イグサクロニクル 作:Rush
そこにあるのは、泥だった。
真っ白い泥。粘性を持ち、足を掴み、湧き出て、沈んでいく泥。
泥。泥。白い泥。
──それだけの世界。
それだけに、なった世界。
「……魔力が多いと長命になるという。では果たして、無尽蔵の魔力を持つ者は、死に至り得るのか」
セカイが始まってから、気の遠くなる年月が過ぎた。
セカイが繁栄を始めてから、気の遠くなる年月が過ぎた。
セカイが消退を始めてから、気の遠くなる歳月が過ぎた。
気付けば、命は泥となり。
気付けば、世界は泥となり。
ただ自分だけが遺った。
「まさか……自分で使う日が来ようとはなぁ」
迫りくる泥も、近づくことはできない。
展開される言語は年代も体系もバラバラで、けれど一つのことを指し示している。
即ち、移動魔法。
「……手土産くらいは持っていくか」
その羽根を一枚取り出して。
*
空間が歪曲する。
先客は三名。否、四名。知識に基づき魔力の膜を張る。
「来たわね、最後の客人」
「客人……?」
「あぁ? お前も誰だ!」
「わぁ、女の子だ……って飛びついたら危なそうなフンイキだね」
雨の降る日本。
昔懐かしい湿気に溜息を降ろしながら、喉を震う。
「ラン。私はランだ。──次元の魔女、対価は用意してある」
「事を急きすぎよ。未だ誰が誰なのかもわかっていない……そうでしょう?」
「サクラを助けてください!」
魔女の問いかけは、心底焦る少年の声にかき消された。気を失った少女を抱える少年。
「落ち着きなさい。……その子が、サクラ。あなたは?」
「小狼です」
「そういうてめぇは誰なんだ」
「先に名乗りなさいな」
「……俺は黒鋼」
「アナタは?」
「セレス国の
成程、急きすぎていた、というのは事実らしい。
まだその段階だったとは思っていなかった。
「そして、貴女がラン」
「ああ。──陣はこちらで敷いておく。次元移動の助力となるだろう。その間に、願いと対価を進めておくといい」
「段取りは全てわかっているようね。なら、任せるとしましょうか」
陣を描いていく。
モコナ=モドキの次元移動と競合しない、包み渡る移動。
その間に進んでいくのが願いと対価の話。それぞれの願いと、それぞれの最も大切にしているものを。
黒鋼は愛刀。ファイは紋様。小狼は関係性。
「そして貴女は──」
「私の願いと対価は同一だ。ゆえに、今奪うも後で奪うも好きにしろ」
「……そうね。そうするわ」
「おい、なんかコイツにだけ甘くねぇか?」
「いいえ。対価は誰に対しても平等よ」
描き終わる陣と、支給されるモコナ=モドキ。
解析。修正完了。
「さぁ、行きなさい」
モコナの次元移動が発動する。
次元移動と記録に特化した
そうしてこのセカイから消え去る私達に、言葉が添えられる。
「どうか、彼らの旅路に幸あらんことを。そして」
そして。
「──彼女に安らぎあれ」
次に目を覚ました時、私達は異世界にいた。
異世界。阪神共和国。
魔力膜の張り直しを済ませて、警戒用の使い魔を飛ばす。鼠とか烏とか、そういうの。
あれ。……そういえば私、巧断と会わなかったけど。……魔力膜のせいで声が届かなかったとか?
