風紀の狂犬   作:モノクロさん

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誤字報告ありがとうございます。
修正させて頂きました。


Prologue

ーVanitas vanitatum et omnia vanitasー

 

 あぁ、確かにその通りだ。全ては虚しい。それが分かっているというのに、私は……

 

 

 

 

 

 雨音と共に、意識が覚醒する。

 

 身を寄せ合って暖を取りながら、少しでも体力が回復すればと仮眠を取ったものの、雨風を凌ぐ場所を確保する事が出来ず、体温と体力が奪われていくのを感じる。

 

 服が雨水を吸い取り、身体の内側を冷やしていく。カチカチと音が聞こえるのは、きっと気のせいではないだろう。

 

 皆が皆、その身を雨水に晒され、体温と体力を奪われながらも、必死に身を寄せ合っていた。

 

 身体が震える。その震えを抑えようと、私は自らの身体を抱きしめるが、それでも寒さは消えない。まるで、身体の芯から凍えるような寒さに身体を震わせていると、不意に誰かが私の身体を抱きしめた。

 

 それはとても暖かくて、そして優しい抱擁だった。その温もりに身を委ねるように、私はその人の腕の中へと入り込むと、そのまま身体の力を抜く。すると、私を抱きしめる腕の力が強まった。

 

 その温もりに身を任せていると、不意に目頭が熱くなり、涙が溢れ出した。

 

 何故だろう?

 

 こんなにも暖かくて優しいのに、どうしてこんなにも涙が溢れるのだろう?

 

 私には分からない。その人の暖かさに溺れるように、私は静かに涙を流すと、その涙をその人は優しく拭ってくれた。

 

 それでも……何故だろう?

 

 頭の中で、あの言葉が木霊する。

 

ーVanitas vanitatum et omnia vanitasー

 

 全ては虚しい、こんなに暖かな温もりに包まれているのに、それすらも否定してしまう言葉が、頭から離れない。

 

 雨足が強くなる。次第に1人、また1人と意識を覚醒させ、寒さに身体を震わせながら、隣に並ぶ仲間から少しでも体温を感じようと、身を寄せ合う。

 

 その姿は、今の私達に相応しく、何とも惨めで、何とも哀れな事だろう。

 

「……移動するぞ」

 

 声が聞こえる。仲間を纏めていたリーダーの声だった。

 

 その声に、皆が立ち上がる。

 

 身体が鉛のように重い。極度の疲労と空腹で、まともに力が入らない。それでも、身体を引き摺るように歩みを進める。

 

 私だけではない。他の皆も、私と同じか、それ以上に悲惨な状況だ。

 

 歩く事もままならず、銃を杖代わりについて歩く者もいれば、銃を持つ体力すら残っていないのか、手からするりと銃が零れ落ち、それを拾う事すらままならない。それでも、私達は歩き続けた。

 

 少しでも安全な場所を求めて……そんなもの、在る筈ないと分かっていながらも、一縷の望みに賭ける。

 

 身体を襲う寒気は留まる事を知らず、まるで魂を蝕んでいるかのように、心を弱らせる。

 

 だからだろうか?

 

 私の心に巣食う虚しさが、一気に膨れ上がったのは……。

 

 再び目頭が熱くなり、視界が歪む。あぁ……もう限界だ。身体がふらつき、その場で倒れそうになった時、不意に誰かが私の身体を支えた。

 

 見上げるとそこには、リーダーの……サオリさんの顔があった。

 

 サオリさんは、無言のまま私の身体を支えると、そのままゆっくりと歩み出す。そして、その歩みは私だけではなく、他の皆にも向けられたものだった。サオリさんは、周囲の仲間達に声を掛けると、その身体に触れながら歩みを促していく。そして、最後に私へと視線を向けた。

 

 その瞳には、様々な感情が込められており、そして何よりも心配そうな眼差しが私に向けられていた。

 

 私はその視線に耐えきれず、顔を逸らす。

 

 サオリさんは何も言わずに、ただ黙って私の身体を支え続けた。

 

 雨は止む事はなく、私達の体温と体力を奪い続ける。それでも、サオリさんは歩みを止めない。

 

 私も、サオリさんに支えられながら、少しずつ歩みを進める。

 

 けれど、気力と体力が限界に達していたのだろう。遂に私の身体は限界を迎え、その場に崩れ落ちる。

 

 水飛沫と共に地面に身体が打ち付けられ、その衝撃で身体に激痛が走るが、それ以上に……私の心に虚しさが溢れ出した。

 

 あぁ、やはりそうだ。全ては虚しいのだ。

 

 マダムの元から離れ、他の仲間からは裏切り者として追われる身となり、必死に逃げ延びた結果がこの様だ。

 

 私は、一体何処で間違えてしまったのだろうか?

