小さくて、わんぱくで、それでいて優しいトレーナーさんと、それを見守るケイエスミラクルのお話

一話完結です

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〇注意
ケイエスミラクルの二次創作になります。
トレーナーなど独自の設定が含まれています。ご注意ください。


ケイエスミラクルと小さなトレーナーさんの話

「…そろそろ、出来上がったかな」

 

 その日は小春日和の暖かな午後だった。 

 毛糸が巻きつけられた棒針を机の上に置いて、ゆっくりと背を伸ばす。

 

「あたた…じっとしてると節々が痛いや、あれ?」

 

 強張った肩をゆっくりと回しながら席を立つと、部屋の中を見回した。

 しかし、先ほどまで背後にいたはずの彼の気配はいつの間にか無くなっていた。

 首を伸ばしてリビングを覗いたが、そちらにも気配ない。

 どうやら待ちきれずに、どこかへと行ってしまったらしい。

 

「トレーナーさーんどこですか?出来ましたよ~!」

 

 家の中に通るような大きな声で呼びかける。

 一拍をおいて、トトトと、上の階からせわしなく走ってくる音が聞こえてきた。

 なだれるように階段を駆け下りてくると、階段の手すりにつかまってスウィングをするようにその身を躍らせると、その勢いのままキッチンへと走りこんできた。

 

「ケイちゃんケイちゃん!できた?」

  

 柔らかな藍色の髪が、荒い呼吸とともにぴょこぴょこと揺れている。

 生まれたばかりの頃は白玉のようにムチムチとしていた手足も、もうすぐ小学生に上がる歳にもなれば、すらりと伸びていた。

 3時のおやつに期待を膨らませる彼の目元は、夫の優しげなそれとよく似ていた。

 

「こら、危ないからお家の中で走り回っちゃダメでしょ」

 

「うっ…だってだって、ケイちゃんのバナナムース楽しみだったんだもん」

 

「でも、怪我をしちゃって痛い痛いだとおれも悲しいよ。危ないことはしちゃダメ。お願い、ね?」

 

「うん…ケイちゃんごめんなさい」

 

「大丈夫、怒ってないよ。さあ、ちょうど冷えて食べごろだよ。いただきますしようか」

 

「わーい!!」

 

 しゅんとした顔から、一瞬で爛漫な笑顔に変わった彼は、すぐさま椅子によじ登ると、ちょこんと座った。

 背筋をピンと伸ばして行儀よく座る姿と、ワクワクが溢れ出んばかりの表情とのギャップがなんとも幼気(いたいけ)で愛らしかった。

 

「ぼくはいつでもムースだいじょうぶです!!」

 

「はいはい、待っててね」

 

 我慢できずに、浮いた足をパタパタと振るその姿は、ご褒美を前に尻尾を振る子犬のようで思わず笑みがこぼれる。

 おれは冷やしていた一人分のバナナムースのラップをはがして、子供用のスプーンとともに彼の目の前へ置いてあげる。

 

「わぁ~!!食べてもいい!?」

 

「はいどうぞ、召し上がれ」

 

 「いただきます!」と威勢よく手を合わせると、彼は緩めに作ったムースをスプーンで掬い上げた。

 そのやわらかさに目を輝かせると、スプーンごとかぶりつくかのように頬張った。

 

「んぅ~~!!」

 

 どうやら彼のお気に召したらしい。

 両の手で頬を押さえながら、幸せそうにかぶりを振る姿は、この世の幸運のすべてを味わっているようにも見えた。

 あっという間に、口の中へスルスルとムースが消えていく。

 こんなにも美味しそうに食べてくれるなら、作った甲斐があったというものだ。

 隣の席に腰を掛け、くりくりとした彼の目を見ていると、見上げたその視線と合った。

 彼は大きなムースの欠片をスプーンで掬い上げると、机に身を乗り出してこちらへと差しだしてきた。

 

「ケイちゃんも食べようよ!これ美味しいよ!」

 

 ムースがのせられて差し出されたスプーンを眺めていると、自然と胸がいっぱいになった。

 ああ、なんて優しい子なのだろうか。

 

