鳥の巣日記   作:凍星 奏雨

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月輪没落→『日輪没落』→帰巣信仰→大器伴星


知られざる四年前、烏合結成前日に桑野悠大へ訪れた悲劇。



日輪没落

 良いヤツだとは思わなかった。正義が似合わなくて暴力が似合うような人、悪が似合わなくて笑顔が似合う人だった。

 それが分かると疑心は消えた。

 俺はその人の手を取った。

 

 

 始まりは数年前。俺が独りになった後の夜。

 相棒が遠方の駐留に配備されたことで、日本支部エージェントとしての活動は単独になった。

 こう言うと、まるで清く正しく育まれた成長の結果のように聞こえるので、正確な状況を実際の声にしてお届けする。

 CVは名前の知らない雑魚だ。

 

『連携が取れねぇんだよな』

『何あの能力、普通じゃない』

『なんでお前っ、普通のことが出来ねえんだよ。習うだろ、普通』

 

 孤立したし、それで構わないと一匹狼を選んだ。

 俺は俺の意志で独りを選んだと思うようにした。

 ウロボロスシンドロームも発見され、オーヴァードの力がおびただしい程多様になった今と比べ、その頃は結構偏見もまかり通っている。

 UGNのおかげで学校に通えて、やりたいこともあった。だから脱退とかは頭にもなかったけれど、教室にも組織にも居場所はなかった。

 その晩は購買で弁当をぶら下げ、宿舎に帰宅しようと支部の建物をほっつき歩いていた。

 

「ってぇな」

「……!」

 

 大人の男と肩がぶつかった。我慢強くないガキの俺は、わざわざ振り返ってまで睨みつけた。

 目が合った男は一度大きく目を見開いた後、腕の辺りをパンパンはたく。身長差があるから、俺は肩でもアイツは腕に当たったんだろう。わざとらしさに腹が立つ。

 

「なんだよ、バケモン見たような顔しやがって」

「――だろーが」

「アァ!? ハッキリ言えよハッキリ」

 

 初めてのことじゃなかったのに、何故かその日はやたらと突っかかった。特別なことが起きていたわけじゃない。

 多分、ただただ無理があったんだと思う、俺が独りで生きるというのは。

 

「何がうつるか分かったもんじゃないんだよ……」

 

 その男の迷惑そうな顔を殴りたくなって、握ったビニール袋がこすれて鳴る。

 ……おっさんの顔よりカツ丼だよな。

 

「よく我慢したなァ君!!」

 

 これでもかと響かせる女の声、俺の正面には二人の女が立っていた。その片方が良く通る声を放って、俺の目を直視している。

 一瞬振り返っておっさんの背中を見ると、小走りで場を去る様子だ。俺には文句垂れたくせにな。

 一人は黒髪赤目、声がデカい方。背丈は普通だけど、とにかく赤い瞳は惹き付ける何かがあった。似合わない眼鏡を掛けていることに気付くのも、話し始めてからしばらくしてのことだった。それくらい、色んなものが普通に見える女の、目だけが異様に魅力的だった。

 もう一人は白髪青目、生き物単位で静かな奴だと思った。ただ一見しただけなのに、その女を眺めている間は周りの音が静まるような錯覚を覚えた。

 印象通り、言葉を続けるのは白の女ではなく黒の女だった。

 

桑野(くわの)君だろ? 桑野悠大(ゆーだい)! 有名ですよ君ィ」

「……るっせーな」

「え! 何、ハッキリ言って!」

 

 限りなく最悪に近い印象だった。デカい溜め息を見せびらかしても、そいつの態度は特に変わらない。

 限りなく最悪でも、最悪じゃない理由とすれば――開口一番の言葉が残響していた、からだと思う。

 

「なんの用だって聞いてんだよ」

「言ってねぇでしょー! あたし鹿倉(かぐら)穂波(ほなみ)、こっち日鷹(ひだか)美咲(みさき)。紹介終わり、とりま座って話しましょうや」

「え、は?」

「穂波さん……これでは人攫いです。まずは事情を話しましょう」

 

