「阿形さんは、こちらに」
「ああ、ありがとう」
赤城に促されて、用意してくれたパイプ椅子に腰かける。昼食を終えた後、俺たちは会議室に場所を移していた。会議室といっても大部屋ではなく、こじんまりとした普通の部屋だ。目の前では赤城がホワイトボードやペンを準備してくれている。
ちなみに龍驤とは先ほど任務のために別れた。加賀は資料室に幾つか参考資料を見繕ってくると言って消えていったが。
「資料を持ってきたわ」
幾つかの紙束を抱えて帰ってきた彼女は何故か服装まで変わっていた。
「……なんですか、その恰好は」
「座学といえばこの服装でしょう。先生スタイルというやつよ」
黒のタイトスカートに白のカッターシャツ姿で眼鏡の縁をくいっと上げる加賀。ここで着替える意図も意味も綺麗さっぱり理解できないが、超絶似合ってるので何も問題ない。赤城は口をへの形に曲げて呆れているが、同性にはこのロマンが理解できないのも仕方がない。
「どうでしょうか?」
「最高だ」
それ以上の感想は無いよ、と万感の意味も込めて返す。加賀も褒められてとても嬉しそうだ。いやはや他の子も加賀を見習ってもっとお洒落に目覚めてほしいものである。
「馬鹿やってないで、始めますよ」
「ああ、すまんがよろしく頼む」
呆れ顔の赤城に謝意を述べつつ、姿勢を改める。
座学の議題はこの世界の仕組みと艦娘について、と前もって赤城と共有してある。表向きは田舎の孤児院暮らしが長く常識に疎いためと伝えてあるが、赤城は特に疑う様子も無く納得してくれた。どうやらこの世界では男女比差の関係から孤児が多いらしく、俺のような――といえど俺の場合仮のものだが――出自の人間も多いとの事。細かな理由はもっと複雑らしいが、その辺りの話も含めてのこの座学講座だ。
「今回は話の基盤となる艦娘の出生の話についてお話しようと思いますが、阿形さんは我々艦娘がどのように生まれるかご存じですか?」
「いや、全く」
この世界に来てから何度か調べたが、艦娘についての情報はほとんど見つからなかった。それを知っていたのか予測していたのか、赤城も一つ鷹揚に頷いた、
「情報は軍が統制しているので知らなくて当然ですが、私たち艦娘も元は普通の人間です」
「まあ、そうだよな」
情報はやはり統制されていたか。それは予想通りだが、彼女たちが本来人間だというのも大体予測の範囲内だ。深海棲艦や妖精など未知の存在のおかげでもしやとも、思ったが。今回の彼女の発言でその可能性は完全に消えた。まあ彼女が嘘を吐いていないという前提になるが、ここで嘘を言う理由もないので確定情報で良いだろう。
「艦娘はその素養を持った人間が自らの意志とその後の鍛錬によって昔の艦船の加護をその身に受けた者が名乗る総称の事であり、そのほとんどが貴方と同じ孤児出身といって良いでしょう」
「孤児、なのか」
「必ずしも、というわけではありませんが」
この世界は男女比差が激しい。加えて男が女を嫌悪しているせいで、純粋な男女の営みにおける出生率は著しく低下傾向にあり、専ら子を成す方法は人工授精が基本なんだそうだ。そのための医療技術や保険適用、出産後の女性の金銭的問題等は現在の国策の中心であり手厚いサポートを受けられる。
だが親と子の愛情ばかりは政策ではどうにもならない。金のためと割り切って産んだ子供に愛情を注げる人間は果たしてどれくらいいるのか。結果としてひとり親に疲労し切った女性が子供を孤児として施設に預ける事はこの世界では特段珍しい事ではないという。各地にはそんな施設が点在し、孤児院出身の人間は今も増加傾向にあるらしい。
……なんというか。この世界は本当に静かに破滅への一途を辿っていっている気がする。
「艦娘の素養って言うのはどうしたら分かるんだ?」
俺の問いにホワイトボードの反対側に立つ加賀が、肩の上の妖精をつんと指さした。なるほど、妖精が見える事が素養というわけか。
