俺の名前は
なんせ俺には前世の記憶とやらがある。当たり前のように成長して、当たり前のように生きて──そして死ぬまでの記憶が。
それが起こったのは、俺が毎日通っている学校に登校する途中だった。家を出て、いつもと同じ時間に到着する電車に乗って、普段通りに電車に揺られながら持参した本に目を通していた。何ら特別な日ではなかったはずだ。
だが――何を思ったか、ふと広告の流れる車内モニターに目を移した時、 “ソレ”を思い出したのだ。直後、俺は文字通り雷に打たれたかのように、その場でバタリと倒れた。凄まじい勢いで甦る記憶の奔流に耐えきれず、頭がショートしたのだ。
そんな笑えない状況の中、突如として判明した衝撃の事実を受けて、俺は思わずつぶやいたね。
「ここ……SAOの世界かよ」
次の駅のホームで目が覚めた時、俺は興奮でいっぱいだった。
だって考えてもみろ、夢にまで見たゲームや小説の中の世界で俺は生きているんだ。心が昂るのも仕方ないと思わないか。
当時の俺はぶっちゃけハイになっていた。前世を思い出したショックやら電車の中で見たナーヴギア発売の広告やら、短時間で色々とありすぎたんだろう。
だから、頭の中で考えていたことは一つだった。そう――俺も《ソードアート・オンライン》に、あのデスゲームに参加してやる……と。
とりあえず学校を無断で欠席して自宅に帰った。
*
そして気づけばサービス開始当日。自室のベッド脇にちょこんと座る俺の眼の前には、座布団の上に鎮座するヘルメット状の機器《ナーヴギア》があった。βテスターの分を差し引いて全国で約九千台しか販売されなかったソレだが、伝手を利用して無事入手した。俺のゲーム欲を舐めてはいけない。
初期セットアップは既に終えており、後は被ってフルダイブのコマンドを唱えるだけ……なのだが。
不肖・常磐総司、ここにきてビビっているのである。前世の記憶を思い出した当初こそ、心身が高揚するあまり、その日までウダウダと悩んでいた兄弟関係を記憶ごと脳内のゴミ箱にダストシュートすることすら厭わなかったものだが、どうしてこうなる。
変える表情すら持たないナーヴギアくんとにらめっこを開始してから早十分が経つ。ログイン可能時刻の午後一時はとっくに過ぎていた。
「……マズイ。俺はアバタークリエイトに時間をかけるタイプの人間なんだ。小一時間程度じゃ満足する出来になるはずが無い」
それに、茅場晶彦がプレイヤー達をはじまりの街の転移門広場に強制的に集めるイベントには参加せねばなるまい。となると、今すぐにてもダイブするべきなのだが……。
それを否定する思考がポンポンと湧き出てくる。何かしらの経験があるならともかく、本物の剣に触ったことすらない俺がどうこうできるのか――とか、せっかく二度目の生を受けたことに気付いたのだから、命をかけない方向で人生を楽しむべき――とか。
あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙、ダメだダメだ。頭がパンクする。
俺は頭を抱えながら、すっくと立ち上がる。そして我が机の方へと走り寄り、据え置き型ハードであるゲーム機を起動した。
悩みがあるならば、とりあえずゲームをしろ。様々な記憶の中に紛れていた俺の前世の教訓であった。
碌でなしのようにも聞こえなくはないが、これが割と性に合っているのだ。一度脳内を無に帰すことで、無理な思考による負担を軽減することが可能なのである。
「良く言えば体制の立て直し。悪く言えば思考放棄……ってな」
ホワイトカラーのコントローラを握り、コロ付きの椅子に腰を落とす。
そういえば、記憶が戻る前の今世の俺も相当なゲーム好きだったようだが、このゲーム機には最近起動した痕跡が見当たらなかった。大好きなゲームを一週間以上もやらないなんて……えーと、その間何をしていたのだったか。
