ーエデン条約調印式、当日ー
調印式の会場となった通功の古聖堂を警護するトリニティとゲヘナの両陣営。
片やトリニティの正義実現委員会。片やゲヘナの風紀委員会。
各陣営、警護する場所に境界線を作り、互いに睨みをきかせながらの警備体制だ。
クロノス報道部からは、調印式の会場の情報が逐一報道され、互いに譲らないぞという張り詰めた空気のようだ。
そんな現場とは打って変わり、小鳥はヒナと共に、周囲の警護に目を光らせていた。
「……ヒナ委員長」
「小鳥が気にすることはないわ。全部、あのタヌキの嫌がらせだもの」
本来、ヒナはナギサと共にエデン条約締結のために準備を進めた人物の一人だ。
その式典に出席する資格がある筈のヒナが、警備に回されている。噂によると、補習授業部の試験会場としてゲヘナの自治区を訪れた先生たちを招き入れたとして、招き入れた風紀委員の監督不届きの責任を追及され、出席を取り消されたというもの。
一時期は調印式に出席させまいと邪魔されていたのだが、後に用意されるに至り、そして急遽撤回され、最終的にはヒナに次ぐ立場であるアコのみが参加を許されたのだ。
これにはアコや他の風紀委員も憤慨したが、ヒナはそれを了承して、他の風紀委員に事情を説明して納得させた。
なお、今回の原因の一端として、小鳥がイブキを誑かして、外食させた内容を曲解して捉えるように編集した音声データをマコトに送ったことや、補習授業部の件で小鳥がトリニティの生徒たちをゲヘナの自治区内に通した事も原因の一端であるのだが、その事は皆には黙っている。
「それに、私が此処で出来る事は何もないわ。それなら、怪しい人物が式典にうろついていないか目を光らせていた方が有意義よ。それに……」
それに、と言葉を付け加え、フッと意地悪な笑みを浮かべ、小鳥に告げた。
「今回の条約が締結し、エデン条約機構が設立出来れば、マコトに足枷を嵌める事が出来るんだもの。その事に気付いて慌てふためくマコトの姿を想像したら、十分おつりがくるくらいよ」
エデン条約機構、通称ETOは、トリニティとゲヘナの中心メンバーが全員参加する中立機構。両学園間で問題が起きた時は、ETOがその問題を解決するという構想だ。
ETOをある種の武力集団と捉える者もいるかもしれないが、それはあくまで個人が有することは出来ない仕組みとなっている。ゆえに、マコトが今回のエデン条約に乗った理由がETOによる武力集団の確保が狙いなら、その目論見は崩れる事になる。
むしろ、マコトが今後、トリニティに何かしらの干渉をしようとした際には、ETOによって妨害する事が可能となるのだ。
そのことを知らずに、条約を締結させ、そしてそれに気付いた時のマコトの反応を想像するに、面白い事になると笑うヒナに小鳥は苦笑を浮かべた。
「その時の状況が目に浮かびますよ」
小鳥から見たマコトは、野心に関しては人一番強く、その為の策略・策謀に関しては、その才能を存分に発揮しているように見える。しかし、同時に後先考えずに行動する事が多いため、詰めが甘い、あと一押しが足りないと、荒い面が目立つ。
入学したての頃、一度だけ万魔殿に勧誘された際、その話を全て聞く事無く、引き金を引いて誘いを断った事がある。それ以来、本人と面と向かって話をしたことがない。
よくて誰かと話しているのを遠目に見るくらいで、その人柄は、小鳥の知る限り、一般生徒達の噂や、被害にあった風紀委員会内で聞いた程度の情報しかない。
今回の調印式に関しても、この通功の古聖堂を選んだ人物がゲヘナの首脳部が提案したとは聞いているが、その理由も大きなイベントなのだから、大きくて威厳のある場所がいいという、要するにデカい場所の方がカッコ良いとの事だった。
聖園 ミカとアリウス分校の話を聞き、そしてこの通功の古聖堂の話を聞いた時、此処がアリウス分校が弾圧され、追放されるきっかけとなった『第一回公会議』が執り行われた場所である事を知った。
ふざけた内容でこの場所を選んだマコトの真意は不明だが、アリウス分校の生徒達による事件が起きたばかりの時期にこの場所を選んで選んだのには何か意味があるのかもしれない。
