シャーレの先生がついにやってきたらしい。ナギサからそう聞いたミカは、先生に会いに補習授業部の合宿所に来ていた。
合宿所は学区内の使用されていない建物で、あまり清潔ではない……はずだったが、来てみると掃除されており、屋外プールもきれいな水が張られ、星と電灯を反射してきらきら輝いていた。
すこし、羨ましい。
ミカは授業での水泳を除けば、海やプールで遊んだことはなかった。そのような遊びが許される立場ではなかった。
フェンス越しに、プールで遊ぶ補習授業部の皆を幻視した。
今日、挨拶をしたいという旨は、ナギサから先生へ連絡を入れてもらってある。先生はシャーレとしての仕事や、補習授業部への指導などをこなした夜になら時間が取れるとのことで、少し遅い時間だが立ち会うことになった。
フェンスに手を掛け、ため息をついたところ、後ろから声がかかった。
"ごめん、待たせちゃったかな? "
ミカが振り返れば、ナギサの書類で見た通りの先生が微笑んでいた。精悍な顔つきで、年齢は二十代半ばくらいだろうか。服装はシャーレの……というか、連邦生徒会のスーツで男性用のものに見えるが、声はアルトともテノールともつかず、聞き心地は良いが性別はよく分からなかった。
「ううん。こんな遅くなのに、時間を作ってくれてありがとう、先生」
"いや、私の方こそ、夜になっちゃってごめんね。なかなか仕事が終わらなくて"
先生は眉を下げ、申し訳なさそうな顔をした。トリニティにいるとどうしても言葉の裏の意味をとってしまいがちで、"忙しいのに呼び立てるとは何事だ"と言っているように思えてしまう。しかし、先生にそんなことを思う必要はなさそうだ、とミカは思った。
「改めまして。私がトリニティはティーパーティー、パテル派のリーダー。聖園ミカです。よろしくね、先生」
"ご丁寧にありがとう。知っていると思うけど、シャーレの先生です。まだトリニティに来て数日だから分からないことも多いけど、精一杯頑張るよ"
ミカが珍しく披露した完璧な一礼を、そうとは知らず先生はニコニコして返礼した。ミカはつい、エメトセルクのものと比べてしまった。先生のものは、おそらくどこの礼式にも則っていないものだろう。粗野で庶民的で、しかし、なんだか心地よいものだと思った。
ミカは早速本題に入ることにした。
「……ナギちゃんから、聞いてるよね? その……『裏切り者』について」
"うん、大事な条約が迫っているんだよね。そのために、って話を聞いているよ"
ミカは努めて、苦笑いの表情を作った。
「うーん、……あはは、ナギちゃんってば、最近いつもそんな感じなんだよね〜。先生はどう思う? 裏切り者、本当にいると思う? いたら、どうする?」
"……私は、みんなの事を信じてるよ。まずはよく話を聞いて、……それからもしかしたら、お説教かな"
ミカは今度は意外そうな表情を作った。実際に意外だった部分もあるので、上手くいっているだろう。
「ふーん? ……生徒思いなんだね」
"もちろん。それが『先生』だからね。そして、その生徒の中には、きみも含まれているんだよ、ミカ"
「ふふ。私の味方、ってこと?」
"きみも含めて、生徒みんなの味方だよ、私は"
先生は穏やかな笑みを保ったまま、表情を崩さない。ミカはそれがとても信頼できるものに思えて、そう感じている事を少し不思議に思った。
「まあ……、それなら安心かな。私が今日呼んだのはこうして実際会ってみたかったから、っていうのもあるけど、本当は違くてね」
「——白洲アズサ。彼女が、ナギちゃんが探してる"裏切り者"……。先生には、アズサちゃんのこと、守って欲しいんだ」
☆☆☆
先生との一時の邂逅から帰路になると、もうすっかり深夜と呼んでいい時間であった。しかしまだ一仕事……いや、ふた仕事残っている。ミカはため息をついた。
「はあ、エメちゃんに言われた通りやってみてるけどさ、これ思ったより大変……! このあとサッちゃんに連絡と、その後ナギちゃんに連絡でしょ、ゆっくりお風呂に入る時間もないじゃん」
サオリへの連絡はモモトークではなく、古式ゆかしい暗号文を用いた手紙で行う。指定の場所、指定の時間に、ひっそりと手紙を置いておく方法だ。歩いて指定の場所に向かう時間を含めても時間までは余裕があるが、面倒くさくなったミカはエメトセルクにエーテルの供給をする約束をして、紙とペンを宙に浮かせながら書き取ってもらっていた。暗いので見られても分かりはしないだろう。
ミカは立場もあって目立つのであまり出歩けないが、居どころはハッキリしているので、細かい連絡はアリウス側から来ることが多い。
今回もその例から外れなかった。
