【完結】同名コンボで!?キングダム立志伝   作:kobu015

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幕間 李牧の誤算

 私の策は、完璧だった。

 

 そのはずだった。

 函谷関での総攻撃は、囮だ。あれだけの大軍を正面にぶつけ、秦の目と兵を、あの一点に釘付けにする。そのあいだに、私の率いる別働隊が山を越え、裏をかく。

 狙いは蕞。咸陽へ抜ける、最後の盾。あの小城さえ落とせば、王都の喉元に、刃を突きつけられる。秦は、終わる。

 私は楚の春申君を総大将に立て、自らは裏に回った。寄せ集めの六国を、一つの軍として機能させる。それだけでも至難の業だ。だがやってのけた。

 長年憎み合ってきた国々。その全部を「秦を滅ぼす」という一点で束ねた。これほどの好機は、二度と来ない。秦を地図から消す。その千載一遇の機会を、私は握っていた。

 もっとも六国の結束など、私ははなから信じてはいなかった。楚も、魏も、韓も、それぞれの欲で動く烏合の衆だ。だがそれでいい。秦という共通の敵がいるあいだだけ束ねればいい。崩れる前に、決着をつける。それが、私の描いた絵だった。

 

 兵法として、非の打ちどころはなかった。

 現に、蕞は、ほとんど無防備だった。守るのは、わずかな兵と、武器を取った民だけ。私の別働隊が到達すれば、半日で陥ちる。そう、計算していた。

 計算は、いつも私を裏切らない。戦とはつまるところ、数と、時と、地形の計算だ。感情を排して盤面を読み切れば、勝敗は戦う前に決まっている。私はそうやって、幾多の戦場を制してきた。

 蕞の攻略も、ただの計算だった。手駒を動かし、答えを回収するだけ。そのはずだった。

 

 だが――陥ちなかった。

 

 数刻あれば済むはずの攻略が、丸一日経っても終わらない。

 やがて私は退き鉦を打たせた。中華の半分を束ねた空前の大軍を率いて。あの、取るに足らない小城ひとつ、抜けぬまま。

 ……度し難い。何が、起きた。

 私はめったに計算を外さない。だからこそ、外れたときの、この感触が許せない。

 何が足りなかった。どこで読みを誤った。退却の道中、私は何度も自問した。答えは、すぐには出なかった。だが出さねばならない。次は、ないのだから。

 

  ◇

 

 誤算は、二つ、あった。

 

 一つ目。

 蕞に、援軍と、備えが、間に合っていた。

 

 これが、わからない。

 私の迂回は完璧に秘されていた。秦が、別働隊の狙いを蕞と察するには、あまりに時が足りないはずだった。なのに蕞には、大王みずからが入り、援軍が駆けつけ、迎え撃つ態勢が、整っていた。

 まるで――誰かが私の手を、先回りして読んでいたかのように。

 

 そして戦のあいだ、奇妙なことが起きた。

 蕞の守りが、的確すぎるのだ。どこを固め、どこを捨て、いつ討って出るか。まるで、戦場の全体を、盤上の一目で見渡しているような采配。あれは現場の兵の判断ではない。後方から、誰かが、糸を引いている。

 その用兵に、私は覚えがあった。

 

(……まさか)

 

 古い、戦歴の記憶を、たぐる。

 退いて誘い、包んで空ける。あの独特の呼吸。秦の、生ける伝説。

 六大将軍、王騎。

 ……馬鹿な。あの男は馬陽で龐煖に討たれたはず。私の手元の報には、確かに、そう記されていた。死んだ男の知略が、なぜ今、この戦場を動かしている。

 

 答えは、一つしかない。

 あの男は死んでいない。

 馬陽で、何かが、起きた。私の知らない、何かが。王騎は生き延び、戦場には立てぬまま、その頭脳だけで、秦を支え続けている。

 ぞくり、と背が冷えた。死んだはずの男が、生きている。それだけで、私の組んだ算段は根本から狂う。私の計算には「王騎はいない」という前提が、組み込まれていたからだ。

 その前提が崩れた。たった一人の男が、生きているか死んでいるか。それだけで、国の命運がひっくり返る。戦とは、つくづく恐ろしい。

 ――いるはずのない男が、盤の上にいる。

 

  ◇

 

 二つ目の誤算は、もっと、奇妙だった。

 

 蕞の防備が、一夜にして、増えていた。

 

 最初の攻めが引いた夜。私の物見の報告では、蕞の守りには、明らかな弱点があった。傷んだ城門。崩れた土塁。あそこを突けば、容易に抜ける。そのはずだった。

 ところが夜が明けてみると。

 城門は補強され、進路には逆茂木と乱杭が敷かれ、見慣れぬ櫓や旗が林立していた。守備兵の数も、倍に増えたように見えた。

 

(一夜で、城を、築いただと?)

 

 私はすぐに見抜いた。あれは張りぼてだ。

 本物の城壁ではない。ありあわせの材で急ごしらえに組まれた、見せかけの防御線。兵の数も、旗で水増しした、虚仮威し。

 ……だが。

 張りぼてでも、崩すには手間がかかる。逆茂木を払い、乱杭を抜き、補強された門をこじ開ける。その一つひとつに、時間を、食わされる。

 そして戦において、時間こそが、命だ。

 

 たかが、数刻。

 だがその数刻が、援軍を呼び、態勢を整えさせ、私の「半日で陥とす」という計算を、根底から、覆した。城を築くのに、年月がいる。それが常識だ。その常識を、たった一夜で覆された。本物でなくていい。敵の足を数刻止めればいい。その一点に特化した、割り切り。

 恐ろしいのは、その発想だ。城を「建てる」のではなく、時間を「作る」。守りとはそういうものだと見抜いている者の、仕業だ。

 

 いったい、誰が。

 名のある将の仕業ではない。あの手際は、城攻めの定石とも、違う。もっと、土と木の扱いに、長けた者。まるで――家を、建てる者のような。

 報告に、一つだけ、奇妙な名があった。

 秦の、無名の隊長。「大工あがりの、田有」とか。

 

(大工……?)

