(アツコちゃん! )
ミカは気配の方へ飛びながら、エーテルを使って呼びかけていた。
返答はない。
(アツコちゃん、聞こえたら返事をして! )
エーテルによる念話は、リンクシェルの仕組みを応用したものだ。ある固有のエーテル波を放つ貝が時折体内に生成する真珠のような結晶・リンクパールは、そのエーテル波にのみ強く反応する。それを採取し、エーテルを用いて離れた場所での通話を可能にしたものだ。
つまり微弱ではあるものの、エーテル波を放つ必要がある。
ミカは、感情に任せてエーテルを放っている。
生徒たちのもつ神秘と致命的に相性の悪いそれは、地表で戦う生徒たち全員に、僅かな影響を及ぼしていた。
☆☆☆
「アツコちゃん!」
そこは、聖堂のようだった。かつてみたような、大きなものではない。トリニティによくある、一般的な聖堂だった。
血のような赤い、数メートルはある十字架に、アツコが磔にされていた。
「来ると思っていましたよ、聖園ミカ」
その十字架の根本には、ベアトリーチェ。さらにその隣に、見慣れない人物がいた。タキシードで正装でもしているつもりだろうか。首から上にはマネキンのようにのっぺりとしたひび割れた頭が二つついており、不気味だった。
「ベアトリーチェ……!」
ミカがベアトリーチェのセリフに反応して気炎を高めると、びぃいい〜と気の抜けたような音が鳴った。いつか見た、エーテルに反応するという小道具だろう。
「おお、何もせずともここまで数値が高まるとは! やはり興味深い」
「……喧しいですよ、マエストロ」
「これは失敬。ですが、フフ、私も『作品』の完成を目前に、少し昂っているようです」
マエストロ、と呼ばれた人物の言葉に、ミカはアツコを見た。気を失っているらしいが、それだけだろうか。
ミカはベアトリーチェとマエストロに向けて発砲した。数発だったが、バリアのようなものに遮られた。
「逸らないで下さい、もう完成しますから」
その言葉と共にマエストロが何やら機械を操作すると、血の十字架が消えてアツコが地面に落ちた。それと同時に、もの凄い量のエーテルがベアトリーチェに流れ込んでいくのを感じた。
「おお、コレはすごい! 見たこともない数値だ!」
「グッ、入ってくる……!」
劇的な変化が起きた。ベアトリーチェの肉体がぼこぼこと沸騰するかのように、あるいは風船のように膨らみ、手がいくつも生え、大きなフードを纏った。頭上にはヘイローが浮かんだ。
「『ヒエロニムス』と、私は名づけました。いかがです?」
5メートル以上ある巨人は、ただ悍ましかった。
「本来であれば、先生に真っ先にお披露目したかったのですがね。まあ、エーテルのことで言えば貴女が主な供給源ですし、製作者の1人に数えてもいいでしょう」
「私が……」
「ええ、聖園ミカ。貴女の齎した知識とエネルギーは、まさに革命でした。ロイヤルブラッドはもはや鍵、或いは核としての役割にしかならないほどです」
「……じゃあ、アツコちゃんは無事?」
「さあ? 作曲した時にそれぞれの音符が無事かどうかなど、考えたこともありません」
ミカが絶句していると、ついにヒエロニムスが動き始めた。祈るように手を組んだかと思うと、ミカの足元が爆発した。ミカはすんでのところで飛び上がり、なんとかこれを躱した。
「では、どうぞご堪能下さい」
マエストロは優雅に一礼し、どこかへと去っていった。それと同時にエメトセルクが口を開いた。ヒエロニムスの解析をしてくれていたようだ。
『少し歪だが、"蛮神"か。そこまでの知識を提供したつもりはないんだがな』
「なにそれ!? どうすればいい!?」
『遠慮はいらん、銃でも魔法でもぶつけて、怪物退治と行こうじゃないか。とりあえずエーテルを吐き出させて、話はそれからだ』
