艦娘、翔鶴は紛れもない天才である。
少なくとも同僚である叢雲はそう確信して疑わない。
普段の彼女はおっとりしていて、それでいてどこか天然味を感じさせるお姉さんであるところは翔鶴を知っている人ならば誰しもが納得するところ。書類を抱えて執務室を目指していて、気が付いたら自室に戻ってお茶を飲んでいたなんていうエピソードには事欠かない。
その所作や言葉遣いから礼儀正しいように見えて、実際のところ礼儀は弁えているのは間違いないのだが、その裏に潜む問題児行動も忘れてはならない。
普段から目的から逸れて、寄り道をするのもしょっちゅうだし。
楽しそうな場所にはすぐにふらふらと吸い寄せられていくし。
エッチな事にも興味津々だし。
たまに小学五年生みたいなしょうもない悪戯を仕掛けたりするし。
物腰柔らかな態度とは裏腹に問題行動には事欠かなく、流石は問題児集団の柳森警備府の一員だと言われてもぐうの音も出ないほど、礼儀正しさと狂人の両方の側面を併せ持っている。
しかしそんな彼女だが、戦場にひとたび出てしまえばその印象は完全に変わる。
最初に叢雲が彼女の天才性を垣間見たのは、翔鶴と共に出撃した幾度目かの警備府近海での事だ。
共に隊列を組んで哨戒していた翔鶴が、ふいに立ち止まって水平線の遥か向こうへと視線を向けたのである。
「どうしたの?」
そんな叢雲の問いかけにも答えず、翔鶴の琥珀色の瞳は遥か遠くの一点をじっと見つめて微動だにしない。
訝し気に思つつ叢雲も、念のためレーダーで翔鶴の視線の先へと探りを入れてみる事に。
結果は特に異状なし。
叢雲は眉根を寄せつつ頭を振り、微動だにしない翔鶴に再度声を掛けようとして――
「――いる」
――突如としてヒュゴウッッと叢雲の頬を風が掠めながら、数機の艦載機が弾かれたように彼方へと飛び上がっていった。
あまりに突然の事態に叢雲の瞳が大きく見開かれる。何を根拠に翔鶴が発艦したのか全く理解が及ばない。意図を測ろうにも、相方の視線は濃紺に染まる水平線の遥か先。
――なんなの、一体。
遅れて、遥か遠くから微かに聴こえる砲撃音。
偵察機ならまだしも爆撃機の無駄打ちなんて後で上から何を言われるか。
せめて資源の回収だけでもと、爆撃機の飛んだ先まで哨戒を続ける叢雲と翔鶴。
内心では資源の無駄遣いの言い訳をどうしようかと悩んでいた叢雲の眼前に突如として広がって見えたのは、小島のすみに潜んでいたであろうはぐれ深海棲艦の残骸。明らかに翔鶴が放った艦載機に撃破された個体だった。
ここで驚いたことが二つ。
一つは叢雲の持つレーダー範囲を超えて届かせる翔鶴の艦載機の継続飛行能力。
二つ目はレーダーすら持たない翔鶴が知覚感覚だけで敵艦船を補足し、撃破してみせた事。
どちらも並の空母が可能な領分を逸脱したレベルの手腕だ。
この後、何故敵がいると分かったのか問いただしても、翔鶴は『なんとなく、かしら』と微笑むだけ。涼しい顔で恐ろしい数の艦載機を縦横無尽に操る彼女の言葉は、いつも要領を得ない。
まるでただそう在るだけ、とでも云うかのように。
その異才たる所以は単純な頭の良さなどでは測れない。
彼女の元来の素養に艦娘、翔鶴としての身体能力・感覚・判断力・航空機運用能力それらが高水準で噛み合っている。それらも他人に説明できるような類のものではなく、天性の戦闘センスとして心身に備わっていた。
それこそ優秀で名高い一航戦と一対一の演習をしても勝ち越せるほどには、艦娘としてのセンスが群を抜いている。それが周囲から見た天才、翔鶴という艦娘の実像だ。
だからこそ、叢雲は現在の状況が理解できなかった。
眼前には夥しいほどの敵艦載機の群れ。それらを対空砲撃でなんとか迎撃しながら、突き出した岩礁を盾に肺に詰まっていた空気を一気に吐き出した。
演習は既に始まっている。
叢雲の視線の先では、彼女同様に対空迎撃に当たる他の三人の姿が。なんとか隊列が崩れるのは防いでいるが、一様にその表情に余裕の色は無い。
戦況は劣勢も劣勢。それが演習が始まってから小一時間で叢雲たちが置かれた状況だった。
「……はあ、はあ」
妖精さんの補助を受けつつ乱雑に弾薬を詰め直しながら、せり上がる焦燥感をなんとか喉元で押し留める。
予測はしていた。
相手は元より優秀な空母が二人。そこに更に藤原警備府から一線級の空母である加賀が加わり、機動力と駆逐随一の火力を誇る夕立を加えた変則的な四人編成。
その四人中三人が空母。なればこそ主軸は航空戦になるであろう事は火を見るより明らかだった。
対してこちらは空母一人に戦艦が一人、軽巡が一人に駆逐が一人。
通常であれば、制空権は絶望的。だが、こちらの空母は
事実、過去の両警備府との対演習成績でも戦績はどっこいだが、航空戦のみに絞ればこちらに分がある戦いができている。加えて今回は北上と叢雲両方に対空装備を積んできているため、対策はばっちりだった――
――筈なのだが。
「んぎいぃぃぃっ!」
