鳥の巣日記   作:凍星 奏雨

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月輪没落→日輪没落→帰巣信仰→『大器伴星』






大器伴星

 夢に揺られず、呆気なく俺は目を覚ます。

 机や椅子、カーペットが最低限配置され、残りは積まれた段ボールが装飾を担っている簡素な部屋だった。見慣れなさはあるものの、初見ではない。一週間ほど前に越してきた獅子倉の家の一室だ。

 身体を起こす時、ベッドのスプリングが軋む音を聞く。

 些細な音を引き金に、覚醒前の記憶が脳裏を走る。

 誕生会の準備、獅子倉の物憂げな声。人の少ない街を走る。

 現実離れしている崩壊した建物。血の臭い。

 加速する鼓動。

 師匠――正気を、命を喪ったあの人。

 

「――っ」

 

 胃から這い出てくる嘔吐感に、たちまち部屋を出た。

 俺の部屋は二階にある、ただでさえ広い屋敷の中で洗面台に行ける想像が出来ない。下り階段の前で膝をつくと、左手で手すりに摑まり、右手で口を押さえる。押さえるというよりも抑え付けるような気持ちだった。

 弱々しい体勢でどうにか波が引くのを待つ。

 何も考えず耐え忍ぶ。

 堪えろ、堪えろ、言い聞かせて――どうにか、荒い息を代わりに吐き出した。

 

「はぁ……はぁッ」

 

 思い出すだけで背筋の震える記憶に、一度蓋をして考える。

 一度は戻しかけた身体だが、他に異常は感じない。精神のことを除けば健康体そのものだ。

 もしや、あれはただの悪夢なのではないだろうか。

 希望的観測とやらかもしれない。でも、この静まり返った屋敷に、いつ師匠の声が響くだろうか。俺には今この瞬間にも邪気の無い高らかな声が聞こえるように思う。

 呼吸を整えて階段を一歩踏みしめる。

 それから二歩目を踏み外しかける。

 

「桑野……さん」

 

 想定外なこと、不安なことがあるとすぐさま表情に出る冷徹の鉄面皮、日鷹美咲が階段の上り口にやってくる。

 移ろう表情には無念や悔悟といった薄暗い負の名前が非常に適していた。

 俺はそれだけで理解してしまう。

 夢なんかじゃなかった。

 悪夢で終わっちゃくれなかった。

 なのに。

 やめとけばいいのに。

 俺は口走ってしまう――

 

「師匠は……どうなった」

「――穂波の身体はUGNの……班に引き取られました」

 

 一度言葉を詰まらせ、うつむいた後、日鷹は曖昧に答える。

 俺には分かる。動転する気力がないせいで、そういうものなんだろうという理解が及んでしまう。

 きっと飲み込んだ言葉は『UGNの処理班』だ。

 処理……その意味を求めすぎないよう、思考をやめる。

 だって、言葉の意味を求めたところで――その行動に意味はない。

 師匠の身体に宿っていたものは、俺が壊してしまったのだから。

 風に吹かれたように、一歩一歩を不確かなリズムで下る。転げ落ちないようにだけ気にしているつもりだが、どうも危うげに見えているらしい。不安がった視線を躱しながら進んだ。

 

「そっか。日鷹さんにいろいろ、任しちまってるな。ごめんな」

「いえ…………」

 

 この人は口下手だ。何か探しているようだが、今の俺を励ませる奇跡のような言葉は、きっとどこにもないよ。

 

「いま何日?」

「二日の午後三時です」

 

 これまた回答に間があって、しまったと思う。この流れで誕生日おめでとうとか、言えないし言われたくもない。嫌な話題の振り方をした。

 昨日は昼過ぎくらいに家を出たから、随分と寝たものだ。頭がすっきりしない理由の何割かは、過剰睡眠が担ってくれていることを祈るばかり。

 フローリングに柔らかい足音を置いて、俺は日鷹と並び立つ。

 互いに互いを振り返らず、背を向け合った状態で静止した。

 

「ほんと……ごめん」

「やめてください。貴方は何も、何も悪くない」

「いやさ、なんかこうなったの、腑に落ちるんだよ」

 

 これは八つ当たりだ。

 分かっていても止められない。

 

「あんたらは頑張るだろうなって思うよ、今ではさ。馬鹿みたいにウキウキしてる俺に水を差さないよう、二人だけでどうにかするだろうなって、すげぇ納得しちまうんだ」

「……」

「俺は爺さんに言われるまで、必死になった二人を考えもせずヘラヘラヘラヘラ。それなのに今更ちんたらやって来て、俺がしたのは無駄に師匠をぶっ殺した事だけ」

「ですが――」

「俺はさァ!」

 

 壁を横合いに殴りつける。

 起床から初めて怒りを感じる。それから……蓋をしたあの記憶から、無責任にも背負った使命が共鳴し、鮮明に思い出す。

 

「ジャーム二人(・・)をぶっ殺したガキなの。貶さないなら励まさなくていいよ、ほっといてくれ」

 

 そうだ。俺は飛鳥井の怒りを受け止める役目が残されている。

 俺の役目に偽りがあろうと、飛鳥井の感情は本物だ。アイツが行き場のない怒りを抑えているのは見過ごせない。アイツがこんな形で心を死に晒すのは、俺が俺を許せなくなる。――それをしたって、許せる日は来ないだろうけど。

 だからせめて師匠の分まで背負わせてもらう。

 俺はあの瞬間――出葉甲斐を殺した返し刀で、実の師匠を手に掛けた屑だ。

 手柄を横取りしてごめんな、師匠。でも、アンタならこれくらい目を瞑ってくれるよな。

 

「待ってください」

 

 決意したのに。アンタはまだ邪魔をするのか。

 鈍痛が残響する拳を再び握り締めて、大きく息を吐く。

 違うだろう。今悲しみの淵に居るのは日鷹も同じなんだ。敵じゃない、落ち着け。

 ……彼女から放たれた躊躇いのない、凛とした声を信じて、俺は振り向く。

 

「っ……」

「桑野さん」

 

 目を細めて何かを堪えるような表情。気を抜けば涙が溢れそうな表情を、日鷹から見るのは初めてだった。

 時折目尻が震えている。何かを握っているらしい彼女の拳も小刻みに揺れている。

 今までの虚勢が払拭されたガタガタな日鷹は、それでも声はまっすぐ芯が伸びている。

 俺の中で融解する何かがある。ちっぽけだけど、ずっと持っていると持ち主を腐らせてしまう腫瘍みたいな負の感情が、ほどけていく。

 ゆっくりと瞬きをして、ようやく言葉に耳を貸した。

 

「貴女へ渡されるべきものがあります。……彼女の部屋に行ってください」

 

 最後まで躊躇う様子を残して、日鷹は自分の閉じた拳を開く。

 俺へ伸ばされた掌には小さい鍵が一つある。俺はそれに見覚えがあった。

 

「師匠の……?」

「入ったら机の上を見てください。――私は、すみません、まだ、やることがあるので」

 