「オッケー、分かりやすくていい、ねっ!」
言い終わるや否や、ミカは杖を軽く振り小さな隕石を落とした。
『秤も生きているようだな。ひとまず離れた場所に移動させておくぞ』
「ありがと!」
☆☆☆
光線が飛び交い、宙が爆ぜた。
炎が放たれ、雷が落ち、地面から氷塊が迫り上がった。
ミカは異形と化したベアトリーチェの周りを飛び回り、時に魔法で、時に銃で攻撃し続けている。
普段ならこれほど飛び続けることはできない。とっくに疲れ果てているはずだった。
だが、ミカの自分自身への怒りが疲労感を忘れさせ、ミカの持つ強大な神秘とエーテルがエネルギー源となり、限界を超えた活動を可能にしていた。
そんなミカを持ってしても、有効打は僅かにしか与えられていない。
「エメちゃん、今っ、どれくらい!?」
『エーテル波の強度からすると……残りは6割と少しくらいか』
「はあっ、はっ、あと……、半分、ね!」
強がりだ。ミカの様子を見たエメトセルクは、少しだけ眉を顰め、告げた。
『分かっているだろう。出し惜しみしている場合じゃないぞ』
「はあ、はあ……」
ミカは、比較的環境エーテルへの影響が小さい魔法ばかり使用していた。ファイガやサンダガなどだ。それはエメトセルクの指摘通り、出し惜しみではあったが……。
「でも、詠唱、してる暇がっ、ないん、だよねっ」
ヒエロニムスの攻撃は苛烈で、ミカは飛びながらの回避を優先している。移動しながら詠唱できるほど、ミカは熟練していない。黒魔導士の放つ強力な魔法には、必ず高度な集中を要するため、かなりの使い手でなければ移動しながらの詠唱はできないのだ。
戦いの余波で、あたりは更地になり始めているが、夜は明け、雨は止んでいた。
(私が、)
(私が、なんとかしなくちゃ)
遠くに見えるはずのトリニティ大聖堂は、今や見る影もない。巡航ミサイルが直撃したのだろう。友人や、参加者は無事だろうか。
横たわるアツコは、この悍ましい怪物のために、どのような仕打ちを受けたのだろうか。
この怪物もそうだが、お互いの攻撃の余波で周囲の建物にも被害が出ている。
トリニティはめちゃくちゃだ。
(私のせいだよね)
(でも、こいつさえやっつければ……! )
なんとかなる。なんとかできる。
そんなふうに思考が逸れたからか。
詠唱の短い隙を突くように放たれたいくつかの光弾が、ミカを直撃した。
「キャッ!?」
そこへ。
「"ミカ! "」
「"みんな、準備をして! "」
先生がやってきた。
☆☆☆
強力な助っ人である先生と力を合わせてヒエロニムスを撃破し、元のベアトリーチェの姿に戻ったところで、後を先生に任せ、ミカは飛び出していた。
当然、ナギサの元へ行くためである。
少し離れた場所にナギサや護衛の生徒たち、そして家や職場を失ったのだろう避難民が集まっていた。
テントがいくつか建てられているが、まだ外で座り込んでいる人たちも多い。
ナギサも頭に包帯を巻いているが、周囲の生徒に何やら指示を出している。傷が痛むのか、時折頭に手を当て、顔を顰めている。
「ナギちゃん! 大丈夫?!」
ミカがナギサのそばに降り立ったときも、ナギサは頭が痛そうにしていた。ナギサの反応を待たず、護衛の生徒たちがナギサ前に出て、ミカに銃を向けた。
ミカはチラリとそれを見た。
何故銃を向けられるのか理解できなかったが、口径も神秘も大したことはない。撃たれても大丈夫だ。
ナギサはまだ、反応を見せない。
ミカがナギサの反応を待ちきれず、一歩だけ踏み出したとき、護衛の誰かが言った。
「ま、魔女め……」
ミカは素早く、声の方を見た。数人の生徒がいて、全員と目が合った。正確に誰なのか判断するためにミカが声を返そうとしたところで、さらに別の方から声がした。
