黄泉の巫女。最強醜悪の魔王は、聖人妹のために呪術を振るう   作:氷水メルク

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力の一端

 

 防御がマイナスになる装備を着るとなぜ打たれ弱くなるのか?

 

 鉄の鎧ー99。

 ヒノキ等の棒で突かれた時、生身に比べダメージが多くなる。

 非現実的すぎる光景である。

 何の変哲もない楓の木棒。

 それが呪われた鉄の鎧を穿つ。

 分かっている。

 所詮は幻想。

 それでも思う。

 目の前で起こる屁理屈。

 呪いを活用できれば、どれほど優位に立てるだろう。

 それが初めて、呪いに興味を持った瞬間だった……。

 

 * * *

 

 MMORPGアース・ワールド・イッシュ、通称 AWI。

 0と1で作られた電子仮想空間内。

 その内に広がる、剣と魔術のファンタジー。

 ここはそんなAWIの世界に存在する聖国。

 名はヒジリオラシオン。

 その王都より少し離れた都市、シルバーウェザー。

 ファンタジー特有の石作りの街並み。

 その中心部、日本家屋に緊迫感の風が流れた。

 

「で、何しに来たの? 衆悪の六魔王が一柱、黄泉の巫女バリル」

 

 (せい)闘士(とうし)サクヤは眉間にしわを寄せ睨む。不機嫌を隠そうともしていない。

 テーブルを隔てた先。対するおれは手を合わせて頼む。

 

「なんかログアウトできないんだけど……やり方教えて?」

 

 状況を整理しよう。

 まずテーブルを隔てた先で手を合わせるおれ。

 おれの名は氷野吹連(ひのすいれん)。現在は社会人だ。

 学校生活は楽しかった。一転、就活戦争というクソゲーをやらされた。

 ワンマン社長にいびられる毎日。

 入社一日後。君もう上司だからねとはまさに過酷の一言。

 新人が新人に何を教えろと。インターン、そんなものない。

 そんなクソゲーのストレスを発散させるため。終業時間後、AWIを起動した。

 

 昨今は多くのゲームがダイブ型VRと化した。

 没入感の凄まじさ。変身したい自分に成れた。動画配信すら誰もが自由に振舞えた。

 特に好まれたのは現実との時間差。

 一日を72時間、160時間以上にする。

 それはあたかも寿命が延びたような錯覚。

 だから入社一日で上司だと言われた。あの社長、マジでどうかしている。

 

 そんなフルダイブ型ゲームが流行る中、AWIはVRではなかった。

 画面上に広がる世界。プレイヤーは外側からコントローラーを握ってプレイする。

 AWIは一言で語れないゲーム。だから前時代的なのだろう。

 RPG、街づくり、ローグライク、ハクスラ、コミュニケーションとあらゆるジャンルの網羅。

 フィルターこそあれ、成人向けっぽさまで入っている。

 そんな一言では語れないゲーム性に、おれは引かれた。

 携帯からも手軽に入れる。学校での一休みにやる人も多かった。

 

 そんなVRに対応していなかったAWI。それがVRにアップデートされた。

 記念すべきVR初めてのログイン。

 ゴーグルを装着していざ仮想空間にダイブ。

 してみたところぉー……、ログアウトできなくなった。

 しかもVR型特有の変身性。

 彼岸花の刺繡が特徴的な、黒い巫女服の美少女へと変貌して。

 

「それ、うちの部下を三十人ほど催眠に掛からせた後、心神喪失及び精神崩壊させた奴の言葉?」

 

「あれは、バリルをメスガキっていうから……」

 

 サクヤにびしりと指を突きつけられる。おれは指を合わせてちょい目を逸らす。

 さて、AWIでおれは衆悪の六魔王、黄泉の巫女バリルとして名が知られている。

 一言で言えば、プレイヤーが創った国を破壊する常習犯。

 多岐に渡る魔術の分野に新しく呪術を追加した創設者。

 しかし掲示板ではこの世界に生きていちゃいけない癌。死んでほしいのに死んでくれない。普通に殺してくれるだけまだ優しい。四十代童貞キモヲタ彼女無し禿デブゲームが取り柄の敗北者なんて言われ放題。

