翌日、俺を含めた両警備府の面々は室内演習場に集まっていた。
目的は俺の能力の経過を計るため。実地演習も残りわずかとなった今、改めて理解に及ぶ範囲を纏めようという算段だ。
俺の胡坐の上には青い顔をした加賀が横たわっている。昨日飲み過ぎた影響か、すこぶる体調がよろしくないらしい。
「…………」
加賀の額にそっと手を置いて、川底に沈む石をイメージしながら、すとんと意識を落とす。暫くして、すぐに枝分かれした光の流れと意識の同期が完了する。
別段、変わったところはない。枝分かれした光のほつれも絡まりも、異常は特に見当たらない。だが、いつもはもっと明るいはずの光そのものが、今は何処か弱弱しく微弱に揺れている。
これは恐らく、アレだ。二日酔いによる悪影響が神経光――そう呼ぶらしい――にも反映されている。
俺はなるべく刺激しないように、労わるような気持ちで神経光が正常に流れるように意識を傾けた。
「凄い……真っ青だった加賀の頬に赤みが」
やや離れたところから届く、叢雲の感心したような声音。
どうやらそれなりに効果はあったようだ。
「体調の方はどうだ、加賀」
「んむぅ……もう少し」
なおも俺の胡坐に顔を埋める加賀の綺麗な黒髪を優しく撫でる。
まあ、二日酔いの辛さは俺にも理解できるからな。そんな俺たちを見て、北上がわなわなと唇を震わせる。
「叢雲監督ゥ! 加賀の奴、あんな事言ってウチの黒一点にだだ甘えしてるだけっす! 俺、許せないっす!」
「誰が監督よ、そしてなんでそんな下っ端口調なの?」
「っちゅうか、阿形さんもキミらのちゃうし」
「まあでもとりあえず、
「あ、赤城さん、ちょ、足を掴むのは待っあぁぁあああ……」
そのまま加賀はずるずると足を引っ張られて視界から消えていった。
入れ替わるように、少し離れた場所から様子を見ていた両提督の一人、九条提督がこちらに近付いてくる。
「今のは、加賀の体調を鑑みての施術か?」
「ええ、まあ、そうですね。だいぶ辛そうだったんで」
「凄いな。さっきまで死人同然だった人間を、あそこまで回復させるとは」
「たまたまですよ。この力にそんな即効性はありません」
俺の言葉に、九条提督はふむ、と頷いて指を顎に当ててなにやら思案している。
事実、俺のこの能力に、外傷を瞬時に癒すような即効性は無いことは既に確認済みだ。精々、傷の治りが少しだけ早くなる程度の効能でしかない。
「それは阿形クンの力が、内向き中心に流れてるからかもしれないね」
気が付けば、柳森提督も傍に立っていた。
「内向き?」
「そう、内向き。君から流れ出した光の奔流は加賀の身体の中心を経由して、波紋のように広がっていたからね。身体の外側で起こる外傷とかは内側より干渉を受け辛いのかも」
「……俺、光ってました?」
「ぼんやりとな」
マジか。そんな世界面白人間みたいになってたなんて、ちょっと恥ずかしい。
「私たちが海図を視る時に起こる現象と似たようなものだ。なに、よっぽど素養のある人間にしか見えない程度だから安心しろ」
九条提督曰く、柳森提督程はっきりと見えるのは一種の才能らしい。
やはり提督になるような人たちは素養からして特別なんだな、と感心している間に次の人間の準備が整ったようなので、そちらへと身体を向ける。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくな、翔鶴」
翔鶴が折り目正しくこちらに頭を下げてきたので、俺もそれに合わせる。
俺の体調を鑑みて、今日は二人までと決められているので、柳森警備府代表として彼女が選ばれた形だ。なんというか俺の都合に彼女たちを付き合わせているようで負い目もあるが、そこは今後のためと割り切って今できる事をやろう。
「じゃあ、そこに座ってくれ」
「はい」
……しかしなんというか、彼女たち艦娘と触れ合うこの瞬間だけは、何度やっても慣れないな。
どれだけ取り繕っても、美少女と触れ合う事に俺の内なる童貞心が暴れ出そうとする。こんな事なら恥も外聞も捨てて、もっと女の子と遊べるお店に通い詰めておくべきだったか。
――いやまあ、これに慣れて作業の様に彼女たちと接するのも、それはそれで違うとは思うが。
などと益体も無いことを考えていても仕方が無いので、一度深呼吸をして意識を目の前の翔鶴の手に集中する。
「それじゃあ、翔鶴。手を――」
「……ん」
ん?
