1.目覚めて、森の中
春の明け方は気持ちが良く、思わず寝過ごしてしまう。
ところどころから鳥の鳴き声が聞こえる。
そういえば昨晩は大雨だったな。
花は散ってしまったのだろうか。
目を開け、困惑した。
そこは知らない場所であった。
青々と茂る藪の間には所狭しと木々が立ち並んでいる。それらの枝葉が天蓋の役割をしているのか辺りは暗めであり、木漏れ日の暖かさを強調しているように見える。
ところで、理由は分からないが、この場所にいるとどこか懐かしさを感じる。この林に見覚えがあるとかいうわけではなく、説明できない感情がわいてくるのだ。
閑話休題。困惑しているのは突如知らない場所に飛ばされたからかと言われれば、そういうわけではない。
さて、あらためて見てみても一帯は藪だらけ。名前も知らない草、草、草。その中で目につくものと言えば、左隣に鎮座するこのデカい石ぐらいだ。
それは俺の背丈以上に高い石で、形状から見るにおそらく石碑であろう。前面は向こう側を向いているらしく、何が書いてあるかはここからでは見えない。まあ、明らかに自然発生したものではあるまい。
ではこの石碑を見て戸惑っているのかと言われれば、そういうわけでもない。
これ以上見ていてもなにも得られないと、石碑から目を離す。何があるかと探し始めたところで、ある考えに行き着いた。
石碑があるということは、それを見に来る人用に道があるのではないだろうか。
半ば確信に近い推測をもって再び探し始めたところ、石碑の向こう側に獣道を発見した。獣道といっても、踏みつけられた草が道を作っているだけらしい。らしい、というのは単にここからでは見えにくいからに他ならない。
ではもっと近くで見た方が良いと思って立ち上がろうとして、あるいは両の手をもって目の前の藪をかきわけてみようと思って……
この時点で初めて、それらが不可能だということに気が付いた。
驚いた。
今更気が付くのも変な話だが、ともかく体が動かないのである。何かに拘束されているというより、そもそも力が入らないと言った方が正確だ。シャーペンを持って勉強しているとたまになるアレ。
それだけでなく体の感覚も全て消失していた。あるいは、さきほど下を見ても自分の体を視認できなかった当たり、体そのものが消えているとも言えるか。
かといって何もできないわけではなく、周りを見回すことはできるし、なによりも目は見えた。まんま金縛りといった具合だ。ところで一瞬ドライアイが気になったが、どうやらそもそも目が乾かなくなっているようだ。
さて、あらためて現状を整理してみたが、ますます分からなくなってしまった。疑問は尽きない。
自分はなぜここにいるのか。
そもそもここはどこか。
なぜ身動きが取れないのか。
そのどれも検討すらつかないのだ。ただ、何もわからないが、このままの状態だとまずいことだけは確かだった。
様々な心配事が錯綜する中、思考の雑音を断ち切ったのは、ひとつの足音だった。
靴底で土をしっかりと踏みつける音。
山登りに詳しいわけではないが、慣れている人の足音だと直感で理解した。
音はだんだんと大きくなってくる。
ゆっくりと、しかし着実に近づいてきた音の正体が、今やってくる。
どんな人がやってくるんだろうか。
果たして、ステレオタイプな山男を予想していた俺の前に現れたのは、ひとりの少女だった。そんなことある?
年齢は10代後半といったところか。俺の何倍もの身長をもつ女子はこげ茶の長袖Tシャツに、これまた茶色の長丈のズボンを身に着けている。全身がこげ茶色だ。頭には大きめな白い布を三角巾にしてかぶっており、ズボンの上には白い前掛けのようなものも着用している。どこを見ても土で汚れている芋っぽい見た目ではあったが、シンプルに結んだ後ろ髪や端正な顔立ちが確かな女性性を主張している。きれいな黒髪だが、なにぶん地味である。
今の日本、こんな見てくれの若者は相当少ないと思うのだが。
あと、それ以前に明らかに身長がおかしい。これでも日本男子の平均身長ぐらいはあるつもりだ。巨人病でもここまでデカくない。
……まじめな話、彼女が特別デカいのではなく、どういうわけか俺が小さくなっているのだろう。冷静に見てみれば、周りのものがすべからく大きい。最悪俺の体は消えている可能性もあるのだ、何が起こっても不思議ではあるまい。
そんなことを考えてるうちに、その子はもうすぐそこまで接近してきていた。すぐに彼女は何かを見つけたような素振りを見せると、件の石碑の前まで走ってくる。そのまま急停止するとすぐに、その場で跪いて祈り始めた。
見れば少女は何かを唱え、石碑に祈りをささげているようだ。
しばらくして少女は立ち上がった。祈りが終わったのであろう、軽く膝の土ぼこりを払って歩いて行こうとする。なぜか、お祈りが終わった直後にしてはネガティブな表情を見せているが。
なんにせよ、俺にとっては第一村人。
軽く状況を教えてもらおうと、まぁダメ元ながらだが、声をかけようとして……
「おーい」
声が出た。
瞬間、疾走。
ぎゃあぁあ、と甲高い叫び声が遅れて聞こえてくる。
土ぼこりを巻き上げながら、少女は去っていった。
冷静に考えると、ここで声を出すことができたのは俺にとって大きな発見だ。
そう。ではあるのだが、声をかけただけで女子が逃げていくという、前世でも体験したことのないイベントの前に俺は途方に暮れるほかなかった。
こうして、俺は何の追加情報も得られずに再び独りとなってしまった。とほほ。
「独り独りって、さっきから何言ってるのさ。ここに僕がいるじゃんか」
突然、声が返ってきた。
件の少女が戻ってきたわけではない。
つまりこの声は他の誰かから発せられたもの。
深い藪の中だ、人が隠れていても不思議ではない。普通はそう思うだろう。
だが、俺には分かった。
判ってしまった。
声の発生源と対象をつなぐ矢印のイメージで、明確に発話者が誰か伝わってくる。
その正体は、目の前の石だった。
「石が、喋った?」
そう言うと、石碑が怒ってしまった。石呼ばわりされたことが気に入らないらしい。仕方ないだろう、どう見ても石だし。というか石碑が怒るって表現は一体なんだ。相当末期だな。
ともかく。
せっかく俺以外の人間、まあ人語を解してるから一応人間、が現れたのだから、いろいろ聞いてみよう。
そう思って、あらためて石碑に向き直ると......
「人間?」
そいつは不思議そうにしていた。
待て、つっかかるところはそこではない。ここがどこかとか、なんで俺は動けないのかとか、お前さんには聞きたいことがたくさんあってだな……
え。
「いや、僕もびっくりしてたんだよ、相当」
......ああ、そうか。
俺の体が無事なわけがない。
「こんな体験、僕の人生でも初めてさ」
それに、辺りは植物だらけの環境。その中で自分の体がどこにも見当たらないのは……
すでに俺は死んでいて、幽霊になってしまったから。
「だって、小さな草が僕と会話しているんだもの」
いや草。そうはならんやろ。
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