ミカとエメトセルク   作:へんどり

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 アリウスの襲撃以来、正義実現委員会は目も回るほどの忙しさだった。単純な戦闘ももちろんだが、襲撃の後処理や各種書類の作成、迫るエデン条約の調印式に向けた様々な調整もある。普段からしている治安維持活動だって止めるわけにはいかない。

 

「断る。見ての通りだ」

 

 言葉を発したのは、ツルギだ。正義実現委員会の委員長である。武闘派として知られているツルギだが、その実、委員長としての手腕にも優れている。統率力も高く、部下たちからの信頼も厚い。

 ツルギがチラリと見やった視線の先では、慌ただしく正実の生徒たちが働いている。

 

「確かに、少々立て込んでいるようではありますが……」

 

 ナギサは、困ったような顔をして返した。

 

 ナギサが正実に依頼しようとしたのは、カタコンベの調査である。先の戦闘で使われた可能性の高い地下道。崩落の危険やアリウス生との不意の遭遇の危険があり、一般の生徒では対応が難しい。そこで正実に、ということだったのだが、すげなく断られてしまった。

 

「それに、その調査は今やる必要があるとは思えない。ふたたびアリウスが攻めてくるには時間がかかるだろう。調印式が終われば時間が取れるはずだが、その後ではいけないのか?」

 

 尤もな意見だ。だが、ナギサには正実の裏切りのように思われた(・・・・・・・・・・・・・・)

 いや、そう考えるのは奇妙だ。正実は別にナギサの完全な支配下にあるという訳ではない。トリニティの体制はかなり複雑だが、寡頭制を敷くティーパーティの各分派長はそれぞれ何らかの下部組織を持っていることが多い。ナギサの場合は情報局がそれにあたる。

 対して、正実やシスターフッドのような比較的大きな組織は、各分派に渡って影響力を保持しており、単独の派閥長の麾下にあるわけではない。

 だから、ナギサに従わず意見してくることは、おかしなことではないはずだ。

 

 ズキリ。頭が痛む。ナギサは僅かに眉を顰めた。

 

 いや、おかしい(・・・・・・・)なぜ正実は私に従わないのだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

 (くだらない派閥闘争をしている場合ではないのですが……)

 (とは言え、従わないつもりなら手はあります)

 

 ナギサは小さく息を吐いて、ツルギに答えた。

 

「いえ、確かにおっしゃる通りかもしれません。ここは日を改めることにしましょう」

「……そうか」

 

 ナギサは優雅に一礼し、踵を返して去っていった。ツルギはその背中をしばらく見つめていたが、やがて意を決したように声を出した。

 

「ハスミ! イチカ!」

「はい」「はいっす」

「気付いたか?」

「ええ」「ちょっとおかしかったっすよね」

「正実は独自に動く。とはいえ人員は割けん。ハスミはマシロを連れてカタコンベとやらの調査、イチカは単独で——」

 

「——ナギサの周囲を洗え」

 

「分かりました」「了解っす」

「イチカ、くれぐれも気を付けろ。相手は情報局を持っている」

「分かってるっす」

 

 ツルギは小さく息を吸って、続けた。

 

「こちらは私に任せろ。私が動くと他の派閥を刺激するだろうからな。危険だと判断すれば、すぐに戻れ。アリウスのこともあるし、……このところ、なにやらきな臭い」

「「了解」」

 

 ハスミとイチカが去っていき、ツルギはため息をついた。

 

「ナギサはどうしたんだ……?」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ナギサから情報局に下った命令は、すぐさま局内に展開され、複数の生徒がミカの監視と護衛に駆り出されていた。

 

 情報局はそれほど大きな組織ではないが、局長の下には複数の部や課があり、その下に実際の情報収集にあたるチームがある。さらに下に外部協力者などの人がいることもある。もちろん、体制は課長以下には知られていない。

 実働の生徒たちは情報局のみに参加しているものもいれば、別の部活や同好会などと掛け持ちしている生徒もいる。

 

 この生徒もそんな、下っ端の人員の1人だ。

 

 

 (なんか、ヘンかも)

 

