数日後。
アリウス側との情報共有も終了したミカはナギサの執務室にやって来た。当然というべきか、ナギサはデスクにおり、何やら書類仕事をしている。
「やっほー☆ 来たよ、ナギちゃん」
「ミカさん。ええ、おはようございます」
授業の後なので朝ではないが、通例的におはようございますと挨拶するナギサ。一時的にペンを止めてミカの方を向いている。ミカがもたらす情報を元に、これからどうするか考えなくてはならない。
ミカが銃や荷物を置いている間に、ナギサは先ほどの書類を片付け、鍵つきのチェストから"エデン条約関連"と書かれたファイルを取り出していた。タイトルに反して薄い紙製のファイルで、中にはまだ数枚しか挟まっていない。そのうち1枚を取り出し、告げる。
「では、早速聞かせてもらいましょうか」
「うん。……といっても、あんまり新しいことはなかったかな。サオリとちょっと仲良くなったくらい?」
「錠前サオリ、アリウスの特殊部隊"スクワッド"のリーダーでしたか……。変わらず、ということは、彼女はまだゲヘナに?」
「あー、いや、……あはは。私への対処のために、トリニティに戻らされたって文句言われちゃった。この後はまたゲヘナで
曖昧に笑うミカにナギサも苦笑いで返した。しかし、そこから分かることもある。
「ミカさんとの関係がこじれるのはアリウス側としても望んでいない、ということですね……」
ミカの様子を確認するためだけに特殊部隊をあちこち移動させるのはそれほど合理的ではない。アリウスはかなりミカを……というよりはトリニティへの足掛かりを重視しているらしい。
エデン条約の締結式の会場が治安や大規模施設の利用の関係上トリニティ側になりそうだということも関係しているかもしれない。
「ゲヘナで、とは聞いていましたが、万魔殿が相手なのですか。アリウスもしたたかですね。トリニティ・ゲヘナ両校に橋頭堡があることになります」
「万魔殿のマコト議長ってあんまり頭良くなさそうだし、私みたいに騙されてるんじゃないの?」
ミカの自分のことを棚に上げた発言に、ナギサは僅かに嘆息した。たまにはやり返してやろう、と思った。
「むしろアリウスからすれば、利用できるだけのリーダーは好都合でしょう」
「あっ、なにそれ! バカにしてる?」
「ふふ。ええ。ですから、今度はバカにしてやりましょう。ミカさんの誠意をふいにしたアリウスを」
ミカはぷりぷり怒っていたが、ナギサの言葉に少しだけ悲しげな表情をした。
「私はみんなで仲良くしたいだけなんだけどなー」
「……エデン条約機構が成立すれば、結果的にミカさんのいうとおりに仲良くできますよ、きっと。相手の主張と自分の主張を擦り合わせて融合させた別案で妥協する……いや、させるのが政治というものです」
その後しばらくやり取りをして、アリウス側の状況を確認し、何やら書類に書きつけたところで、ナギサが言った。
「では、補習授業部は手筈通り4名でいきましょう。白洲アズサさん、浦和ハナコさん、阿慈谷ヒフミさん、そして下江コハルさん」
補習授業部。ナギサがまだミカの内通を知らなかった頃に計画していた組織で、実質的な監視のための部活動である。
メンバーは、折悪くテロ行為を行った白洲アズサ、淑女として不適切な格好で学内を徘徊する浦和ハナコ、ブラックマーケットに出入りした疑いのある阿慈谷ヒフミ、そして、単純な学力不足の下江コハル。
もっとも、今となっては本当の裏切り者がミカであると判明し、二重スパイとして活躍すらしてくれている以上、裏切り者の捜索の必要はないはずだが、ナギサの為政者としての臆病な心がもう一つの情報ソースを求めたのだった。
「ふーん。でもいいの? ヒフミって子、お気に入りなんでしょ?」
「そうなのですが……」
ふう、と大きく息をつくナギサ。苦々しい表情からは大きな迷いが読み取れる。とはいえ、決めあぐねているわけではないようだ。
「できれば、これを経て疑いを晴らしてもらいたいのです。ヒフミさんがブラックマーケットに頻繁に出入りしているなんて、まだ信じられませんから。……それに、コハルさんを入れるための正義実現委員会側への譲歩でもありますし、……"裏切り者を探る"というミッションを与えてもいます」