 最後はブーメランだろうに。

 

 また、紅月のような紅い瞳に、オレンジのサイドテール、口からは小さな八重歯が生えた真祖の吸血鬼。陽キャっぽい見た目で、呪術や呪いを振りまくロリ。

 一部界隈では常に余裕のある戦い方、上空から見下ろすその姿から、

 

「このメスガキ蘆屋道満は……」

 

「そのあだ名は止めろって」

 

 なんかメスガキ蘆屋道満って言われるのである。

 なぜかここに来る途中も、住民や兵士からも言われた。

 どの面を下げてだとか。また来たのかだとか。今度こそ打ち取ってやる悪鬼め! だとか。

 おれを見るなり一目散に逃げ惑ったり、子どもからは石を投げつけられたり。

 それだけならおれも大して気にしなかった。気にしなかった。

 けど、兵士共にメスガキと煽られたのだけは許せない。

 おれはそんなつもりでバリルを作成した覚えはねぇー! 

 そう力説するおれに、サクヤはゴミを見る冷たい目を向けてくる。

 

「はぁ、相変わらずできっしょ。クソあにぃ」

 

 こんなのと血が繋がっていたなんてと侮蔑を込める、聖闘士サクヤ、おれのリアルでの妹。

 妹というのは兄を反面教師にするのだろうか。

 それとも単に共感性、社会性に強いのか。

 万年ボッチのおれに反して、妹は男女問わず友達の多い人気者。所謂リア充。

 具体的にはリア友のプレイヤー達と協力し、このAWIの地に世界有数の聖国、ヒジリオラシオンを建築した。

 その活躍ぶりも目覚ましい。レイドボスや衆悪の六魔王が攻め込んだ時に、援軍として派遣されている。

 掲示板ではファンクラブが設立されている。

 

「立場分かってんの? こっちは十二の聖人、いわば国の顔なの。対してあにぃは計43回も他国を滅ぼした人類の敵だろうが」

 

 言い訳をすると当時小国だらけだったこと。喧嘩を吹っ掛けられたこと。不都合が生じたこと。

 それらが重なって国を43回破壊したことになっている。

 一応、おれは聖国ヒジリオラシオンには手を出していない。

 どれだけゲームでいきがることが出来ても、リアルになれば頭を下げる。

 肩書が肩書のくせに何ともクソなっさけない。

 

 どう説得をしようものかと、おれは妹の身体をじっと見つめる。

 指を空中で回しながら考えていると、突然鐘が鳴り響く。

 妹はため息をひとつ、頭を掻いて立ち上がる。

 

「敵襲、手伝え。そしたら話くらい聞いてやる」

 

「よし来た!」

 

「でももし国を壊したり、民に呪いをばらまいたら……」

 

「しないっての!」

 

 決して脅しに屈したわけではない。

 屈したわけではないがおれは窓を開けた。背中からコウモリの白い翼を広げた。

 一目散に飛び出した。民家に被害が出ない高度まで上昇する。雲と隣り合えば最高速度で飛んでいく。

 寒々しい風でも突き抜ける感覚は気持ちいい。

 バリルになってから、感覚で身体をどう動かせばいいのか分かる。

 どう力を使うのかも。どう十全に動くのかも。どこまで攻撃に耐えられるのかも。

 おれが飛行してから目的地に到着するまで、瞬き二つする暇はなかった。

 スタっと着地すれば、空気を食べたスカートが捲れ上がる。

 パンツがもろ見えなのを気にしない。リアルと比べて数十倍まで跳ね上がった視力で目を凝らす。

 

 緑色の子どもほどの背丈をした魔物。土煙を巻き上げながら進軍している。

 ゴブリンだ。

 見える範囲だけでも数百匹はいる。

 三十秒ほど遅れて妹がおれの隣に降り立ち、「うっわ」と苦言を溢した。

 それから手足を動かしながら面倒くさそうに続ける。

 

「どんだけゴミで溢れてんの」

 

「魂の数を見た感じ千匹だな」

 

「分かんの?」

 

