翌日、早朝から俺は藤原提督の居る執務室を訪れていた。
「昨日はごめんなさいね。折角の歓迎会だったのに」
湯呑に急須から緑茶を注ぎつつ、藤原提督がそんな謝罪を口にする。昨日の歓迎会に出席出来なかった事を詫びているようだ。
ちなみに俺は今執務室に設えられたソファーに座っている。とんでもなくふわふわで高級感満載だ。
「いや、仕事優先なのは当然ですから、気にしないで下さい。それにこう言っちゃなんですけど時雨と少し話もできましたし、俺にとっては有意義な時間でしたから」
前半の虚無は黙っておこう、お互いのために。
湯呑を俺の前に置いて、藤原提督が対面に腰掛ける。
「ついさっき時雨からも聞いたわ。あの子生真面目だから表情から心情を読むのは難しいけれど、珍しく嬉しそうに話してくれたのよ。阿形さんが誘ってくれたんでしょう? ありがとうね」
「分かるんですか?」
「ええ、口角が普段より2ミリも上がっていたから間違いないわ」
それはもはや誤差では?
俺の疑惑の視線から何を読み取ったのか藤原提督は『数年も常に一緒にいると、案外分かるものよ』と涼し気に笑みを浮かべた。
この人は何処か常に余裕を感じさせる。年の功というやつだろうか。
「その顔は何か失礼なことを考えてる顔ね」
「滅相もございません」
そして勘も鋭い。絶対に敵に回してはいけないタイプである。
「それで、俺に話というのは」
「昨日のうちに本営からあなたの制服を預かってきたの。それを渡しておこうと思って」
「制服ですか」
言って、藤原提督は奥から真新しい白の制服を手渡してくる。
昔の社会の授業なんかで何度か目にした事があるようなデザインの所謂、軍服だ。まさか自分がこれを着る日がくるとは思わなかった。
「最初は窮屈に感じるかもしれないけど、慣れればそれなりに快適だから。あと、これも渡しておくわ」
「軍艦を模した……バッジ?」
「海軍所属である事を表す軍章よ。あなたは男だから。特に私服で外を歩くときは見える部分に付けておいて。無用なトラブルを防いでくれるわ」
なるほど、軍の関係者に無闇にちょっかいを出してくるものは居ないって事か。
ありがたく身に着けさせてもらおう。
「そういえば一つ気になってたんですが、俺の出自ってこの世界ではどうなってるんですかね?」
「表向きには施設で育った孤児という事になってるわ。けれどそこはあまり気にしなくていいわよ。転移者の身の上については最低限不都合にならないように世界の強制力が働いているから」
「それって」
「そうね、十中八九女神様の仕業ね」
もはや慣れたといった様子で、藤原提督は湯呑を傾けている。
あの時、女神が言っていた下地とやらはこういう意味だったのかと今更ながらに理解する。言外にお前は前だけ見てろと言われている気もするが。
「たびたび申し訳ないわね。自由だなんだと言っておいて、結局あなたに負担を強いてるわ」
「いやいや、そんな事ないですって」
ふーっと息を吐きつつ、右手の親指と人差し指で目頭を押さえる藤原提督。だいぶお疲れのようだ。
俺としては十二分に藤原提督には助けられていると思っている。この人がいなかったら今頃俺はどうなっていたか、想像しただけで恐ろしい。
「その代わりと言ってはなんだけど、一般職員としてのお給料はちゃんと出るようになってるから」
「それはありがたいですけど、いいんですかね?」
俺、一般人ですけど。
「いいのよ。碌に艦娘のためにも使われない予算なんて、あってもなくても同じようなものなんだから」
怒り心頭、といった様子だな
国民の血税をなんだと思っているのかしら、となおもぶつくさ呟いている。