 違和感。

 情報局の生徒の視線の先で校内を歩いているのは、ティーパーティはパテル分派の長、聖園ミカだ。おそらく部下なのだろう、パテル分派の生徒と何やら話しながら歩いている。

 その様子を、彼女もまた、友人と会話しながら観察していた。

 

「……でさ、——」

「わかる! それが、……」

 

 にこやかに友人に答え、チラリとミカを見た。

 やはり何か、違和感がある。

 

「あっ、ミカ様。ふふ、なんか楽しそうだね」

「楽しそう?」

「うん。パテル派のことはよく分かんないけど、今までミカ様があんまりお付きの人と楽しそうに話してるの見たことなかったから」

 

 そういえば、そうかも知れない。付き人を嫌っているというわけではないだろうが、あまり他人にこだわるタイプではない印象があった。泰然自若というか、傍若無人というか。

 視線の先では、ミカが小さく微笑み、部下や付き人と談笑している。

 印象を改める必要がありそうだ。

 

 (ナギサ様みたい。まあ、最近ナギサ様はちょっとピリピリしてるらしいけど)

 

 無理もない。あのゲヘナとの条約を進めている最中だから。

 ナギサ様が言い出さなければ、現実の話だとは思わなかっただろう、と彼女は考えていた。

 そんな話を進めるとなれば苦労や困難は想像できないほどだ。

 

「ミカ様って、なんか、アンタッチャブルな感じっていうか、壁作ってるというか……、いや、悪い意味じゃなくてね。ナギサ様と話してる時はすごく楽しそうだからさ、分けるタイプなんだなと思ってたから。だから、あんな風にお付きの人と話してるのって、意外かも。なんか、心境の変化でもあったのかな」

「そうだね……」

 

 それが違和感の正体だろうか?

 いや、そんな楽しげなものではない気がする。

 他人との会話がどうとかではない。

 

 もっと、恐ろしい感じがするのだ。

 得体の知れない怪物に睨み付けられているときのような。

 

 いや、それも違う。

 もっと適切な表現をするなら、こうだ。

 

 

 (ミカ様の存在が、世界から地続きでないような気がする)

 

 

 今までだって、雲の上の存在ではあったわけだが、今感じている違和感はそんな生やさしい分断ではない。宇宙の彼方とか、それよりもはるかに遠くに感じる。

 しかしこの生徒は、なぜそんなふうに思うのか、そう考えるのが自分だけなのか、という内心の問いには答えられないでいた。

 

 チラリとミカを見た。目が合った。

 距離が離れていることもあり、お互いに何か反応することはなかった。目が合ったというのも、気のせいかも知れないくらいだ。

 違和感は消えなかった。

 

 (とても個人的な感想だけど、一応報告しておこうかな)

 

 彼女は友人との会話を続けながら、頭の中で報告書に記載する内容を吟味し始めた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 マダムが目を覚ました。

 その知らせはアリウス自治区内にかつてないスピードで行き渡り、アリウス生たちは折檻の予感に震え上がった。

 しかしマダムは姿を見せず、教官や側近の生徒たちへ一枚の紙を渡し、どこかへ去ってしまったらしい。

 

 その紙にも、一言しか書かれていなかった。

 

 "神性なきもの、土は土に"

 

 その意味するところは、語るまでもない。来る調印式の日の襲撃である。詳細は既に詰めてある。マダムが直接指揮を取る必要はない。

 

 しかし……。

 

「サッちゃん、どう思う?」

 

 スクワッドに与えられたセーフハウスで、4人はアツコが持つコピーされた檄文に集まっていた。

 

「……らしくない」

 

 サオリの言葉に、全員が小さく頷いた。

 

「リーダーもそう思う?」

「ああ。マダムはむしろ、直接指揮を取りたがるタイプだと思っていたが……。アツコは何か聞いていないか?」

「うん。まだ何も。ただ、ロイヤルブラッドへは役割があるから追って連絡するって話は聞いてる」

 

