―シャーレ―
コツコツと静かな足音が廊下に響き渡る。
その足音は、先生のいる執務室ではなく、別室へと足を向けており、その部屋は本来存在しない筈の部屋だった。
執務室の横を通り過ぎると、室内からは今回の暴動におわれる先生の声。
一つ一つ、問題を解決してはいるが明らかに手が足りていない。
暴動は既にキヴォトス全域に広がっており、その被害は計り知れない。
キヴォトス解放戦線と全人類アバンギャルド化計画。そして、巨大なペロロの進軍……え、巨大ペロロ……何それ知らない。
他にも、ベアトリーチェがアリウスの生徒を引き連れて行動しているが、此方は問題ないだろう。
双璧の一角は崩れ、ヒナは小鳥と相対している。
記憶の改竄がうまくいかず、小鳥の記憶を朧気ながらも有するヒナにとって、そしてそれは小鳥にとっても酷な話である。
全く、この世界線は何処までも度し難い。しかし、それも今日で終わりだ。
「……」
存在しない筈の部屋の扉の前に立ち、静かに扉を開く。
薄暗い部屋。あるのは簡易的なベットと周辺に散らばる食料の残骸。
そして、ベットの上で神秘を行使し続けるレン・テラーの姿。
「よぉ、私。元気してたか?」
「おぉ……おかげさまでなぁ」
レン・テラーの返答に、レンはため息交じりに、ベットの側に置かれた椅子へと腰を掛ける。
「お前、何してんだよ。なんでこんな事をした?」
「なんでって……私なら分かんだろ?」
「……分かりたくもねぇよ。私がした事なら猶更な」
「……それは『そうならなかった』から言えたセリフだ。二分の一だ。二分の一で私はこうなった。なら、分かんだろ」
レンが色彩に魅入られた世界線。そう、これはある意味では二分の一の世界だった。
魅入られるか魅入られなかったか。二つに一つだ。
「お前はなんでそうなんだよ……」
「さぁ、なんでだろうなぁ? いや、本当、どうしてなんだろうなぁ?」
レン・テラーの自嘲。
「なぁ、私。お前なら分かんだろ?」
「……」
レンは何も答えない。無言で椅子に腰かけるレンに対し、彼女は再度語り掛ける。
「なぁ、なんでなんだよ。どうしてこうなっちまうんだ? 私が何をした? 小鳥だ。小鳥を手助けしちまったからだ。そのせいで、私はこうなった。こうなっちまったから……」
レン・テラーとなった世界線が切り離された。
この世界はレンが色彩に魅入られてしまったからこそ切り離された世界。
そして、その根本的な原因は……。
「なぁ、私。なんで私は小鳥を庇ったんだろうな?」
レンは答えない。ただ、黙って彼女の言葉に耳を傾けているだけだ。
「思えば、あれがいけなかったんだ。『最初の私』が犯した過ちだ。あれのせいで、私は『そう』なったんだ」
「……そうだな。私は小鳥を庇った」
レンが静かに答える。最初の世界線における過ちについてだ。
マコトの誘いに乗った小鳥が万魔殿に所属した世界線。それこそが正しい世界線だった。
しかしそれを、『最初のレン』が歴史を改竄した事から始まったのだ。
一発の銃弾。しかし、その一発の銃弾が問題だった。
小鳥は万魔殿ではなく、風紀委員会に所属する事になった。
明らかな歴史の改竄。明らかな歴史の分岐点。
あれさえなければ、『私』は……。
「だからこそ、私は歴史を遡ってそもそもの記録を抹消した。小鳥の存在を抹消して、これまでの歴史をなかった事にした」
その結果として、この世界線は小鳥を知る生徒は誰もいない。
そもそも、小鳥が存在しない世界線であれば、『最初のレン』の過ちも無かった事になる。
だが、その世界線においても、例外が生まれてしまった。
「……ヒナさんの件はどう説明する?」
神秘の浸食により、レンの歴史の改竄の影響が薄まった結果、彼女の状態が不安定なものとなっている。
