補習授業部の試験合格。その報告を受けた小鳥は、安堵の息を漏らした。
これで、彼女達の退学の話は無くなる。それは、ナギサの思惑とは異なる内容だ。
条約を目前に控えての強硬手段。最悪の場合、自分の首を締める事となり得る手札を切ったにも関わらず、失敗に終わった。
その原因の大半に小鳥も関わっていたのだが、その事を彼女は知らない。本人はあくまでも一部と思っているからだ。
運良く試験会場に到着したとしても、温泉開発部に、会場含む区画一帯に温泉が湧く可能性があると匿名で情報を流し、開始時間と共に爆破して、試験そのものを中止にするという手筈だった。
しかし、小鳥達風紀委員会が温泉開発部の部長と部員達を拘束し、更に情報先に小鳥がいた事が温泉開発部の残党に広まり、中断される事となったのだ。
尚、後日談になるが、試験会場だった区画は、日を改めた温泉開発部の手により更地になったのだが……。
移動に関しても、風紀委員会が協力した事で余計なトラブルに巻き込まれずに現場に到着し、余裕をもって試験に挑む事が出来た。
万全とは言い難かったが、彼女達の努力が正しく実りを結んだ結果と言えるだろう。
ともあれ、これで補習授業部の退学はなくなった。先生の肩の荷もおり、ナギサの目論見も潰えた事だろう。
しかし、まだ問題は残っている。ナギサを狙う裏切り者の件がある以上、油断は出来ない。
今回の補習授業部の試験結果により、状況は大きく進展する筈だ。それがどのように傾くのか、それは誰にも分からない。
ゲヘナに身を置く小鳥も、トリニティの内情を把握する事は困難。関わろうとすれば、内政干渉と糾弾されかねない。
自分に出来る事はやった。後は先生に任せるしかない。
そんな折、ヒナに呼び出しを受けた小鳥は、トリニティで起こった事件を耳にする。
「え、ミカさんが事件の首謀者……ですか?」
ナギサを狙っていた裏切り者。それは、同じティーパーティーに所属する聖園 ミカだったのだ。
「えぇ、今トリニティはこの件で混乱しているみたい」
生徒会の中にホスト代行のナギサを命を狙っていた犯人がいたのだ。今頃トリニティは事後処理で大騒ぎとなっている事だろう。
「それでは、ミカさんがナギサさんを……誰かを雇って襲わせたという事ですか? 元々ホストであったセイアさんも含めて」
「そうなるわね。雇った…。と言っていいかわからないけど、アリウスの生徒を支援していた事は確かね」
「アリウス?」
「正確にはアリウス分校。元々、トリニティの領内に自治区を有していた分派の一つね」
詳しい経緯は不明だが、弾圧を受け、トリニティから追放され、表舞台から姿を消した学園の生徒が、トリニティの生徒会から支援を受け、セイアとナギサを狙った。
ナギサ襲撃を未然に防ぎ、ミカを拘束する事に成功した事により、事件が発覚し、今に至る。
「それで、なんでミカさんはナギサさんとセイアさんを襲ったのですか?」
「セイアの事はまだ分からないけど、ナギサを襲った理由はエデン条約の妨害よ」
ゲヘナを嫌うミカにとって、エデン条約は許容出来なかったのだろう。
それで、セイアやナギサを襲うというのは、少しやり過ぎな気がするのだが……。
と、そこまで考え、ナギサと会った時の出来事を思い出す。
ナギサの心境を知るべく行った観察で、ケーキをティーパーティーのメンバーに見立てた際、ミカをモチーフにしたケーキに手をつけようとした時、ナギサから感じた感情は、ミカを守りたいという意思だった。
しかし、ミカはナギサを襲った。
そして、自らを黒幕と名乗り、トリニティの裏切り者として、幽閉されている。
「……ヒナ委員長は何か気になりますか?」
「……そうね。もし、私がトリニティに所属していて、ミカと同じ立場。そしてエデン条約を妨害したい黒幕だったとしたら……」
ナギサ襲撃の現場に、姿を現すことはなかった。
「……そうですよね」
黒幕なら黒幕らしく、裏で兵を動かし、相手に気取られる事なく行動し続ければいい。
その利点を捨ててまで、何故その場に姿を現したのか?
「エデン条約を妨害したいという、元々の目的はあった。でも、その過程で問題が起きた?」
此処で考えられるのは、セイアの件だろう。
もしも、セイアの襲撃も、ミカの意図した結果でなかったのなら、ナギサの時も同じ事が起こるのを恐れた可能性がある。
「姿を現したのは、ナギサさんを襲うのではなく助ける為。同じ失敗を繰り返さない為だった。そう考えたら、辻褄はあう……のでしょうか?」
それなら、己の利点を投げ捨ててでも姿を現した事に説明はつく。
「そうね……小鳥だったらどうする? もしも、何らかの手違いで風紀委員の誰かを傷つけて、そしてまた、同じ事が起きようとしていたら」
「それは……そうですね。私もきっと、同じ事をすると思います」
真実は本人にしか分からない。他の理由もあったのかもしれない。だが、起きた事を後から考え、理由付けするのは、そう難しくはない。
だが、それはあくまで想像であり仮説だ。真実は分からない。
そして、その答えを当人以外の他者が知る事は出来ない。
だからこそ、この問答は、意味を成さず、あくまでも自己満足に過ぎない。だけど、それでも答えが欲しい。そう思ってしまうのは……何故だろう?
