「私に心なんて、あるのかな?」
そんな時だった。
ヒメノの頭の上に、ぐしゃ!と何かがこぼれてくる。
生暖かいような気がするが、すぐ凍るのであんまり分からない。
「ん?なんだこれ?」
「っ…………うゲえ!!?!」
形容し難いほどに芳醇な香りが姫野の鼻に侵入してくる。芳醇、といってもまさか酒のようなかぐわしいものではない。
刃に衣着せぬならば臭い。ドギツい臭さだ。
「なんじゃこりゃ!く"っさ"!!!」
鼻をつまむとかそんなレベルではなく、(魔)人としての尊厳が口から飛び出そうなので必死に押しとどめうっぷ。
あまりにひどい匂いに、魔人としての感覚がブレる。悪魔らしい声のノイズが入る。
「え"ォ"……ごっ、ごほ!!ま、まさかこんなものを作戦に入れてたとは……
やるねアキくん……アキくん?」
口をふさぎブツが出ないように、出てもせめて見えづらいよう下を向いた事を後悔する。
目の前にいたはずのアキくんの姿が無い。
それに、開放した力のせいで、吹雪のコントロールが効かない。視界が終わっている。
1センチすら見えない。流石に盛ったか。50㎝先は見えない。
「こっちですよ、姫野先輩」
瞬間、心が沸騰したような激情に襲われる。
「私は姫野」「私は姫野ではないのに?」
「あきくんは、まだわたしをひめのとよぶの?」「贋作」
「私はァ!!氷の魔人だよ、アキくん……!!!君の知ってる先輩とは!!別人なんだよ!!!」
「……知ってますよ」
怒りに任せて、瞬時に作りだした氷柱で影を串刺しにした。
なのに、何故声が聞こえるのか?
何故、声は私の後ろから聞こえるのか?
どうして、私の胸からは釘が飛び出して、口からは赤い血が流れているのか?
人間でも、ないくせに。
は~~ぁあ。負けちゃった。悔しくないなぁ。嬉しくはないなぁ。
小さく血を吐くと、ヒメノは微笑む。自然と笑みが出た。
憑き物が落ちたような、もう思い残すことは無いような笑みだ。
アキを安心させるために出た、嘘まみれの笑みだ。
「……また、ですよ」
「……また、だね。ごめん」
「今度は俺の手で、です」
「そうだね。辛かったよね」
「「……………………」」
カースが呪いを発動する。アキに制止する間はなかった。
それが進行する前に、ヒメノが手を伸ばす。何かを渡そうとしていた。アキもそれに応じる。罠だとは考えなかった。
アキが広げた手のひらの上に、小さな雪玉が乗せられる。
ちょうど、雪合戦できそうな大きさだ。
「これは」
「私の……いや、『姫野』の形見だと、思ってほしい。っていうのは……難しいかな」
「…………悪魔ですか」
「魔人だよ、ごめんね」
「姫野の形見、って言ったけど……これは間違いなく、氷の魔人の産物だよ。私が消えればいずれ溶けてなくなる。投げちゃってもいいよ!」
明らかに無理をしたような笑みでヒメノが言う。ご丁寧に、アキの手のひらにぴったり収まるサイズだ。
磔になっても、ほんの少しだけ抗えるらしいヒメノ。
ベロブルグでの氷の魔人の力は、呪いの進行すら遅らせるらしい。
ただ、呪いは絶対だ。例え氷の惑星の頂点でさえ、時間を稼ぐことも難しい。
アキは下を向いており、ヒメノから表情を見ることは出来ない。
「……すよ」
「……え?」
「いや、ですよ」
「俺は、嫌です。また失うのなんて、ごめんです」
「……で、でもさ!アキくんは、銃の悪魔を倒さないとでしょ?私の事なんて水に流して溶かしちゃってよ!きれいさっぱり忘れ去ってほしいよ!」
「それとこれとは、別ですよ……」
「っ」
「大事な人がいなくなるのは、嫌なんです……」
また少し呪いが進行する。ヒメノも、もうほとんど死に体だ。死にたい、消えたい彼女にはそれが似合いかもしれない。
これまでより、より一層明るい声でヒメノが言う。
彼女は何かが吹っ切れたような、至極晴れ晴れとした顔だった。
「─────あーーーもう!分かったよ!私の負け!」
そういうと、ヒメノはぐいっと顔を近づけた。磔の十字架ごとだ。強い。馬鹿力である。
新たに生やした氷の腕で、アキの顔を無理やり前に向かせる。
「最後に一個だけ聞いたら帰ること!結局、面と向かって言えなかったのは心残りだったから」
アキの眼をまっすぐに見つめるヒメノ。アキも呆気にとられるものの、その眼を逸らすようなことはしなかった。
生前もほとんど見たことが無いような笑顔で、ヒメノは言う。
「
そういうと、ヒメノは嘘みたいに消え去った。死んだと断定するにも、そこには致死量だろう血痕だけが残るのみだった。人間と変わりないようにしか 思えない 赤い紅い朱い血。
アキは、吹雪のすっかり晴れた道を戻る。途中でペラやジェパ―ド、ブローニャの姿を確認したが、話しかける気にはなれなかった。
ジェパ―ドは氷の魔人の攻撃、そのほとんどを受けていた。ペラとブローニャの肩を借りていた。重体、らしかった。
家に戻った。随分、随分と広く見える。転がった酒瓶も、煙草の空箱もまだあるのに。
釘を無造作に放り投げると、ガランガランと音を立てて転がった。家の風景の一部になる。
右手に持った、雪玉を見る。熱くもなく、冷たくもない。姫野そのもののようにも思える。
体温と言う概念さえ消えたとも思える。氷の魔人は、もういないと。
何かに弾かれたように雪玉を投げる、ふりをする。
投げられる訳がなかった。
とりあえず、溶けにくいように窓際に置く。そして、寝室に向かう。
アキは、歩く流れのままベッドに倒れ込む。布団をかぶると、縮こまる。
泣いていた。
「───ん」
何者かの声で目が覚める。
どうやら一晩中泣いて泣いて泣き続けて、泣き疲れて寝てしまったらしい。
寝起きのぼんやりとした頭で、拒否の意を伝えようとする。
今は動ける気がしない。それに、なぜ俺の家に勝手に上がっているんだ?
