鳥の巣日記   作:凍星 奏雨

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強引な性交を示唆する描写があります。抵抗のある方は閲覧をお控えください。
また、この作品に暴行を助長する意図は一切ありません。

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自らが住む街の路地裏、偶然にも怪しい人物を見掛けた桑野悠大は憤る。
他人事では無い同居人達も立ち上がり、UGNとは関係の無い勧善懲悪が始まった。紆余曲折の末行き着いたのは、烏合の少女に縁のある場所で──


桑野(くわの)悠大(ゆうだい)......本作の主人公、快不快に率直。エンジェルハイロゥの変異種(イレギュラー)

鳥井ヶ原(とりいがはら)なず()......男勝りな女子高生、態度に難アリ。ソラリスの変異種(イレギュラー)

日鷹(ひだか)美咲(みさき)......烏合を率いる仲間想いの冷たいリーダー。ノイマンの天才(ジーニアス)

獅子倉(ししくら)栄慈(えいじ)......戦場好きの豪胆な資産家。オルクスの変異種(イレギュラー)


追憶崩落

 治安とは主観だと思う。

 子供のように無垢な目線ではネオンな東京もそう悪くないだろう。けれど据わった眼をした化け物までいけば、犬も歩けばというペースで妙なものを見る。

 パンダの出産がニュースの目玉になるこの街も、俺の眼には酷い治安に映ってしまうという事だ。

「おい、なにコソコソしてんだ?」

 

晴空:獅子倉(ししくら)

 

「貴方が不審者ではないですか」

 至極その通りだ、と座椅子に寄り掛かりながら思う。街路から一転、背の低いテーブルを囲んだ三人が俺の話を聞いていた。

 あぐらをかいて舐めたように喋る様子は酷くつまらなそうに見えるのだろう。新入りが見せる使命感にも似た覇気を持つ奴はこの空間に何処にもいない、その代わりに機嫌を損ねている俺をどう諌めるかという厭気が顔に描かれていた。

「舐めたマネしやがるぜ、コソコソ動きやがって」

 構わず悪態をつけば、同じくあぐらをかきつつも前のめりな体勢で話を聞いていたなず子が茶々を入れる。

「FHって分かってもないのに随分な怒りようだな」

 それこそ、子供らしさが抜け切っていないあどけなさの残る顔と声だというのに、語る口調は乱雑だ。元より童女の趣味はないものの、敬う様子すら皆無なその女には悪友程度の認識が最もすんなり来る。蛍光的な赤い眼は一般女子と一線を画すものもあり、それがかえって同類であると感じ取れるのも要因だろう。

「そりゃなァ、俺らの事を知っても知らなくてもムカつくもんだろ」

「抑止力に成れていないことが腹立たしい、と?」

 小難しい声で言語化して来るのはいつだってリーダー(日鷹)だ。思わず買いすぎた麦茶を場の全員に振る舞いながら、お行儀よく座布団に腰を下ろした。四分の三があぐらをかく中で随分と浮いてるものだ。

「そう体重を預けては、また壊しますよ」

 俺の座椅子を指しているのだと気付けば、煩わしくも身体を起こした。仕方なく麦茶を飲むが、秋に飲む麦茶は夏と比べ魅力三割減と言ったところ。

「別に、んな大層なもんになりたい訳じゃねぇけどよ。舐められてんだろ? だったら当然ってもんだぜ」

「は、粋がりおって。すっかり我が物面だな」

「うるせぇな」

 なず子といい獅子倉の爺さんといい、この家に住む奴は茶々入れが大好物な奴ばかりだ。頬杖をついてニヤつきながら目線を寄越す爺さんは、随分と愉しそうな様相だ。ただ、この話を聞いての表情だと思えばそれも悪くない、なにしろ爺さんが笑うのは、大抵戦場に行く前だ。

「誉めたつもりだったがな。なぁ良いだろ嬢ちゃん」

「何がでしょう」

 間を開けた後に反応するリーダーの顔は、あくまで知らぬ存ぜぬといった表情だ。部下が何をしでかそうが構わないという出動許可の現れと、俺らは解釈した。

「止めねぇって事はそういう事でいいんだな、リーダー。んじゃ俺は行くぜ、なず子と爺さんは?」

「面白そうだし、行ってやるよ」

「最近は胃がもたれて来てな、そう数は平らげられん。好きにしろ、(オレ)もそうする」

 遠慮しがちな口調には似合わない赤い眼光。なず子のそれとは比較も出来ない鮮明な紅は、血気盛んな爺さんが作り上げた血の色だと思った。髭を撫でるなんでもない動きが、刃を研いでいるようにすら見える。