ナギサへの連絡は普通にモモトークで行う。アリウス側に適切な電子戦装備があったら筒抜けかもしれないが……、少なくともミカの見た限りでは、アリウスの装備はもっと前時代的で、日々の食事にも困っているように見えたので、そんなことはないと信じたい。
むしろ、アリウスに機器がないからこういった連絡方法なのだろう。ミカはそう思うことにしている。
少なくとも、これまで十数日間のスパイ活動はアリウス側から非難されていないし、当初ひと暴れした後の反応を見る限り数日のうちに攻撃してくるはずだからだ。
エメトセルクはミカの言葉に肩をすくめるだけで反応して、続けた。
『やれやれだな。……噂の先生とやらは、ああいうタイプか。まさに
エオルゼアの英雄、光の戦士も同じだった。ふつうはあちこちにいい顔はできない。必ずどこかで利害が対立する。しかしなぜか……やつらが動くと上手くいく。それがカリスマなのか何なのか、エメトセルクには正体がわからなかった。
そんな英雄は、彼にはいなかった。
世界は滅んで分かたれたし、統合も上手くいかなかった。
死後戻った記憶からすれば、統合が完全に済んだところで滅びを回避できたかどうか。
エメトセルクは小さくため息をついて、堂々巡りの考えを振り払った。
『まあ、お前はよくやっているよ、聖園ミカ。今のところはうまくやれているだろう』
「わ、素直に褒めるなんて珍しいじゃん? どういう風の吹き回し?」
エメトセルクは憮然として答えた。
『私はさっさとエーテルを集めたいだけだ。今までは機会がなかっただけで、必要があればお前の働きが最大化するよう手を尽くすさ。ほら、手紙が書けたぞ』
丁寧に折りたたまれ封筒に入れられた手紙が空中を滑ってミカの前に飛んできた。受け取りながらミカが言う。
「わ。やっぱ便利だねー、魔法。私も使えるようにならないの?」
『そりゃ、適切に時間をかければできるだろうが。あいにく唯一の教師役であるところの私にはあまり時間がなくてな』
「そりゃそっか」
エメトセルクの目的は、あくまでエオルゼアでの連絡のためのエーテル集めである。順調にエメトセルクを構成するエーテルは増加しており、腹部に空いていた穴もすっかりなくなり、心なしか顔色も良く見える。
エーテル界と物質界、そしてこのキヴォトスでどのように時間の流れが異なるのかは分からないが、いつまた"終焉を唄うもの"が攻勢に出てくるか分からない以上、呑気に教師役などしていられない。
それに、教師などいかにも面倒くさそうである。絶対に厭だね、とエメトセルクは考えていた。
☆☆☆
「やっほー☆ ナギちゃん! 補習授業部の調子はどう?」
バタン! と大きな音を立てて、ミカがナギサの執務室に入ってきた。いそいそとガンラックに銃をしまっている。相変わらず、無作法だ。
「ミカさん、いつも言っていますが、騒々しいですよ。……補習授業部は問題ありません。先生のご指導もあって多少は点数を伸ばしているようですが、いざとなれば試験会場の変更や合格点の引き上げなども可能です」
「あは。メチャクチャやる気じゃんね、ナギちゃん。私の方も、ちゃーんと先生に伝えてきたよ。アズサちゃんについてね」
白洲アズサ。彼女への疑いを、2人は強めていた。ミカがアリウスと接触していく中で、セイアの襲撃に最も近かったのは彼女であるらしいと結論づけたのだ。
先生は、生徒の味方だという。であるなら、警戒を促すよりも守ってあげてほしいと伝えた方が、先生は気を引かれるだろう。これはナギサの案だ。エメトセルクも同意したので、あまり政治が上手くないミカは黙って実行役を引き受けた。
あくまで部外者である先生に、白洲アズサがどこまで気を許すかは未知数だが、悪くない案に思えた。
和睦の使者としてアズサを選んだのはアリウス側だ。アリウス側からすれば、アズサはミカとは異なる情報源のスパイとなるはずで、信頼は篤いはずだ。
そんな彼女が、実際にはセイアを殺害しないまま、殺害の報告をしている。
真意が読めない。
直接話をしてくれれば手っ取り早いのだが、アリウス側であると認識されているだろうミカは警戒されているだろうし、ナギサはツテがなければ一対一で会うのは難しい。どちらの勢力も裏切っているのであれば、一対一でなければ、重要なことは口にしないだろう。
そこで、補習授業部である。
先生にアズサからの話を聞いてもらいつつ、先生という強力なカードを持った第三勢力になってもらおう、というわけだ。
そのためには、むしろ複雑な事情は伝えない方が良いだろう、とナギサは判断した。エデン条約やそれを取り巻く環境について先入観や偏見を持ってほしくない、というのもあるし、もし先生が見た目より遥かに間抜けで、開口一番に「やあ、アズサ。ナギサに言われたけど、アリウスを裏切っているって本当?」などと聞いてしまったら、全く意味がないのである。