 

 それとも、これが運命だったとでも言うのか?

 

 どうして私達がこんな目に合わなければならないんだ……。

 

 私は、ただ自由になりたかっただけなのに

 

 涙が止めどなく溢れ出す。泥水に塗れ、雨に打たれ、無様に地面に這いつくばるしか出来ない。

 

 もう嫌だ。誰か楽にしてくれ……。

 

 地面に蹲り、嗚咽を漏らしていると、不意に私の身体が誰かに抱き起こされた。顔を上げると、そこにはサオリさんの顔があった。その目には、やはり様々な感情が込められており、そして何よりも私を心配するような眼差しが向けられていた。

 

「……大丈夫か?」

 

 サオリさんが、私に声を掛ける。その声色は優しくもあり、同時に不安気に聞こえた。

 

 私は嗚咽を堪えつつ、何とか言葉を紡ごうとする。だが、上手く話す事が出来ず、掠れた嗚咽が口から漏れ出るだけだった。

 

 それでもサオリさんは、私の言葉を待ってくれているのか、黙って私の言葉を待っている。その優しさに、私は思わず涙した。

 

 そして、何とか言葉を絞り出しながら口を開く。

 

「……Vanitas vanitatum et omnia vanitas」

 

 私はそう呟く。

 

 あぁ……何故私は、そんな言葉を紡いでしまったのだろうか。

 

 後悔してももう遅い。その言葉を聞いて、サオリさんはハッとしたように目を見開くと、そのまま静かに目を伏せた。

 

 私はただ……自由な世界が欲しかっただけなのに。

 

 マダムの恐怖による支配から解放されたかっただけなのに……。

 

 そんな私の思いは、雨音に掻き消されていく。

 

 サオリさんは目を伏せたまま動かない。その様子に、私は全てを諦めたように目を閉じた。

 

 もう何もかもどうでもいい。このまま、この雨に溶けるように消えてしまえばいいんだ……。

 

 そう願いながら、私は薄れゆく意識の中、雨音に混じって、誰かの声が聞こえた気がした。

 

 それは声というより怒声の類。

 

 それと同時に銃声が鳴り響き、無数の銃弾が私達に襲い掛かった。

 

 身体が泥水の上を転がる。全身に激痛が走るが、そんな事を気にしている余裕はなかった。

 

 私の身体を、誰かが庇うように覆いかぶさる。

 

 私はゆっくりと目を開けた。そこには、サオリさんの顔があった。

 

 彼女は私を守るように覆い被さりながら、必死の形相で銃弾を防いでいた。

 

 サオリさんは私を守る為に、その身を犠牲にして私を守ってくれている。だが、彼女の身体は既に限界を迎えており、銃弾を防ぐ度にその身体は軋みを上げ、悲鳴を上げていた。

 

 サオリさんの背中には無数の銃痕があり、そこから血が滴り落ち、私の身体を染め上げていくが、サオリさんは気にした様子もなく、私に覆いかぶさった姿勢のまま、皆に指示を送り、襲撃犯と銃撃戦を繰り広げていた。

 

 私は、ただその光景を呆然と眺めていた。

 

 襲撃犯の攻撃が途切れ、その隙に起き上って態勢を立て直す彼女の背中を、私は見上げる事しか出来なかった。

 

 何故だろう?

 

 サオリさんの背中は、とても大きく見えるのに。

 

 何故だろう?

 

 その姿が酷く痛々しく見えた。

 

 その身体に一体どれ程の重荷を背負っているのだろうか?

 

 サオリさんは私に視線を向けると、少しでも遠くに逃げるようにと声を張り上げた。

 

 私はその言葉に目を見開き、そして、思わず笑ってしまった。

 

 私は一体、何を迷っていたのだろうか?

 

 サオリさんは私を助けてくれた。こんなにも傷だらけになりながらも、命懸けで私を守ってきてくれたのだ。

 

 そんなサオリさんを、私は見捨てるのか?