 深夜のコンビニへ夜食を買いに行くような、軽率且つ愉快な足取りで俺となず子は家を出る。

「んで、勢いで家出たけどさ。アテはあんの?」

 見上げるなず子に当然の如く首を横に振る。あからさまに呆れられたが、同じ穴のムジナ、なず子とて同じ立場なら同じ事を言っていた。なず子は柔らかな色味を含む青い髪を弄っては退屈そうに隣を歩く。ギャルにしては煌びやかさが足りないし、常識外れにしてはどうにも幼い。遠慮はせずとも扱いに困る事は案外ある、今がそうだ。

 これが日鷹(リーダー)獅子倉(爺さん)なら遠慮なくこき使えたものだが、今はそうもいくまい。ため息一つ吐きながら、地道に足を使い始める。

 

晴空:喫茶店『鳥の巣』

 

「で、なんでここに来る訳」

「いいじゃねぇか、ここは客を選ぶお高い店なのか?」

 得意気に笑って見せれば、店主は反比例のように口を結んで睨み付けてくる。苦笑いで躱しながら店内を見回すことで、糾弾から逃れる事にした。客足は少なく、大声でなければ話しても構わないだろう。今朝見かけた不審者の話を。

「まぁ、この街有数の喫茶店の主ともなる御方なら、知ってる事もあると思いましてよ」

「おだてないでくれる? うっかりお冷零しちゃいそう」

「冷ややかな目線、もう漏れてるぜ」

 店主、飛鳥井(あすかい)萌花(もか)は随分と俺に当たりが強い。心当たりは明確にある為ここでは割愛するが、萌花が持つ可愛らしい顔付きとゆるふわな雰囲気は俺が関与した途端に(たちま)ち消え失せる。これは無視出来ない問題だ、話し合いすら滞る。

 助け舟を乞うように、隣でジュースを啜るなず子を見た。歩き疲れて退屈そうな横顔が俺に気付くと、イタズラっぽく笑う。

「萌花ちゃん、チョコパフェ一個お願い。コイツにツケで」

「テメェ」

 まるで2人の視界から消えてしまったかのように、涼し気な顔で無視をされる。上機嫌になった萌花となず子には、異性とはまた別種の隔たりを感じざるを得ない。

 程なくして高クオリティなチョコのてんこ盛りがなず子に提供される。一方伝票だけが手元にある俺を残して、契約通り二人だけの子気味良い会話が始まった。

「コイツが見たらしいんだよね、不審者ってやつ。探してるんだけどさ、それっぽいの見てない?」

「それだけだと分かんないなぁ。特徴はー?」

「ネズミみたいな髪色で、やけにオドオドしてて、なっさけない男。背丈はコイツよりちょっと低いくらい、だったよな?」

「おう。因みに組織のエンブレムとかは見た感じなかったぜ」

「ふぅん? んー、どうだろぉ。ケーキとか作ったら思い出せそうかも」

 機嫌を取り戻したのか、緩慢な口調を取り戻した萌花の振る舞いは、何も恐れずに言ってしえば小心者とか友人が居なそうな奴が好みそうだった。なんて、他人事のように話を聞いていれば、(おもむろ)に沈黙が流れた。

 どうかしたのか、となず子に眼で伝えてみれば、同然の事を喋るように釘を刺された。

「パフェにケーキはカロリーオーバー。桑野が頼むしかないだろ」

 頬杖にしていた手が力無く伝票を確認する。

 果たして人に任せれば片付くような問題に、これ程の尊い犠牲を払って良いのだろうかと逡巡(しゅんじゅん)してしまう。この迷いを認めてしまえば、それこそ俺に燃ゆる正義の心自体が鎮火されてしまう事と同義なのだが。それはそうとして、こんなくだらない茶番に屈していいのだろうか。

 数刻の末、俺は屈した。

「まいどあり〜」

 あたかも意気消沈した桑野悠大を振る舞いはするが、内心では俺の前で少女らしくイキイキと笑う萌花に安心以上の物を感じていた。それはまるで、救いだとか、大層で尊い輪郭をしている。

 萌花は少しするとケーキと情報、そして伝票の増援を俺に差し出してきた。

「心当たりはあるけど、二人が言ってる人なのかは分かんないんだよねぇ。三人いたし」

「三つ子?」

「バカおっしゃいな。向こうの目立たない席にそんな特徴の人が座ってたんだけど、少し経ったら別の二人が合流して、次第に何か話し始めたんだよねぇ」

 目線で指した方を見てみれば、店の角に位置する日陰な席だった。確かにそこなら怪しい話も構わず交わせるだろう。

「ただ、これ以上話すなら詳しく聞いてからになっちゃうかなぁ。まだクロじゃないお客様の事を好きに喋る訳にはいかないから。何してたの? その人」

「そりゃそうだな。それは俺から言うわ、なず子にも言っておかねぇとだったし」

 

晴空:裏路地

 