 

 馬鹿馬鹿しい。一介の大工が、私の策を、覆したというのか。

 だがその馬鹿馬鹿しさが、妙に頭の隅に引っかかった。

 

  ◇

 

 そして極めつけが。

 あの、武神だ。

 

 龐煖。我が軍の最強の刃。城将を、何人も血祭りにあげてきた、人ならざる武。その龐煖でさえ、蕞を、抜けなかった。

 報告では、こうだ。武神の前に、一人の大男が立ちはだかり、仲間とともに、執拗に足止めをした、と。何度叩きのめされても、立ち上がり、しぶとく食らいついてきた、と。

 その大男の名も――田有、だという。

 

 ……同じ、名だ。

 采配を狂わせた一夜城。武神を止めた、しぶとい大男。その両方に、同じ、無名の名が、絡んでいる。

 一つの戦場に、二度。同じ名が、私の前に立ちはだかった。采配でも、武でもない。ただしぶとく、嫌らしく、決定的な時間を稼ぐ。そういう、つかみどころのない強さ。将と呼ぶには、まだあまりに粗い。だが放っておいてよい駒でもない。

 正面から叩けば崩れる。だがこの男は正面に出てこない。ひたすら守り、粘り、味方を生かす。倒すべき的が、ない。

 私はいくつもの戦場を見てきた。猛き将も、知に長けた将も。だがこういう形で人の計算を狂わせる駒は、珍しい。手柄を求めず、ただ味方を生かす。目立たず、騒がず、しかし決定的な場所で、決定的な時間を作る。武でも知でもない、つかみどころのなさ。その正体は、まるで掴めない。

 あの男の正体を、私はまるで掴めなかった。だが――掴めぬものほど、放ってはおけない。せめて、その名だけは、記録しておくべきだろう。

 

 偶然、か。

 いや。私は偶然を信じない。

 あの戦場には、私の読めない駒が、一つ、紛れ込んでいた。盤面の、どこにも記されていない、異質な一手。それが、私の完璧な策に、ひびを入れた。

 

  ◇

 

 退却は、正しい判断だった。

 

 蕞は、抜けない。函谷関も、抜けない。これ以上、兵を損なえば、寄せ集めの合従軍そのものが、瓦解する。長く憎み合ってきた六国の結束など、しょせん、砂上の楼閣。勝ち目が薄いと見れば、たちまち、崩れる。

 だから私は引いた。最も損の少ない形で。深追いは、しなかった。それが、将器というものだ。

 兵を無駄に死なせるのは、愚将のすることだ。勝てぬ戦と見れば、退く。その判断の速さこそ、私が私である理由だ。

 今回も、私は最善を選んだ。これ以上続ければ、得るものより失うもののほうが多い。だから引いた。冷静に、淡々と。

 ……それでも。胸の奥に、ざらりとした後味が残る。完璧だった策が、たった一人の名もなき男に狂わされた。その事実が。

 

 負けては、いない。だが勝っても、いない。

 空前の大軍を率いて、私はあの小さな城ひとつ、抜けなかった。それはまぎれもなく、私の、誤算だった。

 

 馬陽で死んだはずの、王騎。

 一夜で城を築き、武神を止めた、無名の大工。

 ……秦という国は、いつのまにか、私の知らない手札を、何枚も、抱え込んでいる。漂、という名も、報告にあった。大王と、奇妙なほどよく似た顔を持つ、若い武官。王宮で頭角を現しているという。

 王騎。漂。そして大工の田有。いずれも、私の知る「秦」にはいなかった顔ぶれだ。まるで誰かが、秦の手札に、いるはずのない札を、何枚も加えていったかのような。

 

(面白い)

 

 久しく、感じていなかった。

 盤面に読めない駒が現れたときの、この感覚。ぞくり、とするような、知の昂り。

 次に秦と相見えるとき。

 私はあの「大工」という駒を、必ず勘定に入れる。そして今度こそ、その正体を、暴いてみせよう。

 戦は、続く。秦と、趙と。私と、まだ見ぬあの男と。いつか必ず、私たちは同じ盤の上で相対する。そのとき、あの読めない一手が、また私の前に立ちはだかるだろう。

 ……楽しみにしておこう。それまで、せいぜいその芽を伸ばしておくがいい。摘み取るのは、私の役目だ。

 

 退いていく合従軍の、長い列を眺めながら。

 私はまだ見ぬ一人の男のことを、静かに、頭の片隅に、刻みつけた。

 ――田有、か。覚えておこう。

 その名は、しばらく私の記憶から消えそうになかった。完璧な策を覆した、ただ一つの綻び。次は、その綻びごと握り潰す。

 それが、引き分けに持ち込まれた者の、せめてもの矜持というものだ。

 空を、雁が渡っていく。私は馬首を返し、撤退する大軍の先頭へと、静かに歩を進めた。

 次に相見えるときが、私はひそかに待ち遠しかった。

 馬上で揺られながら、私はもう、次の戦の絵を描き始めていた。あの大工が、また私の前に現れるとすれば、それはいつ、どこの戦場か。そのとき私は奇策には奇策を、時間には時間をもって応じよう。

 ……ふ。久々に、退屈しない相手が現れたものだ。

 私は静かに笑い、二度と振り返ることなく、趙への長い帰路についた。

 田有。その名だけが、澄んだ秋空の下、いつまでも私の胸に残っていた。

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