古聖堂の一室で、聖園ミカは数名のアリウス生徒から報告を受けていた。
「さっき言った通りだ。我々は百合園セイアのヘイローの破壊に成功した」
「こっちもさっきから聞いてる通りだよね? ヘイローの破壊ってどういうこと? そんなこと頼んでないよね?」
「……お前はトリニティ側からの協力者だと聞いている。我々には我々の目的がある。お前がそうであるようにな。そのために、必要なことは必ず実行する」
「ふーん?」
聖園ミカの雰囲気が変わったことをアリウス生徒の1人が感じ取り、すぐさま胸部装甲の中の端末を操作した。ミカには分からないが、救援要請だった。
「じゃあ、もう終わりかもね!」
言うが早いか、目の前の生徒に向けてサブマシンガンが放たれる。聖園ミカの特級の神秘が威力に乗ったサブマシンガンは、口径にかかわらず極めて強力だ。
その場にいたアリウス生徒のうち、ミカと直接会話していた1人は、胸に何発も被弾し、瞬く間に気絶した。
残りの何人かは、古聖堂内に並んでいる長椅子にすぐさま身を隠した。
「バード2より至急! 聖園ミカが態度を急変した! 至急応え、ぐあっ!」
静かな古聖堂内で通信していれば、大声でなくとも居場所の目星がつく。周辺の長椅子もろともミカのサブマシンガンの餌食になった。
「後一人だったっけ? 2人? 君たちって姿がそっくりで区別つかないんだよね。まあ、もう関係ないけどね☆」
周囲を威圧しながらも、サブマシンガンのリロードをするミカ。長椅子の陰に隠れたアリウス生徒は、口に手を当ててわずかな吐息すらも漏れないように震えていた。
(だ、大丈夫だ。さっき救援要請のコードも送ったし、バード2の不自然な通信切断も伝わっているはず。この辺りには小隊規模のメンバーが集まっている。いくら聖園ミカとは言え、その数相手なら)
「後1人はどこかな?」
聖園ミカがやたらめったらに長椅子を破壊し出した。あまり気の長い方ではないらしい。隠れているアリウス生徒の隣の長椅子がサブマシンガンの掃射により粉々になった。
思わず声が漏れそうになったのを必死で堪えた。
(お、おち、落ち着け。今の私の仕事は、聖園ミカをこの場に留めることだ。みんなが来てくれれば、絶対なんとかなる)
長椅子だけでなく、古聖堂のステージの方や人がいるはずがないステンドグラスにまで掃射を始めるミカ。時折発射音が止まるのは、リロードしているだけだろう。臆病なアリウス生徒は、顔を出して確認しようという気にはとてもなれなかった。この"嵐"が、早く去ってくれるように祈るだけだ。
(た、頼む……! みんな、早く来てくれ……! くそ、こんなことならトイレに行っておけば良かった)
あまりの恐怖から、下半身から乙女の純情が漏れそうになるのすら自覚しつつ、みんなが来るのを待っていると、キィィィン……という甲高い音が響いた。
(な、なんだ。古聖堂に遺物でも置かれていたのか? それを聖園ミカの射撃が破壊したのか? )
「あのさ〜、きゃっ!?」
何かを言おうとしたミカが小さな声を上げて、それきり静かになる。
サブマシンガンの射撃が止むと、これほど静かだったのかと思わされるほど静謐な雰囲気が古聖堂に戻ってきた。
おそるおそる、アリウス生徒が顔を出してミカの方を見ると……、
そこに、ミカはいなかった。
「え?」
思わず立ち上がり、ミカのいた……より正確には、サブマシンガンの音がしていたあたりまで歩き、周囲を確認する。空薬莢が落ちている。口径からして、聖園ミカのもので間違いないだろう。
それ以外には、何もない。髪の一本すら落ちていない。
「……は?」
どこにもいなかった。呆然と立ち尽くしていると、古聖堂後方の小さな扉が静かに開いていくのが見えた。チャーリーチームだ。この辺りに展開されていた小隊。彼らも、最初は身を隠しながらゆっくりと中の確認をしていたようだったが、すぐに困惑しながら入室してきた。
「バード3? 1人か? 聖園ミカは?」
チャーリーチームのリーダーが尋ねる。数人の生徒が一応、といった様子で、あるいは当惑しながらも部屋で立ち尽くしていたアリウス生に銃を向けている。アリウス生徒はすぐさま両手を上げた。
「わ、分かりません……。チャーリーチームが来る直前に何か甲高い音がしたと思ったら……、消えてたんです。ほ、本当ですよ! ここに聖園ミカの空薬莢もあります! さっきまで戦闘してたんです!」
