【完結】同名コンボで!?キングダム立志伝 作:kobu015
おれは臆病者だ。
もとは、戦とも縁のない小さな村の生まれだ。畑を耕し、親の手伝いをして、それで一生を終えるはずだった。
なのに徴兵の触れが来た。秦の兵が足りないから、頭数を揃えるためだ。槍の握り方も知らないおれが、いきなり戦場へ放り込まれた。
蛇甘平原。おれの、初陣。
あれは地獄だった。
人が、虫みたいに死んでいく。さっきまで隣で話していた男が、声も上げずに倒れる。血の匂い。悲鳴。おれは腰を抜かして、震えることしかできなかった。
もう駄目だ、ここで死ぬ。そう思った、そのとき。
でかい手が、おれの襟首を掴んで、ぐいと後ろへ引いた。
「俺の後ろにいろ! この囲みの中は、硬い。簡単には死なせねえ!」
顔じゅう傷だらけの、岩みたいな大男。
それが、親分との――田有という人との、出会いだった。
あの日、おれは確かに死んでいたはずだ。
親分の硬い盾の中へ引き込まれて、おれは生き延びた。まわりでは、たくさんの兵が倒れていった。なのに親分の周りだけは、誰も死ななかった。
不思議で仕方なかった。こんな戦場で、どうしてこの人の隊だけ無事なんだろう、と。
あとでわかった。親分が、そうなるようにぜんぶ考えて動いていたからだ。誰も死なせないために。たった一人の兵も。
◇
親分は、変な人だ。
あんなに強いのに、ちっとも偉そうにしない。
手柄首を、ほとんど挙げない。派手な武勲も立てない。なのに親分の隊はいつも誰も死なずに帰ってくる。ほかの隊が、手柄を競って、ばたばた死んでいくのに。
最初、おれは自分が足手まといだと思っていた。
槍を握る手は、いつも震えている。怖くて足がすくむ。こんなおれが、いていいのか、と。
そう言ったら、親分は、こう返した。
「足手まといを、隊に入れるかよ。お前は目がいい」
「目、ですか……?」
「怖がりってのは、よく周りが見えてるってことだ。誰がどこで危ないか、お前にはわかるだろ。それを、大声で教えろ。それが、お前の役目だ」
……びっくりした。
怖がりなことを、責められると思っていた。なのに親分は、それを「役目」にしてくれた。怖いことは悪いことじゃないと、言ってくれた。
その日から、おれは必死に、戦場を見るようになった。どこが危ないか。どこが手薄か。それを、ありったけの声で親分に伝える。
おれにも、できることが、あった。生まれて初めて、誰かの役に立てていた。
岩斗さんは、すごい人だ。剣の腕は隊でいちばん。だけどすぐ前に出たがって、親分にいつも叱られている。
ほかの古株たちも、みんな変わり者ばかりだ。だけど根は優しい。臆病なおれを、馬鹿にしたりしない。
この隊が、おれは好きだ。畑しか知らなかったおれに、初めてできた、戦場の家族みたいなものだった。
おれだけじゃない。親分の下では、みんな、少しずつ変わっていった。
ただ暴れるだけだった荒くれが、仲間をかばうことを覚えた。逃げ腰だった新兵が、踏みとどまることを覚えた。親分は、誰かを怒鳴って従わせるんじゃない。ただ自分が一番危ない場所に立って、背中で示す。だからみんなついていく。
おれはこんな隊長を、ほかに見たことがない。
◇
親分の戦い方は、地味だ。
堅守で、みんなを硬い盾みたいにして、敵を受け止める。罵詈雑言で、敵をびびらせる。火矢で、梯子を焼く。気合が切れたら、瓢箪の札で、また回す。
派手じゃない。かっこよくもないかもしれない。
でもおれは知っている。あの地味な一つひとつが、おれたちの命を、繋いでいることを。
函谷関でも、そうだった。
あの化け物みたいな大軍を前に、おれはまた、足がすくんだ。だけど親分は、落ち着いていた。
敵が攻城やぐらを寄せてくると、親分は、火矢を、やぐらの支柱の一点にだけ、撃ち込んだ。たった一本で、やぐらが、まるごと崩れ落ちた。
「親分、なんで、あそこだけ狙うんですか」
「木の急所が、わかるんだよ。大工だからな」
大工。
そうだ。親分は、元は、家を建てる大工だったという。
その技で敵の道具を壊し、味方の壁に泥を塗って火から守り、崩れた守りを組み直す。戦場で、親分は、戦うというより、何かを「作って」いた。おれたちが、生きて立っていられる場所を。
考えてみれば、大工って、人が安心して暮らせる家を作る仕事だ。親分は、戦場でも同じことをしているのかもしれない。槍と札で、おれたちが安心して立っていられる場所を作る。壊すためじゃなく、守るために。そんな戦い方をする人を、おれはほかに知らない。
おれの「見る目」を、親分は、本当に頼りにしてくれた。
「禾、どこが薄い」「禾、あのやぐらの急所はどこだ」。名を呼ばれるたび、おれは誇らしかった。臆病者のおれが、隊の役に立っている。それが、何より嬉しかった。
函谷関では、一度だけ、おれが隊を救えたことがある。崩れかけた城壁に、敵が回り込もうとしていた。誰も気づいていなかった。でもおれの目は、それを捉えた。
「親分! 右! 右の崩れたところから、敵が来ます!」
