あの後、俺の突飛な行動に毒気でも抜かれたのか中年提督は執務椅子にどかりと腰を落とした。そのまま投げやりに書類にサインを書いてよこして俺と榛名二人を足早に執務室から退出させた。
そして現在俺は少し離れたところに備え付けられていた長椅子で何故か榛名と一緒に休憩中だ。
「…………」
「…………」
会話は無い。というか何を話していいか分からない。そもそも何故彼女は隣に座っているんだ。任務が終わったのなら帰っていいと思うのだが。
もしかしたら先ほどの件について彼女なりに思うところがあるのかもしれない。
直接触れない様に、痛む箇所に手を伸ばしてみる。激痛では無くなったが、叩かれた場所の痛みは当然まだ残っている。下手したら明日ぐらいに首筋から背中にかけてミミズが這っているかもしれない。
そうは言っても勝手に行動したのは俺だ。榛名からすれば余計な事をされたと思っていてもおかしくは無い。それでも結果として、あの行動は俺としてはベストとは言わないまでもベターな判断だったと思っている。もちろん一番は誰も怪我をしないで済ませる事だったが、あの状態でそこまで求めるのは俺には難しかった。
「何故……」
「ん?」
絶妙に届かない鈍痛がする位置に手を伸ばしていたら、隣から声が掛かった。見れば、榛名は前を向いたまま呟くように言葉をこぼしていた。
「何故あのような行為を?」
「何故……何故、かあ」
俺は榛名の問いかけに曖昧に言葉を返しながら天井を見上げた。同時に背中にびりびりした痛みが走る。あのような、とは俺が二人の間に飛び込んだ事だろうが、これまた理由を言葉にするとなると途端に難しくなる。
自己犠牲なんて高尚な意味は全くない。ただ、あのまま何もせず目の前で起こったであろう未来の光景に他ならぬ俺が我慢しきれなかっただけだ。
「特に深い意味はないな。単純に俺があの先の光景を見たくなかっただけだよ。早く夕立の所に行きたかったし」
だから榛名にもあの時感じていた事を素直に告げた。
虚空を彷徨っていたあの色のない視線が再び俺の方へ向けられる。
「あくまで自分のためだと?」
「そうだ。君が彼の暴力を避ける気が無いのもなんとなく分かってたしな」
「そこまで理解できていて、出した結論が自傷行為での問題解決だったとしたならば貴方という人間はひどく不器用で後先を深く考えないタイプか、はたまた痛みを快楽に変換する類の特殊性癖の持ち主の二択ですが」
「どうか前者でお願いします」
俺は決して痛みで興奮を覚えるドMなんかではない。
「どちらにせよ先ほどの貴方の行為に意義があったとは私には到底思えません。結果としてその後私に暴力が振るわれていたとしても、貴方にはなんら関係のない話であり、伴って貴方が肩代わりする類のものではありません」
淡々とした語りに変化は無い。ひたすらに感情のない瞳が真っ直ぐに俺を見据えてくる。
「あまり自分の行動に意義なんて見出した事はないが、何か意図があって君があの提督を煽っていたのなら謝るよ」
「……煽っていた?」
「いや、他意が無いのならいいんだ」
つまり素の状態であの言葉の切れ味の持ち主というわけだ。態度には気をつけよう。
「事実を述べられて怒りの感情が先に来るのは後ろめたい事があるからです」
「君はなんというか強いな、心が」
事実というものをどの場面でもはっきりと伝える事は存外難しいものだ。人間は立場や状況、環境や価値観等で事実の上塗りを簡単にしてしまう。心の弱いものは多少の不利益を被っても穏便に事を済ませようと事実を覆い隠してしまう事も多い。
かくいう俺も相手が確実に傷付くと分かっていて伝える事実には躊躇してしまう側だ。
「この歪み切った世界で貴方のように自己より他人の優先度を上げがちな人間はそう多くはいません。特に男性となると余計に」
「それはどうも」
「誉めてはいません。大概そういう人間は早々に心か身体を壊しますので」
「マジですか」
ふいに榛名がすっと俺の腫れている首筋辺りに手を伸ばしてくる。そのまま沿うように傷の周辺をすすーっと撫でていく。痛くは無いがむず痒い。その間も彼女の表情は動かない。
なんというか視線といい行動といい、彼女とは非常に距離感を測りづらい。今までにあまり出会ってこなかったタイプの人間だ。
「榛名です」
「え?」
「呉鎮守府所属、金剛型戦艦三番艦榛名です。榛名とお呼びください」
「あ、ああ。阿形誠二だ。藤原警備府所属で、今は任務で九条警備府のお世話になっている。肩書は一応提督補佐だが、そんな価値のある身分の人間でも無い。呼び方は好きに呼んでくれ」
「分かりました。では阿形さんで」
突如として挟み込まれた自己紹介に若干困惑気味な俺。しかし榛名は呉鎮守府所属だったのか。意外なところで繋がりはあったりするものだ。
