時間は少し戻って、土曜日の夕方。
風紀委員の活動を終えた小鳥は、不良生徒の返り血を全身に浴びたまま、他の風紀委員の子達と共に、特別牢に向かった。
目的は以前拘束した温泉開発部の部員達。彼女達が拘留されている牢の前に立つと、マスクを外して彼女達と挨拶を交わした。
「ハロハロー。温泉開発部の皆さんこんにちは。名乗らずとも良いとは思いますが、一応念のために、不死川 小鳥と申します。お気軽に、小鳥ちゃんといって頂けると幸いです」
鉄格子越しに交わした挨拶だったが、温泉開発部の部員からの反応はない。
一人は小鳥の姿に怯えながら牢屋の端に縮こまり、もう一人は小鳥を見るなり、キッと睨みつけていた。
両者の反応が極端に違うのは、風紀委員として活動する小鳥と対峙した事があるかどうかの違いのみ。その意味では、両者の反応が極端に違うのが頷ける。
此処までは想定内。小鳥は両者の反応を気にする事なく、要点のみを簡単に説明する。
「早速ですが、私達風紀委員会は貴女達二人に協力して欲しいことがあります」
二人の内、話に乗りそうなのは、怯えている子だろう。そう思いながら、視線を牢屋の端にいる温泉開発部の部員に向けると、もう一人の部員が間に割って入り、小鳥を睨み付けた。
「誰があんた達に協力なんかするもんか!!」
想定通りの反応に、小鳥は笑みを浮かべると、言葉を続けた。
「えぇ、貴女は断ると思っていました。それで、もう一人の貴女はどうされますか?」
「私は……」
「あぁ、別に断って頂いても構いませんよ。ただ、その時は『お願い』から『強制』に変わるだけですから」
「それって、どっちにしても私達に選択肢がないじゃない!! ふざけるんじゃないわよ!!」
「ふざけてなんていませんよ。ただ、『お願い』の段階で協力して頂いた方がお互いの為になると思うのですよ」
「何がお互いの為よ!! どうせ、私達温泉開発部に関わる件なんでしょ!! 部を裏切る様な事、するわけないじゃない!!」
「そうですか。それは残念です」
小鳥は本心で残念そうな表情を浮かべ、肩を落とした。そして顔を上げると……
「それでは仕方ないですね。もう一人の貴女はどうされますか?」
もう一人の部員に再び問いかけた。
「あ、え……わ、私は……」
問われた子は、オロオロと視線を彷徨わせる。小鳥は彼女が自分で決めるのを黙って待つ中、恐る恐るといった表情で、もう一人の部員は口を開いた。
「な、何をすれば良いの?」
「ちょっと!! 先輩!!」
裏切りとも取れるその言葉に、小鳥に噛みついていた部員が信じられないといった表情で先輩を睨み付ける。
「ま、まだ私達は、何を要求されてるから聞いてないから……そ、その内容次第で返事をしたいだけ」
「あんた正気なの!! こいつら風紀委員会は敵よ!! 私達を此処に閉じ込めてる連中なのよ!!」
「で、でも……」
普段は仲は悪くはないのだろう。それでも、小鳥の事を知っているか否かでギスギスして見える。そんな二人のやり取りを黙って聞いていた小鳥だが、二人の会話に割って入る事にした。
「大丈夫ですよ。そんなに身構える必要はありませんから」
「何が大丈夫なのよ!! あんたのせいで先輩は……」
「ですから、協力して欲しいとは言いましたが、それは大したことではないという事でありますよ」
「大したことじゃない?」
「えぇ、簡単な事です。次に温泉開発部が行動に移すであろう場所。その情報さえ頂ければ、それで十分なので。あ、あとは部員として潜入したいのでその服もお借りできれば……」
そこまで言いかけた小鳥の言葉を、先程から噛み付いてくる部員が顔を真っ赤にしながら遮った。
「温泉開発部が次に行動に移す場所を教えろですって!! そんなの言う訳ないじゃない!! 服にしたってそう!! 潜入するから貸せって、そんな事する筈ないじゃない!!」
怒声で声量が大きくなり、見張をしていた風紀委員の子達も『なんだなんだ?』と様子を見ている。
