漂を救って、自分の村へ戻った。
大工の仕事に、また精を出す日々。木を削り、柱を組み、仲間と軽口を叩く。穏やかで、悪くない暮らしだ。
……悪くない、んだが。
(落ち着かねえな)
一度運命をねじ曲げてしまった。
原作で死ぬはずだった漂を、この手で生かした。あの夜の手応えが、まだ指の先に残っている。
あれを味わってしまうと、もう、ただの大工としてのんびり、とはいかない。腹の底で、ぱちぱちと火がくすぶり続けている。
天下無敵の大将軍。
あの夜、酒の席で決めた、馬鹿げた夢。
あれを本気で目指すなら――やることは、はっきりしている。
(武勲だ)
この国で成り上がるには、戦で手柄を立てるしかない。
いくら個人の武が強くたって、戦場でたった一人が暴れたところで、戦の大勢は動かない。秘技札――強襲だの抜け突きだのは、しょせん「個人戦」のスキルだ。
大軍を動かす、合戦の札。それを、実戦で振るわなきゃ始まらない。
そんなことを考えていた、ある日。
その「好機」は、向こうからやってきた。
◇
「魏が、攻めてくるらしいぞ」
屋台で、誰かが言った。
ほどなく、村にも役人が触れを出して回った。徴兵だ。
国境を魏に侵された秦が、兵をかき集めている。
戦。
人が死ぬ。たくさん。それはわかっている。前世ではゲームの画面の中の、ただの数字だった「兵」が、ここでは血を流して倒れる、本物の人間だ。
怖くないと言えば、嘘になる。
だが――これは好機だ。
武勲を立てる、最初の舞台。
「俺は志願する」
言うと、大工仲間たちが目を丸くした。
「正気か田有! 命あっての物種だぞ」
「お前、頭に木材食らってから、やっぱどっかおかしくなったんじゃ……」
「そいつは前からだろ」
心配してくれるのは、ありがたい。本当にいい奴らだ。
だがこればかりは譲れない。俺は笑って、軽くいなした。
……一方で、目を輝かせた連中もいた。
例の、剣術馬鹿どもだ。
「田有が戦場に出る? なら、俺たちも行くぞ!」
「お前の隣で戦えるなんて、最高じゃねえか!」
「どさくさで、お前と仕合できるかもしれねえしな!」
「戦場で身内と仕合うな。死ぬぞ」
ツッコみながら、内心、ちょっと頼もしかった。
こいつらは、変人だが、腕は本物だ。延々と俺に付き合って強くなった、生粋の剣士たち。戦場で背中を預けるなら、これ以上の連中はいない。
◇
出立の前に、俺は自分の「手札」を、改めて確認した。
これまで使ってきたのは、秘技札――個人戦用だ。
だが合戦には、合戦でしか使えない札がある。
──《合戦札(抜粋)》──────────
・堅守:気合2/一定時間、備の防御力を上昇
・罵詈雑言:気合2/隣接する敵の備の士気を下げる
・力攻め/火攻め:門の耐久を削る(攻城戦)
・千成瓢箪:気合1で気合3回復
・獅子奮迅:気合7/確率で城門を全壊(攻城戦)
────────────────────
(よし……やっと合戦パートだ)
ゲーマーの血が、騒ぐ。
個人でちまちま敵を斬るのとは、わけが違う。これは軍を動かす札だ。
ポイントは、「備」という考え方。
備――この体感で言えば、自分と、その配下をひとまとめにした一個の部隊だ。堅守を張れば、自分だけじゃなく、近くにいる兵ごと硬くなる。罵詈雑言を浴びせれば、敵の部隊全体の士気が下がる。
もっとも、今の俺はただの徴兵あがり。隊なんて、預けてもらえるわけがない。
だが、ゲームの感覚が正しけりゃ、俺の札は肩書きと関係なく効くはずだ。なら、同じ伍の仲間や、怖くて固まった兵が俺にくっついていれば、そいつらごと硬くしてやれる。
一兵卒でも、できることはある。まずはこの戦を生き延び、上の誰かに名を覚えさせる。立身ってのは、そこからだ。
(統率は……57。武力八十超えに比べりゃ地味だが、合戦じゃこっちが効く)
しかも千成瓢箪で気合をぐるぐる回せる。
気合は札技のコストで、戦っている間に回復する。それを瓢箪でさらに上乗せすれば、堅守も罵詈雑言も、惜しみなく撃ち続けられる。
……我ながら、いやらしい構成だ。ゲームでも、これで何度も天下を獲ってきた。