 鍵を押し付けるように俺へ握らせると、横を小走りで抜けていく。

 語尾でようやく弱気を帯びた彼女の台詞を聞いて、何かを聞こうとは思わない。

 去った日鷹を振り返らず、俺は再び階段を上がった。

 きっと俺を見るのも辛いはずだった。それなのにああも邪険にしたことが、強く俺の胸を絞め付ける。

 いや、ここで俺が痛むのは筋違い甚だしい。

 俺は今回、誰も彼もを傷付けてばかりいる。それなのに殴った拳が痛いだの騒ぐのは、まるで園児のようだ。

 

「……渡される?」

 

 師匠の部屋に鍵を差し込むところで、日鷹の言葉が顔を出す。

 渡したいものではなく、渡されるもの。それはつまり、日鷹ではなく別の人物から、そして直接渡せない事情が絡んでいることを意味する。

 自然と手が止まった。

 捻れば俺は扉の中を暴く自由を得る。だというのに鍵は、蝋で固められたようだった。

 学問じゃないけども――この扉を開くことでまた一つ、埋まらない空虚を突きつけられてしまうのではないか。

 

「違うだろ。違う、それで何になるってんだよ……」

 

 このまま師匠の残影から逃げ続けて何になる。

 日鷹の表情が全てじゃないか、もう明確に、完膚なきまでに死んでいるんだ。

 もう確かめる段階はとうに過ぎてる。だから鍵を開けるのだって、もう師匠の――何も、変えたりはしない。

 

「お邪魔します」

 

 後戻りしないように言葉で背中を押す。それからは簡単に、何にも妨げられず部屋へ入った。

 部屋の中は、俺の部屋とさほど情報は変わらない。壁に上着が掛けてあったり、段ボールが少なかったりと、活動力の高さは目に見えて違うが。

 扉を後ろ手で閉めて、一度目を伏せる。

 心臓が煩わしい。

 居ないことは分かってた。この部屋を借りてから二週間もないんだ、師匠らしさなんて幻想がないのも分かってた。息が詰まるような新しさが待ってるだけって、分かっていた。

 

「――おし」

 

 いちいち凹んでいる暇はない。決意を瞼に乗せて開く。

 まずは机の上を見ろ、だったか。

 部屋の中央まで行くと、ベッドの上にスーツのジャケットが投げ出されているのが分かる。まさしく五体投地といった形で、両袖が均等に伸びている。投げ出されているように見せかけた、というのが見解としてはしっくりくるが、だとすれば日鷹しかやり得ない。

 深々とした紺色には目立たないが、確かに染みが残されている。なにより戦いの跡が生地を断裂する形で表れていて、その中には……俺が抉った部分も含まれている。

 日鷹お手製の皮肉ではない、人を誘導して卑怯な手で陥れる真似は絶対にしないだろう。

 意味を深掘りするのをやめて、素直に机を見る。

 適当に積まれた紙束や本、あとはペンやノートパソコンなど置けるもんを取り急ぎ置いたみたいな机だ。それらを端で縁取らせ、開けた中央には箱が置いてある。

 リボンを装飾した品のある色味の青い箱だ。

 まぁ、察しはついていた。

 この期に及んで渡されるべきものってのは、多分遺言か誕生日プレゼントのどっちか。まさかこれらの単語が横並びになる日が来るとは思わなかったが。

 師匠の性格上、任務前にいちいち遺言を書くようなタマじゃないだろう。書いたとして、如何にも贈り物みたいな箱に入れるのは悪ふざけを通り越して冒涜だ。やはりそこも師匠らしくない。

 日鷹がこの鍵で導きたかったのは、本来なら今頃俺が、らしくもない笑顔で貰っているはずのプレゼント。

 開ける前に師匠の表情を思い浮かべる。あの人はどうやってこれを渡すつもりだったのだろうか。

 少しは勿体ぶるだろうな。

 

『悠、誕生日おめでとーっ』軽いというか、感情が薄いか。

 

『これなーんだ!』無邪気すぎる。アラサーだぞあの人。

 

『ま、烏合ついでに渡しときますかぁ』……こんなところか?

 

 多分そう言われたら、俺はちょっとキレた振りをする。

 それから未来の話をされて、丸め込まれた後にわざわざ真面目な雰囲気を出してくるもんだから、俺は矛を収めて――

 俺は両手で箱を持つ。

 軽いなと思ったけど、これは師匠が場にいてもいなくても口にはしない。

 箱の底を片手で支えて、もう片方の手で箱を開ける。見た目だけのリボンは箱を縛っていない、蓋を取るだけで中身を見られた。

 

「……は?」

 

 箱には申し訳程度の詰め物。その上には一枚の紙切れが乗っかっている。

 白いの紙には手書きでこう書かれていた。

 

(あたし)のポケットの中!!!』

 

 ――俺は困惑と怒りを綯い交ぜにして、目の前の師匠に掴み掛かる勢いでポケットを漁る。遠慮なく漁る。

 悪趣味でふざけた茶化し方をされるけど、聞こえないフリをして確かめる。

 それから勢いよく引き抜いて、ようやく贈り物の全容をみて、邪気が吹っ飛んでいく。そんな光景が――

 

「あったんだろうなぁ。なー、師匠」

 

 目を瞑って団欒が浮かび上がっても、目を開ければ寂しげな机が佇んでいる。いないんだよ。アンタはもういない。

 ポケットなんて。

 

「いや……まさか」

 

 俺は勢いよく振り返る、夢想をかき消すように。

 背後にはベッドが、正確にはジャケットが放り出されたベッドがある。そしてジャケットには一対の、戦闘に巻き込まれずに付けられているポケット。

 日鷹が誂えたのであろうジャケットに意味が生まれた。わざわざ机の上を見るように指示したのは、きっと日鷹にはあらかじめ言っていたのであろうプレゼントの経由を正しく守る為。

 生真面目すぎる、プレゼントを戦闘任務にもっていくわけもないのに、わざわざこの中へ押し込んだんだ。

 つい苦笑を漏らしつつ、俺は向かって右のポケットに手を突っ込んだ。

 二つの感触がある。一つはまたしても紙、どうやら折り畳まれているようだ。そしてもう一つは、金属特有の冷たさと装飾目的の凹凸が特徴的な、掌に収まる何か。握り込むと少し重みがあるのが分かる。

 意を決して、その二つを指で挟んで同時に抜き取った。

 その金属の正体に、胸が重く響く。

 高貴な銀色のごく小さな長方体。凹凸の正体は精巧に彫り込まれた翼だ、面積が広い両側に一翼ずつ、雄大に彫られている。

 横一線に切れ目があり、俺はそれの開き方を既に知っていた。

 親指で少し強めに弾くと、ピンッと柔らかな金属音が小さく響く。

 どれだけ鮮明にしていっても、その物体は既知の範疇にある。

 俺はそれを、よく眺めていた。

 これは……師匠のジッポライターだ。

 指で弾き、ライターの蓋を閉じる。思ったよりも勢いがよく、指を挟んだ時の痛さを軽く想像してしまう。

 

「これは……?」

 