……どうしてこの子は両手を広げて待っているの?
「あ、いや、別にそこまで密着する必要はなくてだな? 手を貸してもらえればそれで――」
「……ん」
た、試されているというのか、俺の童貞心が。
思わず助けを求めて柳森提督に視線を向けると、満面の笑みで親指を立てられた。提督ズはこういう時、本当に役に立たない木偶の坊と化す。
視線を戻すと、翔鶴の綺麗な琥珀色の瞳と目が合った。意気込むように小さくふんすと鼻を鳴らす姿が俺の理性をがりがりと剝ぎ取っていく。美人な上に可愛さも併せ持ってるなんて、天は二物を簡単に与えるから困る。
だが、ここで二の足を踏んでいては一向に事が進まない。
腹の下に力を込めたまま、意を決して翔鶴を迎え入れる。
「嫌なら、すぐに離れてくれていいからな」
「……むふー」
胸の内に収まる翔鶴からほんのり甘いような、良い匂いが漂ってくる。
マズい、動悸が収まらない。集中しなければいけないという頭と、無茶言うなという心臓が激しくゴングを鳴らしている。
「か、監督ゥ! なんかやらしいことしてませんアレェ!?」
「う、うるさいっての!」
「なんか、見てるこっちがドキドキしてまうな」
「翔鶴があんなに甘える仕草を見せるなんて……」
「私も次はアレにします」
「あれはセイジさんの得意技の幸せスパイラルっぽい! ぎゅってして相手を幸せにする効果があるっぽい!」
「興奮し過ぎよ、夕立。それはそうとして、この扶桑にもその話を詳しく――」
外野がうるさい。
至る所から感じる柔らかい感触を俺は素数を数える事で、ひたすら忘れるように努める。もはや気にしない事は無理なので、その上で集中するように無理やり意識を切り替える。
「…………」
意識を落とした先には、無数の神経光が幾重にも枝を伸ばしていた。他の誰よりも幅広く力強い光の奔流に、翔鶴の才能の一端を垣間見たような気分になる。
だが。
「――これは……」
一通り確認を終えて、俺は意識を浮上させた。彼女の頭をぽんぽんと撫でると、そこでようやく翔鶴も離れてくれる。そのまま彼女は何かを確かめるように艦載機をくるくると指で飛行させる。
その表情は明るく、はしゃぐように北上たちの元へと戻っていった。
それを見届けた後、俺はある懸念を伝えるために提督ズの元へと足を運んだ。
「すいません、柳森提督」
「ん、どうかしたかな」
「翔鶴なんですが、最近の任務等で、右肩の辺りを痛めた事はありませんか?」
「ちょっと待ってね。……報告では上がってきてないけど」
やはり、か。
こちらを見つめる柳森提督に、俺は努めて冷静な声音で結論を述べた。
「たぶん、翔鶴怪我してます。光の絡まりの大きさからして、結構痛みも出てる筈です」
「…………ッ!」
俺の指摘を聞いて、柳森提督はすぐに翔鶴の元へ。ちょっと怒ってたかもしれない。
「ぱっと見、元気そうに見えたが」
「おそらく、我慢してますね。今まで感じた中で一番デカいほつれでしたし」
「君が治すことはできないのか?」
「できるかもしれませんが、時間が掛かります」
不調の原因である神経光のほつれや纏まりは無理に解こうとすると、本人に痛みや不快感などの反動が起きる。治すとしても、時間を掛けて少しづつ正常な形に戻していく他に手はない。
「いやはや参ったよ。阿形クンの言った通りだった」
頭をガシガシと搔きながら、柳森提督が戻ってくる。遠目では、ちゃんと怒られたのかしょんぼりとしてる翔鶴が視界に入った。
「前回の出撃で、肩回りに被弾していたのを隠していたみたい。まったく、ドックで入渠しても違和感が残る場合は必ず報告しろって口酸っぱく言ってるのに」
「艦娘は怪我を隠しがちだからな」
怒られたくないのと、心配させたくないが報告を怠る二大理由らしい。
「患部以外にも、ところどころ疲弊している箇所が見受けられます。帰ったら少し休ませた方が良いかもしれません」
「翔鶴はその出力故に、他の子より身体に掛かる負担が大きいのかもしれんな」
「帰ったら休ませるよ。ありがとうね、阿形クン。危うく翔鶴を酷使させてしまうところだった」
「お役に立てたなら良かったです」
