早朝。灰色の街に、澄んだ汽笛がこだまする。今日もタチワキシティの空は暗い。
イッシュ地方屈指の工業都市として知られるこの街は、海岸沿いに連なるコンビナートの数々と、そこから立ち上がる濃密な水蒸気によって、常に曇天のような薄暗さに包まれている。
重機の稼動する金属音が、絶え間なく轟く埠頭には、タンカーや貨物船の巨大な影がひしめき合い、狭い港内を忙しなく行き交う。それらの隙間を縫うようにして、乗客を乗せた定期船は船着き場へと向かっていった。
「……待ち望んだ新天地にしては地味な場所だ」
デッキから鉛色の街並みを見渡して、海馬はつまらなそうに独りごちる。
まるで今後の道のりを暗示するかのような濁り切った空模様には、流石の彼も辟易したらしい。軽く景色を睨んだ後は、足早に船内へ帰っていく。
まもなく下船だ。汽笛と共に架かるタラップを降りれば、そこはもうイッシュの大地。
――新たなる冒険の幕開けだ。
「イッシュ地方に上陸! ちょうど2年ぶりだよ。変わらないなぁ、この空気!」
船着き場に降り立ったハンサムは大きく伸びをし、懐かしそうに天を仰いだ。
工場地帯だが案外空気は悪くない。港に吹く潮風を肺いっぱいに吸い込めば、新鮮な磯の薫りが全身に染み渡る。それを何度か堪能した後、振り返って海馬の動向を窺った。
心ここにあらずといった様子で赤錆びたコンビナートを眺めていた彼だが、ハンサムの視線に気付くと、呆れたように鼻を鳴らす。
「ふん、気が済んだらさっさと貴様の策を話せ。観光にでも来たつもりか?」
「おっとすまない。狭苦しい船室から解放されたのが嬉しくてつい……」
ハンサムは照れ臭そうに頭を掻いていたが、やがて気持ちを切り替えたのか、「コホン」と軽く咳払い。真面目な表情に戻ると、すぐに声を潜めて囁いた。
「さて海馬君、昨夜から色々と考えていたんだが……私たちは一旦分かれて捜査することにしよう」
「ほう?」
思いがけない提案に、海馬の眉がピクリと上がる。
「関わるなと警告した貴様が別行動を提案とは、随分と思い切ったものだな」
「あぁ……正直一番やっちゃいけない選択肢をとっている。でも今回ばかりは、これ以上のプランは思いつかなかった。どうだい?」
「ふん、マシな提案もできるではないか」
見知らぬ土地で情報を得るために手は組んだものの、海馬は元より孤高の身。この国際警察と協力しようという意思は限りなく薄い。
己の旅路に支障が出なければ正直何でもよかったため、ハンサムの提案は即座に了承されたのであった。
「うむ、そう言ってくれると思ったよ。君にとって都合がいいだろうし……私としても、別行動の方が助かるし」
ハンサムは、安堵に少量の苦々しさが混じった複雑な笑みを浮かべながら続ける。
「ただ、特例を認めたとはいえ、これだけは言わせてもらうよ。くれぐれも無茶はしないこと。君とプラズマ団の間に何の因縁があるのかは知らないけど、君はその……立場としては一般人なんだから」
「このオレをその辺に転がる凡百どもと一緒にするな」
「……そうだね、うん。ところで」
無下に一蹴される忠告。海馬の語調には、常に反論を許さない独裁者的な凄味がある。
(これ以上、何か言っても無駄だろうなぁ……)
半ば諦めの心境で、ハンサムは自ら話題を変えた。
「君はこれからどうするつもりだい? 奴らに迫る情報なんかがあれば……」
「ふん、行く宛など何もない。最初はこの街を一巡するつもりだ」
「本当に勢いのままイッシュへ来たんだな、君は……」
「オレの進むロードについて貴様にとやかく言われる筋合いはない」
「まぁいいか。別行動だし、いずれ連絡を取り合えば。――そういや、何か通信機器は持っているかい? CギアとかPSSとか」
「よくわからんが、その類の持ち合わせは一切ない」
「それは困ったな……。よし、では君にこいつを渡しておこう!」
そう言ってハンサムが取り出したのは、スマートな腕時計型のデバイスであった。海馬に装着を促すと、自身もコートの袖を捲って同機種の使用を見せつける。
「何だこの腕時計は?」
「フフフ、これぞイッシュ地方の最新型トランシーバー! 『ライブキャスター』さ! 予備を君にあげるよ。潜入捜査にはもってこいだろう?」
「……てぶらよりはマシか。ひとまず受け取っておいてやる」
「ああ、それでまた報告をしてくれ。ともかく健闘を祈るよ!」
海馬に激励の言葉を贈り、ハンサムは港から伸びる道路へ颯爽と去っていった。