 砂漠の砂みたいな、サラサラと滑るような声だった。白い女――日鷹と呼ばれたソイツは、堅苦しい謝罪を述べる。思わず首を頷かせて受け取ってしまうが、大分怪しい奴らだ。

 性根がクソ野郎な奴はいても、悪人はそうそう日本支部にいないだろうから、疑う必要はそんなにないんだが。

 

「私達も日本支部所属のオーヴァードです。余計なお世話かもしれませんが、任務で貴方と組みたく思った次第です」

「思ったなら言うなよ……俺の悪評広まってねえの? 性格カスで能力も意味わかんねえ相棒適性最下位人間だってな」

「それあたしもーっ」

 

 語尾に音符が付きそうな、軽くとぼけた合いの手。

 困惑しながら鹿倉へ目を向ける。まさか本当に俺を下調べせず喋っているんじゃないだろうな、いやしかし、名前は知られていた。

 怪訝な目付きに動じず、鹿倉が言葉を並べ始める。

 

「マジよ。あたしも便宜上キュマイラってだけで、実際の能力はキュマイラの度を越してる。だからさァこんな真面目ちゃんしか仲間がいないわけ!」

 

 思い出したように肩を組む鹿倉だが、日鷹はまるで動じない。いっそ鹿倉が可哀想なくらいに動じなかった。

 つまりは、アレか。似たもの同士でつるもうと言う話か? それはなんとも、扱いに困る。

 態度が悪いのは自覚しているが、それは別に人嫌いというわけではない。むしろ人は好きだ、好きだったはずだ。

 今は、色んな合わない奴らを遠ざけている最中なのであって。

 らしくない考えだが、やはり思ってしまう。

 裏切られたら。

 

 元から期待せずに、ずっと孤独であれば、これ以上人を嫌いにならずに済む。

 極論だよな。

 

「察しがついたかと思います。……私達は誰に言われたわけでもありません、私達の意志で貴方に話し掛けました」

 

 日鷹を眺める俺の顔は、俺自身よく分からない。エネルギーがあるような(ツラ)ではないのは確かだろう、むしろ逆で、ひょっとすると濡れた犬みたいなのかもしれない。

 俺の目を見て、日鷹は手を差し出す。

 物乞いか? 俺の手にはカツ丼と割り箸しかないが。

 

「なので…………お友達から始めませんか?」

「オトモダチ?」

「アッッハハハァァーーーッア!! お友達て!!」

 

 鹿倉のラリった笑いに吹き出して、それから、色んなもんが口から出ていった。

 散々笑い合って、日鷹が挙動不審になって、それから通行人に迷惑がられるまで心底笑って、湿っぽいもん全部追い出した後、俺はその手を握った。

 

 

 それから俺らは一緒に行動した。

 その日、活動の一環で逃走したFHを制圧した。俺と鹿倉が暴れて日鷹が連携を支える、一人に丸投げした戦闘だけど、投げられた本人も悪しからず思っているようで。

 けど、その任務の終わりはスムーズではなかった。

 その任務()と言うべきか。

 

「お、気付いた? この指何本? 何指か分かりますー?」

「サムズアップしてりゃ分かるわ……」

 

 のそりと立ち上がった。木製の堅い感触が冷たい。

 辺りを見渡すと、明かりの少ない開けた場所と分かる。公園らしい。寝かされていた場所はベンチのようで、俺は自然と口元を拭う仕草をした。

 袖には何も付いていなくて、ホッとする。

 顔を上げずに俺は呟く。

 

「またやっちまったか」

「やっちまいましたよォ旦那」

「暴走癖、直りませんね」

「今日もあたしらが凄いからどうにかなったけど、これからも強くなりたいなら自分の力を……」

 

