「…………」
夢を見ていたような気がする。
長い、長い夢の先。どうしようもなく、救いのない夢の果て。
此処は何処だ?
私は何をしていた?
その手は返り血に染まり、耳に木霊するは無数の呻き声。
あぁ、思い出した。
私は、空崎 ヒナに会う為に、因縁を付けてきた不良たちを返り討ちにしたのだった。そして、これから……。
その続きを考えようとした瞬間……。
「キキキ、話には聞いていたが、これ程とはな」
不快な笑い声が、私の鼓膜を震わせた。
視線だけを、声の主へと向ける。見覚えのある顔だ。確か、ゲヘナ学園の生徒会長だ。如何にも胡散臭い雰囲気を醸す彼女を見て、私は思案した。
面倒臭いから撃つべきか否か。
あぁ、しかし、確か不良達を返り討ちにした時、弾が切れて……
いや、ある。
1発分の弾が、装填されたまま残っていた。何時装填し直したかなど、考える暇はなかった。
私は無言で生徒会長に銃口を向けると、なんの躊躇いもなく引き金を引いた。
「空崎 ヒナ。貴様にあいつを狩らせてt『バンッ‼︎』ぐはぁ!!」
放たれた弾丸が、生徒会長の顔面に炸裂する。まともに受け身も取れず、背中から地面に倒れ込んだ生徒会長は、そのまま動かなくなった。
そんな彼女に興味を無くした私は、そのまま路地裏を出て表通りへと戻る。
残念な事に、ただ不良を襲うだけではダメなようだ。仕方がない。少し別の方法を……いや。
直接襲うしかないな、これは。
風紀委員会の……いや、空崎 ヒナの巡回ルートを調べる事数日。
おあつらえ向きの場所に、空崎ヒナは現れた。部下は数名。ヒナと共に行動している為か、何処か緊張感を漂わせている。
(よし、やるか)
ヒナの前に立ち塞がり、銃を構える。
私に気付いた風紀委員達が、私とヒナの間に立ち塞がり、何かを訴えかけているが、私の耳には、その言葉は届かなかった。
「初めまして、空崎 ヒナさん。私は不死川 小鳥と申します」
「……そう。初めまして。空崎 ヒナよ」
挨拶は大事だ。そう本で読んだからだ。ヒナからの返事を受け取った私は、自然と笑みが溢れるのを抑えきれず、引き金に指をかけた。
「突然ですが申し訳ありません。今から貴女を襲います。ご了承下さい。空崎 ヒナさん」
「出来れば遠慮願いたいけど、無理なのね」
「はい。宜しくお願いします」
「……そう。分かったわ」
私と同じく、愛銃を構え、風紀委員達に下がるよう命じる。
制止する声が聞こえたが、ヒナはそれを振り切り、私の前に立った。
「此処だと皆の迷惑になるわ。私に用があるなら、場所を変えてくれる?」
「……っ!! はい、ありがとうございます!!」
場所を変える。その提案を私は快く受け入れた。私が望んでいたのは、空崎ヒナが1人でいる状況だ。誰からの邪魔も入らない場所で、私は彼女と……。
心踊る面持ちのまま、私はヒナを連れて移動した。誰にも迷惑をかけず、誰からの邪魔も入らない場所で。
そして、私は……。
あぁ……痛い……これが……痛い……。
硝煙の香りが鼻につく。嗅ぎなれたその匂いに、私は笑みを浮かべていた。
これが、『痛い』。今まで、ずっと感じることのなかった、みんなが当たり前にもっている感覚。
身体中が痛い。指一本動く気配がない。その感覚が、なんと心地よいものか。
嬉しい……嬉しい……。
きっと、他の人は、この感覚を毛嫌いするのだろう。
でも、私にとって、この感覚は初めての感覚だ。
何となく実感はしていたが、私は何処までも狂っているらしい。
この感覚を心地よいと思うだなんて、きっと、有り得ないものなのだろうと、私は理解した。
足音が聞こえる。彼女だ。空崎 ヒナだ。
自然と声が漏れた。乾いた笑い声。いや、違う。感嘆の声が漏れていた。