リーダーの生徒が寄ってきて、地面にばら撒かれた薬莢を一つ拾った。まだ少し暖かい。
「確かに、これはトリニティで制式採用されているサブマシンガンのものだし、温度からして、つい先ほど発射されたもののようだ」
リーダーがハンドサインをして、後方で銃を構えていた生徒が銃を下ろした。やはり皆、困惑顔だ。
「バード1が正面のあの辺りに、バード2が後方右手のあの辺りに倒れているはずです」
「そうか。話を聞いてみよう」
気絶していた生徒たちを起こし、彼女たちとも状況を確認したが、これまでの認識と変わることはなかった。
つまり聖園ミカは、いかなる方法によってか、突然消えたのだ。
そしてそれは、おそらく聖園ミカ本人も予期していなかったことらしい。
しばらく全員で周囲を確認したが、これといって特筆すべきものも見当たらず、詳細は不明のままだった。
結局、小隊員の1人が言った、
「もうこれ以上なんも見つからなくないですか? 聖園ミカとの交渉は決裂したけど、小隊で撃退したってことにしましょうよ〜」
という案が採用された。
各自幾らかの弾薬を消費し、その内容で教官およびマダムに報告することになった。
古聖堂の後方の扉から1人、また1人とアリウス生徒が出ていく。最後の1人がもう一度だけ中を確認して、異常がないことを確認し、外に出て扉を閉めた。
古聖堂の外から微かに聞こえていた小隊が歩く音や多少のおしゃべりの声も聞こえなくなる。再び、耳鳴りがしそうなほどの静寂が古聖堂内に帰ってきた。
その頃を見計らって、低い地鳴りのような音と共に、暗い雲が聖園ミカのいたあたりに生成された。
『そろそろ良さそうか。ほら』
「きゃっ! もう、乱暴なんですけどー。それにあんなの何十人いたって、私の相手にはならないんだけど」
『私が困るんだよ。私は腹に穴の空いたエーテル体だぞ? 少しは労わってもらってもバチは当たらないと思うがね』
モヤの中から、2人の人間が現れた。1人はトリニティの生徒会を束ねる生徒会長の1人であり、「パテル分派」の派閥長でもある聖園ミカだ。
そしてもう1人は、簡素な黒いローブをまとった男だった。髪は黒いが、前髪は一房だけ白い。全体的に青っぽく半透明で、腹部は何か大きなものが貫通したのか、穴が空いている。幽霊のような存在なのだろうか?
奇跡的に無事だった近くの長椅子に腰掛け、ミカが悠然と尋ねた。
「じゃあその、打開案、ってのを聞かせてもらおうかな。エメちゃん?」
『……エーテル供給源の確保を忘れるなよ。暗躍は得意ではないが、一日の長があると思ってもらおう』
彼は、エメトセルク。かつて、世界を
☆
話は少しだけ遡る。ミカが意図せず起動させたのは、エメトセルクの世界でエーテライトと呼ばれる、転移に使われる結晶だったらしい。それが、どういうわけかキヴォトスに流れ着いて、エーテルを放っているのを何らかの神秘を持っているとされて古聖堂に祀られていたようだ。
転移魔法は極めて高度な魔法であり、いくつかの条件やコストを無視して発動できるようなものではない。
しかし、流れ着いていたのはよくある転移魔法が確立される前の研究中のエーテライトだったようで、経年劣化もあり少し不安定だったらしい。また、一風変わったアプローチで転移を実現するものだった。
それはある地点からある地点へのワームホールとして、一時、
そのせいで死んだはずの自分と接触できたのだ、とエメトセルクは言った。
つまり、ここは冥界。物質だったものがエネルギーへと変化する場所。現世である物質界とは隔絶している。
「え、じゃあ、私、死んじゃったの?」
「話を最後まで聞け。エーテルに詳しい私なら、お前を元の世界に戻してやれるだろう」
古式エーテライトはミカの神秘が込められた銃弾によって、奇跡的に術式を発動させるに至った。しかし、エーテル学に造詣のあるエメトセルクがいれば、奇跡などに頼らずとも確実に転移できるのだ。
「……ただし、条件がある。お前がいま破壊したのと似たようなエーテル供給源を、いくつか集めてくれ」
この時点ですでに、ミカはエメトセルクにも何か目的があることを察していた。いきなり用もなく話しかけてくる人物は稀だし、エメトセルクの顔からは確かな意思が感じられたからだった。遊びや趣味のために呑気に話しかけてきたわけではなさそうだった。
「……それくらいならいいけど、私、エーテルっていうのが、どんなものかは全然知らないよ?」