この答えは、一体誰が教えてくれるのだろうか。ヒナ委員長なら、その答えを知っているのだろうか?
そんな小鳥に、ヒナは一瞬、瞳を揺らがせながら、口を開いた。
「……小鳥」
視線を向けると、ヒナは真っ直ぐに小鳥を見つめていた。
「いい? 人の思いというのは、誰にも正しく理解する事は出来ないの。だからこそ、その人の事を知りたい。理解したいと、そう思うのよ」
それは、ヒナの本心なのだろう。彼女の言葉は、小鳥の胸に深く突き刺さっている。
人の気持ちを理解する事は出来ない。当たり前だ。どんなに親しい仲であろうと、その人と自分は他人同士なのだから。
だが、それで割り切るのではなく、それを理解した上で、相手の事を知りたい、理解したいと、寄り添う事が大事なのだ。
かつてヒナが、小鳥にそうしたように。
「貴女は誰かを『観る』ことに長けている。その力を正しく使うの。そうすれば、貴女はもっと、知らない誰かを助ける事が出来るわ」
小鳥はヒナの目をじっと見つめる。
その言葉に隠された思いを、声色や仕草からも読み取り、パズルのように組み合わせていく。
「……あはは」
まだ、気が早いじゃないですか。
風紀委員会を辞めたとしても、関係が終わる筈がないのに。
「ヒナ委員長。私はまだ、貴女から沢山の事を学びたいと、そう思っていたのですよ」
私は、貴女の背中を見続けてきた。
沢山の事を学び、失敗と成功を繰り返し、そして、私は今ここにいる。
貴女がいなければ、私は今頃、道を踏み外していただろう。
過ちに気付かず、取り返しのつかない事をしていただろう。
貴女には、感謝してもしきれない程の恩がある。
私を人として導いてくれた事に、私は深く感謝している。
だから、私は貴女に恩を返したい。返しても返しても返しきれない恩を返したい。
そう思っていたのに……
「ですが、了解しました。不肖、不死川 小鳥。私は今、この時をもって、ヒナ委員長から巣立つ時が来たのですね」
それでも、小鳥はヒナに笑顔を向ける。それは、精一杯の強がり。そして……感謝の気持ち。
風紀委員長として、人として、沢山の事を教えてくれたヒナに、小鳥は心から感謝している。
だから……
小鳥は、彼女の目を見つめ返しながら、声高々に宣言する。
巣立ちの時がきたのならば、新たな一歩を踏み出す時なのだと。
それが、彼女の望みなのだから。
ヒナは、小鳥には自由になって欲しいと思っていた。風紀委員会に残るも、そして離れるにしても、小鳥の自由にと。
小鳥には、教える事は全て教えてきた。後は、彼女自身が学んでいく事を見守るだけ。
親鳥の後を追う雛鳥のように、自分の背中を見て成長し、成功と失敗を繰り返しながら学び続けた小鳥を、ヒナはずっと見てきた。
前を見て歩き続けたヒナが、ふと後ろを振り返る。
初めて小鳥と出会った時は、ほとんど身長は変わらなかった。しかし、いざ後ろを振り返れば、時間と共に成長した小鳥の姿があった。
その姿が、何処か不思議で、しかし心地良くもあった。
ー大きくなったわねー
自然と零れた言葉に、小鳥はキョトンとしながらも、何処か嬉しそうに、
『はい!! 沢山牛乳を飲んで、沢山寝て、沢山運動しました!!』
と、少しズレた解答をしながらも、笑みを浮かべた彼女に、ヒナもつられて笑ってしまった。
その笑顔を見て、小鳥はもう大丈夫と、そう思いながら今日に至る。
小鳥はもう、雛鳥ではない。巣立ちの時がきたのだと、ヒナは悟った。
小鳥はきっと、もう大丈夫だ。自分の背中を見続けるのではなく、自らの道を見つけ、その道を進む事が出来るだろう。
その事を、エデン条約の前に伝えておきたかった。
「ええ、そうね。小鳥はもう大丈夫」
ヒナの言葉に、小鳥は大きく頷いた。
小鳥はもう、巣立ちの時を迎えたのだ。それと同時に寂しさもあった。それは、親離れした子供に対する親の感情と似たものなのかもしれない。
それでも、巣立ちを迎えた雛鳥を見送る親鳥のように、ヒナは小鳥に微笑を向ける。
「今までありがとうございました」
「えぇ、どういたしまして」
「って、まだ風紀委員会を辞めるかどうかも決めたわけではないですし、エデン条約まで、まだまだやる事は沢山あるんですけどね」
「ふふ、そうね。ただ、伝えたい事は伝えられる内に伝えたかったからね」
「あはは、ヒナ委員長。それってフラグって言うんですよ。でも、良いですね。私も、ヒナ委員長に伝えたい事を伝えられましたし」
本当は、まだまだ伝えたい事はたくさんある。しかし、今はこれくらいで丁度いい。必要な事を伝えられた。
後はエデン条約まで、何事もなく、無事に終われば、それでいい。
「……準備しろ。みんな」
たくさんの感想・評価ありがとうございます。
凄く励みになっています。
そして、本作はエデン条約(最終回)に向けて舵を切っております。
どうか、最後まで見て頂けると幸いです。