「それ、使い魔?」
「ああ。私の目となるものだが、大した戦闘力は持たない。魔法か銃か、あるいは剣や拳の一つでも食らえば雲散霧消する」
「へぇー。目覚めてすぐにそんなものを放つなんて、警戒心が高いんだね」
「異世界だ。何があるかわからない上に、目的も定まっている。ここがお前やデカいの、小僧の目的の地でないのであれば、姫とやらの羽根を見つけるのが最優先事項。それを見つけ、回収さえしてしまえばこの世界は用済みだ。違うか?」
「誰がデカいのだ誰が。俺は黒鋼だ」
正直言って、阪神共和国の治安は良いとは言えない。
階級こそあれど、一般人に力を持たせるとこうなる、の地獄絵図を体現した世界だ。だから万が一を考えて警戒をするに越したことはない。
「起きないね、彼」
「起きないのは少々マズいな」
「何がだ」
「敵性存在だ。明らかに他者を害さんという意思を持つ集団が二つ、ここへ向かってきている」
「あ? ……なんだそりゃ。俺たちを狙ってるってか?」
「というよりは、その二集団の衝突のど真ん中に私達がいる、という表現が正しいだろうな」
……おかしい。小狼が起きない。
いや、私という妨害電波の塊のようなものがそばにいるんだ、巧断が近づけないという可能性もある。
「んー、じゃあ、あっちの壊れたものの中に身を隠した方が良さそうだね」
「別にぶった切ればいいだろ」
「刀も無いのに?」
「……ちっ」
黒鋼の愛刀銀龍は対価として次元の魔女が受け取っている。
今彼は無手であり──無論それでも強いが──相手が集団となれば、もしも、もあり得る。
何より意識不明が二人もいる状況だ。それを守りながらとなれば。
「てめぇらは戦えねえのか」
「うーん、オレは戦いたくない、が正しいかな」
「あぁ? んだそりゃ」
「戦うのは構わない。殺人に忌避も無い。ただ、それをすれば否が応でも世界に嫌われる。この世に偶然が存在せず、必然だけがあるのだとすれば、世界に嫌われることは必然を逃すことに等しい」
「回りくどいなお前。要は隠れるのが良いって話だろ」
その通り。
意識が無いのに決してサクラ姫を離そうとしない小狼を黒鋼が抱え、近くの破損したバスの陰へと移動する。
「ところで黒鋼」
「なんだ」
「あそこにいるヒョロっとした者は敵性存在ではないように思うが、
「ヘッ、
「どう見ても一般人ッて感じの子がいるねぇ~」
「あ、でもこっちに気付いたみたいだよ!」
ようやくモコナが喋った。
……こっちもこっちで調整をしていたのだろう。申し訳ない。時間が出来たら魔力膜を改良することを約束する。
「あ、あなた達そこで何やってるんですか! 危ないですよ!」
「知っている。だから隠れている」
「隠れてないで逃げてください! ここはもうすぐ戦場に」
「承知した。少しばかりの間時間をくれ。今しがた見つけた空き地へと転移する」
簡易魔法陣を生成する。
衝突。それが起こる前に、こちらの一行プラス一般人……斎藤正義を連れていく。
史実の書き換わりなど知ったことではない。というか、意識が戻らないのだから仕方がない。
して。
「え、え……ここは?」
「便利だねぇ、ランちゃんの魔術」
「す、凄いです! こんな大人数を一瞬で移動させる巧断なんて、見たこと無い!」
魔法が巧断と勘違いされているけれど、それはいい。
それはいいとして、早い所安全な場所へ移動したい。私という存在が彼らと巧断を阻害するものになっている可能性がある以上、一度離脱して戻ってくる、をやらなければならない。
……仕方ない。多少強引だけど、有洙川夫妻をこっちに呼び込むか。
意味深な視線をファイから感じるけれど、まぁ深くは踏み込んでこないことを知っているから大丈夫。
「今度は何してんだ」
「世界を調べている。……いや、自分で向かった方が早いか。すまない、黒鋼、ファイ。少しの間この二人を頼めるか」
「いいよ。ただオレ、何にもする気ないけど~」
「断る。俺は俺の世界に帰りたいだけだ。お前らの事情に首を突っ込む気はサラサラ無ぇし、頼みを承る所以も無ぇ」