 ふむ、とサオリは考え込んだ。スクワッドはアツコを護衛する形で参戦することになるはずだ。もちろん、当初の予定では、ということになるが。

 調印式の決戦のとき、スクワッドは決定的な裏切りを計画している。トリニティ側につくのだ。

 いくつかのプランはあるが、実際どう動くかは当日にならなければ分からない。これはサオリたちスクワッドの計画立案能力がさほど高くないこともそうだが、それ以上にベアトリーチェの昏睡と、その復帰がいつになるか次第で大きく状況が変わることによる。

 サオリが慣れない思考を回し始めたところで、ヒヨリが口を開いた。

 

「こういう、分かりにくい表現もいつもはしないですよね……。話すことと話さないことをしっかり分けてるというか、私たちがいかに愚かで無知かを罵ってくるだけあって、説明してくれることは説明してくれるというか……。説明してくれないことも多いですけどね……」

 

 確かにそうだ。これまでも、教練の際は軍事行動の理由や理念についても詳細に話す場面があったし、ミカを介したエメトセルクとの会話では、神秘についてかなり詳しく話していた。一方で、本人の目的はあの場で初めて知ることになった。

 それを踏まえると、この迂遠な檄文はやはり、らしくない。

 

「アツコちゃん、ちなみにこれ、どういう意味なんですか?」

「たぶん、トリニティの体制をひっくり返してやろう、みたいな感じかな。神性なきもの、はパテル(父なる)フィリウス(子なる)で、土は土に、っていうのは、神さまが人を土から作ったから、死ぬときは土に戻るって話を踏まえてるんだと思う。古いアリウスの教えだよ」

 

 神でないものは、信仰の対象にすべきでない。

 トリニティ総合学園が発足する頃、つまり、第一回公会議の際。アリウスの代表がそのように述べたために、紆余曲折の末アリウスは追放され、総合学園の一部でありながら"トリニティ"になることができなかった。分校、という微妙な立ち位置にならざるを得なかった。

 元々の教えが散逸してしまっている現状ではあるが、アリウスでは「聖なるもの」「神であるもの」として、サンクトゥス(聖霊なる)しか認めなかったらしいことは残っている。パテル(父なる)フィリウス(子なる)とを合わせた、三位一体(トリニティ)としての存在に異を唱え、アリウスは自らの信仰に殉ずることになった。

 

「あれ……でも……だったらなんで、マダムはサンクトゥス(聖霊なる)のセイアを狙ったんだろ?」

「……予知能力じゃないのか?」

「あ、そっか……。いや、もしかして、おかしいのは、……今?」

 

 元々、マダムはエデン条約機構への介入を通じてトリニティに混沌をもたらし、アツコのロイヤルブラッドを覚醒させて崇高だかなんだかという神に触れることが目的だったらしい。

 その過程は第一回公会議を参考にしていないわけではないだろうが、忠実に再現するという計画でもなかった。だからアリウスにとっては神ならぬパテル分派のミカとも取引をしたし、あまつさえサンクトゥス分派のセイアを害して計画の遂行を優先した。

 

 しかし今は?

 

 思い出したかのように第一回公会議の内容に言及し、決行までの指揮も取らずにどこかへ行ったらしい。

 

 アツコの言葉を聞いていたサオリは、人が変わったようだ、という表現を思いついたときに、文字通りの事例(・・・・・・・)を最近目にしたことを思い出した。

 

 

 (ミカとエメトセルク)

 

 

 彼らのように、誰かがマダムに乗り移っているのでは。誰が。なぜ。どうやって。

 

 (……あのとき、エメトセルクはマダムに何をしたんだ? )

 (エーテルの流れを見せたとか言っていたが……)

 (エメトセルクは、乗り移りに詳しいだろうか? )

 

「サッちゃん?」

「ああ……。……アツコ、聖園ミカと連絡を取れるか? エメトセルクと話がしたい」

 

 その時、スクワッドのセーフハウスの扉がノックされた。

 ノック回数の符牒に間違いはない。幹部からの伝令だ。

 

「スクワッド、ロイヤルブラッドを連れてマダムの元へ集合せよとの命令だ」

 

 サオリはほんのわずかな間、考えてから答えた。

 

「いや、私はトリニティ側の協力者との連絡に行かなければならない。3人でも問題ないか?」

「む、そろそろ定期連絡の時期だったか……。そうだな……。これが最後の連絡になるだろうし、行っておくに越したことはないか。よし、ではサオリはトリニティへ向かい、聖園ミカとの連絡を。その他のメンバーはロイヤルブラッドと共に集合するように。復唱!」

