きっと、ヒナ先輩がエデン条約に向けて動いていなかったら、私はこの辺りで、手打ちという形で切り上げていただろう。
……とまぁ、そんな風にセンチメンタルに浸ってみるが、そんな事はなかった。
便利屋68とのやり取りは、きっと5分にも満たなかっただろう。
その僅かな時間が、狂おしいほど楽しかった。
だから……
「ア〜〜ル〜〜ちゃ〜〜んっ!! あっそび〜ましょ〜〜!!」
久方振りの全力疾走。風が頬を撫でる感触が気持ち良い。
……ん、風が頬を?
「あっ、やばば。マスクが取れてる」
頬をペタペタと触りながら、そこにあった筈のマスクが無い事に気付き、暫しの沈黙の後、『まっしょうがないね』と自己完結。
それよりも、今は目の前の便利屋68とのやり取りを楽しもう。無論、職務を全うする為だ。私情ではない。きっと、多分、恐らくは。
道路標識の支柱が車に当たったのは良いが、避けられた。当たったのに避けられたとはこれいかに。
「運転してるのは誰だぁ? アルちゃんじゃないな。あれは多分カヨコ先輩かなぁ」
外したからにはもう一本と、辺りに手頃な標識がないか探してみるも、見つからない。
残念、そう思いながら弾を装填して車の後を追いかける。
便利屋68も私が追いかけてくるからか、中途半端に割れたリアガラスを銃床で叩き割ると、私に向けて発砲してきた。
でも残念。アルちゃんの銃は狙撃用。動き回る車では狙いは定まらない。
カヨコ先輩は運転に集中しなくちゃいけないし、ハルカの銃は……よくて牽制くらいが関の山。
唯一、迎撃に有効な銃を所持しているのはムツキちゃんくらいか。
爆弾と銃弾による牽制。少しでも足を取れられたら御の字といった所か。
「良いですね良いでしょう承りましょう。どっちがへたれるかの根比べといきましょう!!」
「ア〜〜ル〜〜ちゃ〜〜んっ!! あっそび〜ましょ〜〜!!」
「どうする社長。ご指名だよ」
「い、いやに決まってるじゃない。此処は撤退よ撤退。そう決めたじゃない!!」
「だよね。流石にあれを相手にするのは骨が折れるよ」
そう言いながら、カヨコはアクセルを踏み、急発進する。
幸か不幸か、標識の支柱はリアガラスとフロントガラスを突き破っただけで、車体そのものには大きなダメージは与えられていない。
「ムツキとハルカは迎撃準備。少しでも小鳥ちゃんから離れるよ」
カヨコの号令に、ムツキはリアガラスを割って視野を確保して銃を構える。ハルカも爆弾を取り出し、何時でも使える様に準備を整える。
カヨコはチラリとサイドミラーに視線を向けるが、もの凄い勢いで迫り来る小鳥の姿に思わず苦笑いを浮かべた。
「兎に角、飛ばすよ。かなり荒っぽくなるから気を付けてね」
此処から先は少し入り組んでいる。普段なら速度を落とす必要があるが、そうなると追いつかれるかもしれない。
車を使い潰す勢いで走り、小鳥を引き離す事だけを考えよう。
そうして、車を走らせながら少しずつ小鳥を引き離した所で、フッと小鳥の姿がサイドミラーから見えなくなった事に気付いたカヨコが、後ろの2人に問い掛ける。
「小鳥ちゃんは!!」
「分からない!! ちょっと前の曲がり角辺りから見えなくなった!!」
(体力切れ? 引き離せた? 本当に?)
カヨコはバックミラーやサイドミラーを注視するが、やはり小鳥の姿はない。
念の為、もう一度後方を確認するが、やはりいない。
(撒いた……のかな?)
