さあ試合は後半です。
気の利いた実況者であるならば、残り時間をコールする頃です。
東は外を見るのをやめて、店員たちの動きに目を走らせた。複数の料理人が声を張り上げて、アルバイトが速足で厨房に入った。銀の作業台の上に、次々に並べられる容器たち…流しこむように料理を分けていく、手際よい料理人たち…レジ横のテイクアウトエリアには、瞬く間に白いパックが積み上がり始めた。きゅぽん!とアルバイトはマジックの蓋を引き抜き、どの容器に何が入っているか書き込み始めた。
チ・チ・チ(炒飯か)マ・マ・マ(麻婆豆腐ですね)…あ~これが元祖パズルスリー型ゲーム『ぷよぷよ』だったら、続いて投下される品を待って、「ばよえーん!で全消し」を狙うところですがね。生憎そうはいきません。なんてこった、思ったより早い退店となりそうだ。
そのとき西は覚醒した。
覚醒とは、文字通りの覚醒である。
彼女は、急激な血糖値の上昇により、満腹と同時に眠くなってきていた。すぅっと前方へと舟をこいだのだが、このときハッとして顔をあげた。
西は大きく打って出た。
「 そっか。流石は東くんだわ。誰が何を考えてどう動くかとか、その人の良さを、凄くよくわかってる。忘れてしまいがちだけど、本当は何が大事なのかってことも… 」
西は神妙に言った。
東はよそ見して生返事をした―――「餃子は蒸しあがり待ちか?」と、彼は“残り時間”の算出に忙しかった。四年近く待って得た機会なのに、彼はパフォーマンスを発揮できていなかった。
“本気の勝負ができる相手”なんて、この街を去ってしまったらいない。過ぎ去った日々の代えがたさが、気持ちを込めさせすぎて口を重くしている。
だが、言うしかない。
ラストワンチャンスは、これしかない。
東は極力クールに言った。
「 顔が赤いぞ、西さん。酔ってるだろう 」
「 酔ってない 」
西はカチンときてしまった。本当は、予想外に早く酔いを感じており、徹夜明けの飲酒の危険を知りつつあったが、西は虚勢を張りとおした。
( はいはい、折角素直に褒めたのに、東くんは慣れてるから聞き流されちゃいましたね!? )
そんなに胡乱な顔をしているか?どうせ、今のは酔っ払いの戯言ですよ!
「すごい」も「頼れる」も「尊敬します」も、東くんは言われて当然の人だから、シャワーみたいに毎日浴びていて、いちいち感情を動かさないみたい。幹部レベルの人に言われたって、卒なく謙遜して翌日には忘れた顔をしているもの。あれじゃ褒め甲斐がないだろうと思うのに、みんな東くんのことが大好き―――わたしは、そういうとこが大嫌いだけどね。
( 東くんを照れさせることができる人間って、この世に存在する…? )
西は想像することを諦めた。「そんな人間いないよ」ということにするほうが、自身の精神衛生上よろしいのだ。
西は小さく溜め息をついて、鞄からスマホを取り出した。
東は低い声で言った。
「 もうそのくらいにしとけ。送るよ。夜道は危ないだろう 」
「 要らない。わたし、あんたの弟子じゃないから。保護者ヅラしなくていいよ 」
「 実際的な問題があるだろう。市民の犠牲者は出なかったが、補償の書類よりも廃屋と瓦礫のほうが強い刺激となるからな。自棄を起こしている者たちはいるぞ。西さんの家は、市内のどの辺りなんだ?西部は更地になっているが… 」
「 西だけど西に住んでません。うーん、どうしよ。9分後かぁ…それを逃したら、次は42分後 」
西は路線情報アプリを開いていた。そして、さっき東がしていたように、店員のオーダー消化状況を窺った。
9分と42分…絶妙だ。
東はうっすらと微笑んだ。