「なにコソコソしてんだ?」

 俺は躊躇いなく話し掛けた。ネズミ色の髪がビクりと跳ねた後、恐る恐る俺に振り向く。色白の肌に茶色の瞳、毛髪を除けば一般的な姿かたちで、本来なら会話する動機なんかないはずの人間だった。ただ、過剰に臆病な奴が路地裏で挙動不審に歩いているのは流石に目を引く。

 興が乗った俺は警察に任せることなく接触を図ってみる。もし想像した通りの相手なら警察に任せる訳にもいかないからだ。嫌な想像を補強してくるように、ヤツが片手に持ったアタッシュケースがチラついてくる。取引か、仕掛物か、透視なんか持たずともそれが表社会で融通されるには時代遅れと誰しも感じ取るだろう。

「聞こえなかったか? もう一度言ってやるよ、んなデカい荷物持って、こんな狭い道入って、何してんだって聞いてんだよ」

 圧を放ったつもりはなかったが、目の前の男は肩をすぼめてすっかり萎縮してしまった、笑って会話してやってると言うのに。ゴミ箱の一つでも蹴飛ばせば失禁しそうな怯えようだ。苦労人感は拭えないが、生憎俺の同情は安くない。

 埒が明かないと近付いてみれば、同じ歩幅分遠ざかっていく。背丈も肉付きも俺より劣っている相手だ、荒事で出し抜かれるのはまず有り得ない。確信さえあれば迷う余地がないというのに、ただ怯えるだけで状況は変化を見せない。

 均衡を破ってしまおうかと迷い始めた頃、突如として視界が奪われる。

 白くて痛い、路地の闇を塗りたくるような白光が走った。頭が瞬時に切り替わるのを感じる、警戒態勢から臨戦態勢へ、ブレーカーを弄るようにバチンとスイッチが入れ替わる。

《真昼の星》

 どんな光量でも見通す無敵の眼。スタングレネードはおろか、太陽でさえも瞳に入れるこの業の前には光による視界不良はまず起こらない。

 そう、起こらないのだから、目に映ったこれは不良ではないのだろう。

「クソが、舐めやがって!」

 先に均衡を破ったのは相手の方だった。そこに先程までいた男はおらず、代わりに別の道に抜けていくスーツの裾が見えた。

 ゴミを蹴散らしてすぐさま向かったが、忽然と消えたように行き止まりだけが俺を迎え入れた。思わず壁を下から見上げても、登った形跡は見えない。

 空き缶を踏みつぶす音が虚しく響いた。

 

「つーわけだ。スーツ野郎とビビリ野郎、どっちか片方は確でオーヴァードだな」

「ふーん」

 前もって軽く伝えていたなず子の反応は想定通りの塩対応だった。物事の善悪すら興味を見せないなず子にとっては謎解きも真実も無用の長物なんだろう。予想外だったのは萌花の(いぶか)しい反応だ、眉を落として考えるような素振りをしている。何か一石を投じるような出来事が萌花の日々にあったのだろうか。

「桑野、()()使わなかったの?」

「あ?」

「だって、どっちかはエンジェルハィロゥでしょ? だったら瞬時に消えるというより、光を操って隠れてたんじゃないかなぁって。──まさか思いつかなかったとか」

 二人の表情で、鏡を見たかのように自分の姿が分かる。きっと鳩が豆鉄砲を食らったように間抜けでしょうがない顔だ。だって仕方がないだろう、本当に思いつきもしなかったし、思いついていればこうも困っていなかった。

 俺の左腕にこそ変異種(イレギュラー)の由来が宿っている。光を奪い取り糧にする異能、本来エンジェルハィロゥとは光を操る力だが、俺に発現したのは(いささ)か暴力的な能力だったのだ。

 緊急度を測り損ねた俺は街で力を行使する判断に至らず、みすみすチャンスを逃したということになる。光の屈折を操りあたかも透明になるエンジェルハィロゥの業も、光を乱す俺の前には関係ないはずだった。つまりは本当に、心底、これ以上ない絶好のチャンスだった。

「だぁマジか! あぁやっちまった!」

「うーるさい!」

「話を聞くに、そのグラサンでも関係ないくらい眩しい光だったんだろ? 瞬間移動とか壁走りでもないピュアブリード(純正物)じゃん、尚更だな」

 なず子がトドメの一撃を放ってくる。そうして俺は、今日の出来事全て無かったことにしようと決めた。いや、せめてもの成果物であるケーキだけを覚えて帰ろう、そうしよう。

 

茜空:裏路地

 