「……期待してるんだね。でも、あはは。居もしない裏切り者を探させるのは可哀想かもね」
「そうかもしれませんが、ハナコさんにその気がないのであれば、次なるティーパーティのメンバーにヒフミさんを、と思っています。あとは少しバランス感覚を身につけて貰えれば……」
「あはは。この子、ペロロ様のライブでテストサボったって話でしょ? 結構メチャクチャだもんね☆」
再び大きく息を吐いたナギサが付け加えるように言った。
「それと、顧問としてシャーレの先生を招聘します。いえ、正確にはまだ"お願い"を打診しただけですが、事前の人物評からいって断られないと思っています。アビドスでは大活躍だったようですし、こちらでも辣腕を振るってもらいましょう」
「ああ……ちょっと前に就任したっていう? どんな人なの?」
ナギサはファイルから1枚の紙を取り出し、ミカに見せた。左上には"先生"の顔写真が貼り付けられており、身長や体重などの外見上の特徴がその左に書かれている。
特筆すべきはその下だ。これまでの、つまりアビドス高校の廃校対策委員会での活動がかなり細かく記されている。
着任から、ヘルメット団と名乗る武装組織相手の初陣、黒見セリカの救出、ゲヘナの便利屋との戦闘。アビドス高校の廃校に際しての様々な問題のバックにはカイザーコーポレーションがいたらしく、子会社のカイザーローンやカイザーコンストラクションともやり合ったようだ。顔に似合わず武闘派らしい。
『なかなかアグレッシブなようだな、先生ってのは。……アゼムといい、あいつといい、
『結構すごい人だね……』
エメトセルクの言葉に内心で同意するミカ。
さらに読み進めると、小鳥遊ホシノの救出にあたり、L118の限定的な運用も許可したようだ。アビドス旧市街地に向けた訓練と銘打って、現場指揮はヒフミがとったらしい。
また最終的には便利屋とも和解……なのか雇い直したのか分からないが、味方につけているようだ。
『ふん、なるほど。生徒の味方であるのは間違いないらしいな。しかし、カイザーとかいうのは結構な大企業なんだろう? そんなものが何もない砂漠に執着するのは些か不自然だぞ』
『それは、そうかも。……でもここに書いてないってことは、ナギちゃんも知らないのかな。これ、多分ナギちゃんが自分で考えをまとめるために書いてる資料みたいだし』
ミカの推測は当たっている。ナギサがミカに見せた資料は、トリニティ総合学園の諜報部が上げてきた情報をナギサが個人的にまとめたもので、記述してある内容は全て裏が取れている立派なものだ。
アビドスは災害続きで人の流出が激しい土地ということもあり、人口が少ないため外部の人間は目立ちやすい。その中で、これほどの資料が作れるような組織が、またそれを指揮するナギサが味方で良かったとミカは少し呑気に思った。
「結構すごい資料だね。今更だけど、私が読んで良かったの? これ」
「今更ですね。ミカさんに隠し立てすることもありませんし」
「……わーお」
ミカは、自分がナギサにまだ隠し事をしていることに居心地が悪くなった。エメトセルクは自分を見るミカの様子を見て何を考えているのか察したようで、肩をすくめた。
『エメちゃん、あのね、』
『はぁ……、好きにしろ。これほど信頼されているなら、別に話したところで関係が変わるものでもないだろう。ただ、私は余計な仕事はしないからな?』
『うん。……ありがとう』
「ナギちゃんにも、いつかちゃんと話すね。私のこと。今は……ちょっと、覚悟するのに時間が欲しいから」
ナギサはミカの方を見て少し驚いた顔をしたが、すぐに優しげな笑顔になった。
「……ええ、お待ちしていますよ。ミカさん」
☆☆☆
「それでは、これからよろしくお願いしますね、先生」
"うん、ナギサ。こちらこそよろしくね"
ナギサは先生との通話を終了し、一息ついた。案の定、先生は補習授業部の顧問への就任というお願いを断らなかった。ミカの状況こそ伏せているものの、裏切り者を探しているということ、ヒフミをそのための協力者として動かしてよいということも伝えてある。