( なるほど。西さんはバス通勤。覚えておこう。この時間帯に約30分間隔のバスがあるということは、俺の担当した南部地区方面か )
いい仕事して、よかった。
東は少し揶揄うように言った。
「 遅いほうにしておけばどうだ?どう見ても酔っている。食べて飲んですぐバスになんか乗ったら、吐くぞ 」
「 吐きませ~ん。慎次さんじゃないんだから。わたし、乗り物酔いってしたことがないの 」
「 ―――…そうか 」
「 ふぁぁ、眠い!帰ったら20時間寝れちゃう 」
西はあくびを噛み殺した。
東の表情は引き攣ってきた。
( くそっ、また出た、トラッパー冬島…! )
東は実況席にいたらこう言う―――まあ、今のは、東隊員が自分から
とろんとした目つきの西さん(正面。可愛い)に、厨房で餃子の仕上がる音(左前方。何分で包装完了だ?)、有人レジの混雑具合(背後。やったぞ、レシート用紙の交換にもたついている気配!)、ここからバス停(右方向店外。どこだっけ?)までの距離、西さんのスマホの画面(卓上。ダイヤ検索ではなくLlNEになっている…)―――あんまり意識を割く対象が多いと、
東は深追いを諦めて、「今日はLlNE交換で終わろう」と思った。西さんは、「ちょうどいいバスがないから迎えにきて」と、家族に連絡して車を待つんだろうし、次回のタネになる連絡先を交換して、同僚としてご家族にちょこっと挨拶ができたら、それは十分な戦果ではないか。
東もまた端末を取り出したのを見て、西は東に自分の友だちリストを見せた。
「 ねえ、諏訪くんの連絡先って、これであってるかな 」
西は確証が持てなかったのだ。だって、LlNEのアイコンって、就活写真とかとは雰囲気違うもんね。
西はアカウント名をそのまま読んだ。
「 こうたろう 」
東は、それが本物であると知っていた。
「 諏訪だ!?おい、おい、なんでだ、いつの間に…! 」
東はとうとう口走った。
「あっているならいい」とだけ言って、西は諏訪にLlNEを送り始めた。
西千夏は考える。
この「憎たらしい同期」こと、天才で有能な東くん…前線指揮官の東くんには、あの時逃げないといけなかったわたしの気持ちなんか、きっと自然にはわからないし、わざわざ知ってくれなくていい。それは
そこらへんは諏訪くんの役割です…と、西は強く思い入れていた。それは少なからず顔に出ていた。
東は、完全に動揺してしまった。
東春秋は震え上がった。
諏訪洸太郎という
共闘しよう、冬島さん!
俺たちは仲間だ。
諏訪洸太郎と比較したら、俺たちは似た者同士じゃないか?なんせ諏訪という奴は、何故か元読モJKと気安く会話できる奴で、ほとんど全隊員の連絡先を知っていて、「ツレ増やすわ」と言ったら5人は連れてくるうえに、そのなかに女子や中学生も混じっているような奴なのだ。
畜生あの野郎、手口はわかっているんだよ!あいつは、「また飯行こーぜ」を「さようなら」の言い換えとして使っている。
そうやって、常に何人もの人物をすぐ誘える状態にしておいて、いつでも必要な情報を集められる体制をつくっている。有望株だと見込んだ新入りには、一回目は大体こう誘う―――「いま東さんたちと遊んでんだけど、来るか?」だ。ポイントはメッセージを送るのではなく直接電話して誘うことで、そうやってナチュラルに他人をダシに使いつつ、勢いを味方につけていく。それを作為ではなく天然でやり、他にちゃんと考えていることはあるのだから、諏訪って奴は本当に侮れないのだ。
( あれを「冬島さんと」でやられたらたまらんな… )
乗っちゃダメだぞ西さん、“その手”にもバイクの後ろにも!