という黒鋼に、急造ながら鉄製の剣を錬成する。
刀とは勝手が違うだろうけれど、まぁ、多分、なんとかなるだろう。
「……なんだ」
「土壌の鉄から作った剣だ。耐久性能は粗末なものとなるだろうが、脆い剣を壊さずに使う術くらいは持っているだろう?」
「……一応、受け取ってはおく」
「黒リンツンデレだ~」
「誰がだ!」
「では、頼む。ああそれと、幸運を呼び込む呪いをかけたから、もし幸運が自らやって来たのならそれに従ってくれ。私はどこにいても追いつける」
なんて適当な理由を付けて離れる。
多分これで小狼が起きるはず。起きてくれないと困る。
……手土産に持って来た羽根、渡しそびれたな。
でもまぁファイのがあるから大丈夫か。
阪神共和国の一番高いところに降り立って──溜息を吐く。
──ツバサクロニクル。あるいはツバサ -RESERVoir CHRoNiCLE-。
この世界は、そのセカイだ。
とはいえ私が元居たセカイは、彼らの訪れなかったセカイ。無数にある世界はだからこそ、決して交わらない可能性だってもちろんある。
自分の生まれたセカイが"そう"であるということは知っていたし、次元移動の魔法も早々に覚えた──けれど、使う日が来るとは思っていなかった。
だって、願いが無かったから。
案外。
本当に案外、なんでもできてしまった。
だから、世界を渡る必要が無かった。
問題は──魔力があまりにも多すぎて、セカイが消退しても尚生き続けてしまったこと。
だから私の願いは、アレになった。
──"憂いを帯びた顔ね"
「合理か、倫理か。この旅の主導権は小狼にある。羽根の在り処はわかっていても、恐らく倫理が許さない。私は小狼の選択を信じるし、主体性を持つことをしない。これが老婆心という奴か、壱原」
──"かもしれないわね"
「であれば続け様にこう言おう。暇なのか? 次元の魔女」
──"ええ、とても"
夢を視ずとも、縁は繋がっている。
一度作り上げた契約は糸となり、世界を挟んでも互いの位置を知らせ続ける。
──"すべてを知っていて、何も話さないのは、どうしてかしら。私はアナタからそんな対価を貰った覚えは無いのだけれど"
「次元の記憶を経なければならないのはサクラ姫だ。だが、人と人との交流、あるいは超常的存在との歓談で成長していく彼らの機会を奪うことはできない」
──"流石は大魔導士ね?"
皮肉だ。
そう呼んでくれていた人々はもう、どこにもいないのだから。
「壱原。私が離れたことで、彼らは彼らの巧断と出会えただろうか」
──"それを知るには、対価が必要よ"
「……こんな些細なことにもか。じゃあいい。自分で確認しに行く」
──"ええ、そうしなさいな。それに"
遠くから見守るだけでは、見えないものもあるのだから。
そう言葉を残して、次元の魔女との通信は切れた。
たとえ無尽蔵だとしても。
「割に合わん。コスパ最悪だな」
払った魔力と得た情報が一切釣りあっていない。
ただ、金言ではあったかもしれない。
私は彼らを……多分、どこかで壊れ物ののように扱っているから。
知っている。張りつめたピアノ線が如く、偶然……いや、必然と必然と必然が重なった結果掴んだ彼ら自身の真実と事実。
今でさえ私がいたことでモコナが斎藤正義の巧断の中にあった羽根を感知できないという事態が発生した。あるいは後でわかることなのかもしれないが──もしくは、なんてこともあり得る。
そもそもを言うなら、あの展開は-RESERVoirじゃない方。クロニクルの方だ。
けれど、話し合いや「感覚」は-RESERVoirに近かった。……なれば知識など捨てるべきだろう。あの歴史は必然ではなく、辿り得た幾つかの道筋の一本でしかなかったと割り切るべきだ。
ああ、いや。
後悔は後でしよう。
私も願ったのだから──記憶の一部とならなければ。
日の暮れて来た辺りで、有洙川夫妻の経営している下宿屋を訪れる。
「待っていました」
「……すまない。少々遅くなった」