「おれは【魂魄(こんぱく)(がん)】っていう、生物に宿る魂を見る呪術があるから。魂の色、数、罪の大きさとか大まかなら分かるぞ」

 

 共有された情報に妹はまたも面倒くさそうにため息を付く。

 地面を足で踏んづけて気合を入れる。自身の胸に手をやり、大きく息を吐いていた。

 そんな妹におれは腕を広げ、呪符を構えながらひとりごちる。

 

「あれ全部倒したらおれの持つ魂は一億行くかな」

 

「お国柄的には! 聞き捨てならない言葉なんだけど! どんだけ死を愚弄してんの」

 

「食わなきゃ生きていけない病弱なので。妹は手を出さなくていいぞ。身体辛いだろ」

 

 言い終わるが先かおれは呪符を構えてゴブリンの群れに突撃をかます。

 無双ゲームのように、【火符】、【風符】、【氷符】、【雷符】を椀飯振舞。

 札はたちまち龍の怒号が如き大爆発を引き起こす。嵐のとぐろがゴブリンを飲み込む。氷華の大輪が咲き誇る。そして紫電の顎が群れ目掛けて食らいつく。

 まさしく天変地異。

 最後に【土符】で落ちたゴブリンたちは、針山地獄に串刺しされる。

 この間三秒。演出含めれば二十秒。時間が掛かり過ぎだとバリルの身体は申している。

 最後にゴブリンたちの遺体は土塊となって風化する。

 

「これもあんたの仕業?」

 

「【集魂の邪眼】、ある程度強くないと魂を取られた遺体はこうなる」

 

「あんたって、ほんとに魔王よね。規格外」

 

 そうなるようにゲーム内で地道な作業とかこなしていたからな。

 おれは今まで抜き取った魂の総数を数える。

 ざっと、一万足らず。一寸の虫にも五分の魂とはよく言う。虫と魔物、人間の持つ魂の強さは違うのに。

 あっ、一匹魂を逃がした。

 それを報告してみれば、妹は首を横に振る。追い駆けなくていいとのことだ。

 そのままぐっと腕を伸ばすおれに妹は問う。

 

「それで何を知ってんの? 身体のこと」

 

「涙と嗚咽を漏らしておいてよく言う。何も知らないからこれから聞く」

 

「漏らしてない! ……でも、ほんとに?」

 

「疑り深いなぁ。本当に何も知らないんだよ」

 

 正直こっちが驚いている。

 多くのプレイヤーから慕われて、国としても大きい部類で、そして英雄と謳われるほどその武勇を示す妹。

 

 なのになぜ、呪われている? 

 

 しかもこの呪い、この世界でただひとりおれだけが使える呪術のはず。

 余命は持ってあと三ヶ月。

 疑問が頭を支配してくるけど、ともあれだ。

 約束を守るよね? と目線を送ってみれば、妹は「はいはい」と手を振って返してくる。

 こうしておれは妹に話を聞いてもらえるようになった。

 

 

 

 おれと妹は妹の家へと戻った。

 魔物の群れが来る前と同じようにテーブルを隔てて座った。

 先ほどからバリルの感覚が訴えてくる。

 どうして呪いを掛けられている? 妹は気づいているのか? 

 国の英雄如きに解呪できるほどバリルの呪術は甘くない。

 様々な疑問を自己解決できる中、どうしても不可解な疑問がひとつある。

 

 どうしておれしか知らない呪術が妹に掛けられているのか。

 

 おれは人差し指をクルクル回しながら頭を悩ませる。

 話したいことしかないのに、出だし何を話せばいいのか分からない。

 無難にどうしてその呪術を掛けられているから入った方が良いか? 