首を傾げながらも、念には念を入れて曲がり角に注意しながら車を走らせる。
そして、漸く直線道路に繋がったと安堵しかけたその時、何処からか立て続けに銃声が鳴り響いた。
「何処から聞こえた!!」
「分からない!! でも、近いよ!!」
「社長は前方を警戒して!! ハルカとムツキは後方をお願い!!」
カヨコの指示に従い、銃を構える2人。唯一手持ち無沙汰のアルは前方に異変がないか、注視した。
が、真に注意すべきは道ではなく建物であった。
再び響き渡る銃声と共に、建物の壁が一部破壊され、破壊された壁を起点に大きな罅が入って、道路に瓦礫が雪崩れ込む。
咄嗟のハンドル捌きで瓦礫を回避するも、壁から飛び出した人影に、一同は驚愕の表情を浮かべた。
「うっ、嘘でしょ!!」
アルが叫ぶのも理解できる。
流石の小鳥も車には追いつかない。しかし、車が通る道を予測して、目の前の障害物を取り除けば、それだけ距離を縮める事が出来る。
要は壁を突き破ってショートカットしてきたのだ。
「カ、カヨコ!! 前っ!! 前っ!!」
「っ!!」
壁を突き破って道路に飛び出した小鳥。しかし、ブレーキをかけるにしても、お互いの距離があまりにも近すぎた。
ドンッ!! という鈍い音と共に小鳥の身体がボンネットに叩きつけられ、その反動で車体が大きく揺れた。
勢いは止まらず、そのまま身体が大きく跳ね、車体の上、ルーフの部分にまで叩き付けられる衝撃が走った。
「ひ、轢いちゃった。今、小鳥ちゃんを轢いて……」
「大丈夫!! 一瞬だけど受け身をとってた!! それより拙いよ!! 上を取られた!!」
小鳥を轢いて動揺するアルを他所に、カヨコは銃口を天井に向けて引き金を引こうとした。
しかし、それよりも早く、ルーフからSGの銃口が突き出され。車内に銃声が響き渡る。
「くっ!!」
散弾が車内で跳ね回り、内装を破壊していく。更に追い討ちをとリロードする音が聞こえたが、カヨコはそれをさせまいと銃口を天井に向けて発砲した。
一発、二発。リロードの隙を突いて、銃弾が天井に風穴を開ける。
手応えはあった。だが、まだ油断は出来ない。運転をしながら、空になった弾倉を入れ替え、追撃に備える。
何処から来る?
皆が息を飲む中、視界の端から人影が飛び出し、フロントドアガラスを破壊した後にカヨコの首を鷲掴みにし、車外に引きずり出そうとする。
「カヨコ!! 大丈夫!!」
「な、なんとか……でも、これは拙いかも」
咄嗟に、首根っこを掴まれたカヨコの胴体に手を回し、車外に出そうとする小鳥を必死に抑え込む。
「惜しい惜しい、後ちょっとだったんですけどねぇ」
割れたフロントドアガラスの外から小鳥が顔を出す。マスクが外れた状態の顔。仕事のオンオフを切り替えるために被っていたマスクが外れた状態の彼女を、カヨコだけが目撃した。
「……活動中、マスクをしていた理由がよく分かったよ。私も人のこと言えないけど、貴女も大概だね。小鳥ちゃん」
「ははは、全く以ってその通りでありますなぁ。まぁ、これで私の事を少しでも理解して頂いたのは恐悦至極にて〜」
軽い口調だが、腕に力を込められ、カヨコは苦痛の表情を浮かべる。
車外に引き摺り出される事はないものの、運転に集中できず、その内ハンドル操作をミスって事故に繋がるだろう。
「ハルカ、ムツキ。何でもいいから撃って!!」
「わ、分かった!!」
「は、はい!!」
二人同時に窓から身を乗り出し、銃口を向け、引き金を引く。
至近距離からSGの弾を受けてもビクともしない。
ムツキのMGも同様だ。
ダメージがないわけではない。ただの我慢比べみたいなものだろう。
蓄積したダメージで限界を迎えてカヨコから手を離すか、カヨコが車外に引き摺り出されるか、運転操作をミスって事故を起こすか。
3人が懸命に抵抗する中、自身の愛銃の取り回しが効かないアルは1人何も出来ず、カヨコの身体を支えることしか出来ない。
(どうする……どうするどうするどうする!! カヨコ達が必死になってるのに私だけ何も出来ないなんて……っ!!)