「サオリはトリニティとの定期連絡に向かい、ミサキ、ヒヨリ、アツコの3名はマダムの元へ参集する! 以上」

「良好」

 

 答えに満足した伝令の生徒は、マダムの場所……またしてもカタコンベ内のある地点を指す地図を置き、去っていった。

 

「アツコ、聖園ミカとの連絡はついたか?」

「うん。エメトセルク……さんも話をしてくれるって」

「よし。ではミサキ、指揮を頼む。健闘を祈る」

「了解。……リーダーも気をつけて」

「ああ」

 

 3人と1人は歩き始めた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「この入り口もここまでにしましょう、マシロ」

「分かりました、ハスミ先輩」

 

 同じ頃、つまりツルギの指示を受けてから数日後、ハスミとマシロは小声で身を潜めて会話していた。

 ここはカタコンベ内部である。

 ここの出入口は比較的分かりやすく、トリニティ郊外の小さな雑居ビルの地下一階に通じていた。

 そこは、襲撃された際にアリウスの生徒が突然現れたように思われた地点でもある。やはり、カタコンベを通じて侵攻してきたのは間違いなさそうだ。

 

 ハスミたちはここ以外にもいくつかの出入口を見つけていた。いずれも地下にあり、商業施設や上の建物を整備するためのピット、ダクト、排水溝の先など、巧妙に隠されていたが、歩兵が携行できる火器なら十分持ち運びできるくらいの広さがあった。

 ここを通ってアリウスの生徒たちはトリニティの多くの場所へ同時多発的に攻撃を仕掛けてきたのだろう。

 

 しかし、ハスミたちは予想外の事態に、いずれの出入口も入ってすぐに引き返さざるを得なかった。

 地上に上がって早々、周囲に人がいないのを確認してから、マシロが口を開いた。

 

「やはりいましたね、シスターフッド」

「ええ。……ナギサさんはあの後、シスターフッドに依頼し直したということなのでしょう」

 

 ハスミは持っていた手帳に出入口の場所をメモしながら、マシロの言葉に返した。

 

「あれほどの人数を投入するなんて……」

 

 マシロがつぶやいた言葉に、ハスミは同意しつつ内心で歯噛みした。

 

 (遅れをとりましたね)

 

 そうだ。この入口も、見えただけで5人ほどのシスターフッドの人員がいた。それぞれの武装の他にちゃんとした測量の道具を持っているのも見えた。ある程度は内部までマッピングするつもりなのかもしれない。

 

 恐ろしいことに、シスターフッドを目撃したのはここだけではない。多くの出入口でシスターフッドを見かけたし、見かけなかった出入口でも奥から声が聞こえたり、真新しい足跡があるのを見つけたりして引き返していた。

 そのせいで、ハスミたちはカタコンベ内部のマッピングはほとんどできていない。

 

 シスターフッドは、正実と並ぶトリニティ内の大きな勢力の一つである。正義実現委員会が性質上武力に寄った組織であるのに対し、シスターフッドは所属する生徒の数と、そこからくる政治力が武器である。もちろん、シスターフッドは穏健派も穏健派で、その武器が振るわれることはほとんどない。

 

 そんなシスターフッドが、なぜ今回は出張ってくるのか。ハスミが少し思考を巡らせば、手がかりはすぐに見つかった。

 

 (……歌住サクラコ)

 

 サクラコは、シスターフッドの中心人物であり、何かと黒い噂の絶えない人物である。様々なお願い(・・・・・・)でシスターフッドを掌握した、とされている。

 あの秘密主義的なシスターフッドから漏れ出てくる噂がそうなのだから、真実もそうであるに違いない。

 本人の目的は明らかではなく、今までは無難に組織運営をしているだけであったが……。

 

 (ティーパーティと、いや、ナギサ様と何らかの取引があったのかもしれませんね。サンクトゥス分派のセイア様の動向も分かりませんし……。体調不良との噂もありますが……)

 