叢雲から少し離れた場所から北上が砲撃にさらされて海面を滑り込んでくる。
そのままバタバタと慌てたように叢雲のひざ元に縋りついてきた。
「おいおいおーい、ちょっと話が違うんですけどっ!?」
「ちょっ、足を掴まないで!」
こんなところで味方に絡まれて自爆したなんて結果になったら末代までの恥。叢雲はずり寄ってくる北上をなんとか岩礁の傍まで引き上げた。
そのまま震えたチワワのような様相で、おさげ軽巡はその右手を空へと指差した。
「おかしいって、ねえ! 艦載機があんなに連続で空を飛んでくるって何のチートッ!?」
「ちょっと、落ち着いてって」
耳元で苦情を晒されても、叢雲としても困る話である。
だが、北上の言いたいことも十分に理解できた。
眼前には理不尽の塊。
それもその筈、敵機――つまり赤城達の放つ艦載機の練度が事前予測の遥か上を行っていたからである。
――こんな短期間で……?
ありえない、と言いたくなる気持ちを飲み込み首を振る。
叢雲たちが所属する柳森警備府と、九条警備府、ひいては藤原警備府は同じ呉鎮守府管下であり、その提督も旧知の中である。故に練度向上を目的とした合同任務は頻繁に行われており、演習任務も当然そこに含まれる。
事実、数か月前にも演習は行われており、互いの力量にそこまで差はない事を知っている。
であればこそ、目の前に広がる圧倒的な艦載機の練度と物量差が理解を拒絶する。
「…………ッ!」
「……このっ!」
なおも迫りくる空からの脅威に北上と二人で辛くも迎え撃つ。
同時に無線の先から抑揚の抑えられた聞き覚えのある声が届いてくる。
『……二人とも、無事?』
「なんとか、そっちは?」
『私もなんとか、威嚇射撃でなんとか気を逸らしてるわ。と言っても、翔鶴がギリギリで耐えてくれてる。そうじゃなかったらとっくの昔に海のもずくよ』
「藻屑だよ」
こんなときにボケもツッコミもいらないと、叢雲は北上の頭を叩く。
「翔鶴でギリギリ……か」
それはこの猛撃にも耐える翔鶴への賛辞か、はたまた天才をも飲み込まんとする相手側への畏怖か。
『物量も練度も上回られた相手に、艦載機の操縦技術と集中力だけで凌いでる。あんなに集中してる翔鶴は流石に初めてみるわ……といってもそれも長くは保たないわよ』
「……私が行くわ。懐に入れさえすれば機動力で勝ちの目を拾える。翔鶴には私の周囲の援護を伝えて。二人は翔鶴の援護を」
『了解』
「了解」
万に一つの勝ち目はない。だがこのまま何もできずに終わるのは情けないにも程がある。
ならばせめて一矢報いてやろうと、叢雲は意を決したように身を隠した岩礁から飛び出した。
得てして叢雲の決死の特攻作戦は、辛くも四人の成すべき事を単純明確化したという利点からギリギリのラインで――薄氷の上にではあるが――成立していた。
「ここまでは……なんとか」
相手の艦載機からの爆撃を味方の援護も受けつつ、かろうじて避けて進んできた叢雲。
現在彼女がいる位置は、赤城達の陣取る空母部隊の待つ地点からそう遠くない岩礁地帯の一角であり、ここさえ抜ければ叢雲の一撃でもある程度の損傷を狙えるという、絶妙な場所へとたどり着いていた。
当然相手にも場所が割れている可能性もあるが、激しい爆雷の音と駆逐艦の機動力、合わせて扶桑たちの援護も加えたとなればやすやすと捕まらない自負が叢雲にはある。
「……ふう」
激しく鼓動する心臓を休めるように、一度吸った息を深く吐き戻していく。
気が付けば陽が沈み始めていた。そこでふと演習開始前に九条提督が零した言葉が脳裏に甦ってくる。
――演習後には夕食の席を準備している。
「夕食、か」
そこには間違いなくあの人も参加するのだろう。
前回は挨拶を交わす程度しかできなかった。交流するのならば、そこでという許可も出ている事だし、今回はもしかしたらもう少しお互いを知り合えるかもしれない。
「……ふふっ」
そう考えると自然と笑みが零れた。
人と話す事をこれほど楽しみにした事はいったい何時以来か。少々気恥ずかしさを感じるが、決して不快ではない。
と、そこまで思考を廻らして、叢雲は両手で頬をパシンと叩いた。今は余計な事に気を取られている場合ではない。
「私には私のやる事が――」
刹那、在る疑問が叢雲の脳裏を駆け巡る。
数ある艦種の中でも、駆逐艦は非力な方である。
いくら火力がある、と言えど単純火力で重巡や戦艦と比較すればその差は歴然。その代わり、速力や機動力、迂回や小回りなどの小技の柔軟性は他を補って余りある。
裏を返せば単艦ではなかなかにその性能を活かしきれない、ゆえに駆逐艦一人での単機行動が相手の裏を突く場合が往々にして存在する。
それはつまり今の叢雲のように。
叢雲の背筋に一筋の汗が流れる。
何時からだ、何時からその存在を軽視していた? 駆逐艦は火力に乏しく、単機特攻は不向き故に自然と相手の主力である空母の近くでサポートに回るといつから決めつけていた?
