『太閤立○伝V DX』というゲームがある。
日本の戦国時代を舞台に、武士でも剣豪でも商人でも海賊でも忍者でも、好きな生き方で「天下一」を目指せる歴史シミュレーションだ。登場人物はおよそ千名。やり込み度は、控えめに言って人生を溶かす。
最初に断っておく。
これはそのゲームに人生を溶かした挙句、ついでに本当の人生まで終わらせた、しがない男の話だ。要するに俺の話である。世にあふれた転生だの憑依だのの一つだと思って、適当に付き合ってくれればいい。
……まあ、信じる信じないは君の自由だ。俺だって、こんなことになるとは思っていなかったんだから。
発売から何年も経った今になって、俺はこれに再びどっぷりハマっていた。
気づけば早朝。仕事は無断欠勤。勤怠はとっくに崩壊している。三十路を過ぎた独身男が誰に咎められるでもなく、ひとり画面の中で天下を獲る。最高じゃないか。
(次は……『山田有信』か。とりあえず茶会っと)
このゲームには「札」という収集要素がある。
主人公札、称号札、秘技札、合戦札、名所札、その他札。その数およそ千三百枚。集めるのが楽しくて仕方ない。中でも「主人公札」は、ゲーム開始時に選べる主人公そのものになる、目玉のコレクションだ。
手っ取り早く主人公札を稼ぐなら、キャラの好感度を上げればいい。好感度を上げるなら、とりあえず「茶会」。相手のことなんか知らなくていい。茶を出して、わびさびを気取って、はい好感度。風流とは名ばかりの、効率作業である。
ちなみにこのソフト、白状すると正規版ではない。
節約が信条の俺は怪しげなサイト経由でめちゃくちゃ安く買った。要するに、たぶん改造版だ。動けば文句はない――そう思っていた。
「お、一発で主人公札ゲット。しかも……」
主人公札を入手したとき、ごくまれに「コンボ」が起きる。
**同名コンボ**。手に入れた札と「同名」の未取得キャラがいると、そいつもおまけで付いてくる、という仕様だ。ポーカーの役みたいなものだと思えばいい。
山田有信を入手したんだから、「有信」つながりで誰か来るのか――そう思って画面を見て、俺は手を止めた。
(……『田有』?)
出てきた札の絵柄に、見覚えがありすぎた。
顔に傷の多い、岩みたいな巨漢。これは戦国武将じゃない。漫画『キングダム』の、大工あがりの猛者――田有だ。
「いやいやいや。山田有信の“田有”で同名コンボって、無理があるだろ」
ツッコミながら、背筋がすっと寒くなる。
説明欄も、絵柄も、どこからどう見てもキングダムの田有。戦国時代のゲームに、なんで紀元前の中華のキャラがいる。コラボ? いや、K○EIさんがこんな雑な実装をするはずがない。やっぱり改造版か。改造でも、ここまで作り込むか?
とりあえずセーブして、その田有を選んで遊んでみることにした。
好奇心が、警戒心を軽く上回ったのだ。ゲーマーとは、そういう生き物である。
主人公札を選ぶと、章――年代を選ぶ画面になる。
そこにも、ありえないものがあった。
(紀元前二四五年……新しい章が、増えてる)
まさしくキングダムの舞台の年代だ。
その章で選べる主人公は、田有ただ一人。肩書きは「大工の棟梁」。芸が細かい。札の枠は金。金枠は個別ストーリー持ちの証だ。しかも見たこともない点滅装飾までついている。
推されすぎだろ、田有。
能力を確認する。改造だろうがなんだろうが、こうなると、もう楽しい。
──《田有》基本情報──────────
統率:57 武力:82 政務:36
知謀:50 魅力:64
────────────────────
(武力八十超えか。怪力設定だもんな。大工だから建築Lvがあって、政務と知謀は……まあ、大工だし)
主人公を決めたら、開始時の「追加札」を選べる。
このゲームは周回要素があって、クリアしたエンディングの数だけ、強い札を持ち込めるのだ。俺の到達エンディングは二十。つまり四枚。
(鉄板の「忍術奥義皆伝」は確定として……)
──《忍術奥義皆伝》──────────
・称号札(パッシブ)
・移動で体力が減らない
・移動速度が上がる
────────────────────
(二枚目は、「千成瓢箪」で気合回しは外せないな)
──《千成瓢箪》──────────
・合戦札/気合1消費で、気合を3回復
────────────────────
気合の巡りがよくなる、堅実な一枚。
ちなみにこの札、使うたびに絵柄の瓢箪が、ぽこぽこ増えていく。集まって千成瓢箪、というわけだ。どこぞの猿づらの天下人が、勝つたびに馬印へ瓢箪を足していった逸話そのまま。地味に、こういう遊び心が好きなんだ。
(三枚目は……忍術奥義皆伝みたいに「持っているだけで効く」やつがいい)
──《名工》──────────