「おそらく近付けば、私の方で分かるはずだから心配はいらない。お前はそれを渡してくれればいい」
「ああ……でもなー。私いまちょっと困っててさ。着いてくるなら、力を貸してくれない?」
エメトセルクは眉を顰めてミカを見た。ただの少女と思って侮っていた自分を内心で恥じた。まんまと先に要求を口にしてしまった。
着いていくとは一言も言っていないのに、状況から"どうにかして
(まあ、これまで通り私は暗躍することになるわけだし……矢面に立たせる存在の頭が回るのは悪くはない、か? )
「案外図々しいな……。私が協力しなかったら、ここから出られないんだぞ?」
「私が協力しなかったら、あなたもここから出られないんでしょ? それに私、こう見えて結構強いよ?」
「……はあ、分かった分かった。ここは共闘作戦で行こうじゃないか。私はお前に取り憑くような形になるだろうから、お前が問題を抱えているなら、それを解決して自由に動けた方が都合がいいのは間違いない」
肩をすくめてため息をつき、妥協した様子を見せるエメトセルクと、ニコリと笑うミカ。対照的ではあったが、お互いこれからの方針に関する相談の結果には満足しているようであった。
「交渉成立、だね。……私はミカ。聖園ミカ。あなたは?」
「私のことは、エメトセルクと呼べ」
「……ふーん? じゃあ、エメちゃんって呼ぶね☆」
「誰がエメちゃんだ……」
にこやかで楽しげなミカだったが、内心は複雑だった。この状況が異常であることには気がついている。彼本人が冥界、などと呼ぶ物騒な世界で、こちらとコミュニケーションを取ってくるような人物が、まともな存在だとは思えない。
死神か、悪魔か。
いかにも怪しげな大人。
キヴォトスでは子供だけが神秘を持つ。そのため、大人よりも子供の方が強い。その差を埋めるのが大人の策略だった。大人の策略に苦汁を飲まされる子供は多い。ミカ自身も、もしかしたらアリウスの子たちも、そうなるかもしれない。あるいはすでに、毒牙に掛かっているのかもしれない。
しかし。
(もし、この人が悪魔だとしても)
(それでも)
(私は、私の行動の責任を取る)
(セイアちゃんを、必ず助ける)
(そのためなら……)
☆
「じゃあ、エメちゃん。早速キヴォトスに戻してくれる?」
「いや、先に状況を聞かせてくれ。ここからお前の世界を探すのには少し時間がかかるはずだ。それまでの間に、打開案を練る。探すのはお前のエーテル……もとい、神秘を元に術式で行うから、それほど集中しなくて済むからな」
「……分かった」
深く息を吸って、ゆっくりと吐いてから、ミカは話し始めた。
まずは、学園都市キヴォトスと学校自治について。
自らの所属するトリニティ総合学園について。敵対するゲヘナ学園について。
その2校が結ぶ平和条約、エデン条約の締結に向けた動きについて。
隠された分校、アリウスについて。
アリウスとの接触と、自らの友人でもあり、トリニティの生徒会長でもある百合園セイアのヘイロー破壊について。
自らの失敗と、これからどうしようか、考えあぐねているということについて。
長い話だったが、エメトセルクは時折あいづちを打ったり、質問したりしながらも静かに内容を聞いていた。
ミカは、自分の内情をここまで話したことに驚きを隠せなかったようだった。
エメトセルクが"エーテル"とやらを使って自分が全て話してしまうような魔法でも使ったのかと思った。仮にそうだったとしても、抵抗できなかったし、全てを打ち明けて心理的にかなり楽になったことも自覚しており、糾弾する気にはなれなかった。
「……だから、これからどうしよう、って」
「大体、分かった。が、世界の特定が済んだから、先に転移する」
エメトセルクは手に小さなクリスタルをつくりだした。瞬く間にそれはペンダントに加工され、ミカに手渡された。
「これを身につけておけ。そのクリスタルがアンカーの役割をして、私がそちらの世界に行けるし、お前は向こうでも私の姿が見えるようになる。私はエーテル体だからな、他人からは見えないはずだ」
「……わーお」
ミカはそれを首につけた。クリスタルの色は深い青に近く、ミカのイメージからは少し離れているが、サイズが小さいためアクセントの範囲だろう。
「少し待て。アリウスとかいう奴らがお前を捜索していたようだ……。そろそろ良さそうか。ほら」