「大丈夫だよ、ケイちゃんはもうお腹いっぱいだから。しっかり食べて立派なトレーナーさんにならないと、ね?」

 

 彼はスプーンの上に乗ったムースと、こちらとを交互に見ると、申し訳なさそうにムースを口に入れて小さく頷いた。

 

「うん、すごいトレーナーになって、ケイちゃんを専属トレーニングしてあげる!!」

 

 そんな難しい言葉などどこで覚えたのだろうと驚く。

 子供の成長は早いものだとしみじみ思った。

 

「うん、楽しみにしているね」

 

「まかせて欲しい!!」

 

 血色の良い桃色の頬を動かして、ムースを味わう彼を見ながら思う。

 おれは、いまとても幸せだと。

 あたたかでおひさまのような少年。

 おれにはもったいない心優しい小さなトレーナーさん。

 

 

 

「ミラち、おひさ~!!ねね、お嬢からの招待状も見た?」

 

「うん、届いてたよ。でも、おれなんかが呼ばれていいのかな」

 

「ミラクルさんの走りは紛れもなく、今にまで続く英風となっております。もちろんふさわしいかと」

 

 寝支度を終わらせて床に入ろうかと思っていると、思いがけない二人から連絡がきた。

 身体を冷やさぬよう厚手のカーディガンを羽織(はお)り、携帯端末を机の上において、かつてトレセン学園で学びを共にした級友たちと近況を話し合う。

 

「マイルCSの記念式典の一環として、同じ世代でしのぎを削った私たちが招待を受けるとは。思いもよらぬ秋風に私も驚いています」

 

「それよ~。お嬢成分摂取するの久しすぎてめっちゃ沸いた。流石に会いた過ぎてそこらへんのスケジュガチで削ったわ。んでも削りすぎで、うちのマネがガチギレててウケた」

 

「今、海外でも音楽イベントで飛び回っているんでしょ?やっぱりヘリオスは行動力がすごいなぁ…。ゼファーも日本に戻ってくるみたいだし、おれも頑張って行かなきゃなぁ」

 

「ミラクルさん、お身体は大丈夫でしょうか?」

 

「そうだよミラち、この前やっと退院してたし…無茶になったらヤバいよ」

 

「うん、元気だよ。最近は全然なんともないんだけどね」

 

 二人の心配そうな声に慌てて弁明をするが、その心配ももっともだろう。

 夏に入ってすぐの頃、おれは肺の炎症が見つかってしばらく入院をすることになったのだ。

 最初は夏風邪かなと思って受診したところ、肺のレントゲン写真に写る真っ白な影を見て、主治医の先生は深く頭を抱えていた。

 入院中もおれがあまりにも咳を繰り返すものだから、お見舞いに来てくれた息子が心配のあまり、泣き出しそうになってしまっていた。

 それからの入院生活は思ったよりも長引いてしまい、結局退院が出来たのは、そろそろ夏も終わろうかというそんな時期だった。

 

 

「実はルビーの計らいで、救護員までつけて送迎から何までしてくれることになったんだ」

 

 退院をしてから暫くたったあと、記念式典への招待状とは別に、もう一通の手紙がポストへ投函(とうかん)されていた。

 流麗な直筆の手紙は、こちらの体調を(おもんばか)ったルビーからの一筆だった。

 家族の心配もあり、最後まで行くか行くまいか悩んだが、結局参加することに決めた。

 

「何から何まで世話になるのは申し訳ないなとは思ったんだけどね。この機を逃したらみんなともう会えなくなるんじゃないかって」

 

 ミンミンゼミが絶え間なく鳴く声を聞きながら、酸素マスクをつけて病室の窓から青空を見上げている時に思ったことがあった。

 

 今という時間はずっとは続かない。

 会える人には会えるうちに会っておいた方がいいと。

 

「みんなとは、何度でもまた会いたいからさ…ワガママ言っちゃった」

 

「うう…うちもミラちにめっちゃ会いたい;;」

 

「ワガママなどではありません。私も級友たちとの再会に、風懐(ふうかい)を感じたくてしかたありません」

 