「いえ、あの少年も起きたので、丁度いい頃合いでしょう」
「そうか。それは何よりだ」
阪神共和国における巫女。現役ではないものの、魔力……この世界では霊力と呼ばれる巧断とは違う力。
その最たるものであり、夢見である女性。
「有洙川嵐です。あなたはランさん、ですね」
「ああ。……読みは似ているが、字は違うぞ」
「……ええ。それよりも、その"膜"。解かないのですか?」
「巧断が私に憑きたがっているか?」
「恐らくは」
「そうか。もし言葉を伝えられるのなら、謝っておいてくれ。私はこれを解くつもりはない」
「そうですか」
これは対策だから。
彼の呪いへの。
「あ! ランだー!」
下宿の二階から、ぼよんと飛び込んでくるモノがあった。
真っ白い、柔らかい……
……思っていたより柔らかいな。
「おかえり~、ランちゃん。小狼君はもう起きてるよ」
「……」
「すまない、時間を取った。すぐに行く」
モコナをふにふにする。「やぁ~ん」とか「うきゅ~」とか言ってる不思議生物。これは大きい方のモコナにも乗ってみたくなるというもの。
「よ、アンタが最後の同行者っちゅー奴か。わいの名前は」
「有洙川夫妻。次元の魔女から聞いている。自己紹介は必要ない」
「お、そうなん? せやったら話早いわ。巧断のこととかも」
「ああ。把握している」
「なら、今日は眠りぃ。初めての異世界や、疲れも溜まっとるやろ?」
「……そうさせてもらう」
「おう!」
快活な有洙川空汰の後ろをついて、下宿に入る。
視線は二つ。背後の嵐と、ファイのもの。
……気付かれているか。
「兄ちゃん二人は同室、小狼とサクラちゃんの部屋も同じ。アンタは一人になってまうが──」
「泊めてくれるだけで充分にありがたい。それ以上は必要ない」
「そか。ほな、ゆっくりな」
部屋に通され、そして有洙川空汰が出ていく。
少し……懐古に浸る。
私のいたセカイ。いや、もっともっと古い世界は阪神共和国ではないけれど……とても似た雰囲気の場所だった。
この畳も、壁の材質も、空気中に混じる匂いも……懐かしい。
「眠れないのかい?」
「わかっていることを聞くな、
「それはごめんね~。……眠らないんだね、アナタは」
「ああ」
眠らない。
睡眠をとらない。だから私は夢見ではないし、夢を渡ることもできない。
あのセカイに生を受けてから、あのセカイが真白の泥と成り果てるまでの時間、私はずっと覚醒していた。
「だが、お前は違うだろう、ファイ。特に私のようなものがそばにいては、気も落ち着かない。そうだろう?」
「ん~、それはどうかな~」
「どちらでもいい。お前こそ眠れないというのなら、私はまた離れよう」
「……ううん、大丈夫。ここまで近づいてわかったけど……キミのソレは、とても優秀みたいだ」
私、ではなく。
膜の方を指差すファイ。そうだろうか。まだ改良の余地が山ほどあるが。
「おやすみ、ランちゃん」
「ああ。おやすみ」
……とはいえ。
真夜中の女性の部屋。それも一人の部屋にこっそりと来る、というのは……どうなんだ、倫理。
翌日。
「おはようございます、ランさん」
「ああ、おはよう、小狼」
「その、昨日はありがとうございました。おれが気を失っている間、守っていてくれたと聞きました」
「同じ次元の旅人となったんだ。……そうだな、お前に分かりやすく言うのなら、砂漠で遭難者と出会った時、どう対応する?」
「え……えっと、まず水を渡して、服で日陰を作って」
「助けるだろう。たとえ相手が何者であれ、相手が困っているのなら。それは海を渡るもの、砂を渡るものらの共通見解だ。なれば、セカイを渡る旅人の見解も同じだろう」
「朝から小難しい話が聞こえる思うたら、要は旅は道連れ世は情けって奴やな!」
「ああ、その認識で合っている」
小狼。
……偽名は本名を隠すためにつけたものだが、ランだと被る……いや、発音が違うから構わないだろう。
「つか、姉ちゃんその服」
「この世界風にしてみた。どこか違和感はあるか?」