その背中を見送ると、彼もまたコートの裾を翻して歩み出す。
何はともあれイッシュに着いた。新たな闘いのロードは、この港より始まるのだ。
(首を洗って待っていろ、プラズマ団の『王』! 貴様を玉座から引きずり下ろし、ブルーアイズを従えるのはこのオレだ……‼)
新天地を踏みしめるたび湧き上がる闘争心に、海馬の瞳は輝きを増していくのだった。
〇●〇●〇
埠頭を離れて辿り着いた街の中心部は、アングラな下町のムードが漂っていた。
化学コンビナートから目と鼻の先に位置するタチワキシティ。無骨な排水管は用水路を跨ぎ、錆びれた倉庫の陰を縫うように走る。その横では怪しげなライブハウスのネオンが、まだ昼間だというのに明滅しており、くすんだ通りをぼんやりと照らしている。
およそポケモンリーグ公認のジムがあるとも思えない、アングラめいた街並みだが、そのギャップに魅力を感じて訪れる観光客も少なくない。
……が、しかし。これらはどれも、旅ゆく海馬に刺さる情景ではなかったようだ。
「お待たせしました! お預かりしたポケモンは元気になりましたよ!」
過ぎゆく景色に目もくれず、向かった先は街の一角に構えるポケモンセンター。
主にポケモンの治療施設として各地のシティに設置されており、その存在は各地を巡るトレーナーたちにとって欠かせない。長旅を控える海馬にとってもそうだ。
限りある手駒をすぐに使い潰すほど彼は愚かな男ではない。
特に現在はこれといった戦力がヒトカゲ一匹しかいないのだから、尚のこと万全の状態で臨む心意気である。
「早いな」
預けてからすぐに返却されたモンスターボールを前に、海馬は訝し気な表情を浮かべた。
「本当に回復は済んでいるのか?」
「もちろん! ポケモンセンターのメディカル・マシンは優秀ですからね」
そう笑顔で胸を張るのは、白いナース服に身を包んだ小柄な女性。ポケモンセンターの名物医師ことジョーイさん。
彼女は「ちょっと失礼」と手を伸ばすと、スイッチを押して海馬のボールを開いてみせる。
パカリと開いたボールの中からは、彼のヒトカゲが飛び出すなり可愛い鳴き声を一つ上げる。
「カゲ、カゲッ!」
「ほら、 この子も元気いっぱいでしょう?」
「………」
海馬は険しい顔つきのまま「そのようだな」とだけ返し、静かにボールを受け取った。
このふざけた世界に来てから度々目にする、デタラメじみたオーバーテクノロジーの数々には、未だに慣れないものがある。
決して珍妙なポケモンだけではないのだ。異世界から来た自分にとって、この世界の「常識」は要所要所で拭いきれる事のない違和感を与えてくる。
(ふん、取り残されているのはオレ一人か……)
いかに常識はずれな海馬といえど、この状況はあまり面白いものではない。
無性に苛立つ感情を抑えつつ、彼はボールを腰に再装着。相も変らぬ不遜な態度で踵を返した。
「まぁいい、一先ず礼は言っておく。いくぞ、ヒトカゲ!」
「またのお越しをお待ちしております!」
ハツラツとしたジョーイの声を聞き流し、足早にポケモンセンターを立ち去ろうとする。
しかし、丁度自動ドアを抜けようとした時。後から海馬を追うヒトカゲの、慌しい声が鳴り響いた。
「カ、カゲ―――ッ‼」
同時にバタリと、どんくさい音が。
振り返ってみれば磨きぬかれた床の上で、ヒトカゲが派手に転がっていた。
急ぎすぎて足でも滑らしたに違いない。海馬は不動のままモンスターボールを持ち直し、呆れた視線をヒトカゲに向ける。
「何をやっている?」
「ヒトォ~」
「その程度の衝撃で目を回すな……ドジめ。すぐに戻しておけばよかったな」
そう呟いて、早くもふらふらなヒトカゲを収納すべくボールをかざし、開閉スイッチに指を当てた。
ちょうどその時。
「あら、可愛いヒトカゲ!」
傍を通りかかった少女が一人、おもむろにヒトカゲを抱き上げた。
突然触れられたヒトカゲはさぞ驚いたようでピクリと体を震わせる。
しかし彼女に優しく頭を撫でられると、その緊張はみるみる解けていき、やがて心地よさそうに目を細めてしまった。
「こんなところで何してるの? 迷子になったのかな?」
「……気安く触るな、これでもオレのモンスターだ」
海馬は眉を露骨なまでにひそめ、鋭い声で少女を牽制した。
その威圧的な視線に気が付いた少女は一瞬ハッと驚くも、あまり圧倒されたようには見えず。
余程肝が据わっているのか、鈍いのか。ヒトカゲを抱きかかえたまま、はにかむように微笑んだ。