 鹿倉は黙り込む。失言したとでも思っているんだろうか。

 自分の力を知れ、なんて説教は確かに不愉快だが、鹿倉に限って言えば全く気に留めない。いや言われたことを意識はするが、悪感情は抱かないという意味で。

 教科書もなければ師匠もいない。前例のない力を身に付けるというのは相当苦労しただろうに、鹿倉はかなりの戦闘能力で今までも死線を潜ってきた。

 腕だけの獣化、しかも腕から腕が生えてくる。口で言えば単純な内容なんだが、前者なんかは獣化能力の劣等として扱われたし、後者は目に見えて異形めいている。それらに向き合って、しっかり糧にしているのは流石だ。本人に言ったら絶対調子に乗るから滅多に言ってやらない。

 

(ゆう)、明日空いてる?」

「空いてっけど」

「んじゃ、支部で訓練室借りときますわー」

「え、なんか決めてたっけ」

 

 瞼を閉じて、立てた人差し指を小刻みに振る鹿倉。とても鬱陶しい。

 結局何をするのか言われないまま、その夜は解散となった。

 翌日。

 

「修行するわよーっ!」

 

 昼前からそのテンションはキツい。こちとら就寝は深夜だ。……いや、向こうもか。

 訓練室のど真ん中、胸を躍らせた様子で鹿倉は言葉を続ける。

 

「気付いたこともあるし、悠はあたしと同じキュマイラでもあるし。だから色々鍛えてやろうってんの」

「はぁ? んな、いきなり言われてもよ」

「でもあんた、強くなりたいんでしょう」

 

 ここぞとばかりに冷たく言い放つ鹿倉。赤い眼光から目が離せない。

 そうだ。結局昨晩は暴走して、二人に迷惑をかけた。

 二人のおかげで楽しい日々だけど、それは二人の強さで成り立っている。

 俺は未だ、自分のことすら分かっていない雑魚だ。

 

「そんな暗い顔しないのーっ! 怖かった? それはごめん恐喝のつもりはないの許してっ」

 

 顔に出ていたと知らず、慌てて手で覆う。時すでにという感じだが、鹿倉の言うことに異論はない。さっさと話を続けにいく。

 

「師匠になれんの? イメージ湧かねえけど」

「なるよ。なったげる」

 

 背は同じくらいなのに、やたらと大きく見えたような気がした。

 変に優しいこの人の声を、柄にもなく、大切にしていたいと思う。

 

 

「――ってわけでさ。多分悠は他人のレネゲイドを取り込んでる気がすんのよ、だから暴走もしやすい」

「分かったところでなぁ……」

「いやいや。そうでもないですよこりゃ。取り込んでるなら自分の力にも代えられるはずだし……暴走だって、気の持ちよう」

「病は気から、みたいな?」

 

 腕を組んだ鹿倉はわざとらしく腕を組む。だだっぴろい空間を借りてまで座学めいたものを続けるのは、そろそろ無理がありそうだ。

 カッコつけてくれたはいいものの、普段から頭脳労働は日鷹の仕事だ。鹿倉に頭脳明晰な印象は毛ほども無い。

 奴は思い付いたようにてのひらを拳の側面で叩く。

 それから何もない空間へ向き直った。真剣味を帯びた気配に、俺は一歩退く。

 

「力ってのはイメージなの。少なくともあたしはそうだし、あんたもそういうタイプだと思う。この力は何も考えずに使っちゃダメ」

 

 奴は上着を脱ぎ棄てて、シャツの袖を捲る。

 やってみせる、ということだろう。余計な口は挟まずに後ろ姿を眺めた。

 

「あたしの腕は獣の巣、望めば望む程、力は呼応する。それを一つに束ねて――太陽へ手を伸ばすの」

 

 横に伸ばした鹿倉の右腕が獣化していく。そして掌から獣の肘先が伸びていき、その腕からも……増え続け、時には分岐する肥大化した腕を鞭のように構える。

 鹿倉は前方の何もない空間に、俺の知らない何かを見出しているようだった。

 