☆☆☆
(セイアさんが何者かに襲撃され、意識不明……)
(こんな状況なのに、ミカさんはどこかに行っていて連絡がつかない)
(まさか、ミカさんまで……? いや、ミカさんに限って、襲撃されてそのままやられる、ということはないでしょうか……)
桐藤ナギサはため息を吐きそうになったのを、ぐっと堪えた。少し、気分を変えた方がいいかもしれない。ペンを置き、書類に向かっていた顔をあげた。
執務室内の護衛の生徒がそれに気付き、自然と指示を待つ。
「少し、休憩にします」
「かしこまりました」
とにかく、一息つこう。
デスクの上を軽く片付け、他人に見られるとまずいいくつかの書類は鍵付きのキャビネットにしまう。小さな鍵しかついていないが、無理やり解錠すれば分かるようになっている。
もっとも、そもそもここまで侵入を許していればトリニティはおしまいだ。施錠はナギサの精神安定のため以上の効果はないと言える。
立ち上がり、執務室を出る。
執務室からテラスまでは、少し歩く。気分転換になるし、この間に護衛の生徒から別の生徒に連絡が行き、テラスに紅茶や菓子が準備される。
いつもはミカと話していたり、セイアとミカが言い合っているのを聞いていたりするが、今日は静かだ。
ティーパーティのメンバーはそれぞれ派閥の長である。そのため何かと席を空けることも多く、ナギサが1人で執務室にいる、ということも少なくない。
だからこの静寂は、よくあることなのだ。
よくあることのはずなのに、なぜだか無性に寂しく感じた。
テラスへの扉の前まで来ると、1人の生徒がテラステーブルのそばで誰かと談笑しているのが見えた。あの生徒はたしかパテル分派の子だ。その相手は扉の影になっていて見えないが、あと何歩か進めばすぐに見える……
「ミカさん。戻ってきていたのですか」
「やっ、ナギちゃん」
少し驚いた表情をするナギサに、ミカが小さく手を振る。心なしか足取りは軽くなり、すぐにテーブルに着く。もはや指定席となりつつある、メンバーそれぞれの席。
パテル分派の生徒はナギサの着席を見て、2人に一礼してから壁の方へ向かった。ここでの会話はオフレコ。生徒会長の3人以外は聞いてはならない。そういう暗黙の了解があるのだった。
ナギサがテーブルの上を見れば、お菓子はすでに用意されている。マカロン、チョコ、そしてロールケーキが今日のお菓子のようだった。
「こちらから何度も連絡をしたのに。一度くらいちゃんと返信していただきたいものですね、ミカさん」
「あ〜、ごめんね? 私も最近、忙しくってさ。エデン条約に向けて、ね」
「エデン条約ですか……」
ナギサはその話題を聞いて、思わずため息をついた。ああ、堪えていたのに、と頭のどこかで思った。先ほどの生徒が静かに紅茶を配膳して、すぐに去っていく。
紅茶の香りが漂ってくる。ナギサは少し疑問に思った。この時期のものとは思えないほど良い香りだったからだ。
紅茶には、いくつかのシーズンがある。茶葉の成長にしたがって、香りや味わいがどうしても変わってしまうからだ。
春先の若芽から作られるファーストフラッシュは、今は夏も終わりが近いのでなかなか手に入らない。
今回の茶葉も、よくある物のはずだった。
「気づいた?」
ミカがナギサを覗き込むようにして尋ねる。無邪気そうな顔だ。カップの中に目をやれば黄金色の紅茶がゆらゆらと水面を揺らしている。
「え、ええ、まあ……。とても良い茶葉のようですね」
ナギサは、これを手に入れるには自分でも多少の"影響力"や"説得力"を行使する必要があるはずだ、と思った。そのくらい、良い物だった。
ミカはその言葉が聞きたかったと言わんばかりにニコニコしている。
「……これを、ミカさんが?」
「もちろん! ナギちゃんにはいつも迷惑かけてるからさ、お返ししたいなーと思って!」
確かに、それには納得できる。
ミカはここのところ執務室にも来なかったし、連絡すらつかないこともままあった。セイアが入院している今、ティーパーティとしての決定をナギサだけで行うことも多かったし、パテル分派の書類を代行して決済することもあった。それ以前からも、ミカはイタズラ好きな側面もあり、ちょっとしたイタズラを味わうこともあった。
確かに、客観的に見てミカはナギサに迷惑をかけているだろう。
だが、それを自覚してこれほど殊勝な態度を取ることがあっただろうか?