 ライターを一度強く握り込んで、自分のポケットにしまう。そして入っていたもう一つ、半分に折られた紙を開いた。

 箱に入っていたものと違い、真面目な手紙だというのが一目で分かった。筆跡も丁寧で、これは師匠の文字ではないとも分かる。

 これはきっと、日鷹が書いたものだ。

 

 

 ――桑野さんへ向けてこれを書きます。

 彼女、穂波は貴方への贈り物に随分頭を悩ませていたようでした。

 私は相談事に答えを出すのが苦手なので、話を聞いてもあまり助けにはなりませんでしたが、幸いなことに穂波は閃きました。

 我々とチームを組むにあたって、貴方を一人前として考えると、彼女はそう考えていました。師弟でありながら、チームでは対等な関係でいたいと願っていたようです。

 『それってつまり、あの子を大人として認めるようなものよね』と、軽い口振りで取り出したのが、一緒に入っていたライターです。一足早く貴方を大人として認めるつもりで、ライターを譲り渡す予定でした。

 いい案だと肯定しましたが、次は渡し方に頭を悩ませ始めました。紙面には限りがあるので、過程の詳細は省きます。

 最終的にはサプライズ感を大事にしたいと、この形に決まりました。

 当日、彼女の服装は分かりません。何もない日でもスーツを羽織るような人なので。

 ですからこの上着を選んだのは、決して貴方への当てつけではなく、彼女が最もよく忍ばせていたのがこの上着のポケットだったからです。きっと、貴方も覚えがあると思います。

 余計な手を入れてばかりですみません。

 彼女の意思を出来る限り汲みたかっただけです、悪意はありません。

 

 お誕生日おめでとうございます。

 貴方が産まれたことは、私達にとってかけがえのない幸運です。

 

 

「大人じゃ、ねえよ」

 

 身体が震える。指先に力がこもって、紙にシワが走る。

 ベッドの上で紙を離し、深々と息を吸う。

 俺はまだ師匠が必要だ、これからもずっと教えてもらうはずだった。

 ようやく十六歳を迎えた、ただのガキなんだ。――そんなガキの甘えを許さないでいてくれるのが、アンタで良かった。

 そして、計り知れない失意に当てられても、こうして他人に誠意を見せられる人が傍にいる。俺にとっても、それはかけがえのない幸運だ。

 

「まだ俺、アンタに何も返せてねえんだよ。勝手にアンタが大人って認めたって、俺はまだ、クソガキだっての」

 

 声が震える。情けなくて不甲斐ない。

 ついに跪いて、誰かの膝で蹲るような姿勢になる。

 ここには誰もいない。師匠がいたって、こんなことは言えない。

 

「俺ァ師匠みたいになりたかったよ。アンタ、すげぇ煙草似合うんだもん。アンタは俺の欲しい、大人ってやつを全部持ってた。アンタみたいに……なりたかった」

 

 でも追い駆ける背中は完全に止まった。止まった背中を追うんじゃ、きっとすぐに追いついて、そのうち路頭に迷う。

 ライターを手で確かめた後、取り出して再度握り込む。

 

「――飛鳥井萌花って奴がさ、きっと今、一番大変なんだ。俺には師匠や日鷹サン、あと一応ジジイもいるし、馬鹿だからどうせそのうち、前を向けるけどよ」

 

 ベッドに突っ伏したまま、掌に収まったライターを眺める。そのまま喋っていると、なんだか師匠が耳を貸しているような気がした。

 今は、そんな思い込みを大切にしたい。

 

「でもアイツには、あの男しかいない。いなかったんだ。家族はアテになんないし、友達も全然、いなかったしな」

 

 たまにやたらと気分が悪い時が、飛鳥井にはあった。そういう時は触れば触るだけ噛み付かれるから、出来る限りそっとしておいた。

 でも冬になってから……出会って半年以上経ってからは、何をせずとも八つ当たりしてくるようになった。そんな大げさなもんでもなくて、愚痴くらいなものだが。

 変だけど、俺はそれが嬉しかったんだ。

 

「アイツはキレたらその分、前を向ける奴なんだよ。全然不貞腐れない、強い奴だ。でも、止まり慣れてない奴がいきなり止まったら大変なんだよな、転ぶかもしんねえし、マグロみたいに最悪死ぬかもしれねえ」

 

 アイツは多分、止まるにしても今は駄目だ。

 

「生きてればそのうち、自分で勝手に幸せんなれると思うんだよ。でも、人がしんどい時に生きてれば良いことあるって言う奴は大抵、ソイツに良いことをする気なんてねぇ。……俺はアイツを励ましたいけど、無責任な言葉じゃアイツは救えない」

 

 深呼吸をして立ち上がる。新品のベッドは立ち上がる時も柔らかく支えてくれた。

 目の前には、傷痕だらけの師匠のジャケット。それから、日鷹が丁寧に書いた、文字の小さな手紙。

 

「だから責任もって、俺はアイツの敵になる。怒る矛先になって、どうにか生かす。多分、事情自体は分かってんだよ、飛鳥井は。だから敵になったって、俺を殺して私も死ぬみたいな……ヤケクソにはならねえと思うんだ。クソ恨まれると思うし、本当のことを知ったら更にキレられると思うけど」

 

 振り返って、俺はもう一度机に視線を降ろした。

 箱を強調する為に隅へ追いやられた師匠の私物から、もう一つ変哲の無い箱を掴む。

 

「でも、アンタに認めてもらったからな。俺は大丈夫だよ――――これは貰ってくぜ、爺さんには勿体ねえ」

 

 扉を閉める。振り返りはしない。

 鍵は後々獅子倉の爺さんに返しておこう。師匠の痕跡を閉じ込めたって、中で師匠が蘇ることはない。

 あの空間に、もう未練はなかった。

 

「さて、アイツはどこにいるんだか」

 

 

――――――――――

 

 

「お待ちいただきありがとうございます。飛鳥井さん」

 

 ふすまを開けて畳を踏む日鷹。

 そこは長方形の間取りで、日鷹の見る両手側には同じくふすまで仕切られた壁。そして正面は庭に通じる縁側へ続いている。

 家具はちゃぶ台のみ。その上に一つ置かれた湯呑は高級感のある手触りだ。中に入ったお茶も相応のものだが、あまり手は付けられていないように見える。

 日鷹とその人物の間をちゃぶ台が取り持つ。自分の湯呑は持ってこず、ただ淑やかに日鷹は正座を作った。

 正面に座る少女は半身で庭を眺めていた。ふすまが開く音を聞いても微動だにしなかったが、現れた人物が腰を降ろしたと分かれば、その少女ももう一人の人物へ身体を向ける。

 向かい合う日鷹美咲と、飛鳥井萌花。

 日鷹の瞳は揺らがぬ決心で満ちている。だが、その決心を突き通す手段に不安を覚えているのか、緊張ごと相手に伝えていた。

 水色の目に宿した清廉な光が飛鳥井の瞳へなだれ込む。

 それに応える素振りを見せない――闇で掠れた緑色の目が、力なく日鷹を見つめる。力強く睨むのであれば、日鷹はむしろ楽だったろう。

 今の飛鳥井にはそれほどの気力もない。どれほど恨んでも意味がないと、もう分かっていた。

 