自身の無力さに、ギリッと歯を食いしばる。そんなアルの心境など知らず、小鳥は呑気にカヨコと言葉を交わす。
「そろそろ、無駄な抵抗はやめた方が良いですよぉ〜。私は頑丈ですので、このまま事故っても平気ですが、貴女達はどうでしょうかねぇ〜」
「そ、れは……嫌かなっ!!」
カヨコが最後の抵抗とばかりにルーフから上半身を乗り出す小鳥の頭部目掛けて銃口を突きつけようとするも、それを読んでいた小鳥はもう片方の手で手首を掴んで妨害する。
車の上に陣取りながら、両腕はカヨコの首と手首を掴んだ状態。ちょっとでもバランスを崩せば、その皺寄せはカヨコにも及ぶだろう。
下手に攻撃して、小鳥を車上から放り出せば、カヨコが……。
迂闊に攻撃する事が出来なくなったムツキとハルカも、どうしていいか分からず、攻撃の手を止めてしまう。
「ははは、これはもう詰みでありますなぁ。カヨコ先輩も、そんな物騒なものをしまって、大人しくするでありますよ」
「くっ!!」
握力を込められ、銃を握る手に力が入らなくなる。そして、限界を迎えたカヨコの手から、銃が滑り落ちた。
丁度カヨコの身体を支えていたアルの眼前へと。
「…………あっ」
カヨコの銃を見て、アルは無意識にカヨコの身体を支えるのを止めた。
そして、カヨコの銃を拾うと、素早く銃口に手を伸ばした。
「カヨコ!! 少しだけ我慢して!!」
「っ!! 了解、社長」
意図を察したカヨコに、小鳥は首を傾げながら、カヨコの首に回していた腕に力を込めるが、アルは構わずに銃口を小鳥へと向けた。
カヨコの銃では、小鳥に大したダメージを与える事は出来ない。
そして、下手にダメージを与えて車上から投げ出されれば、首を掴まれたカヨコも危険だ。
アルに求められるのはカヨコへの拘束を解き、小鳥を車上から引き剥がす事。
アルは一切の迷いなく、カヨコの銃の引き金を引いた。
引き金を引く刹那、素早く身を乗り出し、銃口を小鳥に……ではなく、明後日の方向へ。
弾を当てる必要はない。
必要なのは、銃口を小鳥の耳元に近づけ、発砲する事にあった。
サプレッサーを外した、カヨコの銃で。
轟音が鼓膜を刺激し、小鳥は平衡感覚が奪われる感覚に陥る。拘束する力が弱まり、カヨコは小鳥からの拘束を抜け出した。
「みんな、捕まって!!」
好機とばかりに、カヨコはハンドルを素早く切り、車の進行方向を強引に捻じ曲げた。
突然の出来事に、小鳥も対応出来ずに車上から放り出される。
スピードが出た状態から放り出された小鳥は、アル達を一瞥した後、眼前に迫る電柱に気付き、笑みを浮かべた。
「……良いねっ」
ガコンッ!! と鈍い音を立てて、顔面から電柱にぶつかり、勢いそのまま地面に身体を叩き付けられ、そのままピクリとも動かなくなる。
「ね、ねぇ、流石にあれは……」
「大丈夫……だと思う。多分」
電柱にぶつかった際に、盛大に血を吹き出していたが、恐らく大丈夫だろう。
そう思う事にした便利屋68のメンバーは、ひと段落ついたと肩の力が抜け、ボロボロになった椅子に身体を預けた。
「なんだか、ほっとした途端に疲れが……」
「私も〜」
「そうね、今回は散々だったわ……少し休暇をとって息抜きしたいわね」
「そうだねぇ〜」
口々に疲労を吐露する中、他の風紀委員の包囲網から遠ざかる為に運転を再開したカヨコは、額の汗を拭いながら口を開いた。
「社長」
「ん? どうしたの、カヨコ」
「その、今回は助かった。ありがとう」
カヨコの真っ直ぐな感謝の言葉に、アルは目を瞬かせた。
そして、当たり前の事をしたと言わんばかりに笑顔を浮かべて、口を開いた。
「何言ってるの。私は便利屋68の社長よ? 社員が困ってるなら助けてあげるのが社長の役目でしょ」
車が遠ざかっていく音が聞こえる。どうやら耳は回復したらしい。
指は動く。身体も……動く。
視界はまだボヤけているが、直ぐにでも回復するだろう。
全身を打ち付けたせいか、身体が痛い。だが、動けないほどではない。
「カハッ、やっぱり頑丈なのは良いでありますねぇ〜」
ペッと血を吐き出して、自身の回復力に感心する。
身体を起こして、折れた鼻を撫でた後、力任せに元の位置に戻す。
「あ〜、暫くは鼻声小鳥ちゃん案件じゃないですか。全く、許さんぞ陸八魔 アル……って、冗談はさておきっと」
身体中の砂埃を払いながら、小鳥は辺りを見回した。
便利屋68の姿は既になく、他の風紀委員の姿もない。
「携帯は……壊れてますね。画面がバッキバキ。連絡、取れないでありますなぁ」
連絡が取れない以上、合流するのは時間がかかるだろう。
それまで、此処で待つしかないと思いながら『ハフゥ……』と息を漏らした。