硝煙の香りが鼻につく。嗅ぎなれたその匂いに、私は○○を浮かべていた。
身体中が痛い。指一本動く気配がない。その感覚が、なんと○○○○ものか。
何となく実感はしていたが、私は何処までも○○○いるらしい。
と、私は自身のありようを痛感していると足音が聞こえた。目だけで音のした方向を見ると、そこには体躯に似合わぬMGを軽々と抱えた少女。
自然と声が漏れた。乾いた笑い声。いや、違う。感嘆の声が漏れていた。
そんな私を、少女は呆れ気味に溜息を漏らした。何処までも私のありようを理解できないといった表情だ。
無理もないし仕方もない。恐らく私は、このキヴォトスにおいても、少々変わり者の様だ。
変わり者…か。己の自己評価に声を出して笑いたくなり、そして咳き込んだ。
口の中に感じる鉄の香りを堪能しながら、私は少女を、見た目だけは私よりも幼い見た目の彼女、空崎 ヒナに想いを告げる。
ヒナ先輩は、私の言葉を聞いた後に少し考える素振りを見せると、MGの銃口をこちらに向け、口を開く。
銃口を向けられた私は、しかし特に気に留める事もなく彼女を見つめた。彼女は眉を顰める。
何故この状況で笑っているのか、とでも言いたげだ。彼女は暫くして、再び溜息をつくと引き金を引いた。
銃口から射出された弾丸が、私の顔のすぐ横を掠め、地面を穿った。
そしてもう一度口を開く。今度は何処か私を憐れむ様な声音だった。
紡がれる言の葉。しかしその言葉は私の耳にこそ届いたものの、記憶に留まる事はなかった。
私にとって、彼女の言葉よりも、彼女の神々しいまでに美しく、それでいて儚い姿が脳裏に焼き付いた事が原因だろう。私は、思わず感嘆の溜息を漏らしていた。
ヒナ先輩は、そんな私を見て、更に呆れた様に肩を竦めるとそのまま踵を返して去って行ってしまった。
去り際も美しい。彼女の後姿を目に焼き付けながら、私の意識は闇へと飲まれていった。
コツンコツンと、一定の感覚で校内に響き渡る足音。それ以外何も聞こえない静寂な空間。
その音は、やがて目的の場所に着いたのか、ピタリと止まった。辺りが暗い中、唯一人工的な光が宿る一室の扉前。
扉の前で佇む少女は、ノックをする事なく、無遠慮に扉を開いた。
「ヒ~ナ先輩っ。お疲れ様でーす。今日も今日とてワーカーホリックでありますなぁ。不肖、不死川 小鳥(しなずがわ ことり)。学生らしく青春を謳歌してきたであります」
そう言って、彼女は部屋にいる人物に敬礼をした。
部屋に入った少女……小鳥は、部屋の主であるヒナに声をかけると、そのまま部屋の中を進み、ヒナの座るデスクへと近づいた。
ヒナはそんな彼女の行動に特に気にも留めず、ただ黙々と自身の作業をこなしている。しかしそんなヒナの態度を気にする事なく、小鳥は話を続けた。
それは他愛のない話。今日の授業での出来事であったり、友人との会話の内容であったりする他愛のない話だ。
作業をこなすヒナは、そんな彼女の言葉に耳を傾けつつも、作業の手を緩めない。
「ヒナ先輩。私は思うのです。私達学生は青春を謳歌する生き物であると」
「……突然何を言い出すの? それと、此処では私の事は『風紀委員長』もしくは『ヒナ委員長』と言うように何度も言った筈だけど」
溜息混じりに、話を聞いていたヒナの視線が資料から小鳥へと移り、作業の手を止める。
その目の下には、疲労からか薄っすらとクマが浮かんでいる。昨日見た時よりも更に色濃くなっているのは、彼女が書類整理に忙殺されている事が原因だろう。いや、書類整理だけではない。
小鳥とヒナが所属するゲヘナ学園はキヴォトスにおいて多くの生徒を保有するマンモス校である。
そして、そこに所属する生徒達の大半が問題を起こす生徒で占められており、問題を起こした生徒達を取り締まるのが、小鳥とヒナが属している風紀委員会の役割でもあった。
ヒナはこの風紀委員会の長である。その為、彼女に回される仕事の量は、他の風紀委員のメンバーと比べて、書類の厚みが数倍違うと言えるだろう。
それらの書類を、毎日帰宅時間を押してまで進めて、ふらふらになって帰るヒナに、小鳥はやれやれと肩を竦めた。
「確かに、此処ではヒナ先輩の事は風紀委員長かヒナ委員長と言うように言われましたが、今、此処には私とヒナ先輩しかいないじゃないですか。この時くらい、多少は砕けた言葉遣いでもよろしいのでは?」
「ダメよ。風紀を守るのが私達の役目。そんな私達が自分達で決めたルールすら守れないようじゃ、他の生徒を律する事は出来ないわ」
真面目だな、と小鳥は思う。それと同時に、そんな彼女に小鳥は憧憬の念を抱いているのだが。