「……貴方に」

「謝罪はもういいよ。もういい」

 

 出鼻を挫いたことに悪意はない。ただただ失意のみ、飛鳥井の声に乗せられている。

 もしも遮らなければ再三伝えた謝罪を更に告げるところだった、それで飛鳥井の精神を逆撫でする始末にならず、日鷹は何処か安心する。

 今の飛鳥井には理性的に会話する余地がある。それ以上に気力が問題だが……あれから睡眠をとって充分休んだ後、飛鳥井の身について話すのだから、話し合いはそうそう破綻しないだろうと予想した。

 失言を口走りそうになったことに謝罪をしようとして、慌てて日鷹は自分の口を閉じる。

 飲み込み、今一度慎重に呼吸をしてから仕切り直す。

 

「土地を引き継ぐ人物がおらず、建物が半壊したあの店は……UGNの支援を加えて取り壊されることになるでしょう。――お待ちください」

 

 飛鳥井が身じろぎをしたところを制す。

 分かり切っていることを伝えられて、無気力に席を立とうとしていた彼女は、恨めしそうな上目遣いで続きを促す。

 

「貴女の居場所の存続について、提案があります」

「あなた達が壊したんでしょ」

「……はい」

 

 周りの影響を鑑みて、戦場を『鳥の巣』に絞ったのは日鷹と鹿倉の判断だ。多数の為に飛鳥井を蔑ろにした判断は出葉甲斐の何にも関連せず、彼女達の意思である。未然に防げたとすれば、また別の一般人が被害を受ける結果になり替わるだけだ。

 それを説いて破壊の正当性を訴える気はさらさらない。飛鳥井萌花の唯一の居場所を破壊に招いたのは、自分なのだと、日鷹は理解を済ませている。

 飛鳥井が、居場所を『鳥の巣』のことだと疑わない理由も、日鷹は調べがついていた。

 

「今更提案なんて……どの口が言うの!? あなたの後処理に協力はした、もうわたしには関わらないで!」

 

 抜け殻となって死ぬように生きる道へ、甘美な言葉と共に分かれ道がやって来る。それがかえって、飛鳥井の感情に火を付けた。

 

「あなた達がわたし達の日常を壊した。正しいことをしたと思ってればいい、それは何も間違ってない。でも正しさじゃ生きていけない人間だっているの。正しさでしか生きていけない人間が、こっちに歩いて来ないでよ!」

 

 ちゃぶ台を両手で強く叩くと、日鷹へ食って掛かるように言葉を重ねる。

 茶の波紋が止む頃、日鷹の瞳に迷いはなかった。

 

「私がこの場で正しさを語るのは不誠実です、貴女の言葉は受け止めたうえで……これからの行ないで、貴方へ個人的に贖罪をしたいと考えています。私の自己満足かもしれません、ですが動機は、貴女を守りたいからです。お話だけでも、聞いてください」

 

 腿に腕を手を乗せ、静かに頭を下げる女性を見下ろし――怒りと連鎖した鮮やかな感情が飛鳥井の胸で発露する。

 戸惑いや苛立ち、煩わしさ。拒絶すればするほど、不愉快な後味がこの先を彩る予感。

 台に乗っけた拳を強く握り締め、少女は座り直す。

 それを催促と解釈し、日鷹は頭を上げた。

 

「私には貴女の未来を、一生を使って守る責務があります」

「……はっ?」

 

 口を小さく開き、呆気にとられた声だけが小さく溶ける。

 驚愕のみが乗っかった表情、声色。それらが変化する前に、日鷹は言葉を続ける。

 

「血縁で貴女の居場所は結ばれていなかった。紛れもなくあの店が、貴女にとっての居場所だった。私はそう認識しています」

 

 家族の関係を知らべたのかと、対する眼差しに疑念が混じるが、遮る言葉はないことを首肯として捉える。

 

「ですから、私は全力であの家を、店を守りたい」

 

 そこまで言い切って、日鷹は表情に陰りを見せる。言葉に嘘はなく、いっぺんたりとも揺らぎはない。

 ただ、それを口にするのが酷く不甲斐なかった。

 

「――私一人では権力が足りない。再建が困難な土地を一度平らにする、その妥当さ、正しさに押し流されてしまう。そこで貴女に、提案……いえ、頼みがあります」

「何」

 

 感情は段々と収まり、再び言動に闇が差し込み始める。嚆矢でしかなかった飛鳥井の動力は、再び鎮静していった。

 怒るのに疲れた人間の痛ましい姿に胸が絞め付けられる。

 その感覚すら傲慢だと、日鷹は振り切って、自らの決断を口にした。

 

「……馬鹿言わないで」

 

 やはり再度激情が訪れることはなかった。そこに日鷹は、どこか無念さを覚える。

 

「どうして、何がおかしくなって――()()()()()()()()()になるの」

 

 頼みは――日鷹率いる集団の所属。

 つまり、UGNの傘下を意味する。

 

「『鳥の巣』を表立って守る為に建前が必要です。誰にも否定されない建前が」

「わたしとなんの関係があるの、それ」

「説明致します。ですがその前に。……飛鳥井さんが飲み込まずとも、私は次の手を考え、貴女の未来を守れるように尽力することを約束します」

 

 そもそも関わるなという願いは聞き届けられない。

 少女がはたと気付く。

 奴の相棒――黒髪の女が殉職した原因も自分らにあるということを。

 自分が傾倒した人物が相手らの仕業で絶命するという立場、それはまるっきり向かい合っている、対等の図。

 気付きたくなかった、とは心中で留めておく。

 

「まず、『鳥の巣』を再建する理由を用意しなければ、私は戦うことが出来ません。その理由に貴女の存在をお貸しいただきたい。理由は……一つ、貴女の住居として存続させるとなれば、検討させるきっかけになる。そして二つ、我々の作戦拠点を飛鳥井(きょうりょくしゃ)が提供するという図式が生まれる。UGNの者が拠点にしていた建物を無下には出来ないでしょう」

「……」

「二階に居住スペースがあることは確認しています。もしも承諾してくださるなら、貴女がそこで暮らすためのサポートは惜しげなくさせていただくつもりです。差し当たっては、土地の維持も貴女が然るべき歳になるまで私が管理致します。恐らくは形だけ、書類上で便利に使える名前と考えていただければ」

 

 腹が立つほど、疑う余地がない瞳。

 飛鳥井には頷くことの正しさが分かる、迷う必要なんて欠片もなく、自らに得な話だと理解出来る。

 それでも拒むのはプライドというほど傲慢でもない――素朴な抵抗感。

 興味のない美術館に居るような息苦しさが声を留めた。

 

「ただ、貴女に留意していただくことがあります。それは今回の件において――貴女が我々に協力的な姿勢だと相手に思わせてしまうことです。貴女は我々に協力し、その流れで席を置くことになったのだと……そう相手に印象付けることになります」