そんな私を、少女は呆れ気味に溜息を漏らした。何処までも私のありようを理解できないといった表情だ。
無理もないし仕方もない。それが私のありようなのだから。
「ゴホッ!! ゴホッ!!」
咳き込むと同時に、口の中で鉄の香りが広がった。
あぁ……この感覚も中々に良い……
「は…はは……あははっ。ヒナさん。見てっ。凄い。痛い。痛いって感覚が凄い。動かない。指一本。全然動かない。凄い…凄いっ!!」
嬉しすぎて語彙力が皆無だ。それでも、私は彼女に思いの内を打ち明ける。
「これが最後っ!! 化物って言われた私の最後……嬉しい…嬉しいっ!! ありがとう!! ありがとう!!」
「貴女……何を言って……っ」
狂っているとしか言いようのない私の発言に、ヒナは思い出したかのように考え込み、そして銃口を向けてきた。
「思い出したわ。不死川 小鳥。貴女の事は、情報部の頃に話題に上がっていた。危険人物としてね。でも……これは……」
普通に考えれば、今の小鳥は異常者のそれだ。しかし、その言動には違和感を覚える。
入学して間もなく、不良生徒たちを病院送りにした生徒がいると情報が入っていた。ついでに、万魔殿のマコトも入院しているという情報も。
ヒナの頭の中で、様々な情報が錯綜し、一つの仮説へと辿り着く。
「……そう。小鳥、貴女はこうなる事を望んでいたのね」
ヒナは小さく溜息を吐き、引き金を引いた。弾丸は、全て小鳥に被弾する事なく、彼女の周囲の地面を穿つだけにとどまった。
「悪いけど、私は貴女の望みを叶える事は出来ない。でも、このまま貴女を放置する事も出来ないわ」
憐れむような声色。紡がれる言の葉は、彼女の……ヒナの本心に相違ない。
「貴女には、風紀委員会の……私の監視下の元、風紀委員会に所属して貰うわ。これは命令。不死川 小鳥。私に負けた貴女は、私の命令に従いなさい」
この言葉は、小鳥に届いているのだろうか?
ヒナは肩を竦めた後、この場を後にした。
彼女は放置しても問題ない。
小鳥の望み、その一端を叶える事が出来たなら、彼女は暴走する事はないだろう。
今はまだ、これくらいで良い。
少しずつ思い出す彼女の記録。
幼き頃よりいじめにあった彼女は、いつの日か自分自身を化物と称するようになった。
そして、友人たちを襲っては怪我を負わせ、苦しむ様を観察していた異常者と、記録にはそう残されていた。
だが、あれは違う。
あれは、そうならざるをえない状況にまで追い詰められた被害者であり、そして加害者になった者の末路だ。
最後に見せたあの口調も、心が幼少の時のままに成長が止まり、精神が肉体に追いついていないからだろう。
彼女の出自を調べる必要がありそうだ。今後の事を考えながら、ヒナは歩みを進めた。
翌日、巡回中のヒナの前に、小鳥が訪れた。
「来たのね、小鳥。良かった。ちゃんと話は聞いていたようね」
素直についてくる小鳥に笑みを浮かべると、ヒナは小鳥に話しかける。
「これから貴女には風紀委員として活動して貰うわ。悪い事をしている人達を取り締まるの。それが貴女の役割。分からない事があったら私に聞いて。一つずつ、しっかり教えるから」
首を傾げる小鳥に、ヒナは更に続ける。
「小鳥、貴女はこれから、沢山の事を学ぶの。少しずつでも良い。貴女が1日でも早く、1人前になれるように、私も手伝うから。だから、よろしくね」
小鳥の頭を撫でると、困惑した様子の彼女に、また笑いかける。
小鳥は素直にヒナの後ろを歩き始める。その足取りは、ぎこちないながらも、どこか晴れ晴れとしていた。
それから小鳥は、ヒナの指導の下、風紀委員会で多くの事を学んだ。
ー小鳥、風紀を取り締まる者が嬉々として痛めつけた相手を観察するのはダメー