混濁する記憶と存在しない筈の記憶が、彼女の心を蝕む。いつ暴走してもおかしくない状況にありながら、それでもヒナは、レン・テラーの指示に従い、小鳥の足止めをしている。
その矛盾が彼女の精神を更に蝕むだろう。
「その事を、小鳥は知ってんぞ。触れ合って分かった事だが、それでも小鳥は私を責めなかったんだ」
もとよりこの件は小鳥の問題だ。だからこそ、小鳥はレンを責めなかった。レン・テラーを責めなかった。
全ては自分の責任と、それを受け入れ、彼女は自身を『ヒナの敵』と受け入れた。
「くそっ……ふざけんなよ。本当に、どうしてだよ」
レンが悔し気に呟く。
「元々は『私』が原因だろ。私が勝手に小鳥に手を差し伸べて、そして今度は私が小鳥を否定するってよぉ」
「そうだな。『私』が原因だ」
「『私』を責めろよ……なんで……責めてくれねぇんだよ……」
レンの気まぐれにより、小鳥は風紀委員会としての人生を歩んだ。そこには確かな幸福があり、そして彼女が犯した罪は、この世界ではなくなった筈だった。
しかし、歴史の修復力か、或いは別の要因か。小鳥は再び、神秘の顕現という形で新たな問題を生じさせたのだ。
どの世界線においても、小鳥の影響により、ヒナに害が及んでいる。
本来の正史では小鳥のせいでヒナは凶弾に倒れ、そして新たな分岐点のこの世界では、小鳥の影響でヒナが自身の神秘に侵食されている。
どちらに転んでも地獄の様な状況だ。
その問題を解決する為に黒服と手を組み、そしてレンと共に切り離された世界線で自身の力をつけ、問題を解決しようとした最中のこれだ。
しかも、その原因が色彩に魅入られたレンときたものだ。
救えない。この世界は救えない。
それでも、小鳥はレンを責める事すら考えず、全ての問題が自身にあると受け入れた。
小鳥がそこまで覚悟を決めたのだ。
それなら、レンもまた覚悟を決めなくてはならない。
その為に、此処に来たのだ。
「……壊すぞ、この世界。それも、私にとって『最悪』な形でな」
その言葉に、レン・テラーは息をのんだ。
「何を言ってるんだ、お前……まさか……まさか、お前っ!!」
レン・テラーは、今までにないほど動揺していた。驚愕に目を見開き、彼女の肩を掴み揺さぶる。
「やめろ! そんなの……そんな『最悪』な事をして何になるっ! 私なら分かるだろ!! 私が切り離された世界を繋ぎとめようとした理由も!! 『お前』が守ろうとした『人』も!!」
「そうだな。そうだよ。だから、それを壊すんだ」
「……っ……ふざけるな……ふざけるなっ!! お前は……私はまたっ!!」
レンがこれまで隠していた存在。
そして、それはレンの神秘にも関係する。
レンの神秘はクロノス。
多くの文献には『時』を司る神と記載されており、その名を聞けば、皆が皆それを連想するだろう。
しかし、クロノスには別の側面も存在する。
それは『農耕』の神という側面。そして、その側面に位置するクロノスを神秘に宿す存在。
そう、その存在こそ、レンにとっても、レン・テラーにとっても致命的な弱点となっているのだ。
「姉ちゃんを『殺す』気かっ!!」
レン・テラーが叫んだ。
そう、それこそがレン・テラーの最大の秘密。
そしてそれは、レンにとっても最大の弱点。
レンの姉。黒服が回収しにいった人物こそが、レン・テラーにとっての最大の弱点だったのだ。
※補足
レンが普段から缶詰以外に食べていた野菜が、レンの姉が栽培していたものである。
いつも食べていたものだからこそ、他の野菜を食べれば『これは違う』と分かるし、彼女にとって、姉の作った物以外で野菜を食べる事はない。
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