イグサクロニクル 作:Rush
結界の中で、時が過ぎる。
……ふむ。
「小狼。少しサクラ姫を連れて行きたい場所があるのだが、どうだ?」
「だめです。姫はまだ眠っています」
「そうか。では、私だけで行って来よう」
構わない。
既にエメロード姫の時にサクラ姫のチカラは知られている。であれば、風と心を交わすことくらい。
偶像の国。
その儀式場に転移する。
「わ!」
「うわ!?」
「魔物?」
「魔物だ!」
「すまないが、奴の手先とも、言語体系の整っていない者たちとも交わす言葉はない。──少しの間眠っていてくれ」
魔法で眠りを。
そして、彼らの住処にあった羽根を奪う。
それを一度違う次元に移せば──。
ジャングルの奥。そこに留まっていた竜巻が、どこぞかへ消え去ってくのがわかった。
「あれ~? ランラン、全部一人で解決しちゃったんだ~」
「テメェ、またわかってて言わなかったな」
「なんだ、私が生贄にされる様を黙って見ていたのか。紳士だな、お前達は」
「照れるなぁー」
「はン、テメェがあんなのにやられるタマかよ」
なんにせよ、これで終わり。
サクラ姫の「勇気」は出せなくなてしまったが……まぁ。
「帰るぞ」
「はーい」
「……チッ」
今回は無断ではない。小狼に断りを入れている。
だから許して欲しいものだが……無理そうだな。
結界へと帰れば、小狼とサクラ姫が起きていて……小狼の雰囲気も些か緩和したようだった。
サクラ姫の言葉があったのだろう。
「小狼。これを」
「え……姫の、羽根!?」
「密林の中にいた種族が飾りに使っていた。可哀想ではあったが、丁度その羽根で困っている者もいたのでな、拝借させてもらったよ」
「飾り……」
「その羽根の力を認識できる者ばかりではない。此度の種族はその類だった。この羽根も、綺麗なもの、としてしか認識していなかった」
「そうですか……」
「さぁ、羽根をサクラ姫に。そして次の世界へ」
「……はい」
──さて、次元移動の陣を描く。
「あれー? ランランがモコナを手伝ってるー。ってことはー?」
「今回は企みじゃない。保険だ」
「ふーん?」
どちらへ飛ぶか。あるいは──。
*
あるいは、の方だった。
土地の枯れた山。そして、空中神殿。
そして、この村に伝わる伝説は──「最初に神殿に足を踏み入れた者の願いを叶える」と、神が発した、というもの。
村の男達はこぞって空中神殿へと向かったが、城を守る番人らに殺され、残っているのは老いたと置いて行かれた者達ばかり。
加えて土地は凶作が続き、もう、と。
夜。
このセカイについての、夜。昼間、小狼が過労からか倒れてしまったために、彼をおいての探索に出たのだ。
曰くこの世界、空中神殿以外には魔物やら凶悪な動物やらも存在せず、だから安全だ、と。
「……ここに何のようじゃ」
「墓場と見た。……私は元居た国では、鎮魂を担う職に就いていてな。この村に準えたものではないが──こうも魂の宿る地を見ると、その悲しみを埋めたくなる」
「そうか。……であるのならば、何も言うまい」
彼女は村の村長。
名は名乗らなかった。
──して、鎮魂の担い手か。
我ながらよくもまぁそんな嘘をポンポンと。
ただ、鎮魂に長けているのは事実だ。
なにせ……数えきれない魂を、見送って来た。
陣を敷く。
青白い、鎮魂の陣。
「これは……」
「泣くな。悲しむな。後悔するな。──その日は来る」
言葉を届ける。
サクラ姫のように無意識下では行えないけれど、エメロード姫と普通に会話したように、私も霊魂との会話方法を持っている。
大丈夫だ。
お前達が救われるのは、あと少し先になるだろうが──縁はできた。
それに、言ったはずだ。
小物を用意してくれるな、と。
鎮魂を終えると、背後から足音が。
「サクラ姫。……そして、小狼。起きたのか」
「はい。……今のは」
「鎮魂の陣だ。魂の悔悟を癒すことはできないが、希望を持たせることはできる」
安心しろ。
もし仮に、訪れることができなかったとしても──私は自力でここへ来る。
そうして、お前達を見届けるから。
村長、小狼、サクラ姫と共に村へと戻れば、訳知り顔の黒鋼とファイがいた。