もちろんゲームの盤面と、本物の戦場は違う。
札がどこまで通用するかは、出てみなけりゃわからない。だが――。
(やれない、ことはない)
例の、転生してから消えない、根拠のない自信。
今日も、胸の奥で、しっかり火が燃えている。
◇
出立の朝。
俺は剣と槍、それに鉄でこしらえた馬鹿でかい弓を背負い、自分の村をあとにした。
隣には、にやにや笑う剣術馬鹿が数人。背後では、大工仲間が「死ぬなよ」と手を振っている。
向かう先は、魏との国境。
俺の、初陣だ。
(さて……同じ戦場に、あいつもいたりするのかね)
ふと頭をよぎる。
喧嘩っ早い、あの黒髪のガキ。信。
あいつもまた、奴隷の身分を抜け出して、大将軍を目指しているはずだ。漂が生きて、王宮にいる、この世界でも。
もし、戦場で会えたら。
そのときは――まあ、また、遠くからこっそり見守るとしよう。
俺には、それくらいの距離が、性に合っている。
大将軍への、第一歩。
しがない元社会人の天下取りが、いよいよ、本物の戦場へと踏み出した。
◇
魏が攻めてきた。
ぶつかる戦場は、蛇甘平原。だだっ広い、見渡すかぎりの草の海だ。
俺は剣術馬鹿たちと一緒に、秦軍の右翼――麃公という将軍が率いる軍に組み込まれた。さらにその中の、縛虎申という千人将の隊だ。
戦の経験なんて、当然ない。俺はただの一兵卒として、五人ひと組の「伍」に放り込まれた。伍長を務めるのは気のいい古参の兵で、俺はその下の、ただのでかい新入りだ。
(伍長ですらない、ただの徴兵。……まあ、肩書きなんて今はどうでもいい)
同じ伍になったのは、剣術馬鹿どもの筆頭・岩斗(がんと)に、おっかなびっくりの徴兵組。中でも、禾(か)という痩せた若者は、槍を握る手をずっとがたがた震わせていた。世界一頼りない――いや、岩斗の剣の腕だけは確かな――そんな寄せ集めの伍である。
◇
「うおおおおおッ!!」
開戦の銅鑼が鳴った瞬間、地鳴りのような喊声が平原を揺らした。
両軍が、ぶつかる。
――やばい。
俺は一瞬で、自分の認識の甘さを思い知った。
これは朱凶との一対一とは、何もかもが違う。
目の前で、見も知らぬ兵が声をあげる間もなく崩れていく。槍が肉を貫く音。血の匂い。悲鳴。味方も、敵も、虫みたいにあっけなく死んでいく。
ゲームの画面では、ただの数字が減るだけだった。ここでは、数字の一つひとつに、顔があって、声があって、さっきまで生きていた。
(落ち着け。落ち着け、俺)
膝が笑いそうになるのを、奥歯を噛んで抑える。
怖い。正直漏らしそうなくらい怖い。だが――ここで足を止めたら、俺もついてきたこいつらも、本当に虫みたいに死ぬ。
だったら、やることは一つだ。
持てる手札を、全部使う。
「俺の周りから離れるな!! かたまれッ!!」
──《堅守》──────────
・合戦札/気合2消費で、一定時間、備の防御力を上昇
────────────────────
気合を込めて、札を発動する。
すると感覚でわかった。俺だけじゃない。俺を中心にかたまった連中――伍の仲間も、怖さで寄ってきた他の兵も、まとめてぐっと硬くなる。降ってきた敵の槍が明らかに通りにくくなった。
「ひっ……た、田有さん、おれ、こんなとこで死ぬのは……!」
禾が腰を抜かしかけている。俺はその襟首を掴んで、自分の背へ引き寄せた。
「禾! 俺の後ろにいろ! この囲みの中は、硬い。簡単には死なせねえ!」
「……あ、あれ? 体が……軽い……いや、硬い……?」
効いている。
札は合戦でも、ちゃんと動く。
◇
硬い盾になった俺たちの塊へ、敵がじわじわ群がってくる。
まともに正面から殴り合えば、数で負ける。なら――搦め手だ。
「お前ら、よく聞け! あいつらは、烏合の衆だ! 大将はとっくに逃げ腰だぞ!」
──《罵詈雑言》──────────
・合戦札/気合2消費で、隣接する敵の備の士気を下げる
────────────────────
ありったけの声で、根拠のない悪態をぶちまける。
弁舌の技能が低いほど効果が大きい、という妙な札だ。俺の口の悪さは、たぶん札にとっては好都合だった。