「『太陽を掴む爪(サンライズ・ギガンテ)』」

 

 横薙ぎに振り抜いた獣腕は空を切る。

 思わず顔を腕で覆うほどの突風が巻き起こる、後ろによろけないよう踏み込むのに必死だった。

 技の瞬間、腕が太陽の光を纏うかのように光った。鹿倉らしくない、橙の太陽色。

 今まで見た事も無い規模感の力だった、今まで肩を並べている時、鹿倉の攻撃でたじろぐことなんかなかった。でも、今俺の中にあるのは力の強さによる戦慄と――

 

「ってな!」

 

 完全に御している師匠への畏怖、尊敬だ。

 呆気に取られていると扉が開く。獣化を解除する鹿倉と、ようやく強張った身体を解放する俺が同時に扉をみやった。

 日鷹だ。差し入れだろうか、手に持った袋からペットボトルが透けている。

 

「やっほ! 今悠に色々教えてた」

「そのようですね。お疲れ様です」

「……」

 

 教えてた。なんて買いかぶりですらある。

 俺はあんな自由に力を扱えるのか? いつでも全力を引き出せる、のびのびとした強者になれるのか。

 不安は顔に出していないつもりだが、日鷹はきっと見抜いている。見抜いたところで何も言わないだろうから気にすることもないんだが。

 

「そうだ! 良いこと考えた」

「あん?」

「ねぇ、あたし達みたいな変わり者をさ、もっと集めて居場所作ろうぜ。こうやって教え合ったりしてさ、集まった皆は、皆の願い事を叶える為に助け合うんですよ」

 

 夢物語にも程がある。暗く終わるおとぎ話の一ページ目みたいだ。

 おとぎ話を声に出す師匠の目は本物だった。

 だからごく自然に頷いてしまう。何も疑わず、俺は信じる。

 

「いいなぁそれ。リーダーはどっちがやるんだ?」

「日鷹さんだろ、そりゃあ」

「勝手に話を進めますね。まぁ、やぶさかではありませんが」

 

 堅物日鷹の見せる(ほど)けた顔は物凄くレアで、この時は師匠と感情を共有した気がする。

 意固地張った日鷹も、虚勢張りな師匠も、臆病者の俺も、ありのまま笑い合える日々を俺らは幻視した。

 

「いつ頃を目度にしましょうか」

 

 ひとしきり悩んで師匠は答える。

 

「次の悠の誕生日にしようぜ!」

「なんだそりゃ」

「あんまり長くはないですね……頑張りましょう」

「頑張るんかい」

 

 

 それから数ヶ月経って、俺の誕生日前日。

 大きな和室の居間でおっさんと俺がポップな誕生日飾りつけをしている。

 おっさんというのはこれまでに出会った誰かしらでは無くて、活動する為にスカウトした四人目の創設メンバー、獅子倉(ししくら)栄慈(えいじ)のことだ。

 今居る大きな武家屋敷も獅子倉の持ち家の一つで、俺ら新設組織『烏合』の拠点第一号である。

 拠点第一号は明日の結成パーティ兼桑野悠大生誕祭(こっちをメインにしたい)を控え、男二人の手により飾り付けられている最中。真昼間の光景に随分と嘆かわしい光景だ。

 

「なんで俺が準備してんだァ? おっさん、師匠からなんか来てないのかよ」

「だぁれがオッサンだ。生憎だがの、連絡が付かんなら任務とやらが終わってないんだろうさ。チョロチョロ見回っても何も変わらんぞ」

 

 鼻を鳴らして作業に戻る。

 そして獅子倉へ振り返った。あいつ準備してねえ!