「すまない。此度も無断だ」
「構わねえ。鎮魂の儀の大切さは俺も知ってる」
「そうか。──では、行くか」
「おう」
行く。
空中神殿へ。
「……あ、待て」
それは序盤も序盤、空中神殿への階段を上り始めたあたりのことだった。
黒鋼が……それはもう怪訝な顔で、こっちを見る。
「お前……飛べるだろ」
「ああ」
「ああ。じゃねぇよ! 飛んで行きゃいいだろうが!」
「なんだ、漆黒の兵士とやらと戦いたいんじゃなかったのか?」
「……」
「そら見た事か。だが、そうだな。疲れたのなら連れて行ってやる」
「んじゃオレ疲れたから連れて行って~」
「姫、モコナと一緒にランさんの元へ」
「……うん。わかった」
本当に来るのか。
じゃあ飛翔の陣を敷いて、と。
「上で待っている。小狼の剣の修行にもなろう相手だ。あまり倒し過ぎるなよ、黒鋼」
「テメェに指図される筋合いはねぇ」
「その通りだな。──では、行こうか」
上昇する。
とはいえ、飛王がそれを許すはずもない。
「ラン、ラン! 飛び乗ってくるよ!」
「あちゃ~。楽できると思ったんだけどなぁー」
上空。あるいは横合い。
そこから飛翔の陣に飛び移らんとする「漆黒の兵士」を、ファイが棒術で突き飛ばしていく。
「ファイ。足場はここに残す」
「はいはい、いいよ~先行ってて。二人だけなら早く飛べるんでしょ?」
「ああ」
阪神共和国ではそれを見せてはいないはずだけど。
……まぁ、見抜かれていてもおかしくはない。
サクラ姫を抱き、モコナを乗せて、飛行魔法を使う。
「それにー」
遠くなって行くファイが、呟きを零す。
「転移魔法を使えるランちゃんが、わざわざ飛翔なんていう非効率な手段を選んだ。──サクラちゃんと話したいことがあるんでしょ?」
「別に、聞かれて困る話でもないがな。どちらかといえば、私達を見ているものへの警告をするだけだ」
「ふぅん」
声が届かなくなる。
空中神殿までは、もうすぐ。
「ラン、サクラに話したいことって何?」
「いや何、言い出しそびれていたんだがな。私の国にも羽根があったんだ。私の世界にも。それを返す」
「え、あ」
羽根をサクラ姫の胸へと零せば──当然、サクラ姫は眠りに就く。
おろおろし出すモコナ。
「安心してほしい、モコナ。サクラ姫に危害を加えるつもりは無い」
「う、うん。それはわかるけど……でも」
「そして、聞こえているだろう、飛王・リード。──忠告の二度目は、警告だ。小物を用意してくれるな。そちらまで行ってやってもいいんだぞ」
次元の裂け目。
そこから出現しかけた兵たちが……止まる。
だから進む。
神殿の中を。
そして──神のもとへと辿り着く。
『ヒト──ではないな。だが、願いを持つものではあるようだ。告げるがいい、お前の願いを」
「仮初の命を。お前の冗談に付き合わされた人々へ」
『……良いだろう。願いは聞き届けられた』
「ただし、仮初だ。そも、蘇生自体はできなかろうが──触れるなよ、禁忌には」
『……叶える願いは一つだけだ。だが、お前の願いを聞いていない。お前の願いはなんだ』
「教えるに足る対価が、お前に無い」
神の掲げるチカラ。
サクラ姫の羽根を、こちらに引き寄せる。
そして、眠るサクラ姫へともう一枚戻す。
背後に兵士は、出てこなかった。
「ねぇ、ラン」
「なんだ?」
「ランの願いって、なに?」
「壱原には伝えてある。大丈夫だ、いずれわかる」
……桜都国での殺し合い。
あの時の言葉を聞かれていなかったと考えるべきか──本当の方に気付かれていると見るべきか。
なんにせよ、この世界……ツァラストラ国も、一旦ではあるが、落着である。
*
次元移動の最中に、小細工を入れる。
私を紗羅の国側へ転移させる小細工を。
……そう、思っていたのだけど。
「まさか私だけを引っ張り上げるとは。中々無茶をしたんじゃないか、阿修羅王」
「ああ、無茶をした。だから疲れている」
「そうか」
「疲れている」
「そうか」
「疲れていると言った。客人」
「そうかと言った。阿修羅王」
沈黙は──水の張られた鏡から裂かれる。
──"似た者同士である、という自覚はあって?"