「出ませんね。戦闘中だとすれば私の予測よりも事態は早く進んでいることになりますが」

「そして(オレ)の勘よりもな。此度の戦場が上物なら納得も出来たが、しかし大方、拗ねているだけだろうよ」

 室外機に腰を掛けた獅子倉は大きく口を開け、豪胆に笑う。脳裏には机に突っ伏した冴えない桑野悠大が再生されていた。ともなれば、彼の放つ笑い声が勝鬨と解釈できるが、実際騒動を収める為の進捗で競うなら獅子倉は大きく桑野を突き放していた。それは日鷹も同様である。

 服を汚さぬよう壁や廃棄物に接触しないで凛と立つ日鷹の傍らには、伸びた一人の男性が居る。ほんの少しの間気絶する程度の衝撃が加えられており、そう遠くない内に意識を覚ますだろう。

「しかしなぁ、よくも人の動きをポコスカ言い当てるものだ。どれ、助手になってやろうか」

「素直に嬉しく思いますが、少し荷が重いですね。それに桑野君達へ知らせなければなりませんから、解決編はもう少し後にとっておきましょう」

「つまみ食いとはいかんか」

 片方の口角を上げて笑みを作る獅子倉は明らかに直前の様子と違っていて、それは桑野と日鷹の違いを適切に写した態度であった。能力の優劣などではない、桑野が異能を宿すように、日鷹が天才で在るという違いである。比較対象がたまたま桑野だっただけであり、異端の力を有する鳥居ヶ原なず子、飛鳥井萌花であっても同じことが言えるだろう。

 この結果は、突出した異能を持つ者達が寄り集まった組織である烏合にとってなんら不思議ではない。リーダー、日鷹美咲(みさき)こそ斥候として動き、桑野悠大を始めとした強大な矛が陰謀を穿つ。部下と上司でありながら対等の存在として動き合い、支え合う。これこそ烏合にとっての王道。これが働き始めた今言える事とは即ち。

「詰将棋だな」

「えぇ、貴方がいて桑野君、なず子さんも控えている。この騒動は間もなく鎮圧されるでしょう」

 ゆっくりと瞼を開ける男性、その眼中には決してこの街で起こしてはならない獅子達が映っていた。

「さぁて、洗いざらい吐いてもらおうか」

 

落陽:公園

 

 ジャングルジムの頂点、締まりのない狼のように俺は腰を下ろしている。陽が沈み切った街が人工の明かりに照らされており、ノスタルジックな情緒が子供時代を懐旧させる。

 平和の背景になっていた少年も今や人を寄せ付けない怖い大人だ。その象徴とも言える一本を二つ指で挟み、三度(みたび)フリントホイールを回して火を灯す。四の五の言わず日鷹(リーダー)と合流するべきとは理解しつつも、大人になれない自分をタバコで取り繕った。

「なに黄昏れてんだよ、情けねえ」

 コンビニ袋片手になず子がやってくる。片手を上着のポケットに入れて俺に近付く光景は、俯瞰してみると随分危ない関係に見える。

「うるせぇな。マジでヘコむんだぞ、鈍ってたツケがダイレクトに来るの」

「鈍るとか、大袈裟に言いやがって」

 不良少女じみたなず子を見下ろしていると、緩やかに何か投げられた。放物線を描く物体をタバコと反対の手で掴んでみれば、それは白と黒で統一されたメリハリのある缶コーヒーだ、味もパッケージに似て、グダグダせずすっきりした苦みがやってくる。どうしてこんなにも詳しいかなんて、最近ハマっているからに決まっている。気なんか利かないはずの生意気少女だっていうのに、どうしてこういう時は決定的な事をしてくれるのだろうか。

「アタシを一日中連れ回してくれたんだ。そろそろ期待に応えても良い頃だろ?」

「ハ、男前だな」

 こうして茶化す自分が最も男らしくないなんてわかっている。少し口先で強がった先は、行動で示せばいい。

 缶コーヒーを一気に飲み干す。透き通った苦みは俺の迷いを表しているようで、最後に大きく喉を鳴らしてしまえばもう苦みは残っていない。先程の放物線よりも更に弧を描いて缶を放り投げる。

「いくぜなず子、もうちょい付き合ってもらうかんな」

 正解したように、缶とゴミ箱が響き合う。

 

『何度も連絡しましたが反応が得られなかったので不本意ながらメールでお伝えします。結果として桑野君が灰髪の男性を捕えなかったのは失敗ではありませんでした。彼もまた被害者でしたから』

 住宅街を抜けて人の気配はあっさりと薄くなる。かなり抑えたつもりだったが、それでも公園からずっと走っているなず子の息はかなり上がっている。歩くことも検討に入れるが、きっとこれ以上なず子のレベルまでパフォーマンスを落とす俺を、なず子自身が許容しないだろう。