「服作れるんか? ほー、そりゃ器用やな。んで、バッチシや!」
OL、ただしある程度ラフな格好。
そういうコンセプトで錬成した服だ。まぁ、私の記憶とデザインセンスも損なわれてはいなかった、ということで。
「つうわけで、部屋ん中でじっとしとってもしゃあないし、サクラちゃんの記憶の羽根を早よ探さなアカンのやろ、この辺探索してきてみいや」
「いや、私はサクラ姫を守るために下宿に残ろう」
「え」
「オイ、黙って聞いてりゃどういう了見だテメェ」
「まーまー黒りん。朝だからってそうカッカしないで~」
「別に時間は関係無ぇよ!!」
昨日の内に阪神共和国についての把握は終わった。
羽根の在り処もわかっている。それでいて巧断との接触を私が妨害しかねないというのなら、やはり離れていた方が良い。小狼にはすでに憑いているようだけど、他二人がまだだ。
「ありがとうございます」
「気にすることはない。男三人の方が何かと動きやすいだろうしな」
「モコナもいるから四人なのー!!」
「ハッ、良くて一匹だろ」
ギャーギャー騒ぎながらも、役割分担には納得してくれたらしい。
サクラ姫を気にする小狼と、モコナと喧嘩する黒鉄を押してファイが下宿を離れていく。後ろ手を振って……また意味深な流し目で。
っと、モコナがいなくなって自動翻訳が切れたから、共和国語に直さなければ。
「行かんのやったらなんで着替えたん、姉ちゃん」
「緊急時、ということもあり得る。そこまで治安は良くないだろう、この国は」
「あー。……まぁ、頭に血ィ昇った奴らがぎょーさんおるなぁ」
「阪神共和国に戦争が無いとはいえ、明らかに異国の装束を纏った者が警察などの公的機関の前に現れて暴れまわってみろ。最悪事情聴取だけじゃ済まないぞ」
「確かに! つか姉ちゃん、この世界に馴染み過ぎやろ。それとも元居た世界も似たようなところやったんか?」
「いや、全く違う。違うが、昨日の内にあらかた調べ尽くした。問題はない」
「それ言うたら、実体験の方はまだやろ?」
「……? というと?」
「食いモンや食いモン。阪神共和国は食いモンの国! この世界で食いモン食わんと出ていくんは勿体ないで!」
それは……確かに。
たこ焼きとかお好み焼きとか、久しく食べていない。もんじゃも食べたい。
「明日の楽しみにしておく。今日はサクラ姫を守ると約束したからな」
「おう、楽しみにしとき! ……とと、わいも仕事に行く時間や。ほな、
「ええ」
去って行く有洙川空汰。
彼を見送って──。
「彼らの巧断は、既に憑いていますよ」
「そうか。取り越し苦労か」
「いえ。それでも、巧断というものの扱いに慣れるためには、必要なことかもしれません」
私がいたら、戦えてしまう。
ファイの流し目もそう言うことだろう。小狼と黒鋼に巧断を使う機会を。
……いけないな。また壊れ物扱いをしている。
「あなたは」
「はい」
「……あなたは、料理を作れるのか?」
「はい?」
勿論お店の料理は食べに行くと思うけれど、一般家庭の味、というのも懐かしいものだ。
ありつけるのなら、それに越したことはない。
「料理は……」
「旦那の方が上手い、か? 構わない。阪神共和国の味を知りたいだけだ」
「わかりました」
……さて。
私はまた結界でも敷いておきますかね。
その後、収穫ゼロで帰って来た小狼たちを迎え、また夜を過ごした。
翌日。
「……いや、私にはサクラ姫の守護が」
「何が守護だ。聞いたぞテメェ。特に何をするでもなくタダ飯食らってただけだってな」
「守護なんだ、襲撃者がいなければそうなりもする」
「うるせぇ、いいから今回はお前だ。オイ、そっちのヒョロヒョロ。今日の守護とやらはオマエがやれ」
「ん~。まぁ、いいよー」
いやそれだとファイの巧断を使う機会が。
……まぁ、いいか。ファイの心境がこの国で変化することはないだろうし。
「わかった。すまない、小狼。約束を反故にした」
「い、いえ! 昨日一日守っていてくれたんですから、そんな謝られることじゃ」