「長く生きると誰でもこうなる。それに、それを言うならお前も似た者だぞ、壱原」
「否定したくば言葉を下げろ、魔女」
──"下げないわ。それでも構わないもの"
「そうか」
それで。
「無茶をしてまで私だけをこちらに呼んだ理由はなんだ、阿修羅王」
「……お前は、病を治せるのだろう?」
「死は病ではないぞ」
「だが、過去には干渉できる。──たとえ夜叉王の死が確定していたとしても、あの時、あの者に罹っていた病を除去する、ということは……可能か?」
「可能か不可能かで言えば可能だ。意味があるとは思えないし、払う対価も重くなるが」
「構わぬ。ただ、私があの時につけた傷を……私の手柄である、ということにしたくないだけだ」
……ふむ。
願いは聞いた。対価も……まぁ、なんとかなるものだろう。
だが。
「その程度なら壱原にもできよう。なぜ私に頼む?」
「だとしても、お前が適任であると考えた」
「そうか。──であれば、対価は……そうさな。お前の繭でも貰おうか」
「……そんなもので良いのか?」
「何を言う。幼き阿修羅の吐いた繭。三百年もの間その身を守り続けた輝繭。それがあれば、特別な服の一着も作れよう」
──"あら、あなた服飾もできるのね"
「何分世界の消退後は見せる者も競う者もいなかった故魔法に傾倒していたが、一通りの技術は習得している。とはいえ、料理や建築といった簡素化できるものは魔法で再現した方が早いが……上質な糸は、上質な技術で返そうさ」
であれば、と。
どこか……少しだけ恥ずかしそうにしている阿修羅王から、繭を貰い受ける。
いや、貰い受ける前に、告げておく。
「わかっていると思うが、夜叉王の死を覆すことは適わない。少なくとも私にはな。加えて、過去の病を癒すといっても、指定されたものだけだ。その後に罹患したものについては別途対価が必要になる。構わないか?」
「ああ。頼む」
では。
まず敷くのは、傷病快癒の陣。その中心に合わせて、今度は垂直方向に時間移動の陣を展開する。
最後に、私に対して真っすぐになるよう病魔退散の陣を発動させれば──。
キーン、と。
金属音とも、水音とも、あるいはガラスの割れるような音とも取れる音が響く。
「──感謝する」
どうやら、夜叉王はその後病を患わなかったらしい。
けれど、だとしても──覆されはしない。
結果的にどういう死因へと変わったのかは、阿修羅王にしかわからないだろう。
探れはするけれど、無粋というもの。
「さて……では、あと半年。魔女との契約までの間、この修羅の国でゆるりと過ごすがいい」
「待て。半年後に呼べば良かっただろう。別にそのタイミングでも治癒はできたぞ」
「知っている。だが、夜魔ノ国へと落ちた二人を思えば、お前も遊べよう?」
……ふむ。
「わかった。ついでに、適当な槍を寄越せ。この世界で武器の出し入れを容易に行える者は、そう多くいてはならないだろう?」
「……ああ」
という事情であることを隠したまま、月の城へと向かう。
そこには見慣れた二人が。
「あ、良かった、ランランいたー」
「……」
無言で剣を構える黒鋼。
対し、私も槍を靴に沿わせる。
「構えろ。──殺す気で来てるぞ」
「……言葉が通じてないから……とかじゃ、ないね。気を付けて黒様。彼女、殺意しかない」
縮地。魔法ではなく、技術による肉迫。
「遠浅葉・残影」
「天魔・地龍閃!」
一瞬消える突きに対するは、曲がりくねり、戻ってきさえする斬撃。
成程、二回攻撃であれば対処となろう。初見で見抜かれたのは、私の技量の浅さ故かな。