 厄介な話だが、鳥居ヶ原なず子は自分勝手な悪ガキというだけではない。強者に対して絶対的な信頼を向ける服従欲の化身であり、自らの前で戦う者には、全力のその先を強制してくる。少女の為に常限界を超える勇者がいれば英雄と言ってもいいだろうか、つまりそれを求めているのだ。英雄候補の足枷になることをなず子は決して許容しないだろう。無力感に苛まれる事を良しとしないのは誰だってそうだが、にしても過剰な程に認めない。

 面倒な自責だが、なんであれ俺には都合がいい。どれほどカッコつけても良いという事だからだ。

「飛ばすぜ。ちゃんと掴まってろよ!」

 猫が子を運ぶように、服ごとなず子を持ち上げて両腕の中に収める。不自然に軽くもない、ただ普通の少女の重みだった。それが獣にとってどれほど障害になるか、語る余地もないだろう。姫を盗んだケダモノのように、夜の街を奔る。

 リーダーのメッセージが書かれた携帯を仕舞ってなず子の眼を見れば、俺が中学生の時に知った、人が恋をする時の眼がそこに在る。なんて人格破綻者だろう、オーヴァードというバケモノは精神性も大体イカレてやがる。

 尤もなず子と俺は同じ穴のムジナだ、互いのイカレ具合が心地良いイカレ野郎共だ。

 景色が速くなり、なず子の興奮のギアも上がってく。

「ッハ、絶好調だな! さっき見てたの読み上げてやろうか!」

「頼むわ! でも舌噛むなよ」

 片方の口角を最大限上げて笑う様子は獅子倉(爺さん)によく似ている。全く、嫌なとこばかり影響されているな。

 俺の携帯を受け取ったなず子は少しの間の後喋り出す。リーダーは文章も硬い、要約しようとしてくれたんだろう。

「ネズミ野郎はただのザコ! エンジェルハィロゥのクソがこの街で金持ちになりてぇから色んなとこと取引しつつ、それすら撒き餌にしてアタシらを潰そうとしてるんだとよ!」

「口調マジでヤベぇぜ? んじゃまぁ、やることは変わんねえな!」

 ジャングルジムの上で決起した際、まず街中を見渡した。望遠機能搭載桑野アイで街を眺めるだけ、ただそれだけで簡単に探し人は見つかるのだ。尤も、遮蔽で遮られない事が条件だが。

 劇的な幸運。たまたまなず子が悪質店主から聞いた見た目を記憶していて、たまたま俺がそれを見つけたというだけ。悪者をボコるのに大層な挫折なんて必要ないのだ。

 ジャングルジムからスーツの男を見掛けた場所に着き、足を止める。突風が巻き起こり、なず子の髪が頬を撫でた。

 山道に沿った、かつて使われていたらしい道路だった場所だ。月明かりだけが頼りの中辺りを見渡す。

「んぁー、ここら辺だった気がすんだけどな。木が邪魔で視界が悪ぃな」

「この辺、使われなくなった山小屋があるんだよ。クソの溜まり場みたいな。構えるならそこだろ」

 腕に収まったまま放ったなず子の声は、今日一番の冷たい声だった。ドスが効いていて、並の人間なら竦む程の。

 安易に触れてはいけないものを抱えているような気分になる。聞かなかった事にしたい。どうしてそれを知っているのか聞いて、任務で行った事があるとかの呆気ない答えで落ち着きたいと思う。

 なず子の口から滑る罵倒に大した意味はない、善悪に無頓着な子供が好きに喋っているだけ。でも今回のは違う、それだけでは収まらない重要な意味が、言葉に冷たく宿っていた。

 英雄を求めるのは、なず子の心を冷たく焦がすそれを取り払ってほしいんだろう。ならばせめて今夜限りであっても、凍てついた過去から守り抜いてやりたいと無責任に思った。

「そうか、んじゃ案内してくれ」

「ん。桑野、ちょっと手貸せ」

「もうか? まぁいいか。おう、頼むぜ」

 

 道から外れて、月が届かない闇へ歩む。

 前でも後ろでもなず子を歩かせる気分にならず、横はそもそもスペースが足りない。少女を抱えたまま、数分そこら森を直進する。

 人が通った跡があるおかげで、枝葉に気を遣いながら歩く必要はなかった。ほんのりと狭く険しい道を黙々と進めば、言われた通りの古ぼけた建造物が見えてくる。

 同時に虫唾の走る声が這いよった。

「お待ちしておりましたよ、桑野悠大」

 音はそれだけ。ただ静かに、俺の心臓が刺し突かれた。致命的な量の血液がなず子に降りかかる。割と気に入ってた服な気がするのに、悪い事をした。ああでも、それより期待に応えてやれなかった方が、もっと悪いか──

 

曇夜:山小屋

 

