艤装の確認を終えた後、俺は彼女たちに連れ立って隣の演習場に移動した。
演習場は鍛錬の用途によって区画で分かれており、海に面しているのもあってか時折潮風が髪を撫でていく。今俺が居る場所は空母の鍛錬区画で、その海面の遥か先になにやら不規則に動く的のようなものが幾つも見えた。
「あれを狙うのか」
「はい」
事も無げに赤城は言うが、相当距離があるぞ。俺にはもはや豆粒程度の何かが空を動き回っているようにしか見えないが、龍驤と共に海面へと足を踏み出した赤城の横顔は涼し気だ。
「当たり前だが、海に浮くんだな二人とも」
「そりゃ艦娘やからな」
「原理はどうなってるんだろうか」
「詳しい事は私たち自身にも分かりませんが、艤装が浮力を生み出しているのだと思います」
端的な赤城の解説にふむ、と頷く。艦娘としては自然な姿なのだろうが、やはり人の姿で海に立っているというのは不思議で神秘的と言わざるを得ない。
「貴方にとっては退屈な時間になると思いますが」
「とんでもない、これも貴重な勉強になるよ。二人とも俺を気にせず普段通り鍛錬に勤しんでくれ」
「キミに見られてる思うと、なんや緊張するな」
「これも良い心の鍛錬です。彼を路傍の石とでも思って平常心で行きましょう」
「いや、そこまで無にしてくれなくてもいいんだが」
それではもはや俺の存在が消えている。
とはいえ邪魔になるのも本意では無いので、俺はその場に座って彼女たちを観察することにする。
「では行きます」
「ほないくでっ!」
そんな掛け声を合図に、彼女たちの立つ水面を中心に螺旋状の波紋が瞬く間に広がっていく。同時に龍驤の動かした指先が、赤城の引き絞った弓矢がそれぞれ瞬間的に明滅の光を放つ。それらは次の瞬間には数多もの艦載機となって次々に目標へと飛来していく。
激しい突風と、耳に重く響く艦載機特有の鈍い音の塊に思わず目を細める。
「……これはたまげた」
まるで映画の中の光景だ。
放たれた艦載機に撃ち落とされて粉々に消滅しては、またすぐさま現れる敵を模した新たな的を二人は次から次へと正確に撃墜していく。
上下左右斜め手前奥と奇怪な動きで翻弄しようとする的はまるで意思を持つ獣のようだが、彼女たちの艦載機はそれを縦横無尽に追いかけては叩き落している。よく見ると搭乗席には妖精が乗っていた。そんな大変な役目まで任されていたのか饅頭たちよ。少し見直したぞ。
とにかく手慣れている、どころの騒ぎではない。文字通り日々の鍛錬と実戦を通して身体に染みついた動作だ。
「これが艦娘の力、か」
正直まったくの想像の範囲外だ。だからこそこうして実際に目にする事で、実感することに意味がある。これは守るための力だ。そして彼女たちはおそらくではあるがこれと同等か、それ以上の憎悪と敵意に満ちた深海棲艦の脅威と日夜戦っている。
「これを知るのと知らないのではやはりまるで違うよな」
言葉で聞いた事は何時か忘れてしまうかもしれないが、自らの意志と目で強く体感した事はまず忘れる事は無い。
――この世界の人々はこの力に守られながら日々を生きている。
俺は今この時やっと、その真実の一端を垣間見る事ができた気がした。
なおも彼女たちの鍛錬は続いている。
俺はその姿をじっと視界に収めつつも、終わった時にすぐに彼女たちが汗を拭けるためのタオルを用意してくれるように肩の上に座っている妖精に頼んでおく。
結局、最後の的が射抜かれて鍛錬が終わったのは、それから一時間ほどが経過した頃だった。
連続して射出される自らの艦載機の先を見据えながら、赤城は奇妙な感覚に囚われていた。
――弓が軽い?
普段よりも引く弓が軽く発艦される艦載機の調子がすこぶる良い気がするのだ。視界も普段よりクリアで、的の動きや予測が鮮明に頭で整理される感覚。
別に調子が良い日は他にもあるにはあるが、それとは一線を画すような明らかな高揚感を今は感じる。
しかし何故?