何か意図しての事なのか、それとも何も考えていないのか、それが分かれば良かったのだが、あいにくと、その意図は分からないままだ。
他にも、この古聖堂には様々な噂があり、そのどれもこれもが不安を駆り立てるには十分な代物だった。
(その意味では、便利屋68に個人的な依頼を出しておいて良かった)
そう思いながら、ヒナの隣を歩いていると、古聖堂の内部で言い争う声が聞こえてきた。
「何か問題が発生したようね」
「ですね。とはいえ、そこまで急を要するものではなさそうでありますが」
争っているというには些細な声量。恐らく風紀委員の誰かと正義実現委員会との間で揉め事が起きたのだろう。事態を収拾するべく、古聖堂内に入ると、見覚えのある男性がそこにいた。
「おや、先生じゃないですか。何かあったでありますか?」
「小鳥にヒナ。久し振り」
「先生、久し振りね。先生がゲヘナに来て以来かしら」
そこにいたのはシャーレの先生と風紀委員と正義実現委員会に所属する少女。そして。正義実現委員会の委員長を務める、ツルギであった。
「こっちも増援と思ったらヒナ委員長に小鳥ちゃんっ!!」
「はっはっは。残念ながら増援ではなく騒ぎが聞こえたから様子を見に来ただけでありますよ。それで、どうしたんですかい?」
集まった風紀委員と正義実現委員会の子たちの様子から察するに、本当に些細な事なのだろう。それに先生が巻き込まれたか当事者か……当事者だとしても、大した理由ではないだろう。
話を聞くに、ホールで待機していたが、時間を持て余した為、周辺を適当に探索しようとしていたら業者と勘違いされ、正義実現委員会と風紀委員会の両名に止められたとのこと。そして、その成り行きで両者間で言い争いになり、互いに増援を申請し、正義実現員会では偶々ツルギが現れ、風紀委員会では小鳥とヒナが来たという流れだ。
「あぁ~成程ですねぇ。いいですか。此方の方はシャーレの先生であります。情報共有できておらず、申し訳ありません」
キヴォトスの生徒全員が先生の顔を知っているわけではない。時折ゲヘナを訪れていても、先生の顔を知らない生徒も沢山いる。今回、偶々その場に居合わせたのが、先生を知らない生徒だった事もあり、軽い騒動になった程度だ。
とはいえ、先生の事はさておき、それ以外の理由で言い争いをしていた生徒には後で注意が必要だ。その事を視野にいれつつ、先生に謝罪の言葉を送ると、ツルギもまた、此方にも非がある事を認めた上で謝罪の言葉を残し、引き続き、任務の為にその場を後にした。
ツルギが去った後、言い争いをしていた双方の風紀委員から謝罪の言葉を貰い、事態は収拾した。そして、先生から話を聞くと、まだ時間に余裕があるから、もう暫く見て回りたいとの事。
「それでしたら、ヒナ委員長と一緒に、見て回っては如何でしょうか? ヒナ委員長でしたら警護も兼ねる事も出来ますので」
「ちょ……小鳥」
「先生は大事な要人であります。そしてヒナ委員長でしたら警護を任せるに十分な力もありますし、何より顔が利きます。ほら、私の場合、活動中はマスクしてますので時々『あんた誰?』って言われるので委員長が適任かと。先生はどう思われますか?」
突然の提案に驚くも、先生は、『ヒナが良ければ』と返事を返す。
「警備の方は私が何とかしますので、委員長は先生の警護をよろよろでありますよぉ」
と、最後の逃げ場をなくしてその場を立ち去る。ちょうど騒ぎを聞きつけた風紀委員の子が近くにいたので、その子を連れての警備再開だ。
有無を言わさずその場から去った小鳥に、ヒナは溜息を一つ溢すと、先生に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「先生、ごめんなさい。小鳥、なんだか気を使ったみたい」
「小鳥らしい……のかな?」
「……ふふ、多分、そうなのかも」
小鳥はヒナが先生に向けている感情を理解している。そして、自分がいたら気を使うと分かっていたからこそ、有無を言わさずにその場から他の子を引き連れ立ち去った。
マコトからエデン条約の出席を撤回され、嫌がらせとして警備の任を与えられたのだ。これくらいのいい思いをしてもバチは当たらないだろう。
そんな小鳥の気遣いにヒナは感謝しつつ、先生と古聖堂を見て回る事にした。