「──
「おおっと、こっち来たー」
次は魔法。簡易転移の陣を靴裏だけに発生させ、ファイの背後を取る……が、ノールックで弓そのものに防がれる。その後来た黒鋼の斬撃、及び夜魔ノ国の兵士……夜叉族たちの攻撃を躱して上空へ舞い上がり──、ギ、ギ、ギと背中のバネを大きく逸らす。
「お前ら! 避けろ!」
「これはマズいねー」
これも桜都国で披露はしたけど、二人に見せるのは初めてのはずなんだけどなぁ。
生粋の戦闘者ではない、というのが響いてきているか。
ただ、まぁ……投げるけど。
「遠浅葉・雷霆」
超高空の月の城。
そこに、一筋の雷が落ちる。
「……流石にこの程度じゃ壊れないか、月の城」
「壊す気だったのか? それならばやめておけ。私達はこれを賭けて血を流し合っているのだから」
「王。なぜこのような雑兵の場に? あなたには標的がいるだろうに」
「新しく得た配下の戦力を把握しておきたいと思うのは、戦場の指揮者としておかしなことはあるまい?」
「成程。であれば」
虚をつく。
未だこちらが何者なのかわかっていない二人の背後を取る。
「なにっ!?」
「魔力は──」
「音も、気配も、魔力も。……消せばいいし、作ればいい。それだけだ」
斬る。
槍は斬撃にも向いた武器。故に刃は二人を捉え──。
「!」
否。
割り込むモノがいた。
「夜叉王!?」
「……」
「先ほど、こちらの王にも言ったがな。将が雑兵の戦いに出てくるな。真に斬りあいたい者との前に、足枷が付く」
「……」
……心臓を、摩った?
まさかそのためだけに?
「──終わりだ。月が中天へと昇った。……ふふ、夜叉王。互いに新たな配下の見せ合いは済んだようだ」
「……」
消える。全てが消える。
血まみれの戦場も、剣戟響く争いも、月の城も。
正確に言えば、私達が消えた。あの城から。
「ランよ。先程、夜叉王に何を言われた?」
「大した言葉を操れないことくらい知っているだろう」
「それでも、だ」
「……病を治したことへの礼、だろうな。意思は伝わった」
「あの状態で、か」
「あの状態で、だ」
流石は武神将か。
「それより、良かったのか? あの二人は仲間だろう」
「何が良かったのか? だ。あの二人に私をぶつけるよう兵たちを誘導したのはお前だろう」
「だが、本気で戦えなどとは言っていないぞ、私は」
「本気で戦うなら月の城ごと結界で圧し潰している。しっかり手加減はした」
「そういえば月の城を壊そうとしていたな。やめてくれ。アレは必要なものだ」
「……未練がましいことだ」
「お前が言うか?」
「私が言うんだ」
しかし。
これから半年間……小狼たちが来るまで、戦い漬けの日々か。
まぁ。
何もないよりマシ、なのだろうな。
そうして、半年が過ぎた。
夜は戦い、昼は鍛錬。鍛錬といっても私は成長を実感できないから、技のバリエーションを増やすだけだ。いつも通り時間感覚はない。
ただ、「一切コミュニケーションを取る気が無い」という私のスタンスにはあちらも慣れて来たようで、月の城での殺し合いは一層激しいものとなっている。
そして──ついにその日がやってくる。
いつもの月の城。戦場。
そこに、滴のような空間の歪みが落ち──弾けるようにして、小狼とサクラ姫、モコナが。
「アレだな」
「ああ。行け、道は拓いてやる」
二人に続くまでの距離にいる夜叉族。
その全てを巻き込み、且つ二人には当てないように槍を投擲する。
あとは悠然と二人に近づいていく阿修羅王の援護だ。追い縋るモノ、刃を投げようとするモノ、技を放とうとするモノ。