「……何か、企んでいるのですか?」
「企むなんて! 私は本当に謝りたいだけなのに」
ミカは悲しげだが、口元は少し笑っているようにも見える。……また何かイタズラの仕掛けだろうか。
(……イタズラならむしろ、問題ありません。トリニティに裏切り者がいる可能性がある以上、ティーパーティとして団結して上から引き締めを行いたい考えもあります。……もし、ミカさんが)
その先を考えるのを、ナギサは努めて停止した。ミカを疑いたくない。少し気が立っていたとは言え、そう考えてしまった自分を内心で恥じた。
「なんか難しいこと考えてるね? ……私はこんなにナギちゃんのこと想ってるのになー」
ミカのカップに注がれた紅茶を、ミカがゆっくりと一口飲む。
(少なくとも、毒ではないようですね)
「ミカさんの普段の態度を省みてください。……まあ、紅茶に罪はありませんし、いただきます」
警戒しつつ口に入れた瞬間、舌に刺すような刺激が走る。
「うっ!? こ、これは! ……しょっっっっぱい!」
「あははははー!! ナギちゃん、引っかかった〜!」
しばしむせるナギサ。見かねた側付きの生徒が、グラスに入った水を持ってくる。すぐさまその水を飲むナギサ。
「も、申し訳ありません、ナギサ様。どうしてもというミカ様の言葉に逆らえず……」
「こほ、こほ、……いえ、ごほ、あなたは、けほ、悪くありません。……ミカさん!」
ミカは足をバタバタさせながら大笑いしている。
「うっ、これは〜…… だって! あはははは〜!」
「ミカさん、あなた、自分だって飲んで……、まさか!」
ミカのカップにも同じように注がれている紅茶。なにかトリックを使って、
「〜〜〜☆$%→○*#¥!!!」
しょっぱい! 恐るべきことに、ミカはこのしょっぱい紅茶を平然と一口飲んだのだ。ナギサをからかうために。
先ほどの生徒が置いて行ったグラスから、再び水を飲むナギサ。いつの間にか、ミカの手にもグラスに入った水があった。2人揃って水で口直しをする。
「ミカさん!」
「あはは、ナギちゃんお堅すぎ。……でも、うん。それでこそ、ナギちゃんだよね」
ナギサがミカを糾弾しようとしたところで、ミカが雰囲気を変えた。いつになく、真面目な調子だった。ナギサは思わず面くらって、言葉が続かなかった。
「ナギちゃん。ナギちゃんが探してる、"トリニティの裏切り者"は、……私」
「……はい?」
一瞬、理解が及ばない。ミカは何と言ったのか。裏切り者。何の? トリニティの。だれが? 聖園ミカが。
どこまで、何が、いや、そもそもなぜ。ナギサの脳内をさまざまな疑問符が高速で通り抜ける。
絶望。
「か、からかっているんですよね、ミカさん……?」
ナギサはほとんど懇願するような表情だった。対して、ミカは穏やかな微笑を崩さない。ミカはカップに入った紅茶を一口飲んだ。塩の味しかしない紅茶を。
「……塩、入れすぎたね」
「どうして、ですか……」
「私ね。……私、失敗、しちゃった」
苦笑いミカはこれまで自分が何をしてきたのか、語り始めた。
アリウスとの内通。
アリウス生である白洲アズサの転入処理。
そして、……百合園セイアの襲撃指示。
「最初はさ、みんなもっと仲良くなれたらいいのにって、そう思ってたんだよ。アリウスも含めてね。その話をセイアちゃんにしたんだけど、……よく分からなかったけど否定されちゃって」
「でも、セイアちゃんとは派閥も違うし。セイアちゃんがそう言っても、私が何とかすればいいやって思って。ついでに、"ほら、仲良くできたでしょ"ってセイアちゃんを懲らしめちゃおうって思っちゃった」
ミカはいつの間にか、泣き出していた。
「セイアちゃんの、言う通りだった」
「アリウスの子たちは、私を利用してるだけだった」
「セイアちゃんの、セイアちゃんが、私の、せいで……」