長きに渡り、廃墟として放置された古聖堂。
此処で調印式を締結する事が決まり、大々的な修理が行われたものの、その全体を修理されたわけではない。修理はあくまで調印式が行われる場所にとどめ、残りはいまだに放置されたままのようだ。
「先生、知ってる? この古聖堂の地下には大規模なカタコンベが残っているらしいの。数十キロに及ぶ巨大な地下墓地。昔、此処でトリニティで第一回公会議が行われた時に地下墓地がある事が分かったみたいなんだけど、先が見えないほどの大きさだったみたいよ」
そして、この古聖堂を守護していたのが、シスターフッドの前身にあたるユスティナ聖徒会と呼ばれる組織。
此処には様々な記憶が残されている。それこそ、此度のナギサ襲撃の犯人であるアリウス分校の記憶も。此処で何があったかは当事者とそれを語り継ぐ人物しか知りえない。
だからこそ、此処で行われるエデン条約には様々な思惑が入り混じる事となる。
ヒナは、この古聖堂に眠る様々な歴史をわかる範囲で語りながら先生と共に見て回る。そして、外に出てから一息つくと、ヒナは先生に向けて、静かに告げた。
「付き合ってくれてありがとう。先生」
「此方こそ、ヒナが付き合ってくれたおかげで有意義な時間を過ごせたよ」
「そう、それは良かったわ。それじゃあ私は戻るから」
そう言って、警備に戻ろうとするヒナを、先生が呼び止めた。
「ヒナ。エデン条約が無事に終わったら何かしたいことはあるの?」
「急にどうしたの?」
「アコも、そして小鳥も、ヒナが風紀委員会を辞めることを知っているんでしょ? 折角時間を作れるわけだし、何かしたい事はないかなって」
これが終われば、時間ができる。その時、何かしたい事はないか……。
少し疲れたから、休みたいという気持ちもあったのだが、いざ、先生に直接そういわれると、考え込んでしまう。
そして、少し考えた後に、ヒナは思い出したように笑みを浮かべた。
「そういえば、小鳥からも同じ事を言われたわ。エデン条約が結ばれたら何がしたいか。あの時は何も答えられなかったけど、小鳥からはこう提案されたの。『各学園の自治区の観光スポット巡りはどうでしょうか?』って」
仕事や任務で他校の自治区を訪れることは多かったが、観光目的で行くことはなかった。この機会に旅行もいいのかもしれないと、そう答えたヒナに先生も微笑んで見せた。
「観光スポットとか、私はよくわからないけど、小鳥が付いて来てくれるなら、きっと面白いんだと思う」
「そっか。やりたい事は見つけたんだね」
「そんな大袈裟な事じゃないわ。仕事の合間に、息抜きがてらに話し合っただけ。でも、小鳥がせっかく考えてくれたんだもの」
きっと楽しいものに違いないと、そう信じるヒナに先生は笑みを浮かべた。
「それじゃあ、仕事に戻らないと。先生も無理をしないで」
「無理なんてしてないよ。生徒を見守るのが先生の仕事だしね」
そう言って、互いに手を振りながら別れる。風紀委員の委員長としての最後の別れか。そう思いながら、迫るエデン条約調印式に向けて、歩もうとした次の瞬間……
聞きなれない音が鼓膜を震わせ、ヒナは咄嗟に踵を返し、先生のもとへと駆けた。
「先生っ!!」
叫ぶように発せられた声に、先生が振り返る。
驚いた様子の先生だったが、今はそんな余裕はない。一歩でも早く、先生の元へ。
考えるよりも先に、肩に担いでいた愛銃を手放し、身軽となっていた。
そして、身軽になった分、先生の元へと早く辿り着き、有無を言わさず先生を守るように翼を広げて包み込み、そのまま地面へと押し倒した。
そして、次の瞬間にそれは起きた。
轟音と共にヒナの背中に衝撃が走る。
次いで、熱と痛みが押し寄せ、ヒナは苦悶の表情を浮かべるも、先生を守ろうと必死に耐えた。
しかし、熱風はヒナの華奢な身体を、先生ごと吹き飛ばすと、そのまま視界がブラックアウトした。
沢山の評価・感想ありがとうございます。
今回は、本来のストーリーから大分内容が変わっております。
特にヒナの立ち位置が大分変っていますが、それも、この作品上で小鳥が様々な事に関わったからこその内容となっております。
それを踏まえたうえで見ていただけると幸いです。