この人はこんな世界でも、本当に艦娘ひとりひとりの事を考えて動いている。だからこそ苦労や敵も多いはず。もっとも本人はそれを苦労だなんて思っていないだろうが。
「あと、これも」
「これは?」
執務机から取り出された何やら封筒らしきものを受け取る。
そのまま中身を見て、ぎょっとする。
「こちらに来たばかりで、何かと入用でしょう」
「いやいや、流石に受け取れませんってこんな大金」
封筒に入っていたのは見紛う事なきお金。正確に数えてはいないがおそらく諭吉が二十枚ぐらい包まれていた。
「そうは言うけど、あなたこれから給料が発生するまでの期間、軍服とTシャツ一枚で過ごすつもり?」
「ぐぬっ……」
「時雨たちも不潔な男は嫌いだと思うけれど」
「ぐぬぬっ……」
「遠慮や気遣いが出来るのは美徳よ。でもこの世界ではそれが仇にも甘さにもなる。貰えるものは貰っておきなさい。それがこの世界で生きていくコツよ」
「……ありがたく、使わせてもらいます」
確かに、藤原提督の言う通りだ。先立つものがなければ、生活もままならない。
だが、流石に額が額なので、給料が入ったら少しづつ返していくことにしよう。なんとなく断られそうだが、その時は時雨たちに使えば良い。
「あら、もうこんな時間。阿形さん、あなた朝食は食べる人?」
「ええまあ、基本的には」
「そう、丁度良いわ。鳳翔が準備してるはずだから、よかったら食堂に寄ってあげて」
「分かりました」
壁掛けの時計に目をやると。時刻は午前八時を少し回ったところ。軽く礼を伝えて、執務室を後にする。しかし、この世界の特異な環境にばかり気を取られて、基本的な事を忘れていた。人間は金が無ければ生きていけないのだ。
「朝飯を食ったら、買い出しに出てみるか」
頭の中で今後の予定を組み立てながら、とりあえず俺は食堂へと向かうことにした
「すぐに準備しますので、少々お待ちいただけますか」
食堂に着くなり、テーブルを拭いていた鳳翔に朝食を取りたい旨を伝えるとすぐに準備に取り掛かってくれた。俺が現れたことに最初はやや驚いていたようだが、瞬時に切り替えて仕事に戻れるあたりに有能さをひしひしと感じる。すぐに怠ける俺とはえらい違いだ。
ちなみに一度、部屋に戻って着替えたため今俺は上下真新しい白の軍服に包まれている。似合わないにも程があるが、今はこれしかないので仕方がない。
「お待たせしました」
「おお!」
待つこと十分、厨房から運んで来てくれた朝食を見て思わず声が出る。
白飯にわかめと豆腐の味噌汁。焼き鮭にほうれん草のおひたし、卵焼きに焼きのりに沢庵とこれぞ日本の朝食と言ったラインナップだ。実に美味そうである。
早速手を合わせて、味噌汁を一口。
「あー……」
思わず声が出た。五臓六腑に染み渡るとはこういう事を言うのか、薄過ぎず濃過ぎず絶妙なバランスで保たれた味付けに箸が進むのなんの。
「簡単なものしかお出し出来ませんが」
「いや、最高に美味い。これ全部、鳳翔の手作りか?」
「…………」
問いに返答がないので、視線を横に移すと鳳翔が立ったまま盆で口元を隠した姿で固まっていた。なんだ?
「鳳翔?」
「え、あ、すいません! はい、此処での食事は基本私が担当させて頂いています」
「そうなのか。だとしたら俺はラッキーだな。こんな美味い飯が毎日食えるなんて、それだけでも此処に来た甲斐があるってもんだ」
「…………」
卵焼きを口に運び、幸せを噛み締めている俺を鳳翔がなんとも言えない表情で見つめてくる。少し大袈裟だったか、とも思ったがこの味は素直にそう思えるだけの美味さだったので訂正はしないでおいた。
しかし食事担当か……ん?
