日になってしまった。
移動は基本電車で、途中から送迎車が出迎えてくれる予定だ。そして現在はその最初の電車に乗ったところだ。
俺としてはてっきり一人で行くものだと思っていたが、補佐役として加賀が付いてきてくれている。こんな素人に毛が生えた程度の知識しかない男の任務の補佐役など気乗りしない筈なのに、彼女はここまで嫌な顔一つ見せないでいてくれていた。
流石は任務経験豊富だなと感心すると共に、感謝の気持ちを忘れてはいけない。こういうところを疎かにしていくと、女性の好感度というものはみるみる下がってしまうからな。
加賀は箸を置いて、静かに口を開く。
「任務なのだから、当然よ。貴方の方こそ、その、どうなのかしら?」
「どうって?」
言葉の真意を読み取れず聞き返してしまったら、何故か加賀がもにょっている。
「補佐役が私で、という事よ」
「ああ、それは当然嬉しいさ。正直その辺の知らない人を付けられるより何倍も気が楽だ。加賀は美人だし、気も利いて、冷静に物事を考えられる。情けない話だが、頼りにさせてもらいたい」
「そ、そう。なら良いわ」
時雨や鳳翔でももちろん嬉しいが、加賀とも改めて関係を深めたいと思っていたところだ。まさに渡りに船といった形で今回彼女に決まってくれたことは正しく幸運だったと言えるだろう。
そんな俺の言葉を受けつつ、加賀はひょいひょいと箸を動かして弁当をつついている。先ほどより若干ペースが速いように思えるが、余程お腹が空いているのか。
「しかし、無事送りだしてもらえたのは良いものの、此処暫く時雨と鳳翔の元気が無かったように見えたのは気がかりだな」
俺の実地演習の話が出たころから、何処か二人の様子が変になった。最初は抜け殻のように魂が抜けているようだと思ったら、急に自分の手を見て何やら悔しそうな表情を見せたり。何処か調子が悪いのかと尋ねても、首を振られるばかりで結局今日まで理由は分からなかった。
出がけに毎日の報告を二人に交代でするように厳命されたところから察するに、俺の派遣先での任務内容の不出来を心配していたのかもしれない。
「加賀は二人に何があったのか知らないか?」
「そうね、つまるところ天は我に味方した、といったところね」
「なんだそりゃ?」
言葉の意味も分からなければ、加賀の得意げなダブルピースポーズの意味も分からない。
イエイイエイと普段の無表情にほんのり喜びが混じっている加賀の表情が超絶に可愛いという事ぐらいしか今の俺には分からなかった。まあそれはそれで良いのだが。
俺は座席の腕置きに肘を立てながら、そんな光景に満足する。
「ところで加賀は、九条警備府の事を知っているのか?」
「理解しているかは別として、合同任務にはよく行くわね。それにあちらの艦娘とは旧知の仲だし、プライベートでもよく会っているわ」
「なるほど、艦娘同士の横の繋がりという奴だな。実に羨ましい」
「今の言葉を聞いて、そんな感想が出るのは世界中を探しても貴方ぐらいのものよ」
いけない、欲望がまろび出てしまった。なんとも表現し難い表情でジト目を向けてくる加賀に平謝りしつつ、少し考える。
この様子ならば、向こうに着く前に加賀から九条警備府の情報を聞いてみてもいいかもしれない。
っとその前に。
丁度加賀の目の前の弁当箱が空になったのを合図に、車内の販売員に声を掛ける。そこで更に三つほど弁当を注文して、そのうちの二つを加賀に差し出す。
「……これは?」
「足りてないだろ?」
「け、けれど、私は既に二つ食べているし……これ以上は大食らいのはしたない女と一緒に居るという恥を男である貴方に掻かせてしまう可能性が」
その言葉尻を、加賀のお腹から発せられた可愛らしい音がかき消した。同時に耳まで真っ赤に染まる加賀。本人には申し訳ないが、その可愛らしさは非常に眼福眼福と心で拝まざるを得ない。この姿を見れただけでも俺は今回の演習に参加しただけの甲斐があったと心から言い切れる。まあ、まだ始まってすらいないけどさ。
「なんでだ? たくさん食べる女性の何処がはしたないんだ? 他は知らんが、俺は加賀のたくさん食べるところ見てるの好きだぞ」