前世やら今世やらSAOやらで、一人暮らしの部屋よりも散らかっているであろう脳内ストレージを整理する俺。その作業を中断させるかのように、ぷつんと音を立てて小型のモニターにゲーム画面が映る。
今は懐かしきホーム画面に陳列するアプリケーション一覧に、一際目を引くものかあった。
「……おお!懐かしいなぁコレ。めちゃくちゃ好きだったっていうか、今でも大好きだよ」
それは、今では旧世代の遺物とも呼ばれるほど昔に発売された、某スタイリッシュアクションゲームだった。初心者に優しくない――少なくとも当時俺はそう思った――と有名だが、慣れさえすれば極上の快楽をプレイヤーにもたらしてくれる名作。
こんなゲームを常にディスクドライブに入れておくぐらい愛用してるなんて、今世の俺は何ともいいセンス……。
「……あ」
突然、天啓が舞い降りた。
それは自分でもわかるほど馬鹿げていて、とても他人には理解されない。けど同時に、とてつもなく甘美で――俺にとって魅力的なもの。
どうする。せっかくの二度目の生をドブに投げ捨てるようなものだぞ。
どうやる。方法だったり、それを実行する上での問題点は星の数ほどあるはずだ。
瞬時に二つの疑問が頭を駆け巡ったが――思いついた時点で、答えは決まっていた。
「そうと決まれば――!」
握っていたコントローラを放り投げ、代わりに座布団の上のナーヴギアをがっしりと掴んで、一人用のベッドへと寝っ転がる。
そしてソレを頭に装着し、躊躇なく叫んだ。
――リンク・スタート!
直後、ふわりとした浮遊感が俺を襲う。
半透明なバイザーを通して見える、慣れ親しんだ自室の風景。残念だが暫くお別れだ。もう後戻りはできないのだから。
つくづく思う。ああ、なんつー馬鹿なマネをしてるんだと。好きなキャラクターになりきりたいから自分の命をかけるだぁ?博打も博打、大博打にも過ぎる。多分、一回死んだからどこか頭がイカれてしまったのだ。その割には、命だなんだとほざいてはいたが。
……でもまあ、我慢できなかったよね。誰だって小さい頃は憧れたし、実践したはずだろう。大好きでやまない、愛してやまない仮想の人物になりきることを。
今するべきなのは後悔じゃない。一度決めたことを貫き通す決意だ。
やりきってやるさ。
*
場所は変わって、浮遊城アインクラッド。
周囲に深い木々が貼り巡り、隙間から覗く木漏れ日が辺りを照らすそこは、第一層のある森の中だ。チチチ、と小鳥のさえずりが暖かい森林にこだまする。現実の自然豊かな森と何ら変わりない……そう、この日はとても良い天気だった。
「やあぁぁぁッ!!」
その自然豊かな森には似つかわしくない鋭い叫び声が響く。
現実と差異はないと言ったが、一つだけ物々しい異物がある。それが森林地帯の中央部から天を貫かんとばかりに空へと伸びる巨大な塔、《迷宮区》だ。SAOの攻略を目指すプレイヤーは必ず訪れるであろうれっきとしたダンジョンの一種。上の層に行くには、迷宮区を踏破し、その最奥で待つフロアボスを討伐する必要がある。
今の声は、迷宮区から聞こえたものだった。
外の様子とは打って変わって、ジメジメと陰湿なダンジョンの中。赤いケープを纏った線の細い人影と、それよりも一回り小さな三つの影が踊っている。室内であるために薄暗く、壁に一定の間隔で設置された松明の揺れる炎以外に光源が無いため、様子がわかりづらい。
そこに、一条の光が奔った。流星のように突き進む光は、小さな影の内の一つに吸い込まれてゆき……その喉元を正確に穿ちぬく。
急所を抉られた影は後方に激しくノックバックし、迷宮区の壁に激突する。暫く痙攣した後、ピタリと動かなくなり、カシャンという音と共に全身が砕け散った。
仲間がやられたのに憤りを覚えたのか定かではないが、残った小さな影の一方が唸りながら飛びかかる――再度、流星が閃いた。