「それと、黒鋼。あの剣はどうした? 壊れたのなら作り直すが」
「いや、良い。それよりも良い剣に出会った」
そうか、既にか。
なら良い。
「集団行動と別行動、どちらがいい?」
「そんなに俺たちと一緒にいたくねぇのかテメェ」
「合理と効率の問題だ。お前達は強い。何かあっても対処できる。そして私も強い。何かあっても対処ができる。故の別行動だ」
「……そりゃ、俺とこのガキはセットじゃなきゃいけねえってか」
「お前は大人だろう、ある程度。対し、小狼は子供だ。加えて熱くなりやすい。違うか?」
「おれは……」
「子守りをしろってか。ヤなこった」
「そうか。ただすまないな、どうもそうは言ってられないらしい」
近づいてくる斎藤正義と──そして飛来してくる巧断。
狙いが定まっているからわかりやすい。
「あん? どういう意味だ」
「じゃあ、モコナはランと行くー!」
「こういうことだ」
連れ去られる。
そのまま、阪神城へ持っていかれる。
これであの二人にもモコナの重要性が伝わるだろう。
……ああまた、思考が。
とりあえず首根っこを掴んでいるプテラノドンのような巧断の首を掴み返し、身体を反転させてその身に乗る。勿論モコナは持ったまま。「きゃ~!」なんてアトラクション感覚で楽しんでいるモコナと、どうにか私を振り落とそうとする巧断。
「阪神城へ行くのだろう? 私もそこに用がある。連れて行け、巧断」
……言葉が通じるかはわからない。
巧断……この国の神々の言葉は描かれなかったから。
ただ、害意はないと伝われば僥倖だ。
果たして……意思は伝わったらしい。
巧断は私を振り落とさんとする動きから、目的地への飛翔へと動きを変えた。
ふむ。
乗り心地は悪いな。モコナを触っていよう。
さて、連れていかれた先──阪神城。
そこで待ち構えていたプリメーラ……ではなくその取り巻きを熨す。熨して、プリメーラは拘束する。
「なんなのよあなたー!」
「小狼の仲間だ。お前の手下の巧断が小狼を連れ去ろうとしていたからな。逆に利用させてもらった」
「むぅ……もう怒った! カモーン、マイ巧断ちゃん!」
あれ、手を縛られていても使えるのか。
それは誤算だったな。
そうして現れたのはメガホン……ではなく、スタンドマイクの方。成程そちらなら手は必要ない。
「これ解きなさいよー!!」
「構わないが、もう少し待ってくれ。あとそれ、至近距離で使う巧断じゃないだろう」
「えっ……あたしの巧断が、吸収された!?」
「吸収したのではなく飛ばしただけだ。お前の声はこの膜を通ると、遥か彼方の天空にまで転移させられる。つまり」
「ナニソレずるいー!!」
「お前の巧断は」
「じゃあどんな巧断も効かないじゃなーいっ!!」
「ああそうだ、理解が早いな」
「く……くやしい──!!!」
一度斎藤正義に転移魔法を見せている以上、私の巧断はこれということにしておいた方が良い。
この国から離れるのももうすぐであるとはいえ、体裁を保つのは重要だ。
「──オイ」
声が……かかる。
背後。遠いのによく通る声。
「プリメーラに何やってんだ、お前」
浅黄笙悟。
「被害者はこちらだ。この女の手下に連れ去られ、今もこうして巧断による攻撃を受けている」
「にしちゃ、プリメーラは拘束されて、取り巻きの連中は熨されてるみたいだが?」
「襲われたんだ、むしろ傷つけずに拘束で済ませていることを褒めて欲しいものだな」
「……ま、そりゃそうだ」
「えー!? そこで納得しちゃうのー!? 助けてよ笙悟君、たーすーけーてー!」
「ま、助けるのも吝かじゃねぇが……お前、巧断は?」
「コレだ」
「嘘吐けよ。ソイツは霊力とかいうけったいなモンの方だろ。巧断はそういうモンじゃねえ」
……霊力がわかるわけではないのに、違いはわかる、か。
流石と言っておこう。
ふむ。小狼たちもこちらまで来たようだし……これ以上私がすることはないな。
「私に巧断は憑いていない」
「それは無ぇ。この世界に生きるモノなら、絶対に巧断は憑く」