もちろん、事態が収束しない可能性もあるが、……ナギサは、先生というフィクサーに賭けてみることにした。エデン条約を取り巻く環境はきわめて複雑になっている。巨大な権限をもって一挙に動かさなければならない。それが自分になるのか、先生になるのか、まだ分からないが……。
ナギサは紅茶に口をつけた。
ミカが戻ってきて、それは嬉しいのだが、むしろ話はややこしくなってしまった。
(いえ。取得できる情報が増えたのですから、当然ですね)
(アリウス、ゲヘナ、そして、白洲アズサ……)
(歴代の生徒会長の皆さまであれば、どのように判断なさるでしょうか……)
ナギサは音を立てずに紅茶を飲み込み、ミカの方を見た。ミカはニコニコと何も知らないような顔で書類仕事に当たっている。ミカには二重スパイという過酷な任務を与えてしまっている。つい昨日もナギサが眠りについた後で連絡が来ており、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
(いましばらくは、ミカさんに頼るほかありません……。心苦しいですが、せめて必要なサポートができるように整えておきましょう)
日が暮れてゆく。それほど気温は高くないはずなのに、斜陽がナギサの頬を焼くようだった。
☆☆☆
セイアは、また夢を見ていた。意識が回復していたら現実と夢を混同してしまいそうな頻度だが、あいにく今は眠り続けているので、そんな心配をする必要はない。
ナギサのこと。先生のこと。補習授業部のこと。……そして、エデン条約と、その先の未来のこと。
毎日……なのか、起きていないので分からないが、夢の中で気がつくたびに様々な夢を見ている。未来のことだけでなく、過去のことを見ることもある。しかし、
(ミカ……。どこだ、ミカ。なぜきみの姿を見られない? )
ある時から、ミカの姿が見られなくなっていた。
セイアの予知夢は、自由自在に発動できるものではない。時間も対象も、それどころか発動するかどうかすら、曖昧なものだ。
だが、だからこそ寝ていながらにして現実の状況がよく分かる。満遍なく、様々な情報を拾える。
たとえば、先生が置かれている状況については、先生よりも詳しいだろう。盗み見るようで忍びない思いもしたが、それを踏まえて助言を与えるのは自分にしかできないことだと思うことにしている。
そのランダムの予知夢の中に、聖園ミカが、聖園ミカだけがいない。ミカが居る場面にアクセスできないのだ。
予知夢の中で、セイアは自由に動けるわけではない。扉を開けることはおろか、その場所からただ歩いて移動することすらも非常に難しい。
だから、校舎の中を夢に見たとしても、ミカに会いに移動することはできない。
できるのはシーンの移動だけだ。次の夢に向かう、とでも表現すべきか。一度意識を失い、ふたたび夢をみるまで眠る。
当然、能力を多用することになり……、ミカを探して、セイアは消耗していた。
セイアにとってもミカは大切な友人ではあるが、ミカに執着しているわけではない、とセイアは思っている。そうではなく、自身の予知能力に疑いを持ちたくないのと、これまで干渉されることのなかった予知夢に初めて干渉されたことで、能力の限界について興味が生まれたのである。
(やはり、あの時のローブの男か……)
ミカのことを最後に見たのは、ミカが腹に穴のあいたローブの男となにやら会話をしている場面だった。現実の空間とは思えない、不思議な場所で……、場所の詳細はよく覚えてないが、あの男のじっとりとした視線はよく覚えていた。
目が合ったのだ。
そんなはずはない、と思ったのも束の間、直後に意識を失ったことで確信した。
あの男が何か力を働かせて、ミカを隠しているのだ。
ミカの身に何が起きているのか、セイアには判断がつかない。だから、先生にミカの様子を探ってもらっている。
都合がよいことに、セイアの夢の中では時の流れは少々融通がきく。依頼や忠告であれば"補習授業部の顧問になった先生の夢に入り込めた時"にすればよい。一方的な連絡になる点と、自身が話をしたこととその内容を記憶しておく必要はある点には注意が必要だが、現実では活動できていない自分に取れる最大の手段であるし、セイアは記憶力には少々自信があった。伝えることはできるだろう。
ただ、伝えたところでうまくいくかは先生次第ではある。
エデン条約だけでも困難な課題であるというのに、セイアは先生が強大な敵と戦うビジョンを見ている。
灰色のローブと赤い仮面をつけた女は、天使のような羽を背中に持っている。しかし、魔女と呼ぶに相応しく邪悪なオーラを纏っていて、そして——
——あのヘイローは、ミカのものではなかったか。
10日に1度くらいのペースを目指します(遅刻)