ありったけの声で叫んだ。親分はすぐに動いて、堅守でその一角を固め直した。間に合った。
あとで親分は、おれの頭を、ぐしゃぐしゃと撫でた。
「よくやった。お前の目が、隊を救った」
……おれは泣きそうになった。臆病者のおれが、誰かを守れたのだ。
◇
だけどある日。
おれは気づいてしまった。
函谷関の、いちばん激しい総攻撃の日。城壁の一角が崩れて、敵が雪崩れ込んできた、あのとき。
親分は、いつものようにどっしりと構えて、指示を飛ばしていた。
でも――おれは見たのだ。
親分の足が、わずかに震えているのを。
(……親分も、怖いんだ)
信じられなかった。
あんなに強い、あんなに頼りになる親分が。武神の一撃を受けても生きていた、化け物みたいな親分が。
怖がっている。おれと、同じように。
あとで、古株から聞いた。
馬陽で、親分は武神とやり合ったらしい。肋を、何本も折られて。死にかけて。それでも王騎将軍を助け出したのだと。
……あの親分が、武神を怖くないわけがない。怖いに決まっている。
なのに親分は、いつも前に立つ。おれたちを背中に庇って。震える足で、それでも、一歩、前に出る。
◇
そのとき、おれはわかった気がした。
勇気って、怖くないことじゃない。
怖くても前に出る。その一歩のことだ。
親分は、怖くないんじゃない。怖い。死ぬほど、怖い。
それでもおれたちを生かすために、前に出る。それが、親分の、強さだったんだ。
おれはずっと、強い人は、怖くない人なんだと思っていた。
だけど違った。本当に強い人は、怖さを抱えたまま、それでもやるべきことをやる人だ。
親分だって、震えている。泣きたいくらい、怖いはずだ。なのにおれたちの前では、いつもどっしりと笑っている。それがどれだけ大変なことか、今のおれには、少しだけわかる気がする。
親分はたぶん、自分のことを英雄だなんて、これっぽっちも思っていない。ただの大工あがりだ、と、いつも言う。手柄なんて要らない、生きて帰れればいい、と。
でもおれにとっては、親分こそが英雄だ。派手な大将軍より、ずっと。
だって親分は、おれみたいな臆病者の命まで、本気で守ろうとしてくれる。そんな人、ほかにいない。
だからおれは決めている。この人について行く、と。手柄のためでも、出世のためでもない。ただこの人の役に立ちたい。臆病者なりに、精一杯。それだけだ。
なら――おれにも、できるかもしれない。
おれは臆病者だ。それはこれからも、変わらないだろう。
でも臆病者のままでも、前に出ることはできる。親分が、そう教えてくれた。
おれは震える手で槍を握り直した。
次は、おれが、誰かを守る番だ。親分が、おれにしてくれたみたいに。
◇
今、おれたちは、新しい戦場へ向かおうとしている。
李牧という男が、函谷関を迂回して、別の場所を突いたという。咸陽を守る、最後の盾。蕞、という小さな城だ。
親分は、言った。
「……正直に言う。蕞には、化け物がいる。武神・龐煖だ。死ぬかもしれん。嫌なやつは、残れ」
しん、と、静まった。
だけど誰も動かなかった。おれも、動かなかった。
怖い。すごく怖い。武神なんて、想像もつかない化け物だ。
でも――おれは親分の隊だ。臆病者を、拾ってくれた、あの親分の。
「……お、おれも、行きます」
震える声で、それでもはっきりと言った。
「隊長に、命を……拾ってもらったんで。今度は、おれが……役に立ちたいんです」
親分は、ちょっと、目を丸くして。
それから、くしゃっと、笑った。
その顔を見て、おれはもう、怖くなかった――とは、言わない。やっぱり、怖い。
でもこの人について行く。どこまでも。たとえ、武神の待つ、戦場でも。
それだけは、もう、震えていなかった。
夜を徹して、おれたちは蕞へ走った。
親分は、疲れ知らずの脚で、誰よりも前を走っていた。その大きな背中を、おれは必死に追いかけた。
怖い。やっぱり、怖い。武神が、待っている。死ぬかもしれない。
でもおれはもう逃げない。親分が、教えてくれたから。怖くても、前に出る。その一歩が、勇気なんだと。
おれは槍を握りしめて、親分の背中を、追い続けた。この背中を、守りたい。いつも、おれたちを守ってくれる、この大きな背中を。今度は、おれが。たとえ、ほんの少しでも。
臆病者のおれにできることなんて、知れている。それでもおれの「目」が親分の役に立つなら。一度でも、親分を守れるなら。
おれは走った。武神の待つ、蕞へ。怖さを抱えたまま、それでも、前へ。
親分が、いつか言っていた。「怖いやつほど、よく生き残る」と。
ならおれはきっと生き残る。誰よりも怖がりだから。
そして生き残って、見届けるんだ。親分がこの戦で、また誰かの命を繋ぐところを。臆病者のおれが、その隣に立っているところを。
そのときは、おれも胸を張って、隣にいたい。怖がりのままでも、いい。
おれは前だけを見て走った。もう、振り返らない。親分の背中が、すぐそこにあったから。
その背中に、おれはどこまでもついていく。そう、心に決めていた。