 式典についての数言の情報交換のつもりだった通話も、その後も話題に尽きることはなく、あれやこれやと案外長く話し込んでしまった。

 遠く離れて、会うことも声を交わすことも少なくなったとしても、通じ合える友人達の存在はいつになっても心強くてありがたい。

 トレセン学園で過ごした閃光のように鮮烈なあのひと時は、おれという存在が確かにそこにあるのだと、そう思えるような大切な日々だった。

 

「あ、そういえば!ちびちは元気?」

 

 ヘリオスが顔を輝かせて、あの子のことを尋ねた。

 

「うん、モリモリ食べてスクスク育っているよ。三食におやつまでペロリと食べて、庭中を走り回って疲れちゃったみたいで寝ちゃってる」

 

「確か来年には小学生でしたか。刻とは疾風(はやて)のごとく流れるものですね」

 

「ほんまそれな~。高松宮記念ぐらいはやくて笑う」

 

「ふふ・・・っくしゅん」

 

 ヘリオスの冗談が面白くって口を押さえて笑っていると、ふとくしゃみが出てしまった。

 

「あヤベ。もうミラちお休みの時間だわ!んじゃまた会お!!」

 

「ミラクルさん、あたたかくしてお休みくださいね」

 

「うん、おやすみなさい、二人も元気でね」

 

 今でもおれのことを労わってくれる変わらない二人の優しさに、暖かな気持ちになった。

 すこし名残惜しくも感じたが、今度の式典でまた話そうと決心し、火の元を忘れない様に切って、寝室がある二階へと向かう。

 薄暗い二階の廊下に差し掛かると、夫の書斎の扉が少しだけ開いていることに気付いた。

 ドアノブに手をかけ中を覗くと、そこにはモニターの画面を食い入るように見つめる小さな背中があった。

 

「…これは昔のマイルCSの映像かな?」

 

「うん、ケイちゃんが出てたやつ」

 

 なつかしいレースだった。

 先ほどの通話で話題に出たこともあって、夜更かしをする彼をたしなめることも忘れて、横に並んで画面を見た。

 

「800Ⅿの時点で47秒、この時のレースは結構ゆっくりとしたペースで進んでいったんだ」

 

「へぇ…」

 

こちらの話を興味深げに聞きながらも、彼の瞳は画面を食い入るように見ている。

 

「ぼくは将来立派なトレーナーにならなくちゃ、だから、いろんなレースを見ておかなきゃ」

 

「うん、そうだね」

 

 画質の荒い、昔のレース映像を見ているうちに、あのトレセン学園での日々をふと思い返した。

 あの頃の自分は、とても焦っていた。

 終わりはもっと早くに来るのだろうと、そう思っていたからだ。

 だから、自分があんなにも長く走ることが出来るとは想像していなかった。

 それもこれも、献身的におれのことを支えてくれたトレーナーさんが居てくれたからだ。

 

 レース競技者としての区切りをつけて、卒業をして働き始めてしばらくが経った後。

なんやかんや紆余曲折があって、おれは担当トレーナーだった人と結ばれた。

 そして、身体の心配もあったが、なんとか一人息子を授かることが出来た。

 朦朧とする意識の中、産声を上げる息子の赤らんだ顔と、くしゃくしゃになった夫の表情をおれは一生忘れることはないだろう。

 長い入院の後、出産後のお見舞いには多くの人たちが駆け付けてくれた。

 多忙なはずのルビーが来てくれた時は、すごくうれしかったっけなぁ。

 

 モニターに映る表彰を受ける傍らに、昔の夫の姿を見つけた。

 まだ駆け出しの頃の姿が、かわいらしくて懐かしくて笑ってしまった。

 夫はおれという大変なウマ娘をGI勝利に導いたその功績から、才能があれど怪我や体調が不安視されるようなウマ娘を受け持つ“名トレーナー”として、学園からも一目置かれる存在となった。

 その功績は学園内外からも高く評価され、息子もその背中を見て育ってきた。

 その憧れもあってか、彼はいつからかトレーナーになると言うようになっていた。

 