今朝起きたときは特に普段と変わらない朝だったことは覚えている。早朝会議を終え、朝食を食べた時も特に変わった感じはしなかった。
「……いや、この感覚は体調面では無く艤装の問題?」
一定の集中を保ちながら艦載機を発艦させつつ、考え事にも意識を向ける器用な赤城。今一度自分の中の艤装の繋がりを確認すると、確かにいつもより力の伝わり方が滑らかでスムーズだ。
それも、とても気持ちが良いと感じられるほどに。
これほどの感覚の違いとなれば、何処かに普段とは異なる明確な理由があってしかるべしだが。
赤城は今一度、今朝からの自分の行動と周囲の様子を事細かに思い出しては情報を篩にかけていく。
暫くして、赤城の脳内に一つの仮説が成立した。同時にそんな事がありえるのかと疑念も湧く。
「…………」
彼女は悟られぬように、その仮説の中心に位置する人物の方向へチラリと視線を向けた。
彼は――阿形はこちらの視線には気付いてはいないようで、艦載機の飛んでいく先を真剣な表情で眺めている。
赤城が立てた仮説がこれである。
自分でも信じられないが、それ以外に思い当たる節が無いのも事実だ。しかし今思えば、彼に艤装を触れられた時、同時に温かな何かが流れ込んできて思わず反応してしまったのだった。
艤装は艦娘の精神と密接に関係している。艦娘の身体と艤装は神経と同じような回路で繋がっており、艤装の調子が良いと気分も晴れやかにになるし、調子が悪いとだるくて憂鬱にもなる。だから艦娘は艤装との繋がりをとても大切にしているし、傷付いた場合即座にドックや工廠で繋がりを修復することになる。
流し目で龍驤の様子を見ると、彼女もどうやら絶好調のようで次から次へと艦載機を顕現させている。彼女は軽空母なのでそこまでの出力は出せない筈なのだが。それに艤装確認の最初に調子が悪いとも言っていたのに今はそんな様子は微塵も感じられない。
なにより赤城自身、普段以上に動いている筈なのに疲労感は普段の半分かそれ以下程度のモノ。
となるとやはりそういうことなのか。
「確かに阿形さんは妖精さんに好かれている傾向にありますが」
気が付けば赤城自身も、彼に対する疑念は最初ほどでは無くなっていた。男性という事で調子を崩されたくなくてつい憎まれ口を叩いてしまうが、お互いに質問をかわす程度には会話をできるようにはなった。
だがそれとは別にしても、男に触れられただけで調子がすこぶる上がったというのは何かこう自身が単純な人間だと言われているようで何処か納得できない部分は大いにある。
「それに彼に対する疑念が薄れた今、余計に彼の態度が理解できません」
隠し事が無ければ、普通の人の腹の底に必ずある悪意が本当に無いのなら、彼の言葉は、彼の善意は、私たち醜い艦娘に向けられていることになる。若い男である彼が、私たちに純粋に好意を向けていることになる。
「……そんな事が本当にありえるのでしょうか」
それだけが赤城には分からない。だが諦めと幾多の裏切りに凍て付いた心は今確かに揺れ動いていた。
赤城にとって欲とは自制するものだ。
だが今、自身でも形容し切れない怒涛の波のような感情の濁流が心の奥底から流れ込んできてその枷を壊そうとしている。それがたった一人の青年によって引き起こされているとは自覚しないまま。
「不思議な感情です」
戸惑っている筈なのに、嫌な気分ではない。
焦る事は無い。時間はまだ残されている。今はこの感覚を大切に、鍛錬に励もう。
一度頭を振って、顔を上げた赤城の瞳にはいつもと同じ意志の強さを感じさせる輝きが戻っていた。
「はいよ、お疲れ様」
「ありがとうございます」
「おおきになあ」
鍛錬を終え、休息を挟んでいる二人にタオルを手渡す。それを受け立った彼女たちは汗や潮風で濡れた部分を丁寧に拭いている。しかしこうしてしっとり濡れる美少女というのも決して悪くは無い。むしろ良い。
「……ただ今戻りました」
そこにやけに疲れ切った加賀が戻ってきた。顔が生気を抜かれた婆さんみたいになっているが大丈夫か。