「さて、お次は鳥居ヶ原なず子、君です。まぁでも君は随分顔が良い、少しの間遊んであげましょうか」

「ロリコンかよ。クソキメェな、どいつもこいつも」

 暗闇がなず子へ話しかける。自分を運んでいた青年から力が無くなり、尻餅を着いたまま彼女は辺りを見渡した。

 ざわざわと奏でる木々の音は何かが近付いている事だけを曖昧に伝えた。力量も所在も不鮮明な相手に不機嫌を隠さず、なず子はアテもなくその場を離れようとする。

 深淵を覗けばとはよく言ったもの、探っていたのはこの男も同様だったのだ。彼の眼は暗視ゴーグルのように闇がよく見える。狩猟者の如くなず子へ近付き、鮮明な輪郭の華奢な両腕を掴み取った。

 そのまま持ち上げ、兎の耳を束ねるようにして大きな腕が少女の手首を締める。

「遊ぶと言っても狩りでは満たされません。僕は獣ではないので」

「離せ!」

 闇雲に暴れず、慣性を乗せた蹴りを男に見舞う。あわよくばと願うのは、子供らしい浅はかさであった。

 汚れた運動靴の放った蹴りは男に一切のダメージを与えなかったが、器の浅い者を怒らせるのに充分な引き金だった。

 少女は悟る、自分がどう抵抗してもこの男からは逃れられないのだと。途端に無力感と屈辱感が打ちのめしに来て、呆気なくなず子から力が抜けた。

「この期に及んで生意気ですね。大人に遊んであげると言われた子供は、ただ滑稽に悦んでいればいいんですよ」

 駄々をこねる子供を引きずるように男は早足でなず子を連れる。デパートとは違う乱暴な道、忽ち傷が付いていく。顔以外の晒されている肌は土で汚れ、枝に裂かれ、いよいよ悪意に叩きのめされた姿となる。

 迷いなく進む先には寂れた小屋が建っていた。人が住むには狭く、設備のない木造のそれは雲間が覗ける程綻びがある。場所が場所なら幽霊でも出ると噂の主役になりそうなものだが、辺鄙でつまらない場所にある建物は所在も由来も知る者はいない。

 そんなところへわざわざやってくる人間といえば、迷った少女へ手を差し伸べるような者ではなく、悲惨な遊戯を喜々としてやる外道くらいなものだ。

 なず子はこの展開に既視感を覚えていた。それどころか小屋の中でさえ馴染みがある。腐った木の板が遂に壊れているだとか、不良の溜まり場になってる形跡だとか、薄暗い室内を行きつけのように眺めていた。幾ら抵抗しても無駄だとわかっていて無様に騒ぐ必要もないと切り替えたなず子は、ただ他人事のように情報を処理していくのだった。

 身体が宙に飛んで、ガシャンと音を立てる。もし雨が降っていたら勢いのまま壁が壊れたに違いない、そうなれば乙女の彼女も傷つくというものだ。

「ここ脆いんだぞ、壊れたらどうすんだ」

「知った口ですね。追い払った彼らの仲間だったりするんですか?」

 なず子はこれを好機だと思った。何が行われるにしろ、この男が少女へ警戒することは今後ないだろう。なら最大限時間を稼ぐだけだ、彼女の頭にはまるで思いつく人物がいないが、嘘をでっちあげるのは難しくない。

「まさか、むしろウンザリしてたんだ。結構前はここに来てたけど、あいつらが来て使えなくなっちまった」

 心がかじかむのを感じた。忌むべきこの場所を馴染み深い秘密基地のように(のたま)うのは吐き気を催す程もどかしかった、悔しかった。今すぐにでも暴れて、こんな場所に居たくないと叫んでしまいたかった。

「おや、あまり自分の不運を聞くのは快くないものですね。全く、君がたった独りでいれば必要以上の準備も要らなかったというのに。しかし、妙な話だ、そんな入念な準備をした私が、一回もここに居る君を見ていないとは」

 なず子の顔が薄明るくライトアップされた。雲が流れ、満ちた月が(あらわ)になる。月明かりが祝福しているように、その真白な肌は美しさを増す。(くだん)の数年前を嫌でも思い出す晴れやかな夜だとなず子は思った。

「鉢合わせたくねぇから、最近はめっきり居なかったんだよ。テメェが追い払ったなんて、今知ったからな」

「以前はよく居たと。興味がありますね、君は仲間に愛されているようですが、不満がなければ非行に赴かないでしょう」

「……分かってんじゃねぇか。そうだよ、ウチは窮屈なんでな」

 ホラを吹く彼女の内側で、押さえ付けられた感情が逃げ場を求めるように追憶する。

 

 この山小屋は数年前、人殺しを静観した。

 まだランドセルが肩の荷精一杯の頃、鳥居ヶ原なず子はこの山小屋で殺された。何度も暴行を受け、涙なんていつ出なくなったかもわからない。恥ずかしさはすぐに消えて、頭が痛くなるくらいの莫大な感覚が絶え間なく、永遠に続くとも思えるくらい本当に絶え間なく、なず子の身体を支配した。