・称号札(パッシブ)
・魅力+10/積載量が大きく増える
────────────────────
大工あがりが「名工」とは、出来すぎなくらい似合う称号だ。
魅力が上がれば人がついてくるし、積める荷が増えれば道中も楽になる。派手さはないが、立身の地盤には、こういうのが効く。
(最後は……城攻めの切り札、「獅子奮迅」だな)
──《獅子奮迅》──────────
・合戦札/気合7消費で、確率で城門を一撃破壊(攻城戦)
────────────────────
攻城戦専用で、雨や雪じゃ使えない。正直ピンポイントだ。
だがこいつはイベント入手で、後から取り直すのが死ぬほど面倒くさい。いつか城を攻める日のために、持ち込んでおく。腐らせない自信はある。
(槍の全体攻撃「青嵐」も欲しかったが……あれは槍を持って瞑想すれば、自分で取れるやつだ。わざわざ枠を割くだけ無駄。いずれ自力で取りにいく)
四枚をセットして、ふっと息を吐く。
取捨と、皮算用。これもまた、やり込みの味である。
「よし、決定」
基本情報を微調整して、いよいよゲーム開始――そのボタンに、指を伸ばした。
夢中だった。
駅のホームで、立ったまま、携帯ゲーム機の画面に顔を埋めていたことを、俺はすっかり忘れていた。
アナウンスも、足音も、風を巻いて滑り込んでくる車両の音も。何ひとつ、耳に入っていなかった。
ぐらり、と。
視界が傾いた。
最後に覚えているのは、画面の中で点滅する金枠の田有と、自分の体がふわりと浮く、奇妙な浮遊感。
それから――真っ暗だ。
そうして俺は呆気なく、この世を去った。
……念のため言っておく。
駅のホームでの歩きスマホ、ながらゲームは、本当に危険だ。自分が死ぬだけならまだしも、家族にも、社会にも、多大な迷惑をかける。絶対にやめよう。
手遅れになった俺が言うんだから、間違いない。
◇
「田有!」
「田有ッ! おい、しっかりしろ田有!」
誰かが、俺の名前を呼んでいる。
いや。俺の名前は田有じゃない。……はずなんだが、頭が割れるように痛くて、それどころじゃなかった。
(っつ……なんだ、ここ……)
目を開けると、土壁の薄汚い小屋の天井が見えた。背中の下は、敷かれた藁。固いし、埃くさい。少なくとも、駅のホームでないことだけは確かだった。
「お、気づいたな。大丈夫か、田有」
「やっぱ頑丈だな、さすが田有だぜ!」
「お前が落とした木材が頭に直撃したんだろが。ちったぁ反省しろや」
むさ苦しい男が三人、俺をのぞき込んでいる。一人は気まずそうに目をそらした。どうやらこいつが俺の頭に木材を落とした犯人らしい。
謝れよ。
(田有……こいつら、さっきから俺を田有、田有って……)
その名前を、口の中で何度も転がす。田有。田有。
知っている。知っているどころじゃない。前世で何百回と読んだ漫画の、あの大工あがりの猛者だ。
考えた瞬間、頭の奥がぐらりと熱くなった。痛みじゃない。誰かの記憶が、濁流みたいに流れ込んでくる感覚だ。木の匂い。鑿の握り。仲間の顔。怒鳴り声と、笑い声。
――ああ、なるほど。
俺は田有に「なった」のか。
「だ、大丈夫か田有?」
「やべえ、田有が壊れちまった!?」
「だから謝れって言ってんだろ」
騒ぐ男たちを、別の一人がなだめて小屋から追い出していく。安静にしろ、ということらしい。
木材を落とした男は最後まで謝らなかった。
……本当に謝れよ。
◇
その夜。
人々が飯を食い、酒をあおる、騒がしい屋台の一角に、俺はいた。
黙って杯を傾けながら、必死に頭を整理する。
俺は死んだ。たぶん駅のホームで。ゲームに夢中になりすぎた、間抜けな死に方で。そして気づいたら、漫画『キングダム』の田有の中にいる。
(落ち着け。まずここが本当に「あの世界」かどうかだ)
確認する方法を考える。考える。考える。
……そうだ。
「城戸村だ。信と漂だ」
思わず声に出して、立ち上がっていた。
周りでこっそり俺を盗み見ていた連中がびくっと体を硬直させる。気にしている場合じゃない。俺は支払いを放り投げると、夜の闇へ駆け出した。
城戸村。秦の片田舎。
そこに、あの二人がいるはずだ。喧嘩っ早い少年・信と、その相棒の漂。後の物語の主役たちが。
◇
人の喧噪も絶えた、深夜の城戸村。
……たどり着いてから、俺は立ち尽くしていた。
(信と漂は里典の家にいるはず。だがその里典の家って……どこだ?)
気づくのが、致命的に遅い。
こんな時間だ。明かりはどこも消えていて、道を尋ねられる相手もいない。
(俺は馬鹿か。明日でよかっただろ、こんなの)
全力で走ってきた自分を、心の底から呪う。
――いや。待て。
(全力で、走ってきた。村から、ここまで。なのに……息一つ、切れてない?)