素人目線だったが、二人は懐疑の目をむけるでもなく、ちゃんと俺の伝えた事に耳を傾けてくれた。こういうところで改めて、俺はひとに恵まれている事を実感する。
その後、要点を纏めて報告書を作り、その場は解散になった。
このタイミングで叢雲たち柳森警備府一同も任務終了という事で、名残惜しみつつも帰投を見送った。
叢雲たちと別れた後、俺はひとり工廠に足を運んでいた。
古くなった艤装を手に流れる光脈を感じ取りながら、糸を紡ぐように損傷個所を修繕する。内容としては地味だが、これが程よく難しく、集中できて今の俺には丁度良い鍛錬方法になっている。
「たまたま立ち寄った場所だったが、思いがけず日課になったな」
あの日、妖精について行こうと思わなかったら、この能力の発見も鍛錬も更に遅れていた。
他の人にとってはただの灰と煤に塗れた場所でしかなくても、俺にとってはちゃんと訪れる意味があったのだから、彼女たちにも感謝である。
「その礼が、飴玉なんかで申し訳ないけどな」
「よきにはからえ」
「べすとちょいす」
飴玉の入った袋を開けて置いておいたら、いつの間にか俺の周囲に妖精が湧いていた。例の如く頭の上に寝そべるあいつも、もごもごと口いっぱいに飴玉を頬張っている。お前も此処の皆を見習って働いたらどうなんだ。
「とはいえ、此処に来るのも終わりか」
「…………?」
「何って、帰るんだよ、藤原警備府に。実地演習の日にちも残りわずかだからな」
言い終わるや否や、凄まじい程のブーイングが俺の耳を劈いた。
「いや、仕方ないだろ。任務で来てるんだから」
「……あめだま」
「くちおしや」
俺の言葉に、沈痛の面持ちで飴玉の袋を見やる妖精たち。
さてはこいつらあれだな? 俺の事を自動でおやつを持ってくる便利な人間ぐらいにしか認識してないな?
「そんなに落ち込まなくても、また来る機会はどこかであるだろ。その時には土産にアイスでも買ってきてやるよ」
「……どらやき」
「……けーき」
「大概、強欲だよな……お前らも」
そんな事をやっている俺たちの前で監督係っぽい妖精が盛大にホイッスルを鳴らす。その音を聞いて、だらけていた妖精たちは慌てたように自らの持ち場へと逃げるように帰っていった。
ぽつんと残された俺と一匹。
「……俺も戻るか」
そこで腰を上げて――ふと誰かに呼ばれた気がして振り返る。
「……お前は艤装の」
「…………」
そこにはいつぞやの彼女がふわふわと浮いていた。俺が能力を自覚するきっかけになった、艤装が壊れて泣きべそ搔いていた彼女だ。もしかしたら別れの挨拶に来てくれたのかもしれない。
「どうだ、あれから困ったことはないか?」
「…………」
俺の言葉に彼女はふるふると首を振った。その手は相変わらず煤に塗れている。きっと今の今まで、自分の仕事に打ち込んでいたのだろう。
仕事に一生懸命で、でも少しどん臭い彼女のようなタイプにはどこかで報われてほしい気持ちになる。
「……かえる?」
「そうだな。此処に来るのは今日で最後だ」
その言葉に彼女は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた気がした。
「まあ、また困ったことがあったら九条提督を通して連絡でもしてくれよ。可能な限り手伝いにくるからさ」
叶えられるかどうかも分からない、口約束。
それでも彼女の表情を笑顔に変えられるくらいの意味はあったようで安心する。
「これ……あげる」
「これは……」
ごそごそと彼女が何処からか取り出したそれは、ビー玉のような綺麗な玉だった。照明に透かして見てみると、篝火のように揺らめく不思議な何かが中できらきらと輝いていた。
俺はそれを失くさないように、軍服の内ポケットへと大切に仕舞い込む。
「ありがとな」
彼女は今度こそ、その表情に満面の笑みを浮かべてくれた。それを最後に、彼女もふわふわと工廠内に消えていく。
縁あれば千里。
彼女との縁も、また遠くの何処かで誰かと繋がっているのだろう。
その姿を見送ってから、俺は工廠の出口へと向かうように歩を進めていく。
――がんばって。
背後からはふと誰かの声が、工廠の喧騒に紛れて届いたような気がした。