「さっきの、なんなんだ。雷とか、炎とか」
「すごく恐ろしげだった……」「空を飛んでいたぞ」「魔法じゃないのか」「こんなに建物を壊して」「杖を持っているぞ」「怪我人には目もくれなかった」「魔女だ……」
護衛の生徒だけではない。避難のために周囲に集まっていた生徒たち全員から向けられる懐疑と恐怖の視線に、ミカは狼狽えた。
あの怪物との戦いを、見られていたのだ。
ざわめきが大きくなっていく。
「魔女だ」「ミカ様が」「魔女」「条約はどうなる」「さっきの化け物も」「魔女のせいで」「トリニティが」「私の家も」「……魔女」「恐ろしい……」「魔女の」「魔女が」「聖園ミカは魔女!」
ミカは息をのんだ。
何かを言おうとして、やめた。
ミカは、この陰謀渦巻くトリニティで、人の上に立つ者として振る舞ってきた。不用意な発言を捕まえられて不利になったことは一度や二度ではない。親しい人物ではなかったが、一つの言い間違いだけでその後姿を見なくなった者も見てきた。
その記憶が、ミカの口を重くした。
今回はそれが功を奏した。
「そんなわけ……ありません……!」
ナギサの声だ。ざわめきの中にあっても、特によく聞こえた。周囲の声も止んだ。
ナギサは周囲を見てはいなかった。目を強く閉じ、こめかみに手を当てて、苦悶の表情だった。
「ミカさんが、トリニティを裏切るはずがない……っ。そんなはずがないんですっ……」
「ナギちゃん……」
『桐藤の様子がおかしいぞ』
『見たらわかるよ。傷が痛いのかな』
『いや、エーテルによる干渉を受けている。これは思考の誘導か……?』
『ええっ、どういうこと?』
『何者かが、トリニティで対立構造を生み出そうとしていたのかもしれんな。不審なことはなかったか、周囲の人物に確認した方がよさそうだ。……ともかく、この場を納めよう。少し借りるぞ』
『え、えっ? いいけど、どうするの?』
『"悪役"をやるんだよ』
「くくく……」
エメトセルクはミカに入った途端、いやらしく笑ってみせた。護衛の生徒たちはミカから響いた男の声に驚いてミカに銃を向けた。
「いや、実に素晴らしい友情じゃないか。感動してしまったよ」
「な、なんだ! お前、ミカ様じゃないな! 何者だ!」
「いかにも」
エメトセルクは完璧なカーテシーを披露した。ミカらしくなかった。
「トリニティはパテル分派のリーダー、しかしてその正体は——」
「——アシエン・エメトセルクと申し上げる」
赤い複雑な模様がミカの顔の前に浮かび、ヘイローが消えた。護衛の生徒たちは一斉にセーフティを外した。
「おっと! 撃っていいのか? 肉体は"ミカ様"のものなんだぞ? よく考えるべきだと思うがね」
「くっ……何が目的だ!? ミカ様を返せ!」
エメトセルクの言葉に護衛の生徒たちは銃を下ろした。周囲の生徒たちも静まりかえって様子を見守っている。
「聖園ミカには少々眠っていただいている……。実に御しやすかったよ、このお姫様は。トリニティのためだと言えば、私に何でも用意してくれた。ついに、私はこうして外に出られたというわけだ」
『ちょっと大げさじゃない?』
『自覚はあるが、これくらいのほうが大衆にはうけがいいだろう』
「そ、そんな……。ミカ様を騙したのか!」
「騙したなどと人聞きの悪い。"協力"してくれたのさ。目的について話したいところだが……今日はもう疲れただろう? 君たちは休んでいるといい」
「"なら、私とは話をしてくれるかな? "」
声の主は存在感を放ちながら、ゆっくりとナギサの前に立った。そばにはヒフミ、アズサ、ハナコ、コハルの補習授業部の面々と、ヒナがいた。
