「どうぞ」
「ん、ありがと」
鳳翔が用意してくれた緑茶入りのカップを受け取って、時雨は軽く礼を告げた。そのまま鳳翔は時雨の対面に座る加賀の前にもカップを置いて、自身も加賀の隣へと腰掛ける。
場所は食堂の四隅の一角。藤原警備府所属の艦娘である三人は週に一回程度の頻度ではこうして集まっている。内容は軽い雑談から任務の状況等まで幅広く、主に直近の一週間での出来事を中心に情報交換を行っていた。
普段なら議題は幾つか上がるが、今回に限っては全員一致で気になっている事がある。カップに一度口を付けてから、時雨は改めて二人の方へと顔を向けた。
「それで二人は阿形さんの事、どう?」
議題は十日ほど前から此処に移動してきた男の話。時雨は今回の集会では絶対にこの話題を挙げようと考えていたのだが、どうやら眼前の二人も同じだったようで静かに思考を巡らせている。
やがてどちらからともなく口を開いた。
「変わった方、ですね」
「変な人、かしらね」
図らずも同じ意見だった二人はお互いの顔を見合わせている。そんな二人を眺めながら時雨も内心で大きく頷いていた。やっぱそうだよね、という同意の意見が表情にありありと現れている。
「やっぱり二人もそう思う?」
「そうですね。あの人の私たち艦娘への態度は今までの男性と違いすぎますから」
「普通の男は私たちを食事や外出に誘うなんて絶対にしない」
二人の答えに時雨も同意する。時雨の知っている一般の男性像について他と乖離が無い事にほっとしつつ、改めて阿形誠二という男の変わりっぷりが鮮明に浮かび上がる。
通常、人に対して扱われる『変』という評価はマイナスのイメージが付きがちだ。しかし今回のケースに置いてはその逆の評価を三人は下している。彼女たちが一律に変と評価したのは、単純に阿形の行動や言動が彼女たちの知る常識や経験からあまりにも掛け離れているからに過ぎない。
「阿形さんの視線って、なんか優しいよね」
「あんなに笑顔を向けてくる殿方は見た事がありませんね」
「少なくとも視線や態度に嫌悪感は全く感じないわ」
さらっと言っているように見えるが、二人とも気が良くなっているのが見て取れる。当然だ、今まで普通に扱われなかった事が、当たり前に普通に接してもらえて嬉しくない訳が無い。しかもそれが男性ともなると、もはや漫画やアニメの世界の話だ。
その気持ちは時雨も同様で、だからこそ戸惑う。
「実はああ見えて、女の人という可能性はないかしら?」
「それは無いと思うな。喉ぼとけはしっかり出てたし、髭を整えるのが結構面倒だってぼやいてたから」
歓迎会での一部始終を思い出しながら。時雨は加賀の予想を否定する。
それにしても流石に発想が突飛すぎやしないかと考えていたら、何故か二人がこちらを黙って見つめて来ていた。どこか視線がじっとりしているようなしていないような。
「時雨あなた、なんだかんだしっかり見ていますね」
「そんな日常の雑談ができるほどに既に関係を深めているというの……? 時雨恐ろしい子!」
「ち、ちがうよ! あれはたまたま歓迎会に誘ってもらった時に聞いただけで」
「……歓迎会?」
「……二人っきりの?」
意志とは裏腹に顔を紅潮させながら、時雨は一人悟る。
遊ばれている。この二人がこういった事で揶揄ってくるのは珍しいが、それだけ気分が高揚しているという事か。だが揶揄われっぱなしというのも面白くはない。
耳まで赤くしながら、時雨は鳳翔へとジト目を向けた。
「それを言ったら、鳳翔だって阿形さんと買い物デートしたって聞いたよ」
「……あれはデートではなく、生活必需品の買い出しに付き添っただけですから」
ならば何故顔を背けるのか。
「ちなみにとある筋の情報では、路地裏で阿形さんが鳳翔さんを抱きしめていたとあるのですが」
「だっ……誰ですかそんな情報を流しているのは!」
