剣を振るうたび、血が滾る。
これだ。これこそがオレの生きる場所だ。
蛇甘平原。オレの初陣だ。
見渡すかぎりの草の海に、両軍の喊声が満ちている。まわりじゃ徴兵されたばかりの連中が腰を抜かして震えてやがる。気持ちはわかる。昨日まで畑を耕してた百姓が、いきなり人を殺せと言われてんだ。
だがオレは違う。怖いより先に、体が前へ出る。これがオレだ。
敵の群れへ、迷わず飛び込んだ。
右の槍を払い、左の兵を蹴り飛ばし、正面のやつを袈裟に斬り伏せる。血しぶきが顔にかかった。構うもんか。一人倒すたびに道が開ける。一歩進むたびに夢へ近づく。
はじめて人を斬ったときのことは、正直よく覚えてねえ。気づいたら、もう何人も倒してた。手が震えなかったと言や嘘になる。だが立ち止まったら終わりだ。考えるより先に体を動かす。それしかなかった。
「信! 突っ込みすぎだ! 戻れ!」
伍長の澤圭が後ろでわめいてる。尾平と尾到も必死についてくる。
わかってる。わかってるが止まれねえ。一歩でも前。一人でも多く。手柄を立てなきゃ上には行けねえんだ。
オレは今、ただの歩兵だ。澤圭の伍に組み込まれた、その他大勢の一人。名もねえ。位もねえ。手柄を立てたって、上のやつらに横取りされるのが落ちかもしれねえ。
その伍には、もう一人、妙なやつがいる。小柄で、無口で、いつも一人でいる。名は、羌瘣とか言ったか。見た目はひょろっこいくせに、剣を持つと別人みてえに動く。蛇甘でも、こいつの周りだけ、敵がやけにきれいに倒れていった。
……正直、薄気味悪い。だが、強いのは確かだ。オレは、強いやつは嫌いじゃねえ。いつか、手合わせしてみてえもんだ。
それでもやるしかねえ。ここで埋もれてたら、漂に追いつくどころか、一生奴隷あがりのままだ。だから目立つ。誰よりも前に出て、誰よりも斬って、嫌でも名前を覚えさせてやる。それがオレの最初の一手だ。
考えるより先に、また敵の中へ突っ込んだ。来た槍を首をひねって躱し、踏み込んで懐へ。相手が目を見開く。その喉笛を、下から斬り上げた。返す刃で、横のやつの胴を薙ぐ。
怖さはある。だが体が覚えちまった。漂と何千回も打ち合った、あの感覚だ。一対一なら、誰にも負ける気がしねえ。問題は数だ。一人で斬れる数には限りがある。だからこそ、てっぺんに行って軍を動かす側にならなきゃならねえ。今はまだ、その入り口だ。
◇
オレには夢がある。
天下最強の大将軍になる。ガキのころから漂と二人で誓った夢だ。
城戸村のぼろい納屋で、木の棒を握って、何百回も打ち合った。日が暮れても星が出ても飽きもせず。
「二人で、天下の大将軍だ」
あのころはそれが当たり前だと思ってた。オレと漂、二人でてっぺんまで行く。離れるなんざ考えもしなかった。
だが漂は先に行っちまった。
大王様に瓜二つだとかで、王宮に身請けされやがったんだ。奴隷のオレたちを、あんなとんでもねえ場所が拾い上げた。