「"ナギサ、もう大丈夫"」
「"ミカのことは私に任せて。ゆっくり休んでおいで"」
「おっと、それは困るな。他の生徒たちはどうでもいいが、桐藤ナギサには残ってもらいたい」
エメトセルクのその言葉を聞いて、ヒフミたちはナギサを守るように少しだけ立ち位置を変えた。ヒナは動かず、先生を守れる位置に立っている。
周囲の生徒たちはざわめき始めた。
「ナギサ様を……?」「ティーパーティが2人も」「トリニティが狙われて」「ナギサ様は最近様子が」「ミカ様も」「ヘイローがないぞ」「悪いのはこの男」「さっきの魔法は」「乗り移られてるだけ」「あの怪物は何だったんだ」「セイア様もこいつが」
『先生とやら……微かだが、エーテルを持っているようだな。魔法や剣技が使えるほどではないだろうが、興味深い』
『へー、そうなんだ。じゃあ、訓練すれば私みたいに魔法使いになるってこと?』
『一般に、取り扱えるエーテル量は若いほど増えやすい。かなり努力すれば簡単な魔法なら使えるようになるかもしれないが……先生としての業務もあるだろうし、コイツが一般的な体質なら、現実的ではないだろうな』
『ふーん……。じゃあ、一般的な体質じゃなかったら、訓練したら使えるかもってくらい?』
『そうだな。桐藤へ魔法をかけたのがこの先生かとも思ったが、それはなさそうだ』
「"それなら、ひとまず、場所を移そうか。"」
「"お前だってその方が都合がいいだろう? エメトセルク"」
「ふん、こちらとしては桐藤ナギサさえ手に入ればあとの生徒はどうでもいいのだがな」
「な、ナギサ様は渡しません!」
「"落ち着いて、ヒフミ。大丈夫"」
「"それじゃ、護衛のみんなは負傷者の手当てとか、支援物資の配給とか、災害の対応をお願いできるかな。正実と救護騎士団に連絡しておくから、うまく連携して"」
「し、しかし……」
渋る護衛の生徒を宥めたのは、ナギサだった。こめかみを抑え、激しくなる頭痛に抗いながら、何とか指示を出した。
「皆さん、先生の指示に従ってください。……アリウスの生徒たちもほとんど気を失って攻勢が止んでいます。ミメシスもあの怪物もいなくなって、ひとまず安全なうちに、体制を整えましょう」
「……分かりました。ナギサ様、くれぐれもお気をつけて。先生、ナギサ様をよろしくお願いします」
「"必ず、みんなのところに返すよ"」
護衛の生徒たちは先生に一礼し、周囲に避難していた生徒たちの方へ向かっていった。
「心が温まることだな」
「"……移動しようか"」
エメトセルクの皮肉に付き合わず、先生は歩き始めた。
☆☆☆
ナギサのセーフハウスのうち、近くの一つが無事だったのでそこへ移動することになった。ナギサは結局、途中で気を失ってしまい、アズサが担ぐ役を買って出た。
ハナコが案内を続けた。
ミカはナギサを心配そうに眺めていたが、その様子は外からは分からなかった。ヒナ、ヒフミ、コハルの3人がミカの……いや、エメトセルクの様子を注視しており、別に事を大きくする目的もないエメトセルクは黙って歩いていた。
セーフハウス内は以前利用したものとよく似たレイアウトになっていて、簡単な会議ができるようなスペースもあった。
ナギサを仮眠スペースのベッドに寝かせてから、全員が会議スペースに集まった。
「さて……私の目的について話すという事だったな。……ん?」
黙り込むエメトセルク。しばらくして、ミカのヘイローが灯った。
「あ、あのね。先生。ちゃんと、私から話をしたくて」
ミカが出てきたことにヒフミたちは驚いた。先生は驚きつつも、言葉を返した。
「"やあ、ミカ。無事みたいで何よりだよ"」
「うん、あのね……。ごめんなさい。……助けて欲しい、です」