「ああ。だが、断った。諸事情で全身を結界……膜で覆っていてな。あらゆるものからの干渉を跳ね退ける。それには巧断も含まれる」
「そんなもんを纏っている理由は?」
「言う必要はないだろう。お前は巧断での戦いを好む者。私と戦うことはない」
「そりゃそうだが、プリメーラを放さねえってんなら話は違うぜ」
「しょ、笙悟君……!」
拘束を外す。
「へ?」
「これでいいか?」
「……あっさりしてんな」
「先も言った通り、私は被害者だ。お前がこの女を御してくれるのなら──」
「隙有りぃ──!!」
結界を通って巧断が消える。
「拘束しておく必要もない。どうだ、頼めるか」
「……あー、いや。俺は学校と配達の仕事があってよ」
「笙悟君!?」
「ただ、一つ取引材料を提示するなら、浅黄笙悟」
「ん、俺、名前教えたか?」
「眼下に目をやればいい。お前のお気に入りはそこにいる」
眼下。
私とモコナを助けようとしているのだろう、阪神城に登ってこようとしている二人。
「へぇ……仲間を売るのか」
「小狼の方が強い」
「成程、信頼ね。──いいぜ、その取引乗ってやる」
浅黄笙悟が巧断を出す。
水で構成されたエイのような巧断。
「プリメーラ。俺はちょいと遊びたい相手がいるんだ。邪魔、してくれるなよ」
「う……うぅ……笙悟君の巧断バトルマニアー! ばかー!!」
「ばかって言うな!」
ならば、と。
モコナを抱いて、空へ行く。
「凄いすごーい! 飛んでるー!」
「飛べるなんてズルい! あたしにもできないのに……」
ずるい、と言いながらも手を出してくる気配はない。
浅黄笙悟に嫌われることの方が大きいか、流石に。
して。
「シャオラン。──ちょいと、やり合おうぜ。巧断で」
「……分かりました」
昨夜の話し合いで、「サクラ姫の記憶の羽根は強い巧断の中にある可能性が高い」というところまで出ている。
だから小狼は申し出を受ける。浅黄笙悟の巧断は特級。強い巧断だから。
ただ……このままだと斎藤正義の巧断が覚醒しないな。
私が無理矢理取り出すのも良いけど、ふむ。
「ところで、女」
「プリメーラ」
「そうか。プリメーラ。お前の巧断、質量はあるのか?」
「……?」
「重力に引かれるのか、と聞いている」
「……ふん。敵に手の内を明かすわけ無いじゃない」
「そうか。だが、それを教えてくれないと困る」
「勝手に困ってれば?」
「先も言ったように、私はお前の巧断を遥か彼方へと飛ばした。──その巧断がお前の制御を離れ、高空より落下するものであるとしたら」
プリメーラはアイドルだ。
顔も巧断も割れている。
それが、もし。
他国の重要施設に落ちでもしたら。
「──お、落ちる! だから海とかに」
「海でも船舶に落ちる可能性がある。であれば、より強い巧断を持つ者がいるここに呼び戻した方が良いだろう」
使われた巧断。
その全てを、阪神城上空に再転移させる。
「っ、おいプリメーラ、邪魔すんなって」
「あ、あたしじゃないもん! コイツが、コイツが勝手に!」
「すまないな、二人とも。掃除は任せる」
声が。
巨大質量と化した声が、降り注ぐ──。
「チッ、勝負はアレ消してからだ、シャオラン!」
「はい!」
「てめぇらも手伝え! ちと数が多い!」
「FOWOOOO!!」
プリメーラの巧断は特級。
小狼と浅黄笙悟の巧断以外の攻撃は、ほとんどが通らない。
黒鋼は……出すのを渋っている? というより、私に疑いを。……成程。
まぁ、好都合だ。
──落ちる声の一つを、斎藤正義と、その近くにいる女性の中間地点あたりに向かわせる。
して。
轟音と共に顕現せしは、阪神城を優に超える大きさの巧断。
斎藤正義の強くなりたいという気持ち。それに呼応したサクラ姫の羽根が与えた暴力。
「めきょっ! 小狼! 小狼! 羽根、あった! この巧断の中!!」
「なんだって!?」
「こんな時になんだが、プリメーラ」
「なな、なによ! というかあなた落ち着きすぎ!」
「仮にだが、巧断を完全に消し去ると、その主はどうなる?」