 冷徹な表情で「はぁ……」とため息を吐く妹に、おれの身体はびくりと跳ね上がる。

 

「まずアンタいつ来たの? 二十年くらい前?」

 

「えっ、二十年前? はい? えっと、どうしてそれを聞くんだ? 何か必要なのか?」

 

「プレイヤーひとりひとり、この世界に来た時の年数が違うの。あたしは五年前に来て、五年間この世界で暮らしてる」

 

「五年間も? 大丈夫なのか?」

 

 食事とか睡眠とか排尿とか。

 妹は奥歯を噛み締めるように頷いた。

 真剣な顔をしていて、とても嘘をついているようには見えない。

 それに妹はよくも悪くも裏表はあんまり無い。

 VRなのに呪いで痛覚を味わうとかそれこそあり得ない。

 ということは本当に、妹はこの世界で五年間も。

 五年間も、ログアウトできず、AWIこそがリアルとなった世界で。

 

「いったいどれほどの年月が……。あっとな? 質問の答えはついさっき。数時間前にこの世界に来た」

 

 大体二時間くらい前か、なんておれは指を二本立てて答える。

 それはそれとして、どうして妹はバリルの呪術に侵されているのだろうか? 

 

「行く宛てとかあんの?」

 

「無い。けどバリルの力があれば国なんか余裕で征服できる。だろ?」

 

「少しはその力を弱者のために使おうと思わないの?」

 

「弱者が人間なら切り捨てる。動物ならば興味はない。おれはおれのためだけに力を振るえれば十分かな」

 

「……ッ」

 

 妹が睨みを利かせてくる。

 そもそも他人なんかどうでも良い。

 弱者を訴える人間が居たとしたら、さらにどうでも良い。

 というか世界にとって癌だから死んでくれ。

 おれが一番嫌いなのは人間だ。

 嫌なところばかりが目に付いた。

 ネットを見た。

 部外者たちが被害者のように振る舞うあの姿。

 人はこれを共感と呼んで賛美。チーム一丸となって魔女裁判。

 自殺者が出ようものなら精神力がない。注目を集めるためだとかで自分を正当化。

 何か成果や結果があれば自分の手柄だと吹聴。

 最悪ならば、同じ人間じゃないとか人権なんていらないと突き放す。

 そういう嫌な部分ばかり見せてくる人間が嫌いだ。

 嫌な部分しか見ようとしないおれも嫌いだ。

 

「昔好きだった配信者が死んでさ。その人の話題で何が起こったと思う」

 

「……なに。惜しい人を無くしたとか。悔しいとかじゃないの」

 

「答えは知らないだ。中には自分の方が登録者多いと自慢する奴まで居た。自分が好きか嫌いかで後先考えずに発言し、誰かが死ねば知らないと他人事。死体に唾まで吐きつける。数週間すればそんなこと忘れて、新しい玩具に絡みに行く」

 

「それはネットだからでしょ?」

 

「嘘なら何を言っても良いのか?」

 

 一旦この話題は止めよう。お互い疲れるだけだ。

 妹をこれ以上疲弊させたくないしな。

 今となっては些事に過ぎない。

 無言で何かを訴えてくる妹に、おれは大笑いして見せた。

 

「なーんてな。魔王っぽく振舞ってみた」

 

「……良い人ぶっても意味ないっての」

 

「同じ穴の狢はより質が悪いぞ。それよりさ、何か困っていることとか無いか? 力になるから言ってくれよ」

 

「はぁ? いきなり何」

 

 前のめりになっておれは机を叩く。

 妹はなぜかポカンとした顔つきになる。そして瞳の胡乱色を濃くする。

 おれはそっと腰を椅子に戻す。

 

「いやほらっ、やっぱり孤独は寂しいからさ。妹に埋めて欲しいなー……なんて?」

 

 妹は少しあっけに取られた顔を覗かせる。すぐに顎に手を当てて考え出す。

 おれに手のひらを突き出し、しばらく待つようにとも。

 普段の妹は絶対おれに頼らない。

 どういう理由なのかは分からない。

 けれど、ヒジリオラシオンが他衆悪の六魔王から襲撃にあった際、妹は頑なにおれを呼ばなかった。

 

 今までは助けを呼ばない妹にホッとしていた。

 他の衆悪の六魔王にからかわれなくてすんだから。

 呼ばれたら、それこそ目の上のたんこぶと思っただろう。

 でも今は違う。

 この世界がリアルになった以上、おれの家族はもう妹しかいない。

 家族の血すらない。兄貴らしいことひとつもできない人間嫌いのおれだけど。

 