「"……詳しく聞かせてくれる? "」
ミカは恐縮しきった様子で、これまでのことを話し始めた。
アリウスとの連絡に始まり、セイアを襲われたこと。
それを問い詰めに行った場でエメトセルクに出会い、協力体制を築くことができたこと。
彼との会話を通して、ナギサと仲直りでき、ナギサの元でアリウス側への二重スパイとして働くことになったこと。
エメトセルクの目的のため、エーテルというエネルギーを集めていたところ、自分もエーテルに感応して、魔法のような技術が使えるようになったこと。
エメトセルクを元の世界に返すためのエーテルが十分集まった頃、彼の世界から、彼の世界を滅ぼした敵の先触れが飛来していたのが分かったこと。
その先触れはアリウスのマダム……ベアトリーチェの元で拘束されており、回収するためにエーテルについて少し話をしたこと。
そのせいで、ベアトリーチェが怪物になってしまったかもしれないこと。
そして、その先触れが見当たらないこと。
ミカはそこまで話し、少しの間、黙り込んだ。
しばらくしてから、意を決して、口を開いた。
「だから、だからね。その、トリニティがこうなっちゃったのは、……私のせ——」
「"よくがんばったね、ミカ"」
ミカの言葉を切って放たれた先生の言葉に、ミカは衝撃を受けたようだった。目を見開き、先生の顔を見ていた。
先生の優しげな瞳と目が合った。
今までも泣きそうな表情だったが、ついに、大きく見開かれたミカの瞳から一筋の涙が頬につたい、落ちた。
「がんばった……。そう、そうなの! 私、がんばったの! が、がんばったん、だよ……。だけど、だけど……っ!」
先生は何も言わず、手のひらで顔を覆うようにして静かに泣き始めたミカを見つめていた。
「私、悔しい。自分が情けないよ。どうして、うまくできないんだろうって、なんでこうなっちゃうんだろう、うう、アツコちゃんも、サオリも、ぐす、魔法も使えるのに、みんなを傷つけてばかりで、ナギちゃんも、セイアちゃんも、エメトセルクに付いてもらってるのに、ひっく、失敗して、助けてもらって、ばかりで、だから、」
「ミカ様……」
「だから、みんなに、魔女って言われたとき、そうなんだって、その通りだって、思って、」
「"ミカは、魔女なんかじゃないよ"」
「"ちゃんと、友達やみんなのことを考えて行動できる"」
「"自慢の生徒の一人だよ"」
ミカは声を上げなかったが、先ほどまでよりも激しく泣き始めた。
ミカが泣き止むまで、しばらくかかった。
☆☆☆
ミカの気持ちが落ち着いた頃、重苦しい空気を振り払うようにして、エメトセルクが話を始めた。
「そろそろ私からも話をさせてもらおう」
「"うん、ミカのこと、ありがとう。エメトセルク"」
「……お前は、私の苦手な奴に似ているな。とんでもなくお人よしで、トラブルと見れば首を突っ込まずにいられない、それでいて解決能力は高くて……いや、この話はいい。気分が悪くなる」
エメトセルクはソファにもたれ掛かり、小さくため息をついて、気分を切り替えたようだった。
「それで、私からの話は2つだ。一つは、メーティオン、先ほどの話にあった『先触れ』。その行方について。もう一つは、そこで寝ているナギサについて」
生徒たちの緊張感が少し高まったのを感じたエメトセルクは、言葉を追加した。
「別にどうこうしようというワケじゃない。お前たちにも伝わったと思うが、聖園ミカはただの囚われのお姫様じゃないし、私も常に肉体の主導権があるわけじゃない。聖園は桐藤のことをかなり気にかけているから、私が危害を加えようとすれば、すぐに気づかれる。……桐藤だが、エーテルにより、周囲の人間を疑うように思考を誘導されているようだ」