「彼を殺すことにわたしが協力した。って?」

「……私から明言することはありませんが、婉曲にそう伝えることになってしまうでしょう」

 

 それもまた疑うことの出来ない清らかな瞳で言われるものだから、不機嫌そうに息を吐くのもはばかられて、更に機嫌が傾いていく。

 とんだ背信だ。彼だけに従事してきたこの四年は建前上、彼を陥れるための四年に変貌するらしい。

 暴かれない真実と分かっている少女は、それだけで断る理由に足ると感じる。それが最後まで、彼を――唯一の居場所でいてくれた出葉甲斐を裏切らないことに繋がるのだろう、と。

 しかしながら、片隅には正反対の誠意も説得力を強くしていく。

 喫茶店を営業していた彼が客に見える笑顔は、まだ色褪せずに残っている。裏の日常があったところで、表の日常が嘘になることはない。同様に、彼の笑顔も偽りではないと、少女は信じている。

 ならば店を存続させ、出葉甲斐の痕跡を守っていくことが、彼に報いる唯一の選択なのではないか。

 こうなれば抵抗感なんて些事なもの。

 どちらの選択が出葉と、それに準じた自分を曲げないことになるのか、それだけを指針に舵を切る。

 

「決めるならもう一度、帰ってから決めたい」

「……分かりました。申し訳ありませんが、道中は」

「分かってる。着いたら一人にして。それだけで……いいから」

「すみません」

 

 飛鳥井が逃げることなんて無いと日鷹には分かり切っている。だがそこで責任の保持をおろそかにすることは、むしろ責任の放棄に繋がってしまう。

 心苦しい同行の提案だったが、心を決めた少女には理解の及ぶ話だった。

 二人は席を立ち、最終盤へ向かう。

 

 

――――――――――

 

 

 日鷹が先んじて獅子倉邸の扉を開く。外は既に薄暗く、辺りでは鞄を背負った子供が下校していた。

 のどかな一日の終わりを予感させる景色に、二人も騒動の終わりをおぼろげに予感した。

 悲劇も幕を下ろし、数多の選択も今晩で終わりを迎える。

 ただ一つ足りていないとすれば――その少年だった。

 

「……桑野さん」

 

 家の塀にもたれ掛かるようにして、桑野が二人を待ち受けている。

 飛鳥井には警戒が、日鷹には困惑が色濃く浮かんでいた。

 

「これから店に向かうんだろ? ……飛鳥井と話したいことがあるんだ。俺に任せてくれねえか、日鷹サン。飛鳥井も――頼む」

「私は、構いません、が……」

 

 今の二人を、二人のままにしていいのか。

 桑野に怨嗟の色は見えないが、それも少年が包み隠しているだけかもしれない。日鷹にとって人間は推し量れないことが多すぎる。何をもってして責任を負うと言えるのか、ここで躓いてしまった。

 言葉尻を濁して、つい飛鳥井の判断に甘んじる。というのも彼女ならば断るだろうという楽観があった。

 飛鳥井にとって、桑野はただのエージェントにすぎない。ここで重んじるべき人物ではないと少女は判断を下すはずだ、と。

 一晩のうちに飛鳥井の家族を調べ上げた日鷹も、教室という繋がりしかない二人の関係までは分からない。日鷹の期待にも似た思惑は裏切られることとなる。

 

「分かった」

「――ありがとう」

 

 並々ならぬやり取り、選択が、少年少女の行く先にあるのだと、日鷹は直感する。

 彼が言葉を素直に告げるのは、そのまま感情を表に出したいから。今の言葉もそれに倣うものなら――信じることが、桑野をここまで導いた自分の責任だろう。

 日鷹を置き去りに、飛鳥井は先へ進む。

 自分を待つことはないだろうと桑野もすぐに動き出し始めた。

 

「桑野さん」

「ん……」

「彼女をよろしくお願いします」

 

 振り返った少年の目に、正々堂々と頭を下げる日鷹の姿が映る。

 初めは驚きを見せたものの、すぐに平静を取り戻した。

 あの部屋での話はここじゃない。それは分かっている。だからこそ、ただちに足を進める。

 

「おう」

 

 

「それで、何」

「あー……」

 

 歩き出してから五分。早歩きの飛鳥井と、それについて行く桑野のペースでは、あと十五分掛かるかどうか。

 話す事は決まっていたつもりだったが、いざ彼女を見ると全てが真っ白になってしまった。

 もう店に着いたら重要なものだけを口に出そうかと考えていたものの、流石に二十分間隣り合ってだんまりは耐えられなかったらしい。

 平静なら関係性も相まって、別段飛鳥井も気に留めなかっただろう。

 しかし何かが纏まりそうなところで介入してきた桑野悠大へ、焦燥のようなものを感じていた。

 店の残骸に辿り着いて、密やかに決断を済ます……それじゃあ許されないらしい。なら思う存分迎え撃ってやろうと彼女は腹を決める。

 

「あの人からなんて言われた? つか、あの後……」

「その『あの人』に聞けばいいでしょ。――UGNのこと、あと彼を殺すのは仕方なかったことを念押しされたよ」

 

 意地が悪い、と桑野は思う。無論受け止めるつもりではあったが、この状況で肝心な会話をする気は双方にない。

 反撃を考慮していない皮肉に思わず閉口する。

 

「あとは、『我々の集団に属せ』だって」

「我々……UGNか?」

「その中にも色んなチームがあるんでしょ。わたしはその……あの人が率いるチームに入れってさ」

「マジか。なんでそうなんだよ」

 

 流石に読めない展開で、驚愕をさらけ出したまま詳細を促す。

 飛鳥井も場つなぎとしては充分だと考え、やや皮肉を織り交ぜながら説明をした。

 桑野としては、一つの話題を深く繋げていく方が変な探り合いにならなくて済む、そんな打算的な側面に応じた展開でもあった。

 

「それで、実際に見て決めるってことか」

「そうだけどさ……あんたどんな気持ちで横歩いてるの」

 

 皮肉――ではない。骨まで射抜く鋭い感情が桑野に突き刺さる。

 答えて当然の問い。躊躇って当然の問い。

 あれから間もなく意識を落とした桑野だが、飛鳥井は明確に少年の発言を覚えている。発言がなくとも、まだこれまで通りの友達でいられるなどと、そこまで面の皮が厚い隣人だとは信じたくもない話だった。

 

「しんどいよ」

「……」

 

 視線は紺色に浮かぶ遠い星々へ。夕日は背後に過ぎ去って、二人が往く道は既に夜めいている。

 湿り気を帯びた少年の声を聞いた飛鳥井は、鋭敏な感情が奔出するよりも先んじて、意外さを宿した。今まで隣で、向かい合って見た笑顔が全て虚勢のように思えるような、寂しげな響きだった。