「まあ、素養というだけで全員が艦娘になるわけではありません。タイミングや加護を受ける艦船との相性問題もありますので。詳しく話すと日が暮れるので省きますが」
「艦娘になるとその後はずっと艦娘なのか?」
「いえ、個人差はありますが加護は年齢と共に失われていきます。軍ではそれは過去に倣って解体と呼びますが、その後はまた新たな素養を持った人間が加護を受け継ぐことになりますね」
艦娘としての力を失った者のその後は一定期間の社会復帰プログラムを受けたのち、普通の一般人として生きていくのが普通だと赤城は言った。その際の名前や戸籍なども詳しい話があるようだが、軍規に触れるようだったので掘り下げるのは控えておく。
「世襲制みたいなものか」
「艦娘である間は加護によるものか見た目を伴う身体の成長、老化が鈍化しますが、私たちも当然年は重ねますので。解体後は自然に年齢相応に身体も変化していくみたいです」
「なんか某戦闘民族みたいな話だな」
「駆逐艦の子たちなんかは、解体後に来る激しい身体の変化に数年間は悩まされると聞いたわ」
加賀の言葉に思わずうへえと顔を顰めてしまう。確かに時雨たちのような成長期に艦娘になった子たちの年齢と見た目の辻褄を合わせようと思ったら多少の強引な変化も致し方の無い事なのか。俺も中学の頃に味わった事はあるが、成長痛の辛さは味わった事のある人間にしか分からない。
「じゃあ見た目は子供でも、精神年齢は大人みたいなこともあったりするんだろうか」
「どうかしら。一説には艦娘になった時期が幼ければ幼いほど、艦娘である間は身体と共に心の成長も緩やかになるという仮説があるわ。もっともそこまで乖離する前に加護を失いそうだけれど」
「ふむ、そういうものか」
流石に見た目は子供頭脳は大人みたいなことはそうそう無いか。子供の頃は一日がやけに長く感じたものだが、人間として致命的な齟齬が起きないように自然と身体が順応している可能性もある。とにかくこの辺りは深く考えても仕方が無いので、知識として知っておくに留める。
俺にとっては目の前の彼女たちがすべてで、年齢は関係無いしな。例え100歳だと言われても愛せる自信が俺にはある。可愛いは正義なのだ。
「艦船の加護というのは?」
「有体に言えば、艤装の事ですね。深海棲艦の残骸の中に稀に過去の艦船の一部を発見する事があるんです」
「それが艤装になるのか」
「はい。それを持ち帰り、妖精さんのオーバーテクノロジーで艤装に錬成した後は適合者が現れるまで軍で厳重に保管されます」
赤城の説明によると、同じ艦船の加護は同じ時間軸では重複しないとの事だ。それは同じ時間に同じ艦船の加護を持つ艦娘は一人のみという事を指している。それどころか解体後、何十年もの間適合する人物が現れない艤装となる事も珍しい話ではないとの事。
こうして聞くと艦娘は非常に貴重な存在だ。本当に今の不当な扱いが信じられないと思うぐらいには。容姿の問題だけで果たして国防の要である彼女たちをここまで杜撰に扱えるものか。
……いや、そうではないな。この世界の基準と俺の基準は完全に乖離している。容姿はこの世界では何にも優る重要なファクターなのだ。容姿が劣る者を当然のように蔑んで見下して許されるこの状況が当たり前の世界だといい加減理解しなければいけない。納得は死んでもしないが。
「さっき自分の意志でと言ったが、艦娘になる事に不安は無かったのか?」
「無かったと言えば噓になります。しかし素養を自覚する時期は艦種の加護によってバラバラですが、艦娘になる時は皆一様に落ち着いていたと聞いています。まるで何かに導かれるように……は流石に大袈裟ですかね」
曖昧ですね、と赤城は苦笑気味に付け加えた。艦娘になるという感覚は男の俺には一生かかっても分からない事だ。それでも大多数の人間は安寧と停滞を好み、未知と変化を伴う険しい道は往々にして選べない。それを考えれば、彼女たちの選んだ道は十分に尊敬に値するものだと俺は思う。