「すごいトレーナーになったら、ケイちゃんをトレーニングしてあげるんだからね」

 

「そっか、それは楽しみだ。でも、なんでおれをトレーニングしたいの?」

 

「えっと、それは…」

 

 ふと気になって問いかけてみると、小さなトレーナーさんは一瞬戸惑ったように言いよどんだ。

 意地悪な質問だったかと思ったが、しどろもどろなその姿を見ているのが可愛らしくて、つい眺めてしまった。

 彼はつたなくも自分の中にある想いをまとめて、たどたどしくも言葉にしていく。

 

「あのね?まっすぐ前を見て走るケイちゃんが怖かったの」

 

「怖かった…?」

 

 想像していた答えと異なった回答に、ちょっとだけショックを受ける。

 意地悪なことをした報いかと、苦笑いをして頬を掻くと、彼は違うんだよと腕をブンブンと振ってみせた。

 

「怖い、ちょっとだけ…ちょっとだけだよ?ビュンビュンはやくて、綺麗な走りですっごく好き。だけど…まっすぐ前を向いたままケイちゃんは、そのままどこかに行っちゃいそうで怖かったの」

 

「ああ、そっか…」

 

 その言葉を聞いて、彼が何を恐れていたのかを理解した。

 トレセン学園に入学したおれは、誰かに報いることだけを考えて走っていた。

 自分を構成しているものすべてをレースにかけて、みんなに恩返しをしなければならないと、そう考えていた。

 事実、その意気込みは、まわりから見れば鬼気迫るものだったのだろう。

 命をそぎ落として、燃やし尽くして、一縷の奇跡を手繰り寄せることが出来るのなら、このガラスの身体がどう砕け散っても構わないと、確かにそう思っていた。

 この子は幼いながらにも、走る姿だけでその本質を見抜いていたのかもしれない。

 彼の頭に手を伸ばすと、フワフワの猫毛を漉くようにして撫でてあげた。

 

「大丈夫。お父さんのような立派なトレーナーに絶対なれるよ」

 

 頭に、頬に、首筋にと、優しくなでると彼は最初嬉しそうにくすぐったそうにしていた。しかし、そのうち、彼は拗ねたような渋い顔をなってしまった。そしてぼそりと呟いた。

 

「やだ…お父さんのようにはなりたくないもん」

 

「あら、お父さんは色々な人から頼りにされる凄いトレーナーさんなんだよ?」

 

「だって、ケイちゃんをおいて、他の娘たちのトレーニングばっかりやってるんだもん」

 

 彼の父親は、現在チームのトレーナーとして奮闘をしている。

 秋のこの時期は、様々な重賞が重なっており、教え子たちの世話で多忙なことは、トレーナーという生業の上で仕方がないことだった。

 へそを曲げたように画面を睨む彼は、自分の父親がおれよりも他の子を優先していることに怒っているらしい。

 しかし、俺はぷりぷりと怒る彼の小さな背中が、どこか寂しげなことを察していた。

 彼は「そうだ」とは認めないだろうが、トレーナー業で忙しい彼の父親に構ってもらえなくて拗ねているのだ。

 それもそのはずだ。彼はまだまだ小さく、甘えたがりな時期のはずだ。

 

「フフッ、うっ…ゴホッゴホッ」

 

 秋口とは言えど、夜となればひんやりと寒くなってきた。

 思わず微笑んださいに、冷気が肺へと入りこみ、刺激を感じて咳き込む。

 何度も咳き込む姿を、隣に座る彼が目を丸くしてこちらを見ていたが、おずおずと近寄ると小さな手で背中をさすってくれた。

 

「ごめんケイちゃん…寒かったよね」

 

「大丈夫だよ…んんっ、ちょっと喉が冷えただけだから」

 

「ううん早く寝よう。…ねえ、今日は一緒に寝てもいい?」

 

「いいよ、ギューってして寝ようか」

 

 寝室へと向かうとき、彼はかたわらにぴったりとくっついて、おれが転ばない様に支えながら歩いてくれる。小さな両の手で、冷え切ったおれの手を包むようにして。

 子供特有の温かな体温と、彼のぎこちない優しさに、心がじんわりと温かくなる。

 ああ、おれにはもったいないぐらいのいい子だと、そうしみじみ思った。

 

