その任務は、地味な顔をして、それなりに厄介だった。
「田有。賊の砦を、一つ落としてこい」
上官の命令は、簡潔だった。
国境の小競り合いが続くこの時期、戦場からあぶれた敗残兵が、徒党を組んで賊に成り下がる。そいつらが、街道沿いの古い砦に居座って、行き交う隊や村を襲っているという。
数は五、六十。こちらの倍近い。だが正規の軍を割くほどの相手でもない。だからこういう半端な討伐が、俺のような新参の隊に回ってくる。
半端な任務だが、舐める気はなかった。
道々、賊に襲われた村の話を嫌というほど聞いた。蓄えを奪われ、家を焼かれ、刃向かった者は殺された。生き残った者の目は、みな虚ろだった。戦で何もかも失う理不尽が、この時代では日常だ。
原作にも出てこない、名もなき村人たち。歴史に一行も残らない、小さな悲劇。
だが目の前にあるなら、ほうっておけない。子供を守るのが大人だ。そんな甘い理屈は、この体に憑いてから、ますます抜けなくなっている。
ならきっちり片付けてやる。賊も、味方の犠牲も出さずに。
「死人を出すなよ。お前の隊はそれが取り柄なんだろう」
上官は、そう言ってにやりとした。
……どうやら例の「死人を出さない隊」の噂は、思ったより上まで届いているらしい。悪い気はしない。
◇
砦が見える丘で、俺は腹這いになって、じっくりとその造りを眺めた。
古い砦だ。元は秦の砦だったのが、打ち捨てられて賊のねぐらになったらしい。
……ここで、大工あがりの目が、勝手に働き出す。
(あの門……だいぶ、来てるな)
正面の門。一見、頑丈そうに見える。だがよく見れば、上の梁が傾いでいる。蝶番の片方が、錆びて浮いている。長いこと手入れされず、雨風にやられた木は、芯から腐りかけだ。
塀も同じだ。東側の一角、土がえぐれて、石組みがむき出しになっている。あそこは、押せば崩れる。
(門の右下と、東の塀。そこが、この砦の急所だ)
不思議なものだ。
木を扱ってきた手は、その木が「どこから死ぬか」を、勝手に読む。家を建てる技術は、裏を返せば、家を壊す技術でもある。
賊どもは、自分たちのねぐらの弱点に、気づいてすらいないだろう。
砦は結局、人の手でこしらえた建物だ。木と土と石でできている。なら必ず傷む。必ず弱い場所ができる。手入れを怠れば、なおさらだ。
俺は前世で、古い家の修繕もずいぶんやった。腐った柱の見分け方。崩れかけた壁の直し方。どこに力がかかり、どこから先に音を上げるか。その目が、この体にもちゃんと残っている。
兵法も用兵も、まだ見様見真似だ。だが大工の目だけは、誰にも負けない。なら、それで戦う。持っているもので戦う。それが俺のやり方だ。
「親分、どうすんだ? 正面から殴り込むか?」
岩斗が、うずうずした顔で聞いてくる。
「いや。正面の門を、右下から崩す。お前らは、それまで前に出るな」
「右下〜? なんでまた」
「いいから見てろ。……大工の、仕事だ」
◇
日が傾くのを待って、攻めかかった。
まず隊を堅守で固め、矢の届かない間合いを保ちながら、じりじりと門へ寄せる。
賊が、櫓の上から矢を射かけてくる。だが慌てる必要はない。硬くした備に、ろくに通りもしない。
とはいえ、矢の雨の下を進むのは誰だって怖い。新兵の何人かは、顔が真っ青だ。
俺はわざと、でかい声で軽口を叩いた。「安心しろ。この囲みの中は、俺の家より頑丈だぞ」。馬鹿げた台詞だが、強張った空気がほんの少しほぐれる。
大工ってのは、人が安心して過ごせる場所を作るのが仕事だ。砦でも隊でも、それは同じことだろう。
「禾! 櫓の弓、何人だ!」
「み、右の櫓に三人! 左に二人です! 左のひとりは……腕がいい、気をつけて!」
禾の声が、戦場をよく通る。
俺は鉄の大弓に火矢を番え、まず左の櫓の「腕のいい一人」を、狙って落とした。残りは、罵詈雑言で怯ませる。櫓の上の矢が、ぴたりと鈍った。
その隙に、門へ取りつく。
ここからが、本番だ。
──《力攻め》──《火攻め》──────
・力攻め:気合2/門の耐久を削る
・火攻め:気合3/門を焼いて削る
────────────────────
狙うのは、門全体じゃない。さっき見抜いた、右下の腐った一点だけだ。
力攻めで、その一点を集中して打つ。腐った木が、めきめきと嫌な音を立てる。そこへ火攻めを重ねる。乾いて傷んだ木は、面白いように燃えた。
全体を破ろうとすれば、手間も気合も食う。だが急所だけなら、わずかな力で済む。
――どぉん、と。
門の右下が、内側へ向かって、ごっそりと崩れ落ちた。人ひとり、楽にくぐれる穴が空く。
「うおっ……マジかよ親分! 門が、腐ってたとこから……!」
「だから言っただろ。大工の仕事だ、と」
隊の連中が、ぽかんと口を開けている。
無理もない。普通、砦の門は、何十人もが束になって丸太でぶち破るものだ。それを一人が、急所を狙い撃ちして崩した。
禾だけは、目をきらきらさせてこう言った。
「親分は……壊すのも、大工なんですね」