とはいえ本人が気にしている場合があるから、あまり突っ込む事は控えるが。実際、加賀は食事作法も丁寧だし、汚らしく食べる事も無いので見ていて感嘆こそすれ、はしたないなどと思う事は無い。
「す、好きって……この人は赤城さんにも同じことを言うつもりかしら」
箸を片手になにやらぶつぶつと呟く加賀。
あまり押し付けになっても良くないし、無理せず引く事も考える。
「まあ、加賀がいらないっていうなら俺が食うよ」
「いえ、いらないとは誰も言っていません」
思わず引こうとした弁当が、がっと伸びてきた加賀の手で押さえられる。なんだかんだ言ってやはり足りていないんじゃないか。
「お代の方を……」
「今回は俺の奢りだ。代わりと言っちゃなんだが、九条警備府についてざっと教えてくれないか。食べながらでいいから」
「相変わらず人が良い……いいでしょう、時間もありますし、私の把握している事でよければ。お弁当、ありがとうございます」
どうやら交渉は無事上手くいったようだ。
弁当を手にして、早速と言った様子でいそいそと蓋に手を掛ける加賀の姿をみて満足する。
藤原提督の準備してくれた事前資料にも九条警備府の概要は記されてあったが、やはり実際に見聞きした生の経験談というのはどんな情報よりも価値がある。あまりに無知をひけらかして、九条提督に股座を蹴り上げられるのだけは勘弁願いたいからな。
内心でそんな事を考えながらも、俺は加賀の言葉にしっかりと耳を傾ける事にした。
「情報として伝えられるのはこんなところね」
「なるほど。基本的な部分はそこまで大きくはうちと変わらないんだな」
一通り聞き終え、俺はまず感じたことを口にする。
「そうね、でもそれは九条提督が藤原提督の愛弟子という事も大きいわ。少人数の警備府でもその艦隊運用の在り方は本当に様々だから。ベースとしているところが同じなのよ、二人は」
確かに二つの警備府の一連の任務の流れは大体同じだ。そしてそれは艦娘を第一優先に考えられている。
とはいえ二人も当然一人の人間だ。志や目指す方向が同じだとしても、取りうる選択肢までが同じである筈がない。
話を聞きながら走り書きしたメモをぱらぱらとめくる。
「確かにこうして見ると、九条提督は藤原提督に比べて割と放任主義だよな」
「二人の指揮を経験した身からすると藤原提督が艦娘との協調性を重視してるのに対して、九条提督は艦娘の自主性を尊重しているように感じるわ。どちらがという話ではなく比重の話だけれど」
加賀の言う通り、藤原提督は何事もしっかり丁寧に伝えるイメージがある。一方で九条提督は、一人一人の能力に合わせて伝える言葉を選ぶタイプの人間か。当然二人とも使い分けてはいるだろうが、同じ指針の中でも取りうる方法は人それぞれという事だ。
「なんというか、藤原提督が優しく手を引いて導いてくれる人なのに対して、九条提督は黙って背中を押してくれる人という勝手なイメージがあるわね」
「いや、たぶん合ってるぞ、それ」
思い返されるのは、時雨と夕立との一件。
あの危機的状況で、時雨は仲間のために任された場に一人留まり、夕立は時雨のために自らの持ち場を独断で離れた。どちらが正しいという話ではなく、結果を語るのも結果論でしかない。それでもあの場で選択した二人の行動原理が、意図せず提督である彼女たちの志に沿ったものであったのは、影響という面から鑑みてもそれほど驚く事でもない。
「二人とも良い提督よ」
「加賀が言うのならそうなんだろうな」
人間性ならまだしも、知識の乏しい俺には提督の良し悪しなど分からない。それでも指揮される側で、艦娘である当の本人がそう言うのだから信憑性は高い
願わくば艦娘全員に自分が信頼足りうる提督と出会ってほしいものだが。
「そういえば九条警備府も、所属艦娘は三人か」
「赤城さん、龍驤、夕立の三人ね」
「夕立は会った事あるから分かるが、他の二人はどんな艦娘なんだ?」
なんとはなしに聞いてみた問いに、しかし加賀は少し考えた様子で、