ヒナは超がつく程真面目な人だ。その真面目な性格が災いして、どれだけ無茶な仕事量を押し付けられようとも、粛々とそれをこなしてきた。
普通の人なら根を上げるような仕事量を、ヒナは愚痴一つ零す事なく黙々とこなしている。
そんな彼女は、他の風紀員から見ても尊敬に値する人物ではあるのだろう。
しかし、それでも小鳥には、ヒナが無理をしているように思えてならなかった。その性格のせいで、彼女はいつもいつも仕事に追われているからだ。
その姿を見てきたからこそ、小鳥はヒナが心配で仕方がない。少しくらいは、羽を伸ばしても良いだろうにと思う程に。
「分かりました。ヒナ委員長。それでは、話を戻しますが、私達は青春を謳歌する生き物であると私は思うのです」
「…その理由は?」
これは話を聞かなければ繰り返される。そう思いながらヒナは、小鳥に問い掛けた。
「私達は学生だからです。学生とは勉学に励むものでありますが、それ以外にも、様々なものに触れ、体験し、青春を謳歌するものであると私は考えています」
例えば友人と親睦を深めるも良し。誰かと恋仲になり、親愛を深めるも良し。趣味に没頭するも良し。
やらなければならない事がいっぱいある社会人とは違う。学生だけの特権が青春を謳歌する事に他ならない。
仕事して寝て、仕事して徹夜して、仕事して事後処理に追われて……仕事、仕事、仕事、仕事。その繰り返しだ。
それはまるで、他人に自身の人生を振り回されている様にすら思える程に、忙しない毎日。
そんな毎日に、せめて安らぎを。例えそれが我儘であったとしても、彼女には他の学生が謳歌している青春を実感してほしかった。
「故に、こうして机に向かって仕事に没頭するよりも、外に出て、色んなものに触れ合いましょう。スイーツに舌鼓するもよし、ショッピングにおしゃれにエトセトラです」
そう提案すると、ヒナは少し考える素振りを見せ、ふぅっと息を吐いた。
「そうね。わかったわ」
「本当ですか! それでは早速……」
「今から頑張れば、1週間後、3時間だけ時間が取れるから、それまで頑張りましょう」
「……」
このワーカーホリックめ。そう言いかけた口を閉じ、仕方なしと鞄を机の上に置く。
「どうしたの? まだ仕事が……」
「はい、勿論わかっています。ヒナ委員長…いいえ、ヒナ輩先がその返答に至る事まで全てまるっとお見通しです」
なのでと、鞄の中から袋を取り出すと、中の物を彼女の前に突き出した。
「……何?」
「これは、かの有名なスイーツショップで販売している限定品です。個人的な青春の謳歌のついでに買ってきたものです。ヒナ輩先が多忙で動けない事は分かってたので、予め用意していました。さぁ、そのちっさなお口を開けるのです」
突き出されたドーナツに、ヒナは困惑しながらも、絶対にドーナツ食べさせるマンとなった小鳥に、仕方なしとドーナツを一口食べた。
美味しい。そう思いながらゆっくり咀嚼し、嚥下すると、小鳥はニコッと笑みを浮かべて、ヒナにドーナツを近づけた。その笑みは、まるでヒナがこのドーナツを食べるまで、やめないぞという意思がみえみえで、これでは仕事に戻れない。
降参だと肩を竦めたヒナは、差し出されたドーナツを手に取り、食べ始めた。
「あ、それを夕飯がわりにしようかなとかは無しですよ。ちゃんと夕食は夕食で食べるようにです。というか、夕飯ではなくもう夜食案件ですからね」
「はいはい、ちゃんと食べるわよ。それと、此処では先輩ではなく委員長と呼ぶ様に。輩先も無しで」
「はい、了解しましたヒナ委員長。それでは……不肖、不死川 小鳥、明日より業務に戻るであります」
そう言って、小鳥は自身の荷物が入った引き出しを開き、鳥の嘴が付いた様なマスクを取り出した。
彼女が風紀委員として活動する際に、装着すると決めたマスク。それを所持し、装着している間、ゲヘナの生徒は彼女が風紀委員として活動しているのだと知らしめる為のもの。
ゲヘナの生徒は口々に言う。不死川 小鳥がマスクを所持している。もしくは装着している間は、問題を起こすな。
何故なら、彼女こそが、風紀委員長、ヒナに最も近しい存在として恐れられている人物なのだから。
不死川 小鳥
ゲヘナ学園の風紀委員でありながら青春を謳歌したいという理由で仕事はさぼり気味。活動範囲は広範囲にわたり、他校の生徒から多くの目撃情報が報告されている。ワーカーホリックである空崎 ヒナの事を心配しており、願わくば彼女も自身と同じ様に一人の生徒として青春を謳歌してほしいと思っている。