「ごめん、ナギちゃん。ごめん、セイアちゃん。ごめん、ごめんなさい……」
ミカは顔を覆うようにして涙を流している。ナギサは口を挟めなかった。内容そのものもそうだが、ミカの様子についても大きなショックを受けた。ミカはもっと、泰然……というか、傍若無人というか、自分勝手というか、あまり考えて行動するタイプではないと思っていたのだ。
それが、政治というものを学び始めて、色々と考えて、
そして、致命的に失敗してしまったのだ。
そのことが、嬉しくもあり、悔しくもあり、我が事のように悲しかった。
ミカの泣いている様子を見て、少し離れた場所に控えていた生徒が駆け寄ってくる。
「あの、ミカ様と何かあったのですか……?」
これまで何を話していたかは聞こえていないようだった。その様子にナギサは少しだけ安堵して、ようやく、口を開くことができた。
「……少し、言い合いになってしまって。大丈夫です、持ち場へ……、いえ、片付けは私達で行いますから、今日はもう解散してください」
「え、しかし……」
「……言い直します。解散しなさい」
「は、はい」
有無を言わせぬナギサの様子に、ただならぬものを感じた生徒は軽く一礼をして、他の生徒にも伝えた。すぐに周りにいた生徒が全員撤収し、テラスには2人だけになった。
「ミカさん……」
ミカはまだ泣いている。大声を上げる感じではなく、さめざめ、という表現がぴったりだった。ナギサは、幼い頃からミカを知っている。おてんばなミカは泣くよりも泣かせることの方が多かったし、叱られても泣くよりはむくれるタイプだった。
だから、こうして自分の失敗を反省して、あるいは後悔して泣いているのを見たのは初めてかもしれない、と思った。
ナギサはミカの手を取った。ミカがびくりと震えた。叱責を恐れているのかもしれなかった。ナギサはそのことも、そう考えてしまった自分にも悲しかった。ミカの手を強く握り直した。
「ミカさん。……まずは、感謝します。裏切りについて私に伝えてくれて、ありがとうございます」
「ぐすっ……。な、なんで……」
「伝えるには、強い決心が必要だったでしょう。私も、……直接伝えるのは気恥ずかしいですが、ミカさん、あなたを全く疑っていなかった」
ミカは涙を堪えて、何かを言おうとしているみたいだったが、上手くいってはいなかった。ナギサはゆっくりと一呼吸して、続けた
「あなたを赦します、ミカさん。裏切りも、告白していただければ無意味ですから」
「ぅ、うわあああん! なぎちゃあん!」
ミカとナギサは、どちらからともなく抱き合った。ミカは声を上げて泣き始め、ナギサはミカの背をゆっくりと撫で続けた。
どれほどそうしていたか、しばらくしてミカが泣き止んだところで、ナギサはミカの方に向き直り、言った。
「セイアさんは、……意識は戻っていませんが、命に別状はないと聞いています」
「……え?」
「セイアさんも、無事です」
ミカは大きく目を見開き、しばたたかせたあと、また涙を溢した。
「良かった……。よかった……!」
ミカは膝から崩れ落ちるみたいな気分だった。今までの自分の失敗が全て消えたことに、心から安堵した。今までは生半可に信じていた神様のことも、この時ばかりは心から信仰した。
大きく深呼吸をしたところで、ナギサが複雑な表情をしているのに気づいた。何かを考えているような。あるいは、伝えるか迷っているかのような。ナギサと目が合う。
「ナギちゃん?」
ミカの問いかけに、ナギサは意を決して口を開いた。
「しかし、ミカさんの話からすると——」
「——『セイアさんを殺した』と虚偽の報告をした、別の勢力がアリウスの内部にいることになります」
☆☆☆
ミカの自室。シャワーを浴びてパジャマに着替えたミカがベッドに寝転びながら今日のことを思い返していると、エーテル体のエメトセルクが現れた。