 

 そんな事、許される筈がない。

 

 だから私は立ち上がる。身体の感覚が殆どなくとも、身体はそれを覚えている。

 

 意識が朦朧とする。それでも、私は腰に下げていた手榴弾を掴み、安全ピンを引き抜いた。

 

ーVanitas vanitatum et omnia vanitasー

 

 全ては虚しい。確かにその通りだ。

 

『……それでも!!』

 

「……あぁ……そうか。これが、彼女の……」

 

ーVanitas vanitatum et omnia vanitasー

 

 全ては虚しいものだ。しかし、それを克服するのが人である。

 

 私の脳裏に、そう在り続けた彼女の言葉が蘇る。

 

 あぁ、そうか……これが、彼女が導き出した答えなのか。

 

 それなら……いや、だからこそ、全てを終わらせよう。

 

 サオリさんが私に向かって何かを叫ぶ。私はそれに答えるように、笑顔で答えた。

 

「サオリさん……行ってきます」

 

 手榴弾を手に、私は襲撃犯達に向かって駆け出した。

 

 襲撃犯の標的が、私へと絞られ、銃口が一斉に私へと向けられる。

 

 だが、私は足を止めない。覚悟を決めて、手榴弾の安全レバーを解放すると、視界に映った襲撃犯の1人に向かって狙いを定め、最後の力を振り絞って地面を蹴った。

 

 銃弾が私の身体を捉えるが、それでも私は足を止めない。

 

 そのまま地面を蹴り上げ、襲撃犯の1人に飛び掛かり、その勢いのまま地面へと押し倒した。

 

 襲撃犯の1人が何かを叫んでいる。

 

 だが、その声は、私の耳には届かなかった。

 

 だから代わりに、私は襲撃犯に告げた。

 

「私と……一緒に……こい!!」

 

 その瞬間、視界が白一色に染まり、凄まじい轟音が鳴り響いた。

 

 その音を最後に、私は意識を手放した。

 

 失いゆく意識の刹那、私は思った。

 

 私は、貴女の役に立てたでしょうか?

 

 最後くらい、私は貴女の……皆のお役に立てたでしょうか?

 

 もしも、お役に立てたのなら……

 

 私は、それだけで幸せです。

 

ーVanitas vanitatum et omnia vanitasー

 

 全ては虚しい……『それでも』私は、抗ってみせた。

 

 虚しいばかりの人生に、虚しいとばかり思っていた未来に……私は、最後の最後に、抗ってみせたんだ。

 

 私の人生は、決して、無駄ではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 ヘイローが消失し、意識がない同胞を、サオリは背負い、歩き続ける。

 

 彼女が、最後の力を振り絞って引き起こした手榴弾の爆発。それによって襲撃犯は全滅した。

 

 だが、その代償はあまりにも大きかった。

 

 また1人、仲間が減った。その事実が、サオリの心を苦しめる。

 

 サオリは、その痛みに耐えながら、歩き続ける。

 

 大通りへと続く道、仲間の1人が周囲を索敵しながら小さな診療所を見つけ、その入り口前に、意識を失った同胞を横たえた。

 

 まだ息はある。だが、危険な状況に変わりはない。

 

 一刻も早く、治療が必要だ。

 

 サオリは、その同胞に視線を向ける。そして、銃口を空へと向け、引き金を引いた。

 

 銃声が響き渡り、雨音以外、静寂に包まれた街中を、銃声が響き渡る。

 

 サオリは、ただ静かに引き金を引き続けた。

 

 そして、最後の銃声が鳴り止むと、サオリは静かに銃を下ろした。

 

 彼女は静かに息を吐き、そして静かに空を見上げる。

 

 空は暗く、厚い雲が空を覆い隠している。

 

 まるで、サオリや他の皆の心情を表しているかのように……

 

 サオリは、同胞に視線を向ける。

 

 彼女は此処に置いていく。運が良ければ、先程の銃声を聞きつけた誰かが、彼女を見つけてくれるだろう。

 

 一縷の望みにかけ、サオリは彼女に背を向け、再び路地裏へと姿を消した。

 

ーVanitas vanitatum et omnia vanitasー

 

 全ては虚しい……それでも、私達は諦めるわけにはいかない。




おまけ
名も無きアリウス分校モブ
エデン条約にて、小鳥ちゃんと対峙し、負傷したモブ生徒。
その後は色々あってサオリ達アリウススクワッドと共に、他のモブ達と一緒に逃げたけど、途中で退場したモブ生徒達の中の1人。
実力はアリウス分校の生徒達の中で『中の下』辺りの実力者。



感想ありがとうございます。
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