 それでも妹を助けたい。妹のためじゃなく、おれ自身のために。

 

 なんて心の中で恰好つけていると、妹はぱっと顔を上げた。

 

「じゃ、力貸せ」

 

「何でも言っていいぞ。おれにできることならな」

 

「詳細は移動しながら話すから準備し……今なんでもって言った?」

 

「……あくまで、おれに出来ることで勘弁してください。サクヤ様」

 

 妹は上からコートを羽織る。書類の束を手に、手甲にある【神彩(しんさい)の宝玉】を起動した。

【神彩の宝玉】は倉庫やステータスを開くのに使われる。

 絶対に紛失しない。プレイヤーごとに色が違う。エー玉サイズのデバイス。

 プレイヤーのみ使えるデバイスだが、後々に量産化されている。

 なお、おれの【神彩の宝玉】はサイドテールの髪留めにある。

 妹は【神彩の宝玉】の倉庫に書類の束を押し込める。

 少々せわしない様子で動きやすい靴を履く。

 何やら出かける準備を始めたサクヤにおれは首を傾げる。

 

「移動?」

 

「元々今日はヒジリオラシオンに残っている聖人たちで会議をしようって予定が入ってんの」

 

 そうなんだ。

 できればシャワーに妹を連れて行きたかったんだけど。

 会議とかおれには知ったことじゃないし。

 でも、妹の用事を無視する兄貴もどうかと思うしなぁ。命が掛かっているし。

 妹の身体は持ってあと二か月ってところか。なら今日は大丈夫か? 

 

 置いて行かれないようにおれもすぐ靴に足先を突っ込む。

 ドアノブに手を掛けた妹は「ある意味ナイスタイミング」と言葉を返す。

 空はまだ少しほの暗く、涼し気ないたずら風が肌を執拗に撫でてくる。

 これから今日が始まる。

 少し待つと馬車が到着する。ヒジリオラシオンの紋章。教会のローブを来た青年が馬車から降りる。

 青年は妹の前で仰々しく帽子を取り一礼する。

 

「おはようございます。サクヤ様とそちらの……そいつは!」

 

 おれを見るなり明らかに表情から敵意を滲ませる青年。

 そんなものどこ吹く風。おれは手のひらで欠伸を受け止める。

 妹はおれを、正確には青年を庇うように腕を広げておれを隠す。

 

「似ているけど別人。バリルじゃない」

 

「しかしその見た目は……」

 

「じゃ城までお願いね」

 

 妹は青年の疑問を無視。手を挙げて馬車に乗り込んでいく。

 ことは穏便に、ってとこだろう。

 それにしても身に覚えが無い。

 ヒジリオラシオンだけは一度として攻めたこと無い。なんでこんなに恨まれているのか見当がつかない。

 おれも妹に続いて馬車に乗り込む。その前に、世話になると青年に手を挙げておく。

 階段を踏み込む。馬車に上がったおれを待っていたのは電車に酷似した内装。

 客同士が向かい合うように設置された席。馬車ってこんなものだっけ? と少し疑問を覚える。

 もはや応接間か何かである。

 

 横開きの馬車の扉を閉めておれが座れば、妹は向かい側へ。

 しばらく経っても動き出さない。妹が外にいる青年に声を掛ける。

 手綱で叩く音。

 馬は高く戦慄くと、その蹄を持ってアスファルトを叩き出した。

 コロコロと車輪の転がる音をBGMに、妹が口を開いて。

 

「大丈夫か?」

 

 ふらっと倒れそうになる妹の肩を、おれは掴みに行く。

 今にも叫びそうなほど悲痛な表情で頭を抑える妹。

 熱い。

 妹の身体は溶けてしまいそうなほど熱い。時折氷のように冷たくなる。

 これが交互に、壊れかけの電灯のような等間隔で訪れる。

 妹はしばらく荒い呼吸を繰り返す。

 それからもう大丈夫になったのだろう。

 この部屋が防音しようになっているのを話してから、おれの肩を押し出した。

 

「力貸せっていうのは、パチモンがいんの。あんたの」

 

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