 元々、シスターフッドはその性質上、サンクトゥス分派との繋がりがやや強い。本来の業務も、トリニティ各地の教会での説教や維持管理、各種ボランティア活動など、宗教色のやや強いものである。

 

 今回のカタコンベの件は、遺構の調査と言えなくもない。そういった名目で動かしたのだろう。そのくらいしか、シスターフッドがこれほどの人員を割いて活動できる正当な理由がない。

 建前と本音を分けるのは、トリニティでは良くあるやり方だ。ナギサにもサクラコにも、何か本当の目的があり、それがたまたま一致してこうなっているのだ。

 

 ハスミがそう考えていると、マシロが手帳になにやら書き込みながらつぶやいた。

 

「これって、ナギサ様が急がせてるんでしょうか? 一体なんの目的で……」

 

 ハスミは答えるか少し迷い、結局口にはしなかった。

 

 (おそらく、ナギサ様は逆侵攻を考えているのでしょう。時期は分かりませんが……、警備に多くの人員が必要になる調印式付近は避けて欲しいですね)

 (サクラコさんの方は……わかりませんね。今のシスターフッドの様子からして、遺構の調査のような単なる学術的興味ではないと思いますが……)

 

 情報が足りない。イチカの方の様子も気になる。一度、ツルギの下へ戻るべきか。ハスミはそう考えた。

 

「マシロ、一旦事務所に戻ってこれまでの結果を報告しましょう」

「わかりました」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 やはり同じ頃、ミカは疑念を確信に変えていた。

 

『やっぱり、尾行されてるよね?』

『そのようだ。何かやらかしたのか? それとも、何かに勘付かれたか。我々は隠し事が多いからな……』

 

 エメトセルクと念話で話しながら、小さな手鏡を取り出して背後を伺う。先ほどから、数人で入れ替わりで尾行されている。

 こうしてメイクのチェックをすることは少なくないから、尾行に気づかれていると思わせることはないと思うが……。

 

『それにあの子って、情報局の子じゃないかな……』

『桐藤のか?』

『うん……』

 

 手鏡越しに、背後を歩いている生徒を見る。セミロングの茶髪で、流行りのファッションに身を包んでいる。時折スマホを取り出して操作しており、いかにもこれから会う友人と連絡している風だ。

 どう見ても自然に見える。だからこそミカも、最初のうちは偶然だと思っていたのだ。

 

『どうしよう、これからサオリと会うのに。なんで疑われてるのか分からないけど、会ったらまずいかな……ナギちゃんは私がアリウスと話すこともあるって知ってるはずなんだけど……』

『撒くのはまずいだろうな。やましいことがあると言っているようなものだ』

『そうだよね……』

 

 サオリとは、ナギサにはまだ言っていない話をしに行くのだ。アツコを通して聞かされたのは、マダムの様子がおかしく、人が変わったような様子だということ。あの時、エメトセルクが何をしたのかに疑問を持っているのだろう。協力関係を築くにあたり、本来ならミカが出向いて説明すべきなのだろうが……、この尾行だ。不審な行動は控えたい。

 それにアツコの話しぶりからすると、向こうの状況も変わっているのかもしれないから、その確認もしたい。

 

 ベアトリーチェが喚ぼうとしている存在が何であれ、調印式をめちゃくちゃにしようとしていることには変わりない。その時の混沌や絶望がメーティオンに影響を与えかねない以上、それを阻止、あるいは素早く対応しなければならない。

 

 ナギサにはすでに多大な苦労を強いている、という自覚があるミカにとって、文字通り世界を救うような壮大な話を持っていくのは憚られた。

 

 それに、まだ状況はコントロールできている。アリウスからの攻撃こそ防げなかったものの、サオリたちの協力によって調印式のときの攻撃についてはナギサにも報告してある。

 

 そのことについての反応がないのは少し気になったが……これまでもそうしたことがなかったわけではない。ことが起こる直前になって、あるいは起こった直後にカウンターアクションを起こして、一気に事態を収束させる。そのための計画は、みんなにそうとは知らせずに動かしていることもある。

 

 何やらシスターフッドと接触して動いているらしいとも聞いている。おそらく、それもナギサの計画のうちなのだろう。

 