 月が雲に隠れるようになず子の意識がぼんやりとした頃、目の前の男が安っぽい銀色の光を見せた事でなず子の希望は完膚なきまでに敗北した。おもちゃみたいなナイフで刺されて死んでしまうのだと、誰とも心通わせることなく、新聞の一ページになってあっけなく消えるんだと絶望した。

 非行少女に奇跡なんて高価なものは起こらない、痛みを置き去りにするほどの鋭さが身体を刺した。

 何回も何ヶ所も、自分が何をされているのかさえ分からない程に。身体が寒くなっていって、それが不安でたまらなかったのだから、関心はその事だけに向いた。

 自分の在り処を必死に抱えて、最期のひと時まで自分を守っていようと瞼を閉じる。

 何かがおかしいと眼を開けるにはそう時間が掛からなかった。

 ()()()()()()()()()()。馬鹿みたいな話でも、それが本当に不可解で真剣に確かめた。全身がずっと、ずっと痛いのだ。こんなにも痛いのに、どうして自分は死なないのだと、激痛に惑いながら困惑に喘いでいた。

 鳥居ヶ原なず子はチンケな山小屋で死んだ。そして生き返り続けた。

 絶望で身が震えた。男が叫びながらずっと身体を刺し貫いてくる、死から逃げられても痛みから逃れるすべを持たない少女は頭が点滅する程の感覚の濁流に飲み込まれた。

 鼓膜を殴打する罵倒は、麗しい身体を突き刺す赤いナイフは、朝焼けが来るまで襲い続けた。

 トラウマと言ってはそれまでの、刹那的な悲劇。

 それでも全身が委縮するのには充分すぎる。齢十七の少女を縛るには余りある過去だ。

 

「なんとか言ったらどうですか?」

 回想が過去に代わって、現在が突如拳を振り上げる。

 返事のないおもちゃを殴りつけ、少女の小さい呻きを聞くことで漸く男は満たされた。紳士的な口調をした男が秘める嗜虐心が燃ゆる。

 八重歯が内頬を破り、なず子の口に血の味が広がる、威勢よく吐き出す事の出来なかった少女は頬を押さえながらそれを飲み込むしかできない。物事の例えに清濁併せ呑むという言葉があるが、いつだって濁ったものしか口に含めないこの人生をどれほど呪ったか計り知れなかった。

「おっと、傷付けてしまいましたね。ご自慢の顔、治したらどうです? ソラリスシンドロームでしょう」

 それを聞けばますます不機嫌の様相を抑えられず、言葉がついて出た。

「アタシは欠陥品なんだよ。自分にゃなんも出来やしない」

「あ、そうですか」

 至極どうでもいいと言いたげな態度で男は見下ろす。首の側面に手を当てたまま溜め息を吐き、それを皮切りに男の自制がなくなった。

 男はゆっくりと右足を後ろへ浮かしたと思えば、即座にその爪先を少女の腹部に抉り込ませた。

 少女から聞くに絶えない嗚咽が漏れる。爪先と壁に挟まれて行き場の失った身体は力無く倒れた。

「つくづく冷めることしかしませんね、貴女は」

 ズレた部分で男の思うようにいかない鳥井ヶ原なず子は、理不尽にも男の沸点を凌駕してしまった。

 どうしてこうなる、と一度は強く発露しそうになった感情もすぐさま鎮火された。抵抗の灯火を蹂躙したのは己の諦念だった。

 自分じゃ何も出来ない。そう、自分だけでは。

 

満月:山小屋

 

 その右腕は高貴な幻のように白く毛深く、猛々しい膂力は何であろうと断罪する無敵の矛のように見えた。

 天から降り注ぐ月光の如く、白狼が飛来する。

《破壊の爪》

 

 どんな暗闇でも見通す眼に横たわる仲間の姿を見下ろした。次に俺を殺し、仲間を痛め付けた外道の姿を映す。白く光り輝く右腕をこれでもかと握り締め、流星が如くそれを振り下ろした。

「悪ぃ、待たせたな」

 天井の穴から着地した衝撃で床板が砕け散る。そんな物より男の頭蓋が砕けていればいいと思った。

「カッコつけすぎだよ、ヒーロー」

 酷く弱ったなず子の声が不甲斐なく染みる。遅れてやってくるつもりはなかった、人を不幸にしてカッコつける程俺はゲスじゃない。

「くそ、もう動きますか。あのナイフを急所に当ててもこれとは、まさに獣ですね」

「アレな、麻痺毒だろ。狡いことしやがるぜ」

 既に克服した、みたいに言ってみたが、今の力はまるで全力じゃない。なず子の力と獣の力、どちらか欠けていたら俺はまだ這いつくばっていただろう。

 綱渡りに感謝して、澄ました息を吐く。

 御託なんかもう要らない。動機も興味無い。ワンチャンなんて与えない。これで、このちっぽけな山小屋で終いだ。

「月の心臓は満ち欠ける────あんなんで終われたら、カッコつけてらんねぇよ」

満ち欠ける身体(セレーネー・カルディア)