「では私はそろそろ帰投します」
「ああ、俺も夕立を迎えに行くよ」
そう交わして、榛名は小さくお辞儀を一つ。そのまま鎮守府の廊下を歩いていく。その背に、俺は思いついたかのように再度声を掛けた。
「あ、そうだ。榛名」
「はい」
振り返る榛名に先ほど触れられた時に感じた事を一応伝えておく。
確実性は皆無だが、直近では艤装を展開していなくても艦娘の抱える身体的問題に気がつける割合が増えていた。
だから少しだけ気になった。
「君、右足首あたり痛めてないか? 痛みほどでは無くとも違和感があるなら少し休んだ方がいいぞ。足首の怪我は癖になりやすいからな」
「……何故、そう思ったのですか?」
それは単純にあの謎力と毎日の赤城達との鍛錬の賜物のおかげに他ならないのだが、如何せん説明ができない。
だからまあなんとなくで誤魔化しておく。
「いや、歩き方に少しだけ違和感を覚えてな。なに、俺の気の所為ならそれで良い。引き留めて悪かった」
「……失礼します」
表情では特に変化は読み取れず、言葉尻から少し訝し気にも見えた榛名だったがそれ以上は何も言わず寮へと向かっていった。
俺の勘違いならそれはそれで問題ない。
ともあれ思わず伝えてしまったが、説明できないのであれば事実であっても理屈が合わなくなって却って困る事が良く分かった。九条提督にも釘を刺されていたし、些細な事であっても力に関する発言は控えた方がよさそうだ。
「っとマズい。予想以上に時間を喰ってしまった。早く夕立を迎えに行ってやらないと」
俺はとりあえずそこで考えるのを止めて、榛名とは逆方向の廊下を急ぎ足で進んで行くことにした。
向かった先は鎮守府から海に面して伸びる防波堤だ。
ちゃぷちゃぷと海面が防波堤にぶつかる音を聞きながら、何処までも続きそうな錯覚を覚える白いコンクリートの上を進んでいると程なくして小さな人影が二つ見えた。
夕立ともう一人はお友達かな、となんとはなしにそんな事を考えている内に豆粒ほどだった片方の人影が猛スピードで見る見るうちに人の形になり、果てはくっきりと金髪美少女の姿になって認識できた時には既に何もかもが遅かった。
「セイジさーんっ、会いたかったっぽーいっ!」
夕立はそのスピードのまま躊躇うことなく俺の胸へとその両手を広げて飛び込んできた。
俺は制止させることも諦めて、腰に力を入れてなんとか彼女の猪突猛進ぶりを受け止めた。抱き着かれた瞬間肩から背中に激痛が走って内心で悶えた事は言うまでもない。ちょっと変な声出た。
「おー、夕立。遅くなってごめんな。ちょっと執務室でひと悶着あって時間掛かっちまった」
「ん-ん、来てくれただけでとっても嬉しいっぽい!」
俺の腰に抱き着いたまま顔だけ上げて満面の笑みで言葉を返してくれる夕立にちょっと涙が出そうになった。さっきまでの殺伐とした雰囲気に打ちのめされた心が癒されていくのを震えるほどに感じる。突如出てくる竹刀とか鋭利な言葉とかそんなのいらんかったんや。
「よしよし、長期任務お疲れ様だな。偉いぞ夕立」
「えへへ~」
俺のみぞおち当たりにぐりぐりと顔を埋めてくる彼女の髪をわしゃわしゃと撫でる。実際長期間警備府を離れて任務に臨んでいたんだ、俺にできる事はしてやりたい。
と、一頻り夕立を愛でたところで、ふと少し離れたところで唖然とした表情を浮かべているもう一人の少女と目が合った。しまった、夕立との再会を祝いすぎて存在を忘れてしまっていた。
慌てて夕立に彼女について紹介してもらうようにお願いする。
「夕立、彼女はお友達?」
「うんっ、紹介するね。柳森警備府所属の叢雲っぽい」
叢雲と、そう呼ばれた少女はとても特徴のある美少女だった。陽光に映える銀髪に意志の強そうな緋色の大きな瞳。前髪は横に綺麗に切りそろえられており、ボリュームのある両横の髪は赤いリボンで括られている。年のころは背丈から見ても夕立と同年代程度に見えるが、纏う雰囲気からか少し大人びて見える。
「藤原警備府所属の阿形誠二だ。今は任務で九条警備府にお世話になっている。まだまだ新米だがよろしく頼む。叢雲、と呼ばせてもらってもいいかな?」
「え、ええ。呉鎮守府管轄柳森警備府所属、特Ⅰ型駆逐艦の五番艦、叢雲よ。その、よろしく。阿形さん、で良いのかしら」
「ああ、なんとでも好きに呼んでくれ」
叢雲は突然の光景に目を白黒させながらも、おずおずといった形で俺の差し出した右手を握ってくれる。もしかしなくても初対面でちゃんと握手に応じてくれたのは何気に初めてではないだろうか。
「夕立の言うセイジさんって男の人だったのね」
「言ってなかったっぽい?」
「まあ、聞かされてないわね」