「キャッ! もー、出てくる時声かけてくれない?」
「ん? ああ、驚かせたか。別に誰かが見ているわけでなし、いいだろう」
「私が気にするって言ってんの」
「はいはい。ご命令に従いますよ、お姫様」
慇懃無礼に空中で礼をして見せるエメトセルク。ミカは見たことのない様式の礼だったが、揶揄われているのは分かった。
「しかし、良いところに住んでいるんだな」
キヴォトスの文化には明るくないエメトセルクだが、長い時代で文明の興亡を見てきた。家具や建物がどの程度の質の品は分かる。
「これでも派閥のリーダーだしね。エメちゃんの冗談じゃなく、お姫様ってこと」
「はぁ……。調子づくなよ、まだまだ先は長いぞ?」
冗談めかして言ったエメトセルクだったが、意外にもミカは真剣に受け取っていた。
「うん……。でも、ナギちゃんに、許してもらえた」
「そうだな」
「セイアちゃんも、無事だった」
「そうだな」
「今くらいは、喜んで良いよね」
「……そうだな」
ミカはゆっくりと目を閉じ、安堵と平穏を噛み締めた。もちろん、これからやるべきこともある。アリウスの調査は続けなければならない。
ナギサには、アリウスへの内通を続けるという提案をした。これからは、二重スパイということになる。これはエメトセルクから提案された
(今回の件で、少し懲りちゃった)
(前から思ってたよりもずっと、私って政治に向いてないみたい……)
(ナギちゃんは、すごいなあ)
微睡みが思考を消していく。久々の熟睡の予感に、ミカは逆らわず身を委ねた。
静かな夜だった。
☆☆☆
ミカが眠っている間、エメトセルクはミカの部屋を物色していた。というのも、部屋の隅からわずかながらエーテルの流れを感じていたからだ。当然、ミカの目の前で家探しをすれば好感は抱かれないであろうが、眠っている今なら関係ない。
とは言え、エーテル体では物体に干渉するのはやや困難だ。無闇にエーテルを操作して消費してしまうのも良くない。なのでタンスやクローゼットを開くことはしない。大まかな位置のあたりをつけておいて、明日の朝にでもミカに頼めば良い。
それとは別に、派閥からの贈り物だろうか、包装された箱や何らかの物体が無造作に置かれている一角があった。食品や化粧品、日用品のようなものが多いが、その中の幾つかから、エーテルを感じる。あまり強いものはないが、足しにはなるだろう。
(この紙片と……、この歯車……。これは水晶でできた……何だ? デフォルメされた人の顔か? )
エメトセルクが見つけたのは、ヴォイニッチ手稿と呼ばれる本の断片、アンティキティラ装置の歯車、そして水晶埴輪の破片だった。
(このあたりはエーテルに還元できそうだな……。聖園ミカが起きたら利用していいか確認するとしよう)
エメトセルクは目的としていたエーテルを発見し、一時、元の世界に思いを馳せた。
(忌々しいが、やつらに伝えなくては。あの災厄で何が起きたのかを)
かつて、エメトセルクの世界を襲った災厄。
"終末"と呼ばれることもあった。
人が恐ろしい怪物に変じ、魔法は乱れ、街は炎に包まれた。
唐突に発生したと思われていた災厄だが、エメトセルクは死後に原因を知ることができたのだ。
ならば、世界の命運を託した相手に、伝えなければならない。
(元々、私たちが原因だった)
(ならば、私たちに責任がある)
少々意見の対立があり、エメトセルクはその相手に討たれたのだが、彼らならば信頼できる。
理不尽で下らない世界を、それでも善くするために奮闘してくれるだろう。
(この世は舞台のようだが、舞台ではない)
(悪役が去った後も、主人公の物語は続くのだ……)
夜が更けていく。
エメトセルクも部屋の隅で壁にもたれかかり、しばらく瞑目した。
☆☆☆
ナギサが執務室で作業していると、唐突に扉が開いた。