 桑野の行ないを糾弾しようにも、火薬の湿った拳銃みたく、少年の悲哀が胸に染み入る。

 今までに咲かせていた笑顔がハリボテで、寂しげに口角を上げる桑野こそが本物。そう思えればどれほど良かったか。

 どちらも嘘偽りない感情が見せるものだと実感している。真実の喜びを表現していた顔が、ありのままに憂いを浮かべている。

 自分の感情に疑いを抱いたのは間違いないと少女は自認する。鋭く熱された怒りが諫められている、と。しかしながら、目に見えぬ落涙が飛鳥井の激情に浸水し、全て包み込めるほどの包容力が桑野にあるかと問われれば、お互いに理解している――そんなことは断じてない。

 憂いを抱きしめ合い、もつれ(・・・)ほつれ(・・・)も受容する。悲壮ながらも理想な選択が選べないのは、少年少女の幼さに由来する。

 二人に存在する『大人』が欠けたばっかりの今、最も遠き道ですらあった。

 

「でもよ」

 

 大人な選択は最良なのか。答えの出ない問いが許されるのもまた、幼さ故だろう。

 今すぐ正しくなる決断ではなくとも、未来が残っている者だからこそ。

 それこそ若さから逸脱した鷹揚な視点だが、少年に与えられた大人の破片がそこに行き付かせてくれた。元々芽生えていた最良への追求が、時効となる前に背中を押される。

 火付けの済んだ少年の瞳に、悲哀と手を繋いだ――希望の光が在る。

 

「しんどいうちに腹割ろうぜ。切って終わらせるんじゃない、続けさせるためにさ。今しか出来ないだろ」

「必要ある? ないよ、まさか水に流して一緒にお弁当食べましょうなんて、言わないでしょ」

「水に流せなんて言わねえよ。つか、水に流す気なのは……」

 

 お前だろ、と言い掛けた口を強く閉じる。逆流する不浄を押し流すように、胸を刺す危機感が咄嗟にそうさせた。

 争いたくはない、責めたくなんてない。人を恨まずに生きていられたら、どんなに幸せだろうかと夢にも見る。

 だからその言葉はうっかりで放つわけにいかない。例え飛鳥井がその先を分かっていても、形式を重んじるのは不器用な桑野に出来る誠意表明の数少ない手段だ。

 

「いや……飯を一緒に食うのは、学校じゃなくてもさ」

 

 言葉を止めても感情は止まらない。口先だけで発した言葉は静かな黄昏によく通るものだったが、取り留めのない内容に飛鳥井は首をわずかに捻った。

 口を結んで。首を傾げて。それでも続かないやり取り。

 それは終点が姿を現したからだ。

 二人の導き手が潰えた戦跡は、組織の介入もあって見られる状態にはなっている。立ち入り禁止の線引きが虚しいもので、やはり跡地でしかない惨状。

 同級生、仇、怨敵、その曖昧な関係にはどれも相応しくないように思える言葉。だがこの場をもってして、二人の関係に名前が付く。白黒はっきりと、正々堂々道を違えることが出来る。少女は憧れるように、そのような孤愁を抱いた。

 少年少女が闇に溶ける。

 店内の有様は事件性を取り払っただけに過ぎず、あちこちが蹂躙されているままだ。

 光の刺さない『鳥の巣』で、彼らは告解を交える。

 

「俺はここで、俺の師匠と……飛鳥井の大切な人を殺した、この手で殺した。あの時のでまかせじゃない」

 

 感情を押し潰したように聞こえるのは、少年の姿が闇に包まれているせいだろうか。

 そんなことはないだろう。白昼であればむしろ憐れでならない。

 しかし桑野の内心がどうなっていようとも、逆鱗に触れられた飛鳥井の知った都合ではなかった。

 

「な、んで……わざわざ、そんなこと言うかなぁっ!?」

 

 今にも掴みかかる覇気を、店の残骸に蔓延る停滞した闇が妨げる。

 

「自分だけスッキリしたいわけ!? 懺悔するならあの女にでもしてよ、それを言ってわたしにっ……わたしが、何をするって? 何も出来ない、生き返らない、巻き戻ることなんてないの!」

 

 佳境に急転直下した彼らへ、幸運なことに介入は起きない。

 物見珍しい野次馬は後処理の段階で払われている。向こう数日は近付く影もないだろう。

 濃密な闇が観測する中、怒気を孕んだのは少女に留まらない。分かっていたことだが、いざこの場面になると利口な選択は出来ないように思う。それでも少年は拳を握り締め、欺瞞も上面も砕き潰した。

 

「そりゃあそうだろ! 何もしなかった奴が被害者ぶってんじゃねぇ!」

「……っ! 開き直るあんたは人殺しでしょ、それも横やりを入れて全部壊したっていう!」

「あぁそうだよ初めてぶっ殺したよ、なァ!? てめぇの不始末を拭ってやったんだよ、あの男を止めなかったのも知らぬ存ぜぬで逃げんのかテメェは!」

 

 さっきまではこうなるまいと誓っていたのに、怒りへ身を投じた途端これだ。

 滞りなく飛鳥井への憤懣が湧き出る。一線を越えるどころの問題じゃない。闇が晴れた時にどうなってしまうのか、恐くてたまらない。

 恐くて――恐怖を抱いて死んだ師匠も、このような恐れを抱えていたのだろうか。そのまま、逝ったのだろうか。

 なんて報われない。もしかしたら自分も恐怖が後悔に成り代わって、心の不燃物として鎮座してしまうのかもしれない。

 違う、そうならないための。そうさせないための今だ。

 

「恩人だか知らねえけど、人殺して理性失ってバケモンになって――それを殺すのがどれくらいおかしいか、考えても見ろよ」

「間違ってるなんて、おかしいだなんて思ってない、言ってない。そういう正しさがあるのは分かってる」

 

 大きく一呼吸を挟む飛鳥井。日を跨いでまで激昂の連続を繰り広げた彼女だが、勿論そのような経験は過去に一度としてない。いつオーバーフローした感情が途切れて、全てを投げだしてもおかしくない状態にある。

 自ら出でる感情に苛まれ続けても、尚こうして声高らかに対立出来るのは、ひとえに出葉甲斐への想いに尽きるだろう。

 

「でもわたしは、彼の望むように居れればそれでよかった。……正しさを否定したいんじゃない、あの人をただ肯定していたかっただけ。分かる? もう、あんたなんてどうでもいいの。どうでもいいから、間違ってるとか正しいとかを話したいなら他を当たって」

「端からどうでもいいんだよそんなこと、俺だって。じゃあなんだ、俺も飛鳥井も大切な人が奪われた怒りを、ずっと自分(テメェ)で慰めろってか! んなもん出来るかよ。それをせずに、お前が生きてられるわけねえだろ」

「っ、わたしの何を知ってるの! 全部あんたの都合じゃんか、自分がスッキリしたいだけなのにわたしを巻き込んで、それまでわたしのせいにするわけ!?」

 

 この場における正しさなんて言葉はとうに形骸化している。

 討論ではない。激情という波だけで、自体を収束に向かわせる無謀な船旅。

 

「んじゃ逃げんのかよ、拾えるもんやり直せるもん全てほっぽり出して拗ねたまま生きるってか、それとも後追って死ぬか!? 馬鹿らしいぜそんなもん!」

「それこそわたしの都合、桑野には一切関係ないでしょ!」

 