「どうなるって……」
斎藤正義の巧断。その口に高密度のエネルギーが溜まっていく。
既に暴走状態か。
「所有者にダメージが入る。巧断ってのは心と繋がってるモンだ。それを消し飛ばせば、心にもダメージが行く」
水のエイで近くまで来た浅黄笙悟。彼はプリメーラを抱き寄せ、エイに乗せる。
この場を離脱する気なのだろう。
「そうか。であれば、今私があの巧断を完全消滅させたら、その所有者の心は完全に消えてなくなると見ていいんだな」
「巧断を完全消滅させるって……んなことできんのかよ」
「できる。とりあえずコレは防ぐとして」
光線。斎藤正義の巧断から放たれたそれを結界で防ぎ──小狼を見る。
覚悟は決まったようだ。ああいや、初めからか。
「オイオイ、シャオランの奴、あのでかいのとやり合うつもりか? 下手したら死んじまうぞ!」
「問題ない。さっきも言ったが、小狼の方が強い」
「……その信頼、根拠はあんだろうな」
「無ければ静観などしていない。それより、この巧断と彼の炎で阪神城が焼けかねん。文化財だろう、これは」
「OK、雨だな」
「理解が早いな。直撃するものは私が防ぐ。頼んだぞ」
「おう!」
プリメーラを乗せて上空へと飛んでいく浅黄笙悟。
話が早いと本当に助かる。
……それにしても、斎藤正義の巧断。暴走している割には、妙に阪神城の方ばかりへ光線を撃ってきているような……。
……あ。
「ラン、大丈夫?」
「ん、問題ない。ただ過失に気付いただけだ」
「かしつ?」
巧断は憑いた者を守る。
羽根の力で暴走状態にあるとはいえ、斎藤正義の巧断は斎藤正義を守るために出て来たものだ。
して、斎藤正義が危険に陥った原因は何か。
勿論直接的な巧断はプリメーラだが──害意を持って彼のいるところに巧断を転移させたのは、私だ。
だから、あの巧断は私を敵として認識していると。
「まぁ、狙いが一定である方が防ぎやすい。問題ないか」
私はただ、防ぐだけだ。
果たして、斎藤正義の巧断。その暴走は終わった。
降り注ぐ巧断も全てが砕かれ、燃え広がらんとした炎は浅黄笙悟が消し。
暴走の原因。巧断の中にあったサクラ姫の羽根は小狼の手に戻る。
後処理などは警察に任せるとして、小狼は急いでサクラ姫の元に戻り、その記憶の羽根を。
雨が降っている。
浅黄笙悟のものではない、自然の雨。
その中で一人佇む小狼。
「てめぇ、
「無論だ。アレの中に姫の羽根があるのはわかっていたからな」
「……気に入らねえ」
「無断であったことがか?」
「感情も出さずに味方を危機に陥れる思考がだ」
「信頼していただけだ。あの程度の巧断、小狼ならば打ち破れる」
「会ってまだ三日と経ってねぇのに、信頼? 言い訳ならもっとマシなモンにしろ」
「本気だ。……とはいえ、無断であったことは確かに落ち度だ。これからは事前に言う」
「裏切ることをか?」
「危険が迫ることをだ」
なんだか、黒鋼には酷く嫌われてしまったけれど。
とりあえず羽根は手に入れた。一件落着だろう。
*
「ノイズが酷いですね」
「ああ。しかし、完全に遮断されているわけではない」
空間。どこかの、空間。
「クロウ・リードですら讀めなかった魔導士だ。油断はできないが──」
彼と彼女が見遣るのは、ヒトツのカラダ。
「次空を超える力は、必ず手に入れる。どれほどの血が流れようとな」
*
旅立ちの朝。
黒鋼からは一定の距離を置かれているけれど、その他は良好だ。
有洙川夫妻とも挨拶をした。
それと。
「大丈夫だ。守護においては私の右に出る者はいない。なんなら、眠っていてもいいぞ、サクラ姫」
「いえ……少し、眠いだけだから……大丈夫です、ランさん」
自己紹介も。
さて、次の国は高麗か。防護の魔法を先に編んでおくとしよう。
「あれ、今回はモコナを手伝わないの~?」
「元々モコナは次元移動に特化したイキモノだ。私の手は必要ない」
「ふぅん」
距離は置かれていないけれど。
ファイからも、警戒されているようで。
──構わない。
行こう、次へ。