生徒たちが緊張を緩めたのは僅かな間だけで、エメトセルクの後半の言葉を聞いたときには再び身をこわばらせていた。
「"どういうことなのかな"」
「悪い魔法使いがナギサに魔法をかけている、と言い換えれば分かりやすいだろう。それを私は解き、ついでに悪い魔法使いがどこにいる誰なのかを突き止めたいと考えている」
「"あなたに利があるとは思えないけど"」
エメトセルクは少し驚いたような顔をした。先生は大人らしく、感情らしい感情を見せていない。表面上はにこやかだ。
(少なくとも、アゼムやあいつらとは違うらしい)
「そうでもない。ここから悪い魔法使いに繋がれば、悪い魔法使いの所にメーティオンがいるかどうかも調べられるし、悪い魔法使いの目的も調べられる。私は元の世界に帰るという目的があるが、悪い魔法使いの目的と対立しないとも限らないからな」
「"ナギサに危険が及んでることについては? "」
「もちろん、申し訳ないとは思うがね。聖園に確認してもらえば分かると思うが、エーテルについてベアトリーチェとやらに話をしたのはごく簡単な部分だけだ。それがあれほどすぐに蛮神化や思考・精神に関わる高度な魔法にたどり着くとは思わなかった。……聖園ミカ、うるさいぞ」
ミカのヘイローが灯った。
「あのね、これは本当なの。エメトセルクってちょーっと斜に構えてるというか、本音だけで喋るのが苦手なんだけど、本当に悪いと思ってるし、ベアトリーチェに話したのは概要って感じで、細かいことが分かるとは思わなかったの。だから先生、みんな、エメトセルクを許してあげて欲しいな」
ヘイローが消える。
「……聖園ミカめ」
「"仲良くしてるみたいで良かったよ"」
先生はにこにこ笑っている。
「……まあ、とにかく、私の蒔いた種でもあるわけだし、きちんと摘み取って帰還するのもやぶさかではない。立つ鳥跡を濁さず、というわけだ」
「"よく分かったよ、エメトセルク。それで、"」
「焦るなよ。桐藤のことだろう? 生徒を大切に想う気持ちは分かるが、そんな態度では、付け入る隙を与えるぞ」
先生は思い当たる節があったのか、口をつぐんだ。ただ、ナギサのことを心配しているのを隠すつもりはないようで、チラチラとナギサの方を見るのはやめなかった。
エメトセルクはため息をついた。
「まあ、そんな状態では集中して話を聞けないか。私の見立てではそれほど深刻な状況ではないはずだが、先に桐藤を見てやる」
「"助かるよ、エメトセルク。こっちのみんなもそうだと想うけど、ナギサが心配でね"」
エメトセルクは改めて先生を見た。
先生の目つきは思いのほか鋭く、穏やかな口ぶりに反してエメトセルクのことを完全には信頼していないようだった。
「そうか、なるほど。案外、考えているんだな。生徒を心配している風で、いや、実際そうなんだろうが……。本当のところは、私を判断しかねているということか。聖園ミカを騙している悪い魔法使いなのか、手助けしている善い魔法使いなのか」
「"……ミカのことを信じていないわけじゃないんだけど、それはあなたを信じることにはならないからね"」
「付け入る隙がある、と言ったのは撤回しよう。お前はちゃんと、悪い大人のやり方を知っている」
エメトセルクは少しだけ目を伏せた。
「世界を守る、というわけか……。存分に力を発揮するがいい」
「"もちろん、そのつもりだよ"」
エメトセルクと先生は、静かに見つめあった。視線のやり取りだけで、いくつかの会話をしたようだった。
僅かな間だったが、両者に小さな納得と信頼感を与えたらしい。
エメトセルクが立ち上がり、自然と視線は外された。
「まずは桐藤の様子を見る」