「それは私が説明するより……直接会った方が早いと思うわ」
「まあ、それもそうか」
至極真っ当な意見を述べてくる。
確かに本人と出会う前に妙な先入観を抱くのもあまりよろしくないかと素直に納得する俺に対して、向かいに座る加賀の表情は未だ何かを考えているように見えた。
怒っているとはまた異なる、不安や緊張等々、様々な感情が綯交ぜになったかのような様子の加賀。普段は物事をはっきり言う彼女なだけに、少々気になる部分でもある。
「どうかしたか?」
「いえ……」
俺の問いに加賀はなおも少し考えた素振りを見せたが――やがて何かを諦めたように、その心の内を言葉として伝えてきた。
「その、阿形さんが二人を見たときにどうなるのか、とふと気になってしまって。艦娘である前に赤城さんも龍驤も私にとって大切な仲間ですし、受け入れてもらえるのかと今更ながらに少し……ごめんなさい」
こんな失礼な話、と謝罪してくる加賀。
別に謝る必要など当然ない事ではあるが、しかしよくよく考えれば加賀の不安は当然のものであった。
「いや、加賀は全く以て悪くない。しかしアレだな、なんというか言われるまでその可能性を考えなかったなんて」
我ながらなんて高慢な思考だったのかと、とても恥ずかしくなる。
つまり加賀はこう言いたいのだ。
「確かに、向こうからしたらこんな素人同然の胡散臭い男を受け入れる道理はないもんな」
「あ、え?」
俺からすれば明確な理由のあるやりがいのある任務でも、相手からすれば面倒な役立たずを押し付けられた厄介事でしかない可能性を不覚にも忘れていた。その証拠に、加賀も今更気づいたのかと言わんばかりに呆れた表情をしているではないか。
「い、いえ、そうではなく……」
「いや、みなまで言わずとも加賀の不安も至極もっともだ。他ならぬ藤原提督の依頼の割に、登場するのがこの俺だ。二人が俺を受け入れられなくてもなんら不思議ではないどころか、補佐役の加賀にまで迷惑を掛けてしまう可能性すらある」
無意識の内に甘えていた性根を引っ叩いてもらった気分だ。
俺は遊びに行くのではない。ましてやこの世界に来て成し遂げた事など何一つない、現状他人におんぶにだっこの俺が今からこんな体たらくで誰が認めてくれようか。
「すまん、加賀。おかげで目が覚めた。艦娘を知るうんぬんより先に、まずは俺自身が受け入れてもらう努力をするところからだな!」
「……どうしていつもそうなるのかしら、貴方という人は」
そんな俺の決意表明を他所に、呆れ半分怒り半分といった表情の加賀。
不味いな、このままでは俺の所為で加賀の心労が大変なことになってしまう。
「不安だろうが、加賀もしっかり俺の事を見ていてくれ。認められるとは言えないまでも、彼女たちに失望されないぐらいには頑張ってみせるから」
「そんな貴方の言葉や態度に私たちがいったいどれだけヤキモキ……いえ、もういいわ」
み、見放された!?
い、いや、落ち着け、これから信頼を取り戻すんだ。大丈夫だ、まだ慌てるような時間ではない。底辺に近い俺の株も、流石にまだ最底辺までは落ちていないはず。たぶん、きっと、いや本当にそうであってくれと願っている。
「夕立はともかく残りの二人にこの人を会わせて、本当に大丈夫かしら」
ぶつぶつと何かを呟いたと思ったら、加賀はその意志の強い輝きを秘めた瞳をこちらに向けてくる。
「貴方はもう少し自分の言動の意味を理解した方が良いわね」
「……スミマセン」
「でないとそのうち死人が出るわ」
「そんなにっ!?」
「そんなによ」
なおも軽い口調の加賀に、先ほどまでの憂いのような表情はもう見えない。
そこから暫くは加賀と他愛も無い雑談を交わしたり、睡眠を取ったりして穏やかに過ごした。
確かに俺は九条警備府に遊びに行くのではない。
しかし加賀には申し訳ないが、こうして知らない世界で新しい艦娘に会えるというだけでこうも胸が弾むのは、どうにも俺の意志では止めきれないらしい。
――ああ、到着が楽しみだ。
車窓から見える景色はは雲一つない快晴の青空。
なおも電車は走り続ける。