「加賀、やけに時間が掛かったな」
「阿形さんが藤原警備府に着任してからの経緯を根掘り葉掘り、ね。あの人興味ない事にはとことん興味ない癖に、一度興味を持ったら納得するまで帰してくれないから付き合うのも大変だわ」
「ああー、提督の悪い癖でとるなー」
「加賀さん、ご愁傷様」
それぞれがそれぞれの感想を述べる。加賀には俺の事で苦労を掛けたみたいなので、今度ちゃんとお礼として労わろうと思う。
「それで貴方たちは今まで何を?」
「阿形さんに艤装の確認をしてもらって、鍛錬に付き合ってもらっていました」
「艤装の……確認? それは直接阿形さんに触れてもらってということかしら?」
言葉を発しながらがくがくと震える加賀。本当に大丈夫か。
「まあ、せやな。結構隅々までしっかりと確認してもらったで、な?」
「ああ、それはもうぷにぷにですべすべでキラキラだった」
「ちょ、ちょっとそれは違う話やんか、もうっ」
冗談半分の俺の言葉に龍驤が可愛らしく訂正を入れてくれる。そんな様子を見た加賀は、
「…………」
「真っ白な砂になってますね」
「元気だしなや、飴ちゃんいるか?」
「いや、何が加賀をそんな風にさせるんだよ」
その後、何故か後日加賀の艤装も確認する約束を取り付けられた俺は、今後の予定を改めて聞いてみた。
「今日はこの後、お昼を挟んで座学にしましょうか。阿形さんにはこの機会に足りない知識を勉強してもらいましょう」
「うちは昼から任務が入ってるから、残念ながら一旦お別れやな」
「任せてください。指導教官役には自信があります」
それぞれの予定を合わせて、スケジュールを組んでいく。九条提督の指示とはいえ俺を中心に考えてくれるのはとても有難くもあり、責任感も相応だ。座学は決して得意ではないが、気張っていくとしよう。
「ああ、それと九条提督からの伝言ですが、近いうちに近隣の警備府と模擬演習を行うからそのつもりで、とのことです」
「模擬演習?」
「各警備府の艦娘対艦娘の実戦を想定した模擬戦闘訓練の事ですね。最近はあまり行っていなかったのですが、提督なりに何か考えがあるのかもしれませんね」
「相手は藤原警備府かいな」
「いえ、今回は別の警備府をお呼びしているとの事よ」
となると他の艦娘をこの目で見れるという事か。それは楽しみだ。
「……何か嬉しそうですね」
「ああ、そりゃあ新しい艦娘と交流できるなんて嬉しいに決まってるだろうよ」
「……ほーん」
「男である阿形さんが急に現れると動揺させるので、目隠しするのはどうでしょう」
「いや、なんでだよ。それじゃ折角の新しい子が見れないだろ!」
「見なくていいんじゃないですかね」
なんだろう、心なしか全員から当たりが強い気がする。これはやはり美少女を見たいと言う下心を隠せていなかったのが良くなかったのか。いや、でも普通に見たいだろ新しい子。
「では私たちが演習に勝ったら、阿形さんの奢りで打ち上げを開くという事で」
『異議なし』
「ハイハーイ! 異議あり! なんで急にそんな話に」
「では自警備府の艦娘そっちのけで相手の艦娘に興味津々な事を九条提督に伝えておきますね」
「はいすいませんでした! 是非とももごちそうさせていただきますっ!」
そんな事が九条提督の耳に入ったらどうなるか想像するだけでも身震いしてしまう。まあ別にこれと言った趣味も無く、藤原提督に返す以外はお金の使い道も無いから全然良いんだけどね。
「ではそういうことで、少し早いですが昼食に行きましょうか」
「いやー、がぜん楽しみになってきたなー」
「死んでも勝ちます」
三者三様の様子を見て、自然と頬が緩む。
今日だけでも貴重な体験や経験ができている。残りの期間もこの調子で艦娘やこの世界に対する経験値を積み上げていきたいものだ。
「阿形さん、行きましょう」
加賀に促され、演習場を後にする。
昼からの座学のために、しっかり昼食を取って英気を養う事にしよう。