ベッドに横たえられたナギサにエメトセルクが手をかざすと、淡く光が漏れた。先生や生徒達にはその弱い光だけが見えていて、それでも十分、驚くべき現象だったが、エメトセルクには、さらに複雑に絡み合う糸のようなエーテルの流れが見えていた。
「……なるほど。原始的で回りくどいが、効果は確実で、長続きする。なかなか勉強しているようだ。生半可ではこうはいかない」
「"どうにかなるのかな"」
「私はこれでも向こうの世界では名の知れた魔導士でね。これを解呪するのは容易いが、ただ解呪しても再び魔法をかけ直されるだけだろう。一時的には保護魔法をかけてもいいが、いずれにせよ原因への対処が必要だろう?」
「"つまり? "」
「逆探知のような作業で相手を探し出して、始末する」
生徒達は、ミカらしくない冷たい表情で放たれたエメトセルクの一言に凍りついた。
先生は生徒たちの様子を気にしつつ、エメトセルクに尋ねた。
「"どのくらいかかるのかな"」
「この感じなら……。居場所の特定までは数十分、始末までさらに1時間ほどといったところか。相手がどんな存在かにもよるがね」
その間、お前達にできることはない。好きにしていろ。
そう続けたエメトセルクに先生は尋ねた。
「"ミカの体のまま行くのかな? 私を使うことはできない? "」
「お前ではエーテルが足りないし、戦闘に耐える身体ではないだろう。それに、この件は聖園ミカも張り切っていてね——」
「——先生。心配してくれてありがとう。これが悪いことだってことも分かってる。だけど、やらせて欲しいの。さっき、エメトセルクは自分のせいだって言ってたけど、私は、私のせいでもあるって思ってる。だから……っていうのは、いい子のほうの理由。本当はさ、」
「私、結構怒ってる。ナギちゃんにそんな魔法をかけてたなんて、許せない。一発くらいはぶん殴って、憂さ晴らししたいの」
これが、悪い子のほうの理由。そう言って、ミカは真剣な表情を見せた。悩んだ末だろう。エメトセルクと会話したのかもしれなかった。そこまで覚悟しているのであれば、今更先生が何を言っても大きな意味はないだろう。
「"エメトセルク、2つ約束してくれるかな"」
「内容によるが、聞いてやろう」
「"一つ目。トドメは刺さないで。特に、ミカにトドメを刺させるのは、絶対にやめて"」
「前半はともかく、後半は約束しよう」
「"二つ目。ミカを絶対に無事に帰して"」
「おいおい……私の心配は無しか? だがまあ、理解した。努力しよう」
先生はなおも食い下がった。
「"『約束』してくれる? エメトセルク"」
エメトセルクは改めて、先生の顔を見た。呆れたからだ。少しからかってやろう、という気は、その表情を見て急速に萎えていった。
先生の瞳は、表情は、エメトセルクにいくつかのことを思い出させた。
「約束か……」
アーテリスでのことを、エメトセルクは思い出していた。
光の戦士と呼ばれていた彼らのことと、その戦いを。
友人たちのことを思い出していた。
多くはないが、深く交流のあった彼らのことを。
同胞たちのことを思い出していた。
たった十四人で世界を、惑星をより善いものへ導こうとしていたことを。
そして、彼らとの約束と、自らの使命のことを。
「……こうして託されるのは、いつも私だったな。お前はあいつに似ていないと思いかけたが、間違いだった。あいつにそっくりだ。だが、——」
「——不思議と、悪くない気分だ。この仕事は、終わりが近いからかもしれないな……」
エメトセルクは自身にも自覚なく、小さく微笑んだ。次の瞬間には真剣な表情を取り戻し、先生に告げた。
「……我が真の名、『ハーデス』に誓って、2つの約束を必ず守ろう」
「"ありがとう"」
また少し期間が空きそうです、すみません。