 一年にも満たない関係をさも大事そうに突きつけることは出来なかった。飛鳥井との友情はそれほどまでに神格化出来るものだろうか? 否、がんじがらめにいた彼女の近しい居場所を取りながら、何一つ踏み込まなかった自分が、出葉甲斐を変えなかった飛鳥井に説く道理など存在しない。

 道理の存在しない言葉での殴り合い、瘡蓋を暴いて、柔く青い心に腫れを作り出す悲惨な儀式。

 

「だとして、じゃあなんで取り合ってんだよ、思うところがあるってのまで否定すんのか」

 

 生まれた間隙に乗じて桑野は板を軋ませ前進する。

 暗闇でも、これほど声を張っていれば嫌でも場所が分かる。

 

「中途半端なんて許さねえ、絶対に許さねえ! 俺ァ師匠まで殺してまで……テメェの男を殺した責任を貫いたんだ、良い奴だったってのに! 全部自分が悪いで済ますんならお望み通りぶっ殺してやる、本当に悪だと思ってんなら……アイツを裁いた右腕で、テメェも殺す、何度でも死ぬまで殺してやるよ――ッ!」

 

 勢いよく胸ぐらを掴んで持ち上げる。少女の体躯らしい軽さに気味悪さすら感じて、答えを待たず投げ飛ばしてしまいそうになるが、違う、暴力に溺れたいのではない。殺すと息巻いたって、絶対に殺したくはない。

 貫くべき道理を貫くのは、出葉を殺した者の――役を奪った身として当然の帰結だと思っている。

 飛鳥井の選択に諦めを排斥する。余計なお世話だと誰もが言うはずだ。それでも、俺の腕が紅く染まったというのに――飛鳥井萌花は、未だ自分で決断を済ませていない。

 

「なん、なの……!」

 

 暗がりに適応した目が、至近に迫った少年の表情を映す。

 憤り尽くした彼を、いったい何が突き動かしているのか。――ここまでの激情に、少女は他意を感じてしまう。

 つまるところ飛鳥井に前を向かせたいという他意が満ちていて、正確に感じ取った飛鳥井は恐るべき直感が働いているのだが、しかし答え合わせは無論ない。

 絞り出した声に動じず、自らを仰ぐ桑野の覇気。人を引き裂いた腕で自分の身体が持ち上げられている状態でも、飛鳥井に死の恐怖はやってこなかった。

 癪ながらも、桑野から持ち出された問いを偽りなく答えることに大方の集中を割いている。

 自分は何を貫く。生きるのか死ぬのか……前向きに生き足掻くか、後ろ向きに笑い死ぬか。

 ここに来て死が甘美なもののように思えてくる。出葉と同じく獣に引き裂かれ、道化じみた生涯を終えるというのも悪くない。桑野の覚悟に殉教してやってもいいと、そうも思う。

 

「ここに来て別れでも告げる気だったか……? 生きるならいくらでも写真を見りゃ良い、面影を好きなだけ探してみろ。でも、生きる理由がねえなら、俺は今すぐに、でも――っ!」

 

 少年の右腕が、飛鳥井を持ち上げたまま震える。それが怒りに由来するのか、それとも手に掛ける恐ろしさに怖じけているのか。桑野は最大限に強がり、両方だとでも答えるだろう。

 

「決めろ。俺を赦して殺されちまうのか? ……俺を許さない為に、あいつを庇う為に、繋ぐために――」

「もういい」

 

 傷一つない柔肌が桑野の手首を包む。

 冷たく言い放った飛鳥井から、思いがけず手首ではなく心臓が握り包まれたような錯覚を感じてしまう。狼狽を誤魔化すにも暗闇は丁度良かった、固く唾を飲み込んで、飛鳥井の宣告を待つ。

 処刑人か、罪人か。欺瞞に満ち溢れた二つの道を自分はどう辿るのか。

 

「痛々しくて、見てらんないっての……!」

「なん――」

「心配せずとも、わたしはあんたを許さない。殺されるわけもない」

 

 痛憤の覚めるところ、身体に満ちるレネゲイドウィルスが明らかに高ぶっていると気付く。

 頭がジワジワと痛み始める。訥々と語り始める飛鳥井だが、桑野の悩む身体の異常は少女そっちのけに開拓を実行していった。

 桑野の視界がやけに鮮やかなものへ変わっていく。太陽が昇ったのだと勘違いしそうな世界の輝度だった。

 少女の表情が、今なら鮮明に見える。

 目元に皺の寄った、憐憫と拒絶の顔が、白昼の最中のように映った。

 

「そんなに、敵になりたいわけ。わたしは許さないけど、好きで嫌いになりたいつもりじゃないよ。……どんなに正当化しても、彼を殺したことの意味は絶対に変えないけどさ」

「……敵になりたかったら、こうしてる間に殺してんだろ」

 

 恨みがましい言い方を交えて、飛鳥井を地上に開放する。完全に負け惜しみの面目をなぞっていて、飛鳥井はいっそう顔をしかめる。

 どこまで桑野の考えを理解したかといえば、そこは直前まで感情を発散していた傷心の少女。違和感を指摘しただけの瞬間が、偶然的確に桑野の足を取った形だ。

 偶然だろうと思慮を暴けたのなら、口を止めることなく追撃していく。

 

「敵になるってそういう意味じゃないでしょ。殺したくなんかないくせに、殺す、殺すって――よっぽど簡単になっちゃったんだね。人を殺すの」

「テメェ――ッ!」

 

 今度は胸ぐらではなく、直接首を鷲掴む。毅然に言い放った飛鳥井もたまらず苦悶の声を漏らし、勢いのまま倒れ込む形と相成った。

 意図せず反転する立場。感情のまま、情け容赦なく相手の首に力を入れ込むのまで、そっくりそのまま悲劇をなぞる。

 

「俺が――俺が好きで殺すわけ、ねえだろうが……っ」

 

 否、悲劇というには目も当てられない。初めは柄でも握り込むような力に悶えた少女だが、急激に緩まる握力に震える声が続き、少女の呼吸は段々と研ぎ澄まされていく。

 飛鳥井萌花を生かす目的、覚悟を十全に備えた桑野だが、しかし今でも、今でこそ手を汚した重みが圧し掛かる。

 殺したくない。また笑い合いたい。慕情に綻ぶ横顔を見て安心したい。めいっぱい抱えた暖かな理想を、生暖かい血肉が上書きしては嘲笑う。

 飛鳥井の冷え気味な首筋ですら、触るのがおぞましいと感じてくる。

 

「けどよ、殺した責任は貫かなきゃなんねえよ。二人共……遺言一つ聞いてねえまま、我が身可愛さに殺したようなもんだ」

 

 感情の噴出が締めくくられると、店内に吹き込む涼風に気付く。完全に塞がっていない壁を飄々と通る三月の夜風は、頭を冷やすのにも丁度いい。それはそれは余計なほど。

 

「なら飛鳥井、お前も……お前のことは、曖昧にしちゃいけねぇって思ったんだよ」

「だからって……そんなきれいごとっぽく締めてもさぁ」

「分かってる、俺のエゴだ。分かってんだ。けど、けどよ……!」

 