その全てを封殺する。
「倶摩羅」
「なんだ」
「王が楽しそうだ。──曇らせるなよ」
「お前に言われる筋合いはない!」
半年前に突然現れ、阿修羅王とまるで対等であるかのように話す私のことを、俱摩羅は認めていない。
というよりは、どこか悔しそうにしている。阿修羅王に性別はないというのに、恋心まで抱いて。まぁ、好意に性別は関係ないか。
して、無事に二人とモコナを保護したらしい阿修羅王が、戻ってくる。
同時、月が中天へと昇り、私達も戻った。
戻って。
「え……ランさん?」
「わー、ランだー!」
ぴょーい、と跳ねてくるモコナを掴む。
「阿修羅王。なんだ、この白いのは。新たな食材か?」
「いや、客人だ。口をつけることは許さん」
「そうか」
ぽい、と。
サクラ姫の方へ、モコナを放り捨てる。
「……まさか、異世界のランさん?」
であることにしておかないと、小狼が黒鋼との戦いで本気を出せない。
ここは心を鬼にして、だ。
「確かに私はランという名だが、そう気安く呼ばれるのは好ましくないな」
「良いではないか。相手は子供だぞ、ラン」
「子供だからなんだと言いたいところだが、お前が良いというのなら構わん。好きに呼べ、子供」
「あ……おれ達は」
そうして始まる自己紹介。
私はというと完全に興味を失くした様子で、目を瞑って眠っているフリまでする。
二人は知らない可能性もあるが、モコナは知っているはずだ。
眠ることができない私を。
だからそれが、異世界の同一人物、という証拠にもなる。
「起きろ、ラン」
「……なんだ。もう月が昇ったか?」
「いいや、違う。小狼とサクラが話をしたいそうだ。構わぬな?」
「……しろというのならしてもいいが、子供と話すことなどない」
「小狼とサクラだ」
「あとモコナー!」
「名を覚える努力をしろ、ラン」
「……承知した」
阿修羅王はその目論見に付き合ってくれている。
興味が無いから、とも言えるだろう。今の彼女にとって二人は「次元の魔女との強いかかわりを持つ者」でしかない。
その認識は次第に変わっていくのだろうが……今はどうでもいい話だ。
「用はなんだ、子供……小狼。サクラ」
「モコナもいるのー!!」
「……モコナ」
「聞きたいことがあるんです」
「問うだけ問えばいい。答えるかどうかは別の話だ」
「黒く短い髪に、赤い目をした男の人と、金髪で蒼い氷のような目の色をした男の人を知りませんか?」
「……知らんな。金の髪であれば、私の一族にいるやもしれんが」
「そう、ですか……」
「話はそれだけか?」
「……はい。今は」
聞きたいことなど果てしなくあるだろうけど、まぁ、今は我慢してほしい。
どの道あとは時間の問題だ。
「サクラ、と言ったな」
「は、はい」
「……月の城は、お前が作ったものか?」
「え?」
「いや、良い。今の反応で十分だ」
その場を去る。
追いかけてくる気配があったので、廊下を曲がってすぐに転移する。
転移先は──阿修羅王の湯浴み場。
「ふふ、湯浴みに服と武器を持ったまま入ってくるとは、些か無粋が過ぎるだろう」
「この国じゃ私の容姿は目立つからな。逃げ先なら誰も入ってこないここが妥当だ」
「良いのか? 半年ぶりに会えた仲間だろうに」
「それは昨日のこととどう違う?」
「……そうだったな、お前は」
ただ、服と武器を持ったまま、が無粋なのは理解しているので、私も脱ぐ。
湯浴み。基本的に魔法で全身を浄化している私にはあまり馴染みのない文化だったが──同時に、毎日入っていた文化でもある。こういう開けた場所ではなかったけれど、羞恥という概念は最早私には無い。どの道見ているのは阿修羅王だけだし阿修羅王に性別はないし。