「──くん」
──────は?
……嗚呼、幻聴か。そうだろうそうだろう。昨日今日で割り切れるはずもない。
ましてや、自分で手に掛けたのだ。幻聴を聞くのはこれが初めてだが、そうかそうか。これほど鮮明に聞こえるんだな。
「ア────キくん!!!何寝とんじゃおんどりゃあ────っ!!!!!」
「ぶごぉぁ!!」
綺麗な飛び蹴りを顔面に食らったアキは、その痛みで一気に意識が覚醒する。
目の前には、
姫野がいた。
いや、違う。姫野ではある。あるが、明らかに頭身がおかしい。2、3頭身だろう。
「アキくん!おはよう!!!ご飯作って!!!」
「え?」
ゑ?
姫野を姫野だと全く信用しないアキに四苦八苦する姫野は割愛する。
彼女は、なんとかしてアキの寝室の扉を開き、この部屋への侵入を果たしたらしい。
「つまりアンタは……氷の魔人が分けた分身、
「さっすがアキくん!要点はそんな感じだね!私の気持ちは全無視してるけど。雪の魔人に関しては全然分からんですよ、こんなケースは私も初めて。アキくんも?」
「………少なくとも、悪魔が、下位互換だからと死んだ後に記憶を引き継いで生き返ることが出来る、なんて話は聞いた事がない」
「だよねー。弱体化はあるけど、記憶引継ぎ生き返りとか強すぎるもんね。姫野ちゃんの記憶に掠りもしなかったわー。ただ一個思い当たる節はあるよ」
「なんです?」
「愛だよ、アキクン」
真面目に聞いた俺がアホである。
そして、小声で付け加えられた言葉にしっかりダメージを受けていたアキ。
「……あと先輩の気持ちがどうのって、どういうことですか。教えて下さい」
「聞きたいのぉ?しょうがないねぇ……あと呼び方考えないとねー。先輩なら違和感ないからそのまんまでもいいけど。
君が言ったんでしょ、大事な人がいなくなるのは嫌だってさ」
「まぁ私は姫野じゃないからさ、腐っても悪魔なワケよ。何度も説明してごめんね」
「フリをしたって本人じゃない。記憶を全て持っていても、同一人物にはならない」
「現に、私はアキくん以外の人間なんてどうでもいいし。……これは元の方でも変わらなかったかも?」
「とにかく、バレたらヤってもらうしかないのよ」
「悪魔だけど、ね?行動原理はアキくんが中心。だから、アキくんに死ねって言われりゃー死ぬのよ」「そもそもそんなこと言う奴がアキくんじゃない事は明白だから例えね、例え」
「何とかしてアキくんに殺してもらいたかったけど、無理だって言われたじゃん?」
「だから生き返ったの。悪魔は死ぬなって言われて死にたがるような捻くれ者は多くない」
「いるはいるけど、私はそういうの趣味じゃないから」
照れくさそうにヒメノは笑う。
昨日、自分をボコボコにした者と同一人物とは思えない。同一
「銃野郎を潰すにしても、誰かさんにアタックするにしても……とりあえず私はアキくんに生涯くっつくよ」
「それこそ【服についたガム】みたいにねー!!アハハ!懐かしいなぁ……!!」
「ま、とにかくだよ」
「悪魔との契約ってのはさ、重いんだぜ?悪魔に願ったことは、最悪の形で叶うんだよ」
とりあえず、飯を作ろうと思った。
二人分。
早川アキと
と言った感じで。
早川アキと姫野先輩の話でした。
もうちょっとだけ続くんじゃ。
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いくらか書けない期間がありまして……出来る限りこちらも継続していきますが、5から6月初週辺りまで事情により投稿が難しいです。申し訳ない。
その間にどれか一つでも頂けると嬉しくなります。どうかよろしくお願いします。