 月光通さぬ木片だらけの店内は、相変わらず薄暗い。押し倒した状態から変わらない今、飛鳥井からは胸上以上がよく見えない。顔色一つ伺えないはずだった。

 実際のところ、口元もそれより下も飛鳥井にはよく見えない。ただ一つ、例外的によく見える場所があった。

 淡く光を放つ、青白い瞳だった。

 感情の高ぶりが力を引き出した桑野は、不吉さを感じる紅色の瞳から一変、静けさのある月じみた瞳で少女を見下ろしている。その大きな虹彩が歪に細まり、今にも泣き出しそうな目をしていた。

 目を背けることも、暗闇を口実にすることも出来ない。

 

「もういいよ。何度でも言うけど、わたしは許さない。理解を示してあげたって、そこは譲らない。……それだけで、いいよ」

「……」

「あんたにこれ以上、言いがかりを付けられたってかなわないし」

 

 伏し目がちに視線を逸らす少女を見て、ようやく明確な安堵感が桑野の胸を抱いた。

 名前の付いた決別を果たすものだと思っていた飛鳥井だったが、その実、薄暗がりに引っ張られてしまったのか、曖昧な二人の距離は曖昧なまま右往左往と定まらない。

 

「でも、あんたたちのチームが嫌になったらもうおしまい。そうじゃなくても、わたしたちは、前みたいな友達には戻れない。戻りたくない」

「あぁ。――あぁ分かってる」

 

 いい加減組み敷いている体勢から離れようと立ち上がる桑野。最中クラりと頭が揺れるが、もう何が原因なのか彼には判断がつかない。

 

「俺もさ、正直」

「うん」

 

 テーブルだったもの、椅子だったものを支えにして、二人は声のする方角から顔を逸らす。暗闇と、わずかに確認できる死闘の痕跡をぼんやりと眺めては、肌寒さに気付いて身震いを起こす。

 

「許したくないというか、責める気持ちは強くあるんだ。だって飛鳥井が止めてくれりゃ、アイツも力を使いすぎることも無かったんだ。それがなけりゃ、師匠までジャームになる必要はなかったんだ」

「責める気持ちはない。でもやっぱり、わたしは彼を殺したあんたを許したくない。わたしを遠ざけたのも許せない、わたしは彼の最期を見てあげたかった。独りにはさせたくなかった」

 

 独白ですらあった。

 間違いなく共有していたのは、相手に聞かせるという意識。更には、謝罪なんて以ての外。

 どちらも悪く、憎らしくも思っている。ただ自分の行ないに後悔がない二人にとって、それを上塗りしてしまう言葉は絶対に紡げない。

 決別だった。

 肩を預け合い息を休める、木陰のような日常への惜別を乗せて、二人は面影に別れを告げる。決意から始まる、この場にいない者への弔意を。

 

 

――――――――――

 

 

 思いもよらぬ壮絶な語りが終わり、『少年』は喉の渇きに気が付く。結露の実ったお冷も、温かさを失ったマグカップも、なみなみと液体が溜まっている。

 飛鳥井さんに申し訳ないことをした――そう思いながら、少年、小羽(こば)大成(たいせい)はマグカップに入った冷たいカフェオレを喉に注ぐ。

 あらゆる出来事、感情を精密に語らったわけではない桑野は、少々機械的すぎたかと小羽の緊張した表情を見る。

 

「まァ、俺と飛鳥井は首を絞め合った仲ってわけよ」

「それ言う必要なくない!?」

 

 丁度背後の席を台拭きしていた飛鳥井が、肘で桑野の後頭部をどつく。

 閉店際の『鳥の巣』にはチームのメンバーしか居なかった。

 割としっかり力の入った肘打ちに頭をさすりながら、出来る限り軽く締めくくる。実際のところ、飛鳥井も思うところがあってややおどけたやり取りに興じたのだろう。桑野の脳細胞は考慮に入れず。

 嘘はない。創設メンバーに五人目が居たこと、『鳥の巣』が大事な場所だということ、確執の残る面々がいること。

 それらを語っても飽き足らず、喋りたくない真実は伏せている。未だ胸の中にある悔悟のこと、同級生と名前がついた飛鳥井との関係のこと、宵闇に乗せた決別のこと。

 きっと飛鳥井は構わないのかもしれないが、言う必要はない――覚悟を持って過去を聞いた後輩に、言わずとも不誠実にはならないだろう、と桑野は思った。

 

「ありがとう、ございました」

 

 小芝居じみたやり取りが挟まっても、少年は沈痛な面持ちだ。

 助け船がてら、もう少し喋り役を担ってもいいだろうと『青年』は思う。

 

「アイツらは良かったのか、聞かせなくて」

「ハスカップとクランベリーのことっすね」

「そうだ。よっぽど気が向いた時でもなけりゃ、俺がこの話するってのは無いぞ。勿論飛鳥井からもな」

 

 耳を傾ける飛鳥井だが、特段反応は見せない。

 

「いいんです。二人はまだ、自分と互いのことで精一杯だと思うんで」

 

 聞けば、奴らも確執のある二人だという――ハスカップ・ブラッドクォーツ、クランベリー。

 今でこそ他人に話せるくらいの時間が経ったわけだが、桑野も飛鳥井も、その仲が快癒したとは到底言えない。

 当時のことを考えれば『鳥の巣』へ足を運べているだけ奇跡のようなものだが、ここでアドバイスじみた発言が出来る程、快い関係を取り戻したとは言い難い。客と店長という関係が一時結ばれても、二人の視線が上手く交わる時は数少ないものだ。

 ここは一つ、後輩である小羽にならって大事な会話をする時間を取ってもいいのかもしれない。いまいち、どう変わるのが善い変化なのかは分からないが。

 大人らしく答えるのはまだまだ先の話。苦し紛れに後輩へ相槌を打っておく。

 

「そか。まぁ頑張れよ」

「っす。……ところで、組織の名前はどっから来たんすか? てっきり出てくるもんだと」

「あーそれなぁ、忘れてたっつーか話すタイミングなかったな」

 

 一度、胸の中にある何かを抱き締める。慈しむ。

 口振りの割に、これを言いたくてたまらなかったんじゃないか、自分は。そう思ってしまい、つい桑野は顔をほころばせる。

 

「変な奴が人並み程度の環境。それを願って師匠は――『烏合』って名付けたんだ」

 

 

 結果的に、あれが最善だったとは言いたくない。手酷い喧嘩、気まずい終幕を挙げた過去は、もっと選択肢があったように思う。

 言葉一つ変われば、もっと近い距離にいるような。

 ――あれから一度も、あの件を詫びたことはない。お互いに。

 もしかしたら、飛鳥井との関係に名前を付けるなら……喧嘩真っ最中、くらいなものなのかもしれない。今だけは楽観的に、そう思い込む青年だった。




烏合結成秘話、これにて終幕です。ありがとうございました。

次からはまた、別の烏合構成員の話をゆっくりを挙げていきます。
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