「お付きの妖精さんですが」
「…………」
「はわわ」
実に珍しく狼狽した様子の鳳翔が、加賀の答えを聞いてお付きの妖精さんを笑顔で見つめている。こちらからは詳しい表情までは読み取れないが、耳がほんのり赤い。そして妖精さんがちびっているのでその辺にしといて上げて欲しい。
しかし鳳翔も完全に否定はしなかったような。
「まったく。二人とも、いくら男が来たからって気が緩み過ぎではないかしら?」
一方で加賀は白々しく溜め息を吐いて、やれやれとカップを傾けている。
なんだか妙に腹が立つ仕草だ。それは鳳翔も同じだったようで、ぐるりと加賀の方を振り返ったと思うと、無言でずいっと携帯の画面を見せてきた。
「加賀、あなた、いつから殿方の前でこんなに食べるようになったのですか?」
「ぶふっ!? ……っこ、こんな写真を一体どこで」
「貴方のお付きの妖精さんが嬉々として送ってくれましたけど?」
「…………」
「ふええ」
醜い争いが巻き起こっていた。普段は冷静で信頼に足る大人な二人がまるで子供のように争っている。
まあ、加賀は実際よく食べるが、知らない相手――特に男性――が近くに居る場合は沢山食べる気にならないと確かに言っていた。実際男性が居る場での食事で何度か嫌な体験をしているようで、男性の前では気を張って少量に抑えていると時雨も思っていたのだが。
「こほんっ……どちらにせよ藤原提督が連れてきた方です。悪い人ではないのは確かですが、彼の言動や行動がどこまで本当の事かを判断するのは時期尚早でしょう」
「彼が本心を偽っていると?」
「可能性と自衛の話です。私たちはまだ彼の事をよく知りません。万が一彼が自身を偽っていて、他の方と同じ価値観を持っていたとして、可能性を残していた時とそうでなかった時の心の傷付き方はまるで違います」
鳳翔の視線が静かに語っていた。見せかけの言葉や表面上の優しさに勝手に期待して舞い上がって、裏切られた経験を忘れたわけではないでしょうと。
男の中には艦娘にわざと優しくして、寄り添ってきたところを激しく拒絶して愉悦を感じる気質の人間も一定数存在する。
自衛のために用心しろという鳳翔の言葉は確かにその通りだと時雨も思う。
「それでも僕は疑うより、信じたい」
時雨は自分の容姿が他人より劣っていることを知っている。艦娘ならば誰だってそうだ。無駄な期待なんかするな、と自分に言い聞かせてきた結果、人前で笑う事さえ満足にできなくなった。笑えば笑うほど醜い自分を他人に晒しているようで怖くなった。
自分でも滑稽な話だと思う。
だからこれは只の希望だ。何の根拠もない薄っぺらな希望の欠片。
それでも自分は、あの時の彼の言葉を信じたい。こんな自分でも笑っていいんだと言ってくれた、彼のあの不器用な優しさを。
「そうね。疑って後悔するより、信じて後悔する方がよっぽどマシよね」
心の強い加賀らしい発言に、時雨も一つ頷く。
一方で鳳翔は少しむすっとした表情で、わなわなと慄いていた。
「な、なんですか! これじゃあ私が悪者みたいじゃないですか! 私だって彼を信じたくなくてこんな事言っているわけじゃ」
「うん、分かってる。ありがとう、鳳翔」
「……はい」
鳳翔はいつも艦娘みんなの事を考えてくれている。それが分かっているからこそ、時雨は素直に感謝の意を述べた。それに鳳翔の言っていることは正しい。信じる云々以前に、彼の事を良く知らない現状ではその判断すらままならない。
「となると今後の方針としては、彼の事を知るために積極的に関りを持つことが目標となるのだけれど」
「……みんな、できる?」
「…………」
「…………」
時雨の問いに全員が黙りこむ。表情は苦虫を嚙み潰したように歪んでいた。
改めて考えると、男性相手にどうやって関りを持てば良いのか全く分からない三人である。知識も無ければ経験値もない。そんなものレベル1の勇者が木の棒で魔王に挑むようなものだ。
