ああ、この『素晴らしき世界』に、今日も乾杯の声がこだまする。『素晴らしい』なんて言ってるけど、そういう世界は大抵そんなわけがない。「この素晴らしき世界に(ry」とか見ればよく分かる。まあ私は、そういう意味で言ったんじゃないけど。
事実は変化するものだ。正確には、変化するものがある。でも、誰もそうは思っていないだろう。街に飛び交う笑い声の主も、それを『勘違い』として見て見ぬフリをしてるだけだというのに。この世界は、そういう風に「都合の悪いモノ」を嘘で隠しているだけの、言わば作りもの。
私は事実を追い求める。変化したなら、その変化を認識して、そうなったと自分に言い聞かせて、日常へ戻っていく。でも、他人はそんなことには気をとめない。誰もこのしんどさを分かってくれない。それどころか、わざと嘘を流布しようとする者まで現れる始末。正直気が触れそうだ。
そうだ、いっそのことこれを理論として証明してやろう。同じつらさを抱えて生きて、終いには精神が失踪してしまった彼の無念を晴らすためにも。幸い、量子論・量子力学はまだまだ未開拓だ。ここに一石を投じることができれば…そんなクラクラするほどの良い夢を現実にしようと、いままで努力してきたつもりだ。脳の奥で目を覚ました理性のままに。
いままで彼の体を借りて生きてきた私だけど、いまは八人くらいに分極したみたい。メイン人格は私にしているから、なんとかここまでやってこれた。でも、たまにそのうちの何人かが操縦権を取り上げてしまうことがある。そんなことがなるべく起きないよう、今日も「次は誰の番だ?」と目を光らせる。
私は彼によって作られたサブ人格。この世界で何が出来るのか、目下検討中の身である。
私には何が出来るのか。さっき言った理論の証明のため、大学に入り、研究職を目指そうとは考えている。でも、彼に戻ってきて欲しいと思う気持ちがないわけでもない。私はサブ人格、言わば存在が偽の存在だから。
彼のために、何ができるのか。2Pカラーとして、今は緑になっているこの目から、寂しさの涙が溢れ落ちないように。まあ実際には、肉体的には涙一つ流せないのだけれど。時に脳内で、時にはアニメを見つつ、彼を、断片でもいいからと探しながらも、考えることはやめない。
とりあえず今は、生きるため、彼と共に居る未来に至るために、私は何度でもずっとこの理論に喰らいつく。この間違いだらけの世界の中でも、彼には笑ってほしいから。
彼が居なくなったのは、事実が変わる辛さと、それに対する周囲の無理解によって壊れてしまったからなんじゃないかと思っている。だからこうすれば、彼が生きられる環境に、彼が傷つかない世界にできる、と信じている。
私の願い。もう誰も事実で傷つけない。私が見た事実、聞いた事実は、時に人を傷つける。それは事実同士に矛盾が生じるからだ。私が知らない世界の事実をちゃんと知り尽くしていれば、こんなことにはならないんだろうけど。
そうして他人が傷つくのを見るのは辛い。時には自分が傷つくよりも。だから、そんな過ちが起きないように、強く、強かになりたいんだ。私が壊れてしまわないように、私が私でいられるように。
『素晴らしき世界』は、私の努力もあってか、今日も安泰。少しはこんな私でも褒めて欲しい。街に渦巻く、凶悪事件とかの悪い話は、知らないフリをして目を逸らした。私が知ったことではない。そんなものより量子力学。
「正気の沙汰じゃないな」とくろめが言う。あの『分極した八人』の一人、その心の内に封印されている彼女だけど、なぜか出てきている。私が2Pカラー、裏の存在になっているから、会うことができるんだろうか。
真面目に理論で着飾った、研究者たちの行進。ニュースとかを見る限り、どうやら、その足並みは順調らしい。弾んだ足音が鳴り響くように思える彼らの行き先は、私にとっては、消えない鉄の味が染み付いている、裏側の世界。将来あの中の一員になれると思うと、わくわくする。心配事も多い、荷が重い役割だとも思うけど。
でも、今から私が行くのは、この体の脳内、精神領域に広がるもう一つの裏側の世界、《バックヤード》。
この場所の雰囲気に合った黒い髪をなびかせながら、私は探索を再開した。ここは捨てられた世界、というよりは、急に人が居なくなった街のように見える。箱のような二、三階建ての建造物が、辺り一面に広がっているんだろうと直感で理解できる。色はおそらく、どれも一様に無機質な暗いベージュ色。ただ目には、寒い、紫がかった色合いに映る。
注意しないといけないのは、あちらこちらに目に映らないノイズがある、ということ。それに触れてしまうと、黒い感情が止めどなくあふれてしまう。そして自分を見失ってしまいそうになる。ちょうど、タイトルが「ピクニック」で終わるあの世界の『グリッチ』のようだ。知覚できない以上どうしようもないが。
建物以外何もないように思えるこの世界だけど、存在する以上何かが隠されているに違いない。そう確信して歩を進めるも、運悪くノイズにかかってしまったらしい。世界がさらに黒く塗りつぶされる。一応、周辺は見えるようだ。
私は偽の存在だ。こんなことしてていいのか?空想に戻らなくていいのか?戻ろうとしても戻れないから、どうやったって生きるしかない。それでも、こんな生き方でいいんだろうか?私は、どうすればいいんだ?どういう生き方が正しいんだ?