艤装の加護によって強化された叢雲の視界には、既に相手空母三人の姿をはっきりと捉えている。そこまでの距離にいて、未だサポート役の姿が見えないなんてことが果たしてあるだろうか。
もし。
もしも、である。
翔鶴が最初からある程度航空戦で持ち堪えると、速度の出ない扶桑が翔鶴の援護と威嚇射撃に徹すると予測されていたならば。動くとすれば、北上よりも機動力で勝る叢雲だと最初からマークされていたならば――
――
「みーつけたっ」
「……ッッ!!」
咄嗟に叢雲は身を隠していた岩礁から飛び出した。数舜遅れて、叢雲が元居た場所に激しい水柱が立ち昇る。
そのすぐそばに駆逐艦、夕立が立っていた。間違いない。演習開始から彼女はずっと叢雲を探し、追いかけていたのだ。
「……随分と尾行が上手くなったのね、夕立」
「これでも結構頑張ったっぽい! 探知に掛からない様に遠く遠く遠回りして、赤城達にうずうずして飛び出さない様にって何回も念押しされたから」
「尾行だけじゃなく、我慢も覚えたなんて凄いじゃない……っの!」
なんとか場を切り抜ける思考を続けながら砲撃するも、身軽な夕立にひらりと躱される。それだけならまだしも、その流れの中から反撃までされて、交わしきれずに被弾してしまう。
こちらも以前の夕立とは動きが違う……この数回のやり合いでも理解できてしまう程に。
「……ふッ!」
「おっとっぽい」
目くらまし狙いの足元への砲撃も、軽快な動きで捌かれてしまい動けない。
普段はぽやぽやしている夕立だが、こと戦闘となると別人のように隙を見せなくなる。この辺りは翔鶴の才と似たようなものを感じる部分だが、今はその嗅覚もより一層研ぎ澄まされているように見える。
その後もなんとか状況を打開すべくあらゆる手を打ってみるも、そのこと如くが夕立によって阻まれてしまう。その度に反撃を受けて、気が付けば叢雲は満身創痍でなんとかその場に立っているという状況まで追い込まれてしまった。
……ここまで、か。
空を覆っていた艦載機の群も、いつの間にか消えている。おそらく、というか十中八九、耐え続けていた翔鶴が落ちた事で一気に押し込まれたのだろう。
此処にまで艦載機が飛んでこないのは、あちらもこちらの状況を把握しているという証左だ。
後は自分が大破判定をくらえば、そこで演習も終了である。
「……落ちる前に一つ聞いても良い?」
「いいよ」
悔しい。
その胸に起こった感情に少しだけ驚きつつも、素直に受け止めながら、叢雲は聞いた。
「貴方達をそこまで強くしてくれるのは……阿形さんのおかげ?」
「うんっ!」
叢雲の問いに、夕立は嬉しそうに満面の笑みを浮かべてニカっと笑った。疑うことなく、今まで見せなかったような、まるで太陽のようなとびっきりの笑顔で。
それこそ、予想はできていた。この短期間で彼女たちの周囲で変わったことと言えば。彼の事ぐらいだ。
「そっか、なら良いわ」
そう、それなら良い。
貴方たちに可能性があるというのなら、それは自分たちにもあるという事なのだから。
ただ、少しだけ思うところがあるとすれば、彼に良いところを見せられなかった事ぐらいか。
まあ、それは次の機会に預ける事としよう。
「とりあえず、今日のところは負けておいてあげる」
それだけを伝えて、叢雲は脱力するように全身を海面に投げ出した。
その場所から遠く離れた演習場の端場の一角では、演習終了を告げる白のフラッグがゆらゆらとはためいていた。