胸に手を当てる。動悸もない。脚も、まるで疲れていない。田有の体が頑丈なのか? いや、流れ込んできた田有の記憶を探っても、そこまでの化け物じみたスタミナの覚えはない。
じゃあ、これは。
ばらばらだった点が、頭の中で一本の線につながった。
死ぬ前。俺は『太閤立○伝』で、田有を主人公に選んで、ゲームを始めようとしていた。札をセットして。そして――。
──《忍術奥義皆伝》──────────
・称号札(パッシブ)
・移動で体力が減らない
・移動速度が上がる
────────────────────
「……これか」
俺が開始時に持ち込んだ、鉄板の称号札。
移動で体力が減らない。つまり無限スタミナ。冗談みたいな話だが、現にこの体は、全力疾走のあとで鼻歌でも歌えそうなくらいケロッとしている。
ゲームの「設定」が、この体に、そのまま乗っている。
背筋がぞくりとした。恐怖じゃない。武者震いに近い何かだ。
もし忍術奥義皆伝が本物なら。残りの札も、ステータスも、ぜんぶ使えるんじゃないか?
(……信と漂の確認は、明日だ。今日はもう、帰って寝る)
来た道を、俺はまた走って戻った。
無限に湧いてくる、疲れ知らずの脚を、こっそり楽しみながら。
◇
翌日。太陽が真上に昇った、明るい城戸村。
今度は道行く人にちゃんと場所を聞いて、まっすぐ里典の家を目指した。文明人の知恵である。
「聞いた限り、ここだな。……漫画で見たまんまだ」
遠目に家を確認して、ひとまず安心する。
だが昼間だ。信と漂はどうせ働きに出ているだろう。里典に直接聞くか? いや、変に名前を出して、あの二人に迷惑がかかってもまずい。
(……そういや、漫画じゃ二人は、禿げ山みたいなところで仕合してたな)
大工の棟梁らしい思慮深さを発揮し――われながら、昨夜の猪突猛進ぶりはどこへ行った――俺はそれらしい丘の方へ向かった。
そして向かう途中で見つけた。
ぼろを着た、二人組のガキ。
「ほら、しっかり歩けよ。急がねえとまたどやされるぞ、信」
「離せ。一人で歩ける」
(……信、って言った。確定だ)
間違いない。あれが信と漂だ。
俺は声をかけるでもなく、ただ満足しきった顔で二人を見送った。
本物だ。ここは本当にあの世界なんだ。
◇
その夜の屋台で、俺はやけに上機嫌だった。
黙々と飲んで食って、にやにやしている俺に昨日の男たちがおそるおそる近づいてくる。
「田有、頭は大丈夫か?」
「おい、田有が馬鹿になったみてえなこと言うなよ。……体調はどうだ、って話な」
「田有、悪かった。……安心したぜ」
やっと木材を落とした男が謝った。
もう片方が、ほっとした顔をする。気のいい連中だ。働きながら拾った田有の記憶が教えてくれる。こいつらは、田有の――俺の、仕事仲間だ。
「おう、もう大丈夫だ」
「さすが田有! 落ちてきた木材を頭に食らって生きてるなんて、普通は死んでるぞ!」
いや、その「普通」で、俺は一回死んでるんだけどな。
まさか、自分が転生してきた現代人で、ここが漫画の世界だと確信して浮かれている、なんて言えるわけもない。適当にはぐらかして、酒の場を楽しんだ。
男たちが酔いつぶれて、場が静かになる。
ペースを落とした俺は改めて考え込んだ。
(漫画の世界に転生、しかもチート付き。さて――この世界を、どう生きるか)
田有というキャラは、原作では飛信隊の主力を張る男だ。
そして俺には、おそらく『太閤立○伝』の札の力がある。怪力。無限のスタミナ。札技の数々。
このまま、名もなき大工として埋もれるのか。原作の流れに乗るのか。それとも――。
(どっちにしろ、ここは徴兵のある秦だ。戦には、嫌でも駆り出される)
原作の田有は、死んでもおかしくない場面が何度もあった男だ。
意識して避けようとしたって、上の命令一つで、あっさり死ぬかもしれない。だったら。
「――なら、いっそ、目指すか」
杯の酒に、揺れる火が映る。
天下無敵の大将軍。
『太閤立○伝』で「天下一」なら、俺は何度も獲ってきた。ここは漫画の世界――いや、もう俺にとっては現実だが――それでもなんだか「やれる気」がした。
たぶんこれは子供の体に引きずられた心の変化だ。転生もので、よく見るやつ。前世の三十路男なら、絶対に抱かなかった無謀な熱が、胸の奥でぱちぱちと爆ぜている。
天下無敵の大将軍。
それは奇しくも、あの二人の少年と――信と漂と、同じ夢だった。
五百年も続く、大戦争の時代。
のちに「春秋戦国時代」と呼ばれる、その真っ只中で。
しがない元社会人の、ぶっ飛んだ天下取りが、今静かに幕を開けた。