「……のう」
「なんだ」
「死なず、というのは……どういう感覚だ?」
「孤独。あるいは虚無。……とはいえそれは、理解者がいなければの話だ」
「いたのか?」
「ああ。死んだが」
水を掬って……落とす。それが水面へと戻り切る前に止めて、掌の上へと戻す。
「魂とは巡るモノだ。いずれ出会えようさ」
「その時、お前のことは忘れられているだろう?」
「長年会っていなかった友人と久方ぶりに会った。こちらの近況などまるで知らないどころか、名前さえ忘れかけていた。──だとしても、それが同じなら、何も問題はない」
「そうか」
水滴は回り続ける。
何度も何度も、掌と水面の直前を。
「私からも聞きたいことがある」
「申してみよ」
「なぜ病を消させた? アレのせいで、余計に夜叉王の見分けがつかなくなっただろう。──幻か、本物か」
「何を今更」
遠い目は、月の城を向いて。
「見分けなど。……つける意味も無い」
「そうか」
「そうだ」
「なら、聞くことはない。……いや、あったな」
「なんだ?」
「この阿修羅族。あと、あちらの夜叉族。なぜそう名乗らせている?」
「……特徴が似通っていたから、で充分だろう」
「そうか」
阿修羅族と夜叉族。
どちらも、阿修羅と夜叉を残し、滅んでいるはずだ。
それを。
……まぁ、充分なら、良いか。
その夜。
小狼が月の城へと向かう。
代わりに私が残された。
阿修羅王曰く、サクラを守っておけ、だそうだが、この安全極まりない国で何から守れと。
嫌がらせにしか思えない。
「……あの、ランさん」
「なんだ」
「ランさんは……なぜ、戦っているんですか?」
「阿修羅王が戦うからだ。私に理由はない」
「嘘吐きー! うそつきだー!」
「……何がだ」
「モコナ、わかるの! ランは何かのために戦ってて、ずっとそれを心の奥底に押し込んでる。小狼にもサクラにも、ううん、阿修羅王やこの国の人たちの誰にも言ってない理由が」
壱原め。
高性能に作り過ぎだ。今私の精神障壁が何枚あると思っている。それをそんなにも容易く突破してくるな。
「……理由はある。だが、お前に話すことじゃない」
「そう……ですか」
「別にお前を嫌っているわけじゃない。願いとは、望みとは、内に秘めてこそだ。あまり口に出し過ぎると……熱が冷めてしまいそうになるからな」
もう、何度も何度も、言葉にはした。
だからこの旅では口にしない。故意で、なら別だけど。
「寝ろ、サクラ。お前の体調に難があれば、あの小僧も戦地で力を発揮できまい」
「……はい。わかりました」
「私も寝る。ああ、安心しろ。守ると約束したからな。必ず守る」
「はい。ありがとうございます」
無論。
当然襲撃など来ず、中天へと昇った月が、皆を返して来た。
小狼は……何かを掴んだようだったが。
そして。
「本当に連れていくのか?」
「ああ。私が守るのだ、文句は無かろうよ」
「ふむ……確かに。守護において、お前の右に出る者はいない。良いだろう。──だが、気を病むなよ、サクラ」
「はい」
その日だとわかったから、私はサクラ姫を連れていく。
ただし。
「此度の戦い。私は手を出さない。──言葉は発するだけのものではないぞ、阿修羅」
「わかっている」
月が、昇る。
熔けるように変わる景色に、防護の陣を敷いた。今までの靴裏のみの展開ではなく、旅で使って来た魔法陣。
「え、これ……」
「すまなかったな、サクラ姫。この企ても今日で終わりだ」