そんな中、温泉開発部の部員が小鳥の事を指差し、禁句を口走った。
「それによく見なさいよ!! 私達とあんたの体型、全然違うじゃない!! そんな体型で私達の服を着たら、胸辺りがスッカスカになるの見て分かんないかな!!」
それを聞き、小鳥……ではなく周りにいた風紀委員達が一斉に小鳥の両腕と両足を掴んで身動きを封じようと試みた。
「こ、小鳥ちゃん、落ち着いて!! ほら、少しだけ!! ほんの少しだけ体格が違うだけだから!!」
「そうそう!! それに、長年使い込んだ服だと伸びてだるんだるんになるって聞いたことあるから!! だから、ねっ!! そういう事だからね!!」
「ふんっ!! 何さみんな必死になっちゃって。本当の事言って何が悪いの!! 何度でも言ってあげるわ!! その貧相どころか、何もないフラットなボディじゃ、私達の服を着た所で意味がないの!! 分かった? あんたなんか、胸囲の格差社会に震えていれば良いのよ!!」
ピシッと、空気がひび割れた音が聞こえた気がした。小鳥を取り押さえている風紀委員も、顔を青ざめながら『あわわ』と汗を流している。
そして、小鳥は両腕と両足を拘束された状態のまま、鉄格子を摑むと、力を込め始めた。
「ば、ばっかじゃないの!! この脳筋フラットまな板ボディ!! 私、知ってるのよ!! この鉄格子は、不良生徒が束になっても壊す事が出来ない特殊合金……」
メキメキと音を立てて、鉄格子が歪む。そして、『ベキン』と鉄格子が変形して、人1人が通れるスペースを確保した。
「素材……で……え、壊れ……え?」
鉄格子が壊れた光景を目の当たりにし、顔を真っ青にする温泉開発部の部員。
小鳥は何事もなかった様に牢の中に入ろうとするも、それを阻止するべく、その場にいた風紀委員が総動員して小鳥を拘束して牢の外に止めようと試みた。
「小鳥ちゃん!! ほんとっ!! 落ち着いて!! 彼女、悪気とかないから!! マジで!! 本当に!!」
「おいっ!! あれ持ってこいあれ!!」
「あれって……クマ? ゾウ?」
「クジラだバカ!! クジラの持ってこい!! 希釈するなよ!! 原液のまま使うんだ!!」
「わ、分かった!!」
風紀委員のメンバー達が慌ただしく動いている。そんな光景を目の当たりにしたもう一人の温泉開発部の部員が、我に返った様に後輩の腕を摑んだ。
「後輩ちゃんは後ろに隠れてて!! 小鳥ちゃんの視界に映らないで!! ね、ねぇ、小鳥ちゃん、私の服貸すから!! 温泉開発部の活動予定場所も教えるから!! ねっ!!」
必死に後輩を守ろうと牢屋の隅に移動させ、自ら盾になろうとするも、小鳥を前にすると恐怖で震え、涙目になる。
そんな彼女と、身体を拘束する風紀委員達の事など気にも止めず、ゆっくりと牢屋の中に入ろうとした小鳥だったが、不意に頭部に衝撃が走り、動きを停止させた。
小鳥が動きを止め、身体を拘束していた風紀委員達が恐る恐る拘束を解き、小鳥の頭部を殴打した人物に目をやる。
「……いったぁぁぁぁ、何をするでありますかイオリちゃん」
小鳥を殴ったのはイオリだった。
愛銃のチークパッドについているトゲの部分で殴打された為か、頭から血を吐き出しながら、小鳥は不満げな視線をイオリに向けた。
「何をするじゃないよ……騒がしいから来てみれば、小鳥ちゃんが暴走してたから止めたんだよ」
「暴走って、今回はですね、相手から喧嘩を吹っかけてきたんでありますよ」
「みたいだな。まぁ、それでも流石に、やり過ぎると思ったから止めた。それに……」
「それに?」
「流石の私も、小鳥ちゃんにクジラ用の麻酔銃を乱射したくないからな」
「イオリちゃん……トゥンク」
頭から血を吹き出しながら、イオリの言葉に胸をときめかせる小鳥。
内心では、トゲ付きチークパッドで殴ってるやんと思いながらも、『ふぅ…』と深呼吸し、改めて温泉開発部の二人に向き合った。
