ー空崎 ヒナ。貴様にあいつを狩らせてやる。その舞台を、整えてやるー
そう言って、彼女は私に手を差し伸べた。
私は、その提案に乗る事にした。そしてその手を……羽沼 マコトの手を、私は握り返した。
これが、本来歩むべき正史の世界だった。
小鳥が風紀委員会ではなく、万魔殿に所属した世界。
彼女にとって、地獄以外の何物でもない世界。
そして、その世界線において、レンは彼女と出会っていたのだ。
「なぁ~姉ちゃ~ん。腹減ったぁ~」
「レンちゃんもうお腹すいたの?」
幼少期のレンは、よく姉に泣きついていた。何をするにしても姉を頼り、そしていつも、姉は笑顔でそれを受け入れてくれた。
「うん……お腹空いたぁ……」
レンがそう答えれば、姉はいつもの様に笑って答えるのだ。
「はいはい、ちょっと待っててねぇ」
農作業をしていた姉がそういって作業を中断して、レンの方に向き直る。
そしてしゃがみ込んで、小さな手でレンの頭を撫でながら話すのだ。
「何か作ってあげるから待っててね」
レンの姉は、料理が上手かった。姉が作る野菜も格別に美味しかった。
「はい、おまたせぇ」
そんな姉の手料理を目の前に、レンは目を輝かせながら、口を大きく開ける。
「食べさせて~」
「はいはい、レンちゃんは甘えん坊さんですねぇ」
そんなやり取りをしながら、姉はレンの口に料理を運び、レンはそれを美味しそうに頬張る。
何度目かの咀嚼の後、嚥下と共にまた口を開ける。
「次~」
「はいはい、今あげますよ」
そんなやり取りを繰り返しながら、姉はレンが満足するまで食事を与え続けるのだ。
レンは姉が大好きだった。
別段、何でもしてくれるからではない。ただただ姉が好きで、姉と一緒にいられる事が幸福で、それ以外にないもいらなかった。
姉が『私が誰かの家に嫁いだらどうするの?』と問いかければ『私もおまけでついてくる。2度美味しいぞ』と返答する。
それは困ったと思いながらも、姉は……辰巳 ユタカは、そんなレンの頭を撫でるのだ。
「はいはい、じゃあ私とレンはずっと一緒だね」
そう苦笑しながら、姉はそう返答した。
「うん、約束だぞ」
「はいはい、約束ね」
レンもそんな姉の返答に笑顔で答え、そして2人で指切りをするのだった。
そんな遣り取りが続く中で、ユタカは生計を立てる為に育てた野菜を出荷するも、ゲヘナの自治区に近い位置にあった二人の家の周囲は治安が悪く、野菜は強奪され、二人の生活は困窮を極めていた。
「どうしようね」
ユタカの疲れた問いかけに、レンは黙って頷きながら答える。
「うん……どうしよう」
荒事が苦手な2人ではどうする事も出来ない。
ただただ搾取されるだけの2人だったが、そんな2人に転機が訪れた。
ある日の事、ユタカが野菜の売り込みをする最中、万魔殿の生徒が声をかけたのだ。
「野菜ですか……それならゲヘナの食堂に持って行ってみては如何ですか?」
「食堂?」
ユタカが問い返すと、万魔殿の生徒はそれに答える。
「えぇ。ちょうど、給食部の生徒が贔屓にしているお店が潰れたらしく、困っているみたいなので」
給食部が利用していたお店が潰れた影響で、野菜の仕入れ先がなくなってしまったらしい。
「ですので、そちらと私達ゲヘナが提携する形で食材を提供して頂ければ、給食部の皆様も助かりますし」
何より、治安の悪いゲヘナで個人が運営するよりも、万魔殿の後ろ盾があった方が運営しやすいとの事だった。
「そこでなら、不当に奪われる事はないと思いますし、変に値踏みされる事もないと思いますので。どうでしょうか?」
ユタカは考える。確かに、このまま搾取され続けるよりはマシだろう。
それに、万魔殿の生徒が善意で提案してくれている事も分かった。
「……分かりました、お願いします」
「はい。では、この件はマコトさん……マコト議長にもお伝えします。詳しい事はまた後日、連絡をしますので」
「ありがとうございます。助かりました」
「……あまり、他者を信用しすぎる気がありますが、そこは気を付けた方が良いですよ。私の言葉も、もしかしたら貴女を騙す為の嘘かもしれないので」
「……でも、騙す気がある人が、そんな事を言いますか?」
「っ……失礼しました。私は貴女を騙すつもりはありません。ですが、気を付けた方が良いというのは本音です」
「……分かりました」
「では、私はこれで。また後日連絡しますね」
そう言って、万魔殿の生徒はその場を去って行く。
彼女こそが万魔殿に所属していた時の不死川 小鳥であり、彼女のお陰で、ユタカとレンの2人が搾取される事なく生活できる環境を手に入れる事ができたのだ。
かつて、この世界線のヒナが先生に告げた言葉がある。
―彼女に助けられた市民だって、たくさんいるのー
その言葉の通り、小鳥はゲヘナ自治区で多くの市民を救っていたのだ。
そして、その中にはレンとレンの姉であるユタカもまた含まれていたのだ。