 (だから、こっちは私がなんとかしなきゃ)

 

『方法はないわけではない。一度帰宅してから、ショートテレポを使って家の外に出るという手はすぐに思いつく』

 

 ミカの決意に応えるように、エメトセルクが案を出した。

 

『ショートテレポ?』

『ああ。ごく短い距離……お前の今のエーテル量なら、20m程度か、それを移動するテレポだ。これなら地脈がなくても使える』

『それなら……、あ、でもそれって、出た先で人に見られないとは限らないんじゃない?』

『その通り。障害物がないとも限らん。だからこそ地脈とエーテライトを使うテレポは出口が決まっているわけだが……いや、話が逸れた。とにかく、この方法は推奨しない』

『じゃあ、どうすればいいの?』

『状況を整理してみろ。こういうとき、手段ではなく目的を考える。手段は目的のためにあるのだからな。今回の目的は、錠前と話をすることにある。だがサオリは通信手段を持っていない。だから直接会って話をするか、古式ゆかしい置き手紙やメッセージを用いるか、というところなんだが……、今回は私との話をご所望ということだからな。直接行くしかない。つまり、目的は①誰にも見つからず、②錠前との集合場所に行き、③話をして、無事戻ることだ』

『なるほどね。②はともかく、①と③で情報局の監視を掻い潜るのは難しいよ』

 

 ミカは目を伏せたが、すぐに何かを思い付いて顔を上げた。

 

『そういえば、メーティオンちゃんを運んだときってどうしたの? バレないようにするって言ってたけど』

『あの時は、別にこれほど監視されているわけではなかったからな。簡単な生命探知の魔法で人を避けただけだ』

『なんかこう、透明になる魔法とかってないの?』

『あるにはあるが……。かなりややこしいし、エーテル消費が激しい。光速で移動する量子の反射や通過に干渉するわけだからな。それよりは、相手の意識に干渉して認識されないような魔法を使う方がよっぽど手っ取り早い。これも今のエーテル量では厳しいだろうがな』

 

 それに私は光の魔法は比較的不得手だ、とエメトセルクが続けると、ミカはまた口を閉ざした。

 

『……いや、あるには、ある。想いが動かす力(デュナミス)を使う方法だ』

 

 エメトセルクの説明を要約すると、普段ミカたち生徒が使っているエネルギー、神秘と呼ばれているそれは、かつてエメトセルクたちの世界ではデュナミスと呼ばれていたらしい。

 デュナミスは、エーテル学の緻密な理論に従わない(・・・・)。本物の魔法のように、なんでもありなのだそうだ。

 

 それを使って、サオリのところまで移動し、ミカの家に連れ帰るのだ。

 うまく行くかは分からない。だが、使えるのはこの手だけだ、というのがミカとエメトセルクの結論だった。

 

 ☆☆☆

 

 ミカはひとまずの目的地としていた自宅に到着した。リビングに入り、メーティオンに挨拶をした。

 そして、寝室に入った。エメトセルクのアンカーでもあるペンダントを丁寧にネックレスかけにかけて、小さく深呼吸した。

 高純度なクリスタル、つまりエーテルの塊であるペンダントはデュナミスと干渉してしまうらしい。置いていくしかない。だからサオリを連れて戻ってこなければならないのだ。

 

『本当にできると思う?』

『私はあまりその技術に詳しくないから、一言しか助言できない。"疑うな"。想いの力で、限界を超えろ』

『う〜……』

 

 ミカのヘイローが一際強く輝き、閉め切られた部屋が昼間のように明るくなったかと思えば、ミカの姿は部屋から消えていた。

 

 外からでも、部屋の中が明るくなったことはハッキリとわかるほどだった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 情報局が彼女を見つけたのは偶然(・・)だった。その日、非番だった生徒の1人が、ショッピングに出かけた際に仕事の時に見ていた要警戒リストにある人物をたまたま見つけたのだ。

 その生徒は一瞬迷ったが、一応上司の生徒に連絡だけはしておこう、と思い立ち、情報局内で共有されることとなった。情報局はミカへの監視の傍ら、彼女へも数名の人員を割いた。

 

 錠前サオリ。彼女はなぜ、トリニティ内部にいるのか?