ー小鳥、私達は誰かを傷付ける為に風紀を守っているわけではないの。困っている人を助ける。それが私達。分かった?ー
ー偉いわ、小鳥。貴女は今、困っている人を助けたのー
ー小鳥、そのマスク……あぁ、前に言っていた事を覚えていたのね。そうね。悪くないわ。それじゃあ、そのマスクをしている時は風紀委員会の小鳥として頑張るの。そして、マスクを外している時は、1人の小鳥として。分かった?ー
少しずつ、小鳥は成長した。
沢山失敗し、沢山反省し、成功に結びつけた。
自然と笑うようになった。人との繋がりを大事にした。
そして……。
「ヒナ委員長」
「何、小鳥?」
書類整理に追われていたヒナの前を訪れた小鳥は、神妙な面持ちで、ヒナに問いかける。
「貴女は何故、此処まで私を気にかけるのですか? 此処までする理由なんて、貴女には無い筈なのに」
小鳥の疑問に、ヒナは優しく微笑むと、ゆっくりと答えた。
「そうね、私の目には、小鳥が困っていたように見えたから助けたかった。なんて答えたら納得出来る?」
「出来ません。ヒナ委員長は言いました。困っている人は助ける……と」
「えぇ、そうね。風紀委員として困っている人は助けるべきだし、そうでなくても、困っている人は助けて上げるのが……」
「私は……化物ですよ」
「…………」
震える声色で、小鳥はヒナに告げる。
化物と、怪物と、悪魔と言われ続けた小鳥にとって、ヒナから与えられる全ての事が新鮮だった。
しかし、ふと我に帰る。
何故、彼女が此処まで自分に手を差し伸べるのか。疑問は不安へと変わり、あらぬ感情へと揺れ動く。
これまで形作っていたものが、崩れ去っていくような錯覚を覚え、小鳥は更に続けた。
「みんな、私の事をそう言いました。お前は化物だ、怪物だ、悪魔だと。何度否定しても、誰も信じてくれませんでした。だから私は、化物なのに、なんで貴女は、そんな私を気遣ってくれるのですか?」
もしかしたら、この問いによって、ヒナからも否定されるかもしれない。
それでも、問わずにはいられない。
心が未熟なまま壊れたそれは、何かに縋らねば、また壊れてしまうだろう。
小鳥の問いに、ヒナは首を傾げながら答える。
「何を言っているの? 小鳥、貴女はーー」
『化物なんかじゃないわ』
「…………っ!!」
ヒナの一言に、小鳥は目を見開いた。そして……
「え、あ……あはは……な、何を言って……私は化物で……ずっとそう……言われ続けて……あ……あはは、なんだこれ? なんだこれ? 前が見えない。あははなんだこれ? 嬉しいのに悲しい。悲しいのに嬉しい……なんだ? なんだこれ……あ…は…はは」
大粒の涙を溢す小鳥を、ヒナは優しく抱き締めた。そして何度も言葉を繰り返す。
「何度でも言うわ。小鳥、貴女は化物じゃない。私と同じ、人間よ。もし、誰かが貴女の事を化物呼ばわりするのなら、私がその人を叱って上げる。小鳥は化物じゃないって」
「あ……あぁ……」
嗚咽が漏れる。涙が止まらない。ヒナの優しさに、小鳥はただ泣き続けた。
そんな小鳥を、ヒナはいつまでも抱き締め続けるのだった。
そして現在……
「ヒナ委員長〜!! ヨコチチハミデヤンがいじめるであります!!」
「ちょっ!! 何がはみでてるですか!! あぁ、そうでした。はみ出るものが何もないから悔しいのでしょう!!」
「ガルルルルルルルルルッ‼︎」
「唸らない唸らない。今のは小鳥ちゃんが悪いよ」
あれが本来の彼女の姿。ちょっと鬱陶しいと感じる時があっても、本来の彼女の姿に戻った事は嬉しく思う。
分岐点とは異なる、本来の世界線でした。
此処から本編に戻ります。
尚
マコトルート=闇堕ち小鳥ちゃん
ヒナルート=ちょっと鬱陶しい小鳥ちゃん
となっています。