だが、あの運命の日。
エデン条約当日に起きた悲劇が2人を襲った。
フェネクスを顕現させた小鳥が、その神秘を暴走させ、キヴォトスに『死』の概念をまき散らした。
その影響は当然、レンとユタカにも影響を及ぼし、2人は死の瀬戸際まで追い詰められる事となったのだ。
「ねぇちゃ……姉ちゃん……っ」
「レン……大丈夫……大丈夫だから……きっと、きっと小鳥さんが……助けて……」
『死』の概念に身体を蝕まれながらも、ユタカは必死にレンを庇おうとしていた。
「姉ちゃんっ……もういいから……」
レンがボロボロの身体でユタカの手を握る。姉の身体は、今にも死に絶えてしまいそうだったのだ。
「大丈夫……だから……きっと……あの時の……よう……に……」
その言葉を最後に、ユタカの意識は途絶える。
「姉ちゃん……っ!? やだ……やだっ姉ちゃんっ!!」
レンが必死で姉に声をかけるも、反応は帰ってこない。
「姉ちゃんっ!!」
死の気配を色濃く纏った姉の身体を抱きしめながら、レンは必死に叫んだ。
そして、願った。
姉が助かる為の奇跡を。
涙を流しながら、レンはただただ祈り続ける事しかできなかったのだ。
そして、その思いに応えたのがレンの神秘……『時』を司るクロノスだったのだ。
姉の周囲の時間が止まる。そしてレンの周囲の時間も止まった。
『死』の概念が反映されない世界。その世界に、ユタカとレンは隔離された。
しかし、その力も完全ではない。
その力が消える前に、レンは家の外に飛び出し、そして黒服と出会ったのだ。
そこから先は、黒服に言われるがままに『神秘を破壊する爆弾』を小鳥の元まで運び、そして……。
この世界の異変を起こした人物が小鳥と気付いたレンは、彼女の事を不憫に思った。
何より、姉のユタカと自分を救ってくれた恩人だ。
何か出来る事はないかと思案し、そして歴史の分岐点を生み出してしまったのだ。
一発の銃弾が齎した歴史の分岐点。
それにより、万魔殿に所属した小鳥という世界線が切り離され、消滅した。
そして、消滅する間際、レンは見たのだ。
消えゆく姉の姿を、手を伸ばし、しかしレンが無事であると安堵した表情を浮かべた姉が、そのまま消えゆく様を……。
この世界を滅ぼしたのは私だ。
姉を殺したのは私だ。
もう二度と同じ過ちは繰り返さない。
もう二度と姉を失いたくない。
だからこそ、レンは自身にルールを敷いた。
自分以外が原因で世界から切り離されるなら、それは仕方のない事だ。諦めて、全てを受け入れる。
だがらこそ、過ちは繰り返さない。絶対に……絶対にだ。
例え何があったとしても、私は……。
なんで……なんで私は……色彩に魅入られちまったんだ?
・辰巳 ユタカ
レンの姉。農家(野菜や米がメイン)
無自覚ながらも『農耕』を司るクロノスの神秘の影響を受け、彼女が管理する畑は常に豊作で評判がいい。
そのせいで作物を盗まれる事も多々あり、経営自体は火の車である。
妹であるレンにひもじい思いをさせたくないと、売り込みをするが、その才がなく、常に搾取される状態だった。
しかし、万魔殿に所属していた小鳥と出会い、彼女の提案でゲヘナ学園に作物を出荷するようになってからは安定した資金を得る事が出来、小鳥には感謝してもしきれない恩があった。
だが、件のエデン条約にて、小鳥の神秘が暴走。その過程でレンが神秘に目覚め、黒服の協力の元、神秘を破壊する事で九死に一生を得る。
それでも、ゲヘナ学園は半ば崩壊し、取引先を失いながらもなんとか生活していた矢先にレンの過ちが原因で世界が崩壊。
目の前にいたレンを助けようとしたが、不思議とレンなら大丈夫という安堵から『良かった』と心からそう思い世界と共に消滅した。
※小鳥が万魔殿に所属していた時の世界線では消滅したが、今の世界線では生きて農作業に力を入れている。自立したレンの為に、時折黒服経由で彼女が栽培した野菜をレンに送っている。
・辰巳 レン
己の過ちにより姉を世界諸共消滅させたトラウマがあり、この後一切歴史の改竄はしないと心に誓う。
尚、自分以外の影響で世界が切り離される時はそれを受け入れ、何にも関わらないと決めている。
レンが切り離された世界線に行ったときも、その世界線のレンは誰にも干渉せず、姉と共に世界が終わる時を待ち続けていた。
・レン・テラー
認められる筈がない。二分の一……たったの二分の一だ。
なんでこんなことになったのだ?
色彩に魅入られた事で、この世界は切り離された。
『私のせい』で世界が切り離された。
認めたくない。認めてなるものか……。
何を犠牲にしようとも、絶対にこの世界を正史の世界に繋ぎ止めてやる。
もう失いたくない。もう二度と、自分のせいで姉を失いたくない。姉を……殺したくない。
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