「あ、ごめんなさい。初めて見るポケモンだったから、つい……」
「………」
「でも、思ったより大人しいんだね、ヒトカゲって。リザードンのイメージが強いからちょっと意外。それとも、この子が人懐っこい性格なのかな?」
「ヒト~!」
短い足をバタバタさせながら楽しそうに少女と戯れるヒトカゲ。すっかり彼女にも慣れたようで、もはや警戒心の欠片もない。
だが、その朗らかな表情は、仁王立ちで腕を組む海馬と目が合うなり途端に凍り付いた。
「そいつは俺のモンスターだと言ったはずだが……三度目も必要か?」
「……アハハ、私ったらテンション上がっちゃったみたいで。遊ぶのはまた今度ね」
流石の彼女も、今度は滲み出る海馬の静かな怒りを察知したようだ。苦笑いでヒトカゲを下ろすと、さっきまではしゃいでいた
ばつの悪い顔をするヒトカゲに一瞥くれてやると、海馬は改めて少女に向き直った。
「で? 貴様は誰だ。このオレに何の用がある?」
「えっと、私、メイって言います!用なんて程でもないですけど……たまたまその子を見かけたから、はぐれポケモンかと思って! えへへ……」
柔い栗色の髪を結わえた、特徴的なお団子付のツインテールが目を引く少女であった。
歳は十代半ばといったところか。端正な顔立ちにも若干のあどけなさが残っている。
だが海馬に詰められても全く怯まず、むしろ自然な微笑みさえ返してくるあたり、彼女の度胸は相当なものと見ていいだろう。もしくは、天然なだけかもしれないが。
「ふん、ただの世話焼きか」
海馬は少女から視線を逸らして、呆れ気味に溜息をつく。
「オレにお節介の類は不要だ。失礼する」
それで海馬は、彼女から興味を失くしたかのように背を向ける。しかし出口へ足を進めた矢先、少女の声に呼び止められた。
「あ、ちょっと待ってください!」
「何だ?」
海馬は鬱陶しげに振り返った。
「くどいぞ。もう貴様に用などあるまい?」
「用事ならあります! えっと……そう! ポケモンバトルです!」
「……なに?」
突拍子もない提案に思わず面食らう海馬。
だが、メイと名乗る少女はお構いなしに続ける。
「私、他の地方のポケモンを見るの初めてなんです。もし良かったら、バトルしてみたいなって思って……一戦お願いできませんか⁉」
「断る」
即答。海馬はにべもなくメイの誘いを突っぱねた。
「あいにくオレは多忙を極める身なんでね。貴様の相手をしている暇など――」
と、そこまで言いかけて海馬は、ふと足元を見下ろし――言葉を詰まらせた。
視線の先ではヒトカゲが跳ねまわっている。それも、キラキラと目を輝かせながら。
「カゲ、カゲ! カゲッ!」
「あらあら。その子はかな~り、乗り気みたいですね?」
「…………」
悪戯っぽく笑うメイと、期待の眼差しでこちらを見上げるヒトカゲ。
海馬はしばし沈黙した後、再びため息をひとつ。やがて諦めたように口を開く。
「……仕方あるまい。いいだろう、貴様の申し出を受け入れてやる」
「ホント? やったぁ‼」
ㅤメイはパッと顔を明るくして手を合わせた。
「ありがとうございます! えっと……」
「海馬瀬人だ。覚えておけ」
「うん! 早速バトルコートに行きましょ、海馬君! ついてきて!」
「カゲ!」
張り切って先導する彼女の後を、ヒトカゲがパタパタと小走りで追いかけていく。
(名前を知るなり、馴れ馴れしいヤツだ)
ㅤ海馬は少々うんざりしたような顔で、彼女の背中を黙って見送っていたが。
やがてゆっくりとした足取りで彼女らの後に続いた。
「ふん……」
ポケモンセンターを出ると、乾いた風が海馬の頬を撫でる。
ㅤ空は相変わらずの曇天模様で、これからの道のりを暗示しているかのようだ。早速予定も乱されて、見知らぬ少女とのバトルにもつれ込んでいる。
(……まぁいい。旅は常に"予想外"の連続だ)
ㅤどの道ノープランの放浪旅。多少のズレも致し方なし、と。
ㅤ迅速に思考を切り替え、目の前の闘いを見据える海馬瀬人。
ㅤしかし、この突発的なバトルが長く尾を引く一戦になろうとは――
ㅤこの時の彼は、まだ知る由もない。
シリーズでも屈指の人気を誇るBW2の主人公、メイ。
基本的に主人公って容姿以外の設定が殆ど定められていない(ポケマスは除く)ので、この物語の中では一番オリジナル設定が多くなるキャラかも。
ポケモン本編はプレイしてるんですが、ポケマスの方はあんまり詳しくないんですよね……。
その点だけは悪しからず。