 

 サオリにとって不幸だったことは、カタコンベ内部を大規模に探索していた人員に気を取られ、カタコンベを出てすぐ見つかっていたことに気が付かなかったことだった。見つかったのが非番の生徒であったため、積極的に監視しているわけでなかったことも気付くのが遅れる原因となった。

 

 

 トリニティ郊外の廃倉庫。窓が割れていて外から見えてしまうのが難点だが、ただっ広いので少なくとも会話の中身を聞かれる心配はない。ここがミカとの集合場所である。

 

 (聖園ミカはまだ来ていないか……。む? あれは、監視か? )

 

 サオリが監視されているらしいことに気付き、一度移動しようとしたその時、周囲を眩しいほどの光が包み——

 

「やった! うまくいった!」

 

 ミカが出現した。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「HQ、HQ! こちらピクシー4! 対象Mが出現した! 突然現れたんだ! 至急指示願う!」

 《こちらHQ。対象Mは帰宅しているはずだ。見間違いじゃないのか? 》

「見間違いなもんか! ぶわって明るくなったかと思ったら、魔法でワープしてきたみたいに現れたんだよ! どうすればいい!?」

 《アルファチームにM宅の状況を確認させる。目を離すなよ》

「了解。けど対象Sには気付かれたかもしれない。撒かれる可能性もある」

 《……わかった。この際、接触の事実だけでも価値がある。撮影は可能か? 》

「もうやったよ。転送中だ。早めに確認を頼む。オーバー」

 《HQ了解。アウト》

 

 ふう、と息をついたピクシー4は、カチャリという音と共に後頭部に突きつけられた冷たい感触に息を飲んだ。

 ゆっくりと手を上げた。

 

「困ったなあ」

「み、ミカ様?」

 

 情報端末の方にはサオリが回り込んできた。断りもなく操作している。

 

「もうデータの転送は終わっているみたいだぞ」

「なんとかできない?」

「こうなってはな」

「ナギちゃんと一回、"お話"しないとだね……」

「ミカ様! う、裏切るんですか! トリニティを!」

「そんなつもりないって。ナギちゃん、情報局には話してないのかな。あのね、サオリがアリウスを裏切ってるの」

「しかし、……そんな。信じられません。聞いてませんよ。それに、今のワープみたいな、どうやって……」

 

 ミカは銃を下ろし、杖を軽く振った。風が吹いて、木の葉を舞い上げた。

 

「魔法。って言ったら、どうする?」

「……」

 

 生徒は振り返り、ミカの方を見た。異様な気配がした。

 まるで、この世に存在してはならないような。

 全身の神経がひっくり返るような強烈な嫌悪感が走った。

 

「まあいいや。見つかっちゃったし、サオリ、移動しようか」

「あ、ああ……」

「〈スリプル〉」

 

 生徒は魔法を受け、一瞬で眠りについた。眠る間際、何か呟いたが、ミカとサオリには聞き取れなかった。

 

 (魔女……)

 

 宗教色の強いトリニティで、その言葉は強い意味を持つ。

 軽々に発せば、むしろ言ったほうが偏見と迫害の対象となるほど。

 だが、一度周知されれば、その影響はあまりにも大きい。

 ミカはまだ、その意味を理解していなかった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「ミカ様、ご在宅でしょうか?」

 

 反応がない。アルファ1がハンドサインで以下数名の生徒に合図をする。

 

「先ほどお部屋から大きな音と光があったようですが、ご無事でしょうか」

 

 インターホンを通した呼びかけは、やはり反応がない。

 アルファ2以下が弾倉を確認して安全装置を外す。

 

「失礼ながら、安全確認のため、お部屋に入らせていただきます!」

 

 マスターキーで開錠し、ゆっくりと扉を開く。物音はしない。銃を構えて2人、3人と部屋に入っていく……。

 

「特に異常はないな。これは、人か?」

「ヘイローがないぞ。人形じゃないか?」

 

 生徒の1人が青い髪の少女の目の前で手を振った。特に反応がない。

 