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 その日は空気が乾燥した肌寒い朝だった。

 式典を控えた今日は、ルビーが迎えを出してくれる予定になっていた。

 予定の時刻まで時間の余裕があったが、久しぶりに皆に会えると思うと、学生の頃に戻れたような気分になったようで、心なしか浮かれているのが自分でもわかった。

 

「どれを着て行こうかなぁ…」

 

 久方ぶりのフォーマルな服装に、何を着て行こうかと悩みながら見繕っていると、その背後から何かを言いたげなプレッシャーを感じた。

 彼は一言もしゃべらずに、椅子を逆座りして浮いた足をプラプラと揺らしながら、そのやわらかな頬を膨らましている。

 

「えっと…怒らないで、ね?」

 

「怒ってないもん!!」

 

 彼は一段とグズっているようだった。

 今日の式典はURAの関係者とルビーの実家とが主体となって行われる。

 大人ばかりの式典に、幼い彼を連れて行っても、流石に退屈ではないかと思っていた。すると、トレーナー業の隙間に、彼の父親が貴重な休みを合わせて遊園地へと連れ出してくれることになった。

 しかし、彼の中では父親とはいまだ喧嘩状態であり、顔を合わせるのも不満げなようだった。

 苛立たしそうに足を大きくばたつかせて駄々をこねるその姿は、ゲートインを嫌がるウマ娘のようにも見えた。

 この子は、うちの家系では珍しい気性難だ。

 苦笑いをしながら、衣装ダンスからあれやこれやと引っ張り出しては、最終的に寒くない様に露出の少ない厚手のものを選んだ。

 元々、線の細い方だったが、退院をしてからというもの、より一層寒風が特に身に沁みやすくなってしまった。

 肩掛けのストールを何にしようかと選んでいると、来訪を知らせる呼び鈴が鳴った。

 

「あら、早かったね。おはよう、あの子はもう準備出来ているよ」

 

 インターフォンのモニターを押して応答すると、弱ったような、困ったような声が聞こえた。

 

「おれは大丈夫。ルビーがお迎えを出してくれるみたいだから、だからこの子をお願い、ね?」

 

 今から玄関へ向かわせる旨を伝えて、いつの間にか腰にしがみついていた彼に目線を合わせた。

 そっぽを向いたまま頬を膨らませる彼をなだめるように、穏やかに言って聞かせる。

 

「ケイちゃんはお出かけをしなくちゃいけないんだ。連れていけなくてごめん、お父さんと仲良くするんだよ?」

 

「オレも…ケイちゃんと一緒に居たかったもん」

 

「うーん…夕方にはすぐに帰ってくるから、ね?」

 

「絶対だよ」

 

 彼は頬を膨らましてはいたが、渋々と言った風に頷いた。

 彼自身も遊園地自体は嫌なわけではないようだ。既にしっかり着替えているし、お気に入りのキャラクターのポーチを肩にかけている。

 遊園地の喧噪が、彼と父親の確執を解いてくれることを祈るばかりだった。

 

「帰ってきたら、お話聞かせてね?」

 

「うん、わかった。気を付けて行ってきてね」

 

 ニンジン型のキャラクターのポーチを握りしめながら、何度もこちらへ手を振る彼を、玄関口まで見送った。

 玄関から流れ込んできた朝焼けの街の冷たい空気が、肺に入り込んで小さく咳き込んだ。今日もどうやら冷えるようだ。

 薄暗い廊下を進んでいると、リビングに置かれた大きな達磨が、窓から差し込んだ朝日を受けて照らされていた。それは昔、おれに商店街のくじ引きを引いてもらおうとして、くじ券と引き換えに夫が商店街で買ってきたダルマだった。

 買ったはいいが、そのだるまがあまりにも大きくて、辛そうになんども抱えなおす夫の姿を思いだした。

 

「あまりにも滑るものだから、最後にはおれがダルマを抱えて学園まで一緒に帰ったっけな」

 