……ちっとも悔しくねえと言や嘘になる。オレたちは互角だった。二人でやりゃ、どっちが勝つかわからねえ。なのにあいつだけ、先のステージに立ってやがる。
だがな。先に行ったからって、勝ちが決まったわけじゃねえ。大将軍ってのは、たどり着いたもん勝ちだ。順番なんざ関係ねえ。
オレが先にてっぺんへ立つことだって、十分にある。そうなりゃ今度は、オレが手を差し伸べてやる。「遅えぞ、漂」ってな。
……ふっ。想像したら、ちょっと笑えてきやがった。
待ってろよ、漂。追いついて、追い抜いて、その先で待っててやる。
◇
思い返せば、ここまでもまっすぐじゃなかった。
漂が王宮へ行ってすぐ、あの王弟の乱が起きた。オレは漂に呼び出されて、わけもわからず助けに走った。大王様――漂と同じ顔のやつだ――を守って、山ん中を逃げ回った。河了貂とかいう蓑笠のチビに道案内されて、ムタとかいう刺客ともやり合った。
あのムタって野郎は強かった。吹き矢と鉈でねちっこく攻めてくる。だが漂と二人がかりなら負けるかよ。背中を合わせて、息を合わせて、ぶっ倒した。
あのときだけは、また昔みたいに、漂と並んで戦えた。
背中合わせで戦ってる間、漂が笑った。『やっぱお前と組むのが一番だ』とよ。オレもそう思った。心の底から。
だからこそ、離れるのがこたえた。あいつが王宮へ消えていく背中を、オレはただ見送るしかなかった。追いかける資格すら、今のオレにはねえ。奴隷の、ただのガキだからだ。
……だが、それも終わりだ。乱が収まりゃ漂は王宮、オレは城戸村。身分も立場も、もう違っちまった。
だから徴兵の触れが出たとき、オレは真っ先に手を挙げた。これしかねえと思った。戦場で手柄を立てる。それが奴隷あがりのオレが漂に追いつく、唯一の道なんだ。
漂は最後に、ニカリと笑ってこう言った。
「先に行く。追いついてこい」
なら答えは一つだ。オレはオレの足で追いつく。後ろ盾もコネも何もねえ。あるのは漂と鍛えたこの体と、馬鹿げた夢だけ。それで十分だ。
「うおおおッ! どけどけどけェ!」
剣一本で敵をなぎ倒す。漂、見てろよ。お前が王宮で出世してる間に、オレは戦場でてっぺんまで駆け上がる。そんで隣に並んでやる。約束した、あの夢の場所で。
◇
調子に乗りすぎたのは認める。
気づけばオレは、敵陣のど真ん中でぐるりと囲まれていた。
「……っ、しまっ」
槍が四方から来る。さすがにまずい。一人や二人ならどうとでもなるが、これだけの数に囲まれちゃ、いくらオレでも腕が足りねえ。
覚悟を決めて剣を構えた、その時だった。
ひゅるッ――と、どこからか矢が一本。
オレの正面の敵の、すぐ足元に突き立った。地を抉るほどの勢いに、敵がびくっと身をすくめる。
その一瞬の隙でオレは囲みをこじ開けた。空いた隙間に剣をねじ込み、敵を弾き飛ばし、外へ転がり出る。
(……今の矢、味方か? どこから……?)