「"先生"、どうだった? ナギちゃん」
通話が終わったのを見計らって、ミカがナギサに尋ねた。
ナギサの声から打診に承諾したのは概ね分かっている、というのは2人の共通認識だ。なので、ミカが問うているのは人物像についてだ。ナギサは瞑目して答えた。
「思っていたよりもはるかに純粋で、大人らしくない、と思いましたね……。少し不安はありますが、アビドスでの立ち回りを見るにやる時はやるのでしょう」
「書類にあった通りって感じ?」
「書類の通り、ですね」
ナギサのまとめていた資料は2人の間では単に「書類」と呼ばれている。エデン条約関係や先生について以外にも、トリニティ内のシスターフッドや救護騎士団など各部活についてであったり、トリニティ外であればゲヘナはもちろんのこと、アビドスやミレニアムの各組織についての書類もある。特に有力な人物については単独で項目を作成していたりもするようだ。
ミカは全てを閲覧したわけではないが、ナギサの政治力の由来の一片を知った思いであった。
「じゃあ、これからが本番だね。私も頑張らないと」
「あまり無理はしないで下さいね、ミカさん。危険な役目ですから……」
「ううん、大丈夫☆ 私ってば結構強いの、ナギちゃんも知ってるでしょ。それに、セイアちゃんはいないけど、こうしてみんなでなんかやるの、初めてで楽しいよ☆」
「……そうですね」
ナギサは表情を消して、ミカの言葉に同意した。
エデン条約の締結は、今は行方が知れない連邦生徒会長の肝煎りの案件であり、現在の体制のティーパーティになってから初めての大型案件でもある。
連邦生徒会長が何を思ってゲヘナとトリニティを結ぼうと考えていたのか今となっては分からないが、とにかく力を入れていたのがナギサには印象的だった。
その様子は、ナギサにこの条約が何かとても重要なものであるという思いを植え付けた。
困難もあったが、ミカの言う通り最初は確かな手応えとやりがいを感じながら仕事を進められた。
しかし、進めた一方でセイアを喪うかもしれなかった、となれば話は変わってくる。
ミカの幼稚とも言える願いをアリウス側が利用した結果とはいえ、セイアはナギサの大切な友人の一人であり、体調不良からナギサが代わっているもののティーパーティの現ホストでもある。
そんなセイアを喪ってまで進めるべき計画なのかは、ここ数日……、裏切り者がミカであると発覚したことで再考することができた。
結果的に喪うことはなかったとはいえ、現在まで意識は回復しておらず、予断を許さない状況である。
ナギサは元々、セイアの次に狙われるのはナギサ自身であろうと考え、もし自分の身に何かあればミカに全てを託して条約締結を進めて貰おうと考えていた。
しかし、ミカがトリニティを裏切ったままであれば、ナギサが襲われればもはや条約は御破算となっていたであろう。トリニティもおしまいだ。
その最悪の想定は、ミカがこちらについたことで起こり得ないと分かっている。分かっているが、いや、分かっているからこそ、エデン条約の取り扱いについて悩んでいるのだった。
(ミカさんに判断を委ねると言うのも酷ですし……)
(アリウスの目的が掴めるまでは、ひとまず締結にむけての今の活動を継続しましょうか)
悩む時は、情報が足りない時である。
そして、情報が足りない時の判断は、間違いやすい。
決断の大原則に従ったナギサだが、この時に判断を保留したことを後悔することになる。
☆☆☆
[当番の生徒の皆さま]
[平素よりお世話になり、ありがとうございます]
[明日より、しばらくトリニティに出張することとなりました]
[つきましては、明日からの当番の予定をキャンセルしたく、連絡差し上げました]
[急な連絡で申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします]
すっかり夜になってしまったが、書類作業にひと段落をつけた先生は、なんとか忘れずにモモトークへの投稿をした。アロナの指摘がなければ忘れていただろう。ナギサからの通話は午前中には来ていたのだから、早めにしておけばよかったのだが、なんとなく申し訳なくて、ずるずると後ろ倒しになってしまった。