「あー! やっぱり本物のランだー!!」
とモコナが叫ぶと思っていたから、防音結界にもしてある。抜かりはない。
半球状の結界は夜叉族の攻撃も阿修羅族の攻撃も通さない。この結界を見て目の色を変えた黒鋼からの攻撃もファイからの弓も勿論だ。
特等席。
「サクラ姫。決してもう出会えぬと知っていながらも、姿だけは手の届くところにある。それを自ら手放すことは、恐ろしいことだと思うか?」
「……。……いいえ」
「ならば、同じだ。──見届けてやれ」
視線の先。
ゆらりと降り立つ阿修羅王が、夜叉王に近づく。
敵意など。害意など。
あるはずもない。
果たしてあそこにいるのは『阿修羅』か、『破壊神』か、それとも。
決着が、つく。
阿修羅王の修羅刀が夜叉王を貫き──口づけと共に、その幻を消し去った。
ああ、そうか。
病を癒し、怪我を消し……。
そうであれば、彼を本物と定める場所は、右目である必要がなくなるか。
変わるからこそ、戻らぬからこそ、一度しかない生を悔いなく生きる、か。
「さて、行こうか、サクラ姫。モコナ。城が崩れていくからな。空も飛べぬ小狼達を、拾いに行くべきだ」
防護の陣はそのままに、飛翔の陣を追加する。
そして、黒鋼、ファイを拾い──最期の言葉を交わした小狼も拾い。
「モコナ。先に行っていてくれ。私はもう少し用がある」
「戻ってくる?」
「もちろんだ」
「うん。じゃあ、わかった!」
押し、付ける。
崩れ行く城。
割断された月の城には、もう一人しか残っていない。
「何をしに来た、ラン」
「答えを言っていなかった、と思ってな」
「答え?」
既に次元の魔女との取引は終えている。
だから、あとは消えゆくだけの阿修羅に──言葉を。
「死なず、というのはな。多くのものに出会える、という感覚だ。時間の感覚など存在しない私にとって、その得たものだけが"時間は止まっていない"と認識させてくれる唯一のモノ。──私の炎は、風に吹かれても揺れはしないが……」
消える。
全てが消える。
「燃え続けることに、悔いは無い」
「そうか」
「そうだ」
──そうだ。
*
紗羅の国へと次元移動をすれば、今まさに阿修羅像と夜叉像から修羅刀と夜摩刀が引き抜かれているところだった。
二人を後の世の神にする対価。
それと。
「これ……おれ達が身につけていた」
「神器ですよー! 昔からこの陣社に祭られているものです」
「それと共に、金に染めた糸を毎年納め直すのが習わしでな!」
「どういう成り立ちでそうなったのかを詳しく聞きたいところだが……今は無理そうだな」
「お、姉さん興味あんのか! まぁ確かに今は無理だが、あとで
「それは楽しみだ。また今度この国を訪れた時に聞くとしよう」
ぬるっと会話に入って──ぐいっと首を掴まれる。
背後から。
「なんだ黒鋼。今回のは不慮の事故だろう」
「移動自体はな。だが最後に別行動をしたのは無断だろ」
「……確かにそうだ。だが時間が無かった。それで勘弁してくれ」
「……」
「……」
「お二人さーん。いがみ合ってるところ悪いけど、もう移動みたいだよー?」
「んだと!? 待て、祝い酒があるんだろ、それを一杯飲んでからでも」
「酒なら私が幾らか持っている。次の世界で振る舞ってやるから、それで我慢しろ。──阿修羅王のところにあった、百年単位の秘蔵酒だ」
「ランちゃんそれ、もしかして無断で持ってきてたりしないー?」
肩を竦める。
いいだろう、飲まれなくなる酒なんだ。その方が可哀想じゃないか。
──次元移動が始まる。
さて、次はどちらになるかな。