ついでに加賀の補足によれば、艦娘を辞めてからも軍からの手当てはちゃんと出るそうだ。中にはその辺りの金銭面の事を考えて艦娘になる者もいたりするとか。それはそれで将来の事を考えた、地に足付けた判断だ。
「ちなみに艦娘になったからといって、容姿や肉体が変化するなんて事は残念ながら無いわ」
「漫画とかの世界では美人になったりスタイルが良くなったりとかの特典があったりしますもんね」
冗談か自嘲か、判断のつかない会話が二人の間で交わされる。
「いや、別に残念でもなんでもないだろそこは」
「そ、そうかしら?」
「まあ、俺の好みの話ってだけだけど」
「食べ物の話ですか?」
「理解できないからって思考を宙に投げ捨てるのは良くないぞ?」
感性の違いが複雑すぎて本音か建て前かお互いに判断が付かないのがややこしすぎる。こればかりは理解してもらうために地道に伝え続けていく以外に方法は無いとは思っているが。そもそもの懸念点として、俺みたいな奴に褒められて嬉しいかっていうのは普通にあるが。
「知ってるか? どんな人間でも世界中を探せば自分の事を魅力的だと思ってくれる異性が三人はいるって話だぞ」
「出会えなければいないのと同じ話ですね」
いやいや赤城さんや、そんな身も蓋もない言い方しなくても良くないですかね?
「まあ、残りの二人は頑張って探すんだな」
「二人? 三人ではなくてですか?」
「いや、一人はもう居るだろ。君の目の前に」
なおも頭の上に疑問符を浮かべる赤城に、俺は無言で自分の事を指差した。その指先を怪訝そうに見つめた後、意図に気が付いたのか彼女はひゅっと息を吸い込んだと思ったら次の瞬間、俺の指先をむんずと掴んでえいっと言わんばかりに逆方向に折り曲げた。
柔軟性を失った俺の右手人差し指が逝っては駄目な方向へ反り返る。
「あだだだだだっ!」
「あ、あまり急におかしな事を言わないでください」
「そ、それは悪かったが、現在進行形でおかしなことになっている俺の指も気にしてくれないかなっ!?」
赤城の綺麗な白魚のような指たちが俺の人差し指を殺しにかかっている。なおも現在進行形で体操選手もかくやといった見事なブリッジをキメる指を救うべく、俺は慌てて謝罪の言葉を口にした。
なおもムスっとした様子の赤城だったが、なんとか俺の指先を開放してくれる事には成功した。危なかった。ヤクザでもないのにこんなところで指の一本を失うところだった。
「赤城さんも存外照れ屋さんよね」
「そんな軽い光景だったか、今の」
加賀もニマニマしてないで止めてくれ。
「阿形さんがおかしな事を言うからです」
「俺、そんな変な事言ったかな?」
「貴方の素敵なところはその変なところよ」
「褒められてるのか、それは」
自分では良く分からないが、自己評価なんて存外当てにならないものだ。話の腰を折ってしまった事を詫びて、再度椅子へと腰を下ろす。
赤城も元のホワイトボードの隣へと立って、咳ばらいをしながら。
「話を戻しますが、あくまでこれまでの説明は私個人の経験や思考の範囲が多分に含まれています。なので必ずしもそれが正しいという事ではありませんので、その点は留意してください」
「分かった。心に留めておくよ」
どちらにせよ、現状の俺には今の話が本当かどうかなんて確かめる術はない。
間違っている知識は正せば良いが、無知自体はどうにもならない。だからこうして経験を踏まえて話してくれるだけでも、十分すぎるほど価値がある。
「では次はこの世界における男女の一般常識についてですが――」
だけどまあしかし、これほどまでに知らない事が多いと頭というのは処理が追い付かないわけで。
「――という形で男性が女性に襲われる犯罪は何処でも起こり得る事と言えますが……阿形さん理解できてますか?」
「さっぱり分からん」
その後に説明された男女にまつわる犯罪については内容が意味不明すぎて、まったく理解できなかった。
なんで女が男のパンツを盗んでコレクションする事件が頻発してんだよ。俺の常識を破壊するのもいい加減にしろ。