 最初こそ落とさないように気を付けてはいたが、何度も取り落としてからは傷だらけになってしまい、今となっては目のところ以外は塗装もほとんど剥げていた。

 ボロボロのダルマを見ながら、月日が過ぎるのは早いものだと、つくづく思う。

 

「まあでも、これはこれで趣があるかな?」

 

 ざらざらになった表面を、指でなぞりながら夫との思い出を懐かしんだ。

 おれはいつ終わりが来るともわからない自分に付き合わせるわけにはいかないと、担当トレーナーであった彼とは、いつでも離れることが出来るようにと心づもりをしていたつもりだった。

 けれども、結局、おれはあの人の近くから離れることができなかった。

 学園を離れて1人で暮らすようになっても、彼は時折こちらを気にかけてくれた。

 折に触れて感じたその優しさが、誰に対しても向けられるような博愛からくるものではないと、その時にはとうに理解できていた。

 それでも頑(かたく)なだったおれは、彼の想いを素直に受け入れることが出来ないでいた。

 大事な彼の時間を、自分のために使わせてしまっていいのだろうかと思い悩んだ。

 しかし、両親と、そして大事な友人たちに後押しをうけて、そして何より彼の想いを聞いて、最後には彼の手を取ると決めた。

 それからの日々は、さまざまな困難こそあったが、輝かしくて暖かなものだった。

 そして、一人息子を授かることも出来た。

 

 朝日に照らされて黒々とした眼を爛々輝かせるダルマの隣。棚に飾られた写真立てがふと目についた。

 そこには、夫と息子と3人で撮った写真があった。

 ぎこちない笑みを浮かべ、ピースサインをする夫と、その背にまたがった息子の目尻は、柔和な目尻がよく似ていた。

 遺伝だなとそう思っていると、目の前の景色が急にぼやけてきた。

 

「あれ…めまいかな?」

 

 目元を押さえて堪えていると、次第にフワフワとした感覚が流れ込んできた。

 式典の準備で疲れてしまったのだろうか。

 ルビーが来るまではまだ時間があっただろうから、少し休むことにしよう。

 

 ゆっくりとした自分の鼓動を感じながら、リビングのソファーに腰かける。

 そして重たい目蓋を閉じた。すると、どこからか、遠くで子供がはしゃぐ声が聞こえてきた。

 楽しそうに家の中を駆け回るその影を追おうと目を開くと、向かいのソファーに懐かしい人影があった。

 

「お帰りなさい。トレーナーさん」

 

 いつの間にか、帰ってきたトレーナーさんが、トレセン学園でよく見たジャージ姿のままほほ笑んでいた。溌溂とした表情はそのままに、物憂げな眼はいつでもおれのことを見守ってくれている。

 はしゃぐ子供の声がどんどんこの部屋へと近づいて来る。これは聞き違うことない息子の声だ。

 家中を駆け回っていた彼はリビングへ駆け込んでくると、夫の胸に飛びついた。息子はその胸に気持ちよさげにぐりぐりと顔をうずめ、夫の大きな掌で優しく頭を撫でられている。

 息子はそのうち満足したのか、こちらへと進路を変えると走ってきて飛びついてきた。

 光のきらめきをまとった柔らかな身体を抱き留めて、お日様の香りがする髪を嗅ぐ。

 こちらを見上げる息子の満開の笑みは、いままでの受け取った感謝と奇跡の結晶のようだった。

 いつの間にか傍に歩み寄っていた夫を見上げて、彼へ声をかける。

 

「あなたのおかげで、みんなのおかげで、おれはたくさんの『ありがとう』に囲まれているよ」

 自然と湧いた感謝の気持ちを言葉にすると、彼は全てを包み込むような穏やかな笑みを浮かべた。

 お父さん、お母さん、トレーナーさん。

 ああ、幸せだ。幸せだったんだな。

 

 部屋に差し込んでいた朝日は陽光となって、いつしかおれは温かな光で包み込まれていた。

 真っ白な光に意識が溶け合っていく中で、ふと思った。

 

 おれは果たして、何かを残せたのかな?