効果は、てきめん。正面の敵が目に見えてひるむ。勢いが、鈍る。
そこへ。
「今だ! どけ、俺が撃つ!」
背中の、鉄でこしらえた馬鹿でかい弓を引き絞る。札も何も使わない、ただの力任せの一射だ。
ひょうっ――と、常人の倍は飛ぶ矢が、ひるんだ敵のど真ん中を撃ち抜く。並の鎧ごと貫いて、後ろの兵まで巻き込んだ。それだけで、敵の隊列にぽっかり穴が空く。
札を撃つたびに気合が削れるが、問題ない。
千成瓢箪で、気合を回す。瓢箪が、ぽこんと一つ増えた気がした。
堅守、罵詈雑言、そしてまた堅守。気合を回し、悪態をつき、たまに矢を射る。
……我ながら、いやらしい。ゲームで何度も天下を獲った、手堅いだけの陰湿な立ち回りだ。だが戦場では、この陰湿さが、命を拾う。
「すげえ……あの伍、一人も欠けてねえぞ」
「あのデカいの、何者だ?」
気づけば俺たちの伍の周りだけ、味方の死体が少なかった。
硬くて、嫌らしくて、しぶとい。地味だが、それが俺の戦い方だ。
◇
戦況が、大きく傾いた。
遠く、戦場の中央のほうで、ひときわ大きな喊声が上がっている。麃公将軍の本隊が魏の総大将を追い詰めているらしい。
そして――その喧噪の中に、妙なものを見た。
敵陣のど真ん中。一人の黒髪の歩兵が馬鹿みたいに突っ込んでいる。
仲間を率いるでもなく、札を使うでもなく。ただ剣一本で信じられない勢いで敵をなぎ倒し、ぐんぐん前へ出ていく。あんな無茶な戦い方、普通なら三秒で死ぬ。
(……信だ)
間違えるものか。城戸村で、遠くから何度も見守った、あのガキだ。
漂が王宮へ行ったあと、あいつもまた、自分の足で戦場に立っていた。同じ「大将軍」の夢を追って。
(無茶しやがって……でも生きてる。ちゃんと、前に進んでる)
信のそばには、同じ伍らしい顔ぶれが見えた。軽口を叩く兄ちゃんと、気弱そうなその弟。苦労性の伍長が、必死に隊形を保とうとしている。
そして――その中に一人、やけに小柄な、無口な兵がいた。その剣筋だけが、まわりとまるで違う。派手さはないのに、一振りごとに敵が的確に崩れていく。明らかに、新兵の動きじゃない。
(……あれは、羌瘣か)
間違いないだろう。のちに信の相棒になる、あの剣の鬼だ。今はまだ、ただの無口な新兵の顔をしているが。信の伍に、もういる。
……まったく。とんでもないのが揃ってやがる。
不覚にも、胸が熱くなった。
助けに行きたい衝動を、ぐっとこらえる。あいつには、あいつの戦いがある。俺が出る幕じゃない。今はまだ。
ただこっそり――あいつの突っ込んでいく先の敵に、気づかれないよう矢を一本、牽制に撃ち込んでおいた。
◇
日が傾くころ、戦は秦の勝ちで終わった。
俺の伍は、一人も欠けずに生き残った。
炎天下を血と泥にまみれて、それでも全員、息をしている。剣術馬鹿どもは「いやー、いい戦だった!」とけろりとしていて、こいつらの神経の太さには、もう感心するしかない。
「おい、そこのデカいの」
戦のあと、見知らぬ士官が、俺に声をかけてきた。
値踏みするような目だ。
「お前の伍、妙にしぶとかったな。名は?」
「……田有。大工あがりの、田有だ」
「大工、ねえ。覚えておく」
士官は、それだけ言って去っていった。
……覚えておく、か。
(これが第一歩だ)
無名の大工が、戦場で、ほんの少しだけ名を残した。
地味で、陰湿で、誰も気づかない手札の積み重ねで。
だが確かに――立身出世の、最初の一歩を、踏み出したのだ。
陣に戻ると、禾が半泣きで俺の前に立った。
「た、田有さん……おれ、生きてます……田有さんの、おかげで……」
「当たり前だ。お前を死なせるために、隊に入れたんじゃない」
岩斗ががはは、と笑って、俺の背を遠慮なく叩く。
「親分の堅守は、鉄壁だからなァ! 禾、お前、これからも親分についてけば死なねえぞ!」
……親分、か。いつのまにかそう呼ばれていた。
悪い気は、しなかった。
血の匂いの残る平原で、俺は遠く信が消えていったほうの空を、しばらく見ていた。
次に会うときは。もう少し、近い場所で会えるといい。
そんなことを、ふと思った。