夕立の天然っぷりに、腰に右手を当てて小さく溜息を吐いた後、叢雲は既に切り替えたのか落ち着いた口調で話を続けてきた。なんというか精神が落ち着いていて、頭の良さをひしひしと感じる立ち居振る舞いだ。
「男って事は驚きだったけど、それよりも夕立と本当に仲が良さそうなのがもっと驚きだし、なにより失礼な物言いかもだけど私に対しても嫌味が感じられないわ」
「セイジさんと夕立は相思相愛っぽい」
「あーまあ、いきなりで信じてもらおうとは思ってないけど、俺は夕立達艦娘の容姿に好感を抱いているからな。もちろん容姿だけでもないけど、その点でいえば叢雲も当然美少女に思えてるよ」
「……あー」
俺の言葉に叢雲は額に手をかざして天を仰いだり、腕を組んで右足をたんたんと鳴らして何かを呟いたりしている。まあいきなり信じろと言うのも無理な話、だがここ数か月を振り返ってみても俺側の行動と言動は恥ずかしいぐらいにちぐはぐだったように思えた。
若い男である俺はそれだけで好感度の下駄を履かせてもらっているようなもの。だがそれもこの世界での価値観だ。変に否定して意味も無く自己否定するから妙な溝が生まれる。
うぬぼれる訳ではないが、恵まれた立ち位置に居る事は否定しない事にする。自己評価との違和感はぬぐえないがこの辺りはおいおいすり合わせていくしかないだろう。
ただ一点与えられた環境に胡坐をかいて自分を磨く努力を忘れてしまう事だけは無いように心に刻む。何処まで行っても俺は俺でしかないからな。
「にわかには信じがたいけど、こうして会話が普通にできるってだけでも普通の男性とは思えないわね」
「よく言われるよ。でも本当に俺は君たち艦娘と仲良くなりたいし、困っていたら力になりたいんだ。だから叢雲も何か困ったことがあったらいつでも相談してくれ。俺にできる範囲の事ならなんでもやるからさ」
俺の言葉に叢雲は少し面食らったように頬を掻いている。
「……その気持ちは素直に嬉しいけど少し不用心ね。誰にでもそんな事を言っているとしたら何処かで襲われかねないわよ」
「その辺は一応わきまえてるつもりだよ。俺が好きなのは艦娘たちと一部の人たちで大多数の女性は好みの範囲外だから。特にあの厚化粧なんかはかなり苦手だ」
「それは私が同じような化粧をしたらあなたは嫌いになるってこと?」
「嫌いってほどにはならないと思うが、できれば艦娘のみんなにはそのままの姿で居て欲しいかな。当然俺の意志で無理強いする気は無いけどさ」
俺の説明に叢雲はまたなにやら一人で考え込んでいる。たぶんそうすることが叢雲なりの情報整理の仕方なのだろう。
「なんにせよ叢雲も長期任務を終えたばかりだろ。お疲れ様」
「セイジさんセイジさんっ! 叢雲もいっぱい頑張ったっぽい、なでなでしてあげてっ!」
「あー、髪に触れてもいいか?」
「構わないわ」
そう言ってくれた叢雲の頭を極力不快にならないように優しく撫でる。さらさらの彼女の髪は触り心地が滑らかだ。
「頑張ったな、叢雲」
「なるほど……これはなんというか悪くない気分ね。それで夕立はいつまで阿形さんに引っ付いてるつもりなの?」
「枯渇していたセイジさん成分を充電中っぽいー、叢雲もどう? とっても良い匂いがするよ?」
「夕立、流石にそのお誘いまではどうかと思うぞ」
匂いはデリカシーの部分が大きいからな。平気な夕立なら良いが、叢雲から臭いとか思われると俺が悲しい。
「それも悪くなさそうね」
「マジですかい」
「逆側、失礼しても?」
「まあ、叢雲が良いならいいけど」
そう答えると夕立とは逆側の懐に潜り込んで密着してくる叢雲。彼女も思いのほかアグレッシブな性格をしている。というより美少女二人に両側から密着されるという状況に俺の理性がそれなりにヤバい。仕方が無いので俺は無心で素数を数える事にした。
「これ、不思議ね。男の人に触れるなんて初めてで緊張してるのに、なんだかとても落ち着くわ。まるでお日様みたいな温かい匂い……」
「セイジさんは特別っぽい。身体から艦娘を癒す特殊な成分が滲みだしてるっぽい」
「さながら動く人間ドックね。本営にバレたら大変な事になりそう」
「だ、駄目だよ! 内緒にしないと偉い人にセイジさん取られちゃう!」
俺の両脇に密着して匂いを嗅ぎながら、お花畑の会話を続ける二人。
ともすれば当然俺の方にも彼女たちの柔らかいアレコレが至る所にふよふよと当たるわけで。
そうして二人が満足して俺の両脇を離れたころには、俺の素数は数字という概念を超えて宇宙という概念の創造起原というところにまで達していた。有体に言えば何も分からなくなった。
アグレッシブな美少女って怖い。
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