 

--------------------------------------------------------------------------------------

 

 うっすらと積もった初雪が、辺りを白く染めていた。

 唐突のことに、理解が追い付かないまま奔走(ほんそう)していたためか、外の風景が白く様変わりしていることにやっと気付いた。

 

「一体、アイツはどこに行ったんだ?」

 

 喪主である以上、身重の妻に任せたままその場を離れるのは気が引けた。

 しかし、妻から直々に迎えに行くように言われたため、申し訳なくもお礼を言って息子を探しにお寺の裏手から外へと出る。

 

「いた。あんなところに…」

 

 白塗りの塀に沿って歩いていると、立派な松の木の根元に座り込んだ小さな背中を見つけた。

 案外すぐ見つかったことに安堵しながら、小走りで近づくと声をかけた。

 

「探したぞ」

 

 小さな背中はこちらの呼び声に、一度だけピクリと肩を震わせたが、抗議のつもりなのかこちらを向かぬまま座り込んでいる。

 彼の反抗的な態度は、日頃俺がちゃんと構ってあげられなかったせいだと理解していた。

 怒るでもなく叱るでもなく、少し距離を置いてその傍らに腰を下ろした。

 

「さよならをちゃんとしに行こう、な?」

 

「やだ…いかないもん」

 

 消え入るような声が、小さな背中から返ってくる。

 5才ともなれば親しい者がいなくなったことを、明確に理解しているのだろう。

 だがしかし、それを受け入れられるかどうかは別だろう。

 

「さよならしちゃったら居なくなっちゃうもん。ケイちゃんが居なくなっちゃぅっ…」

 

 言葉の最後は消え入るように掠れ、薄雪が積もった地面の上にしとしとと滑り落ちた。

 この子にとっても、ケイエスミラクルという存在はとても大きなものだったのだ。

 

 しかし、大きな存在であったからこそ、お別れをしないままに離れ離れになってしまうことは、今後この子にとっても大きな傷になるとそう思った。

 だが、悲しみに沈む彼に、どのようにして向き合ってもらうべきだろうか。

 すすり泣く背中を前に、言葉に窮していると背後に気配を感じた。

 

「こちらにいらっしゃいましたか」

 

 振り返らずとも分かる馴染み深い凛とした声が、冬の澄んだ空気に透った。

 姿勢を正して向き直ると、品のある黒のアンサンブルドレスに身を包んだ女性と、同じく喪服に身を包んだ白髪の老紳士がそこにいた。

 華麗なる一族の現当主であるダイイチルビーが、夫である元トレーナーとともに参列のために駆けつけてくれていた。

 齢60となってもその凛とした立ち振る舞いは、自分が幼いころに見た彼女のままだ。

 遥か地中に深く根付いた大樹を思わせる厳粛なそのオーラは、先代より当主の座を引き継いでから、より磨かれたように感じられた。

 

「ご無沙汰しておりますダイイチルビーさん。お忙しいところご列席いただきありがとうございます」

 

「この度は謹んでお悔やみ申し上げます。奥方様よりこちらにいらっしゃると伺いまして、先ず式の前にご挨拶に伺いました」

 

 黒檀で作られた漆黒の杖をついて現れた彼女は、閑雅な雰囲気をまとったまま深く一礼をした。

 思わず呆然としてしまったが、遅れながらもあわてて深々と礼を返した。

 彼女も当主としての公務が多忙であろうにもかかわらず、すぐに駆け付けてくれたことがとても嬉しかった。

 

「母の還暦祝いに祝電をくださってありがとうございました。たびたびダイイチルビーさんの話を母はしておりました。本当にご多用の中、たびたびのお心遣い感謝いたします」

 

「そうであれば幸いと存じます。互いに多忙な身の上、直話こそ限られておりましたが、ミラクルさんとの歓談は私にとって…まぎれもなくかけがえのない瞬間でした」

 

「そう言っていただけるのであれば、天国の母も喜んでいると思います。こら、ダイイチルビーさんにご挨拶しなさい」

 