「今思えば、ここ数日の出来事は全部阿形さんからのお誘いでしたね」
「当時は緊張とか不安で頭が回ってなかったけど、男性から食事やお出かけに誘われるなんて僕たちは凄く貴重な体験をしていたんじゃ」
「それを今度は私たちの方からやれと?」
無理を通り越して無謀である。
もしお誘いして断られたりしたら1週間は寝込む自信がある。状況が急だったため麻痺していたが、これまでの我々は周囲から見れば垂涎の状況にあったのではないだろうか。
そしてそれはこれからも続くとは限らない。
「よくよく考えたら固定観念に縛られ過ぎて、私たちは阿形さんに大変失礼なことをしていたのでは?」
「……来ないと思って歓迎会に参加しない」
「……嫌われていると勝手に判断して、訝し気な質問を投げかける」
「……ご飯を大量に奢らせる」
「最後のは何か違うような」
しかして、これまでの行動を振り返り三人の顔が青くなる。疑う事ばかり気にして、相手から疑われるような行動を平気でしてしまっていた事に今更ながらに気が付いた。厚顔無恥とはこの事である。
もちろん彼の事を完全に信じきれたわけではないが、それとこれとは別の話。倫理観の問題である。
「と、とにかくこれから! これから阿形さんの信頼を得られるように頑張ろう!」
「ですが、大きな建物とはいえ、男性と同じ屋根の下で過ごしていると思うと今更ながらに何かこう」
「ヘタレを承知で私は言うけれど、彼を何かに誘える気が全くしないわ」
急にモジりだす鳳翔と、胸を張って情けない発言をする加賀。
とはいえ時雨も何か出来そうかというと、そんな気は全くしていない。実に残念な三人組であるが、これまでの彼女たちの置かれてきた経緯を考えれば無理もない話でもある。
「とにかく、幸いにも阿形さんは私たちの事を嫌悪している様子は今のところないですし、日常の中で少しづつ信頼を勝ち取っていきましょう」
「でも、僕たちにできる事って何があるかな?」
「そもそも男性が女性にされて喜ぶことが想像できないわ」
「身体的接触は特に注意した方が良いかもしれませんね。不用意な接触は嫌がる殿方が多いですし」
「心配しなくてもそんな勇気はないから」
「……まあ、私には料理がありますけど。阿形さんにも誉めていただけましたし」
「なんか露骨に抜け駆けしようとしてる人が居るけど、どう思う加賀?」
「調理器具を全部破壊してしまえばいいわ。そうすれば宅配を頼むしか手はなくなる」
不穏な空気が流れ始める。いつの間にか空母二人の手には弓矢が握られていた。こんな室内でいったい何をするつもりだこの二人は。
再度、醜い争いが始まる前に、時雨はふと気になったことを口に出した。
「そういえば阿形さんの事って、外で話してもいいのかな?」
「それは別に止められてはないんじゃないかしら。もし秘匿にするならば藤原提督からそれとなく伝えられている筈よ」
「そもそも秘匿にするのは無理でしょう。軍属である以上、情報は既に軍内でも知られているでしょうし、街にも出かけていますから」
「そっか」
少しだけ思案して、時雨は一言それだけを言った。
その後は、今後一週間ごとに集まって彼についての情報を共有することで今日はお開きとなった。
二人と別れた時雨は、一人その場で考える。
「夕立に阿形さんの事を話したら相談に乗ってくれるかな」
思考に浮かぶは他の警備府に所属する仲の良い一人の艦娘の少女。
もし話すにしても、慎重に言葉を選ばなければ彼女はいつ興味という名の暴走を始めるか分からない。
「……やっぱりもう少し考えよう」
安易な発言が思わぬ問題を引き起こすことを時雨は良く知っている。
考えていたことを取りやめて、時雨は自室へと続く通路へと歩を進めることにした。