「それじゃあ、次の活動予定ポイントと、その服をお貸しください。あ、出来れば先輩ちゃんの服が良いでありますな。後輩ちゃんの服は……ちょっとアレですので」
と、後輩ちゃんからアンモニア臭漂う水溜まりが広がるのを見て、小鳥は温泉開発部の先輩から服を借りるのであった。
そして現在、無事に温泉開発部の子から服を借りた小鳥は、カスミに接近する事が出来たのだった。
今頃、小鳥の自宅を監視している温泉開発部は、自分達が間違った情報をカスミに流していた事など、露も思っていないだろう。
小鳥の背後からは温泉開発部の面々が慌しく動いている。
カスミを助けんと、武器を取り出す者もいれば、恐怖に駆られ、逃げ出す者もいる。
そんな中、カスミは顔を真っ青にし、歯をカチカチと鳴らしながらも、部長としての責務を果たしていた。
「みんな……にげろ……」
小鳥に背後を取られた以上、自分は逃げられない。そして、以前自分を助けようとして返り討ちにあった部員達の事が脳裏に浮かび、カスミは部員達に逃げる様に促した。
その言葉に、メグを含む数名の部員がカスミに視線を向ける。
「部長……でもっ!!」
「いいから……早く!!」
「は、はい!! みんな行くよ!!」
メグの号令と共に、温泉開発部の部員達が、蜘蛛の子を散らす様にバラバラになって撤退し始める。
風紀委員も、道路の穴を塞ぎ、バリケードを突破して温泉開発部の部員達を追いかけるも、捕まえられるのは限られてくるだろう。
仕方がないと、小鳥も撤退する温泉開発部を追いかけるか思案するも、足に痛みが走り、視線を下へと向けた。
足元には、小鳥を行かせまいと身体を震わせながらしがみつき、露出した足に噛み付くカスミの姿。
「カスミちゃん、流石に痛いでありますよ」
小鳥は抱きつくカスミを引き剥がそうとするも、恐怖で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、必死に小鳥から離れまいとする姿勢に、少し唸った後、他の部員達の追撃を断念した。
「……仕方ないでありますな」
今だに噛み付くカスミに、『これが飼い犬に噛まれるってやつですか』と思いながら、部員を逃がす為に身体を張ったカスミに敬意を表すべく、カスミの頭を撫でた。
「少し見直したでありますよ。まさか、部員を逃す為とはいえ、噛み付いてでも止めようとするなんて」
小鳥は、カスミを賞賛するが、当のカスミは、恐る恐る噛み付くのを止め、顔を上げると、わなわなと震えながら口を開いた。
「こ、小鳥ちゃん……」
「はっはっは。皆まで言うな。私は今嬉しいのでありますよ。仲間の為に頑張る姿勢は凄く良いであります。だからこそ、噛み付かれた程度では怒りませんよ」
「ほ、ほんと……かい?」
「勿論であります。だから、まぁ……あれであります」
「……あれ?」
小鳥の含みのある言葉に、カスミは全身から汗が流れるのを感じた。
そんなカスミに、ニッコリと笑みを浮かべながら、小鳥はカスミに告げた。
「帰りましょう。我が家に」
死刑宣告にも近い、小鳥の言葉に、カスミは絶望した表情を浮かべるのであった。
「ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ(過呼吸)」
発作を起こした様に荒い呼吸を繰り返すカスミに、小鳥は嬉しそうな笑みを浮かべながら頬擦りと共にカスミの背中をぽんぽんと叩く。
「はっはっは、そんなに嬉しいでありますか。それなら今直ぐにでも帰り『バァン!!』いったぁ!! え? これ、あれ? クマ? ゾウ?」
そんな小鳥の肩に衝撃と共に何かが突き刺さっていた。
「クジラだよ。小鳥ちゃん。しかも希釈なしの原液」
「原液ってこれ……ヒナ委員長でもキツイやつでありますよ」
「うん、ごめんね。なんかちょっと犯罪の匂いがしたから撃っちゃった」
「そっかぁ……撃っちゃいましたかぁ……」