 理性と闘争心が融けて交わる、半獣と化した己の身体に溢れんばかりの本能が脈打った。

 渡してやるものか。身体に住まうケダモノに、決してこの身体を(わた)してやるものか。

 意地と覚悟の咆哮がこだまする。

「構いません、仕切り直しといきましょうか」

 男がふざけた事を言っている。これはもう最終ラウンドだ、どちらかがくたばるまで終わることはない。終わらせることは絶対にない。

《光の指先》

 全身が警鐘を鳴らす。背後に極光が迫っていると告げている。同時に正面、男の指先にも光が集まっている。

 背後からの奇襲と正面からの迎撃、どちらも手抜かりなく備えている。優れた手際と認めざるを得ない。尤も、俺に攻撃する事が正しいとは言わないが。

《影に呑む左腕》

 この空間の光が全て左腕に収束していく。白光が巻き付いていき、次第に右腕へと移る。男が醜く顔を顰める程に眩い光を纏って、間合いは、男は、一歩先。

「何故ッ! 私よりも扱いに長けているだと──」

 渾身の右腕。土手っ腹に風穴でも開けてやるつもりで振り抜く。

 無念な事に突き破るのは壁だった。男は打たれたボールのように吹き飛び、山小屋の外まで投げ出される。

 身体を破壊した感触。肉が破れて骨が割れる残酷な感触。手に纏わりついたそれらに、ほんの少し愉悦を感じた自分を律する為、或いは逃げるように獣化を解いた。

 風穴から追うように出る。男は地面に這いつくばったまま動かない、俺は緩慢な動きで近寄った。

「何、故」

「二つだ、教えてやるよ」

 自分が負けると思っていない奴の慢心した顔は、崩れ切っても意地汚い。負けたのが何かの間違いみたく、自分以外の歪みを探し出す。

「一つ。俺は光を奪う、テメェの力は通用しねぇ」

 やけに男の顔がくっきり見える。月が出ているみたいだ。

「二つ。俺が刺されたのは、なず子から力を貰った後だ」

 

『ん。桑野、ちょっと手貸せ』

『もうか? まぁいいか。おう、頼むぜ』

 

 今の俺は紛れもない人間だというのに、尋常ではない程漲る力が末恐ろしい。

 男は血を吐きながら必死に言い訳をする。自分が負けた理由を、誰かに背負わせる為に。

「馬鹿な、あのソラリスは自分すら満足に癒せない、出来損ないではなかったのか」

 訂正する点は何個もあって、数える間もなくやる気が失せた。これ以上付き合うのはやめだ。

 男の首根っこを引っ掴む。怯えた顔の醜さに思わず目を逸らしたくなるが、それすら怒りに変えて拳を構えた。

「やめろ、私は──」

「ここなら、殴るべき顔がよく見える」

 

曇夜:山小屋跡

 

 木片を踏み砕き、大きく息を吐いた。

「終わった終わった! せいぜいするぜ」

 ニカりと笑い、俺は呆れ顔のなず子を見て安堵する、自己再生は充分なようだ。座り込んだままなのは再生に使った体力の問題で、いずれ回復するものだ。

 服装はみすぼらしくなってしまっているし、心もすり減ってしまっただろう。名目通り目を背け、改めて山小屋だったものに目線を向けた。

 なず子と男を抱えて森を出るのは少しばかり手間で、なず子が動けるようになるまで待つ必要があった。

「マジで壊しきったよコイツ。持ち主かわいそ」

 ならばもう、ここで怨嗟をぶち壊してしまおうという粋な考えである。不良のたまり場にもなっていたらしい山奥の小屋なんざ、無くなっても困る人は居なかろう。雨に打たれた登山客は、まぁ、健闘を祈る他ない。

「あー、スッキリした。そろそろ動けるよな?」

「動けるけど、そのカスはどうすんだよ」

「リーダーに連絡するわ。車使えるとこまでは俺が持ってく」

 コール音は一回。回収の手配も滞りなく済んだ。

「終わった?」

「あぁ、全部終わりだ」

 なず子へ拳を突き出し、満面の笑みと拳がかち合った。事の顛末は後回しでいい、悪意と殺意が渦巻くこの演目がたった今終わりを告げたのだ。守るべき者を守って、悪い奴をぶん殴った、これにて大団円である。

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