 懐かしい人と会うことが出来た嬉しさで、いまだに背を向けうずくまった息子の存在を失念していた。華麗なる一族の方々に背を向けたまま挨拶もしなければ失礼に当たる。

 彼を立ち上がらせようと思い立った時、ダイイチルビーはいつの間にか流れるように息子の傍に立っていた。そして、ドレスの裾が地に触れるのも厭わず、その脚を折って息子と目線を合わせた。

 

「アナタがミラクルさんのお孫さんですね」

 

「…こんにちは」

 

 挨拶こそ返したが、いまだ不愛想なままの息子の態度にひやひやとする。しかし、意に介していない様子で彼女は息子へと話しかけた。

 

「あなたにお渡しする物があります。これはミラクルさんからあなたへと手向けたものです」

 

「えっ?」

 

 それは自分の声だっただろうか、息子の声だったのだろうか。

 出所の分からぬ呆けた声は、驚きに満ちたものだった。

 すくと立ち上がったルビーに釣られるようにして、息子もゆっくりと立ち上がった。

 背後に控えていた老紳士が、大事そうに包まれた何かを息子へと手渡した。

 開けるように促され、息子がおずおずと包みを開くと、中には手編みの手袋が入っていた。

 その甲には、息子お気に入りのニンジンモチーフのキャラクターのワッペンが縫い付けられていた。

 その手袋には自分も身に覚えが確かにあった。それはまぎれもなく母であるケイエスミラクルが編んだ手袋だった。

 静謐な寺院の庭で、ひと時の間があったあと、息子の腕に抱かれた淡い水色の手編みの手袋に、ぽつり、ぽつりと藍色の斑点が出来上がっていく。

 3つ、4つと増えていくその斑点は、大粒の涙によって形作られていた。

 

「ミラクルさんはいつも言っていました。あなたは優しくて自慢の孫だと。自分はトレーニングを受けることは出来ないかもしれないが、トレーナーになるアナタを見ることが楽しみだと」

 

「うっ…ううぐぅ…」

 

 涙と鼻水でべしょべしょになりながら、息子は必死にその嗚咽を抑え込もうとしていた。

 

「さあ、顔をあげて。アナタは立派なトレーナーになるのでしょう?」

 

「なります!!ケイちゃんみたいなウマ娘を支えられるようなすごいトレーナーに、おれはなります!!」

 

 くちゃくちゃに顔を歪めて、大粒の涙を流しながら、誓うようにして息子は答えた。

 彼の頭を優しくなでると、涙を隠すようにして腰にしがみつき、大声でわんわんと泣きながらもゆっくりと歩き出した。

 

「ありがとうございます。ルビーさん」

 

「私は何も。すべては彼女がつなぎとめたものです。私は貴方たちのその眼に懐かしい輝きをみました。ひたむきで真摯で、そして優しさに満ちたそれを。彼女の意志は、願いは確かにここに繋がっているのでしょうね」

 

 常に厳粛な雰囲気を纏う彼女が、穏やかにそして嬉しそうにほほ笑んだ。

 

--------------------------------------------------------------------------

 

 ダイイチルビーが歩き出す親子を眺めていると、その傍をすり抜けるようにして、二匹の青い鳥が羽ばたいていった。

 

 薄青の軌跡を追うようにして、蒼穹を見上げたダイイチルビーは静かに呟いた。

 

「ええ、ミラクルさん。アナタの奇跡は確かにここに」

 

 セピア色の情景を二つの青い鳥が並ぶようにして飛んでいく。

 どちらかを追いかけるでもなく、互いを慮るように。

 

 

 

 待っててくださったんですね、アナタ。

 

 おかえりケイ。

 最後は介護をさせて大変だっただろう。すまなかったな。

 

 そんなことは無いです。

 アナタにも、両親にも恩返しをすることが出来ました。本当に幸せでしたよ。

 

 そうか…ケイどうだった?思い残すことは無かったか?

 

 ええ、良い人生でした。

 …もしまたいつか、天国で会うことが出来たのなら、みんなに伝えたいです。

 

 たくさんの「ありがとう」を・・・

 

~fin~

 

 


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