そこで、ふと気付く。
「って事は昨日の歓迎会の料理を準備してくれたのも」
そこまで言って、しかし先に鳳翔が深々と頭を下げてきた。
「昨日は歓迎会に出席せず、大変失礼致しました」
「あー、いやいや、理由はなんとなく時雨に聞いてるから気にしないでくれ」
話が思わぬ方向に逸れて、慌てて片手を振った。そんな俺をまた鳳翔がじっと見つめてくる。
なんだろう、時雨の時とはまた正反対の色の読めない視線。疑いとも奇異とも異なる、何処か見定めるような、そんな瞳の色――。
しかしその後すぐに元の柔和な表情に戻ったので、それ以上は考えるのを止めた。
「昨日の料理も美味かった。あれだけの量だ、手間も時間も掛っただろ。ありがとな」
「いえ、それが私の仕事ですから。それよりも今朝聞いたのですが、その場に居合わせた時雨を誘ったと」
「ああ」
「何故ですか?」
問いの意味が分からない。
だが、真剣な表情の鳳翔に嘘や誤魔化しは悪手な気もする。だから俺は正直に話すことにした。
「そりゃ寂しかったからなんだが」
「……寂しい、ですか?」
俺の答えが意外だったのかぽかんとした表情で言葉を繰り返す鳳翔。
これ以上はなんか自分の人間性の矮小さを見せるみたいで嫌なんだがなあ。
「いや、歓迎会に一人ぼっちで虚無ってた俺に、偶然とはいえ現れた人間を理由を聞いてハイそうですかと返せるほど、俺の心は鋼でできてないのよ?」
「その相手が時雨や加賀、私であったとしてもでしょうか?」
「当たり前だろ? と言うかそこ誰かって関係あるか?」
もしかしたら鳳翔は、艦娘の容姿に関する何某かの事を言ってるのかもしれない。だが、昨日今日此処に来た俺にとってそのややこしい問題は未だ理解の範囲外だ。俺からすれば三人とも美少女だし、かと言ってそれをそのまま伝えたところで世辞か口先だけのクソ野郎に見られるだけだ。
だから俺はもうゴチャゴチャ考えるのは止めた。これまでどおり俺は俺の感性に従ってこいつらと付き合っていく。常識とは十八歳までに身に着けた偏見のコレクションの事だって昔の偉い誰かも言ってたしな! この世界の常識なんてクソ食らえってんだ!
俺の言葉を反芻していた鳳翔が、微苦笑を浮かべながら、
「阿形さんって、変な人ですね」
「まあ、よく言われるよ」
納得とは行かないまでも少しは理解されたのか、鳳翔がそんな評価の判を押してくる。
丁度、料理も食べ終えたところなので、箸を置き、手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です」
空になった食器類は厨房から飛んできた妖精がさっさと片付けて行ってしまった。なるほどこういう形で艦娘をサポートしている働き者の妖精もいるというわけか。俺の頭の上で日中惰眠を貪っているバカタレも見習ってほしいものだ。
「そういえば、昨日の余った料理ってどうなったんだ?」
「あの料理なら、今朝加賀さんが一人で片付けてくれました」
「……マジかよ」
軽く五人前ぐらいは残っていた筈なんだが。あんな綺麗な顔してどうやってあの量を食べているのか想像もつかんな。
「時雨と加賀は今日は何処か行っているのか?」
「警備府の艦娘は基本、系列先の鎮守府に派遣される形で任務に向かいます。二人は今朝方それぞれの鎮守府に向かったところです。帰りは任務内容にもよりますが夜になる事が多いですね」
「なるほど」
可能であれば、三人のうちの誰かと一緒に買い出しに出かけたかったんだが。二人は無理そうだ。
「鳳翔は行かないのか?」
「私は今はもう前線からは離れていまして、主にこの警備府の運営と後進の育成に尽力しています」
「ちなみに今日のご予定は?」
「今日は特にしなければいけないという事もないので、お部屋の掃除でもしようかと」
ふむ、となればこれは提案してみてもいいかもしれない。
「鳳翔、一つ頼みたいことがあるんだが」
「なんでしょうか?」
厨房へと共に歩を進めながら、至極真面目に考えていた事を口にする。
「今日これから俺とデートしてくれないか?」
同時に横でズルっと何かが滑る音がしたかと思うと、割と大きな音でべたんと何かが地面に叩かれる音が追加された。
横を見ると鳳翔が転げていた。割烹着に包まれたお尻が突き出されている姿を見ると何処かドキドキしてしまう。あの服にはやはり浪漫が詰まっている。
その後、耳まで真っ赤にした鳳翔にこっぴどく注意されてしまった。
しかし彼女のような美女の怒った姿も悪くないと思ってしまうのは、男なら仕方のない事であろう。
デート云々の話は冗談のつもりだったのだがなあ。
まあ最終的には一緒に買い出しに行ってくれる約束を取り付けられたので良しとしよう。