「人形みたいだな。ミカ様にこんな趣味が……」

「おい、騒ぐな。それより、ミカ様が在宅なのかどうかだ」

「あとは寝室だけです」

「よし、いくぞ」

 

 小さな音を立て、寝室に入——

 

『ルーシッドドリーム』

 

 ★★★

 

「キャッ! ちょっと、何!?」

 

 アルファ1はベッドで横になっていたミカと目が合った。慌てて銃を下ろす。

 

「あ……。し、失礼しました! 先ほど大きな音と光が合って、ご無事かと思い……」

「仮に私が無事じゃなかったとしたら、あなたたちでどうにかなるとは思えないけど!?」

「し、失礼しました!」

 

 アルファ1が素早く頭を下げて謝罪しようとしていると、

 

「さっさと出てって!!」

 

 枕やら化粧品やらを投げられてしまった。

 

「失礼しました!!」

 

 ★★★

 

「おい、撤収だ!」

 

 アルファ1の一声に、アルファ2以下は困惑した。

 

「え、寝室は……?」

「いま確認しただろうが! お休み中だった。これ以上はお邪魔になる! 早く外に出ろ!」

「え、え……?」

「ほら! グズグズするな!」

 

 有無を言わせぬリーダーの様子にただならぬものを感じたアルファ2以下は、慌てて外へ出た。入ってきた時のようにマスターキーで施錠し、バタバタと帰っていった。

 

『精神感応系は得意でね。だが、何かやらかしたようだな。戻ってきたら話を聞かなければな』

 

 

 ☆☆☆

 

 

「そうですか。やはり、ミカさんは……」

「在宅だったとの報告もありましたが、下位のメンバーからはアルファ1の様子が異常だったとの報告もあり、こちらは調査中です。ただ、アルファ1の記憶と寝室の間取りが異なっていたことから、なんらかの方法で幻覚を見せられたのでは、との意見もあります」

 

 報告資料には数枚の写真が添付されている。何もない空間が光り、そこにミカが現れる様子だった。

 

 ズキリ。ナギサの頭が痛む。ミカはやはり敵と通じている(・・・・・・・・・・・・・)。アリウスなのか、もっと恐ろしいものなのかは分からないが、……もはや、信用できるものではない。

 

 (なぜなのですか……)

 

 調印式は明日に迫っている。

 必ず成功させる必要がある。

 

「ミカさんを一時的に勾留しましょう。調印式の間だけで構いません。そしてこれは、あなたの独断で動いた……そういうことにできますか? 局長?」

「え!? その……」

「できますか?」

「どういった理由で……?」

「できますか? 局長?」

「……は、はい」

「よろしい。ではお願いします」

 

 ニコリと笑うナギサに、絶望感を露わにした局長が頭を下げ、退室していった。

 笑顔に反して、ナギサも笑えない気分だった。頭痛がひどい。一時とはいえ、ミカを信じてしまったなんて(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 調印式が終われば、全てが好転する。そのはずだ。

 だから今だけは、少し休もう。

 ナギサは背もたれに体重を預けて、目を閉じた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 (なるほどっすね)

 

 イチカは静かにその場を後にした。

 ナギサの様子がおかしいのは間違いない。あの2人は幼い頃からの付き合いで、特別な理由もなくミカを拘束しようとするなど、あり得ないのだ。だが、ミカの方も気になる。

 

 その特別な理由(・・・・・)がないとも言えなそうだ。

 チラリと見た報告書では、確かに魔法のようなものを使っているように見える。これまでの経緯が分からないから、判断がつかないところだ。

 

 正実の独自の情報網で、ミカは少し前からふらりといなくなることがあるようだ、とは噂されていた。それがアリウスとの内通とはイチカをして思わなかったが……。

 

 (そういえば、コハル……、いや、先生は何か知ってるんすかね)

 

 補習授業部。あれもたしか、ナギサの計画の内だった。正実からは本人の問題と政治的な都合からコハルが選ばれ、参加させられている。

 

 (そっちも当たってみるっすかね。いや、調印式まで時間がないか)

 

 イチカは少し迷ったものの、一度、現状を報告しに戻ることにした。

 結局、調印式前にイチカと先生が会うことはなかった。

 

 

 




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