わからねえ。狙って撃ったみてえな、いやらしい一本だった。
顔を上げて、矢の飛んできたほうを見る。
――いた。
◇
でかい。やたらとでかい男だ。
顔じゅう傷だらけの巨躯。そいつが小さな伍をまとめて、戦場の端で戦っている。
その戦い方が、妙だった。攻めねえ。ほとんど攻めねえんだ。
兵をかためて硬い盾みたいにして、敵をひたすら受け止めてる。罵声をぶちまけて敵をびびらせ、弓で隊列を撃ち抜いて、また固まる。地味で、嫌らしくて、しぶとい。オレとは正反対だ。
(なんだあの戦い方は。男なら前に出て斬り込まねえのかよ)
最初はそう思った。へっぴり腰の臆病な戦い方だと。
だがよく見てぞくりとした。
あの男の周りだけ、味方の死体がほとんどねえ。この地獄みてえな戦場で、あいつの隊の連中は一人も欠けてねえんだ。震えてた百姓どもが、あの大男の後ろでちゃんと生きて槍を握ってる。
人を生かすために戦う。そんな戦い方があるのか。
オレには、できねえ。
オレのやり方はいつだって、オレが一番前で暴れることだ。オレが斬る。オレが突っ込む。オレが敵将の首を獲る。それで道をこじ開ける。
だがあの大男は逆だ。自分は目立たず、後ろの連中を一人残らず生かして帰す。地味で陰気で、まったく派手じゃねえ。
なのに――あの後ろにいる百姓どもの顔が、妙に生き生きして見えた。あの大男を心底信じてるって顔だ。
ちっ。わからねえ。オレにはまだ、わからねえ。
ただ一つだけはっきりしてることがある。
あの大男、強い。間違いなく強い。あの巨体から繰り出される膂力は、まともじゃねえ。罵声と弓でちまちま戦ってるが、本気でやり合ったら相当なもんだろう。
いつか手合わせしてみてえ。そう思った。漂とでもなく、敵将とでもなく、あの得体の知れねえ大男と。理屈じゃねえ。ただの勘だ。だがあいつとは、いつかちゃんと拳を交える気がする。
◇
それに――オレはあの男を知っていた。忘れるもんか。
城戸村だ。オレと漂が仕合をしてるのを、森からじっと見てやがった「怪しい大男」。
毎日のように、あいつは現れた。森の陰から、屋台の隅から、オレと漂をじっと見てやがる。気味が悪いったらなかった。一度はぶっ飛ばそうとして、漂に止められた。
だが何をしてくるでもねえ。ただ見てる。まるで――そう、まるで、心配でたまらねえって面で。
今思や変な話だ。見ず知らずの奴隷のガキを、なんであんなに気にかける。
「……あのオッサン」
なんで、こんな戦場にいる。っていうか、なんであいつ、いつもオレたちの周りをうろついてやがるんだ。
(まさか、さっきの矢……いや、まさかな)
あんな遠くから、囲まれたオレの足元にピンポイントで一本。そんな器用な真似できるわけが――いや。あの嫌らしい戦い方を見てると、できそうな気もしてくるから、たちが悪い。
考えてる暇はなかった。次の敵が来る。オレはその大男から目を切って、また剣を振るった。今は目の前の一歩だ。
◇
日が暮れるころ、戦は終わった。秦の勝ちだ。
オレは生き残った。傷だらけだが、ちゃんと生きてる。
夢の、ほんの入り口。
まだ歩兵の一人にすぎねえ。手柄もちょっとは立てたが、てっぺんはまだはるか先だ。
澤圭たちが「死ぬかと思った」と笑ってる。尾平が泣きべそをかいて、尾到がそれを小突いてる。
……けっ、しょうがねえ連中だ。だが悪くねえ。こいつらと生きて帰れたのは、悪くねえ気分だ。
(漂。見てろよ)
遠くの空に、王宮のある方角を思う。
お前はお前の場所で上がってこい。オレはオレの場所で駆け上がる。そんで、どっちが先に大将軍になるか競争だ。負けねえ。絶対に負けねえからな。
ふともう一度あの大男のいたほうを見た。もう人混みに紛れて、どこにいるのかわからねえ。
なんなんだ、あのオッサン。やたら強くて、やたら嫌らしくて、やたらオレたちに絡んでくる、変な大男だ。
あいつが何者だろうと知ったこっちゃねえ。敵じゃねえなら、それでいい。
オレが見るのは前だけだ。漂の背中と、その先にあるてっぺんだけ。
立ち上がって、剣についた血を拭う。腕が重い。足も重い。傷もいくつかもらった。だが心は、不思議と軽かった。
今日、オレは戦場に立った。ひとつ、夢に近づいた。たったひとつだが、ゼロとは大違いだ。
オレはまだ何者でもねえ。名もねえ、ただの歩兵だ。だが何者かになる。必ず、なってみせる。
オレは血と泥にまみれた拳を、ぐっと握りしめた。
漂が待ってる。あの夢の場所で。――待ってろ。すぐに追いつく。
明日も、戦場だ。