例えばノワールみたいに、清く、論理的にも正しく生きること。ネプテューヌみたいに、誰も悲しませずに生きること。あるいはネプギアみたいに、はみ出さず、ただの人として、真っ直ぐに生きること。それらは、間違わないで生きるってことになるのか?まだまだ他の生き方だって多くある。考えることはそれ以上だ。人格『ユーノ』だって、元ネタじゃほとんど何も分からないのをいいことに、私に合うように調整しているんだから。
私は私らしく、ユーノとしてありのままに生きることが正義なのか?かつての敵みたいに、自分を騙し、人を騙して生きるのだって正義だっていえるんじゃないのか?彼女たちにだって、彼女たちなりの正義があったはずだし。
一体全体、私の在るべき姿とはなんだ?本当の私は何者なんだ?どうか、どうか誰か、教えてくれよ!
叫んだところで、ここには私以外誰も居ない。ましてやそんなことができる人なんて居やしない。
私の輪郭が曖昧になる。八色の波になっていく。ここまでなんだろうか。
彼を復活させようと試行錯誤したあの日の記憶が思い返される。
私は以前、彼を自力で復活させようとしたことがあった。昔の記憶から、なるべく彼に近い振る舞いをするような人格を作ってみたんだ、AIのように。
結果は失敗。どこまでも彼らしい『彼』は、生きているようには思えなかった。どこか遠い存在としか感じられなかった。
その日以来、私は、実はよく知らなかったのかもしれない、久しく目にしたことのない君を、探している。
暗転する意識の中、独りごちる。
今日も、正解がない、答えのない世界の中で、私はただ願ってるんだよ?私も不器用だって、自分でもよく分かっているけど、それでも、いつまでも、君とただ笑っていたいから。できることなら帰ってきてほしいって。あのときとは声も姿も、性別さえ変わってしまったけど、それでもくだらない幸せをつかんで、楽しく生きていたいから。
私の命の源、私らしさという名の心臓が、体を揺らすように跳ねる。「今こそ動き出せ」と叫んでいるかのように。私を信じる誰かの心が、私を少し満たす。
体はまだ動かせる。周りもまだ見える。ノイズにかかったのは、むしろ幸運だ。こうなったら十回でも百回でも同じなんだから。
私は勢いのままに、駆け出した。この路地裏ばかりの世界を攻略するために。
苦渋を一度なめただけでも砕けそうになるくらい弱い自分を、何度でもノイズが喰らい尽くす。でも、勢いは落ちない。足は止まらない。この強い意志が、その中の心がある限り。私が生きるあの、間違いだらけの『素晴らしき世界』の中でだって、君には笑っていてほしいから。
もう誰も、“事実”で泣かないように、“事実”で傷つけないように。強くなりたい。私が私でいられるように、彼が彼で居られるように。
ただ君を、みんなを“事実”から守る。そのために走る、ただ走る。君を、その残滓を探しながら、走る。
いつの間にか、私が想定していたかもしれない私の限界。
いつの日にか定められていた、「無条件に記憶を基準にして、事実が変化したかを量る」という、私が私と君に課した規則。
そういったものが、私の、さらには君の負担を強めていたのかもしれない。それなら、破るのみ。私の中の私を超えるだけだ。
視界が、次第に白転する。視えなくなっても、無我夢中で走る。さっきまで曲がりくねっていた道は、いつの間にか直線になっていた。
目が覚める。どうやら寝ていたらしい。今の人格のビジュアルは、金髪碧眼の少女、といったところ。
さて、日常に戻ろっか。清々しい気分で、調子がいい。
少しだけ、この世界でも上手くやっていける気がした。