諏訪には、寺島という同期が開発室にいる。西さんと同じ、元戦闘員のエンジニアとして。
諏訪と寺島の “連携”がまた恐ろしい。
俺は、諏訪に一度西さんを掻っ攫われてしまったが最後、ゆるやかでしたたかな寺島によって、開発室にとっては部外者として、厚いシールドの外にはじき出されるだろう。そのあいだに諏訪はバイクを飛ばして西さんと海に行き、そのとき撮った写真をLlNEアイコンにする。あいつは、そういうのが何故かさまになる。そんな“牽制”をしてゲラゲラ笑うんだ…。
東が呻いているあいだに、戦局はいよいよ終盤である。
席を立ちながらレジへ近づきながら会計をカードで済ませながら、西は凄まじい速さでスマホを操作した。自分から諏訪に連絡をとっているのだ。東はそれを止められずに、ただ冷や汗を感じながら西について歩くばかりだった。
東は強く躊躇った。西はもう、堂々と卓上にスマホを置いているわけではないのだから…諏訪とのLlNEを頭上から覗くのは、可能だけれどもマナー違反だろう。あるとき西はいきなりスマホを耳に当てた。
「 もしもし?ごめん、いま通話できる状況じゃないの。メッセでお願い。既読無視は寝落ちよ 」
西は3秒で通話を終えた。
ナイスクリアだ西さん!―――と、東は叫びたくなった。
西は目の前の店員に申し訳なさそうにして、クレジットカードを財布へと仕舞った。西は活動限界の近さが察せられる顔つきで、「レシートは不要です」と短く言った。
その隙に東は行動した。
レジ横の台へと近づいて、がむしゃらに大量のテイクアウト品を持ち上げて、荷物持ちの役回りをみずから買ったのである。両手に玉将の袋を引っ提げて、東は“溜め込んだゴミを出しに行く人”みたいになった。重みに対して持ち手が細いので、袋はミシミシと手に食い込んだ。
どうあれ袋が脆すぎる。長時間持続できはしない。
東はずかずか店外へと出た。
西は急いで東を追いかけて、暮れきった街で東のことを見上げた。
「 いいよ、悪いよ。自分で持てる 」
「 開発室に差し入れしに行くんだろう?俺のぶんまで払われちゃったからな。荷物持ちくらいはするよ。こんなのじゃ足りないだろうけど 」
東は、ニヤッとして西を見下ろした。ばっちりと西と目が合った。
今だ!やっと言いたかったことが言える。
3年9ヶ月強待ちのスナイプだ。
初対面から気になっていた相手に、東はとうとうこれを言った。
「 連絡先、聞いていいか?次回埋め合わせをさせてくれ 」
西の表情が輝いた。
「 あ、たしかに!うっかり全部払っちゃった。じゃあ、ねえ、東くん、『埋め合わせを』って言うなら―――ひとつお願いごとを聞いて。わたし、もうバスが来ちゃうの 」
西は東を見上げて言った。
キラッとランプを光らせて、バスが交差点を回ってきた。
光の通過点にいた西千夏は、一瞬鮮烈な影になった。東春秋は目を細めて、嬉しくてただ笑っていた。いくら舞い上がってiPhoneを取り出そうとしても、両手は玉将の料理でいっぱいであるから、全長180cm以上ある木偶の坊として、突っ立っていることしかできなかったのである。
申し訳ない気持ちを込めつつも、西はきっぱりと言った。
「 わたしの代わりに、基地に寄ってそれを届けて頂戴 」
ビシィッ!と、「指示は短く」が鉄則。ガードレールを飛び越えて、西はイケない道の渡り方をした。そこらの歩行者や運転手たちには、今ので「ボーダーだ!?」とすぐにわかったことだろう。
バスは停車していた。
東は、「プッシュー!」という
タイムアウト。ゲームセット。西さんはいなくなってしまった。
東が呆然としているあいだに、西はバスに飛び乗って座席を確保した。「限界!座ったら寝てしまう!」と強く思っていたが、窓辺で東くんに手を振りたかった。
今日あのスター同期東くんとご飯に行けたことは、頑張った自分への御褒美じゃないかな?車線を挟んだ向こう側から、ずっと見てくれていて嬉しかった。