 

「人を誕生日前にソワソワするガキとか言うなよ。つか手伝え! 百歩譲って俺がやんのは兎も角、なんでオッサンがやってないんだよ」

 

 ひと睨みしてやるが、おっさんは全く視線を寄越さない。

 まるで微動だにしない。まさか立って死んだのかとすら思うが、いやいやおっさんはおっさんでギリ爺ではない。ボケが始まってないんだとしたら、奴はどうしたのだろう。

 熱心に壁の染みでも見つめているのか。声を掛けても反応はない。

 

「おっさん?」

「そうだなァ。ここは(オレ)がやっとく。お前は様子見て来い」

 

 ようやく身体の軸を俺へ向ける獅子倉。その顔は前触れもなく真面目だった。

 初対面ぶりに見る享楽無しの表情で、俺は逆らう気も起きず外へ出る。

 らしくもない気だるい口振りだった。豪快の擬人化である奴がああも静かに事を伝えるというのは勘ぐってしまうものだ。

 めでたい日の前日だが、日鷹と師匠は今日も任務。ようやく尻尾を出したFHイリーガルを、場合によっては力づくでも捕縛するとのこと。行先は聞いていた。そのイリーガルは小癪にもカフェの店主という表の顔があるらしい、そこで待ち伏せをして事を起こす予定なのだと師匠は言っていた。

 気の進まない歩みが、段々と早まる。そして走ると言い換えるべき頃には、根拠のない嫌な予感が頬を伝っていた。

 ワーディングの気配だ。どおりで民間人が見当たらない。

 大きな衝撃音が街で轟いた。ぶつかり、崩れる音が続く。

 今も尚戦闘中というのなら丁度いい、加勢だ。

 不安に目を瞑って意気込んだ俺は、店の正面に立って唖然とする。

 

 入口のには人の腕が落ちていた。肘よりも先が捨て置かれている。ひとまずそれが師匠や日鷹のものではないことに安堵して、瓦解寸前の店へ入った。

 店内の壁は血で塗りたくられている。高架橋の落書きを思わせる雑然な飛び散り方だ。

 明かりは壊れていて、テーブルの破片と共に床を埋めている。瓦礫で日差しは閉ざされ、暗く不穏な空間にそれは立っていた。

 

「師匠……!」

 

 暗くてシルエットがせいぜいな姿だが、右腕が異常に大きく、床を這うくらいの長さがある人物は一人しか知らない。

 直立しているそれは壁の隅を見つめている。状態が分からない。何かがあるのは把握できるが、如何せん暗い。

 そうだ、こないだ身に付けた技がある。俺は目に力を込めた。

 《猫の瞳》

 暗視の目をもってして、師匠とその足元を見やった。

 

「――ッ!?」

 

 鮮明に映るどす黒い血液。

 師匠の足元には腹から上を引きちぎられた男が落ちている。傷痕ではなく、破壊痕という方が正しい惨状だった。下半身を探すのは、今更意味のないことだと辞めた。

 師匠はゆっくりと俺へ振り返る。

 その顔には汗が大量に滲んでいて、口元が震えていた。不格好な笑顔を作った、しわくちゃな顔が俺を見つめる。

 

「ア゛ッは、ごめんユウ、やりすぎちったよ。いつも言ってんのになぁ、アー、ア、やめて。そんな目でみんなよ怖いよ」

 

 自然と拳を握り締めた。

 明らかに様子がおかしい。戦闘直後――暴走か? この人の暴走は初めてだ。

 どうしたらいいのか分からない。独りよがりなやり取りをする師匠にどんな言葉をかければ、この凄惨な状態がどうにかなるのか、てんで思い付かない。

 とにかく、俺は師匠の獰猛に垂れ下がった右腕を見下ろす。

 目を背けた先で、たまたま見つけただけだ。

 一歩近付いて声を掛ける。

 

「師匠……? いやもう、いいから、早くそれしまえよ」

「エッ何? 何するつもり来ないで……ア、アアァーやだやめて」

「師匠! おい、おいしっかりしろよッ」

 