一頭目と同じように砕けた小さな影を一瞥し、細剣を携えた赤いケープの少女は、残党のコボルドへと向き直った。瞬く間に肉薄し、神速の突きを繰り出す。それはさっきの流星の軌跡を残す攻撃と遜色がないほどの突き。……しかし。
「あっ……!」
ガキィンという耳障りな音を上げ、少女のレイピアが半ばから折れる。コボルドが身に纏う鎧に阻まれたのだ。
一瞬放心した隙を相手が見逃すはずもなく。直ぐ様、反撃のメイスによる重い一撃が少女を襲う。
吹き飛ばされた少女は、小さく呻きながらゴロゴロと転がり、壁にぶつかって止まった。
衝撃による平衡感覚の喪失を堪え、身じろぎしながら起き上がる。
視線を上げた先には、今まさに少女を攻撃したコボルドに加えて、新たな敵の影が点々と存在した。増援だ。一体、二体、三体、四体……今の今まで戦っていた敵の倍はいる。
「…………」
少女は戦闘で強張っていた肩の力を抜いた。地べたに這いつくばったまま、耐久値がゼロになり砕け散ったレイピアを持っていた手に視線を移す。そして、ワラワラと集まったコボルド達に憂い気な目を向けた。
目元まで深く被ったケープから覗く琥珀色の瞳には、生きる意思が感じられなかった。
*
『……ここまでなのね』
心の中でポツリとつぶやく。SAOが……デスゲームが始まった当初、少女――プレイヤーネーム“アスナ”の頭は後悔の二文字で埋め尽くされていた。
ほんの軽い気持ちだったのだ。ナーヴギアの本来の所持者である兄が、長期出張で家を留守にする時に見せたあのどこか悔しそうな表情。兄があんな顔を見せるゲームというものが、やけに気になった。だから……私は机の上に放置されていたヘッドギアを手に取った。
それが悪夢への片道切符だとは知らずに。
壁に打ちつけられて、気だるげな全身を何とか動かして起き上がる。右手に目を向けるが、さっきまで使用していたレイピアは、もう影も形も残っていなかった。替えが利くからと、メンテナンスを怠っていたツケが回ってきたのだろう。そう思うと、これまでに使用して壊れる度に捨てていた数々のレイピアに申し訳なくなってくる。
――今日までずっと、剣を振るってきた。死への恐怖に飲まれて、宿屋に閉じこもっているくらいなら、最後の瞬間まで自分でありたい。自分を貫き通して――死にたい。その思いのまま、この第一層の迷宮区で戦ってきた。
その果てがここなのだ。そんな風に自覚すると、私は強く握った手の力を抜いた。
スッと視線を上げると、数体のコボルドが徐々に距離を詰めてくるのが見えた。数秒後には、この現実と容姿の一致するアバターはエネミーの集中攻撃に曝され、アスナの視界左上に存在する緑の体力ゲージはほんの一欠片も残らず消失する。そして、この世界と現実世界から永久に退場するのだ。
最後の悪あがきでもしてやろうかと拳を作ったが、その戦闘意思に反して、アスナの視界がふらりと左右に揺れた。続けて急激な睡魔が襲ってくる。ここ何日かは、アスナは休憩も睡眠も飲食すら取らずに気の遠くなるような数の戦闘を重ねていた。疲労の蓄積が表れたのは、火を見るよりも明らかだった。
もう……いいよね。私は十分やりきったよね。
仮りそめの充実感に包まれながら、アスナは押し寄せる睡魔に身を任せ、まどろみの中に落ちようと瞼を閉じた。意識を繋いでいた糸が、その役割を終えようとした――その時。
「――雑魚が。失せろ」
無数の銀閃が、暗闇の中で輝く。
「えっ……?」
反射的に私は目を開けた。そこには、男が一人立っていた。
ガタイの良い、高身長の男だ。紺碧の外套を羽織っており、左の手には鞘に収められた曲刀――にしては刀身が長い。シャムシールの類だろうか――を持っている。白銀の頭髪をオールバックに纏めたその姿は、どこからどう見ても異端だ。
違う。重要なのはそこではない。この場に、男と自分以外の気配以外感じられないことだ。自分を襲おうとしたコボルド達は――どこへ行った?