うまいことを言う。なんだか、その一言が妙にしっくりきた。そうだ。俺は壊すのも直すのも、大工なんだ。
◇
穴さえ空けば、あとは流れ込むだけだ。
ただし、ここでも俺の隊はいつも通り。岩斗を先頭に、固まって、互いの背を守りながら進む。突出はさせない。
砦の中は混乱していた。まさか門が、あんな崩れ方をするとは思っていなかったんだろう。賊どもの足並みは、もうばらばらだ。
俺は崩れた門から流れ込む隊の、しんがりに付いた。先頭は岩斗。だが勝手はさせない。
「一部屋ずつだ! 飛び込むな! 角を取られるな!」
砦の中は、攻める側に不利な場所だ。通路は狭く、視界は利かない。勢いに任せて駆け込めば、待ち伏せの餌食になる。
だからゆっくりだ。堅守を保ったまま、一つずつ部屋を潰す。禾が角の向こうの気配を読んで報せ、岩斗がその角を確実に制圧する。地味だが、確実だ。
賊どもは自分たちの巣の中で、じわじわと追い詰められていった。
その奥に、ひときわ大きな男がいた。
毛皮を巻いた、髭面の大男。賊の頭だ。手には、刃こぼれした、馬鹿でかい斧。
「てめえか、門を壊しやがったのは! このっ……!」
斧が、唸りを上げて振り下ろされる。
速くはない。だが当たれば、まずい。
「鉄壁」
元から頑丈な体に鉄壁を重ねる。斧の一撃を、半身でいなした。重い。だが堪えられないほどじゃない。
受けながら、気合を回す。剛力。
──《剛力》────────────
・気合2/自分の攻撃力を上昇(武器不問)
────────────────────
田有の馬鹿げた膂力に、剛力が乗る。
がら空きになった賊将の胴へ、槍の柄ごと、全身でぶち当たった。
骨の砕ける音がした。
賊将の巨体が、くの字に折れて、後ろの壁まで吹き飛ぶ。壁に叩きつけられ、ずるりと崩れ落ちて、それきり動かなくなった。
……えぐい有様だ。だが現代の感覚に、もう、いちいち揺れてはいられない。これをやらなければ、こいつが、俺の隊の誰かを殺していた。それだけのことだ。
頭を失った賊は、あっけなかった。
戦意をなくして、ばらばらと逃げ散っていく。
逃げる賊を、深追いはさせなかった。
「追うな! 砦は落ちた。それで十分だ!」
追い討ちをかければ、首はもっと稼げる。だがその分、こっちにも死人が出る。窮鼠は猫を噛むものだ。手柄首のために、自分の隊の命を賭ける気はない。
それに逃げる相手の背を嬉々として刺せるほど、俺は戦に慣れていない。たぶん一生、慣れないだろう。それでいい。慣れちまったら、俺は俺でなくなる気がする。
◇
砦は、落ちた。
俺の隊は軽い手傷を負った者こそいたが、死人は、一人も出なかった。
崩れた門の前で、岩斗が、感心したように腕を組んでいる。
「しかし親分、門のあの壊し方は、すげえな。どこを叩きゃ落ちるか、見ただけでわかるのかよ」
「まあな。……壊し方を知ってるってことは、裏を返せば、守り方も知ってるってことだ」
言ってから、ふと、自分の言葉に引っかかった。
壊し方を知る者は、守り方も知っている。
……今は、賊の砦を壊す側だ。だがいつか、守る側に回ることが、あるんだろうか。腐る門を、崩れる塀を、その急所を読んで、逆に支える側に。
わからない。だがその考えは、なぜか妙に、胸に残った。
◇
ところで――この砦攻めで、俺は一枚、使わなかった札がある。
獅子奮迅。
気合を七つも食うが、確率で、城門を一撃で全壊させる、攻城の切り札だ。
今日の腐った門程度なら、力攻めと火攻めで十分だった。獅子奮迅を切るまでもない。
(こいつは……もっと、でかい城門のために、取っておく)
いつか、本物の堅城を、攻めるか、あるいは守るか。そういう、絶体絶命の一手が要る場面まで。この札は、腐らせず、温存しておく。そう決めていた。
◇
砦を落とした俺の隊の評判は、また少し上がった。
「あの大工の隊、賊砦を、ほとんど無傷で落としたらしいぞ」
「門を、大工の技で崩したとか。妙な奴だ」
「だが、使える。何より、兵を死なせねえ」
手柄首の派手さは、相変わらず、ない。
だが「あの隊に任せれば、損を出さずに片がつく」。その信用が、じわじわと積み上がっていく。
地味で、嫌らしい。そして――どうやら、ちょっとばかり、頭も使う。
それが、しがない大工あがりの、立身のやり方だった。
英雄には、なれない。なる気もない。
信みたいに戦場を一人で塗り替える華もない。漂みたいに王の隣へ立つ品もない。
俺にあるのは札と、腕っぷしと、大工の目。それと――こいつらを生きて帰すという、つまらない意地だけだ。
だがそれでいい。その地味な積み重ねの先にしか、俺の天下取りはないのだから。
名もなき隊は少しずつ、名を得ていく。
そしてその名が、やがて俺を、原作で最も恐れた戦場――武神の待つ、馬陽へと、運んでいくことになる。
武神・龐煖。そして原作で、そいつに討たれて死ぬはずの生ける伝説。
次は――あの大将軍を、この手で救う番だ。漂のときと同じだ。知っていて、見過ごせるものか。