 二歩三歩、師匠に駆け寄る。近付いて何が出来るわけでもないけれど、あんまりにも悲痛な表情で、自然と両手を伸ばしながら。

 師匠の足からバキボギと、棒を砕く音が聞こえた。

 思わず奴の足元に目を奪われて、その傍らにある狂暴な『それ』から視線を外してしまった。

 店内に蔓延る残骸を蹴散らして『それ』は躍動する。

 

「来るなァッ!!」

「痛ッ……!」

 

 振り上げられた師匠の右腕が俺の左半身を叩き抉る。大自然の災害を思わせる圧倒的な質量と速さ、それが牙を剥いたことの意味が、この一瞬ではよく分からなかった。

 勢いのまま後ろに飛ばされ、俺はしりもちを着く。

 肩口を押さえながら再生を確認。歩み寄ってくる師匠を見る。

 棒を砕く音は未だ聞こえる。

 

「ぁ……おい誰にやられたんだそれ!」

 

 悪い冗談だろ。

 師匠の足が変貌する。

 毛深く、屈強に。

 ……師匠の力は、腕にしか作用しない。俺は暴走の先、更なる最悪に思い至る。

 

「おい、おい嘘だろ師匠。なぁタチ悪いって、なぁ――!」

 

 師匠の四肢は、左腕を除きケダモノへ堕す。

 よろけながら立ち上がった俺を捉え、目で追う師匠。その表情は酷く人間らしい。

 

「あー? …………あっごめん悠、あたしこれ無理っぽいわ」

「やめろよ――馬鹿言うな」

 

 認めたくなくて、感情の噴出を必死に抑える。

 その代わりに《ワーディング》を使う。俺の持ってる全てをぶつけるように。

 親しい人のレネゲイドに反応とか、繋がりは奇跡を起こすとか、実際に聞いたことがあるんだよ。

 俺達にだって奇跡はあるだろ。

 繋がりはあるんだろ!

 

「いやほんとマジで無理ですわこれ。なー悠……」

「馬鹿言うなって黙れよ!」

 

 何が足りないんだよ。

 俺達には何が足りないんだよ。

 俺と師匠になんにも嘘はない。

 これからもそうだ、笑いあう為に、俺らは居場所を作るんだ。奪うんじゃない、守る為に俺らは。

 俺らが出会ったのは、手を重ねたのは――

 

「いーいからアタシを殺せよォ悠大ィィイ!」

「俺の力は殺す為にあるんじゃねえんだよッ――! アンタが、アンタがそう言ったろうがよッ!」

 

 師匠の右腕が師匠自身に巻き付いていく。蛇が木に纏わるような、野性的な動きだった。

 身体を締め付けていくように見えて、あれは拒絶の形、むしろ自分を護る為の働き。

 とても殺せなんて言っているように思えない。

 まさかだ。

 自分で選択すら出来ないザマになるなんて。

 

「頼むよ。あたしバケモノになりたくない」

 

 笑いながら、師匠は泣いた。

 

 

 床を踏み抜きながらそれは近寄ってくる。

 俺はうつむいたまま、それを見ない。

 瞼に残るあの笑顔がどうしようもなく人間らしかった。

 笑顔の似合うあの人らしかったから。

 バケモノになんてしてやれない。

 

 右腕に力を込める。

 師匠ほど力強くない。

 師匠ほど長くない。

 師匠ほど速くない。

 

 だから俺はまだ、教えてもらわなくちゃいけなかった。

 

 

 呆気なく刺し貫かれたのは、師匠が手加減してくれたんだと思う。だって俺は強くないから。

 師匠の身体はあったかかった。胸に吐き出された血も、抱擁に劣らず熱をくれた。

 

「なんでだよ」

 

 食いしばった歯が砕けそうだった。

 握った手が張り裂けそうだった。

 どんなに力んでも底知れず足りない。

 この胸の痛みには――到底足りそうにもない。

 

「なんで……なんでこうなるんだよ――ッ!」




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