決まっている。この男が倒したのだ。アスナの視界が際限のない黒に染まっていた僅か数秒の間に。
途端、アスナに憤りが芽生えた。自分の満足のゆく所まで己を燃やし切ったというのに、何の関係もない部外者にその終幕を邪魔された。これで怒りを覚えないはずがない。
私は思わず声を荒げ、未だに言葉の一つも発さない無愛想な男へ詰め寄ろうと立ち上がった。文句の一つでも言ってやろうと。
「余計な……!こと……を……」
だが、予想とは違い喉から出たのはとても言葉とは呼べない掠れた声だった。発した本人であるアスナ以外には誰にも聞き取れなかったであろう声量の。その要因は明確だ。
睨まれているのだ。男に。
凍て刺すような鋭い視線だった。眉間に濃い皺を寄せ、アスナのことを真正面から見据えている。熱の溜まった頭が急速に冷え、自分の背筋がゾクリと寒くなるのを感じた。その上、全身から冷や汗が吹き出すような、ゲームの中で覚えるはずのない感覚。これは――明らかに、異常だ。
そんな内情を察したのか、フッと男はアスナから視線を外した。まるで興味を失ったかのように、あっけなく背を向けて迷宮区の出口の方向に足を進める。それに伴って全身を圧迫されるかのような感覚も鳴りを潜めた。
男はどんどんと遠ざかっていく。
「あなた……は……」
訳もわからずに漏らした言葉は、迷宮区の闇に吸い込まれた。
緊張の糸が切れた影響か、アスナの意識は再び混濁し始めた。覚束ない足取りで数歩前進し、ドサリと床に倒れる。
そのまま深いまどろみに落ちるのは、時間の問題だった。
「俺の名は──バージルだ」
故に、振り返った男が発した言葉をアスナが知る由もない。
*
尚、張本人は……。
『ん~……あのフェンサーの子、どっか見たことあると思うんだけどなぁ……』
コツコツとブーツの靴底で床を叩きながら俺は歩く。
頭に思い浮かべるのは、ついさっき魔物の群れからスタイリッシュに救出したプレイヤーのことだ。
『ちらっと顔を覗いてみたけど、迷宮区が暗すぎて結局わかんなかったし』
フードを深く被っていたため、軽く屈んだくらいでは顔全体を目視することはできなかった。赤い外套を着込んだレイピア使い……どうにも既視感があるような気がしてならなかったが、ジロジロと見てくる変人に間違われないためにはあれくらいが限度だったろう。俺は聡明な判断をしたのだ。
となると、気になるのは彼? 彼女? の反応だ。両腕を身に寄せて、まるで怯えているかのように迷宮区の壁に背を押し付ける姿。あれは一体……。
『はッ──!? ……もしかして、もしかしなくてもカッコつけ過ぎたのか? 痛い奴だって引かれたのか?!』
確かに、窮地に陥っているように見えたからまとめて討伐したが、実を言うとただ敵を誘導していただけなのかもしれない。一箇所にまとめて大技で倒そうとしてたのに、突然横から飛び出してきた痛い奴がヒーロー気分で全部台無ししてきた……とか。
もしそうならば──とんだ恥を晒してしまった。
『あ゙あ゙あ゙あ゙〜ッ!! 恥ずかしい──そんなの知らなかったんだ……去り際に名乗りまでしちゃったじゃんか!』
ボン、と羞恥心から顔が赤く染まる。直前まで出口を求めて迷宮区を彷徨っていた事実が影響して、余計に自分の行動がバカらしく思えてくる。
もはや見覚えのあるプレイヤーの正体を考える余裕など、俺にはなかった。
この居た堪れない空間から迅速に離脱すべく、陽の光の見える方向へと全速力で駆けだした……。
であるとか。
DMC:PoCがリリースされたので初投稿です。
あ゙〜……異次元の旅人バージルの四連ジャスト次元斬が気持ちいいんじゃあ〜。