アビドスでの騒動の興奮も冷めやらぬ頃である。先生はオフィスチェアから立ち上がって大きく伸びをした。
"アロナ、そろそろ寝るよ。朝になったら起こしてくれる? "
『分かりました! モーニングコールですね、任せてください!』
シャーレの保有するビルにはシャワー室も仮眠室もある。外の世界から来た先生はキヴォトスに拠点がなく、都合よくオフィスを拠点にしていた。治安はあまり良くないので、貴重品は金庫に入れている。もっとも、外の世界のお金や身分証は使えないので、大したものは入っていない。
シャワーを浴び、仮眠室のベッドに横になる先生。
アビドスに比べれば、トリニティとゲヘナの2校はマンモス校と行っていい巨大な学校だ。それら2校が対立の溝を埋めんとする条約……。簡単なものにはならないだろう。
だが、アビドスで力を貸してくれたヒフミも良い子だったし、今回初めて話をしたナギサも、少し疑り深いところはありそうだったが、良い子だった。むしろ先生としては楽しみですらある。
そんなことを考えているうちいつの間にか眠りについていたようだった。
"ここは……? "
不思議な空間だった。壁や柱の修飾など舞踏会場のような瀟洒さもあるが、教室のようなサイズと黒板の配置は学校という施設から離れすぎてはいない。貴族たちが通ったという古い時代の大学はこのような感じなのだろうか。
もちろん、先生はそのような施設に行ったことはないので、イメージに過ぎないのだが。
「ああ、やっと此処に来られたな。私はセイア。百合園セイアだ」
"私はシャーレで先生をやっています。よろしくね、セイア"
教室のように並べられた机と椅子の一つに、生徒が一人座っているのに気づいた。先ほど見まわした時は気が付かなかったが、先生は生徒を疑わない。
挨拶をされれば笑みを浮かべてすぐに応じた。
「夢の中にいきなり現れて、不躾ですまない。私もティーパーティの一員なのだが、少々身体が弱くてね。このような形での挨拶となり、申し訳ない」
椅子から一時立ち上がって、狐のような大きな耳を倒し、頭を下げるセイア。その所作は完璧だ。少なくともそういった礼儀に疎い先生にとってはそう見えた。白を基調としたトリニティの制服は少し改造されており、しかし高貴さを失ってはいない。
"ううん。会えて嬉しいよ。今日は、何か困りごと? "
先生はあくまで微笑みを崩さずに言った。悪く言えば単純そうな、頼られたことが嬉しいと言わんばかりの笑みだった。
「ああ……。いや、なんと言ったものかな。忠告と、頼み事が一つずつ、か」
言葉をゆっくりと選んでいるセイアを、先生はニコニコ顔のまま待った。相槌を打って、続きを促す。
「先生は、七つの古則のうち五つ目の古則を知っているか?」
"……ごめん、よく知らない。説明してもらえるかな"
「『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することは可能か』、だ。意味だけを捉えるならば、心の中の証明とも言える」
ふう、とセイアは息をついた。先ほどまではそうでもなかったが、少し顔も紅潮しており、体調が良くなさそうだ。本人の言葉通りらしい。
「あまり、時間が取れそうにない……。すまないが、要点だけ伝えることにする。これからきみはナギサの依頼でトリニティに赴き補習授業部の顧問となるだろうが……、聖園ミカに気をつけろ。そして、可能ならミカの抱えている問題を解決してやって欲しい。これが、忠告と依頼だ」
ついにセイアは机に肘までついて肩で呼吸をしだした。姿も薄れてきている。先生は駆け寄ったが、身体に触れることは叶わない。夢の中だからだろうか、すり抜けてしまうのだ。
「頼む、詳細は、また、こんど……」
"承ったよ、セイア"
なんとか回答を聞いて、うっすらと笑ったセイアはそのまま空間に溶けるように消えてしまった。それと同時に、教室も闇に溶けていき……、しばらくして、先生も意識を手放した。