少し驚いたが、ノックもせずに開けるような人間は1人しか知らない。
「ヤッホー! ナギちゃん☆」
「ミカさん……。ノックくらいしてくださいと、いつも言っているでしょう?」
「まあまあ、硬いこと言わないでよ。私とナギちゃんの仲じゃん?」
ミカは言いながら、扉の側のガンラックにサブマシンガンを置いた。ナギサからすれば無造作とも呼べる乱暴な置き方で、眉をひそめた。しかし、いつものことだ、と思い直した。
「それで、急にどうしたんですか?」
ティーパーティのメンバーには、それぞれ居室と執務室が用意されている。派閥内のみでのやりとり、つまり他の派閥に知られたくないことも多いためだ。
しかし、この代ではナギサの執務室と居室に3人の生徒会長が集まることが多かった。病弱なセイアや、奔放なミカと違って名実ともにリーダーとして振る舞うことの多いナギサの元に、他の2人が集まった形だった。
いまでは2人のためのデスクも置かれている。
そのミカのデスクに、ミカが何かを置いた。
「こんなの、ナギちゃんが持ってないかなと思って」
黄金色の歯車がいくつか噛み合ったそれは、アンティキティラ装置と呼ばれている。ナギサは完全なものを何度か目にしたことがあった。
持っているかと聞かれると、曖昧なところだが……。
「アンティキティラ装置ですか。保管庫にいくつかあったでしょうか……」
「あっ、えーと、この機械じゃなくてもいいんだけど、なんかこういうオーパーツ? っていうの? いくつか欲しいなーと思って」
オーパーツは神秘的だとして、敬虔な生徒の多いトリニティでは有り難がられている。しかし用途はよくわからないので、置物として飾られたり、倉庫の肥やし……もとい、大切に保管されたりしている。
疑問に思ったナギサが尋ねた。
「何かに使うのですか?」
「えっ?! うーん……、あはは。使うというか、何というか。ちょっと、見てみたいの」
ミカの態度は何ともはっきりしない。こんなことはこれまでにもあったが、アリウスとの内通が発覚した今にして思えば納得できる場面も多かった。
「あの、モノが無くなったりはしないよ?」
頼み込むようなミカの視線に、ナギサは根負けしてため息をついた。
「はあ……。どういうことに使ったのか、後で教えてくださいね」
「うん、分かった。ナギちゃんありがと!」
「それと、そういった物品は古書館のウイさんが詳しいと思います。ウイさんにもお話を聞くといいでしょう」
「う、古書館か……。……え? う、うん。行ってみるよ」
ミカの返事は最初は曖昧だったが、途中で何かに反応して行く向きになったようだった。ナギサはそれを見逃さなかった。
(いま、何か……? )
(……ミカさんは、お友達です)
(お友達ですが……)
「じゃあ、ありがとね☆ナギちゃん♪」
ミカの声に我に返ったナギサがふと見れば、もうサブマシンガンをガンラックから取り出したミカが部屋を出ていくところだった。
ミカはナギサの返事を待たずに行ってしまったが、ナギサはしばらく扉を見つめていた。
(いえ)
(ミカさんは、アリウスとの内通について、自ら話してくれたではありませんか)
(おそらく、トリニティやエデン条約の締結に悪影響のあるものではない、はずです)
(そうですよね、ミカさん……)
ナギサは備え付けの電話に伸びかけた手を引っ込め、再びペンを持った。
持ったが、再び動き出すまでにはもうしばらく時間がかかった。
エメトセルクがエメトセルクと名乗っているのは、まだ5.5終了くらいの頃で、14主人公にヘルメスたちの失敗についてアナウンスできていないからです。エメトセルクはいわば仕事上の名前ですので、彼なら引き継ぎが終えるまでは仕事中と考えるだろう、という考えに基づいています。そして彼はぐだくだ言いながらも仕事であればきっちりこなすだろう、とも考えてこうしました。