肩に刺さったそれは、麻酔銃から放たれた注射筒だった。
クジラすらも身動きを封じる麻酔の原液を使用されたのだ。流石の小鳥も、これには耐えられない。
「カスミの事は私に任せろ。取り敢えず小鳥ちゃんは寝てると良いよ」
「はっはっは。これ撃たれた時点で拒否権無しじゃないですか。仕方がありません。その代わり、今日の夕方4時には起こしてくださいよ。予定がありますので」
「ん、分かった。その時は殴ってでも起こすよ」
「トゲトゲのない所でお願いね」
「善処するよ」
そんな会話をしつつ、小鳥は意識を手放すのであった。
温泉開発部の部長が拘束され、再び活動は中断された。
部長のカスミの安否は気になる所だが、風紀委員会本部の特別牢にいる以上、手を出す事は困難である。
そんな中、特別牢から解放された温泉開発部の先輩は、後輩を連れて、ハイランダー鉄道学園が管理する駅のホームへと急いでいた。
「せ、先輩……何をそんなに急いでるんですか?」
「いいから早く走って!! 急がないと、大変な事になるんだから!!」
わけが分からない。そう思う後輩を他所に、先輩はゲヘナ自治区からなるべく遠い場所に向かう列車の切符を買うと、手持ちの所持金全てを後輩に渡した。
「先輩、これって……」
「ごめん、多分だけど、小鳥ちゃんを怒らせちゃったから、大変な事になると思う。だから、暫くは身を隠して、ほとぼりが冷めるのを待って欲しい」
「ほとぼりって……そんな事言われても」
確かに小鳥には失礼な物言いはしたが、それだけで此処まで焦る必要があるのだろうか?
「お願い!! この通りだから!!」
そう言って頭を下げる先輩に、後輩は動揺する。先輩は冗談でこんな事をしない。もしかしたら大変な事をしたのかもしれない。
そう思った後輩は、先輩から切符と所持金を受け取ると、改札を潜った。
「何かおかしいと思ったら、なりふり構わず逃げるんだよ。絶対だからね」
「う、うん……分かった」
別れの言葉を交わし、列車に乗り込む後輩。
中は自由席らしく、がらんとした車両の中を適当に歩き、窓際の席に着く。
そして、列車が動き出してから暫くして、コツコツと足音とガラガラと何かを引く音が近付いきた。
「失礼、お隣座りますよ」
声をかけられた。相手を見ずに、なんでこの席の隣に座ろうとするのか不思議に思った。
席はいっぱい空いている。なのに何故、隣には座ろうとするのだ?
「席ならいっぱいあるじゃないですか。なのになんで……」
「この席が良いからですよ。貴女が座っている席の隣が……ね」
「……え?」
相手が誰か確認しようと、後輩は視線を隣に向けた。
そこに座っていたのは、小鳥だった。
何故ここに。その言葉が口から紡がれる事はなく、後輩は動く事が出来なくなった。身体が金縛りにあった様に硬直し、浅い呼吸を単発的に繰り返すばかりで酸欠状態に陥る。
「いやぁ、間に合って良かったありますよ。二人が釈放されるとしたら夕方でしたから、それまでに起きれなかったらどうしようかと思いました」
「あ……あぁ……」
後輩は、小鳥が何を言っているのか分からない。ただ分かるのは、目の前にいる彼女が、自分にとって最悪な存在であるという事だけだ。
「あ、見て下さい。もうすぐ、トンネルですよ」
その言葉に、後輩は回らない口で何とか告げようと必死に口を動かした。
「お、お願い……待って……助けて……助けて……お願い……待って……待って……」
だが、後輩の言葉は小鳥には届かず、トンネルの中へと入って行った。
視界は一瞬だけ暗闇に包まれ、「ゔっ!!」という後輩の呻き声が車内に響き渡るも、列車の移動音に掻き消され、トンネルを抜けた時には、窓際にいた筈の彼女の姿は何処にも無かった。
夜のゲヘナ自治区を、安定の外れた鼻歌を奏でながら歩く小鳥。
その手には、ガラガラと重量感のある音を奏でながら引かれるキャリーケースが握られていた。